―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

help

医学に望む

『地上天国』2号、昭和24(1949)年3月1日発行

 昭和二十三年八月二十五日発行東京新聞「筆洗」欄中に次のごとき記事があった。
「医者が家族の者の診察を嫌がる事は大抵の人は知っている。これは結局診断に迷うからだ。」
 ただこれだけの事だが、よく考えるとその内面に潜むものにすこぶる重大性がある。何となれば右は吾々もよく聞く事実であるが、そこには全然科学性がない事である。医学は進歩せりといい、しかも今日何人といえども医学は科学の埒外(らちがい)であると思うものはあるまい。しかるに家族の者を診断する場合、迷いが生ずるというに至ってはそこに科学性がないと共に、すこぶる危険ではあるまいか。もちろん医学に信頼性がありとすれば、家族の者に限って他の医師に扱われる事は不安であり、ぜひ自分が診療しなければ安心出来得ないというのが本当ではないか。そうでないまでも家族も他人も同一診断を得べきであるのが科学の基準性である。かく観じ来れば進歩せりと呼称する医学の診断なるものははなはだ頼りないもので、ちょうど易者の身の上判断と同工異曲のものと言われても否む事は出来得まい。僕(『神示の健康法』掲載時は吾々)は決して医学を非難する意志は少しもないが、どう推理しても前述のごとき結論とならざるを得ないと思うからである。
 聞く所によればあらゆる病気の中、最も一般的で軽病とされる風邪の原因が医学においては今もって不明とされている。これらによってみても、世人の信頼している程に医学は進歩していないのではないかと疑われるのは僕一人ではあるまい。(この部分は『神示の健康法』では削除)ゆえに吾々が要望するところのものは医師が家族のものを自己が診断するようになり風邪の原因がはっきりするようになるだけでもいいから、その程度にまで一日も早く進歩されん事を期待してやまないものである。