――― 岡 田 自 観 師 の 御 歌 集 ―――

 歌 集 山 と 水  初版 昭和24年12月23日発行


※ 「山と水」には昭和24年発行の初版と25年発行の再版があります。収録句、装丁等はほぼ同じです。ここには初版を収録しました。〔 〕内は再版で修正さ れた部分、もしくは明らかな誤植と思われるところです。岡田茂吉全集詩歌篇では、昭和25年版を元に仮名遣いを旧仮名遣いに修正してあるようです。ですの でこちらの句とは細かな点で差異があることをお断りしておきます。

     
  はしがき

  私は最近、古い文庫の中から見つけ出した中に、昭和六年から十年にかけて五年間に詠んだ千数百首の短歌が表われた。読んでみると、人の作品かと思わるる程 に忘れている歌が大部分だ。しかしこのまま葬るには惜しい気がする。という訳で取捨選択すると共に幾分の添削もし歌集として今回出版することとなったので ある。
 私は歌は本格的に習ったのではない。ただ好きなため、昔から今日までの本を多少読んだくらいで、まず素人歌人といってもいい。ところが万葉や古今調は、 現代人にはあまりにも難解であり、といって現代調は新傾向に捉われすぎ、写実に走りすぎて品位に乏しい憾みがあると共に、言霊(ことたま)に於ても無関心 なため、はなはだ玲瓏(れいろう)味をかいている等々で、どうも得心が出来ない。というような次第で、私は私としての個性を発揮したつもりであるから可否 は読者の批判に任せるのである。

  昭和弐拾四年十月
                熱海の寓居にて
                      明 麿
 
     


     
      春すぎぬ  
1 あめはれて つゆもしとどのたかむらの したかげあおくこけのはなさく
雨はれて 露もしとどの篁の 下かげ青く苔の花咲く
 
2 あおあおし ばしょうのひろはにあおがえる さゆるぎもせであめにぬれおり
青あおし 芭蕉の広葉に青蛙 さゆるぎもせで雨に濡れをり
 
3 さみだれの はるるとみればおちかたに くものみねなみうすらにじみゆ
五月雨の 霽るると見れば遠方に 雲の峯並みうすら虹見ゆ
 
4 しげりあう このしたやみにほのしろく やまゆりのはないくつかうける
茂り合ふ 木の下闇にほの白く 山百合の花いくつか浮ける
 
5 たうえうた のどかにきこえののいえの どこもひとけのみえぬまひるま
田植歌 のどかにきこえ野の家の どこも人気の見えぬ真昼間
 
6 ゆうさりて あおたをわたるかぜすずし ゆくてのやみをほたるかすめぬ
夕さりて 青田を渡る風涼し 行手の闇を蛍かすめぬ
 
7 しんりょくの きのかをのせてきょうかえし ころものそでをかぜふきすぐる
新緑の 木の香をのせて今日更えし 衣の袖を風ふきすぐる
 
8 いけのもに うつるまつかげくろぐろし しんげつのかげかそけくもみゆ
池の面に うつる松影黒ぐろし 新月の光かそけくも見ゆ
 
9 かぜかおり あおばひかれるはつなつの にわにおりたてばむねにひろぎぬ
風薫り 青葉光れる初夏の 庭に下りたてば胸のひろぎぬ
 
10 さくはなも はやみなづきとなりしきょう いけのへにさくかきつぱたばな
咲く花も はや水無月となりし今日 池の辺に咲く杜若花
 
11 ゆうまけて はっけいえんのたかだいゆ ながむるうみにいさりびまたたく
夕まけて 八景園の高台ゆ 眺むる海に漁火またたく
 
12 たそがれの にわむらさきのあさがおの つぼみみいでてこころたのしも
たそがれの 庭むらさきの朝顔の 蕾見いでて心たのしも
 
13 たのいえの のきのうめのみあめにぬれ あおあおしもよふとあうぐめに
田の家の 軒の梅の実雨に濡れ 青あおしもよふとあふぐ眼に
 
 

                   (昭和六年五月十八日)

 
     
     日  月  
14 ひのひかり つきのめぐみにすくすくと たみくさのびるときぞまたるる
日の光 月の恵みにすくすくと 民草のびる時ぞ待たるる
 
15 ひとつきの めぐみのひかりゆたにうけ たかあまはらにとわにすまなん
日と月の 恵の光豊にうけ 高天原に永久に住まなん
 
16 やみのよに こよいのつどいにまめひとの こころのそらにつきてらすなり
暗の夜の 今宵の集ひにまめ人の 心の空に月照らすなり
 
 

                    (昭和六年六月五日)

 
     
     富  士  
17 むさしのは みわたすかぎりあおばして そらのはたてにふじみゆるなり
武蔵野は 見渡すかぎり青葉して 空のはたてに富士見ゆるなり
 
     
     光  
18 みづみたま すさのをのかみにはじまりし わかはみくにのひかりなるらん
瑞御魂 素盞嗚神にはじまりし 和歌は御国の光なるらむ
 
 

                    (昭和六年六月三日)

 
     
     乾 坤 山 (けんこんざん)  
19 にほんじの なにあくがれておとなえば まだみぬきなりさらそうじゅという
日本寺の 名に憧れて訪えば まだ見ぬ木なり沙羅双樹といふ
 
20 ところどころ いしのほとけのこけさびて さみしくたてりけんこんのやま
ところどころ 石の仏の苔さびて さみしく立てり乾坤の山
 
21 やまあいの あおくさのえによこたわり とりのなくねをゆめとききにつ
山間の 青草の上に横たわり 鳥の啼く音を夢とききにつ
 
22 ここばかり てんごくなるかなうたびとの あおぐさのえにみなそうをねる
ここばかり 天国なるかな歌人の 青草の上にみな想をねる
 
23 うすがすむ うみにしまやまえのごとし どんかいろうのにわくさふふみつ
うす霞む 海に島山絵の如し 呑海楼の庭草ふふみつ
 
24 けんこんざん のぼりてあわのうみとおく ながむるそでにはつなつのかぜ
乾坤山 登りて安房の海遠く 眺むる袖に初夏の風
 
25 やまのはに あさひのぼりぬつつましく みなおろがめりけんこんのやま
山の端に 旭日昇りぬつつましく みな拝めり乾坤の山
 
26 うたよまん ことさえいつかわすれけり うみのながめにこころうばわれ
歌詠まむ 事さえいつか忘れけり 海の眺めに心奪はれ
 
27 あまつひの かみにゆかりのありぬらん なもひんがしのひのもとのてら
天津日の 神にゆかりのありぬらむ 名もひむがしの日の本の寺
 
 

                   (昭和六年六月十五日)

 
     
     安房歌紀行  
28 おもうどち さんじゅうあまりのひとつれて ぼうしゅうにむけみやこたつけさ
おもふどち 三十余りの人つれて 房州に向け都たつ今朝
 
29 あさまだき のべぬいながらじどうしゃは ふもとのちゃやへはやつきにけり
朝まだき 野辺ぬいながら自動車は 麓の茶屋へはや着きにけり
 
30 ちょうちんの かそけきひかりにとぼとぼと いしのきざはしようやくのぼりぬ
提灯の かそけき光にとぼとぼと 石の階段ようやく登りぬ
 
31 のこぎりやま ふもとすぐればあくがれの にほんじのもんいかめしくたてる
鋸山 麓すぐればあくがれの 日本寺の門いかめしくたてる
 
32 やまでらの たたみひろびろしよのめにも ふりしけはいのゆかしかりける
山寺の 畳ひろびろし夜の眼にも 古りしけはいの床しかりける
 
33 わらぶきの わびしくもたつふろにつかり あせをながしてほとよみがえる
藁葺の わびしくも建つ風呂につかり 汗を流してほと甦がえる
 
34 ぜんでらの よはしんしんとふけわたり かたりあいつつはつべくもなし
禅寺の 夜は深々と更けわたり 語り合ひつつ果つべくもなし
 
35 あしよわき ひとはいのこりにじゅうよの ひとをひきつれやまにむかいぬ
足弱き 人は居残り二十余の 人をひきつれ山に向ひぬ
 
36 あしびきの やまぢのやみをかきわけて ちょうちんのひをたよりにのぼりぬ
足曳の 山路の闇をかきわけて 提灯の灯をたよりに登りぬ
 
37 ようやくに けんこんざんのいただきに のぼればほのぼのもののみえそむ
漸くに 乾坤山の巓に 登ればほのぼの物の見え初む
 
38 ひんがしの そらやまかげのきくやかに きょくせんひきてうみにつづける
東の 空山影のきくやかに 曲線ひきて海につづける
 
39 あさぎりの はれゆくままにおちこちの うみもみえそめやまもうかみぬ
朝霧の はれゆくままに遠近の 海も見え初め山も浮みぬ
 
40 ぼうそうの ねむれるしまもやまなみも あざやかにしつひはのぼりけり
房総の 眠れる島も山並も あざやかにしつ日は昇りけり
 
41 さんちょうは じゅっしゅういちらんだいとかや げにもそのなにふさわしかりぬ
山頂は 十州一覧台とかや 実にもその名にふさわしかりぬ
 
42 とうだいの ひはあさもやのたちこむる そこにかそけくめいめつなせり
灯台の 灯は朝靄のたちこむる 底にかそけく明滅なせり
 
43 すいぼくの えをみるがごとうみのもの しまかげはるかこぶねもやえる
水墨の 絵を見るが如海の面の 島かげはるか小舟もやえる
 
44 のぼるひに あたりくまなくあけぬれば いっこうげざんのとにつきにけり
昇る陽に あたり隈なく明けぬれば 一行下山の途につきにけり
 
45 やまあいの いわやのなかにかしこくも らかんのぞうのかずかずたてる
山間の 岩窟の中に畏くも 羅漢の像の数かず立てる
 
46 ひゃくあまる いしのかんのんしゃかにょらい だるまやしょぶつおわしますやま
百あまる 石の観音釈迦如来 達磨や諸仏在します山
 
47 さらそうじゅ はじめももきのおいしげみ うみかこむなりけんこんのやま
沙羅双樹 はじめもも木の生ひ茂み 海圍むなり乾坤の山
 
48 かいざんの ぎょうきぼさつのきざむとう やくしにょらいのみすがたとうとき
開山の 行基菩薩の刻むとう 薬師如来の御姿とほとき
 
49 そのむかし こうみょうこうごうのみことのりに ぎょうきぼさつのひらかれしさつ
そのむかし 光明皇后の勅に 行基菩薩のひらかれし刹
 
50 じゅういちめん かんのんませりふるきころ じかくだいしのきざみしものとう
十一面 観音ませり古きころ 慈覚大師の刻みしものとう
 
51 やまでらの いなかりょうりにしたうちし このあじこそはわすれがたなき
山寺の 田舎料理に舌打ちし この味こそは忘れがたなき
 
52 ながめよき うみべえらびてたてられし どんかいろうのにわにあかなき
眺めよき 海辺選びて建てられし 呑海楼の庭に飽かなき
 
53 どんかいろうの しばふのにわにむしろのべ うたかいなどをひらきてたのしむ
呑海楼の 芝生の庭に莚のべ 歌会などを開きてたのしむ
 
54 めずらしき かめがたいしやこけのむす いわおのうえにおいまつえだはる
珍らしき 亀形石や苔のむす 巌の上に老松枝はる
 
55 はれわたる みそらのしたにこころゆく ばかりあそびぬやまのえのにわ
晴れ渡る み空の下に心ゆく ばかり遊びぬ山の上の庭
 
56 なごかんのんへ さいしたどりしふながたの かんのんどうのにいろよきかも
那古観音へ 賽したどりし船形の 観音堂の丹色美きかも
 
57 そそりたつ がけうえあやうくかんのんの みどうのたてりうみながめよき
そそり立つ 崕上危ふく観音の 御堂の建てり海ながめよき
 
58 はつなつの あおたにたびといそがしき なかをわがきしゃひたにはしりつ
初夏の 青田に田人忙しき 中をわが汽車ひたに走りつ
 
59 おちこちに ごーがんのえをみるがごと びわのはたけのひにかがよえる
遠近に ゴーガンの絵を見るが如 枇杷の畑の陽にかがよえる
 
60 そよそよと あおたをわたるかぜうけて ここちよきかもはつなつのたび
そよそよと 青田を渡る風うけて 心地よきかも初夏の旅
 
61 かぜかおる あおばのやまにあわのうみ ながめしたびのわすれがたきも 
風薫る 青葉の山に安房の海 眺めし旅の忘れがたきも(安房の旅)
 
 

 (昭和六年六月十五日)

 
     
     恋 (仮想歌)  
62 あたまには しもいただけどもゆるひの おもいをつつむわれにぞありける
頭には 霜いただけど燃ゆる火の 想ひを包む吾にぞありける
 
63 つきのまゆ はなのかんばせにくからぬ めがみはこいのわがまとなりけり
月の眉 花の顔二九からぬ 女神は恋のわが的なりけり
 
64

こいすちょう ことはとしにはかかわりの なきをしりけるいそじすぎてゆ
恋すてふ ことは年にはかかはりの なきを知りける五十路すぎてゆ

 
                        25年版〔吾のこのごろ〕  
65 いまはただ おもいをあかすひとのなき こいひむなやみのいつのひまでや
今はただ 思ひを明す人のなき 恋秘む悩みの何時の日までや
 
66 たまさかに あうよもひとめのせきしょとう いづのしがらみあるよなりけり
たまさかに 逢う夜も人目の関所とう 厳の柵ある世なりけり
 
67 あいみぬも こころはせんりのとおきまで かようなるらんあわれこのみの
逢ひ見ぬも 心は千里の遠きまで 通ふなるらむあはれ此身の
 
68 しきしまの みちをつとうてわれおもい かよわざらめやくものかなたへ
敷島の 道をつとふて吾思ひ 通はざらめや雲の彼方へ
 
69 さむかぜの すさみにまかすよにありて こころなごむもこいすればなり
寒風の 荒みにまかす世にありて 心温むも恋すればなり
 
70 てんわたる つきにそいつつきみがりに ゆきてみばやといくよおもいし
天渡る 月に添ひつつ君許に 行きて見ばやと幾夜思ひし
 
71 むつまじく えだにむだいることりにも みるめをそらすわれのいまかな
むつまじく 枝にむだ居る小鳥にも 見る眼をそらす吾の今かな
 
 

 (昭和六年七月一日)

 
     
     梅  雨  
72 あさまだき まどをあくればきょうもまた むせぶがごとくさみだれのふる
朝まだき 窓を開くれば今日もまた むせぶが如く五月雨の降る
 
73 なつされど まだつゆのこるおおぞらを ながめてしのぶもありしひのたび
夏されど まだ梅雨残る大空を 眺めて偲ぶもありし日の旅
 
74 たんけいの こころをそそるぽすたーの えきにはにぎわうしょかとなりけり
探景の 心をそそるポスターの 駅に賑はふ初夏となりけり
 
75 ぬれひかる あおばわかばにうすぎぬの かかぶがごとくしずかにあめふる
濡れ光る 青葉若葉に薄絹の かかぶが如く静かに雨降る
 
76 ながあめに あじさいのはないろあせぬ うつりゆくよをしのびてもみし
長雨に 紫陽花のはな色あせぬ うつりゆく世をしのびてもみし
 
77 とうろうの こけあおあおといけのもに うつりてほそあめしきりにふるも
灯籠の 苔青あおと池の面に 映りて細雨しきりに降るも
 
78 あめやみて くもまをのぞくひのかげに きぎのぬれはのひかりまばゆき
雨やみて 雲間を覗く陽の光に 木ぎの濡葉の光まばゆき
 
79 あおあおと あめにぬれたるしばくさの さゆるぐみればひきのいるなり
青あおと 雨に濡れたる芝草の さゆるぐみれば蟇の居るなり
 
 

(昭和六年七月一日)

 
     
    水郷めぐり  
80 みずやそら まこものかぜもさやけかり なつのはじめのかすみがうらかな
水や空 真菰の風もさやけかり 夏のはじめの霞ケ浦かな
 
81 うろこぐも みずにうつりてそよそよと しょかのうらかぜたもとふくなり
うろこ雲 水に映りてそよそよと 初夏の浦風袂ふくなり
 
82 あおあおと まこもしげみてさながらに しまとみゆめりかすみがうらのえ
青あおと 真菰茂みてさながらに 島と見ゆめり霞ケ浦の上
 
83 まこもうの ひまをけいしゅうわけゆけば おりおりとびたつなしらぬとりかな
真菰生の 間を軽舟分けゆけば をりをり飛び立つ名知らぬ鳥かな
 
84 ふねのうえ ふりさけみればむらさきの つくばのみねにしらくもたなびく
舟の上 ふりさけみればむらさきの 筑波の峰に白雲たなびく
 
85 はつなつの にぶきひかげにかぜもなく さざなみたててふねすべりゆく
初夏の にぶき陽光に風もなく 小波立てて舟すべりゆく
 
86 いろくろき ろうやしきりになにかてに あぐるはうなぎをかくにやあらん
色黒き 老爺しきりに何か手に 上ぐるは鰻を掻くにやあらむ
 
87 そよかぜに ぽぷらのうらはしろじろと ふかれてまこものうえにひかるも
そよ風に ポプラの裏葉白じろと ふかれて真菰の上に光るも
 
88 むらさきに におうあやめをはつなつの きょうめずらしとすいきょうにみぬ
紫に 匂ふあやめを初夏の 今日珍らしと水郷に見ぬ
 
89 あこがれの いたこでじまにふねつけて ものめずらしくいえいえをみぬ
あこがれの 潮来出島に船着けて 物珍らしく家いえを見ぬ
 
90 イタリーの ヴェニスのまちはまだみぬも このすいきょうにせめてしのびし
伊太利の ヴエニスの街は未だ見ぬも 此水郷にせめて偲びし
 
91 ことかわと ぬまをつづらうしずかなる かすみがうらにひねもすふねやりぬ
湖と河と 沼をつづらう静かなる 霞ケ浦にひねもす舟やりぬ
 
92 ひさかたの かすみがうらのゆうなぎて かえるしらほのゆるやかなるかも
久方の 霞ケ浦の夕凪ぎて 帰る白帆のゆるやかなるかも
 
93 たそがれて いたこでじまにくろぐろと たちなむいえいえほかげまたたく
たそがれて 潮来出島に黒ぐろと 立ち並む家いえ灯火またたく
 
94 ゆうもやは かすみがうらにただよいて まこものうえをしらほゆくなり
夕靄は 霞ケ浦にただよいて 真菰の上を白帆ゆくなり
 
95 さざなみに つきほほえみてごいさぎの まこもゆるがせまいたちにける
小波に 月ほほえみて五位鷺の 真菰ゆるがせ舞ひ立ちにける
 
96 ばんどうに なだたるかしまかとりなる みみやにもうでぬことしふみづき
坂東に 名だたる鹿島香取なる 神宮に詣でぬ今年文月
 
97 ろうさんの しんしんとしてかむさびし かしまのみやにおもいふかしも
老杉の 森しんとして神さびし 鹿島の宮に懐い深しも
 
 

(昭和六年七月一日)

 
     
     五 月 雨  
98 さよふけて このはのささやくけはいあり まどくりみればさみだれのにわ
小夜更けて 木の葉の囁くけはいあり 窓くりみれば五月雨の庭
 
99 しとしとと さみだれのふるいけのへに むらさきにぬるるかきつぱたかな
しとしとと 五月雨の降る池の辺に 紫に濡るる杜若花かな
 
100 ちまちだの みどりはあめにいろまして かわずのなくねしきりなるゆう
千町田の 緑は雨に色増して 蛙の啼く音しきりなる夕
 
101 むかつやま あめにけぶらいたにがわの せせらぐおとのみみみにたかしも
向つ山 雨にけぶらひ渓川の せせらぐ音のみ耳に高しも
 
102 ふなびとの いかだはるかにながれきぬ しろじろけむろうさみだれのなか
舟人の 筏はるかに流れきぬ 白じろけむろう五月雨の中
 
103 ひんがしの そらあさにじはみゆれども まだちかやまはあめのふるらし
東の 空朝虹はみゆれども まだ近山は雨の降るらし
 
104 かわのへを あなたこなたとさまよえる つりびとみえてあめしきりなり
川の辺を 彼方此方とさまよえる 釣人みえて雨しきりなり
 
105 しずかなる あめのひなりきひねもすを えがきつよみつたそがれにける
静かなる 雨の日なりき終日を 描きつ詠みつ黄昏れにける
 
 

(昭和六年七月六日)

 
     
     ハルナ登山  
106 はるなさん にじゅうあまりのきをゆるし あうひとどちときょうのぼりけり
榛名山 二十余りの気をゆるし 合ふ人達と今日登りけり
 
107 かかなめて ふるあめにあきみやこをば あとにはるなのふじあてにきぬ
日々なめて 降る雨に倦き都をば 後に榛名の不二あてに来ぬ
 
108 ゆくさきは もうもうとしてきりけむる なかをじどうしゃあやうげにきる
行く先は 濛々として霧けむる 中を自動車危げにきる
 
109 やまみえず こもまたみえずひとすじの みちさえきりにかくろいてけり
山見えず 湖も又見えず一筋の 道さえ霧にかくろひてけり
 
110 ありやなしの みちくさふふみとぼとぼと やまのほそみちたどるあめのひ
ありやなしの 道草ふふみとぼとぼと 山の細径たどる雨の日
 
111 やまたかきに あらねどさかのけわしさに はうがごとくにいただきにつきぬ
山高きに あらねど坂のけはしさに 這ふが如くに頂につきぬ
 
112 きりこむる このみずぎわもおぼろげに さざなみみえていとしずかなり
霧こむる 湖の水際もおぼろげに 小波見えていと静かなり
 
113 ふかぎりを つきゆくけーぶるかーのうえ みはくものえにあそぶおもいす
深霧を つきゆくケーブルカーの上 身は雲の上に遊ぶおもひす
 
114 くもかきりか ただぼうばくとはるなさん つつみけるかもたいこさながらに
雲か霧か ただ茫漠と榛名山 つつみけるかも太古さながらに
 
115 おもいきや げんかさざめくいかほなり むかしのしずけさしのびてなみだす
思ひきや 絃歌さざめく伊香保なり むかしの静けさ偲びて涙す
 
116 しずかなりし いかほのむかしおもおいて たちよりしことのかなしくもある
静かなりし 伊香保の昔思ほひて 立寄りし事の悲しくもある
 
117 ゆのまちの したしまれぬるままゆけば けわいのおみなわがそでをひく
温泉の町の 親しまれぬるままゆけば 化粧の女わが袖を引く
 
118 せいしんの きにひたるべくやまのゆに くればおもわぬことのみぞおおき
清新の 気に浸るべく山の温泉に くれば思はぬ事のみぞ多き
 
119 たけたかき ももくさちぐさふみわけて わがころもではつゆにぬれつつ
丈高き 百草千草ふみわけて 吾衣手は露に濡れつつ
 
120 やまももりも くろぐろとしてしずかなる かがみのごときこのもにうつれる
山も森も 黒ぐろとして静かなる 鏡の如き湖の面にうつれる
 
121 はるるかと みるまにおそうやまぎりの いとまもあらぬなつのこうげん
晴るるかと 見る間に襲ふ山霧の 遑もあらぬ夏の高原
 
122 おちこちの やまにしらくもきょらいする なつのやまぢのおもしろきかも
遠近の 山に白雲去来する 夏の山路のおもしろきかも
 
123 あかぎやま ただようくものひまにみえ あさあけさやけきいかほのゆのやど
赤城山 ただよふ雲の間に見え 朝明さやけき伊香保の温泉の宿
 
124 きりのまに まあかくみゆるはなつながら いともめずらしやまつつじにや
霧の間に ま紅く見ゆるは夏ながら いとも珍らし山つつじにや
 
125 しんえつの やまむらさきにこくあわく つらなりみるもいかほのやまのゆ
信越の 山紫に濃く淡く 連り見るも伊香保の山の湯
 
126 ぎぼしゅはぎ くまざさしげむののすえに いとなだらかなはるなふじかな
擬宝珠萩 熊笹茂む野の末に いとなだらかな榛名不二かな
 
127 こはんていに やすらいしえんゆるがせば きりはいせまりさんきみにしむ
湖畔亭に 憩らひ紫煙ゆるがせば 霧はいせまり山気身にしむ
 
 

