―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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黴菌人間

『栄光』183号、昭和27(1952)年11月19日発行

 現代人が最も怖れているのは、病原としての黴菌であろう。では一体黴菌なるものの発生は、何がためであるかというと、全く人間の健康上必要なものであるばかりか、それを作るのが人間自身であるから、驚かざるを得ないのである。左に説くところをよく読めばなるほどと肯くであろう。
 そもそもこの世の中にある一切万有は、ことごとく人間に必要であると共に、人間が作るもので、これが自然の法則である。ただ今日までの学問ではそこまで分らなかったにかかわらず、人間の浅智慧と自惚(うぬぼれ)で理屈を付けて満足していたにすぎないのである。右の理は独り病気ばかりではなく、農作物の害虫でも、社会の犯罪でもそうであるから、それらの真相を徹底的にかいてみよう。まず最初黴菌の発生であるが、これは人間が間違った考えによって罪悪を犯す結果、それが汚穢となって溜り、霊的には曇りとなり、体的には濁血となるので、その浄化の必要から黴菌が発生し、濁血を浄血にするのである。このように菌は濁りを解消する役目として湧くのであって、濁りにも幾種類もあるから、それに適応する黴菌すなわち掃除夫が生まれるのである。
 であるからさきにかいた通り、万有一切は汚物が溜るから浄化作用が発生する、というように自然は遺憾なく解決してくれる。ゆえに人間が世の中から黴菌を絶滅するとしたら、黴菌の必要のないよう清浄にするより外はない、これが根本である。ところが情ないかなその理を知らないため、人間は自分の罪を棚へ上げて、黴菌を悪者扱いにし、殺す事にのみ骨を折っているのである。
 ところがこの理は肥料にも当はまる。それは近来年毎に害虫が増えてゆく傾向である。これも薬と同様肥料によって土を汚すから、掃除夫としての害虫が湧くのであるから、この虫もつまり人間が湧かせる訳である。しかも近年害虫の種類の増えたのも、肥料の種類が増えたからである。では人間がなぜ肥料を用い始めたかというと、麻薬と同様肥料を用いると最初は大いに増産するから惚れ込んでしまい、肥料を唯一のものとした結果肥料迷信に陥って、今日のごとく害虫に悩まされながらも気が付かないのである。右のごとく一時的実績に瞞されて、土は弱り種子は中毒に罹り、害虫は増え放題で収穫は減るのであるから実に愚かなものである。それがため今日のごとく輸入米によって僅かに飢餓(きが)を免れている現状で、豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国も情なくなったものである。従って苦し紛れにヤレ農地改良、交換分合、種子の選択、殺虫剤、肥料の入手問題など、的外れに苦労している有様は見ておれない程である。しかも政府は主食増産何力年計画などといって、巨額の費用を支出しているが、声ばかり大きくても結果は相変らずで、旨くいって平年作くらいである。
 次に知らるる通り、近年犯罪も非常に殖えたので、当局者も識者も溜息吐くばかりだが、これも汚物同様の人間が殖えるからで、それを自然は掃除するため、黴菌人間が必要となるが、これはいくらでもいるから、それに掃除をさせるのである。その方法が人を苦しめ、傷害を与えたりするのであるから、よく自分は真直の道を歩いているのに、こんなにも不幸になるのは分らないとか、これ程病気で苦しめなくてもよさそうなものだなどと、勝手な泣言を並べているのは、本当の事が分らないからで、神様が御覧になったら苦笑いなさるであろう。
 そうして面白い事には、黴菌人間を掃除する方法自体がヤハリ罪を作る事になるから、それの掃除にまた他の黴菌人間が必要となるというように鼬鼠(いたち)ゴッコで、世の中は溝泥(どぶどろ)のようになっているのである。しかしいよいよ時節が来て、神様はそういう事を根本的にお示しになったのがこの論文であるから、よくよく眼を開けて読まれたい事で、これこそ黴菌人間を減らす第一の方法である。

(注)
交換分合(こうかんぶんごう)、土地の利用を増進するために、土地の交換・分割・合併をすること。