―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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大三災と小三災

『光』22号、昭和24(1949)年8月13日発行

 昔からいわれている風水火の大三災、飢病戦の小三災とはいかなるものであるか、これについてその根本義をかいてみよう。
 風水の原因は天地間の浄化作用であって、なぜ浄化作用が発生するかというと、霊界における曇りすなわち眼に見えざる汚濁が堆積するのである、それを風力によって吹き払い、雨水によって洗滌される、それがための暴風雨である、しからば右のごとき曇りとはいかなるものでいかにして堆積するかを解説してみるが、それは人間の想念と言霊によるのである、すなわち想念の悪に属するものとして不平、憎み、呪い、嫉(そね)み、個人的怒り、偽り、復讐心、執着等が、霊界を曇らせるのである。
 次に言葉であるが、気候が悪いとか悪天候とか米の不作とかいうような自然に対する不平や、人に対する非難攻撃、怒号罵声、秘密欺瞞、咎め、愚痴等、すべて悪から発するものは想念界の次位である言霊界を曇らすのである、それら種々の曇りの堆積の量がある程度を超ゆる時一種の毒素が発生し、人間生活に支障を来すことになるので、その自然浄化が発生する、それが天地の法則である、前述のごとく霊界の曇りは人間の健康にも影響すると共に草木特に農作物にも悪影響を与える結果凶作の原因ともなり、害虫の発生も旺盛になるのである、ゆえに今日日本各地における松や杉を枯死させる害虫の発生もこの理によるのであるから、人間が大いに向上しない限り、これを防ぐ事は難しいのである、言い換えれば日本人自身の過が、自分の国の松や杉を枯死さしているという訳であるから、人間の悪念と言霊は大いに慎まなければならないのである。
 右の天災に引換え人災もまた怖るべきものがある事は何人も知る通りである、特に最も人間に被害を与えるものとしては彼の戦争であろう、私はこの戦争の原因について、破天荒(はてんこう)ともいうべき新説をかいてみるが、あまりに意外であるから、読者は心を潜めて読まれたいのである。
 戦争とはもちろん集団的闘争であって、今日までの人類は平和を好むよりも争いを好むかに見える傾向が多かった、それがひとり国際間のみではなく、国内各方面を見渡す時、争いのない所はほとんどあるまい、一役所、一会社、一組合等、いかなる集団の内部にも必ず絶間ない暗闘があり、互いに相手を非難し排斥し合う、また同業者間の争い、家庭内の争いすなわち夫婦兄弟親子等の争い、友人間の争い等々、実によく争いを好む、電車汽車内、道路上においてすら通行人同士の争いはしばしば見受くるところである、全く人間生活の中で争いの面のいかに多いかは今更言う要はない、とすれば一体人間のこのような争いを好む性格は何に原因するかを説いてみるのである。
 いかなる人間といえども、先天性及び後天性に種々の毒素を保有している、それらの毒素は人間が神経を使う個所へ集注するという、私の唱うる説に従えば、神経を最も使う局所としては首から上である、頭脳を初め眼鼻口耳等で手足は休むことがあっても右の機能は覚醒時中は一刻の閑さえなく活動している、従って、毒素はこれらの付近に集溜するのは当然で、大多数者がいつも訴える首の周り肩の凝り等もそのためである、この集溜毒素は時日を経るに従い一旦固結するが固結がある程度に達すると、反対作用すなわち溶解排除作用が発生する、これを吾らは浄化作用というのである、その際必ず発熱を伴うが、それは毒素排除を容易ならしむるための固結の溶解作用で、それによって固結は液体化するのである、この自然浄化が感冒であって喀痰鼻汁汗等の排泄物はその表われであるが、感冒の極軽微な浄化作用は、大抵の人は平常といえども持続しているのである、これはほとんど気の付かない程度であるから、本人は健康と思っているがこの程度の人といえども決して真の健康的感覚はない、何となれば精密に診査すると、頭脳全体から肩部にかけて必ず微熱があり、軽度の頭重、頭痛、眼脂(めやに)、鼻汁、耳鳴、歯槽膿漏、頸肩の凝り等の自覚症状は必ずあるものであるから、これがために絶えず一種の不快感がある、この不快感こそ曲者である、すなわちこの原因によって怒りとなり、怒りの具体化が争いとなり、争いの発展が戦いとなるのであるから、人類から闘争心を除去する手段としては、この不快感を除去する以外他に方法は絶対ないのである、この理によって誰しも感ずる事は、同一の事柄であっても爽快感の時は何とも思わないが、不快感の時は憤怒を禁じ得ないので、この経験のないものはほとんどあるまい、この例として次のような事がある。
 よく泣癖の赤児がある、それは虫気のためとか虫が強いとかいうが、こういう赤児を診査すると必ず頭脳及び肩部に微熱がある、赤児で肩の凝っているものも沢山ある、これらを本教浄霊によれば、毒素は軽減し無熱となって泣癖は全く治癒するのである、また児童で怒りやすく、親に反抗する性質のものも必ず右の赤児と同様の症状で、これまた浄霊によって治癒し従順となり、争いを嫌うようになり、学校の成績も可良となるのである、夫婦仲の悪い原因も同様で、浄霊によって親和するようになるのである。
 以上のごとく、争いの根源は頭脳と首肩付近の毒結の浄化熱とすれば、それを全治させる事こそ唯一の解決の手段である、とすれば、本教浄霊こそ世界広しといえども唯一無二の根本的争闘除去の絶対法といっても過言ではあるまい、また今日戦争以外の苦悩に属するあらゆる問題といえども同様であって、彼の破壊的思想や階級的闘争等の思想は、不快感による不平不満が原因である、その他不快感から免れんがため、不知不識(しらずしらず)強烈な刺戟を求めようとする、それが飲酒、淫蕩、怠惰、争闘等の犯罪発生の結果となるのはもちろんである。
 以上の理を悪用し、その時代の唯物的野心家が不平不満を助長させ、戦争を起し、悪質の社会革命を起すのである、従ってこの地球上に永遠の平和を樹立するとすれば、まず人間一人一人の不快感を祓除し、爽快感を充実させる事である、その結果として闘争を嫌忌し、平和愛好者となる事は一点の疑いない事実である。
 以上のごとき原理を把握させ、実際効果を挙ぐる力は本教以外にない事を知るべきである。