―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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生霊

自観叢書第3編『霊界叢談』P.54、昭和24(1949)年8月25日発行

 こういう事もあった。某大学生に霊の話をしたところ仲々信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか査(しら)べてくれ」というので、早速霊査法に取掛った。間もなく彼は無我に陥り、若い女らしい態度で喋舌(しゃべ)り出した。その憑依霊というのは、当時浅草公園の銘酒屋の女で時たま遊びに来るこの大学生に恋愛し、生霊となって憑依したものである。霊の要求は、「この人はチッとも来てくれないので、逢いたくて仕方がないから来るように言って欲しい」と言うのである。私も生霊とは言いながら惚れた男の言伝(ことづて)を頼まれたという訳で、洵(まこと)に御苦労千万な次第である。そうして覚醒するや彼は怪訝な顔をしている。私は、「どうでしたか?」――と聞くと、彼「無我に陥ったのか全然判らなかった。」と言うので、私はその女の話をしたところ、彼は吃驚して恥しそうに頭掻きかき畏れいって霊の存在を確認したのである。
 次に、ある所で若い芸者を霊査した事があった。すると旦那の霊が出て来たので、私は種々質問したところ、左のごとき事情が判った。その生霊は某砂糖問屋の主人で、「今晩この芸者に会う約束がしてあったところ、よんどころない用が出来、遇う事が出来ないから明晩遇うという事を伝えてくれ」というのである。その言葉も態度も、まず四、五十歳位の男性の通りであったから疑う余地はない。その話をすると、彼女は吃驚した。自分は無我に陥って何を喋舌ったか全然判らなかったので、私の話により、右の生霊の言う通りに約束がしてあったというのであった。
 二十歳位某家の令嬢、私の所へ来て訴えるには、「自分は近頃憂鬱症に罹ったようで世の中が味気なくて困る。」というので、私は、「あなたのような健康そうでしかも十人並以上の美人でありながら理屈に合わないではないか、何か余程の原因が無くてはならない」と種々尋ねたところやっとそれが判った。というのは近所にいるある青年がその娘に恋慕し、「手紙や種々の手段で、自分を承知させようとするけれども、私はその青年が嫌いで何回も断わったところ、その青年は始終私の家の付近に来るので、恐ろしくて滅多に外出も出来ない」という。私は、「その男の生霊があなたに憑くのだ」という事を聞かしたため、彼女もなる程と納得し、それから漸次快方に向い全快したのである。それは病気でないという事が判ったので安心したからである。
 現代人に死霊の存在を認識させるのさえ余程困難であるが、生霊に到っては猶更(なおさら)困難である。しかし疑う事の出来ない事実である以上そのつもりで読まれたいのである。生霊においてはまだ種々の例があるが、右の三霊だけで充分と思うから後は略すが、生霊は総て男女間の恋愛関係がほとんどである。そうして右の令嬢の憂鬱症はいかなる訳かというと、相手の男が失恋のための悲観的想念が霊線を通じてそのまま令嬢に反映するからである。右のごとく生霊は相手の想念が反映する訳である故に、右と反対に両者相愛する場合は相互の霊線が交流し、非常な快感を催すもので、男女間の恋愛が離れ難い関係に陥るのはこの快感が大いに手伝うからである。また死霊が憑依する場合は悪寒を催し、生霊が憑依する場合は温熱を感ずるものである。
 次に右のような他愛もない生霊なら大して問題ではないが恐ろしい生霊もある。それは本妻と妾等の場合や三角関係等で、一人の男を二人の女が相争う場合その嫉妬心が生霊となり闘争するのであるが、大抵は妻君の方が勝つものである。その理由は正しい方が勝つのは当然であるからで、その場合妻君の執念によって妾の方は病気に罹るとか死亡するとか、または情夫を作って逃げるとか結局旦那と離れるようになるものである。
 人間の生霊はそれ程でもないが、ここに恐るべきは管狐(くだぎつね)の生霊である。これは昔から飯綱(いづな)使いといい、女行者が使うのであって、人に頼まれ、怨みを晴らす等の事を引受けるのであるが、管狐というのは大きさはメロンの少し小さい位の大きさで、白色の軟毛が密生したすこぶる軽くフワフワとしたもので、その霊は人間のいう事をよく聞き、命令すればいかなる悪事でも敢行するのである。この飯綱使いは昔から関西地方に多く、その地方では飯綱使と縁組するなというそうであるが、これは少し感情を害しでもすると返報返しをされるからである。
 また狐霊の生霊も多く、肉体だけが稲荷や野原に棲居し、生霊だけが活動するのである。