―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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私の健康法

『光』43号、昭和25(1950)年1月1日発行

 私は本年日本流に数えて六十八歳になるが矍鑠(かくしゃく)として壮者を凌(しの)ぐものがある、始終山に登るが、若い者の方が脚が弱いのでいつも私の方で加減するのである、よく大先生おくたびれになったでしょうと言われるが、正直に言うと草臥(くたび)れていないので返事に困るのである、夜寝るのはまず二時半か三時、朝は七時から七時半までの間に起床する、まず四時間か四時間半くらいの睡眠である、仕事はといえばこれは側近者はよく知っているが、十人分くらいの仕事はするので若い者は後がつけないので困っているようであるが、これ致し方ないと我慢して貰っている。
 右は私の養生法である、というと不思議に思うであろう、何となれば現代人の養生法とはおよそ反対であるからで現代の養生法といえばまず無理をしない事、睡眠をよくする事、栄養を充分に摂る事、食物はよく噛む事、あまり頭を使わない事等々であるが、私はおよそ逆である、よく人から聞かれるからここで私の養生法をかいてみよう。
 私の養生法の第一は無理をする事である、というのは人間は無理をするだけ健康が増すのである、しかし私はあまり無理をすると苦しいからある程度の無理をする。睡眠は年齢によって差別はあるが私くらいの年では四、五時間がちょうどいいのである。食物については面白い事には私はいつも栄養が多過ぎる事を心配するのである。というのは多くの信者からの献納の食物が勿体ない程沢山あるので、出来るだけ少しずつでも信者の誠を食べるようにしているのでまず美食家といってもいい、それを調節するために朝食後は必ず相当量の薩摩芋を食う。また就寝前は茶漬をよく食い汁粉を一杯は欠かしたことがない。そうして食物にも陰陽があって、陰に傾いても陽に傾いてもよくない。もちろん陰とは野菜で陽とは魚や肉である。これを偏らないように調節する。朝は陰七分陽三分、昼は陰陽半々、夜は陽七分陰三分の割合を守っている。香の物にも陰陽がある。陰とは青い菜類、陽とは大根、蕪のごとき白色のもので、これらも半々にしている。そうしてあまりよく噛まない、半噛みくらいである。よく噛むと胃が弱るからである。また私は食休みという事をしない。飯を食うとすぐに起って活動する。これは胃の強健法である。私が胃病を治したのはこの方法で効を奏したからである。そうして決して量は決めない。私の食餌法の原則は「食べたい時に食べたいものを食べたいだけ食う」のである。しかし実際生活上そのような我儘(わがまま)は出来ないからしかるべくやっているのである。
 ここでちょっと意外に思う事がある、というのは出来るだけ頭を使う事である、これは一種の健康法で頭脳を使う人は長命である。しかし心配のため頭脳を使うのはこれはいけない。面白く愉快に使うのでなくてはいけない。この点にも信仰の価値を見出せる。それは心配事のある場合神様にお任せするという気持になるのでこれで心配の大半は減る、つまり神様に分担してもらうのである。至極横着な話であるがこういう横着は反って神様はお喜びになるのである。
 私は昔から一日の中必ず一回は外出する。雨が降ろうが風が吹こうが欠かした事がない。そうして出来るだけ歩くのである。これは老いて益々健康などという人にそういう事をよく聞くのである。また酒は猪口に三杯くらい、ビールはコップに一杯、煙草は普通くらいである。
 以上が私の健康法である。もちろん黴菌などには無関心である。一言にしていえば不養生の養生でおよそ現代医学とは反対の点が多いのである、何よりも右の方法を誰しも実行すれば健康になる事請合である。青白いインテリ型などには決してならないから安心して実行する事をお奨めするのである。