(昭和六年七月十五日)

 
     
     稲  妻  
128 すずみゆく まちおりおりにでんせんの はりがねくろくいなずまひかるも
凉みゆく 街をりをりに電線の 針金黒く稲妻光るも
 
129 このさとは ほたるのめいしょとききつるに いなずましげくほいなくすぎぬ
此里は 蛍の名所と聞きつるに 稲妻しげくほいなく過ぎぬ
 
130 たかくひくく とびかうほたるめぐしみつ ながむるそらにいなずまひかる
高く低く 飛び交ふ蛍めぐしみつ 眺むる空に稲妻光る
 
131 はたたがみ とおなりやめどいなずまの きらめきのみはまだのこるなり
はたた神 遠鳴りやめど稲妻の きらめきのみはまだ残るなり
 
132 おりおりに いなずまひかりうちあおぐ そらにくもあしいとはやきかも
をりをりに 稲妻光りうちあほぐ 空に雲足いとはやきかも
 
133 おどろおどろ とおなるいかずちまだひびき くものはたてにいなずまひかる
おどろおどろ 遠鳴る雷まだひびき 雲のはたてに稲妻光る
 
134 たえやらぬ きょうのあつさもいなずまの きらめきそめてやわらぎにける
堪えやらぬ 今日の暑さも稲妻の きらめき初めて和らぎにける
 
 

(昭和六年八月六日)

 
     
      蛍  
135 えんばたに こらしずもりていぶかしと みればちいさきほたるかごあり
縁端に 子等静もりていぶかしと みれば小さき蛍籠あり
 
136 よいやみは くろくもなりぬほたるびの ひかりてはきえきえてはひかるも
宵闇は 黒くもなりぬ蛍火の 光りては消え消えては光るも
 
137 あしのまを とびかうほたるのかわかぜに ふかれふかれつみえずなりける
蘆の間を 飛び交ふ蛍の川風に ふかれふかれつ見えずなりける
 
138 あしのまを ほたるびひとつすぎゆきて みるまにはしのかなたにきえける
蘆の間を 蛍火一つすぎゆきて 見る間に橋の彼方に消えける
 
139 すいすいと いなだのうえのやみぬいつ ほたるびひくくながれすぎける
すいすいと 稲田の上の闇縫ひつ 蛍火低く流れすぎける
 
140 きみこうて ときまつがえにほたるびの もゆるひかりをわれとみしかな
君恋うて 時松ケ枝に蛍火の 燃ゆる光を吾とみしかな
 
141 つゆぐさの かげにかそけきひかりはなつ ほたるにもにしわれのいまかな
露草の かげにかそけき光はなつ 蛍にも似し吾の今かな
 
142 よなよなに みをこがしつつやみにひそむ ほたるをわれにたとえてもみし
夜な夜なに 身を焦しつつ闇にひそむ 蛍を吾にたとえてもみし
 
143 いとちさき ほたるむしにもこいありや ゆうさりくればみをこがすなり
いと小さき 蛍虫にも恋ありや 夕さりくれば身を焦すなり
 
 

(昭和六年八月六日)

 
     
      月 の 光  
144 はたはたと はばたきゆるくごいさぎの つきのひかりをゆるがせゆきぬ
はたはたと 羽ばたきゆるく五位鷺の 月の光をゆるがせゆきぬ
 
145 たちわりし ごとくすぐなるがんぺきの あおあおしもよつきのかげうけ
たち割りし 如く直なる岩壁の 青あおしもよ月の光うけ
 
146 つゆばれの そらはぬぐえるはりのごと さわやかにしててんしんのつき
梅雨ばれの 空は拭える玻璃の如 爽やかにして天心の月
 
147 つきをみる ひとのあるらしおんせんの やどのおばしまにうごくかげあり
月を見る 人のあるらし温泉の 宿のおばしまにうごく影あり
 
148 まつがえの かげいりみだれにわのもを しろじろてらしぬこよいまんげつ
松ケ枝の 影入りみだれ庭の面を 白じろ照らしぬ今宵満月
 
149 しばぐさは つゆしとどにてきぎのかげ ながながしもよつきかたむける
芝草は 露しとどにて樹々のかげ 長ながしもよ月かたむける
 
150 ふけりゆく つきのさにわになつながら はやちちとなくむしのこえあり
更けりゆく 月の小庭に夏ながら はやちちと啼く虫の声あり
 
151 なみのほに くだけくだけてつきかげは こじまのかげにかくろいにける
波の秀に くだけ砕けて月光は 小島のかげにかくろいにける
 
152 めいげつの こよいいずこにながめんと とつおいつしつまちさすらいぬ
明月の 今宵いづこに眺めんと とつおいつしつ町さすらいぬ
 
153 えんにちの ちまたをいでてふとあおぐ そらにこうこうつきのてれるも
縁日の 巷を出でてふと仰ぐ 空に皓々月の照れるも
 
154 みおろせば こくえんはきついまきしゃは つきてるおかにさしかかりけり
見下ろせば 黒煙吐きつ今汽車は 月照る丘にさしかかりけり
 
155 ひとけなき よふけのほどうのつゆにぬれ つきのひかりをあみつかえりぬ
人気なき 夜更けの舗道の露に濡れ 月の光を浴みつかえりぬ
 
156 りんりつの えんとつくろくこうじょうの いらかはつきにきらめきてあり
林立の 煙突黒く工場の 甍は月にきらめきてあり
 
157 すずかぜは かやをあおりつつきのかげ へやいっぱいにひろごりにける
凉風は 蚊帳をあほりつ月の光 部屋一ぱいにひろごりにける
 
158 びるでぃんぐの まどとうまどはほかげなく つきよのそらにいかめしくたてる
ビルディングの 窓てう窓は灯光なく 月夜の空にいかめしく立てる
 
159 ほりのへの ていげきあたりつきかげを ふみゆくひとのいくつかあるらし
濠の辺の 帝劇あたり月光を ふみゆく人のいくつかあるらし
 
160 ほりのかげ くろぐろとしていとながく つきよのみちをなかばふさげる
塀の影 黒ぐろとしていと長く 月夜の路を半ばふさげる
 
161 りょうがわゆ はぎおいかむるよのこみち つゆをいといつぬけにけるかも
両側ゆ 萩生ひかむる夜の小径 露をいとひつ抜けにけるかも
 
162 つきのよの うえののもりのきぎのまに みずきらめけるしのばずのいけ
月の夜の 上野の杜の樹ぎの間に 水きらめける不忍の池
 
163 たかだいに みわたすかぎりなみのごと いらかはつきにきらめけるなり
高台に 見渡すかぎり波の如 甍は月にきらめけるなり
 
164 くものぞく かたわれづきにえんげきの ばっくをおもいしばしたたずみぬ
雲のぞく 片割月に演劇の バツクを想ひしばし佇みぬ
 
165 こうえんの べんちにひとのかたるらし われさりげなくゆきすぎにける
公園の ベンチに人の語るらし 吾さりげなく行きすぎにける
 
166 つきかげに れーるひかるかていしゃばの よふけのまどのはりどにすける
月光に レール光るか停車場の 夜更の窓の玻璃戸にすける
 
 

(昭和六年七月六日)

 
     
      海  
167 なんきょくと ほっきょくさかいにみちひしつ やそじままもるわだつみのかみ
南極と 北極境に満干しつ 八十島守る和田津見の神
 
168 てんをうつ どとうもかがみのごとくなぐ うみもかわらぬうみにぞありける
天を撃つ 怒涛も鏡の如く凪ぐ 海もかはらぬ海にぞありける
 
169 いそばたの おおいわこいわをいさましく かみてはほえるなみのひびかい
磯端の 大岩小岩を勇ましく 噛みては吠える波のひびかひ
 
170 かぜたちて おきのうねりのひまをぬい みえかくれするいさりぶねあり
風立ちて 沖のうねりの間をぬい 見えかくれする漁舟あり
 
171 あさなぎの うみべにたてばよべあれし なごりのもくずちらばりており
朝凪の 海辺に佇てば昨夜荒れし 名残の藻屑ちらばりてをり
 
172 うらづたい あさすなふみつゆくみみに ちどりのなくねしきりなりけり
浦づたい 朝砂踏みつゆく耳に 千鳥の鳴く音しきりなりけり
 
173 だんがいゆ のぞけばしろきあわたてて いわかむなみのものすごきかな
断崖ゆ のぞけば白き泡立てて 巌噛む波のものすごきかな
 
174 ぼうそうの しまやまくっきりうきいでて とうきょうわんにこちふきわたる
房総の 島山くつきり浮き出でて 東京湾に東風吹きわたる
 
175 まほかたほ なみまにみえてゆうゆうと はねうちかえしうみどりまえる
真帆片帆 波間に見えて悠いうと 羽うちかへし海鳥舞える
 
176 じびきあみ ひきつるぎょふのかげながく ゆうひのすなにながらうをみつ
地曳網 ひきつる漁夫の影長く 夕陽の砂に流らふを見つ
 
177 ほのぼのと そらあかねしてきりふかく うみのおもてをおおいけるかも
ほのぼのと 空茜して霧ふかく 海の面をおほひけるかも
 
178 いわをかむ なみのしぶきにみずぶすま たつひまにみゆちへいせんはも
巌をかむ 波のしぶきに水衾 たつ間に見ゆ地平線はも
 
179 まつかげの みぎわのすなにしおのかを したしみながらしばしやすらう
松かげの 汀の砂に潮の香を したしみながら少時やすらう
 
180 すさまじく ふくはまかぜになみたかく はるかのしまやまのみつはきつも
すさまじく 吹く浜風に波高く はるかの島山呑みつ吐きつも
 
181 なみのほに きらめくあさひかげさやし あらしのあとのあさなぎのうみ
波の秀に きらめく旭光さやし 嵐の後の朝なぎの海
 
182 きしをうつ なみのほしろくきらきらと あさひにはゆるきしゃのまどかな
岸を打つ 波の秀白くきらきらと 旭日に映ゆる汽車の窓かな
 
183 うみのもに ゆうもやこむもはろかなる ぎょそんにほかげまたたきはじめぬ
海の面に 夕靄こむもはろかなる 漁村に灯光またたきはじめぬ
 
184 つきはいま かくろいにけりうみくらく きしうつなみのおとのみきこゆる
月は今 かくろひにけり海暗く 岸打つ波の音のみきこゆる
 
185 だんがいの うえあやうげにひともとの おいまつかかりうなばらひろき
断崖の 上危げに一本の 老松かかり海原ひろき
 
186 ゆうきゅうと よせてはかえすわだつみの なみにいわはだいくとせきざみし
悠久と よせてはかえす和田津見の 波に巌肌幾歳刻みし
 
187 おきとおく ひとすじなみにうかべるは しまかあらずかしるによしなし
沖遠く 一條波に浮べるは 島かあらずか知るによしなし
 
188 なぎさには こいわおおきもよすなみの みなわのなかにぬれひかりおり
渚には 小岩多きも寄す波の 水泡の中に濡れ光りをり
 
 

(昭和六年八月十五日)

 
     
      更  生  
189 あめつちを ひとめぐりしてつきはいま あらたなひかりをはなちそめける
天地を ひとめぐりして月は今 新たな光を放ち初めける
 
190 さらにさらに いきのいのちをひとのため よのためつくすわれにぞありける
更にさらに 生きの命を人の為 世の為つくす吾にぞありける
 
 

(昭和六年八月十日)

 
     
      七  夕  
191 たなばたを いわうしきたりいつまでも みくににつづかまほしとおもえり
七夕を 祝ふしきたりいつまでも 御国につづかまほしとおもへり
 
192 たなばたの こよいくもなくはればれと あうひこひめよめでたくぞおもう
七夕の 今宵雲なくはればれと 会ふ彦姫よめでたくぞ思ふ
 
193 としごとに かたきちぎりをかけまくも あまのかわらのほしあいのよい
年毎に かたき契りをかけまくも 天の河原の星会いの宵
 
194 いもがりに おもいのはしをあまのがわ かけてぞわたるこよいなりける
妹がりに 懐ひの橋を天の川 かけてぞ渡る今宵なりける
 
195 やすがはら ちかいもこめていわがねの かたきちぎりりをむすぶこのよい
八洲河原 誓ひもこめていはがねの かたき契りをむすぶ此宵
 
196 あまのがわ ちぎりもあさきなつのよわ はやかささぎのなくこえかなしき
天の川 契りも浅き夏の夜半 はや鵲の啼く声かなしき
 
197 ささのはの つきにさゆれてこよいはも たなばたまつりのいわいにふけぬ
笹の葉の 月にさゆれて今宵はも 七夕祭の祝ひにふけぬ
 
198 ひとのよや みそらのほしにもこいありと おもいつあおぐあまのがわかな
人の世や み空の星にも恋ありと おもひつ仰ぐ天の川かな
 
199 たなばたの ほしにもまがうはかなさの こいのためしもありしわれはも
七夕の 星にも紛ふはかなさの 恋のためしもありし吾はも
 
 

(昭和六年八月二十日)

 
     
       
0200 うちかえす はねしろじろとうみひくう つきかげあみゆくかりがねのむれ
うちかえす 羽白じろと湖低う 月光浴みゆくかりがねの群
 
 

(昭和六年九月十日)

 
     

 

     
     虫  
201 このちさき むしにもたましいあるにもや じっとみておりでんとうのかさ
この小さき 虫にも魂あるにもや ぢつと見てをり電灯の傘
 
202 つきのよに あきわびしむかみみにいる かすれかすれのまつむしのこえ
月の夜に 秋わびしむか耳に入る かすれかすれの松虫の声
 
203 やみのそこに ながるるむしのこえほそみ にわべのあきもふけにけらしな
闇の底に 流るる虫の声細み 庭べの秋も更けにけらしな
 
204 うきうきし かげもさやかなまんげつの あかるきにわにむししきりなく
浮きうきし 光もさやかな満月の 明るき庭に虫しきり啼く
 
205 つゆくさの つゆすうむしのなにむしと じっとみいればほたるむしなる
露草の 露吸ふ虫の何虫と ぢつと見入れば蛍虫なる
 
206 あきのよを ふみにしたしむめをみだす がのにくしもとはたきたりけり
秋の夜を 書にしたしむ眼を乱す 蛾のにくしもとはたきたりけり
 
207 うつらうつら むしのなくねにあきのよの そのしずけさをしばししたしむ
うつらうつら 虫の鳴く音に秋の夜の その静けさを少時親しむ
 
208 つきのよを すみとおるねはすずむしか うつろごころにたたずみており
月の夜を すみ透る音は鈴虫か 空ろ心に佇みてをり
 
209 むしのうた ものさんとしてむしのこえ ききいるたまゆらやぶかかすめぬ
虫の歌 ものさんとして虫の声 聴入るたまゆら薮蚊かすめぬ
 
     
      ○  
210 おれはおまえをみるごと そのゆーもらすなすがたに いつもほほえみをきんじえない かまきりよ
俺はお前を見る毎 其ユーモラスな姿に
           いつも微笑を禁じ得ない 蟷螂よ
 
 

(昭和六年九月十六日)

 
     
      或人達へ  
211 ぜんといい あくとののしるひとをさばく ひとはしんいをおかすなりける
善といひ 悪とののしる人を審判く 人は神位を犯すなりける
 
212 はくがいと ごかいのかこみのなかにいて われほがらかにひをすごすなり
迫害と 誤解の囲みの中にゐて われ朗らかに日をすごすなり
 
213 おおかみの ふかきこころのいとちさき ひとのまなこになどうつらめや
大神の 深き心のいと小さき 人の眼になど映らめや
 
214 あだのために いのりしせいじゃのだいひなる こころのおくをしのびてもみつ
仇の為に 祈りし聖者の大悲なる 心の奥を偲びてもみつ
 
215 ぱりさいの ひとよせいてんいまいちど なおひのひかりにてらしてもみよ
パリサイの 人よ聖典今一度 直霊の光に照らしても見よ
 
 

(昭和六年九月十六日)

 
     
      秋(一)  
216 たんたんと あかつちみちのはろけさを ほこりまわせつばしゃとおみゆく
坦たんと 赤土路のはろけさを ほこり舞はせつ馬車遠み行く
 
217 はなにはに あきのいろかのこまやかさ はぎのひとむらこのましとみぬ
花に葉に 秋の色香のこまやかさ 萩のひとむら好ましと見ぬ
 
218 あきのひの はりどかすれてながれくる たたみにひとつがのむくろみゆ
秋の陽の 玻璃戸かすれて流れくる 畳に一つ蛾のむくろ見ゆ
 
219 あきさめに しずけきやどのよもすがら すぎしおもいはなれこいしころ
秋雨に 静けき宿の夜もすがら 過ぎし思ひは汝恋しころ
 
220 ちょうらくの いろはひすがらあきののを そむるがままにあめつづくなり
凋落の 色は日すがら秋の野を 染むるがままに雨つづくなり
 
221 くれぎわや もやひたひたとおそいきて おばなのしろきがめにおぼろなり
暮れぎわや 靄ひたひたとおそひきて 尾花の白きが眼におぼろなり
 
222 さしかかる やまぢすすきのしげりあい やまむらさきぬゆうもやのなか
さしかかる 山路芒の茂りあひ 山むらさきぬ夕靄の中
 
223 すすきおう ののたたずみにふとみてし ききょうのはなにほほえまいいる
芒生ふ 野の佇みにふとみてし 桔梗の花にほほえまいゐる
 
224 なつがれて ももはなひにひにみだれゆく ののもをわびつほのゆるむなり
夏がれて 百花日に日に乱れゆく 野の面をわびつ歩のゆるむなり
 
225 みなきばむ やますそむらにいくほんの かきのきみえてみなうれあかき
みな黄ばむ 山裾村に幾本の 柿の木みえてみな熟れ赤き
 
226 そらきよく うつるかりたにひとすじの かげひらめきぬたひばりならん
空清く うつる刈田に一筋の 影ひらめきぬ田雲雀ならむ
 
227 むらむらの ゆうべをなけるひぐらしに おわれおわれてまちにいでける
村々の 夕べを啼ける蜩に 追はれおはれて町に出でける
 
228 かぜにおれ しもにおびえしすすきのに ゆめをおうなるたたかいのあと
風に折れ 霜におびえし芒野に 夢を追ふなる戦のあと
 
229 おれのこる かれあしさむくいけにうつる そらにいとひくみずまわしむし
折れ残る 枯葦寒く池にうつる 空に糸引く水まはし虫
 
230 あきなれや てるひはつちにとどけども にわほるてさきのつめたくもあり
秋なれや 照る陽は土にとどけども 庭掘る手先の冷たくもあり
 
231 ぜっぺきの ところどころにもみじはえ こんじょうのそらたかくすみおり
絶壁の ところどころに紅葉映え 紺青の空高く澄みをり
 
232 みずのもの うえさりげなにせいれいの おさむるはねにゆうひきらめく
水の藻の 上さりげなに蜻蛉の おさむる羽に夕陽きらめく
 
233 まるのうちの まつまをひらめくじどうしゃの らいとのひすじもやにきえにつ
丸の内の 松間をひらめく自動車の ライトの灯筋靄に消えにつ
 
 

(昭和六年九月二十日)

 
     
      秋(二)  
234 うごこうともしないあわぐもがながれている とびがすうっと わをえがく
動かふともしない淡雲が流れてる 鳶がすうつと 輪をえがく
 
235 すんだくうきのなかにのうふがへいわにうごいている まるでごーがんのえだ
澄んだ空気の中に農夫が平和に動いてゐる まるでゴーガンの画だ
 
236 はさみをいれたての しいのまばらばに すいている こんぺきのそら
鋏を入れたての 椎のまばら葉に 透いてゐる 紺碧の空
 
237 すっぽりとかけたよぎのしょっかんに とてもしたしさをかんずる しょしゅう
すつぽりと掛けた夜着の触感に とても親しさを感ずる 初秋
 
238 むしのそうおんのなかにひときわすぐれている こおろぎのかいおんに うっとりとなる
虫の騒音の中に一際すぐれてゐる 蟋蟀の快音に うつとりとなる
 
239 とんぼつるこのくろいかおがならんで かきのなかのきんぎょにそそいでいるめ め め
蜻蛉釣る子の黒い顔が並んで 垣の中の金魚に注いでゐる眼 眼 眼
 
240 うっすらとあきのいろにそまった なだらかなおかのせんが ながれて なんとあおいそらだ
うつすらと秋の色に染つた なだらかな丘の線が 流れて 何と蒼い空だ
 
241 すいすいとあかとんぼが じゅうだいじけんでもおこったように そらをいそぐ
すいすいと赤蜻蛉が 重大事件でも起つたように 空をいそぐ
 
242 かんぼくたい あかきむらさきのいろがとけあって ひにかがやいているあきのこうげん
潅木帯 赤黄紫の彩が溶け合つて 陽にかがやいてゐる秋の高原
 
243 ぷらたなすのきいろいはが へんぺんと ほそうろにおどっているごごのよじごろ
プラタナスの黄ろい葉が 片々と 舗装路に躍つてゐる午後の四時ごろ
 
 

      (昭和六年九月二十日)

 
     
    社会と思想  
0244 まるくすがなんだ むっそりーにがなんだ ぶらんこのりょうたんのゆうれいではないか
マルクスが何だ ムツソリーニが何だ ブランコの両端の幽霊ではないか
 
245 なぽれおんもかいざーもまるくすも みんながのぼってきたかいだんの ふみいしのひとつひとつにすぎない
ナポレオンもカイザーもマルクスも みんなが登つて来た階段の
                   踏石の一つ一つに過ぎない
 
246 まるくすのりろんをやぶるりろんができないくにに はかせがなんぜんにんいることよ
マルクスの理論を破る理論が出来ない国に 博士が何千人居る事よ
 
247 しほんとろうどうとそうとうをつづけるがいい つかれきってどちらもかいけつするだろう
                  それからだ ほんとうのものがうまれるのは

資本と労働と争闘を続けるがいい 疲れ切つてどちらも解決するだらう
              それからだ 本当のものが生れるのは
 
 

   (昭和六年九月二十日)

 
     
    社  会  
248 こうそうなびるでぃんぐをめざして つまがけさつくろったくつしたを はいてゆくさらりーまん
高荘なビルディングを目指して 妻が今朝繕つた靴下を
                 穿いてゆくサラリーマン
 
249 まてんろうがつぎつぎにたつ ひんじゃくなよみせしょうにんがふえるのと たいしょうしてみる
摩天楼が次々に建つ 貧弱な夜見世商人が殖えるのと 対照してみる
 
250 しゃかいはただあえいでいる つかれたかお きぼうのないひとみ ああ おまえたちはどこへいく
社会はただ喘いでゐる 疲れた顔 希望のない眸
            アゝ お前達は何処へ行く
 
251 ひぶいちえんのかねをかりて えろのかにじゅうえんをなげうつふかかいなしんり
日歩一円の金を借りて エロの香に十円を抛つ不可解な心理
 
 

