―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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細菌恐るべき乎

『光』15号、昭和24(1949)年6月30日発行

 今日一般人が細菌を恐れる事は驚くべき程である。この点現代人はまことに不幸である。二六時中戦々兢々として不安極まりなき生活を送っている様を、吾らからみれば実に哀れな小羊と観るより外ないのである。考えてもみるがいい、まず電車汽車に乗れば、室内の空気中に何千何万の黴菌がいるか判らない、ドアーのハンドルや吊革に触るればたった今結核患者が触ったのかも判らない、床屋へ行けば僅かな疵でもそこから猩紅熱(しょうこうねつ)の黴菌が入るかも判らない、入浴をすればゴノコッケンがいつ付着侵入するか判らない、もしか眼に入ったら恐るべき風眼となる、外食をすればチフス菌が食器に付着しているかも判らない、人と談話をすれば結核菌やインフルエンザ菌が飛込んで来るかも判らない、また外出から帰れば含嗽(うがい)をしたり手を洗ったりする事もなかなか手数である――という訳であるから、何人といえども一種の細菌恐怖症に罹っている、ところでもしかこの苦痛から全く解放されるとしたらどうであろう、その幸福感はけだし想像に余るものがあろう。とすればそんな有難い方法はこの世の中にあるかと疑わざるを得まい、しかし立派にある事をここに御知らせしたいのである。
 といってマサカ陸地から遠く離れた遥かな海上か人跡未踏の奥山へ一軒屋を建てて生活をしようとするのではない。もちろんそれなら完全な方法であろうが、そんな馬鹿な事は実際上出来るはずがないから、今まで通りの生活で目的が達しられなくてはならない。しからばそんな結構な方法はどうすればよいかというと、何よりもまず細菌が付着しても絶対発病しないというような健康体になればそれでいいのである、ちょうど軍備のない国が戦争を恐れるようなもので、敵に脅かされないだけの軍備が充実しておれば、何らの心配はない訳である。ここに本教浄霊の偉大さがある、本教浄霊によれば真の健康体になるから、細菌の侵入などは問題ではない。いささかの恐怖も起らない、全く嘘のような本当の話である、本教信者になれば右の言の偽りでないことを確認し得るのである。
 この点だけにみても、本教の救いのいかに絶大なる力あるものであるか、真の神の救いであるかか知らるるのである。