―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

help

法律精神と法律技術

『栄光』122号、昭和26(1951)年9月19日発行

 現代社会においては、法律と刑罰によって犯罪者を取締り、再び繰返えさないようにする事を建前としているが、宗教を全然度外するとしたら、これより外に方法はあるまいから止むを得ないとしても、さらばといってそれだけでは、目的達成は不可能である事も、事実がよく証明している、なるほど単に犯罪と言っても、それは表面に現われた結果でしかないので、その根本である心の動機にメスを入れなければならないのである、つまり罪を犯そうとするその意志であり、魂であるから、法的犯罪防止の外に、他の方法によって犯罪動機を根絶しなければ、いつになっても犯罪者なき社会は、実現されないのである。
 右のごとくであるから、現在悪人はただ法に引っ掛らないようにする事のみに苦心している、それが独り下級の人間や無頼の徒のみではない、相当教育ある者や、中流以上の人間であってもそうである、ただ法の網に引っ掛りさえしなければいいとして、不正不義を平気で行っている、としたらこの考え方こそ全く恐るべきものであって、これを何とかしなければならないが、これについて私の経験上から、それらに関した事をかいてみようと思うのである。
 私は数十年来、今日まで随分多くの裁判をして来た、今も数件裁判中のものもあるくらいだが、私の相手になる人間は、ことごとく悪であるから、私の主義として、悪には負けられない以上、どこまでもやり通すので、今まで一度も負けた事はない、そんな訳で幾多の経験によって分った事だが、彼らは例外なく法律の技術面のみを主にして挑んで来る、ところが私の方は法律精神を旨として相手になるので、大抵は一審では負けるが、二審後になると必ず勝つのである、そうでなければ先方から屈伏して示談を申込んで来る、しかし困る事には、裁判官によっては、この技術面に重きを置く人が多く、こういう人は、若い経験の浅い人にあるようだが、それに引換え精神面の方は、老巧な人に多いようである。
 ここで検察当局者に、大いに考えて貰いたい事は技術面を主とするとしたら、どうしても巧妙に法を潜(くぐ)る事のみ考えるから、犯罪は減らないのである、これに反し精神を主にすれば、法律技術は第二となるから、精神面を重視する事になるので、自然罪を犯さない方が有利である事に気が付くとしたらこれこそ法律の真の目的に叶う訳であるから、社会悪は当然減る事になろう、あえてこの一文を当局者に提供するのである。