―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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昔の宗教と今の宗教

『光』17号、昭和24(1949)年7月9日発行

 私が現在、救世の業を達成すべく簡単な宗教形式を用いているが、しかしそれは今まであった宗教形式とは余程の違いさがある、昔の開祖とか教祖とかいう人達は、弊衣(へいい)粗食、生活は洵(まこと)に質素簡略で、しかも修行のため深山に籠り、水を浴び経文三昧に、いわゆる難行苦行を重ねたのである、従って真善美の三者の中、真善はあっても美は閑却されていた、ほとんど芸術などには関心を持たなかったのである。そうして奇蹟も多少はあったが、主に経文を本義とし、形式を尊び行事を重んじ、説教専一に衆生済度を行って来たのである、もっともこれらは仏教について批判したのであるが、神道、キリスト教は近代の発生または布教であるから、略して仏教だけを対象としたのである、もっとも仏教渡来以前古神道はあったが、文献にも言い伝えにもないからかく訳にはゆかない。
 ところが今日私が行っている方法は非常に違うという事は、第一病貧争絶無の世界を目標とし地上天国を樹立するという、洵(まこと)に大言壮語としか思われない程の極めて大胆不敵な宣言をしている、これだけでも既成宗教といかに相違せるかは知られるであろうが、その第一手段として実行しつつあるものは、人間の最大悩みである病苦から解放すべき救いでこれが着々効果を表わしている事はもちろんでこれによって身心健全者となる事こそ自ら貧乏も争闘も消滅するのであって、以上の信念をもって全信徒一団となり、日夜活動しつつあるのである、前記の宣言にあるごとく、天国化の実現は、理想だけではなく、現在如実に驚異的成果を挙げつつあるのである、また経綸の一部として、現在最高地上天国の模型を企画し、熱海及び箱根の最も景勝なる地を選び、整地に建築設計に造苑に、建設を進めつつあり、これら完成の暁は、最高天国なるものは、いかに崇高善美なものかを世界に示すつもりである。
 由来(もとより)地上天国とは芸術の世界ともいうべきものであって、本教が芸術に最も力点をおくゆえんである、しかしながら政治経済教育等全般にわたっても、最も新しい神示による画期的方策を経綸の進捗と相まって、順次発表するつもりであるから、それによっていかに構想の雄大なる事を認識さるるであろう。

(注)
弊衣(へいい)、破れた着物。幣は神前に供える布で弊の誤記か。
由来(ゆらい)、事の起こり、来歴、由緒。副詞的に使って、もとより、元来。