―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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現代医学で病気は治るか

『地上天国』15号、昭和25(1950)年4月20日発行

 右のような、標題は大胆を通り越して気狂と思われるかも知れないが、最後まで、この所説を読むにおいて、何人(なんぴと)といえども異存を唱える事は出来まい。近来医学の進歩によって、若干寿命が延びたといって喜んでいるが、それらは一時的であって、将来は逆効果になる時が来るのは知れきった事で、これは予言しても決して誤りはないのである。それらについて以下詳説してみよう。
 まずその前提として確実なる証拠をお目にかけよう。それは救世紙及び雑誌地上天国に満載しているおかげばなしである。このおかげばなしの報告は、現在一ケ月数百通に及んでおり、それらことごとくといいたい程数年または数十年にわたり、あらゆる医療その他の療法によっても治らない重難症ばかりである。これら一々を点検する時、医療の効果は全然ないばかりか、むしろ逆でさえある場合が、あまりに多い事実である。しかもその不成績に対し多額の療法費を使い長い間苦しむのであるから、気の毒というより外はない。しかるにこのおかげばなしは本療法によって、全治したものの感謝感激のあまり、同病者に知らせたい熱誠の迸(ほとばし)りからである。何よりもこの記録を見た医家は何と批判するであろうか聞きたいものである。
 医学では病気の治らない事と、ある期間寿齢が延びるという事と密接な関係がある事を気付かないので、この根本を神医学からの解釈を加えてみよう。
 吾らが常にいうごとく、病気とは人間保有毒素の排除作用の苦痛を名付けたものである事を知らない医学は、苦痛を悪い意味に解し、それを緩和させるのを可とする。その手段とした唯一のものが薬剤である。もちろん薬剤の本質は毒物で、それによって毒素排泄の力を弱らしめて苦痛を緩和させる。それを病気治癒の方法と錯覚するのである。
 従って、せっかく排除されようとする毒素を押えて、一時的苦痛緩和を図るのが医療の使命と思うのだからいかに誤っているかである。ゆえに本当を言えば医療とは苦痛緩和法であって治病方法ではないのである。標題のごとく「医学では病気は治らない」というのは、この文を熟読玩味すれば明らかに判るはずである。この理によって医学の進歩とは苦痛緩和術の進歩で、言い換えれば、毒素排除を延す方法の進歩である。事実余病や再発や慢性の原因はそのためであるから、医学と反対に毒素排除を促進させ、体内を清浄化する方法こそ、真の医術であり、真の健康者を作る手段である。もちろん伝染病菌にも感染されない完全健康者となる以上、消毒も全然必要がなく、現代人通有の黴菌恐怖症などは消滅するのである。そうして毒素とはもちろん薬毒が主なるものであるから一言にして言えば病気を治そうとする手段そのものが病気を作る結果となるのである。
 事実、現代人が罹病するや直ちに医療を求めるのは常識である。ところが前述のごとく医療は薬毒その他の方法で苦痛緩和手段を繰返えす結果、浄化は延期し、ついに半健康者となるのである。そうしてこの半健康者はいかなる経路をたどるかを説明してみよう。
 ここで、一つの重要なる事を書かねばならない。さきに述べたごとき、毒素排除作用発生は何がためかというと、健康であるからで、健康者程新陳代謝が旺盛のため、吾らが言う浄化作用が起りやすいのである。特に伝染病は最も旺盛なる浄化作用であるから、年少者に多いにみても明らかである。また結核の青少年に多い事も同様の理である。ところが、医学の病理はこれと反対であるから、伝染病や結核は低抗力が弱いためとする。もしそうであるとすれば、老年期になる程抵抗力が弱るから、伝染病や結核に犯されやすい事になる。また結核が長年月にわたるのは浄化発生を極力抑圧し引延ばすからである。
 右の理を考える時、現代医学が進歩する程真健康者は漸減し、半健康者が増加するのは当然である。半健康者とは青年にして老人のごとき中間性体質となるから、浄化力が微弱である以上、罹病の機会が減少する。たまたま発生しても、浄化停止によって一時緩和する。何よりも、近年労働者の労働力低減を看過する訳にはゆかない。近来文明国における労働者が、疲れやすいため労働を嫌い、時間の短縮を強調する事や、農民までも労働持久力が低減した事等も一般が気がつかないだけで、実は体力減退のためである。なるほど、文化が向上し労働者の幸福を思い、労働尊重の意味もあるが、その奥に右の点の潜んでいる事も見逃し難い事実ではある。
 特に言いたい事は、近来、予防接種の問題である。前述のごとく、伝染病は浄化力旺盛のためであるから、予防接種するや浄化力微弱となり、発病の機会が減少するというのを錯覚した訳である。ところが、無毒である真健康者ならもちろん病気発生はないが、こういう健康者は現在皆無といってもいい程で、一般人は毒素保有の半健康人であるから、浄化発生すなわち病気に罹りやすいがまた一時的緩和もする。もちろん発病するや、医療は極力浄化停止を行うが、浄化力は反撥する結果摩擦を生ずる。その摩擦が強烈である程衰弱を増し死の転機を招く。例えば肺炎の場合がそうである。元来、肺炎とは、猛烈なる浄化であるから、その治療剤を使用する場合、医家はこの薬なら速かに治るか、さもなければ死ぬかのどっちかだという。それは強烈なる浄化に対するに強烈なる薬毒でなければならないからである。この理は幼児にも当はまる。幼児の死亡率の多いのは幼児は最も浄化旺盛である。それを停止する薬剤も普通薬でも幼児には強烈となるから、摩擦し死亡するという訳である。
 以上のごとく、一々事実の説明によって大体は理解されたであろう。とすれば、半健康人が漸次殖える以上、発病の機会が減少する事と、発病の場合も浄化微弱であるから、薬毒による強烈な摩擦を生じない訳で、一まず死を免れるというのが、近来寿命の延びた真の原因である。しかしながらこの半健康人は長命は出来ない。何となれば老年期に入るや多量の保有毒素が老衰を早めるからで、彼の動脈硬化症も脳溢血も萎縮腎もこのためである。右は事実が示している。近年平均年齢が延長したに関わらず、最長は変らないのである。すなわち依然として八十歳以上は従来通りを統計が示している。これによってみても、真の健康増進による寿齢延長でない事が知らるるのである。
 最後に言うべき事は、神療法の真価は、罹病の場合浄化停止とは反対に浄化促進させ毒素を極力排除させるのである。この経過はおかげばなし中に遺憾なく示されてある。従って、神療法によって、真健康者になった者は九十以上の寿を保つ事は保証し得るのである。