(昭和六年九月二十日)

 
     
    日 本 よ  
252 せかいは るてんするかいがだ あかもしろもくろも みんなこうせいにひつようなえのぐのそれだ
世界は 流転する絵画だ 赤も白も黒も
              みんな構成に必要な絵具のそれだ
 
 

(昭和六年九月二十日)

 
     
     月  
253 まどらなる つきのおもわのとうとけれ あおげばなやみのとけもするなり
円らなる 月の面わの尊とけれ 仰げばなやみの解けもするなり
 
254 つきかげは よせくるなみのいくえにも いくえにもただおりこまれおり
月光は よせくる波の幾重にも いくえにもただ織込まれをり
 
255 つきかげか もやのいろかはしろじろと もりをつつみつただよいわたる
月光か 靄の色かは白じろと 森をつつみつただよいわたる
 
256 さよふけの ほどうにいちょうのかげながく ひきてつきかげあおあおしもよ
小夜更けの 舗道に銀杏の影長く 引きて月光青あおしもよ
 
257 いけにうつる つきにかかりてはぎのえの むらしだれいるそのふぜいはも
池にうつる 月にかかりて萩の枝の むらしだれいるその風情はも
 
258 まるまどを さすつきかげにひをけせば たかむらのかげすみえのごとし
丸窓を 射す月光に灯を消せば 篁のかげ墨絵のごとし
 
259 ゆうあかり のこるにあらでやまのはに いでしばかりのみかづきのかげ
夕明り 残るにあらで山の端に 出でしばかりの三日月の光
 
260 さえわたる もちづきのかげのにてりて えいがのばめんふとおもいづる
冴え渡る 満月の光野に照りて 映画の場面ふと思ひづる
 
261 あかつきの みちにひびかいくるまゆく じょうくうあわくつきまだのこる
暁の 路に響かひ車行く 上空淡く月まだのこる
 
262 ゆうぐれに すすきののみちゆくともと つきのあらばとかたりあいけり
夕暮に 芒野の路行く友と 月のあらばと語り合ひけり
 
263 つきさえて しろめくにわにうすあかき ひゃくじつこうのはなのあかるさ
月冴えて 白めく庭にうす紅き 百日紅の花の明るさ
 
264 つきかげは いけになごみてほのじろく ただようなかにすいれんのはな
月光は 池に和みてほの白く 漂ふ中に水蓮の花
 
265 ちぎれぐも うごかずみえてかげさゆる つきもうごかぬしばしのそらかな
ちぎれ雲 動かず見えて光冴ゆる 月も動かぬしばしの空かな
 
266 ばんしゅうを つきのこよいにわびしみて ひとりつえひきのをさすらいぬ
晩秋を 月の今宵にわびしみて 一人杖ひき野をさすらいぬ
 
267 はぎすすき みなそなわりてこのあきの つきてるにわにわれたらいける
萩芒 みな具はりて此秋の 月照る庭にわれ足らいける
 
268 かわのえに けぶるがごとくげっこうの もやいてはしのうえにひとあり
川の上に けぶるが如く月光の もやいて橋の上に人あり
 
 

(昭和六年十月六日)

 
     
    日光の秋  
269 なみならぬ さんしすいめいにっこうは かんのんおわすほだらかのやまや
なみならぬ 山紫水明日光は 観音在す普陀落迦の山や
 
270 のぼりゆく ままにもみじのいろふかみ あきこのやまにたけなわのいま
登りゆく ままに紅葉の色深み 秋此山にたけなわの今
 
271 とうとうと けごんのたきはふたあらの やまのしんぴをかたるべらなり
鼕々と 華厳の滝は二荒の 山の神秘を語るべらなり
 
272 かがみなせる こめんさやかにあきばれの そらともみじのやまなみうつすも
鏡なせる 湖面さやかに秋晴の 空と紅葉の山並うつすも
 
273 しらかばの こずえきばみてこもれびの くまざさのえにうすらさしおり
白樺の 梢黄ばみて木もれ陽の 熊笹の上に淡らさしをり
 
274 やまあいに こばるといろのくものみね すむあきぞらのすえにたつなり
山間に コバルト色の雲の峰 澄む秋空の末に立つなり
 
275 おおいなる いわのしゃめんのえにあかく もみじいろもえゆうひにたぎるも
大いなる 岩の斜面の上にあかく 紅葉色もえ夕陽にたぎるも
 
276 あかきあおに ぜんざんそまりてはなさかる はるにもまされるにっこうのあき
赤黄青に 全山染りて花盛る 春にもまされる日光の秋
 
277 こんじょうの そらをうしろにもみじせる やまつらなりてあきびかがよう
紺青の 空を後に紅葉せる 山連りて秋陽かがよう
 
278 とぎすめる かがみのごときゆのこみれば あきのしらねのすそまうつれる
研ぎすめる 鏡の如き湯の湖見れば 秋の白根の裾ま映れる
 
279 むらさきの ゆうべのいろはくれなえる やまのもみじばつつみかねつつ
紫の 夕べの色はくれなえる 山のもみぢ葉包みかねつつ
 
280 つくもおり やまのぼらいついやふかむ もみじのいろをめでそやしける
九十九折 山登らひついや深む 紅葉の色を賞でそやしける
 
281 そそりたつ おおいわのしゃめんところどころ はうがごとくにもみづらいおり
そそり立つ 大岩の斜面ところどころ 這ふが如くにもみづらひをり
 
282 ななかまどの しんくのいろのひときわに めだちてやまのあきをかがよう
ななかまどの 真紅の色の一際に 目立ちて山の秋をかがよふ
 
283 うすあおく なつをのこせるやまのおに ぬえるがごとくもみじくれなう
淡青く 夏を残せる山の尾に 縫えるが如く紅葉くれなふ
 
284 ひのてれる やまはおおかたきぎのいろ こきにあわきにもみづらぬなき
陽の照れる 山は大方木々の色 濃きに淡きにもみづらぬなき
 
285 せんじょうがはらはうすらにきばみけり ところどころにおばなふるえる
戦場ケ原はうすらに黄ばみけり ところどころに尾花ふるえる
 
286 みるかぎり もみじてりはうにっこうの やまよりやまはくれないのうず
見るかぎり もみぢ照り映ふ日光の 山より山は紅のうづ
 
287 しらゆうの ごとくたきつせなだれにつ もみじのこのまにすけるうつくしさ
白木綿の 如く滝津瀬なだれにつ 紅葉の木の間に透ける美しさ
 
288 あやうげに かかるいわまにもみじもえ たきのしぶきにぬれかがよえる
危げに かかる岩間に紅葉もえ 滝のしぶきに濡れかがよえる
 
289 なだりおつる おおたきしろくゆうやみに のこしてあきのみやまくれゆく
なだり落つる 大滝白く夕暗に 残して秋の深山くれゆく
 
 

(昭和六年十月十八日)

 
     
    紅  葉  
290 いさぎよく あきをもみじのもえさかり たちまちにいるはいいろのふゆ
いさぎよく 秋を紅葉のもえさかり たちまちに入る灰色の冬
 
 

(昭和六年十月二十日)

 
     
    偶  像  
291 おおぐうぞうよ たいしゅうはおまえによってこきゅうし かんきし おどっている
オヽ偶像よ 大衆はお前によつて呼吸し 歓喜し 踊つてゐる
 
292 ぐうぞうひていしゃのいちぐんが いま れーにんのぐうぞうかに あせをながしている
偶像否定者の一群が 今 レーニンの偶像化に 汗を流してゐる
 
293 おお じんるいしをかざるぐうぞう なんとかがやかしいそんざいではあるよ
オヽ 人類史を飾る偶像 何と輝やかしい存在ではあるよ
 
294 ぱんとくうきがひつようなていどに ぐうぞうがにんげんにひつようとおもう
パンと空気が必要な程度に 偶像が人間に必要とおもう
 
295 ぴらみっどのせんたんのおおざは いつもぐうぞうによって しめられているではないか
ピラミツドの尖端の王座は いつも偶像によつて
               占められてゐるではないか
 
296 いけるぐうぞうと しせるぐうぞうとのさべつ さいにんしきのめ め めだ
生ける偶像と 死せる偶像との差別 再認識の眼 眼 眼だ
 
297 ぷろもぶるもしろもくろもきもいっせいにはいきする めしやてきぐうぞうをまとうよ
プロもブルも白も黒も黄も一斉に拝脆する
               メシヤ的偶像を待とうよ!
 
298 しゃかもにちれんも なになにのみことも それは かこのしゅうきょうてきぐうぞうを いでないではないか
釈迦も日蓮も 何々の尊も
  それは 過去の宗教史的偶像を 出でないではないか
 
299 きょうもんもしほんろんも としょかんのもくろくだけのそんざいではいぎをなさない
経文も資本論も 図書館の目録だけの存在では意義をなさない
 
 

(昭和六年十月十八日)

 
     
    世界の今  
300 ほえるしなよ あだむ・いぶのしそんが おまえをわらっている
吼える支那よ アダム・イブの子孫が お前を嗤つてゐる
 
 

(昭和六年十月十八日)

 
     
    古  池  
301 こうほねの あおきはいけのみずにすけ てんてんとしてきばなのうける
河骨の 青き葉池の水に透け 点々として黄花の浮ける
※スイレン科の多年草の水草
 
302 ものがたり めけるふぜいよささやかな にぬりのどうういけのへにたてる
物語 めける風情よ小やかな 丹塗の堂宇池の辺に建てる
 
303 ふるぬまを つつむよのいろまだあさく さゆるるあしのはなしろかりぬ
古沼を つつむ夜の色まだ浅く さゆるる蘆の花白かりぬ
 
304 でんせつの おおかたあらんみずあおく よどみてふるものただよえるいけ
伝説の おほかたあらむ水青く 淀みて古藻のただよえる池
 
305 こんもりし こむれおちこちみずぎわに かげをおとしていけしずかなり
こんもりし 木むれおちこち水際に 影を落して池静かなり
 
306 ところどころ つりびとみえてあきぞらの うつれるいけにいとたれており
ところどころ 釣人見えて秋空の うつれる池に糸垂れてをり
 
307 よしきりの あしまにないてゆうさむみ むかつみぎわはもやにかくれぬ
よしきりの 蘆間に啼いて夕寒み 向つ汀は靄にかくれぬ
 
308 たれさがる やなぎのえだのゆれもみえず いけにまうつるいくすじのいと
垂れ下る 柳の枝のゆれも見えず 池にま映るいく條の糸
 
 

 (昭和六年十月二十日)

 
     
    武蔵野の秋  
309 むさしのを ここにみいでぬすすきうの ややにつづかうみちのへにきて
武蔵野を 此処に見出でぬ薄生の ややにつづかふ路の辺に来て
 
310 ゆけどゆけど もりとはたけをおがわぬい あきおおらかにむさしのおおう
行けどゆけど 森と畑を小川縫ひ 秋おほらかに武蔵野をおふ
 
311 あかつちの おかをのうふのまぐさおい とぼとぼのぼりあおぞらにきえぬ
赤土の 丘を農夫の馬草負ひ とぼとぼのぼり蒼空に消えぬ
 
312 すがれたる なすのはたけにさむざむと ゆうひかそけくながらいており
す枯たる 茄子の畠に寒ざむと 夕陽かそけく流らひてをり
 
313 あおあおと しげるさらだなのはたけあり ここひとところあきらしからず
青あおと 茂るサラダ菜の畑あり 此処ひとところ秋らしからず
 
314 かれあしを むごきがまでにいけにうめ きょうもこがらしふきやまぬなり
枯葦を むごきがまでに池に埋め 今日も凩ふきやまぬなり
 
315 ひとつふたつ みつあんてなにせいれいの とまりてうごかずあきぞらのした
一つ二つ 三つアンテナに蜻蛉の とまりてうごかず秋空の下
 
316 あさぎりに ひびかいやおやのにぐるまの きしりはみみにしばしのこれり
朝霧に ひびかい八百屋の荷車の きしりは耳に少時のこれり
 
317 くりまつたけ などそちこちにみえそめて ちまたにもはやあきのおとずれ
栗松茸 などそちこちに見え初めて 巷にもはや秋の訪れ
 
 

        (昭和六年十月二十日)

 
     
    筑波紀行  
318 くれないの うるしひともとひにあかく こまつばやしのなかにめだつも
紅の 漆一本陽に明く 小松林の中に目立つも
 
319 かりいねの ほやまほがきやおちこちに めぢのかぎりにみゆもうれしき
苅稲の 穂山穂垣や遠近に 目路の限りに見ゆもうれしき
 
320 うすきいろに あきはただよいほかりごの たのもはろけくしゃそうにゆれにつ
淡黄色に 秋はただよい穂苅後の 田の面はろけく車窓にゆれにつ
 
321 まだらばの こだちつづけるあぜみちの かりたのあとのみずにうつらう
斑葉の 木立つづける畔路の 苅田の後の水にうつらう
 
322 おくいねの たるほにあきのかぜふきて おりおりざわめくおやまだのさと
晩稲の 垂穂に秋の風ふきて をりをりざわめく小山田の里
 
323 かりほだの みずさやかにもあきぞらの こぐもうつしていとしずかなり
苅穂田の 水さやかにも秋空の 小雲うつしていと静かなり
 
324 かれのこる はすだにむごくくきおれて はのおおかたはみずにしずめる
枯残る 蓮田にむごく茎折れて 葉の大方は水に沈める
 
325 いねをかる たびとあきびのしたにして えにかかばやとふとおもいける
稲を苅る 田人秋陽の下にして 画にかかばやとふと思ひける
 
326 もみぢせる さくらづつみのつづかいて たのもへだててひにかがよえる
紅葉せる 桜堤のつづかいて 田の面へだてて陽にかがよへる
 
327 あきぞらは かぎりもしらにもろこしの いろにそまれるたはたつつまう
秋空は 限りもしらにもろこしの 色に染まれる田畑つつまふ
 
328 まつやまの おだかきおかのしゃめんには あきのまひるのかげけぶらえる
松山の 小高き丘の斜面には 秋の真昼の光けぶらへる
 
329 いっけんの でんかのかたわらきくさいて とりどりのいろひをうけてはゆ
一軒の 田家の傍菊咲いて とりどりの色陽をうけて映ゆ
 
330 やますそや しらかべみつよつひにはえて たのものあきはめにたのしかり
山裾や 白壁三つ四つ陽に映えて 田の面の秋は眼にたのしかり
 
 

                   (昭和六年十一月一日)

 
     
    筑波根の秋  
331 つくばやま ふたつのみねはあおぞらに うすくれないのせんひきており
筑波山 二つの峰は青空に 薄紅の線引きてをり
 
332 きゅうしゅんを すらすらのぼるけーぶるの まどにくさきのみなしたへゆく
急峻を すらすら登るケーブルの 窓に草木のみな下へゆく
 
333 いただきに いづるやたちまちめぢひらけ やまかわくさきみなあきのいろ
頂に 出づるやたちまち目路ひらけ 山川草木みな秋の色
 
334 かんとうの へいやましたにちずのごと ひろごるすえにふじのかそけし
関東の 平野眼下に地図の如 ひろごる末に不二のかそけし
 
335 しろきみち うねりてたはたこむらなど あきひにはえてみのあかなくも
白き道 うねりて田畑小邑など 秋陽に映えて見のあかなくも
 
336 きがんかいせき かずかずありてくだりゆく みちしらぬまにふもとにつきぬ
奇巌怪石 数々ありて下りゆく 路しらぬまに麓につきぬ
 
337 つくばねに あきのさんきをすいつつも ひねもすあそびてたらいけるきょう
筑波根に 秋の山気を吸ひつつも ひねもす遊びて足らひける今日
 
338 われをむかう らしげにあきのつくばやま ほほもえるがにわがまえにたてる
吾を迎ふ らしげに秋の筑波山 頬燃えるがにわが前に立てる
 
339 みやしろに さいしてあおげばつくばやま いましくれなうみねみねのいろ
神社に 賽して仰げば筑波山 今しくれなふ峯みねの色
 
340 ゆうがらす なくねをあとにつくばやま ふりみふりみつきしゃにのりけり
夕鴉 鳴く音を後に筑波山 振り見ふりみつ汽車に乗りけり
 
 

                  (昭和六年十一月一日)

 
     
    初  冬  
341 はだかぎの ふゆともなればはるやなつ あきのいろかのわすれがたなき
裸木の 冬ともなれば春や夏 秋の色香の忘れがたなき
 
342 まつのみが あおあおとしてただめだち おかもののももふゆゆきわたる
松のみが 青あおとしてただ目立ち 丘も野の面も冬ゆきわたる
 
343 ひっそりと たにもあぜにもひとけなく のこるかりほにうすびさすなり
ひつそりと 田にも畔にも人気なく 残る苅穂にうす陽さすなり
 
344 したしみつ ひおけにそえるてのこうに ちからもなげなはえもとまれる
親しみつ 火桶に添える手の甲に 力もなげな蝿のとまれる
 
345 あわびさす はりどにちかくぺんとれど こわばりがちのわがてなりけり
淡陽さす 玻璃戸に近くペンとれど こわばり勝ちのわが手なりけり
 
346 ねぐらへと いそぐからすのかげしるく うつるいけのもみずすめるなり
塒へと 急ぐ烏の影しるく うつる池の面水すめるなり
 
347 にわぎくの おおかたかれぬいちにりん のこんのはなをおしとみいるも
庭菊の 大方枯れぬ一二輪 残んの花を惜しと見いるも
 
348 かきのはの かぞえるばかりえだにまだ みつよつのこんのあかきみさむし
柿の葉の 数えるばかり枝にまだ 三つ四つ残んの赤き実さむし
 
 

                   (昭和六年十一月六日)

 
     
    落  葉  
349 いちようの くちばをとればげんとして りんねののりをかたりておるも
一葉の 朽葉をとれば厳として 輪廻の則を語りて居るも
 
350 みのかぎり おちばささやきあうがにて きぎのしたかげかぜふきぬくる
見のかぎり 落葉囁き合ふがにて 木々の下かげ風吹きぬくる
 
351 へんぺんと ほそうろのうえまいくるう おちばたまりしひとところあり
片々と 舗装路の上舞ひ狂ふ 落葉たまりしひと処あり
 
352 ふみならし おちばつづかうこのもりの みちをぬくればあきのにいでぬ
踏み鳴らし 落葉つづかふ此森の 径を抜くれば秋野にいでぬ
 
353 いくひかさね おちばうめけんこのみちの ふかぶかしもよもりのしたかげ
いく日かさね 落葉埋めけん此径の ふかぶかしもよ森の下かげ
 
354 ふかぶかと いくとせつめるおちばにや このやまこみちあしあとみえず
深々と いくとせ積める落葉にや 此山小径足跡みえず
 
355 きよめられし つちのおもてにおおきなる かきのわくらばみつよつちれる
清められし 土の面に大きなる 柿のわくら葉三つ四つ散れる
 
356 まあかなる もみじのおちばふたつみつ いけのおもてにうけるふぜいよ
真紅なる 紅葉の落葉二つ三つ 池の面に浮ける風情よ
 
357 むざんにも よあらしふきてまだありし にわのもみじのはだかぎとなりぬ
無残にも 夜嵐吹きて未だありし 庭の紅葉の裸木となりぬ
 
358 あさじめり このまをゆけばふむごとに しもおくおちばかさこそとなる
朝じめり 木の間を行けば踏む毎に 霜おく落葉かさこそとなる
 
359 あすふぁるとの つじにおちばのうずまいて こがらしのなかいぬはしりゆく
アスファルトの 辻に落葉のうづまいて 木がらしの中犬走りゆく
 
360 つちふむと おもえぬばかりふかぶかと たにのみぎわのおちばみちゆく
土踏むと 思えぬばかりふかぶかと 渓の汀の落葉路ゆく
 
361 へいぎわや このあきをちりしくさぐさの おちばわくらばうずたかくつむる
塀際や 此秋を散りしくさぐさの 落葉わくら葉堆高くつむる
 
362 みずぎわに やなぎのかれはややにうき みずとりのむれわけおよぎゆくも
水際に 柳の枯葉ややに浮き 水鳥のむれ分け泳ぎゆくも
 
363 ゆうあらし ひとしきりふきつきいでて にわのおちばをしろじろてらせる
夕嵐 ひとしきりふき月出でて 庭の落葉を白じろ照らせる
 
364 おちばかく おのこのかたのかれまつば ゆうひのなかにあざやかにみゆ
落葉掻く 男の子の肩の枯松葉 夕陽の中にあざやかに見ゆ
 
365 あくたろう いつのまにやらたたきしか ひがきののあおおちばかな
悪太郎 いつの間にやら叩きしか 檜垣の下の青落葉かな
 
 

                   (昭和六年十一月十日)

 
     
    雀  
366 ゆきのもに うごくものありこたつから はりどすかせばすずめなりける
雪の面に 動くものあり炬燵から 玻璃戸すかせば雀なりける
 
367 どっとふく かぜにこのはのまうがごと とおぞらよぎるすずめのむれはも
どつと吹く 風に木の葉の舞ふが如 遠空よぎる雀の群はも
 
368 すずめらの こえようやくにかしましく まどのあたりはうすあかるみぬ
雀らの 声やうやくにかしましく 窓のあたりはうす明るみぬ
 
 

                   (昭和六年十一月十日)

 
     
    新  春  
369 ちをつつむ そらのひかりもあらたにて ことしちょうものあるるこのひよ
地をつつむ 空の光も新たにて 今年てふもの生るる此日よ
 
 

                  (昭和六年十二月十六日)

 
     
    暁の鶏声  
370 うすやみは ほがらほがらとあかるみつ かけなくこえのけたたましくも
うす闇は ほがらほがらと明るみつ 家鶏鳴く声のけたたましくも
 
371 にさんけん のうむのなかのわらやより あさけふるわすにわとりのこえ
二三軒 濃霧の中の藁家より 朝気ふるはす鶏の声
 
372 ほがらかに にわとりないてやまあいの そらのすそへにあかねほのめく
ほがらかに 鶏鳴いて山間の 空の裾へに茜ほのめく
 
373 みやしろの とうみょうきりのおくにみえ とおなくかけのこえきこゆなり
神社の 灯明霧の奥に見え 遠鳴く家鶏の声きこゆなり
 
374 しじまなる あさけふるわせにわとりの けたたましくもひとこえなきけり
しじまなる 朝けふるわせ鶏の けたたましくも一声鳴きけり
 
 

                 (昭和六年十二月二十三日)

 
     
    寒  夜  
375 とのすきを もるさむかぜのみにしむも しょうじのかみのおりおりなれる
戸の隙を もる寒風の身にしむも 障子の紙のをりをり鳴れる
 
376 ふみよみつ ひおけにそえどせすじより みずあびるごとしふゆのよさむは
書読みつ 火桶に添へど背すじより 水浴びる如し冬の夜寒は
 
377 ひゅうひゅうと でんせんないてこがらしの ふきつのるよいわれぺんはしらすも
ひゆうひゆうと 電線泣いて木枯しの 吹きつのる宵吾ペン走らすも
 
378 いてりつきし みちくつおとをたからかに ひびかせつきのよるをかえりぬ
凍りつきし 路靴音を高らかに ひびかせ月の夜を帰りぬ
 
379 でんせんに しもいてりつききらきらと つきにひかりてひとあしたえける
電線に 霜凍りつききらきらと 月に光りて人足絶えける
 
380 なかなかに もえぬすみびにひゆるてを かざしつおもいにふけりゆくよや
なかなかに 燃えぬ炭火に冷ゆる手を かざしつ思ひにふけりゆく夜や
 
381 しんしんと よはふけりゆくもわれひとり のこりてつめたくへやをかたしぬ
しんしんと 夜は更けりゆくも吾ひとり 残りて冷たく部屋をかたしぬ
 
382 げたのおと みみだつよるなりひねもすの こがらしやみてまちしずもれる
下駄の音 耳だつ夜なりひねもすの 木枯止みて町静もれる
 
383 うづみびを はさみてはおきはさみては おきつしばしをおもいにふける
埋み火を はさみては置きはさみては 置きつしばしを思ひにふける
 
384 しずかよの きわまりにけるおともなく そとはこゆきのふりつむけはい
静か夜の きわまりにける音もなく 外は粉雪のふりつむ気はい
 
 

