―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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龍神界

自観叢書第3編『霊界叢談』P.62、昭和24(1949)年8月25日発行

 龍神界などというと現代人は荒唐無稽(こうとうむけい)の説としか思われまいが、実は立派に実在しているのである。それについて私の体験から先に書いてみるが、私が宗教や霊の研究に入った初めの頃である。ある日精神統一をしていると、突然異様の状態となった。それは口を大きく開くと共に、口が耳の辺まで裂けてるような感じがし、眼(まなこ)爛々(らんらん)として前額部の両方に角の隆起せるごとく思われ、猛獣の吼えるがごとき物凄い唸り声が自然に発するのである。私は驚くと共に、予(か)ねて霊の憑依という事を聞いていたので、これだなと思ったので私は、この霊は虎か豹かライオンのごときものではないかとも思ってみたが、右の獣は無角獣であるからそうではない。そこで当時先輩であったある指導者格の人に質(き)いてみたところ、それは正(まさ)しく龍神の霊であると言うのである。その頃の私は龍神などというものは実際あるかどうか判らないと思っていたが、そう聞くとなる程と思った。しかも神憑りの場合、脊柱上方部の骨が隆起するような感じがしたのも龍の特徴である。そのような事が何回もあったが、その中に私以外のものが私の身体の中で喋舌(しゃべ)るのである。それは右の龍の霊であって、私に憑依した事によって人語を操れるようになったと感謝し、種々の物語りをした。その話によれば「自分は富士山に鎮まりいます木之花咲爺姫命(このはなさくやひめのみこと)の守護神であって、クスシの宮に鎮まりいる九頭龍権現(くずりゅうごんげん)である。」と言うのである。しかるにその後数年を経て、私は初めて富士登山を試みたが、それまでは龍神から聞いたクスシの宮は山麓であると思い、尋ねたが見当らない。遂に富士山頂へ登った。頂上の登口右側に大きな神社がある。見ると久須志神社と書いてある。あヽこれだな、全く龍神の言は偽りでない事が判った。
 右の龍神については種々神秘があるがいずれ他の著書で発表しようと思う。この事よって私は龍神の存在をまず知り得たのである。私は種々の点から考察するにこの大地構成の初め、泥海のごとき脆弱な土壌を固め締めたのは、無数の龍神群であったが、龍神が体を失った後、その霊が天文その他人間社会のあらゆる部面にわたって今もなお活動し続けつつある事も知ったのである。龍神がこの大地を固めた。次が科学者の唱えるマンモス時代で、これは巨大なる象群が、大地を馳駆し固めたものであろう。今日満州の奥地からたまたま発見される恐龍の骨などは最後の龍と想う。
 また龍には種類がすこぶる多く、おもなるものを挙げてみれば、天龍、金龍、銀龍、蛟龍、白龍、地龍、山龍、海龍、水龍、火龍、赤龍、黄龍、青龍、黒龍、木龍等である。伝説によれば、観世音菩薩の守護神は金龍となっている。浅草の観音様を金龍山浅草寺というのもそのためであろう。また白龍は弁財天ともいい、赤龍は聖書中にある、「サタンは赤い辰なり」という言葉があるが、それであろう。黄龍及び青龍は支那の龍であり、黒龍は海の王となっている。木龍は樹木に憑依している龍である。そもそも龍神なるものはいかなる必要あって存在するかというに、皆それぞれの職責を分担的に管掌の神から命ぜられ、それによって不断の活動を続けているのである。なかんずく天文現象すなわち風雨雷霆(らいてい)等はそれぞれの龍神が、祓戸(はらいど)四柱の神の指揮に従い担掌するので、天地間の浄化作用が主である。その他一定域の海洋湖沼河川や、小にしては池、井戸に至るまで、大中小それぞれの龍神が住み、守っているのである。従って、池、沼、井戸等を埋める場合、その後不思議な災厄が次々起こる事は人の識る所である。
 龍神の性質は非常に怒りやすく、自己の住居を全滅せられた場合非常に怒るのである。それは人間に気を付かせ、代りの住居を得んとするのである。故に初めから小さくとも代りを与え、転移の手続をすればよく、龍神は水がなくてはいられないから小さい池か甕のごときものに水を入れてもよい。元来龍神は霊となっても腹中熱するため非常に水を欲しがるのである。人間の死後龍神に化するという事は既説の通り執着心によるので、これらは霊界における修行によって再び人間に生まれ替るのである。彼の菅原道真が死後、生前自己を苦しめた藤原時平はじめ讒者(ざんしゃ)等に対し、復讐の執着から火龍となり、雷火によって次々殺傷し、ついには紫宸殿(ししんでん)にまで落雷し、その災禍天皇にまで及ばんとしたので急遽神に祭る事となった。それが今日の天満宮である。それ以来何事もなかったという事で、これらは歴史上有名な話であって科学ではちょっと歯が立たない代物であろう。次に明治から大正へかけての話であるが、今の霞ケ関にある大蔵省の邸内に彼の平将門(たいらのまさかど)の墓があった。それに気の付かなかったため、大蔵省関係者に不思議な災厄が次々起こるので、種々調査の結果、将門の霊のためではないかという事になり、盛大なる祭典を行ったところ、それ以来何事もなくなったという事で、これらも将門の霊が龍神となって祟ったものである。そうして龍神に限らずあらゆる霊は祭典や供養を非常に欲するものである。何となればそれによって執着心が軽減され霊界における地位が向上するからである。
 龍神は大体画や彫刻にあるごとき形体であるが、有角と無角とあって、高級の龍神はすこぶる巨大でその身長数里または数十里に及ぶものさえある。彼の有名な八大龍王は古事記にある八人男女(やたりおとめ)すなわち五男三女神である。伝説によれば彼の釈尊が八大龍王を海洋に封じ込め、ある時期まで待てと申渡したということである。私の考察によればその時期とは夜の世界が昼の世界に転換する時までである。ちなみに八大龍王は人間に再生し光明世界建設のため、現在活動しつつある事になっている。
 昔から龍神の修行は海に千年、山に千年、里に千年という事になっている。これらも相当根拠はあるようである。しかしながらこれも関係者の供養や善行等によって期間は短縮されるのである。龍神は修行が済むと昇天するが、その場合雲を呼び暴風を起し、いわゆる龍巻といって海水湖水等を随分高く上げ、天に昇るので、これを見た人は世間に数多くある。それについて私は一弟子から聞いた話であるが、ある時松の木に霊ではない本物の蛇が絡んでいる。じっと見ていると蛇は段々木の頂上に昇り、ついに木から離れて空中へ舞上った――と見る間にずんずん上昇し、ついに見えなくなったというのである。これは実物であるからおもしろいと思うと共に、有り得べからざる話のようで、またあり得べき話でもある。
 龍神が再生した人間はその面貌によっても判るのである。龍神型としては顴骨(かんこつ)高く、額部は角型で、こめかみ部に青筋が隆起しており、眼は窪んだものが多く、顎も角張っており、特徴としてはよく水を飲みたがる。性質は気位が高く人に屈する事を嫌い、覇気に富むから割合出世する者が多い。龍系型を熟視すれば、龍という感じがよく表われているから、何人も注意すれば発見する事は容易である。

(注)
顴骨(かんこつ)頬の上、目の斜め下に左右一個ずつある骨。頬骨