―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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絶対力

『栄光』139号、昭和27(1952)年1月16日発行

 そもそも宇宙における森羅万象の活動の源泉は、言うまでもなく神の力である。一切の生成流転も力の現れであり、万有を動かすのも、静止させるのももちろ ん力である。人間始めあらゆる動物から、黴菌に至るまで力によって生まれ、力によって死滅する。要するに、力こそ無限絶対なる支配者である。こう書いてく ると限りがないから、このくらいにしておくが、詮じ詰めれば宇宙そのものが力である。そこで私は力について、おのおのの角度から書いてみようと思うのであ る。
 まず力なるものを言霊上から説いてみると、チは血であり、霊であり、カラは空であり、躰(からだ)であり、体である。としたら、力とは、霊体合致して生 まれるものである。また人の言霊を解釈してみるとヒトのヒは霊であるから、霊が体へ止まる。すなわちヒがトまるのである。以上のごとく、力とは霊体一致し たのものである。次に文字であるが、力の形は最初縦棒を引き、次に横棒を引いて十字に結ばせ、次に横棒の末端から、やや斜めの棒を引き、その尾が跳ね上が る。つまり経緯結ぶや活動が起こる意味で左進右退に回転し始めるのである。すなわち力の活動である。という訳で、いつも言うとおり言霊も文字も、全く神様 が造られた事が判るであろう。
 次に今度は実際面の事から説いてみよう。これを最も大きな意味から言えば、世界の二大思想である。言うまでもなく、唯心思想と唯物思想であり、精神主義 と物質主義であり、霊的文化と体的文化である。これを宗教的に見ると一番判り易いからそうしてみるが、右の表われが世界の二大宗教としての彼の仏教と基督 (キリスト)教である。前者は東洋的経(たて)であり、霊であるに反し、後者は西洋的緯(よこ)であり、体であるのは、しばしば私が言う通りである。とこ ろが今までの世界は、この経と緯とが別々になっていたため、本当の力が出なかった。その何よりの証拠は、今もって世界的和合統一が出来なかったため、人類 は救われなかったのである。
 その事については、まず歴史を見てみよう。原始時代を経てようやく人間の生活らしいものが生まれてから、最初は太陽崇拝、自然物崇拝、人工物崇拝という ようになってから、ついに人間崇拝とまでになったので、その頃から原始宗教が各地に現れ始めたのである。それから、ようやく初期文化時代となって生まれた のが仏教、回々(フイフイ)教、次いでキリスト教であるが、前二者はもちろん根本は経であるから、真の力が出ないと共に、キリスト教も根本は緯であったか ら、ヤハリ力が出なかった。という訳で、結果としては前者は経に片寄り、失敗とはゆかないまでも、仏教はようやく日本にだけ形を残しているに過ぎないと共 に、フイフイ教もアジアの一部に伝統的に固まっているのみである。また後者のキリスト教は緯であるから、世界の大部分に広がってはいるが、目標の天国は実 現しないどころか、地獄が多分に残っている現在としたらこれも失敗であるといえよう。
 以上のごとく今日までの主なる宗教は、いずれもその目的は理想世界実現にあった事は言うまでもないが、ついに現在見るがごとき世界の混乱、行悩みの惨憺 たる様相を呈しているとしたら、いかに予想と食い違っているかで、実現の夢はいまだ遠いとせざるを得ないのである。この理由こそ全く力の不足にある事は否 定できないが、力の不足とは最初に述べたごとく、経緯が結ばれていなかったからである。しかしながらこれも時の問題であって、神の経綸上やむを得なかった ともいえる。
 ここで私という者の使命の説明をしてみれば、右の意味が一層ハッキリ分ると思う。今、私のやりつつある仕事の中心としては浄霊の業である。これは信者は 知り過ぎているくらいであるが、私の書いた一枚の紙をお守りとして懐へ入れるや、医師の見離した重難病でも全治させ得る力が与えられる。そうしてこの御守 りは今日まで何十万枚出したか分らない程で、しかし何程増えてもその力には変わりはない。しかも病気ばかりではなく、精神が改善され、人格が高まり、また 危機一髪の危難が救われる等々、日々数限りのない奇跡によって歓喜の生活者が増えつつある不思議さで、この力こそ御守りから発揮される力であって、私はあ えて誇るつもりはないが、事実は飽くまで事実であってみれば、発表しても差支えあるまい。このような絶大な力を行使したものは、歴史上一人もない事は、い まさら言うまでもあるまい。これら数限りない奇跡は御蔭話中に載っているから、何ら疑うところはあるまい。としたら、この力こそ経と緯を結んで生まれた力 であって、この力こそ、仏教的にいえば観音力であり、妙智力であり、基督教的に言えばメシヤの力である。そうして右の力は霊的が主であるが、いずれは体的 力の発現となるであろうから、その暁(あかつき)神の目標である東洋の精神文化と、西洋の物質文化が結ばれた真文化が生まれるのはもちろんで、それが神意 であり、全く世界はじまって以来の救世的大事業遂行となるのである。