                 (昭和六年十二月二十三日)

 
     
    暮 近 し  
385 しわすとう おもいまつわりことごとに あわきふためきありにけるかな
師走とう 思ひまつわり事々に 淡きふためきありにけるかな
 
386 みじかびの そらをあおぎてふとわれの いまのゆとりにほほえみてけり
短か日の 空を仰ぎてふと吾の 今のゆとりにほほえみてけり
 
387 そこはかと きょうもくれけりあすもまた きょうをおうかとおもいぞすなり
そこはかと 今日も暮れけり明日もまた 今日を追ふかと思ひぞすなり
 
388 うないごを だきてやりたくおもいつも いくひたちしよきょうもくれける
うない児を 抱きてやりたく思ひつも 幾日経ちしよ今日も暮れける
 
389 ひさびさに にわもにたてばしもにくちし おちばさわにてつちむさぐろし
久びさに 庭面に立てば霜に朽ちし 落葉沢にて土むさぐろし
 
 

                 (昭和六年十二月二十三日)

 
     
    彼の横顔  
390 ちかけんか いずれにしてもよのれべるに のらざるすがたかれにみるなり
痴か賢か いづれにしても世のレベルに 乗らざる姿彼に見るなり
 
391 ほうとうくめん へいぜんとしてわかきめに ちかづくかれのよこがおをみるも
蓬頭垢面 平然として若き女に 近づく彼の横顔を見るも
 
392 おろかなる さがもつかれのいぶかしさ ほのてんさいのひらめきもありて
愚かなる 性もつ彼のいぶかしさ ほの天才の閃きもありて
 
 

                 (昭和六年十二月二十三日)

 
     
    彼女(若き日の頃)  
393 なかなかに わかきにおいのゆたにして わがしんぞうをゆするべらなり
なかなかに 若き匂ひの豊にして 吾心臓をゆするべらなり
 
394 わかきかの みなぎるほほのなやましさ めをとじわれはといきつきける
若き香の みなぎる頬のなやましさ 眼をとぢ吾は吐息つきける
 
395 あでやかな よそおいこらしわがまえに かのじょはありぬわれうつろなり
あでやかな 粧こらしわが前に 彼女はありぬ吾空ろなり
 
396 なよやかな すがたにりんとしらうめの におうがにみゆかのじょにくらし
なよやかな 姿に凛と白梅の 匂ふがに見ゆ彼女にくらし
 
397 あきのよの ほしともみゆるそのひとみ わがめのそこにきえやらぬかも
秋の夜の 星とも見ゆるその瞳 わが眼の底に消えやらぬかも
 
398 わがおもい かよえばはずかしかよわねば うれたくもありいかにすべきや
わが想ひ 通えばはづかし通はねば 憂れたくもあり如何にすべきや
 
399 うるわしき なれがすがたにしのぶるは てんごくのそのにまうめがみなり
美しき 汝が姿に偲ぶるは 天国の苑に舞ふ女神なり
 
400 しんぞうの ときめきなれにさとられじと そばちかづくをおそれもするわれ
心臓の ときめき汝に覚られじと 傍近づくを恐れもする吾
 
401 いまをこそ ほしのひとみをみんとすれど あたらわがめはたたみにそりける
今をこそ 星の瞳を見んとすれど あたらわが眼は畳に外りける
 
402 やえざくら やよいのみそらいろどれるを なれがすがたにたとえてもみし
八重桜 弥生のみ空彩れるを 汝が姿にたとえてもみし
 
 

                 (昭和六年十二月二十三日)

 
     
    雪  
403 かれきりし えだふゆさればむつのはな さくひとときのながめありける
枯れきりし 枝冬されば六つの花 咲くひとときの眺めありける
 
404 もうもうと こなゆきこめてふりきゆる かわものあおさめにしみらえる
濛々と 粉雪こめて降り消ゆる 川面の青さ眼にしみらへる
 
405 やぶかげに のこんのゆきのまだきえず ゆうやみのなかほのあかるかり
薮かげに 残んの雪のまだきえず 夕闇の中ほの明るかり
 
406 ふくかぜに ふるゆきくるいまいつして にわのときわぎややみだれける
吹く風に 降る雪くるひ舞ひつして 庭の常盤木やや乱れける
 
407 あたたかき へやにあんきょしふとみたる はりどのそとをひじゃのめのすぐ
暖かき 部屋に安居しふと見たる 玻璃戸の外を緋蛇の目のすぐ
 
408 あさまだき しらゆきつもりみちゆけば こいぬよこぎりひたはしりゆく
朝まだき 白雪つもる路ゆけば 小犬横ぎりひた走りゆく
 
409 くもひくう たれしこのあさえきにゆけば やねにゆきあるきしゃいりてくも
雲低う たれし此朝駅にゆけば 屋根に雪ある汽車入りて来も
 
410 まんねんの ゆきいわひだにしろじろと あるぷすれんざんひにかがよえる
万年の 雪岩襞に白じろと アルプス連山陽にかがよえる
 
411 ようやくに それとしらるるごみばこの へいよりかけてゆきにうずみぬ
やうやくに それと知らるる塵箱の 塀よりかけて雪に埋みぬ
 
412 ごみばこの ゆきにうずもるうええさを あさるらしもよこすずめいちわ
塵箱の 雪に埋もる上餌を あさるらしもよ小雀一羽
 
413 いちじんの かぜふきあたりゆきつもる おいまつのえだこなゆきちらせり
一陣の 風吹き当り雪つもる 老松の枝粉雪散らせり
 
414 でんちゅうの かたがわかくせししらゆきの ひにとけかかりもじあらわれぬ
電柱の 片側かくせし白雪の 陽に溶けかかり文字あらわれぬ
 
415 ふんわりと かれきのえだにはるのゆき つむをしたしみみるへやのまど
ふんわりと 枯木の枝に春の雪 つむをしたしみ見る部屋の窓
 
416 はるのゆき ふるまにとけてかさこそと かれしばのうえにつゆのたまおつ
春の雪 ふる間にとけてかさこそと 枯芝の上に露の玉おつ
 
417 ふるゆきの なかのちまたのゆうまぐれ がいとうのしたひとかげらしも
降る雪の 中の巷の夕まぐれ 街灯の下人影らしも
 
 

                 (昭和六年十二月二十五日)

 
     
    憤  る  
418 いきどおるいじょうのこうふん さっとひえて きょむのわらいとかした
憤る以上の昂奮 さつと冷えて 虚無の笑と化した
 
419 ごかいとちょうばにむくゆるちんもく それはとうといものとおもう
誤解と嘲罵にむくゆる沈黙 それは尊いものと思ふ
 
420 うらぎられたげんじつを ゆめにしようとくふうしてもみた
裏切られた現実を 夢にしようと工夫してもみた
 
421 おれにてっついをくだしたかれを どうしてもにくめない よわさ
俺に鉄槌を下した彼を どうしても憎めない 弱さ
 
422 しゅうきょうてきへんしつしゃを いかにぐうするかにほうちゃくしたおれ
宗教的変質者を 如何に遇するかに逢着した俺
 
 

                 (昭和六年十二月二十五日) 

 
     
    感  情  
423 ゆえないかんきが ほのかにおこって すっと きえていった
故ない歓喜が ほのかに起つて すつと 消えていつた
 
424 かれのかんじょう みゃくみゃくとこころよいりずむをなして おれにながれてくる
彼の感情 脈々と快いリズムをなして 俺に流れてくる
 
425 きいているかれのそらごと ああはやく おれのずのうをとおってしまえ
聴いてゐる彼の虚言 アヽ速く 俺の頭脳を通つてしまへ
 
406 みかわしあったひとみはつめたかった おれのこころが このこころがなぜかよわぬか
見交はし合つた眸は冷たかつた 俺の心が 此心が何故通はぬか
 
427 せいぜんたるへや そのでんとうのあかるさのかいかんよ
整然たる部屋 その電灯の明るさの快感よ
 
 

                 (昭和七年十二月二十五日) 

 
     
    雪 晴 れ  
428 ふうわりと こぼれそうなえだのゆき あかつきばれのそらにういている
ふうわりと こぼれそうな枝の雪 暁霽れの空に浮いてゐる
 
429 しろいびりゅうのひとつひとつが きらきらひかる ゆきばれのあさ
白い微粒の一つ一つが きらきら光る 雪ばれの朝
 
430 ごうぜんとかまえたおいまつに すきまもなくつもった ゆきのすばらしさ
豪然とかまえた老松に すきまもなく積つた 雪のすばらしさ
 
431 しろい やわらかいゆきのせんが にわをふんわりえがいているあさ
白い やはらかい雪の線が 庭をふんわり描いてゐる朝
 
432 ひにまぶしい そらのした なだらかな はくびょうのせっせん
陽にまぶしい 空の下 なだらかな 白描の雪線
 
 

                   (昭和七年一月十八日)

 
     
    動  く  
433 かく まる せんとうとうのじゃずが がんていをゆすぶる きかいさぎょう
角 丸 線等々のジャズが 眼底をゆすぶる 機械作業
 
434 そらのへんうんを じっとみている ほーうごくぞ かすかにみぎへ
空の片雲を じつと視てゐる ホー動くぞ かすかに右へ
 
435 ゆうぐれのそらに ちじくのうごきを ふと うなずく
夕暮の空に 地軸の動きを ふと うなづく
 
436 けんそうのうず ひと ひかり くるま いえ よるのいろとおと めまぐるしいらんぶだ
喧喋のうづ 人 光 車 家 夜の色と音 めまぐるしい乱舞だ
 
437 おお ほしのめいめつ ちじょうじんるいによびかけるよう
オヽ 星の明滅 地上の人類に呼びかけるよう
 
438 すやすやねむっている あかごのはなべの なごやかなゆれ
すやすや眠つてゐる 嬰児の鼻辺の なごやかな揺れ
 
439 でんせんがそらに つきのそらに かすかにふるえている はるはあさい
電線が空に 月の空に かすかにふるえてゐる 春は浅い
 
440 ひなたに ねこのやつめみみをぬけだす そのかげが おおきくもながれてる
日向に 猫の奴め耳をうごかす その影が 大きくも流れてる
 
441 しえんがひとつ ずへんでわをえがいて ゆるく のぼってゆく
紫煙が一つ 頭辺で輪をえがいて ゆるく 昇つてゆく
 
 

                   (昭和七年一月十八日) 

 
     
    春  
442 ねむたげな はるのうなもよなみのねの あるかなきかにきしをうつなり
ねむたげな 春の海面よ波の音の あるかなきかに岸をうつなり
 
443 わたしもり ふねにうごかずしんめする やなぎのえだのみずにうつれる
渡守 舟にうごかず新芽する 柳の枝の水にうつれる
 
444 たかくひくく かすみをぬいつわたりどり いなずまなしてつらなりゆくも
高く低く 霞を縫いつ渡り鳥 いなづまなして連りゆくも
 
445 なごやかな ひいろながるるあおのはら ひつじのおらばとふとおもいける
なごやかな 陽色流るる青野原 羊のおらばとふと思ひける
 
446 ちょうのかげ あおくさすべりそらうつる おがわよぎりてきえさりにける
蝶の影 青草すべり空うつる 小川よぎりて消えさりにける
 
447 はるさめは やなぎにけぶりおともなく かわのながれのゆるくもあるかな
春雨は 柳にけぶり音もなく 川の流れのゆるくもあるかな
 
448 みなぎらう はるひのなかやふすうしの つのにまつわるこちょうのかげはも
みなぎらう 春陽の中や臥す牛の 角にまつわる小蝶の影はも
 
449 つややかな あおばのこしてまあかなる つばきのはなのおおかたちりける
つややかな 青葉のこして真紅なる 椿の花の大方ちりける
 
450 ゆずりはの うらはくっきりつくばいの みずにうつりてひはまだたかし
ゆづり葉の 裏葉くつきりつくばいの 水にうつりて日はまだ高し
 
 

                   (昭和七年一月十五日) 

 
     
    陽  炎  
451 たかくひくく かげろうわたるちょうちょうの ゆくえをみつめわれはありけり
高く低く 陽炎わたる蝶々の ゆくえをみつめ吾はありけり
 
452 ゆきげする のやうらうらとかげろうの ゆらめきたちてなにかたのしき
雪解する 野やうらうらと陽炎の ゆらめき立ちて何かたのしき
 
453 かぎろいの なかをわがふむやわくさに おのずからなるはるをうなずく
かぎろいの 中をわがふむやわ草に おのづからなる春をうなづく
 
454 かげろうの ゆらぎのすえにやまもさとも かすみかかりてただのどかなり
陽炎の ゆらぎの末に山も里も 霞かかりてただのどかなり
 
 

                   (昭和七年一月十五日) 

 
     
    梵  鐘  
455 ぼんしょうの おとむらさきのくれいろを つたうておぐらきもりにこむらう
梵鐘の 音むらさきの暮色を つたうて小ぐらき森にこむらふ
 
456 おいまつの こんもりあおきいただきの うえにひとひらたむろするくも
老松の こんもり青き頂の 上にひとひらたむろする雲
 
457 まつのはは はりのごとしもつきかげに きらめきにつつよぞらあかるき
松の葉は 針の如しも月光に きらめきにつつ夜空明るき
 
458 むぎのほの そろえるがみずにくっきりと うつりてとおなくひばりのこえあり
麦の穂の そろえるが水にくつきりと 映りて遠鳴く雲雀の声あり
 
459 とうのうえの ゆうべのそらにむらがらす さっとまいたちながれさりける
塔の上の 夕べの空にむら鴉 さつと舞い立ち流れさりける
 
 

                   (昭和七年一月十五日) 

 
     
    春の気はい  
460 ふきぬける ののさむかぜをとおるひに ゆるみのみえぬほのかながらも
ふきぬける 野の寒風を透る陽に ゆるみのみえぬほのかながらも
 
461 はなみつる しらうめのえにすぎしひの ゆきのあしたのにをやうかめぬ
花満つる 白梅の枝にすぎし日の 雪の朝の似をやうかめぬ
 
462 ながれくる まどのゆうひのむらさきの ほにもせまらぬはるのきのみゆ
流れくる 窓の夕陽のむらさきの 秀にもせまらぬ春の気のみゆ
 
463 かれのはら いろめだたぬもこころづけば はるのあわびにつちととのえる
枯野原 色めだたぬも心づけば 春の淡陽に土ととのえる
 
464 かれくさを しだくあとにははやはるの きざしはつちにほのかなりける
枯草を しだく跡にははや春の きざしは土にほのかなりける
 
465 つきかげの よどみのみゆるひとところ もやにおおわれねこやなぎおう
月光の 淀みのみゆるひとところ 靄におほはれ猫柳生ふ
 
466 ぺんもてる ゆびのゆるみにはるきぬを うべないかみにむかいてありけり
ペン持てる 指のゆるみに春来ぬを うべない紙に向いてありけり
 
467 ねこやなぎ まひにきらめきみずぬるむ おがわにしるくかげをおとせる
猫柳 真陽にきらめき水ぬるむ 小川にしるく影を落せる
 
468 こうばいの はなえようやくととのえば ひざしをうけてひとしおかがよう
紅梅の 花枝やうやくととのえば 陽ざしをうけて一入かがよふ
 
469 うめのむら くれゆくころやくさのいえの けむりははなのあたりにまつわる
梅の村 くれゆくころや草の家の けむりは花のあたりにまつわる
 
 

                   (昭和七年一月十六日)

 
     
    梅  花  
470 はなみつる うめのはやしをぬいながら かにむせみつつようやくぬけける
花みつる 梅の林をぬいながら 香にむせみつつ漸く抜けける
 
 

                   (昭和七年一月十六日) 

 
     
    春 の 山  
471 うららびよ おとめごたちのわらびかる かげはやわぐさのうえにひけるも
うらら陽よ 乙女子たちの蕨狩る 影はやわ草の上に引けるも
 
472 うすみどり みかさのやまににじまいて ひとはけががきのかすみひけるも
うす緑 三笠の山ににじまいて 一刷毛がきの霞引けるも
 
473 まつやまの あおさもかすみたちてより ところどころのうすらいにける
松山の 青さも霞たちてより ところどころのうすらいにける
 
474 とおながれ くるうぐいすのこえにひかれ それがちになるはるののじかな
遠流れ くる鶯の声にひかれ それがちになる春の野路かな
 
475 いつたつや いつきえゆくやはるがすみ ただとおやまのまえにたなびく
いつ立つや いつ消えゆくや春霞 ただ遠山の前にたなびく
 
     
      ○  
476 はなとひとのらんぶを ほうふつしえらるる さんがつのやま
花と人の乱舞を 髣髴し得らるる 三月の山
 
477 かすみ かすみ かすみがみえる またおれをひっぱるだろう あのやまのさくら
霞 霞 霞がみえる また俺を引張るだらう あの山のさくら
 
478 にいめのあおさがぜんざんをそめつくした なごやかなはるがきたんだ
新芽の青さが全山を染めつくした なごやかな春が来たんだ
 
 

                   (昭和七年一月二十日) 

 
     
    塵  埃  
479 もったいな みだのおんかたつむちりの しろくもほかげにゆらめきており
勿体な 弥陀の御肩つむ塵の 白くも灯光にゆらめきてをり
 
480 ほこりくるう つじにやすまずみはりたつ ひとをえらしとわがおもいける
埃くるふ 辻にやすまず見張り立つ 人を偉しとわが思いける
 
481 たかまどゆ ふとくながらうひのすじに ちりきらきらとぎんのこななり
高窓ゆ 太く流らう陽の條に 塵きらきらと銀の粉なり
 
482 あちこちを こきうるみせにものとれば ひとつひとつがほこりまみれる
あちこちを 古器売る店に物とれば 一つ一つが埃まみれる
 
483 もうもうと ほこりたつなかすずかけの なみきのひろはかぜにさおどる
濛々と 埃立つ中篠懸の 並木の広葉風にさおどる
 
484 ほこりまう したのほそうろひのさして おもなめらかにうちみずひかる
埃舞う 下の舗装路陽のさして 面なめらかに打水光る
 
 

                    (昭和七年二月十日) 

 
     
    春  
485 ぽっかり なめらかなそらにひとつ はるらしい つき
ぽつかり なめらかな空に一つ 春らしい 月
 
486 くさのみどりがせんめいだ しゃめんにひがすべっている あさだ
草の緑が鮮明だ 斜面に陽がすべつてゐる 朝だ
 
487 ゆめのような あめのぎんまくを つっきっていったつばめ つばめ
夢のような 雨の銀幕を つつきつていつた燕 燕
 
488 はるのいしきを どっかで よびさますらしい うぐいすのこえ
春の意識を どつかで 呼びさますらしい 鶯の声
 
 

                    (昭和七年二月十日) 

 
     
    釣  
489 うきが いけいっぱいにひろがって とりのこえが うつつになりかけた
浮子が 池イツパイにひろがつて 鳥の声が うつつになりかけた
 
490 とつじょ うきがつくるわ わ こどうがめにほとばしる
突如 浮子がつくる輪 輪 鼓動が眼にほとばしる
 
491 おきをまっぷたつにいとがきっている きてきがなみにきえてゆく
沖をまつ二つに糸がきつてゐる 汽笛が波に消えてゆく
 
492 やがてあめになろうそら しかし つりざおに おれはくくられている
やがて雨にならう空 しかし 釣竿に 俺はくくられてゐる
 
 

                    (昭和七年二月十日) 

 
     
    星  
493 ほしがみんなこきゅうしている いしきてきに
星がみんな呼吸してゐる 意識的に
 
494 しずむひを もやがおおうように ひろがってしまった でんえん
沈む日を 靄がおおうように ひろがつてしまつた 田園
 
 

                    (昭和七年二月十日) 

 
     
    春 の 宵  
495 そのおりを なれとかたりしはつきおぼろ はなちりかかるよいなりしなり
そのをりを 汝と語りしは月おぼろ 花散りかかる宵なりしなり
 
 

                   (昭和七年二月十六日) 

 
     
      
496 おおとねに なむほゆらぎのみえぬまで かわのながれのゆるくもあるかな
大利根に 並む帆ゆらぎの見えぬまで 川の流れのゆるくもあるかな
 
497 かれえだに はるのひかりのほのみえて なにかたのしきここちこそすれ
枯枝に 春の光のほの見えて 何かたのしき心地こそすれ
 
498 ゆうあかね かすみににじみにじみにつ むらむらつつまうむらさきのいろ
夕茜 霞に滲み滲みにつ 村むらつつまふむらさきの色
 
499 ちらほらと ちるはなびらにかぜもなく うすぐもひくうもやいもやえる
ちらほらと 散る花びらに風もなく うす雲低うもやいもやえる
 
500 なのはなの きはつちのもをかくしける かすみははたをうわばいにつつ
菜の花の 黄は土の面をかくしける 霞は畠を上ばいにつつ
 
501 ももぞのを つつむかすみにひまありや うすくれないのひとところはも
桃園を つつむ霞にひまありや うす紅のひとところはも
 
502 たももりも でんかかすみぬはるはいま のこるくまなくしめにけらしも
田も森も 田家もかすみぬ春は今 のこるくまなく占めにけらしも
 
503 はるがすみ そらこくわたりあげひばり つとめをかすめはろかにきえぬ
春霞 空濃くわたり揚雲雀 つと眼をかすめはろかにきえぬ
 
504 はなまだき やまにかすみのたちそめて はるのけはいはいまだひそけし
花まだき 山に霞のたち初めて 春のけはいはいまだひそけし
 
 

                  (昭和七年二月二十五日) 

 
     
    自分の今  
505 まいにちをくりかえすけんたい ほりかえしほりかえし ともかくもきた
毎日をくりかえす倦怠 ほりかえしほりかえし ともかくも来た
 
506 りそうがあたまのへんで とおくなったり ちかくなったり ふわふわしている
理想が頭の辺で 遠くなつたり 近くなつたり ふわふわしてゐる
 
507 なまりのようなもの こころのどこかで おもたくこびりついていやがる
鉛のようなもの 心のどこかで 重たくこびりついてゐやがる
 
508 きぼうが ちからいっぱい なんとどんじゅうなおれを ひっぱることよ
希望が 力一パイ 何と鈍重な俺を ひつぱる事よ
 
509 どうすればいいかをしりすぎて なさないおれというもの
どうすればいいかを知り過ぎて 為さない俺というもの
 
510 こころのくうきょを いったりきたりしている かれらとかれら
心の空虚を 往つたり来たりしてゐる 彼等と彼等
 
511 あしゅらになって おもいきりあばれてみようか それもつまらない
阿修羅になつて 思ひ切りあばれてみようか それもつまらない
 
 

                    (昭和七年三月一日) 

 
     
