―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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宗教以上のもの

『栄光』194号、昭和28(1953)年2月4日発行

 これは私がいつもいう事だが、我救世(メシヤ)教は宗教ではなく、宗教以上のものである。宗教とは読んで字のごとく、宗祖の教えであるから、例外なく御説教が主になっている。つまり口で説き筆で教えるので、経文でもバイブルでもそれであるから、今まではともかく右の方法で人を済度(さいど)してたのであるから、本当をいうと宗教は教え諭(さと)す以外は何もないのであったが、それでよかったのである。ところが今日のような複雑した世の中では、今までのようなやり方では時代に合わなくなった。という訳で我救世教こそ時代を救い、万民をリードする使命を帯びて生まれた宗教である。
 その第一は病気治しであるが、今日までこれ程の治病力を発揮した宗教はなかったし、また美術館を建てたり、農事改良なども例はない。そうして文学、芸術、政治、経済、哲学、科学等何もかも人間に必要なものは包含され、根本的に教え諭して実行している。このような訳で御説教は本教の一部であって、しかもその説くところ前人未見のものが多いので、この点特に注目されたいのである。というように本教の経綸を一口に言えば高度の文化事業である。
 ところが困る事には、現代人はそれ程高度の文化の概念さえないので、理解が困難な事である。その中でも一番厄介な事は、空間に手を翳(かざ)しただけで難病が治ったり、肥料をブッかけないで上等な作物が、今までよりも多量に収穫される事である。また瞬(またた)く間に素晴しい美術品が集り、美術館が出来たりする。日本人のくせに“アメリカを救う”などという大それた本を著したりする。今度出来る熱海の救世会館にしてもその建築様式は、世界に未(いま)だ出来た事のない新しい宗教様式の殿堂である。恐らく出来上ったら、世界の建築家をアッと言わせられるであろう。
 また日本での最も風景絶佳な、箱根、熱海の二勝地の造営は知る通りであるが、今度は京都の風景絶佳な広沢の池を中心とした嵯峨野二万坪に地上天国を造る予定である。ザットかいて以上のごとくだが、これからまだまだ世界的にどんな素晴しい経綸が行われるか分らないから、吃驚(びっくり)しないよう覚悟をしていて貰いたい。とは少し大袈裟(おおげさ)すぎるかも知れないが、何しろ世界一の万能力ある神様が、蔭から御守護をなされているのであるから、決して大言壮語でない事を信じて貰いたいのである。