―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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九分九厘と一厘

『栄光』138号、昭和27(1952)年1月9日発行 

 この論文は文明の創造の中の一節である。

 前項に述べたごとく、戦争の原因は人間に内在する悪そのものであって、この悪なるものの本質は何であるかというと、さきにもかいたごとく動物霊の意欲の表われであって、その行為が動物的であるに見ても明らかである。動物とはもちろん獣類が主で、次が鳥類、まれには虫類もあり、魚族もあるが、いずれも人間の体欲をつかさどる必要から、神がそのように人間を造られたもので、いわゆる必要悪である。ところがこの動物霊は霊線によって、邪神界の頭目に連繋(れんけい)しているので、その頭目の思うまま自由自在に操られているのである。そうして邪神界にも階級があって、人間個々の霊的階級に相応し憑依するので、上級から下級に至るまで差別があり、これも正神界のそれと同様の組織になっている。
 このような訳で、人類は原始時代から今日に到るまで、善と悪が相対峙しつつ、現在まで何万何十万年にわたって来たのであるが、もちろんその期間邪神の力の方が強いため、ともすれば正神の方が圧迫され勝ちであったが、結局において悪の方が敗北し、善の方が勝ったのは歴史がよく証明している。それはもし邪神の方が勝ったとしたら、世界は崩壊され、今日見るがごとき世界は、あり得なかったはずであるからで、それというのも今日までは時が悪にある程度味方していたので、つまり夜の世界であったからである。もちろん夜は暗黒そのもので、悪を制御する光が足りない以上、止むを得なかったのである。右のごとくこれまでの世界は悪でも目的を達せられ、相当期間持続されたので、これを見た人間は悪で成功する方が早道と錯覚してしまうと共に、その追随者も出来るという訳で、滔々(とうとう)として一般が悪に感染し、処世の常識とさえなってしまったのである。
 これは歴史をみれば判るごとく、悪によって一時は成功したように見えても、いずれは必ず失敗するが、それに大部分は無頓着であったのである。従って歴史とは悪による成功と、悪による失敗との交互連続の記録でしかないと言えよう。右のように夜の時代は悪の力が強いため、その犠牲となった善者も少なくなかった。特にそれが宗教家に多く、最大な犠牲者としては、彼のキリストであった。私といえどももしその時代に生まれたとしたら、いかなる苦難に会ったかも分からないが、いつも言う通り今や夜が終り、黎明期に一歩入った現在であるから軽く済み、予定通りの進展を遂げつつあるのである。
 ところでここに注意すべきは、邪神の計画や行動といっても、戦争や暴力のみではない。あらゆる分野にわたって、いとも綿密にして遠大なる計画の下に進んで来た事である。その中で最も成功したものとしては唯物科学であって、この唯物科学こそ、彼らの最大なる武器であって、これによって全人類に素晴しい恩恵を与えたと共にこれを利用して信頼させ、最後には絶対権を握ろうとするのが彼の計画であって、その狙いは何と言っても、人間の生命を左右する事である。その意味から進歩させたものが現代医学である以上、徹頭徹尾物質的方法によって、病気を治そうとし、外面的には、いかにも治りそうに見えるが、内実は決してそうでないにかかわらず、彼らの智能はすこぶる巧妙にあらゆる手段を尽して努力しているのである。もちろん、方法としては機械、光線、新薬、手術等であり、また病理も微に入り細にわたって理論付けているが、この真相を看破し得た者は今までに一人もなかったのである。この意味によって、例えば病気に罹りその病原を質問しても御座なり的で、適確な説明は出来ないで、曖昧きわまる答弁をしている。また病気に対してその見込を訊いてもだろう的で、断定は出来ない。よしんば断定しても、十中八、九は齟齬(そご)するので、これは医家も常に経験するところであろう。
 次は食糧問題であるが、これも医学と同様ほとんど科学的論拠によって作られた、彼の化学肥料である。これも最初は一時的効果を見せられたので、人間は瞞されてしまい、今日のごとく各民族に行き渡ったのであろうが、これは別の項目で詳説する。
 次は戦争であるが、これもさきに述べたごとくその時代の手腕ある野心家が、多くの人命を犠牲にして、覇者たらんと企てたものであるが、これらも一時的成功の夢をかち得るに過ぎず、最後は必ず失敗し、歴史上の語り草に残るのみである。
 以上大体悪についての検討をしてみたが、これによってみても、神は唯物文化の清算をされ給う時期が来た事は明白であって、邪神の目的通りにならんとするその一歩手前に来た現在、神は私を通じて真相を明らかにさせ給うのである。これを深く考えればその深遠微妙なる大神策は、実に端倪(たんげい)すべからざるものがある。ここで別の意味からみれば、神の力は十全であり、邪神の力は九分九厘であるから、神の方が一厘勝(まさ)っており、この一厘の力をもって掌を反すので、この力こそ如意宝珠であるから、私が常にいうごとく、現代文化は九分九厘までで切替えとなり、その時がキリストの言われた世の終りであるという訳である。従って、この時こそ霊界においては仰天動地の一大異変が起こるのは必然で、この事を信じ得る人にして、永遠なる幸福者となるのである。
 そうして、かの計画の唯一のものが現代科学であるから、医学の革命も当然起こるであろう。それに代るべきものとしては、本教の浄霊法である。というのは、幾人もの博士がてこずって、死になんなんとした病人が医学のイの字も知らない普通人が、数日の修行によって治し得る力を与えられるにみても多くを言う必要はあるまい。従ってこの力をもってすれば、何十世紀も掛かって積み重ねた現代文化の誤れる点を解消するのも、あえて難事ではないであろう。
 ここに至って、夜の帳(とばり)は切って落され、赫々(かくかく)たる太陽が現れるので、その黎明期こそ今である。キリストの言われた信ずるものは幸いなりとしたら、信ぜざる者は、滅亡の運命となるより致し方ないであろう。