    熱  海  
512 いくとせを すぎにけんかもいまをゆく あたみのまちはおぼろなつかし
いくとせを 過ぎにけんかも今を行く 熱海の町はおぼろなつかし
 
513 みやげもの うるみせおおしゆのまちの みちにながらうほかげしたしも
みやげもの 売る店多し湯の町の 路に流らう灯光したしも
 
514 くだちける よるのゆぶねにわれひたり うつろにみいるでんとうのひかり
くだちける 夜の湯槽に吾ひたり うつろに見いる電灯のひかり
 
515 もだんいろ こきよくしつよきのかおり すがしきむかしのいでゆをおもう
モダン色 濃き浴室よ木の香り すがしきむかしの温泉をおもふ
 
516 もっこくの あおばゆさぶるうぐいすの にさんばみゆもまだなかぬなり
木斛の 青葉ゆさぶる鶯の 二三羽みゆもまだ鳴かぬなり
 
517 ゆけむりは とおはげやまのまえにながれ うみのよどめるいろにとけにつ
湯けむりは 遠禿山の前にながれ 海のよどめる色にとけにつ
 
518 まどろまん みみにひそけししずもれる いでゆのよるをしゃみのねのする
まどろまむ 耳にひそけし静もれる 温泉の夜を三味の音のする
 
 

                    (昭和七年三月十日) 

 
     
    さまよう  
519 ひのつきし ゆうぐれまちのさまよいに わがすくいおのめにのこりけり
灯のつきし 夕暮街のさまよいに わが好く魚の眼にのこりけり
 
520 ゆうやみは わかきおみなのすがたよき わがすこしおいはずかしくなりぬ
夕闇は 若き女の姿よき わが少し追いはづかしくなりぬ
 
521 くろぐろと えきよりひとのはかれては ゆうべのやみにみなきえにける
黒ぐろと 駅より人のはかれては 夕べの闇にみな消えにける
 
522 こうがいの みちはるにしてきやいえの したしまれについくまがりしぬ
郊外の 径春にして樹や家の したしまれについくまがりしぬ
 
523 あたらしき ようしきのへいのよきいえに おもはじらいつそとのぞきけり
新しき 様式の塀のよき家に おもはじらいつそと覗きけり
 
 

                    (昭和七年三月十日) 

 
     
    鐘 の 音  
524 うねうねと よせくるおとはなみとなり わがみみすぐもかねのひびかい
うねうねと よせくる音は波となり わが耳過ぐも鐘のひびかい
 
525 むらさきに おおかたかげるとうのした なりつくかねのおとのゆらめき
むらさきに 大方かげる塔の下 鳴りつく〔ぐ〕鐘の音のゆらめき
 
526 かねのねは あさけにうねりうねりにつ いずこのはてかきゆるさかいは
鐘の音は 朝気にうねりうねりにつ いづこの果か消ゆるさかいは
 
527 なるかねに いまはむかしのおおえどを とうえいざんにしのびけるかも
鳴る鐘に 今はむかしの大江戸を 東叡山にしのびけるかも
 
 

                    (昭和七年三月十日) 

 
     
    苔  
528 ふかぶかと くつにしたしもあつごけの はやしのしたのふるきにおいはも
ふかぶかと 靴にしたしも厚苔の 林の下の古きにほいはも
 
529 このまとおる ひのあかるくてこけぐさに こまかくみゆるはならしきもの
樹の間透る 陽の明るくて苔草に 細かくみゆる花らしきもの
 
530 まろらかな みぎわのいしによくつきし ビロードごけのみずにあおしも
まろらかな 汀の石によくつきし 天鵞絨苔の水に青しも
 
 

                    (昭和七年三月十日) 

 
     
    春はゆく  
531 ぽかぽかと かぜあたたかくしめりあり はなぐもりけるはなのしたゆく
ぽかぽかと 風あたたかくしめりあり 花曇りける花の下ゆく
 
532 ちょうじのえ ぽっきりおればあまきかの たちまちしみてまなこしばたく
丁字の枝 ぽつきり折れば甘き香の たちまちしみて眼しばたく
 
533 くさのほの ややにのびけるおかのうえ そよろふきくるかぜなぶろうも
草の穂の ややにのびける丘の上 そよろ吹きくる風なぶろふも
 
534 たにはたに もやいこめけるはるのいろ とおしておがわのうすらひかれる
田に畑に もやいこめける春の色 透して小川のうすら光れる
 
535 あめはれて つよびにしいのなみきより うらうらそらにみずけむりたてる
雨はれて 強陽に椎の並木より うらうら空に水けむりたてる
 
 

                   (昭和七年三月十六日) 

 
     
    春  野  
536 くたぶれて くさにいこえばかげろうに つつまるるはるのひととなりける
くたぶれて 草に憩えば陽炎に つつまる春の人となりける
 
 

                   (昭和七年三月十六日) 

 
     
    桜  
537 みとうせぬ までにしろじろさきみてる さくらのうえのそらのまあおき
見とうせぬ までに白じろ咲きみてる 桜の上の空のま青き
 
538 うすびさす あしたのはなのいろさえて ひがんざくらをふくかぜもなく
うす陽さす 朝の花の色さえて 彼岸桜をふく風もなく
 
539 すみだがわ ゆるきながれにしろじろと さくらなみきのかげいずちまでや
隅田川 ゆるき流れに白じろと 桜並木のかげいづちまでや
 
540 あおぞらを かがやかしげにはなむるる さくらひともとさかのまうえに
青空を かがやかしげに花むるる 桜一本坂の真上に
 
541 むぎのいろ あおくひろごるはたのすえ かすみにあらでさくらさくなり
麦の色 青くひろごる畠の末 霞にあらで桜咲くなり
 
542 はなさかる さすがにもがなみよしのの やまをながめてただうつろなり
花さかる 流石にもがな三吉野の 山をながめてただうつろなり
 
543 ほりばたの さくらのさきてでんしゃより ひそかにはるをあじわいにける
濠端の 桜の咲きて電車より ひそかに春を味はいにける
 
544 めにいらぬ かすみとなりぬさきみつる さくらのやまとなりきりてより
眼に入らぬ 霞となりぬ咲きみつる 桜の山となりきりてより
 
545 まちばたの わかぎのさくらさきいでて ゆききのわれのほをゆるませぬ
街端の 若木の桜咲きいでて ゆききの吾の歩をゆるませぬ
 
546 どてうえの さくらはかぜにまいくるい つちあるところはなびらのうず
土堤上の 桜は風に舞いくるい 土あるところ花びらのうづ
 
547 もやこめて はなちりやみぬゆうづきの ほのかにもるるえだのさしかい
靄こめて 花ちりやみぬ夕月の ほのかにもるる枝のさしかい
 
548 つきぞらは おぼろににおえりこのよいを はなのこころにわれもそはばや
月空は 朧ろに匂えり此宵を 花の心に吾もそはばや
 
549 まばらさく さくらのはなのまさおなる そらにうかめるわかぎはさみし
まばら咲く 桜の花の真青なる 空に浮かめる若木はさみし
 
 

                   (昭和七年三月十六日) 

 
     
  冠 歌  
     桜 ち り  
550 さくらちりぬ そらなめらかにあおあおと いまもえずりしわかばのすがしも
桜散りぬ 空なめらかに青あおと 今萌えづりし若葉のすがしも
 
551 さくらちりて みどうをめぐるおばしまの なかはしろじろはなのたまれる
桜散りて 御堂をめぐるおばしまの 中は白じろ花のたまれる
 
552 さくらちり ふじにいそぐかゆくはるよ はなほのつぼみむらさきにじまう
桜ちり 藤にいそぐかゆく春よ 花穂の蕾紫にじまう
 
553 さくらちりて うすらみどりのながながと うねるつつみはかわぞいのみち
桜ちりて うすら緑のながながと うねる堤は川ぞいの路
 
554 さくらちり きしべにたまるはなびらの かぜにふかれてひにながれゆく
桜ちり 岸べにたまる花びらの 風にふかれて日に流れゆく
 
555 さくらちりて よどめるみずにきょうまでも はるのなごりのはなびらうける
桜ちりて 淀める水に今日までも 春の名残の花びら浮ける
 
556 さくらちりぬ かすみもはれぬいまよりぞ めにしんりょくをわがおうべくも
桜ちりぬ 霞もはれぬ今よりぞ 眼に新緑をわが追うべくも
 
557 さくらちり なだたあるやまもゆくひとの なくてうつりのはやきよにこそ
桜ちり 名だたる山もゆく人の なくてうつりのはやき世にこそ
 
558 さくらちりし つつみのすそのわかくさに げんげのはなのまじりさくなり
桜散りし 堤の裾の若草に 紫雲英の花の交りさくなり
 
559 さくらちりし えだにすきけるあおぞらを しょかのひかりははやかがよえる
桜ちりし 枝に透きける青空を 初夏の光ははやかがよえる
 
560 さくらちりつ そぞろのわれのうなじべに かかるはなびらなつかしまれぬる
桜ちりつ そぞろの吾のうなじべに かかる花びらなつかしまれぬる
 
 

                  (昭和七年四月二十一日) 

 
     
    春 の 風  
561 やわかぜに わがまかせいるこうえんの べんちのまながいひやしんすさける
やわ風に わがまかせゐる公園の ベンチのまながいヒヤシンス咲ける
 
 

                   (昭和七年五月十二日)  

 
     
    二子の桃  
562 いくせんぼん ももぎのありやはなさけば ただくれないのいろにそまりぬ
いく千本 桃木のありや花さけば ただ紅の色に染まりぬ
 
563 もものはな みちさくえだをくぐりゆけば いよよふかまりはてしなげなる
桃の花 みちさく枝をくぐりゆけば いよよ深まりはてしなげなる
 
564 としふりし ももきのみきのあおごけと はなのてりあいみのさりがたき
年ふりし 桃木の幹の青苔と 花のてりあい見の去りがたき
 
565 ももぞのの つちはあおかりはなのしたは むぎふのはたのつづかいてりはう
桃園の 土は青かり花の下は 麦生の畠のつづかひてり映ふ
 
566 ふかまれる ゆうべのいろはももぞのの くれないとけてやみとなりけり
深まれる 夕べの色は桃園の くれない溶けて闇となりけり
 
 

                   (昭和七年五月十二日)

 
     
    能登近く  
567 ごとごとと ねむたくはしるきしゃのまど やまなみあおくながれさりゆく
ごとごとと 眠たく走る汽車の窓 山並青く流れ去りゆく
 
568 りょうそでは やまがきつづかいたやはたの あおきがなかをれーるひかれる
両袖は 山垣つづかひ田や畠の 青きが中をレール光れる
 
569 なだらかな やまのせのそらあかるみて うみのまうえのけはいすらしも
なだらかな 山の背の空あかるみて 海のま上のけはいすらしも
 
570 くれなえる さくらばなかなのとのくにの はるにみいずるろーかるのいろ
くれなえる 桜花かな能登の国の 春に見出づるローカルの色
 
571 こまつおおき やまところどころあまみづの たまりてそらのきよくうつれる
小松多き 山ところどころ雨水の たまりて空の清くうつれる
 
572 すぎこだち あおずみけらしやますその いえおおかたはさくらさくなり
杉木立 青づみけらし山裾の 家大方は桜さくなり
 
573 くろめける つちのなだりのはたにおう しろくれないのはなはなしらじ
黒めける 土のなだりの畠に生う 白紅の花は名知らじ
 
574 むらさきの やまなみつづかうゆうぐれを きしゃのまどごしわがみおくりつ
むらさきの 山並つづかう夕暮を 汽車の窓越しわが見送りつ
 
575 ゆうぞらを くぎりてくろきやまのえを みょうじょうひとつとびゆくらしも
夕空を くぎりて黒き山の上を 明星一つ飛びゆくらしも
 
 

                  (昭和七年五月二十五日)

 
     
    夜 汽 車  
576 みんなおしだまってうすぐらいともしびにうかんでいる つかれきっているかお かお かお
みんなおし黙つてうす暗い灯に浮んでゐる 疲れきつてる顔 顔 顔
 
577 おんながぐっすりねむっている まだわかい いってやろうか そのいぎたなさ
女がぐつすり眠つてゐる まだ若い 言つてやらうか そのいぎたなさ
 
578 こつこつさくかに わたしはふけっている ごうごうとみみなれた いっしゅのせいじゃく
コツコツ作歌に 私は耽つてゐる ゴウゴウと耳なれた 一種の静寂
 
579 さびしさが ぼんやりみてるあみだなの にもつのひとつひとつからくる
淋しさが ぼんやり見てる網棚の 荷物の一つ一つから来る
 
580 ひとしきりあかんぼうのこえが そうおんになきまじった かるいねむけがおそう
ひとしきり赤ン坊の声が 騒音に泣き交つた 軽い眠気がおそう
 
581 まどがならんでまっくろだ ときどきほたるらしい ひかりのせん
窓が並んで真つ黒だ 時々蛍らしい 光の線
 
582 よいどれがのった ひやりとした それもいつかうつつのなかに きえてしまった
酔どれが乗つた ヒヤリとした
        それもいつかうつつの中に 消えてしまつた
 
583 かばん ばすけっと ふろしき ぼんやりねむいめにはいってくる
カバン バスケット 風呂敷 ボンヤリ眠い眼に入つてくる
 
584 わたしのふかすしえんが ひとびとのずじょうをながれては でんこうにとけてゆく
私のふかす紫煙が 人々の頭上を流れては 電光に溶けてゆく
 
 

                  (昭和七年五月二十五日)

 
     
    初  秋  
585 こかげふめば つちのしめりのややにあり ひなたのあつさここにわすれぬ
樹かげふめば 土のしめりのややにあり 日向の暑さここに忘れぬ
 
 

                    (昭和七年十月十日)

 
     
    秋  草  
586 あきはぎの こむらのまえにたたずめば のかぜひややにわれをふきすぐ
秋萩の 小むらの前にたたづめば 野風ひややに吾をふきすぐ
 
587 ききょうのはな いとつつまじ〔し〕くはんどこに においてよきもわがちさきへや
桔梗の花 いとつつまじく半床に 匂いてよきもわが小さき部屋
 
588 とうげゆく まごのかたまでほすすきの しげむがみえぬやまのふもとに
峠ゆく 馬子の肩まで穂薄の 茂むがみえぬ山のふもとに
 
589 ひろびろと すすきおばなのさくのべを ゆうぐれたどればたださみしけれ
ひろびろと 芒尾花の咲く野べを 夕ぐれたどればたださみしけれ
 
590 えんばたに さにわのこはぎみのあれば ひとつふたつのはなこぼれける
縁端に さ庭の小萩見のあれば 一つ二つの花こぼれける
 
591 ふじばかま ちぐさのなかにみいでけり うらむらさきのこばなめぐしむ
藤袴 千草の中にみいでけり うら紫の小花めぐしむ
 
592 かぜふけば くずのひろはのひるがえり おりおりみゆるむらさきのはな
風ふけば 葛の広葉の飜えり をりをりみゆるむらさきの花
 
593 ひのてれる ひろはのひとしおかがやける だりやのはなにこちょうとまれる
陽の照れる 広庭に一入かがやける ダリヤの花に小蝶とまれる
 
594 おくやまの あきふかみけりさきみつる はぎみのひとのなきをおしみぬ
奥山の 秋ふかみけり咲きみつる 萩見の人のなきを惜しみぬ
 
595 だーりやの はなのいろいろあきのひに もえたつをみぬわがひまひまを
ダーリヤの 花のいろいろ秋の陽に もえたつを見ぬわが暇ひまを
 
 

                   (昭和七年十月十二日)

 
     
    自動車は走る  
596 はしる はしる とうかのせんが いくつも いくつもあとへ あとへにげてゆく
走る 走る 灯火の線が いくつも いくつも後へ 後へ逃げてゆく
 
597 まちがぐらぐらおれにぶつかる おそろしくおおきくなっては
街がぐらぐら俺にぶつかる おそろしく大きくなつては
 
 

                  (昭和七年十月二十五日)

 
     
    新  宿  
598 ぎんざをおさえつけたいといういとが おどっている しんじゅくのよる
銀座をおさえつけたいという意図が 踊つてゐる 新宿の夜
 
599 ひかりのこうさくにぐらぐらする おのずからしやをせばめてゆく
光の交錯にぐらぐらする おのずから視野をせばめてゆく
 
600 ここばかりにあつまるふしぎなはんえいに まなこをみはるんだ いちどは
ここばかりに集る不思議な繁栄に 眼をみはるんだ 一度は
 
601 いなかものも いまはあめりかがえりで まだわかものだぞ しんじゅく
田舎者も 今はアメリカ帰りで まだ若者だぞ 新宿
 
602 ぐろなちかとんねるを ぞろぞろにんげんがあるくおと おと しんじゅく
グロな地下トンネルを ぞろぞろ人間が歩く音 音 新宿
 
 

                  (昭和七年十一月二十日)

 
     

 

     
    炭  火  
603 せとひばちのしたしいしょっかん ひしひしとなる すみびのおと
瀬戸火鉢のしたしい触感 ヒシヒシと鳴る 炭火の音
 
604 ぼつりぼつりときゃくとかたっている ときどきはさんでみる すみび
ぼつりぼつりと客と語つてゐる ときどきはさんでみる 炭火
 
605 ひのかけらを おそろしくおしいもののように おれはいま すみをついでいる
〔火〕のかけらを おそろしく惜しいもののように 俺は今 炭をついでゐる
 
606 おおよくととのっているへやだ ひやっとふれる したんのかくひばち
おほよく整つてゐる部屋だ ひやつと触れる 紫檀の角火鉢
 
607 みんなはなしにこうふんしている おおひばちのひはまっかだ
みんな話に興奮してゐる 大火鉢の火は真赤だ
 
608 すわったざぶとんはばかにふくれている しきしまに まずひをつける
すわつた座蒲団は馬鹿にふくれてゐる 敷島に 先づ火を点ける
 
609 しろばいから かおをだしているすみび ぼんやりみながら ひとをまっているおれ
白灰から 顔を出してゐる炭火 ぼんやり見ながら 人を待つてゐる俺
 
 

                  (昭和七年十一月二十日)

 
     
    秋 晴 れ  
610 うららかに ひざすあさなりあきのそら すけるはりどはみなきらめける
うららかに 陽ざす朝なり秋の空 すける玻璃戸はみなきらめける
 
611 すすきしろく あかつちやまをなかばうずめ あきぞらのまえによくととのえる
芒白く 赭土山を半ばうづめ 秋空の前によく調〔整〕える
 
612 そらうつす いけのすがしもすいすいと とんぼはみずにふれてはすぐる
空うつす 池のすがしもすゐすゐと 蜻蛉は水にふれてはすぐる
 
613 こすもすの はなのみだれにあきのひは さんさんとしてここにあかるき
コスモスの 花のみだれに秋の陽は さんさんとしてここに明るき
 
614 びるでぃんぐの たかきおくじょうはたはたと はたひらめきてそらすみきれる
ビルディングの 高き屋上はたはたと 旗ひらめきて空すみきれる
 
615 たもはたも あきのいろはもかきあかき のうかいっけんまじかにありぬ
田も畑も 秋の色はも柿赤き 農家一軒まぢかにありぬ
 
 

                 (昭和七年十一月二十五日)

 
     
    蜻  蛉  
616 こどもらの あきのひあびてうごなえる しきござのすみとんぼとまれる
子供等の 秋の陽浴びてうごなえる 敷蓙のすみ蜻蛉とまれる
 
617 みだれさく しおんのはなにせいれいの ふたつみっつはいつもとまれる
みだれ咲く 紫苑の花に蜻蛉の 二つ三つはいつもとまれる
 
618 さわやかな あきのごごなりのをゆけば ほにおどろきてとんぼにげまう
さわやかな 秋の午後なり野をゆけば 歩におどろきて蜻蛉にげまふ
 
619 ふねつなぐ みずさお〔みさお〕のさきにせいれいの とまるがみずにきははにうつれる
舟つなぐ 水棹の尖に蜻蛉の とまるが水にきははにうつれる
 
620 ゆうぞらを あおげばなつのかばしらの ごとせいれいのむらがりとびかう
夕空を 仰げば夏の蚊柱の ごと蜻蛉のむらがりとびかふ
 
621 あきたけぬ ぺんはしらするかみのえに おちてきにけりおおきかとんぼ
秋たけぬ ペンはしらする紙の上に 落ちてきにけり大き蚊とんぼ
 
622 いきこらし とんぼとらんとしのびよれば ぎろりめだまのひにひかりけり
呼吸こらし 蜻蛉とらんと忍びよれば ぎろり眼玉の陽に光りけり
 
623 せいれいの そらにむらがるゆうべなり ゆうばえぐもをにわにあおぐも
蜻蛉の 空にむらがる夕べなり 夕映雲を庭にあふぐも
 
624 せいれいを とらんとすればすいとゆく とらんとすればまたすいとにげぬ
蜻蛉を とらんとすればすゐとゆく とらんとすれば又すゐと逃げぬ
 
 

                   (昭和七年十二月五日)

 
     
    寒  月  
625 はしのえの よじもさらさらおとすなり かんげつそらにつめたくひかる
橋の上の 夜霜さらさら音すなり 寒月空につめたく光る
 
626 よみせする ひとのさむさをおもいつつ まちをぬければつきよとなりけり
夜見世する 人の寒さをおもいつつ 町をぬければ月夜となりけり
 
627 とまぶねの すきまにあかくひのみえて あおあおしもよつきのよのかわ
苫舟の すきまに赤く灯のみえて 青あおしもよ月の夜の川
 
628 ふゆがれや ぞうきばやしにしもこおり さしかわすえのつきにあかるき
冬枯や 雑木林に霜こほり さし交はす枝の月にあかるき
 
629 ふゆがれの はやしのよるはしずかなり かんげつあおげばえりにあわだつ
冬枯の 林の夜は静かなり 寒月あふげば襟に粟だつ
 
630 よはふけぬ つきしろきみちことさらに わがげたのおとみみだちにける
夜はふけぬ 月白き路ことさらに わが下駄の音耳立ちにける
 
 

                   (昭和七年十二月十日)

 
     
    冬  庭  
631 ふたつみつ もみじのちりばまつのはに かかるがみゆるしもしろきあさ
二つ三つ もみぢのちり葉松の葉に かかるが見ゆる霜白き朝
 
632 きるはなの ありやとにわにたたずめば えりもとさむくふゆかぜすぐる
切る花の ありやと庭に佇めば 襟元寒く冬風すぐる
 
633 ふゆぞらの あかるきひなりへいそとに さくらのかれえこまやかにはれる
冬空の 明るき日なり塀外に 桜の枯枝こまやかに張れる
 
634 なんてんの あかきつぶらみめだつなり ふゆにわのいまみなすがれける
南天の 赤きつぶら実目立つなり 冬庭の今みなすがれける
 
635 ちりだまる おちばのなかにみいでける あかきもみじのひとはふたはを
ちりだまる 落葉の中に見出でける 赤き紅葉の一葉二葉を
 
636 ひをつけし おちばのぱっともえにける こらおどろきてにげさりにける
火を点けし 落葉のパツと燃えにける 子ら驚きて逃げ去りにける
 
637 すがれたる にわきのなかにただひとつ あおきひろばのやつでえだはれる
すがれたる 庭木の中にただ一つ 青き広葉の八ツ手枝はれる
 
 

                   (昭和七年十二月十日)

 
     
