―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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薬が効かなくなった

『栄光』239号、昭和28(1953)年12月16日発行

 私は以前から、霊界が明るくなるにつれて浄化力が旺盛となり、段々薬が効かなくなるという事を唱えているが、近頃になってそれが如実(にょじつ)に現われて来た事である。言うまでもなく薬の効果は毒素を固めるにあるので、今まではそれでよかったが、浄化が強くなるにつれて益々固らなくなり、それが医師にも分る程に顕著になった事で、実に喜ばしき限りである。ゆえにこの分でゆくといずれは全然薬が効かなくなるのはもちろん、最後になると逆作用となって、薬を用いるやたちまち病気は悪化し、危険に瀕(ひん)するので、医師も恐ろしくて手が出せないようになり、ここに始めて医師も疑問を起し、私の説が光り始めるのである。従って神霊医術が一般に知れ渡るのはそれからであって、最近薬が効かなくなったのもその時期が近寄った事の示唆(しさ)であろう。


性病戦線異常あり
       (十二月九日『内外タイムス』掲載)
 戦後性病の救世主ともてはやされたペニシリンの出現から、近頃ではオーレオマイシン、テラマイシンに至るまで、新薬は次々に誕生するが、性病は一向無くならない。それどころか巷間にはペニシリンも効かなくなったという声さえ聞く。このように変ってきたのは人体に抵抗ができた為だろうか、それとも薬の効果が薄くなったのだろうか、今回の「性の教室」は昔からの治療法の変遷と、最近「性病戦線」について吉原病院長雪吹周、回春堂病院医長荘田修一郎の両氏に説明して貰った。

   もう効かぬペニシリン“学理”覆えす“臨床”

 まず絶対的にされていたペニシリンの効果につき疑いがもたれているが、これを雪吹氏は臨床家として次のように解明した。
 私達が初めてペニシリンを扱った時は、それこそ淋病の絶滅も夢ならずと考えられた程だ。ところがペニシリンが使いよいようなスタイルで製造されて来た。そうするうちに使用量がぐんぐん増えてきてしまった。最初使ったのは水溶性結晶ペニシリンで、特徴としては吸収が早く、血中の濃度が上昇して排泄が早く下る為に有効時間が短いという欠点があった。その為に数時間後には次々と注射補給をしなければならない不満があった。しかし間断なく補給注射したとき実際効果は顕著だった。そのうち淋菌に対して血中濃度を長い時間保たせるように油に溶かしたものができてきた。これを油蝋牲ペニシリンというが、これとか痛み止めのために油性のブロカインが入ったもの、ステアリンサン、アルブミンなどの混入されたペニシリンが生まれた。
 これは吸収が緩慢で長時間血中濃度を保つようになり、一度に必要量を注入することができるので大変便利になってきた。ところがこれを使うようになってから淋疾などの治療成績が落ち出してきた。つまり水溶性の際には総量二十万単位で全治したものが、ブロカイン入りのものなどでは三十万単位を最低として、九十万単位位まであげて注射しなければならなくなった。これはペニシリンそのものが淋菌に効かなくなったというよりも、ペニシリンの使用を便利にしたため、血中濃度の上昇速度が落ちて効かなくなったと思われる。いまでも場合によって水溶性を使えばよいと思うことがある。又医師がペニシリンに対して信頼感をもちすぎた事と、患者が何でもペニシリンさえ射てばよいと素人療法で無軌道に乱用して拗らせたことも原因だ。
 ペニシリンを注射すると一時症状は除けるが、その後数日間細菌学的検査を行った場合には約二割の人々は完全に治癒していない。治ったと思い込んでも実際は慢性に罹ってしまってその後は九十万単位も注射しないと治らないという型の淋疾ができてきた。これも治りにくくなった一つの原因といえるであろう。ともあれ一般にペニシリンには抵抗性耐性がないもので、撲滅できない淋疾はあり得ないということがいまだに学界の定説。
 しかし患者の症状――疾病の時期に応じて、ペニシリンを選択し、臨床的、細菌学的に治療を施さなければ効果は少く拗らせたものは根治し難い。
 また梅毒もサルバルサンを四、五本射てば効いた当時と、現在のペニシリンとでは薬物的に違ってきて安全さを尊ばれている。昔は副作用が強かったのだ。しかし梅毒は淋疾と違って中途半端な治療を数回繰返すと極めて治り難いものが生まれてしまう。これからみても梅毒は耐性があるということが言えるようだ。

   良薬を打負かす菌 いく度か出た“救世主”

 次に性病治療の変遷を荘田氏は次の様に説明している。
 梅毒は明治時代は水銀療法だったが、これはある程度進行を食止めるに過ぎなかった。大正三年にサルバルサンができて、それまでよりは効果があるとされたがこれも昭和六年頃になると一週一回で治っていたものが、極量治療を行っても一週二回は射たなければ治らなくなってしまった。この他大正九年には水銀に代ってビスマスという薬が現われたが効果はなかった。
 以来昭和二十一年までサルバルサンによる治療が続けられたが、次第に効果が失せてきた。そこへペニシリンが救世主切ように出現した。だがこれも束の間、当時は三十万単位で快癒したものも、今では初期でも六十万単位を十本位射ち込まなければ効かない。まして二期梅毒にでもなれば最低九百万から三百万単位を叩き込まなければならず、サルバルサンでも三十本以上を必要とする。それが第三期以上だとどれ程射ったら効くもの
やら見当もつかない。
 一方トリッペル(淋病)はかつて比較的効果のあったものにサンタールという飲み薬があったが、これは症状を緩和する程度であった。次にカルシウム色素剤ができてかなり症状を好転させた。これに次いでズルファミン剤が現われて効果一層よくなり、膿も止まる様になったが、次第に菌が強くなって効果も薄れて来た。
 終戦後はペニシリンができて、膿は三十万単位一本でピタリと止り、一時は淋病はこの世から追放されそうに思われたが、これ又例によって効果は薄くなり、それ以上でも根治しないものも出てくる始末、その後ストレプトマイシンが出てもてはやされたが、これも決定的な武器とはならず、続いてクロロマイセチン、テラマイシン、オーレオマイシン、アイロタイスンの新薬が名乗りをあげているが、これら新抗生物質をもととした最新薬も、拗らせた性病には最後のきめ手にはならないようだ。