―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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蓬莱島

『栄光』106号、昭和26(1951)年5月30日発行

 日本は平和文化的にみると、まことに優れた国であると常に思っているが、それについて気の付いた事を少しかいてみよう。私は美術品が好きで、若い頃から機会ある毎に、そういう方面に事情の許す限り心を寄せて来た。今日といえども見たり、娯(たのし)んだり、研究したりしているが、驚くべき事は、世界中の美術品のほとんどの種類は、日本に集っているといってもいい。その中で特に言いたい事は、支那(シナ)の美術品が多く蒐集(しゅうしゅう)されている事である。これは古い頃からその時代の好事家(こうずか)的権力者が蒐集したもので、それが今日まで、よく保存されて来たのである。これは見逃す事の出来ない業績であって、何よりも長い期間破損や散逸を防ぎ、よく扱われて来た事でこれは藤原期頃かららしいが、それに加えて日本に生まれた名手、巨匠等の優れた作品も残され、その上幕末頃から明治に入ってからも、名品、傑作が数多く生まれ、しかも財閥、富豪等競(きそ)って蒐集した事によって、日本は新古美術品、支那、朝鮮の名品を網羅し、豊富に蔵されており、また西洋の物も相当ある。これは世界に比(ひ)なき国といってもよかろう。全く日本は世界の美術館である。
 ところで、本元である支那はどうかというと、絶え間ない兵火の乱によって、美術品なども破壊焼失され、特に古い絵画などはほとんどなく、僅かに銅器、陶磁器の類が、残されていたに過ぎない。これは土中物と称し、長く土中に埋められていたため助かったもので、相当残ってはいたが、数十年以前から英米の富豪や有識者が、これに目を付け、買漁(あさ)った事によって、今はほとんどないそうである。今日倫敦(ロンドン)博物館(同国の富豪ユーモー・ホツプレス氏の寄贈)と米国のボストン、ワシントン等の美術館には相当あり、私は写真でみたが、右両者共ほとんど銅器並びに陶磁器で、もちろん優秀品のみである。しかし絵画に到っては古い物はなく、近代のものが若干あるくらいである。ところが日本には、支那、朝鮮の銅器、陶磁器、絵画などもどのくらいあるか分らない程である。しかし、全国的に散逸しているので、英米のごとく一堂に集ってはいないから、観る事が出来ない。言わば宝の持ち腐れである。もっとも日本においても博物館はじめ、私設美術館も数カ所あるにはあるが、まことに物足りない感がする。肝腎な博物館は歴史的考古学的の物が主となっており、私設美術館は、失礼ながら小規模すぎる嫌いがある。
 美術方面はそのくらいにしておいて、今一つの重要なる事をかいてみたいが、外でもない人間の寿齢である。神武天皇以前はともかくとして、以後でさえ普通一般の人間は、百歳以上の寿齢を保っていた事は、文献等にみても肯(うなず)かれる。としたら病などなかったに違いない。これは全く薬剤がなかったからでもあろう。彼の有名な秦の始皇帝が、臣(しん)徐福に命じ、東海に蓬莱(ほうらい)島あり、その島の人間は、非常に長寿であるそうだから、定めし良い薬があるに違いないから、調べて来いと言われ、遥々(はるばる)日本へ渡来されたという事である。ところが日本へ上陸し、どこを探してもそんな薬はないので、彼は失望と共に本国へ帰り得ず、日本にそのまま滞留して生を終えたという事で、今も四国にその墓があるにみて、確実であった事が判る。
 以上簡単にかいてみたが、人民ことごとくが無病となり、百歳以上の寿齢を保つ事が出来、世界中の美術品、が豊富にあり、山水の自然美に富めるとしたら、これが東海の蓬莱島と言わずして何であろう。といって喜ぶのはまだ早過ぎる。何となればその上に犯罪者がなくなり、食糧の自給自足が出来、戦争の心配がなくなってこそ、初めて真の蓬莱島である。しかしそれは難しい事ではない。本教が日本人の大多数に知れ渡るようになれば、間違いなく実現するのである。何と有難い宗教ではなかろうか。