    このごろ  
638 へいぼんなせいかつをやぶろうとするいとを おれはぶんなぐる
平凡な生活をやぶらうとする意図を 俺はぶんなぐる
 
639 くるしいときをへてふりかえる それははやいほどたのしいおもいでだ
苦しい時を経てふりかえる それは早い程楽しい思出だ
 
640 かれを ときふして しまってからの さびしさ
彼を 説伏して しまつてからの 寂しさ
 
641 みたされないこころをかかえているらしいかれを しゅくふくしたい おれ
満されない心をかかえてゐるらしい彼を 祝福したい 俺
 
642 つっぱなしちゃえとおもう むしんてきいんてり
つつぱなしちやへと思ふ 無神的インテリ
 
643 ろぼっとのびょうきは きかいでなおろう にんげんは もっとれいみょうなんだ
ロボットの病気は 機械で治らう 人間は もつと霊妙なんだ
 
     
    銀座の夜  
644 あお あか むらさき ひかり ひかり ひかり めまぐるしい せんのこうさく
青 赤 紫 光 光 光 めまぐるしい 線の交錯
 
645 きちょういみんのようなせいねんが いとほこらしげだ
帰朝移民のような青年が いとほこらしげだ
 
646 わかいおんなのじんいびが ぎんざのひにおどっている
若い女の人為美が 銀座の灯に踊つている
 
647 へりおとろーぷのかすかなかおり だんさーらしいにさんにんがゆく
ヘリヲトロープのかすかな香り ダンサーらしい二三人がゆく
 
648 あおいやなぎが いらいらしたせんちめんたるを ちょうせつしている
青い柳が 焦々したセンチメンタルを 調節してゐる
 
649 ひとおとのじゃずがうめつくしている ぎんざのくうかんをきる
灯と音のジャズが埋めつくしている 銀座の空間を截る
 
650 からっかぜが よるのぎんざをよけて ひびやがはらのこうそうけんちくへぶつかるんだ
空風が 夜の銀座をよけて 日比谷ケ原の高層建築へぶつかるんだ
 
651 きらびやかなかふぇーのがいしょくからうける いっしゅのひあい
きらびやかなカフェーの外飾から受ける 一種の悲哀
 
 

                   (昭和七年十二月十日)

 
     
    冬 木 立  
652 ふゆぞらの あぜのかれきもそのままに うつるみずたのごごしずかなり
冬空も 畔の枯木もそのままに 映る水田の午後静かなり
 
653 ふゆがれの はやしめざしてつどうからす すわるるごとくゆうぞらにきえぬ
冬枯の 林めざして集う烏 吸はるる如く夕空に消えぬ
 
654 はおちして くぬぎばやしはさむげなり あかるくすけるふゆのあおぞら
葉落して 櫟林は寒げなり 明るくすける冬の青空
 
655 ふゆこだち しもこきあさのしたかげを ゆけばかすみのはらはらとふる
冬木立 霜こき朝の下かげを ゆけば霞のはらはらと降る
 
656 はだかぎの ちらほらみゆるみちしゆく にばしゃにひびかううそさむきおと
裸木の ちらほらみゆる道しゆく 荷馬車にひびかふうそ寒き音
 
657 いつしかに こがらしやみぬはだかぎの なみきのみちはつきにしろめく
いつしかに 凩やみぬ裸木の 並木の道は月に白めく
 
658 ゆきつもる こだちにすけるにさんばの からすくろかりうるしのごとくに
雪つもる 木立にすける二三羽の 烏黒かり漆の如くに
 
659 ふゆのあさ いでゆにつかりうっとりと かれこだちするやまをみており
冬の朝 湯泉につかりうつとりと 枯木立する山をみてをり
 
 

                   (昭和七年十二月十日)

 
     
      ○  
660 ただならぬ よのうずまきのそとにいて うたなどよまんゆとりほしきも
ただならぬ世のうづまきの外に居て 歌など詠まむゆとり欲しきも
 
 

                  (昭和七年十二月二十日)

 
     
    霜  
661 すいせんの めのすんばかりにさんぼん しろしものなかにみいでしこのあさ
水仙の 芽の寸ばかり二三本 白霜の中にみいでし此朝
 
 

                 (昭和七年十二月二十五日)

 
     
    暮  
662 としせまり ことしとれどもこころもえず あたらしきとしまつこととせり
年せまり 事しとれども心もえず 新しき年待つこととせり
 
663 にぎやかな しわすのまちをぬけきりて でんしゃまつまのさむさにふるう
賑やかな 師走の町をぬけきりて 電車待つ間の寒さにふるう
 
664 そそくさと ひとはゆくなりおおかたの いえいえすがしくまつかざりすめる
そそくさと 人はゆくなり大方の 家いえ清しく松飾すめる
 
665 ときめきて しょうがつまちしこのころの こころのこるかおいけるいまはも
ときめきて 正月待ちし子の頃の 心のこるか老ひける今はも
 
666 ひやはたに かざれるまちをうかうかと ひとなみわけてつまとありけり
灯や旗に かざれる街をうかうかと 人波わけて妻とありけり
 
667 ちょうぜんと ひとのせわしきしわすとう さかいはなれていまをあるわれ
超然と 人のせわしき師走とう 境はなれて今をある吾
 
 

                  (昭和七年十二月三十日)

 
     
    勅題 朝 の 海  
668 こうせいの わかきひかりをわだのはら てらすはつひをけさもみしかな
更生の 若き光を和田の原 照らす初日を今朝も見しかな
 
669 ほがらかに うみはあけたりひをうけて うみぞいのやまみなくれなえる
ほがらかに 海は明けたり陽をうけて 海ぞいの山みなくれなえる
 
670 とのごとき あしたのうみにほをたてて すべるふねありくましろくひき
砥の如き 朝の海に帆を立てて すべる舟あり隈白くひき
 
671 ゆらゆらと わがふねわくるうみのおもの あさのしじまにろのきしるおと
ゆらゆらと わが舟分くる海の面の 朝のしじまに艫のきしる音
 
672 しずかなる あしたのうみよなみのほの たまたましろくたちてはきゆるも
静かなる 朝の海よ波の秀の たまたま白くたちては消ゆるも
 
673 おきしろく あけはなれたりさざなみの みほのうらべにまつばらかすめる
沖白く 明け放れたり小波の 三保の浦辺に松原かすめる
 
 

                    (昭和八年一月一日)

 
     
  新東京を詠む  
    大 森  
674 いしのだん つくればろうもんどううなど こしょくさびしくめぢにひらくる
石の段つくれば楼門堂宇など 古色さびしく眼路にひらくる(本門寺)
 
675 おかつづく きょくせんいけにまうつりて ボートゆくあとしろきおをひく
丘つづく 曲線池にまうつりて 短艇ゆくあと白き尾を引く(洗足池)
 
676 ばいりんの なごりのあとはあらなくも かんがのいえのたちなむるよさ
梅林の 名残のあとはあらなくも 閑雅の家の立並むるよさ(八景園)
 
677 おちこちに もりくろぐろしふゆのひに あかがわらのやねみつよつひかるも
をちこちに 森くろぐろし冬の陽に 赤瓦の屋根三つ四つ光るも(馬込)
 
     
    品 川  
678 うみぞいの きゅうかいどうはひとどおり まばらなりけるいえなみふりにし
海ぞいの 旧街道は人通り まばらなりける家並古にし(鮫 洲)
 
679 くびおれし いしぼとけあわれとおきおか あかまつばやしのゆうぞらいろどる
首折れし 石仏あわれ遠き丘 赤松林の夕空いろどる(大 仏)
 
680 うみかぜは ほほにつめたくはしにかかる ひといそぐなりきてきのなかを
海風は 頬に冷く橋にかかる 人いそぐなり汽笛の中を(八ツ山橋)
 
681 まちまちの うしろはうみかふゆかもめ なくこえみだれあさけにふるう
町々の 後は海か冬鴎 鳴く声みだれ朝気にふるう(品川町)
 
682 ゆいしょある みやしろらしもみはしらの かみなをおろがみさいしくだりぬ
由緒ある 神社らしも三柱の 神名を拝み賽し下りぬ(品川神社)
 
     
    豊 島  
683 こだちふかき みちをくねればまながいに わせだたんぼはいえたちにける
木立ふかき 径をくねればまながいに 早稲田田圃は家建ちにける(高田町)
 
684 ふゆがれの おおきはつきかしめはれる みどうきしものおわしますかや
冬枯れの 大樹は槻か注縄はれる 御堂鬼子母のおはしますかや(雑司ケ谷)
 
685 のろのろと うしあまたゆくあすふぁるとの みちはふゆひのなかにつづける
のろのろと 牛あまたゆくアスフヮルトの 路は冬陽の中につづける(目白)
 
     
    目 黒  
686 ここのちに ひとはくるいしうまとびし などおもほいつけいばじょうすぐ
ここの地に 人は狂ひし馬飛びし などおもほひつ競馬場すぐ
 
687 ととのえる あきちひろらにくさかれて のわきはいまをしきりふける
整える 空地ひろらに草枯れて 野分は今をしきり吹ける(新住宅地)
 
688 しもがれや まいくるひとのすくなかり かみほとけとてもきせつあるにや
霜枯や 参来る人の少なかり 神仏とても季節あるにや(不 動)
 
689 しんちくの いえのうしろのたけやぶを はなれてすずめらそらにちりけり
新築の 家の後ろの竹薮を はなれて雀ら空にちりけり(碑文谷)
 
     
    淀 橋  
690 しんじゅくの よぞらにそそるはみつこしか ねおんさいんのあかきひもゆる
新宿の 夜空にそそるは三越か ネオンサインの赤き灯もゆる
 
691 ひとやおとに おされおされつげきりゅうの つくるところはしんじゅくのえき
人や音に 押され推されつ激流の 尽くるところは新宿の駅
 
     
    滝野川  
692 みずあかく もみじかかぶるたきのがわ むかしながらのあきのめいしょや
水あかく 紅葉かかぶる滝野川 昔ながらの秋の名所や(紅 葉)
 
693 ふるきいえ おおきのみきにもえどころの なごりかすかにのこるべらなる
古き家 大樹の幹にも江戸ころの 名残かすかに残るべらなる
 
694 はなふぶき やまにくるいてひとみだる やよいのころをめにうかべける
花吹雪 山に狂ひて人みだる 弥生の頃を眼にうかべける(飛鳥山)
 
695 てらのもん むかしながらにゆかしけれ されどでんしゃのおとのひびきく
寺の門 昔ながらに床しけれ されど電車の音のひびき来(田 端)
 
696 しょうぐんの たたえしたばたのよきけいも いえうずもりてつくばのみみゆ
将軍の 称えし田端のよき景も 家うづもりて筑波のみ見ゆ(道灌山)
 
     
    杉 並  
697 たかくひくく はたけつづかいぞうきばやしの そらあかるしもふゆかぜすぐる
高く低く 畑つづかい雑木林の 空明るしも冬風すぐる(和田堀)
 
698 きらびやかな ほんどうながるるどくきょうの こえききいればほかげゆらめく
きらびやかな 本堂流るる読経の 声ききゐれば灯光ゆらめく(堀之内祖師堂)
 
699 ひろきはら かれくさふしてべんてんの いぶせきどううみずにうつれる
ひろき原 枯草伏して弁天の いぶせき堂宇水にうつれる(馬 橋)
 
     
    城 東  
700 すなむらは ねぎばたすがれなのはたは あおあおしもよまだかたいなかなる
砂村は 葱畑すがれ菜の畑は 青あおしもよまだ片田舎なる
 
701 みなれける たいこばしもよろしばいりんは えだこまやかにふゆぞらつづれる
見なれける 太鼓橋もよろし梅林は 枝こまやかに冬空つづれる(亀井戸)
 
702 もりやはたけ おがわおしなべてゆうもやに つつまれあきのゆうかぜさむし
森や畑 小川おしなべて夕靄に つつまれ秋の夕風さむし(葛西橋)
 
703 ほうすいろの みずあおあおしくびすくめ ふゆのゆうぐれはしいそぎゆく
放水路の 水青あおし首すくめ 冬の夕ぐれ橋いそぎゆく(荒 川)
 
704 つりぶねの いくつかあしのまにみえて しずかにしずむあきのうすらび
釣舟の いくつか葦の間に見えて 静かに沈む秋のうすら日(中 川)
 
     
    足 立  
705 かねぼうの えんとつそそりすみだがわ みぎわのよしはみだれけるかな
鐘紡の 煙突そそり隅田川 汀の葭はみだれけるかな(鐘ケ淵)
 
706 とらっくや でんしゃゆきかうこのみちは おうしゅうがいどうとまちびといいけり
トラックや 電車往き交ふこの道は 奥州街道と町人言ひけり(千 住)
 
707 たいしどう ふりにけるかもかれこだちは がらんのうしろのそらにつらなる
大師堂 古りにけるかも枯木立は 伽藍の後の空につらなる(西新井)
 
708 こがらしは ふゆがれさくらになりなりて つくばのやまはほのかなりけり
凩は 冬枯桜に鳴りなりて 筑波の山はほのかなりけり(荒川堤)
 
 

                    (昭和八年一月十日)

 
     
    江戸川  
709 たをへだつ つつみのかれてほのかしら かすかにうごくはしおいりがわかも
田をへだつ 堤の枯れて帆の頭 かすかに動くは汐入川かも
 
710 こまつがわ あたりのそらはこうじょうの ぱいえんくろくそらをけがせる
小松川 あたりの空は工場の 煤煙黒く空をけがせる
 
711 しらさぎの ふゆたにおりるやとびさりぬ ゆうもやはろかのもりをもやえる
白鷺の 冬田に下るやとび去りぬ 夕靄はろかの森をもやえる
 
     
    荏 原(えばら)  
712 さびしげに ごきのぼさつがましませるも ひとふりむかずふゆびながらう
さびしげに 五基の菩薩が坐ませるも 人ふり向かず冬陽流らう
 
713 ここにいて うみみゆるなりゆうなぎに すなどりおぶねのあまたうけるも
ここに居て 海みゆるなり夕凪に 漁り小舟のあまた浮けるも
 
     
    葛 飾  
714 みずあおく かわますぐなりてっきょうを でんしゃはしりてあとしずかなり
水青く 川真直なり鉄橋を 電車走りてあと静かなり
 
715 はくさいを つみたるとらっくすぎゆきぬ ばくおんながくかわにのこして
白菜を つみたるトラックすぎゆきぬ 爆音長く川にのこして
 
716 いとひろき たんぼさみしもいえいえの ひまよりみゆるふゆのつくばね
いとひろき 田圃さみしも家家の 間よりみゆる冬の筑波嶺
 
     
    王 子  
717 かわぐちの どてしたいちのこさつあり ぜんこうじのもじあざやかならず
川口の 土手下一の古刹あり 善光寺の文字あざやかならず
 
718 くさもゆる つつみすべりてはるのひは すいもんのとにとどきけぶろう
草萌ゆる 堤すべりて春の陽は 水門の扉にとどきけぶろう
 
719 かれくさの みぎわのこしてはしげたの かくるるがまでしおふくれいる
枯草の 汀のこして橋桁の かくるるがまで潮ふくれゐる
 
     
    渋 谷  
720 はぜもみじ まさごのうえにくれないて よよぎのみやのにわしずかなる
櫨紅葉 真砂の上にくれないて 代々木の宮の庭静かなる
 
721 たかつきの みちはおぐらくこけむせる はちまんのみやまおくにみゆるも
高槻の 路は小暗く苔むせる 八幡の宮ま奥にみゆるも
 
 

                    (昭和八年二月十日)

 
     
    荒 川  
722 あらかわに かかるながはしからからと だいこんしろきくるまゆくなり
荒川に 架かる長橋からからと 大根白き車往くなり
 
723 そのころの こづかがはらをしのばんと すれどあまりにときのへだたる
そのころの 小塚ケ原を偲ばんと すれどあまりに時のへだたる
 
724 あかつちの なだりやさかのめだちにつ にっぽりかいわいいえむれにけり
赭土の なだりや坂のめだちにつ 日暮里界隈家むれにけり
 
     
    蒲 田  
725 あなもりの とりいあかきもはろらかな そらにはぎんよくゆうゆうすべるも
穴守の 鳥居赤きもはろらかな 空には銀翼悠ゆうすべるも
 
726 もりがさきに ゆきしころおいかえりみて いまのわれはもうつろいにける
森ケ崎に ゆきし頃ほいかえりみて 今の吾はもうつろいにける
 
727 みなれたる ろくごうがわもゆうもやの かかりてはるのけしきとなりぬ
見なれたる 六郷川も夕靄の かかりて春の景色となりぬ
 
728 たまがわの やぐちあたりをはるゆけば げんげとみずのいろなつかしき
玉川の 矢口あたりを春ゆけば 紫雲英と水の色なつかしき
 
     
    中 野  
729 もくあみの はかおとなえばまつのはに しぐれのつゆのまだきらめくも
黙阿弥の 墓訪えば松の葉に 時雨の露のまだきらめくも
 
730 なまめかう まちぬけきればやくしどう むかしのままのふりにしすがた
なまめかう 町抜けきれば薬師堂 昔のままの古りにし姿
 
     
    板 橋  
731 とおみゆる やまなみよろしもあかばねの てっきょうふたつゆうひにしるき
遠みゆる 山並よろしも赤羽の 鉄橋二つ夕陽にしるき
 
732 ものここだ みなそこにすけてうすらびの さしてしずけしさんぽうじいけ
藻のここだ 水底にすけてうすら陽の さして静けし三宝寺池
 
733 せせらぎの しゃくじんいかわにそいながら はるたずねんかとしまえんてい
せせらぎの 石神井川に添ひながら 春訪ねむか豊島園庭
 
     
    向 島  
734 すみだがわ くろきながれにありしひの さくらかりせしころのしのばゆ
隅田川 黒き流れに在りし日の 桜狩りせし頃のしのばゆ
 
735 みめぐりや もくぼじあたりかんじゃくの いえのたまたまあるがなつかし
三圍や 木母寺あたり閑寂の 家のたまたまあるがなつかし
 
736 わたしぶね ゆらりゆらりとうすがすむ さくらづつみのはるやむかしは
わたし舟 ゆらりゆらりとうすがすむ 桜堤の春やむかしは
 
 

                    (昭和八年三月十日)

 
     
    冬 の 夜  
737 ひとたえて まなこさえぎるものもなき まちにかんげつやなみえがける
人絶えて 眼さえぎるものもなき 街に寒月家並えがける
 
 

                   (昭和八年一月十五日)

 
     
    雪 の 日  
738 せつかい〔ゆきくれ〕の ばさりとおちぬおいまつの おおえだしばしうちふるえるも
雪塊の ばさりと落ちぬ老松の 大枝しばし打ふるえるも
 
739 しきりなく くるいまいつつふるゆきの そらをのきばにみつつひさなり
しきりなく 狂い舞いつつふる雪の 空を軒端に見つつ久なり
 
740 ゆきつもる やつでのひろばおもたげに かさなりあいてにわもひそけし
雪つもる 八つ手の広葉おもたげに 重なりあひて庭面ひそけし
 
741 ゆきなだれ おおきおとすもよにかけて ゆきはしきりにふりつむるらし
雪なだれ 大き音すも夜にかけて 雪はしきりに降りつむるらし
 
742 ふるゆきを ついてわがゆくもわかきめの もすそのなまめきふとすれちがう
ふる雪を ついてわがゆくも若き女の 裳のなまめきふとすれちがう
 
 

                    (昭和八年二月四日)

 
     
    浅  春  
743 せせらぎに はるのひびきありうらうらと みぎわのつちはまびをすいおり
せせらぎに 春のひびきありうらうらと 汀の土は真陽を吸いをり
 
744 ちらちらと いけにふりきゆはるのゆき あしのかれはにかかるともなく
ちらちらと 池にふりきゆ春の雪 蘆の枯葉にかかるともなく
 
745 ねこやなぎ いけてひさなりあおきめの ほそえにふくがいともめぐまし
猫柳 活けて久なり青き芽の 細枝にふくがいともめぐまし
 
746 うららかな そらさしかわすかれだに にいめみいでしけさのよろこび
うららかな 空さし交す枯枝に 新芽みいでし今朝のよろこび
 
747 ようりゅうの にいはのみどりひにはえて みぎわのかげにせりつむおみな
楊柳の 新葉の緑陽に映えて 汀のかげに芹摘む女
 
748 かれよもぎ のこれるままにみぞがわの つちのなだりにはるにじみいる
枯蓬 残れるままに溝川の 土のなだりに春にじみゐる
 
749 ややのびし むぎのはたけにひをあみて のうふのひとりそらあおぎおり
ややのびし 麦の畑に陽を浴みて 農夫の一人空仰ぎをり
 
 

                    (昭和八年二月四日)

 
     
    時局と日本  
750 ぜんせかいをやきつくすであろう ごうか いまぷすぷすもえあがろうとしている
全世界を焼き尽すであらう 劫火 今プスプス燃え上らうとしてゐる
 
751 じんむいらいの ひじょうじにぶつかるんだ おれたちは
神武以来の 非常時にブツかるんだ 俺達は
 
752 しながほえるぞ これから あかいにくをうんとくわされて
支那が吠えるぞ これから 赤い肉をうんと食はされて
 
753 なんじゅうばいのてきにとびかかろうとする にほんのひそうなめんぼう
何十倍の敵に飛びかからうとする 日本の悲壮な面貌
 
754 だいくうぐんが にほんのそらから おびやかすひがこないと たれかいいえよう
大空軍が 日本の空から 脅やかす日が来ないと 誰か言ひ得よう
 
755 しょうどとかするものの うちだのいっくが はっせんまんのむねにしみついてはなれない
「焦土と化するもの」の 内田の一句が 八千万の胸に沁み着いて離れない
 
756 じゅうすうねんもまえからこんにちをしっていた われらのたまらない かんき
十数年も前から今日を知つてゐた 吾等のたまらない 歓喜
 
757 へいわのために はるまげどんのたたかいをうむのか
平和の為に ハルマゲドンの戦を生むのか
 
758 これからいろいろのもんだいが にほんを こうふんのぜっちょうにおしあげてしもうだろう
これからいろいろの問題が 日本を 昂奮の絶頂に押上げてしもうだろう
 
 

                    (昭和八年二月五日)

 
     
    春 の 空  
759 はれかあめか まよいまよえるはるのそら ひざしをまちしかいなくくれける
晴か雨か 迷いまよえる春の空 日射しを待ちし効なく暮れける
 
760 はなだいろに はれきわまれるそらのもと だいむさしのにはるみなぎれる
縹色に 晴れきわまれる空の下 大武蔵野に春みなぎれる
 
761 くさにねて あおげばそらとわれのみの てんちなりけりもののおとなく
草に臥て あふげば空と吾のみの 天地なりけり物の音なく
 
762 かきのはの さらつのみどりひにはえて とのごとくすむそらにふるえる
柿の葉の 新つの緑陽に映えて 砥の如く澄む空にふるえる
 
763 いえいして たえがたきかもはるのそら ほどよくかすみてかぜそよろなり
家居して 堪えがたきかも春の空 ほどよく霞みて風そよろなり
 
 

                    (昭和八年二月八日)

 
     
    冬 の 街  
764 だいびるを ふきすべるかぜにむびすくめ とぶがごとくにばすにのりけり
大ビルを 吹きすべる風に首すくめ 飛ぶが如くにバスに乗りけり
 
 

                    (昭和八年二月十日)

 
     
    生  む  
765 ちきゅうのじんつうが よりはやく よりおおきくなってゆく
地球の陣痛が より速く より大きくなつてゆく
 
 

                    (昭和八年三月一日)

 
     
    子  
766 こはるびの あかるきにわにおりんわれ こはかけよりてせなにつかまる
小春日の 明るき庭に降りん吾 子はかけよりて背につかまる
 
767 おのがじし もらるるさいにききとして ゆうげするこらほほえまいみつ
おのがじし 盛らるる菜に嬉々として 夕餉する子らほほえまいみつ
 
768 たまたまの そとでにおどるこどもらは ウインドーのまえにたちてうごかず
たまたまの 外出におどる子供らは ウヰンドーの前に佇ちてうごかず
 
 

                    (昭和八年三月一日)

 
     
