―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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芸術宗教

『栄光』107号、昭和26(1951)年6月6日発行

 人も知るごとく、昔から宗教に対し、芸術は余り関係がないように思われて来たが、それでも日本で芸術の始まりは、まず仏教芸術からであった。しかし、これははなはだ単純な絵画、彫刻、織(おり)等は元より、音楽的には笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、木魚、銅鑼(どら)、のごとき楽器類、読経による声の音律(おんりつ)等であるから、まず原始的と言ってもよかろう。それが後になって支那(しな)、朝鮮の芸術が輸入され、それに刺戟されて、最初の模倣時代を経て、日本独得のものを創造するようになったので、しかも近代に到っては、西洋文化の輸入と共に、その芸術も入って来た。特に明治以後凄まじい勢で欧米の芸術がドシドシ入って来たという訳で現在における日本芸術界は、世界中の優れたものが集まり、消化されて自分のものとし、綜合的芸術が追々作られつつあるのが現状である。だから日本は、文化のデパートメントと言ってもいいかも知れない。
 ところで、我救世教であるが、本教くらい芸術を重視している宗教は外にはあるまい。否昔からも見なかった、というのは、本教の最後の目的であるところの地上天国は、芸術の世界であるからである。もちろん地上天国とは病貧争絶無の世界であり、真善美完(まった)き世界であるとしたら人間は真理に従い、善を好み、悪を嫌い、一切は美化されるのである。この意味において、どうしても芸術を娯(たの)しむようになるどころか、芸術即生活という事になり、非常に発達する、つまり芸術の世界である。
 だから私は、芸術に最も関心を持ち、将来大いに奨励するつもりである。その手はじめとして今造りつつあるのが熱海の地上天国の模型であるから、これが実現した暁、今更のように社会の注目を集め、賞讃を浴びせられるであろう。否世界的にもそうなるのは必定(ひつじょう)である。ゆえに現在その方針をもって、計画を進めつつあるのである。