―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

help

借金二十年

『栄光』217号、昭和28(1953)年7月15日発行

 私は大正八年から昭和十六年に到る二十余年間借金で苦しんだ。否苦しめられたのである。忘れもしない大正八年三十八歳の時、今の妻と結婚の話が纏(まとま)り、黄道吉日(こうどうきちにち)を選ぶや間もなく、出し抜けに生まれて初めての執達吏(しったつり)という、いとも気持の悪い種族三人が飛込んで来た。何か変な紙片を差出し読ませられたが、何しろ今までそんな経験のない私とて、ただ目をギョロつかせる許(ばか)りだった。そうこうする間も彼らは部屋部屋を見廻しながら、目ぼしい家財道具に小さな紙片をペタペタ貼ってしまった。また差押え理由を細々とかいてある半紙半分程の紙を読んでくれろといい、箪笥(たんす)の横ッ腹へ貼って帰って行った。よく見ると色々な法律的箇条書があったが、その中でギョッとしたのは、差押物件は自由にすべからず、貼った紙片を破棄すると、刑法第何十何条に処(しょ)すという事がかいてあった。
 ところが弱った事には、右の小紙片は箪笥の抽斗(ひきだし)とその仕切りにかけて貼ってある。もちろん開けさせないためだが、しかし開けなければ着物が出せないので困った。そこで色々工夫の末、仕切りの方だけは巧く剥(はが)れたが、抽斗の方は貼ったままでどうやら開ける事が出来たので、ホッと安心したという訳だ。ではなぜこんな目に遭ったかというとそれはこうだ。私は以前もかいた事があるが小間物屋で成功し、無一物同様から十数万の資産をかち得たので、大いに自惚(うぬぼ)れてしまい、かねての念願である新聞事業を一つやってみたいと思いよく調べてみたところ、当時百万円の金を持たなくては難しいとの事なので、何とかしてその百万円を作りたいと思い、種々な金儲けに手を出した。ところがたまたま吉川某なる海千山千のしたたか者と懇意になり、その頃の私は同業者から羨望(せんぼう)の的とされていたくらいなので、世の中を甘く見すぎ、右の吉川の言うがままに第一次欧州戦争後の株熱の旺(さか)んな時とて、株屋相手の金融業を始めた。何しろ私の信用で先付小切手で銀行が貸してくれるので、借主からは日歩五銭の利子が取れるのだから堪らない。一文要(い)らずのただ儲けという訳で、到頭現金と小切手で十数万円に及んだのである。ところがそれを扱った銀行で倉庫銀行というのが突如破産したのである。彼はそれをヒタ秘(かく)しに隠し、小切手を高利貸方面で割引いたから大変だ。それがため高利が嵩(かさ)んで進退谷(きわ)まり、到頭彼は私の前に叩頭(おじぎ)してしまった。全く私にとっては青天の霹靂(へきれき)であったので、止むなく一時逃れとして銀行に頼んで小切手の支払全部を拒絶したから、怒ったのはアイス連中だ。たちまち前記のごとく差押え手段をとると共に、私に対して詐欺の告訴を提起したので、私は検事局へ喚(よ)び出されて散々油を絞られたのである。そこで数人の高利貸に泣きついて、ようやく約三分の二の八万円でケリが付き、半額現金、半額月賦という事になったが、これからがそれを払う苦しみが始ったのである。
 その事件のため約束の結婚も不可能なので、ありのまま打(ぶ)ちまけたところ、先方は普通なら秘密にすべき事柄を、正直に言うとはめずらしい立派な人だと反って賞(ほ)められ、反対に是非実行してくれと言われたので、私も世の中というものは妙なものだと思ったことで、今でも覚えている。この痛手のため営業も窮屈となり、店を株式会社に改め、一時は小康を得たが、忘れもしないアノ翌九年三月の経済界のパニックである。商品下落、貸倒れ等これが第二の打撃となったが、それにも増して今度は彼(か)の大正十二年九月一日の関東大震災である。当時京橋にあった店も商品も丸焼、貸金全部貸倒れと来たので、一時は駄目かと思ったが、どうやら営業だけは続ける事が出来たには出来たが、そんなこんなで私は金儲けがつくづく嫌になり、活きる路を宗教に求めたのである。そこで色々の宗教を漁(あさ)ってみたがこれはと思うようなものはない、その中で一番心を惹かれたのが彼の大本教で早速入信した。これからの事は以前かいたから省(はぶ)いて、借金の方だけかいてみるが、何しろ以上のような訳で、金儲けを止めた以上借金返済は不可能となったので、アイス族共代る代る差押えに来た。何しろ信仰的病気治しの御礼くらいでは知れたものだから、そこで生活費を極度に切り詰め、最低生活で辛抱し、少しずつは返したが、中々思うようにはゆかなかった。そうこうする内幸いにも段々発展し取入も大分増えたので、ようやく借金残らず返し切ったのが昭和十六年であった。数えてみるとちょうど二十二年間借金で苦しんだ訳だから、それまでは重い荷物を背負わされていたのが急に軽くなり、せいせいした訳である。
 ここで特に言いたい事は、借金の抜けない内こそ、寝ても覚(さ)めても金が欲しい欲しいので心は一杯だったが、信仰が深くなるにつれて金は神様が下さるものとの訳も分り、しかも全部返済ずみになったので気持も悠々となった。ところが皮肉にもそれから思いもつかない程金が入るようになり、年々増える一方なので、つくづく思われた事は、金という奴欲しい欲しいと思う間は来ないもので、忘れてしまった頃入るのである。つまり私の二十数年間の経験によって得たのがこの借金哲学である。宗教家の私がこんな事をかくのも変だと思うかも知れないが、これも何かの参考になると思うからかいた次第である。

(注)
アイス、高利貸しのこと。アイスクリームの訳語「氷菓子」と同音であるところから。