―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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最後の審判

『地上天国』42号、昭和27(1952)年11月25日発行

 キリストのいわれた最後の審判というのは、何か恐ろしい事が突如として起り、それによって信仰なき者は亡び、信仰ある者は助かるというように、至極簡単に割切っているが、そういう事はないとも言えるが、有るとも言えるのである。というとはなはだ不得要領(ふとくようりょう)であるが、これには訳がある。それは今後の神様の活動によって、悔改める人間が多くなれば、そのような極端な方法は必要がないからそれでいいが、そうでないとすれば止むを得ず徹底的に裁かれる事になるのであるから、この結論は人間次第という事になる。
 そのような訳だから神様は出来るだけ苦しまないで、穏やかな方法によって改心を促がされるので、ここに愛と慈悲の深さが窺われるのである。そうして今日までの人類が犯した罪穢の内、最大なものとしては何といっても医学の誤りである。従ってこの事を充分肚の底から分らせ、悔改めさせる事こそ救世上最も根本であるから、私は何よりもこの事に対して、最大級の努力を続けているのである。いつもいう通り人間の罪悪という罪悪は、霊肉共に病気が原因であるから、病気を治すと共に再び冒されないような健康人間にする事で、これによってのみ人類社会から、全く罪穢を追放されるのである。
 本教のモットーである病貧争絶無の世界というのもこの事以外にはないのであるから、この事については一層広範囲に詳しくかいてみよう。まず現在の世界は独り人間のみか、何から何まで病気に罹っている。すなわち家庭も社会も、国家も世界も同様で、ことごとく病体である。ヤレ第三次戦争が起ったら大変だといって心配するのも、その原因は世界的大浄化作用が起るからで、その他社会不安、犯罪激増、不幸な人々が増えるのも浄化作用であり、各国共思想問題や経済難、ストライキ等何だ彼んだと碌でもない事の続出するのも、社会的浄化作用であり、家庭内のゴタゴタ、夫婦喧嘩なども個人的浄化作用である。というように浄化作用のないところは、地球上どこにもないといっていいのである。従って今日の世の中を浄化作用のない幸福な世界にするとしたら、まず人間一人一人の病気を治す事であって、この理が分れば本教こそ世界を救う宗教、すなわち救世教という名もなる程と思うであろう。