―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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三大迷信とは何か

『栄光』119号、昭和26(1951)年8月29日発行

 本教の目的とするところは、新しい文明の創造である事は、いつもいう通りであるが、第三者がこれを見たら、ちょっと不思議に思うであろう。何となれば、現在野蛮時代ではあるまいし、今更新しく文明の創造なぞとは、少しどうかしているのではないかと思うかも知れないが、決してそうでない事は、一通りこの文を読んでみればなるほどと肯(うなず)くであろう。
 吾々の方からいえば、現在はなるほど形だけは確かに進歩した文明世界であるが、内容に至っては、真の文明とは到底言い得ないのである。それはどういう訳かというと、何も彼もほとんど誤謬だらけであって、その誤謬とは大体左のごとき、三つの大きなもので、それを今かいてみよう。
(一)薬剤迷信 これについては私は常に充分解説してあるから、改めてかく必要はないくらいだが、第三者に知って貰いたいからかくのである。今日何人(なんぴと)も病気の場合、何よりも一番頼りにしているのは、もちろん薬剤であるが、驚いてはいけない。これこそ実は人間の健康を弱らせ、病気を作り、命まで危うくするものであって、世にこれほど恐るべきものはないのである。それ程のものが今日までなぜ気が付かなかったかという疑問が、当然起らなければならないはずだが、それは全く薬剤迷信に深く陥っていたからである。従って人類を救うとしたら、この迷信を打破し、目醒めさせる以外他に方法はないのである。
(二)肥料迷信 これも本教信者はよく知っており、今更かくまでもない事だが、これも第三者に対して少しかいてみると、本来土とは神が人間に食糧を作らすべく、素晴しい性能を与えたものであって、言わば土その物は、肥料の塊とも言うべき貴重品である。それをいつの時代どう間違えたものか、肥料という土を殺し、土自体の栄養を阻止するような汚物を手数を掛け、農民の懐を絞り、反って減産に役立つものを使うようになったかという事で、全く驚くべき迷信にかかってしまったのである。何よりも現在我国の産米、一カ年二千万石も不足するという事や、年々虫害に苦しむ事なども原因は全く肥料のためである事は、私が長年に渉(わた)って警告しているところである。
(三)次は法律迷信であるが、これは前二者とはいささか異なる点がある。すなわち法律の目的は、犯罪を防止するにある事は言うまでもないが、その手段として用いているのが、単なる取締りと刑罰だけである。しかしそれだけでは予期の目的は達し得られないという事も分っている。何よりも今日の世相がよく物語っているからである。それは全く根本的重点に誰も気が付かないからである。ではなぜ気が付かないかというと、ヤハリ一種の迷信に囚われていたためであって、迷信とはもちろん犯罪の原因である人間の魂を無視して来た事であって、ただ単に表われた結果のみを対象として、それのみに腐心努力して来た誤りである。従って本当に犯罪を無くすとしたら、人間の魂を改善させる以外、方法のない事は余りに分りきった話である。ところがその方法こそ宗教の力であってみれば、当事者はこの事に気が付き、それを基本として、犯罪没滅(ぼつめつ)の方針に出なければならないのである。この意味が心から分ったなら、何よりもまず御自分が信仰に触れてみる事である。といっても今までの宗教ではまず期待は出来まい。何となれば今日までのところ教育や道徳の方が、宗教よりも重用されて来た事にみても明らかである。右のごとき事情なるがため、止むなく法的刑罰主義を唯一の方便として行って来た訳で、これも無理はなかったのである。
 これを要するに、既成宗教、道徳、教育等を合一した以上の、真に力ある宗教が出てこそ、犯罪のない理想社会が出現するのはもちろんで、その宗教こそ我メシヤ教であるとしたら、一日も早く研究してみる事である。必ず私の言の偽りない事を知るであろう。

(注)
没滅(ぼつめつ)滅びてなくなること。また、滅ぼすこと。