―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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或質問者への応答

『光』46号、昭和25(1950)年1月21日発行

 ある日、信者の中の幹部級の者が「伺いたい事がある」と言って来た、早速私は遇ったところ、彼の質問事項は「某に対し、某の噂が間違っている、それを某が語ったので、その誤解を解きたい」と言うのである、それに対し私はこう答えた。
私「私は今、世界人類救済の大業のため、極度に時間を有意義に利用している、従って君の問題が人類救済にどれだけの関係があるか、それを話しなさい」と言ったら、彼は吃驚仰天(びっくりぎょうてん)三拝九拝してそうそう辞去した。
 右のような笑えない喜劇がよくあるのである、いよいよ最後の世は迫りつつあり、神様は一人でも多く救わせられようとして私を通じて大慈悲的活動を垂れつつあるにかかわらず、個人的の利害や感情問題などを訴えて来るという事は、この信仰を何と心得ているのか解し難いのである、しかし右のような考え方の信者も相当あるであろうから、頂門(ちょうもん)の一針(いっしん)としておいたのである、それで帰りかけの彼に言ってやった。
「そんな暇があったら、神様の本を出来るだけ読みなさい」。

(注)
頂門(ちょうもん)の一針(いっしん)、頭の上に一本の針を刺すように、人の急所をおさえて戒めを加えること。