―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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善意の罪悪

『栄光』187号、昭和27(1952)年12月17日発行

 この題を見たなら皮肉に思えるかも知れないが、適当な題名がないから右のように付けたのである。ではその意味は何かというと、現在のお医者さんであるが、考えると実に割に合わない職業と思うのである。なるほど医師自身は素晴しい進歩した医学と思っているが、実際は病気なるものの原因は全然分っていない事である。従って病人から原因や見込を訊かれた場合、病人が満足するような答は出来ないので、常に困っているのは吾々にもよく判るのである。何よりもラジオや新聞などに出ている病気の質疑応答などを見てもそれがよく表われている。ほとんどは曖昧極まる一時逃れでしかない事は、医師自身も知っているであろう。しかも治療にしても医師の言う通りに治る事は滅多にない。そのほとんどは見込違いで、悪化したり余病が起ったり、請合った患者の生命が失くなる事もよくある。その都度言い訳に頭を悩ますその苦しみは、察するに余りあるくらいである。
 また中には手術や注射のやり損いで、思いもつかぬ不幸な結果になったりするので、怨まれたり裁判沙汰になりそうになることもあるので、これらも大きな悩みであろう。その上夜が夜中でも呼ばれれば行かない訳にはゆかず、病気によっては容易に苦痛が治まらず、随分困る場合もあるようだ。何しろ医療は一時抑えであるから、病気によっては一時抑えが利かない場合、手を焼く事も度々であろう。その上近頃は税金攻勢で経済的にも中々骨が折れるという話である。
 以上ザットかいてみたが、要するに医学はまだ至って幼稚であるにかかわらず、実価以上に買カブられている。それが原因で種々な悲喜劇を起すのである。滑稽(こっけい)なのはよく新聞やラジオで病気の質疑応答があるが、少し面倒な質問に対しては「貴方の病気は専門家に診て貰いなさい」というが、これくらいおかしな話はあるまい。質問者は散々専門医に掛っても治らないから、余儀なく質問するのである。こんな見え透いたことだから、応答者も気が付かないはずはないと思うが、それを真面目な答をするのは人を馬鹿にしているように思われると共に、問者も満足するとしたらいかに医学迷信に囚われているかが分るのである。今一つはよく正しい医師にかかれとか、正しい治療を受けよなどともいうがその言葉を本当とすれば正しくない医師と、正しくない医療がある訳である。では右両者の正不正はどこで見分けるかであるが、この見分け方の方法を知らして貰いたいと言いたくなる。例えば正しい医師とはどういう人物であるか、学歴か経験か肩書か、あるいは良心か、それの判別は恐らく不可能であろう。また療法にしても素人である患者に正不正が分るはずはない、とすればこの答は全く一種の遁辞でしかない。しかし私はこれをとがめようとは思わない。むしろ気の毒と思っている。というのはいつもいう通り、現代医学は病気を治すことも、病理を知ることも無理であって、全然分っていないにかかわらず、進歩したなどと思うのは錯覚以外の何物でもないのである。それは白紙になってこの文を読んだら分らないはずはないと思う。
 以上によって現代医学こそ世紀における驚くべき謎で、忌憚なくいえば善意の罪悪といっても否めないであろう。という訳で現在医師諸君は仁術と思って施す方法が、実は逆であるから、一日も速かにこれに目醒めさせ世界から病を駆逐すべく日夜奮闘している吾々である。