―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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結核付随病

『結核信仰療法』昭和27(1952)年12月1日発行

 前項までに結核の本格的症状について説明したが、それ以外結核に付き物とされている症状等についても一々解説してみるが、大体として、(一)不眠、(二)肥らない、(三)微熱、(四)食欲不振、(五)便秘、(六)下痢、(七)血沈、(八)胸痛、(九)息切れ、(十)新薬等でこれだけ知ればまずいいであろう。
(一)不眠の原因は右か左かの延髄部に、必ず毒結があり、これが脳の血管を圧迫するから、前頭部内に貧血を起こすためである。それが不眠の人は右側に多いもので、左側の方だと不快感、朦朧(もうろう)感等が多く、その他としては何といっても病気不治の心配と、運動不足のためである。
(二)肥らない原因は、結核のみに限らないが、これは肩と後頭部の毒結が主である。そこを圧すると非常に固く、骨かと思う程なのもあるし、そこに微熱がありよく分るが、これが食欲に大いに影響する。従ってこの毒結を溶解排除させれば食欲は増し、必ず肥るのは請け合いであるから、痩せさすのも肥らすのも吾々は自由自在である。
(三)微熱というものは、医学ではほとんど肺自体からのように思っているが、これは大変な間違いで、肺炎、肋膜炎、肋間神経痛以外はほとんどないもので、一番多いのが左右の頸部淋巴腺部で、どんなに健康な人でも大なり小なり、左右いずれかに必ず腫れがあり、そこに微熱がある。このため頭痛、咳嗽、食欲不振や、まれには手足の障害を起こす事もある。次は頭脳と右か左かの延髄部で、おもしろいのは耳鳴のほとんどは延髄部の浄化である。次は肩、腋の下、両股鼠蹊部等である。
 医師はよく原因不明の熱だなどというが、これは医学が幼稚のためで、前記の個所を診れば必ず分るのである。従って右の個所に浄化が発こり、熱で溶けた毒液が肺に浸入するため、肺が原因と間違えられるのである。
(四)食欲不振は微熱による食物不味のためと、消化のいい物を食い、消化薬を服むためと、よくかむ等のため、胃を弱らすからであるが、何よりの原因は医師から結核と言われたり、結核らしく扱われたりする等の神経作用で、食欲に影響すると共に、絶対安静が拍車をかけるのである。
(五)便秘の原因の第一は、食餌の少ない事と腸に浄化熱があるから乾くため等で、そういう人は腹に幾つかの固まりがあり、これが直腸を圧迫するからでもあって、この部をおすと痛みと固結があり、微熱があるからよく分かる。これに猛烈な浄化が発(おこ)って、高熱激痛があると急性腹膜炎と言われるが、平常から時々発熱、痛み、下痢があるのは慢性腹膜炎である。これを医診の多くは腸結核というのである。
(六)下痢は健康時でも病気の時でも、これ程結構なものはないので、急性は食中りが多く、これは二、三日で治るが、慢性に至っては腹部はもちろん、後頭部から延髄部を主とし、身体中にある各部の毒結が溶けて出るのであって、人により数週間から、ひどいのになると半年、一年、三年、五年に及ぶ者さえあるが、これは毒の多い程暇がかかるからである。しかし出るだけ出てしまえば非常に健康になるもので、これを知らないから停めようとし、反って色々な障害を起こすのである。
(七)血沈とは血液の清濁を試験する方法であるから、濁っている程毒の粒子が多いから、沈降速度が早い訳である。もちろんこの毒粒子も薬毒が原因で、濁血者は浄化が起こりやすいから、間接的に結核にも関係がある訳である。
(八)胸痛は肺が痛むのではない。肋骨及びその付近に溜結している毒素の浄化の痛みで、言わば肋間神経痛である。これも放っておけば毒は痰となって出てしまい、必ず治るのであるが、それを肺浸潤や肋膜炎などと思われ、結局本物の結核となる事が多いのである。
(九)息切れは肺の周囲、つまり肋骨及びその付近や横隔膜部に毒結があり、浄化で溶けても痰の濃い場合容易に肺に浸入し難いので、肺の方から吸引する。それが息切れである。そういう人は肋骨付近を圧してみると、必ず痛みと微熱があり、固結もあるからよく分かる。もちろん喘息もそうであるが、喘息は横隔膜部の毒結が特色であって、すべての息切れは若干痰が出れば、じきに治るにみて右の理が分るのである。
(十)新薬について近頃ストマイ、パスはもちろん、最近はヒドラジットなどが有効とされているが、なるほど用いるや間もなく下熱したり、症状も緩和されるのでよく効くように思われるが、これも一時的でいずれは中毒となってしまう。ではどうして流行するかというと、つまり医学は一時的効果を永久的と思うからで、何よりも事実をみればよく分かる。例えば最初の一週間くらいは利いても、それが六日となり、五日となり、段々短縮され、ついには効かなくなるのは、医師もよく知っているはずで、今もってそれに目醒めないのは不思議である。とはいうものの実は患者の苦痛に対し、他に方法がないから、一時的とは知りつつも、仕方なしに用いざるを得ないのであろうが、この事実によってみても、薬効は根本的でない事が分かるであろう。
 以上のごとき一々の説明によって、医師諸君も大いに得るところがあると思う。