―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

help

インチキの名を返上する

『光』36号、昭和24(1949)年11月19日発行

 よく新聞などに新宗教を目してインチキという名を冠するが、もちろん本教もその一人であろう、ところがインチキという言葉は社会通念からみるとマヤカシモノすなわち本物でない――という意味にとれるが、これについて本教としてはどの点がインチキであるかを釈明する事も満更無駄ではあるまい。
 本教も宗教である以上、信仰によって御利益を頂き救われ幸福者となるので、それによって素晴しい発展を遂げつつあるのは言うまでもないが、特に本教においては幸福の原であるべき病難を解消する事に最も力を注ぎ絶大なる効果を挙げつつある事実で、これは自画自讃としても一点の誤りはあるまい、とすればインチキなる名称は全然当らない事になろう、そうして本教に救いを求めに来るものの大部分は重難病の末期のものばかりで死の一歩手前といってもいいのがほとんどである、それが一転して快復に向かい、決定的死の運命から復活の歓喜を得らるるのであるから、その感謝はどうしても熱烈なる信者とならざるを得ない事になる、この結果本人はもとより近親者も知人も、驚喜の感激はいかなる反対を押切っても入信する事となるのは当然である、しかも本人の発病当初から、本教の救いを求めに来る間際までに費やしたる療養費はもちろん、その苦痛と不安は想像もつかない程のものがあろう。以上の事実によって厳正公平に検討するとすれば、その結論は何と下していいであろう、とすれば確実に治る本教浄霊がインチキで治し得ない療法がインチキでないとすれば、石が流れて木の葉が沈むという訳である。
 以上によって、吾らはインチキの名をここに返上するのである。