    わ が 性  
769 こころあわぬ ひとにふるるをことさらに いとうわがさがときおりなげかう
心合はぬ 人にふるるを殊更に いとうわが性時折なげかふ
 
770 われをいる つめたきひとみをひとのかげに さけたきよわきさがをもつなり
吾を射る つめたき眸を人のかげに 避けたき弱き性をもつなり
 
771 そうねんの とけあうおもうどちたちと あさはるのよをさざめきふかす
想念の とけ合うおもうどちたちと 浅春の夜をさざめき更かす
 
772 わがままな さがきためんとさんじゅうねん つとめつとめておもうにまかせず
わがままな 性きためんと三十年 つとめつとめておもうにまかせず
 
773 われをしる ひとのみまことのともとして まじわりにつついまをたらえる
吾を知る 人のみまことの友として 交りにつつ今を足らえる
 
774 よのひとと へだたりおおきわがさがに ひきこもごものわきもするなり
世の人と へだたり多きわが性に 悲喜交ごもの湧きもするなり
 
 

                    (昭和八年三月六日)

 
     
    インテリ  
775 いんてりのあおじろいかおが みぎをむいたり ひだりをむいたり していることよ
インテリの蒼白い顔が 右を向いたり 左を向いたり してゐる事よ
 
776 いったいまるくすのべんしょうほうは どこへいくんだ はくぶつかんか
一体マルクスの弁証法は 何処へ行くんだ 博物館か
 
777 ばーなーど しょうは ようするにいぎりすのべらんめーさ
バーナード ショウは 要するに英国のべランメーさ
 
778 ○○というばいきん こいつをさっきんするやくざいはないのか
○○といふ黴菌 コイツを殺菌する薬剤はないのか
 
779 いっさいはやりなおしでござる もうこうやくのたねはつきたから
一切はやり直しで御座る もう膏薬の種は尽きたから
 
780 あかはじめじめと しんじゅんてきに しろはなつのひのよう しゃくねつてきだ
赤はジメジメと 浸潤的に 白は夏の日のよう 灼熱的だ
 
781 うちゅういしがとっぺんしかけているぜ いんてりたちよ
宇宙意志が突変しかけてゐるぜ インテリ達よ
 
 

                    (昭和八年三月十日)

 
     
    代議政体  
782 だいぎしはへいたいのように よくとうせいされたもんだあらきたいしょうに
代議士は兵隊のように よく統制されたもんだ荒木大将に
 
783 ひびやのろぼっとせいさくにん あらきりくぐんたいしょうかっか
日比谷のロボット製作人 荒木陸軍大将閣下
 
784 せいとうせいじなんていうものは いくらさがしたってありやしない
政党政治なんていうものは いくら探したつてありやしない
 
 

                    (昭和八年三月十日)

 
     
    世  界  
785 ひっとらーのあのめと むっそりーにのあのめとどっちだ
ヒットラーのあの眼と ムッソリーニのあの眼とドッチだ
 
786 しょうかいせきが じよくとこっかいしきとを はかりにかけて かんがえている
蒋介石が 自欲と国家意識とを 秤にかけて 考えてゐる
 
 

                    (昭和八年三月十日)

 
     
    桜 の 頃  
787 ひとこうし このよいそとははるさめの しとしとふりてなまあたたかき
人恋ふし この宵外は春雨の しとしとふりてなまあたたかき
 
788 ひっそりと ひとのいぬへやにめにうつる となりのさくらいまさかりなり
ひつそりと 人の居ぬ部屋に眼にうつる 隣の桜今さかりなり
 
789 やえつばきの はなここだにもあめやみし つちのおもてにむざんにちれる
八重椿の 花ここだにも雨やみし 土のおもてに無残にちれる
 
790 ほがらかな はるのあさぞらいくすじも やなぎのえだのかかりてうごかず
ほがらかな 春の朝空いくすじも 柳の枝のかかりてうごかず
 
791 にわにさかる さくらのはなをふきあまる かぜはわがいるへやにとどまる
庭にさかる 桜の花をふきあまる 風はわがゐる部屋にとどまる
 
792 はなぐもる そらひをなめてうっとうし さくらはようやくちらんさまなり
花曇る 空日をなめてうつとうし 桜はようやく散らんさまなり
 
793 まつがえの みどりのいろにすけてみゆ はなのさかりはこよなくよろし
松ケ枝の 緑の色にすけてみゆ 花のさかりはこよなくよろし
 
794 しっとりと あさつゆふくむさくらばな たまたまちるがなまねくみゆも
しっとりと 朝露ふくむ桜花 たまたま散るがなまめく見ゆも
 
 

                    (昭和八年三月十日)

 
     
    浅春を惜しむ  
795 たんばいに ゆかんもさむしみすぐるも おしとまよいつきょうもくれける
探梅に ゆかんも寒し見すぐるも 惜しとまよいつ今日も暮れける
 
796 へいぼんな わざくりかえすわれなりき そのひそのひのたちてゆきにつ
平凡な 業くりかえす吾なりき 其日その日の経ちてゆきにつ
 
 

                   (昭和八年三月十二日)

 
     
    庭めぐむ  
797 たかむらを くろくえがけるまるまどの あかるきまひるをたのしとみるも
篁を 黒くえがける丸窓の 明るき真昼をたのしと見るも
 
798 そうしゅんの ひかりみそらにほのめくか もみじのかれえだこまやかにすける
早春の 光み空にほのめくか 紅葉の枯枝こまやかにすける
 
799 ささやかな どばしのみどりのしばくさに はるはようやくうごきそむらし
ささやかな 土橋の緑の芝草に 春はやうやくうごき初むらし
 
800 まーがれっとの にわにここだもしろきはな さきむるるひをたのしみにつつ
マーガレットの 庭にここだも白き花 咲きむるる日をたのしみにつつ
 
801 いけおきし ねずみやなぎにめのふけば いけのみぎわにそとさしにける
活けおきし 鼠柳に芽のふけば 池の汀にそと挿しにける
 
802 やまぶきの しだるるはなえおりおりに ゆるがせすぐるはるのあさかぜ
山吹の しだるる花枝をりをりに ゆるがせすぐる春の朝風
 
 

                   (昭和八年三月十八日)

 
     

 

     
    世を観る  
803 はえよりもうるさいもの とうきょうしの○○
蝿よりもうるさいもの 東京市の○○
 
804 ○○がえらいからつづくんじゃない あとがまがみあたらないからなんだ
○○が偉いからつづくんじやない 後釜が見当らないからなんだ
 
805 ふぁっしょがいんふれになって まるきしずむがでふれになっちゃった
ファッショがインフレになつて マルキシズムがデフレになつちやつた
 
 

                   (昭和八年三月十八日)

 
     
    摘  草  
806 つみくさに いもやこらつれゆきしひの ころのゆとりをふといまおもう
摘草に 妹や子らつれゆきし日の 頃のゆとりをふと今おもふ
 
 

                    (昭和八年四月十日)

 
     
     ○  
807 ひとこうる なやみをしりてむねのとを いかしくしめつわれはきにけり
人恋ふる なやみをしりて胸の扉を いかしく締めつ吾は来にけり
 
 

                    (昭和八年四月十日)

 
     
    雨 の 日  
808 さみだれは そらにけむるもがらすどを とおしてむねにしみいるごとし
五月雨は 空にけむるも硝子戸を とうして胸にしみいるごとし
 
809 びわのはの いとおもたげにゆれもなく しょうしょうとしてきょうもあめふる
枇杷の葉の いとおもたげにゆれもなく 瀟々として今日も雨ふる
 
810 つりびとに ふたりまであいぬまちはずれの みちにひとなくあめしきりなり
釣人に 二人まで遭いぬ町はづれの 路に人なく雨しきりなり
 
811 あおあおと かわはながれついかだぶね おおいわひとつをこゆるのはやき
青あおと 河は流れつ筏舟 大岩一つを越ゆるのはやき
 
812 こだちみな かげえのごとしはしこえて くるひとのありみのかさをきて
木立みな 影画のごとし橋こえて くる人のあり簑笠を着て
 
813 はざくらの つつみをゆけばあめしずく おりおりかさにあたるおとすも
葉桜の 堤をゆけば雨雫 をりをり傘にあたる音すも
 
814 さみだれに ねおんのひすじにじまいて まちのやなみはもくすがごとし
五月雨に ネオンの火條にじまいて 街の家並は黙すがごとし
 
815 まつのはに たまるしずくのはらはらと はりどにあたりぬあめやみたらし
松の葉に たまる雫のはらはらと 玻璃戸にあたりぬ雨やみたらし
 
816 さみだれは きょうもふりつつきりのはな おとなくちるがなにかさみしき
五月雨は 今日もふりつつ桐の花 音なくちるが何かさみしき
 
 

                    (昭和八年四月十日)

 
     
    青  苔  
817 ひとえだの やなぎをさしてこけつきし つちをそのままそとかむせけり
一枝の 柳をさして苔つきし 土をそのままそとかむせけり
 
818 たかむらの かげのあたりはことさらに こけのいろはもあおあおとして
篁の かげのあたりは殊更に 苔の色はも青あおとして
 
819 やまどうろうの こけふかふかとしてあめのひは いけのみずよりなおあおずめる
山灯籠の 苔ふかふかとして雨の日は 池の水よりなほ青ずめる
 
820 うらにわは ひとのあゆまずめずらしき こけいちめんにはなさえもみゆ
裏庭は 人の歩まず珍らしき 苔一面に花さえもみゆ
 
821 つくばいの みずごけひざしにあおあおと しずかにみればゆらぎさえあり
つくばいの 水苔日ざしに蒼あおと 静かにみればゆらぎさえあり
 
 

                    (昭和八年四月十日)

 
     
    朝  
822 ふかぎりを すいつつあさのみちゆけば とあるへいうえきんもくせいさく
深霧を 吸ひつつ朝の路ゆけば とある塀上金木犀咲く
 
823 ひえびえと さつきのあさはまださむき わかばのみどりにつゆきらめくも
ひえびえと 五月の朝はまだ寒き 若葉の緑に露きらめくも
 
824 とをくれば ありあけのつきそらにあり このはのゆらぎみえぬしずけさ
戸をくれば 有明の月空にあり 木の葉のゆらぎみえぬ静けさ
 
825 からからと くるまのおとしぬひっそりと まだあけやらぬそとものけはい
からからと 車の音しぬひつそりと まだ明けやらぬ外面のけはい
 
826 ほしうする そらをみあげつむねはりて すがしきあさけすうもうつろに
星うする 空を見上げつ胸はりて すがしき朝気吸ふも空ろに
 
 

                    (昭和八年四月十日)

 
     
    世  相  
827 ひややかに われはききおりまゆあげて ともはせそうをなげきてやまず
冷やかに 吾はききをり眉上げて 友は世相をなげきてやまず
 
828 だいじょうに あらずしょうじょうにまたあらぬ きょうちのありやとともはといけり
大乗に あらず小乗にまたあらぬ 境地のありやと友は問いけり
 
829 むらさめの それのごとくにむねすぎぬ われをあやまるひとのことばも
村雨の それのごとくに胸すぎぬ 吾を過る人の言葉も
 
830 そのひとに よかれとおもいすることの あだとなるこそいともなげかし
その人に 善かれとおもひする事の あだとなるこそいともなげかし
 
 

                    (昭和八年四月十日)

 
     
    蝶  
831 ちょうひとつ わがへをすぎぬひらひらと はなにかくらうまでをたちにつ
蝶一つ わが辺をすぎぬひらひらと 花にかくらうまでを立ちにつ
 
 

                   (昭和八年四月十六日)

 
     
    快 よ き  
832 かえりきて あせのにじまうわがはだぎ さとぬぎすててあおばにむかう
帰りきて 汗のにじまうわが肌着 さとぬぎすてて青葉に向ふ
 
 

                    (昭和八年五月十日)

 
     
    初  夏  
833 まるまどの そとはしいがきあおあおと しげらいてかぜわがへやをすぐ
丸窓の 外は椎垣あおあおと 茂らいて風わが部屋をすぐ
 
834 かじんらの わらいのどよみひとりいの にかいにききてあかるかりける
家人らの 笑ひのどよみ独り居の 二階にききて明るかりける
 
835 しょかのひは なごやかにながれわれはいま あおしばのうえにことたわむるる
初夏の陽は なごやかにながれ吾は今 青芝の上に児とたわむるる
 
836 もののけの おりおりおそうけはいすも よふけのへやにひとりふみよむ
物の怪の をりをりおそうけはいすも 夜ふけの部屋にひとり書読む
 
837 しみつきし こころのちりもうまいにて ぬぐわれたりしほがらかなあさ
しみつきし 心の塵も熟睡にて ぬぐわれたりしほがらかな朝
 
838 たまたまに あさおきすればにわがきの やまにれわかばのひかるがまぶしも
たまたまに 朝起きすれば庭垣の 樞若葉の光るがまぶしも
 
 

                    (昭和八年五月十日)

 
     
    浴  後  
839 ゆあみして はだえもかろくえんばたに あおばにむかいうっとりといる
浴みして 肌もかろく縁端に 青葉にむかいうつとりとゐる
 
840 わがからだ ふとりけるとていもいうに はらなどはりつかがみにむかう
わが身体 肥りけるとて妹言ふに 腹などはりつ鏡にむかう
 
841 ぬれがみに くしをいるればさわやかな にわかぜながきかみのけなぶる
濡れ髪に 櫛を入るればさわやかな 庭風ながき髪の毛なぶる
 
 

                    (昭和八年五月十日)

 
     
    長  瀞  
842 ふねはいま あおさきわまるとろにきて うはしきりなくあゆくわえくる
舟は今 青さきわまる瀞に来て 鵜はしきりなく鮎くわえくる
 
     
    人 の 心  
843 おもうこと かなうたまゆらひそかなる さみしさのわくこころとうもの
おもう事 かなうたまゆらひそかなる さみしさの湧く心とうもの
 
 

                   (昭和八年五月十三日)

 
     
    春 の 夜  
844 おぼろよの さくらのしたをそぞろくる しろきおもわはそのひとなりけり
おぼろ夜の 桜の下をそぞろくる 白き面わはその人なりけり
 
 

                   (昭和五年五月十六日)

 
     
    藤  
845 ひのもとに のみあることをききてより こころしてみるふじのはなはも
日本に のみあることを聞きてより 心してみる藤の花はも
 
     
    桐 の 花  
846 さきそろい きりのはなうるわしむらさきの あおばをけしていろなおはゆる
咲きそろい 桐の花美はし紫の 青葉を消して色なほ映ゆる
 
847 きりのはな ちるゆうぐれはあきのひの かれはのちるにさみしさかよう
桐の花 ちる夕暮は秋の日の 枯葉のちるにさみしさかよう
 
848 このゆうべ にわかぜなきにはらはらと はなぞちるなりきりのおおきは
此の夕べ 庭風なきにはらはらと 花ぞちるなり桐の大樹は
 
 

                   (昭和八年五月十八日)

 
     
    朝  月  
849 かきわかば つゆにひかりてすみきらう そらほのかにもあさづきのこる
柿若葉 露にひかりて澄みきらう 空ほのかにも朝月のこる
 
850 もやはれて やまのすがたのあざやかさ いましあさづききえなんとすも
靄はれて 山の姿のあざやかさ 今し朝月消えなんとすも
 
851 あさまだき うみもやふかしみあぐれば ますとにかかるみかづきのかげ
朝まだき 海靄ふかし見上ぐれば マストにかかる三ケ月のかげ
 
852 あかときの やまのぼりゆけばいただきに みえがくれするつきのめをひく
あかときの 山登りゆけば巓に みえがくれする月の眼をひく
 
853 とのごとき こめんにちさくあさづきの うつりてやまにまだきりのこる
砥の如き 湖面に小さく朝月の うつりて山にまだ霧のこる
 
 

                   (昭和八年五月二十日)

 
     
    夕  月  
854 つきとしも おもえぬばかりまちのはてし おれんじいろのおおきえんのぞく
月としも 思えぬばかり街のはてし オレンヂ色の大き円のぞく
 
855 ゆうもやの たんぼはやみになりにけり つきはひそかにおがわにうける
夕靄の 田圃は暗になりにけり 月はひそかに小川にうける
 
856 もりのいろ くろずみにけりややはなれ ふつかのつきのかそけきひかり
森の色 黒ずみにけりややはなれ 二日の月のかそけきひかり
 
857 えんとつの けむりうすらにいつかごろの つきのあたりのそらにまよえる
煙突の 煙うすらに五日ごろの 月のあたりの空にまよえる
 
858 くもすこし ただようそらのあかるみぬ いずこにかつきいでたるらしも
雲少し ただよう空の明るみぬ いづこにか月出でたるらしも
 
 

                   (昭和八年五月二十日)

 
     
    ヒットラー  
859 だんだんちへいせんじょうにういてくる ぐうぞう ひっとらー
だんだん地平線上に浮いてくる 偶像 ヒットラー
 
860 えいやふつがにがいかおしてみてる だだっこ ひっとらー
英や仏がにがい顔して視てる 駄々ツ子 ヒットラー
 
861 がくしゃなんかへともおもわない ひっとらーのべらんめーぶり
学者なんか屁とも思はない ヒットラーのベランメーぶり
 
862 とびはなれたかるわざし あどるふ ひっとらー
飛び放れた軽業師 アドルフ ヒットラー
 
 

                  (昭和八年五月二十八日)

 
     
    蛙  
863 とぎれとぎれ かえるなくなりさなえだふく かぜすこしありてゆうづきあわき
とぎれとぎれ 蛙鳴くなり早苗田ふく 風少しありて夕月あわき
 
 

                   (昭和八年六月十二日)

 
     
    夏 の 月  
864 わがかげを ふみつつゆけばなつのつき あかるくてらすかわぞいのみち
わがかげを ふみつつゆけば夏の月 明るくてらす川添の道
 
 

                   (昭和八年六月十六日)

 
     
    夏 の 女  
865 ひのまちを あでなゆかたのおみなゆく うしろすがたにふとめをひかる
灯の街を あでな浴衣の女ゆく 後姿にふと目を引かる
 
866 もりあがる きょくせんみずぎにしっくりと うみべのすなにうちふすおみな
もり上る 曲線水着にしつくりと 海辺の砂にうち臥す女
 
867 ひ〔しゃ〕のころもの おみなすずしげたそがれの うちみずのみちつつましくゆく
紗の衣の 女涼しげたそがれの 打水の路つつましくゆく
 
868 ゆうやみに おぼろげながらみちをゆく なつのおみなのみなよしとみゆも
夕暗に おぼろげながら路をゆく 夏の女のみな美しとみゆも
 
869 えんだいに うちわをかざすいろしろき おみなのおもわゆうやみにうく
縁台に 団扇をかざす色白き 女のおもわ夕闇にうく
 
870 みぞがわに ものあらいいるおみなあり なつのゆうひにはぎのまあかき
溝川に 物洗いゐる女あり 夏の夕陽に脛のまあかき
 
 

                   (昭和八年六月十九日)

 
     
    河原撫子  
871 ひでりがわ ながれほそみていみじくも さきいでにけりかわらなでしこ
ひでり川 流れ細みていみじくも 咲きいでにけり河原撫子
 
872 はつはつに ながれにそいていくつかの なでしこのはなかわらにさける
はつはつに 流れに沿いていくつかの 撫子の花河原に咲ける
 
873 ゆうづきの ひかりはあわしなでしこの はなほのめけるつゆくさのなか
夕月の 光は淡し撫子の 花ほのめける露草の中
 
874 よなよなを つきのしずくにいきづきて あしたをにおうかかわらなでしこ
夜な夜なを 月の雫にいきづきて 朝を匂ふか河原撫子
 
875 かれもせで ひとりかわらにさきつくる なでしこのはなのちさきいのち
枯れもせで ひとり河原に咲きつくる 撫子の花の小さきいのち
 
 

                   (昭和八年六月十九日)

 
     
    奥 日 光  
876 なめらかな とのものごとくこはすみて そらももりはもあざやかなかげ
滑らかな 砥の面のごとく湖はすみて 空も森はも鮮かなかげ
 
877 なつやまの しげみにすけてきららきらら さざなみひかるみずうみのおも
夏山の 茂みにすけてきららきらら 小波光る湖の面
 
878 りゅうすむか みずどすぐろきやまあいの このかぜなりてしらくもはしる
龍すむか 水どすぐろき山間の 湖の風なりて白雲はしる
 
879 もーたーの ひびきこだましこんぺきの こすべりゆけばおもうつきりさめ
モーターの 響こだまし紺碧の 湖すべりゆけば面うつ霧雨
 
880 にじのごとき ごしきぬまとうこをしたに みつあえぎゆくもしらねおくやま
虹の如き 五色沼とう湖を下に 見つあえぎゆくも白根奥山
 
881 やまのみち つくればしらじらふくれいる ちゅうぜんじこのこのまにすける
山の路 つくれば白じらふくれゐる 中禅寺湖の木の間にすける
 
 

                   (昭和八年六月十九日)

 
     
    滝  
882 とうとうと はくえんたてつふりおつる たきのしぶきにわがおもぬるる
とうとうと 白煙たてつふりおつる 滝のしぶきにわが面ぬるる
 
883 おおぞらに もりあがりもりあがりなだれおつる おおたきみあげてただうつろなり
大空に もり上りもり上りなだれおつる 大滝見上げてただうつろなり
 
884 いわひだを しろくあやなしたきみずの なだるがよろしもみじにすけて
岩ひだを 白く綾なし滝水の なだるがよろし紅葉にすけて
 
885 あわゆきの ごとくにおつるおおたきを かすめつむらむらいわつばめとべる
泡雪の ごとくにおつる大滝を かすめつむらむら岩燕とべる
 
0886 たきつせの きおいくじけるひとところ ぬるるいわごけうすびさせるも
滝津瀬の きほいくじけるひとところ 濡るる岩苔にうす陽させるも
 
 

                   (昭和八年六月十九日)

 
     
    吾  
887 よのつねの ひとのさだめとあまりにも へだたりのあるわがみなりけり
世の常の 人の運命とあまりにも へだたりのある吾身なりけり
 
 

                    (昭和八年七月十日)

 
     
    夏 来 る  
888 やまにうみに さそうぽすたーえきないに ここだにみゆるしょかとなりけり
山に海に 誘ふポスター駅内に ここだにみゆる初夏となりけり
 
 

                   (昭和八年七月二十日)

 
     
    朝  顔  
889 さきたての あさがおのまえにわれありて きりのしめりにふとほほなづる
咲きたての 朝顔の前に吾ありて 霧のしめりにふと頬なづる
 
890 あさがおの はなのうえはうにいづるを ゆびもてつめばあおきかのする
朝顔の 花の上はう新蔓を 指もてつめば青き香のする
 
891 ひのさせば はなのしぼむがはかなかり おみなのさだめににかようあさがお
陽のさせば 花のしぼむがはかなかり 女の運命に似通ふ朝顔
 
892 あさがおに むかうわれのみいまありて このあめつちのひそかなるかも
朝顔に むかう吾のみ今ありて この天地のひそかなるかも
 
893 だいりんの あさがおつみてへやぬちに かざればつまはものいいかくる
大輪の 朝顔つみて部屋ぬちに かざれば妻はものいいかくる
 
894 さきつくる あさがおめぐしさりながら なつははなにもたけにけるかな
咲きつくる 朝顔めぐしさりながら 夏は花にもたけにけるかな
 
 

                   (昭和八年七月二十日)

 
     
