―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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選挙費用金一万円也

『地上天国』2号、昭和24(1949)年3月1日発行

 選挙といっても種々あるが、ここではまず代表ともいうべき国会議員の選挙について論じてみよう。今日国会議員に当選するには一落二当といって、百万円では落選するが、二百万円以上なら当選するという訳で、実に驚くべき話だ。従ってこの選挙費用の莫大である事が原因となって、どうしても闇によって運動費を獲得しなければならないという事になる。周知のごとき辻や土建、昭電等々忌まわしい問題が次々起こり、ほとんど底知れぬ程であるのもそれがためである。こうなっては国家の選良も大政党の幹部も何々大臣といえども国民軽侮の的となるところではない。国家の体面にも関わり社会道義に影響するところも蓋(けだ)し鮮少ではないであろう。しからばこの問題解決に当ってはどうする事が一番良いかという事で、それにはまず第一にその原因を剔〔摘〕出し、俎上(そじょう)にのせてみる事である。
 総選挙に当って運動費の多いほど当選率が高い事は周知の事実である。だからして彼らが運動費獲得のため法に触るるような事にまで立到るのである。忌憚(きたん)なくいえば運動費獲得の手腕いかんによって当落が決るという訳になるから大問題である。仮に今度のような事件が起こらないとしたなら議会は実に不透明極まるものとなろうしこれでは善い政治の行われようはずがないから、日本再建も国民の幸福もいつ実現するか判らないという事になる。
 とはいうものの国民の側にも罪がある。それを具体的にいえばこうである。まず選挙の場合候補者を選ぶに当って何を標準にするかというと、
一、良かれ悪(あし)かれ名前の売れている人。
二、親戚知友から頼まれ義理や情実で投票する。
三、以前落選したとか、貧乏であるという事に同情する結果。
四、ポスター、立看板、印刷物等で再三姓名を見、頭に印象されているため。
五、議会で質問をしたり、暴力を揮ったりして新聞やラジオで名前が売れた人。
六、滑稽なのは名前が書きよいからという事。
――等々、ザッと右のような事情が候補者選択の規準となっているのが現実である。
 本当からいえば吾々の代表者たる国会議員である以上、立法上立派な成績を挙げ得る人でなければならないはずであるにかかわらず、以上のような有様では善い政治、幸福な社会が生まれるはずがないではないか。この判り切った道理が行われないという事はむしろ不思議でさえある。従って選挙に当り主点とするところは候補者の人物選択の基準として、政見そのものにある事は言うまでもない。しかるに以上列挙したような事柄のどれもこれも政見とは何の関係もないのであるから、全くの浪費であってそのため自他共に苦しむというに至っては実に馬鹿馬鹿しい限りである。しかしながら従来選挙法改正の行われた事はしばしばあったが、部分的のもので、思い切った抜本的の改正は行われなかったのである。
 しかし、よく考えてみると無理のない点もある。新聞や雑誌で人格識見の高い人物を選べとよく言われるが、これ程判らぬ話はない。何となればまず候補者として名乗りをあげた顔ぶれを見た所で、一般人としてはほとんど未知の名前ばかりといってもよい。特に近頃のごとき知名人は大方追放令にかかっている関係上、ほとんど新人ばかりといってもいいくらいであるからなおさら判りようはずがない。それがためおよそ政見とは関係のない事柄によって投票するの止むを得ない事になる。ここにおいて右の欠点を矯正し立派な選挙を行う方法として次のごとき試案を発表、大方の批判を乞いたいと思うのである。
 まずこの案を発表するにあたっては多額の運動費を要しないようにする事と、候補者の政見発表を簡易にする事と、この二点であろう。それについて参考のため運動費なるものの正体を検討してみるが、以前のように買収主義は近来よほど減ったようだが、といっても物価高の今日容易なものではない。まず多数の運動員を使役し、それに要する日当、車馬賃、酒食代はもちろん、ポスター、印刷物、立看板、五人か十人しか聴きに来ない演説会、当選御礼等々で、さきに述べたごとき全く政見に関係のない浪費以外の何ものでもないものが主要条件となっている。
 以上述べたように政見こそ候補者選択の絶対案件であるとすれば、何よりも政権を充分選挙民に徹底させる事である。その方法としてまず今日の新聞紙大の四ペ-ジ一枚とし一ページは十七段であるから合計六十八段になる。この二段分を一候補者の政見の記事にあてるとすれば充分で三十四候補者の政見を発表出来得ることになる。仮に中選挙区として四、五十万人の有権者へ配布するとして、印刷及び郵便費を加算しても一万円とはかかるまい。それを一回だけ配布すればよいのである。有権者はそれを熟読し、その中から自己の意に適した候補者をえらび、選挙当日投票所に赴(おもむ)き投票する。ただそれだけである。何と簡単ではあるまいか。この簡単なる方法によって候補者はなんらの手数も運動費も要しないばかりか、選挙民においても義理や情実に煩(わずら)わさるることなく自由に選択し得るのであるから、公正なる選挙の目的は充分達し得らるる訳である。否多数の運動費を要した今日までの選挙よりも良好な成果をあげ得らるることはいうまでもない。とすれば涜職も疑獄も起こりようはずがないという、実に一挙両得の理想選挙である。ただしかような小額運動費で済むとすれば、猫もしゃく子(し)も候補者に出たがるから、これを防止する方法として供託金を少なくとも五万円ないし十万円くらいにする必要があろう。
 標題の選挙費用金一万円也は、ザッと件(くだん)のごときものである。