    山寺の夏  
895 ろうそうの しらひげふるえつゆうぐれの にわにむかいてただもくしおり
老僧の 白髯ふるえつ夕暮の 庭にむかいてただ黙しをり
 
896 このてらの ふるきかいろうふきぬくる かぜのひえありせみなきしきる
この寺の 古き廻廊ふきぬくる 風の冷あり蝉鳴きしきる
 
897 なもしらぬ つるものおおきにわいしに はびこりてよろしこのてらのにわ
名も知らぬ 蔓もの大き庭石に はびこりてよろしこの寺の庭
 
898 しめやかに ろうそうとわがかたりおり へやはおぐらくひぐらしのなく
しめやかに 老僧とわが語りをり 部屋はおぐらく蜩の鳴く
 
899 やまでらの よるはしんかんとふくろうの なくねわびしくふけりゆくなり
山寺の 夜はしんかんと梟の 啼く音わびしくふけりゆくなり
 
 

                   (昭和八年七月二十日)

 
     
    白  雨  
900 しらさめの ふるけはいらしこのはみな ざわめきたちてかぜまどゆする
白雨の ふるけはいらし木の葉みな ざわめきたちて風窓ゆする
 
901 なつくさの なえたるままにきょうもまた くもひろごらずくれゆきにける
夏草の 萎えたるままに今日もまた 雲ひろごらず暮れゆきにける
 
902 しらさめに にわあらわれてすがすがし とびいしのこけひにあおくはゆ
白雨に 庭洗はれてすがすがし 飛石の苔陽に青く映ゆ
 
903 ふりいずる このしらさめにいまのきゃく いずこののきにたたずむならめ
ふりいづる この白雨に今の客 いづこの軒にたたづむならめ
 
904 ゆうづきの こよいのそらのさやけさよ きょうしらさめのふりしをうかめぬ
夕月の 今宵の空のさやけさよ 今日白雨のふりしを浮めぬ
 
905 あめのひの にわみつあればあじさいの はなのしずくはむらさきにおつ
雨の日の 庭見つあれば紫陽花の 花の雫はむらさきにおつ
 
 

                   (昭和八年七月二十日)

 
     
    日 盛 り  
906 ほそうろは ひにもえたぎりすずかけの かげのみしるくひとあしたえける
舗装路は 陽にもえたぎり篠懸の 影のみしるく人足絶えける
 
907 きんぎょうり やすらうこかげにまちをゆく ひとはおおかたここにあつまる
金魚売 やすらう木蔭に街をゆく 人は大方ここに集る
 
908 たいようの かがやきひさしなつくさの いくまんつぼはなえんとすなり
太陽の かがやきひさし夏草の 幾万坪はなえんとすなり
 
909 ひびかいて とらっくゆきぬひざかりの まちにかげなくやなぎもゆれず
ひびかいて トラックゆきぬ日盛りの 街にかげなく柳もゆれず
 
910 かわきたる にわのももくさちからなく ひまわりひとりおおしくさける
かわきたる 庭のもも草力なく 向日葵ひとり雄々しく咲ける
 
 

                   (昭和八年七月二十日)

 
     
     ○  
911 なんぱはみはらやまへ こうははしんぺいたいへしににゆく
軟派は三原山へ 硬派は神兵隊へ死ににゆく
 
912 じょがくせいがだらくしたんじゃない おやのまねをしたまでさ
女学生が堕落したんじやない 親の真似をしたまでさ
 
913 げんだいきょういくとは きんせんとこうかんに かつじをあたまへちゅうにゅうすることだ
現代教育とは 金銭と交換に 活字を頭へ注入する事だ
 
914 いがくとは やくざいやぶつりでは びょうきはなおらないということを おしゆるてんぎょうだ
医学とは 薬剤や物理では 病気は治らないといふ事を 教ゆる天業だ
 
 

                   (昭和八年七月二十日)

 
     
    虹  
915 きぎのはを ならしてゆきししらさめの はやうるわしきにじとなりける
木々の葉を 鳴らしてゆきし白雨の はや美しき虹となりけり
 
     
    夏の多摩川  
916 しらさめの どよもしけるもみずきよき たまのかわぞこひにすけるなり
白雨の どよもしけるも水清き 玉の川底陽にすけるなり
 
     
     ○  
917 こうみょうに そむくひとらのあやうかり このうつしよのくるるときはも
光明に そむく人らのあやうかり 此の現世の暮るる時はも
 
 

                    (昭和八年八月十日)

 
     
    小 春 日  
918 なんてんの へいよりたかしあかきみの かがやくところあおぞらにして
南天の 塀より高し赤き実の かがやくところ青空にして
 
919 まながいの やまふところはひにあかく だんだんばたけはすでにはるなり
まながいの 山ふところは日に明く だんだん畑はすでに春なり
 
920 ちゃばたけに のこるはなありふとゆびを ふるればほろほろちりにけるかも
茶畑に のこる花ありふと指を ふるればほろほろ散りにけるかも
 
921 こはるびの そのうららさよかれえだの えだよりえだにことりせわしも
小春日の そのうららさよ枯枝の 枝より枝に小禽せわしも
 
922 あじさいの かれえだくぐりつほおじろの ちにかげおとしうつりゆくかも
あぢさゐの 枯枝くぐりつ頬白の 地にかげおとしうつりゆくかも
 
 

                   (昭和八年八月二十日)

 
     
    秋うごく  
923 しいのはを わたるゆうかぜまどにいり ゆあみのあとのはだのすがしさ
椎の葉を わたる夕風窓に入り 浴みの後の肌のすがしさ
 
924 ふじまめの かぜにふるえつゆうぞらの くものうごきにはやあきのみゆ
藤豆の 風にふるえつ夕空の 雲の動きにはや秋の見ゆ
 
925 いらかには なつびてらえどのきのかげ たちきのかげにあきうごくらし
甍には 夏陽照えど軒のかげ 立木のかげに秋うごくらし
 
926 いまだしも あつさのこれどそのそこに あきのけはいのうすらながるる
いまだしも 暑さのこれどその底に 秋のけはいのうすら流るる
 
927 おかのうえに ゆうひせにうけたてるわが かげのなかなるすすきひとむら
丘の上に 夕陽背にうけ立てるわが 影の中なる芒ひとむら
 
928 みずうてば はぎのしげみのさみだれぬ こよいのにわにつきいでよかし
水打てば 萩の茂みのさみだれぬ 今〔此〕宵の庭に月いでよかし
 
929 つきのよき あきまたれぬるわがにわの まつのこずえのそらにしげりて
月のよき 秋待たれぬるわが庭の 松の梢の空に茂りて
 
 

                  (昭和八年八月二十一日)

 
     
    蜩  
930 あかときを けたたましくもひぐらしの なけばいずらかとをくるおとする
あかときを けたたましくも蜩の 鳴けばいづらか戸をくる音する
 
931 ひぐらしの やまのゆうべをひたなけり ふもとあたりにほかげみえそむ
蜩の 山の夕べをひた鳴けり 麓あたりに灯光みえそむ
 
932 ひぐらしの こえとおのきてやますその みちたんたんとむらにつづかう
蜩の 声遠のきて山裾の 路坦々と村につづかふ
 
933 うらやまは ひぐらしのこえかどのたは かえるなくなりふるさとのいえ
裏山は 蜩の声角の田は 蛙鳴くなりふるさとの家
 
934 くぬぎうの こだちおぐらくひぐらしの こえはしじまをこだましあうも
櫟生の 木立おぐらく蜩の 声はしじまをこだまし合ふも
 
 

                  (昭和八年八月二十一日)

 
     
    萩  
935 ゆうづきの うすらあかりにみずうてば にわべのこはぎぬれひかりけり
夕月の うすら明りに水うてば 庭べの小萩濡れ光りけり
 
936 いしがきは なかばかくろいあきはぎの さきしだれつぐさんもんのそと
石垣は 半ばかくろひ秋萩の 咲きしだれつぐ山門の外
 
937 はぎおおき あまでらのありまさかりの いまをおりおりわがかいまみつ
萩多き 尼寺のありまさかりの 今ををりをりわが垣間みつ
 
938 はじめての あきなりしんきょのさにわべに みそはぎさくがいともうれしき
はじめての 秋なり新居の小庭べに みそ萩咲くがいともうれしき
 
939 はぎむらの うつるみずのもにちりうける はなのいささかみえにけるかも
萩むらの うつる水の面に散りうける 花のいささか見えにけるかも
 
940 あさつゆに そでぬらしつつはぎのにわ ひさにさまよいさまよいにける
朝露に 袖ぬらしつつ萩の庭 久にさまよいさまよいにける
 
 

                  (昭和八年八月二十一日)

 
     
    吾 と 人  
941 よをなげく ひとにあいけりわがかたる こえいつしかにはりあがりつも
世をなげく 人にあいけりわが語る 声いつしかに張り上りつも
 
942 そのひとの なやみしりつもものいわず すぐるわれはもときのみたねば
その人の なやみ知りつもものいはず すぐる吾はも時の満たねば
 
943 ほがらかな ゆめをかかえてたつにわべ むしなくこえもしたしまれぬる
ほがらかな 夢をかかえて立つ庭べ 虫啼く声も親しまれぬる
 
944 ちからなき われにはあれどまごころを くむひともありこのよたのしも
力なき 吾にはあれど真心を 汲む人もありこの世たのしも
 
 

                  (昭和八年八月二十一日)

 
     
    五・一五事件  
945 とっけんかいきゅうによいきょうかしょができた ご・いちごじけんのさいばんちょうしょ
特権階級に良い教科書が出来た 五・一五事件の裁判調書
 
946 ほうとじょうとりとぎとのよつどもえ ご・いちごじけん
法と情と理と義との四つ巴 五・一五事件
 
 

                  (昭和八年八月二十一日)

 
     
    蝉  
947 こはせみを とりそこねたらしほちゅうあみ ふりつつこのまをひたぬいゆくも
子は蝉を とりそこねたらし捕虫網 ふりつつ木の間をひたぬいゆくも
 
 

                   (昭和八年九月十二日)

 
     
     ○  
948 おおいなる のぞみにいくるわれにして なおいささかなことをしあんずる
大いなる のぞみに生くる吾にして なほいささかな事をし案ずる
 
 

                   (昭和八年九月十二日)

 
     
    秋  風  
949 どらいぶの じどうしゃのまどふきいるる あきのよかぜのみにしむるなり
ドライブの 自動車の窓吹きいるる 秋の夜風の身にしむるなり
 
 

                   (昭和八年九月十六日)

 
     
    秋  
950 たかむらは かさともいわずさにわべの あきのまひるのものしずかなる
篁は かさともいはず小庭べの 秋の真昼のものしづかなる
 
951 あきのひは しょうじをもれてころもぬえる つまのよこがおあかるくてらす
秋の陽は 障子をもれて衣縫える 妻の横顔明るくてらす
 
952 あきのひは ななめになりぬとうのかげ いとおおらかにつちにながるる
秋の陽は 斜になりぬ塔のかげ いとおほらかに土に流るる
 
953 きばみける いちょうひともとえだはりて かがよいたてりふるどうのまえ
黄ばみける 公孫樹一本枝はりて かがよい立てり古堂の前
 
954 こどもらは しばふのうえにむしろしきて あきびをあみつよねんもなげなる
子供等は 芝生の上に蓙しきて 秋陽をあみつ余念もなげなる
 

955

えんばたに ゆうべしたしみわれあれば かぼそくなけるこおろぎのこえ
縁端に 夕べしたしみ吾あれば かぼそく啼ける蟋蟀の声
 
956 たまたまに ふじまめゆするかぜありて わがやのあきはまどべにふかし
たまたまに 藤豆ゆする風ありて わが家の秋は窓べにふかし
 
957 しずかなる やしきまちはもへいこゆる もろぎのはいろにあきたけにける
静かなる 屋敷町はも塀こゆる 諸木の葉色に秋たけにける
 
 

                   (昭和八年九月十八日)

 
     
    赤 蜻 蛉  
958 ゆうされば あかとんぼのむれいゆく そらをみるなりのきばあおぎつ
夕されば 赤蜻蛉のむれいゆく 空を見るなり軒端あほぎつ
 
959 ここだにも あかとんぼのとびかえる しおんのはなのさきみだるにわ
ここだにも 紅蜻蛉の飛びかえる 紫苑の花の咲きみだる庭
 
960 ほしいねの かけなめるうえとんぼの とまるるがありはなるるがあり
干稲の かけなめる上蜻蛉の とまるるがありはなるるがあり
 
961 おかのうえ みあぐるそらをとんぼの ゆうふくかぜにもつれゆくなり
丘の上 みあぐる空を蜻蛉の 夕ふく風にもつれゆくなり
 
962 あきのみず しずかにすめるささがわに かげをひきてはとんぼのゆく
秋の水 静かにすめる小川に 影をひきては蜻蛉のゆく
 
 

                   (昭和八年九月十八日)

 
     
    秋  空  
963 さんまやく けむりはのきにただよいて すみきるそらにすわれゆくかも
秋太刀魚焼く けむりは軒にただよいて すみきる空にすわれゆくかも
 
964 かりたての しいのはにすくあおぞらの すがすがしもよあきばれのごご
刈りたての 椎の葉にすく青空の すがすがしもよ秋晴の午後
 
965 あきぞらの かがやかしげよわたりどり はねいそがしげにみつよつゆくも
秋空の かがやかしげよ渡り鳥 羽いそがしげに三つ四つゆくも
 
966 あきのくも うごくけもなにいけのもに うつりてかすめるとりひとつあり
秋の雲 うごくけもなに池の面に うつりてかすめる鳥一つあり
 
967 くりやべに やおやのたかきこえすなり われはあきぞらねながらにみつ
厨べに 八百屋の高き声すなり 吾は秋空臥ながらに見つ
 
968 いらだたる こころおさえてそうがいの あきすむそらをわがしばしみる
いらだたる 心おさえて窓外の 秋すむ空をわがしばしみる
 
969 そらはよく すめるあさなりなにがなし わがむねぬちのさやかなるかも
空はよく すめる朝なり何がなし わがむねぬちのさやかなるかも
 
 

                   (昭和八年九月十八日)

 
     
    武蔵野をゆく  
970 とりたてて いうほどもなきけいながら むさしのべにもあきはみゆめり
とりたてて 言ふほどもなき景ながら 武蔵野辺にも秋は見ゆめり
 
971 すすきむら わけのぼるつきのむさしのを おもえばなにかしたしさおぼゆ
芒むら わけのぼる月のむさし野を おもえば何かしたしさおぼゆ
 
972 おかのうえに たてばあきはもさなかなり もりのとぎれにふじがねみゆる
丘の上に 佇てば秋はも最中なり 森のとぎれに富士ケ峯みゆる
 
973 たまたまに たんぼよこぎるでんしゃあり あきすむそらにたかくひびかい
たまたまに 田圃よこぎる電車あり 秋すむ空に高くひびかい
 
974 あかまつの かげのいくつもながらえる おかをかこみてすすきむらおう
赤松の 影のいくつも流らえる 丘をかこみて芒むら生ふ
 
 

                   (昭和八年九月十八日)

 
     
    五・一五事件から  
975 とっけんかいきゅうのこえいがさびしい ひじょうじのあき
特権階級の孤影がさびしい 非常時の秋
 
 

                   (昭和八年九月十八日)

 
     
    今  
976 おどるひっとらー なぐるひっとらー けっとばすひっとらー
躍るヒットラー 殴るヒットラー 蹴つ飛ばすヒットラー
 
 

                   (昭和八年九月十八日)

 
     
    コスモス  
977 こすもすの はなのみだれにあきのあめ そそぎてにわのひるしずかなる
コスモスの 花のみだれに秋の雨 そそぎて庭の昼静かなる
 
978 さきさかる こすもすのはなにわわたる そよろのかぜにふるえのやまず
咲きさかる コスモスの花庭わたる そよろの風にふるえのやまず
 
979 あきのかぜ みにしみわたるこのあした こすもすのはないろあせにける
秋の風 身にしみわたるこの朝 コスモスの花色あせにける
 
980 こすもすの ひにてるあたりとんぼの むらがりみえてにわのあかるき
コスモスの 陽に照るあたり蜻蛉の むらがり見えて庭の明るき
 
981 かんのんの がぞうのまえにこすもすを いけてこととるひまをたらえり
観音の 画像の前にコスモスを 生けて事とるひまを足えり
 
982 さきみつる こすもすのはなまどにすけ いくたびとなくわがめいざなう
咲きみつる コスモスの花窓にすけ いく度となくわが眼誘ふ
 
 

                    (昭和八年十月十日)

 
     
    冬 近 し  
983 あさまだき とこはなるればまどあかり うすらつめたくきょうもあめらし
朝まだき 床はなるれば窓明り うすら冷く今日も雨らし
 
984 こころせば とぎれとぎれにむしなける にわしろじろとつきのてらせる
心せば とぎれとぎれに虫鳴ける 庭白じろと月のてらせる
 
985 でんえんを ふくあきあぜのつめたかり のがわにうつるみかづきのかげ
田園を ふく秋風の冷たかり 野川にうつる三ケ月の光
 
986 みじかひに はやおぐらかりくりやべに ゆうげのしたくかもののおとする
みぢか日に はや小暗かり厨べに 夕餉の仕度か物の音する
 
987 かりおえし まつのこずえのあかるさよ みきあかあかとゆうひにはゆる
刈り終えし 松の梢の明るさよ 幹あかあかと夕陽に映ゆる
 
988 あかまつの おうおかのえのさむざむし ふゆちかまれるゆうつひのいろ
赤松の 生ふ丘のへのさむざむし 冬近まれる夕つ陽の色
 
989 いささかの わくらばかぜにふるえつも となりのさくらそらにえだはり
いささかの わくら葉風にふるえつも 隣の桜空に枝はり
 
 

                    (昭和八年十月十日)

 
    秋  風  
990 あきかぜに あふられながらもろこしの はたけのまうえをとんぼながるる
秋風に あふられながらもろこしの 畑のま上を蜻蛉ながるる
 
     
    虫 の 声  
991 むしのねの しらべはかなしわすれいる はかなきこいもおもほいぞする
虫の音の しらべはかなし忘れゐる はかなき恋もおもほいぞする
 
     
    晩  秋  
992 たかおさん みねのもみじばもえのこり むさしへいやのあきたけにける
高尾山 峯のもみぢ葉もえのこり 武蔵平野の秋たけにける
 
 

                   (昭和八年十月十六日)

 
     
    武蔵野探秋  
993 たまさかに いでてしぜんにふるるとき むねほがらにきもあかるかり
たまさかに いでて自然にふるる時 胸ほがらかに気も明かり
 
994 とりたつる ほどのけいなきむさしのも たまがわあたりのあきはこのもし
とりたつる ほどの景なき武蔵野も 玉川あたりの秋はこのもし
 
995 あきのいろ ぞうきばやしをそめつつも もみじのいろはいまだしなりけり
秋の色 雑木林を染めつつも 紅葉の色は未だしなりけり
 
996 ひだりやの さけるいえありみぞかわに はなあでやかにかげおとせるも
緋ダリヤの 咲ける家あり溝川に 花あでやかにかげおとせるも
 
997 ゆうもやは うれたのうえにもやいつつ でんかしらかべおぐらくなりぬ
夕靄は 熟れ田の上にもやいつつ 田家の白壁おぐらくなりぬ
 
998 すすきほを みちみちおりててにあまる ほどともなればえきのまぢかき
芒穂を 途みち折りて手にあまる ほどともなれば駅のまぢかき
 
999 ゆうもやの そらにまたたくむらのひを はろかにみつつでんしゃをまつも
夕靄の 底にまたたく村の灯を はろかにみつつ電車を待つも
 
   (以下三首百草園にて)  
1000 はすいけを かこみてなだるつちにおう くさにもあきはしるかりにける
蓮池を かこみてなだる土に生ふ 草にも秋はしるかりにける
 
1001 すがれたる はすいけにかかるはしのうえに たてばゆうひのつめたくてらす
すがれたる 蓮池にかかる橋の上に たてば夕陽の冷たくてらす
 
1002 かきややに うれてあきそらよくすめる わがかけじゃやにうたくちずさむ
柿ややに 熟れて秋空よく澄める わが掛茶屋に歌口ずさむ
 
 

                   (昭和八年十月十八日)

 
     

 

     
    折にふれて  
1003 よのおわり ちかめるらしもいまわしき ことのみふえつことしもくれける
世の終り 近めるらしもいまはしき 事のみふえつ今年も暮れける
 
1004 ものをいう ことのかなわぬわれにして せんすべもなくただありにける
ものを言ふ 事のかなわぬ吾にして せんすべもなくただありにける
 
1005 さばかれて はかなくおつるひとみつつ いわうようなきさびしさにおり
審判かれて はかなく落つる人見つつ いはうようなき淋しさにをり
 
1006 わがことば みみかたむくるひとびとの いずるがまでをもくしゆかなん
わが言葉 耳かたむくる人々の いづるがまでを黙しゆかなむ
 
1007 もくもくと よをうちながめやがてくる ときのそなえをしずかにせなばや
黙もくと 世をうちながめやがてくる 時の備えを静かにせなばや
 
 

                   (昭和八年十月十九日)

 
     
    非 常 時  
1008 せいとうは せいとうをにんしきすればいいんだ そしてじだいを
政党は 政党を認識すればいいんだ そして時代を
 
1009 にほんひじょうじのせいさんしゃとしてのとっけんかいきゅう
日本非常時の生産者としての特権階級
 
1010 げんこつをふところにかくしてへいわのためのかいぎをする
拳骨を懐にかくして平和の為の会議をする
 
 

                   (昭和八年十月二十日)

 
     
    待  つ  
1011 てんのとき きたるをまちつおおもりの いおりにおきふすわがみなりける
天の時 来るを待ちつ大森の 庵におき伏す我身なりける
 
     
    松  茸  
1012 まつたけの かおりくりやをながれきつ われがみかくのいよよつのるも
松茸の 香り厨をながれ来つ われが味覚のいよよつのるも
 
 

                  (昭和八年十一月十六日)

 
     
    冬  枯  
1013 ふゆがれの ぞうきばやしをのぞくつき わがいゆくままどこまでもそう
冬枯の 雑木林をのぞく月 わがいゆくままどこまでも添ふ
 
1014 わがささや うらはたんぼになりており のわきのふけばとしょうじのなる
わが小家 裏は田圃になりてをり 野分のふけば戸障子の鳴る
 
1015 ふきつのる かぜにしろじろくまざさの はのひらめくもうらやまなだり
ふきつのる 風に白じろ熊笹の 葉のひらめくも裏山なだり
 
1016 ふきさらす ふゆのつつみのかれやなぎ ただひねもすをゆれているなり
ふきさらす 冬の堤の枯柳 ただひねもすをゆれてゐるなり
 
1017 かれのはら ひをなめてふくこがらしに むごたらしきまでにじられにける
枯野原 日をなめてふく凩に むごたらしきまでにぢられにける
 
1018 かれやなぎ ゆれしずもればしとしとと ふゆのこさめのふりいでにける
枯柳 ゆれしづもればしとしとと 冬の小雨のふりいでにける
 
 

                  (昭和八年十一月十八日)

 
     
    冬 静 か  
1019 せいじゃくは ここにきわむかそういんの まひるまのにわうごくものなし
静寂は ここにきわむか僧院の まひるまの庭うごくものなし
 
1020 はろばろし ふゆのたんぼをみわたせば そらにちいさくからすむれゆく
はろばろし 冬の田圃を見渡せば 空に小さく鴉むれゆく
 
1021 なげいれの きくさきすぎてはなびらの ひそかにちれるはつふゆのとこ
投入の 菊咲きすぎて花びらの ひそかにちれる初冬の床
 
1022 ゆうまけて ふゆひのとどくにわすみに いとひそけくもびわのはなさく
夕まけて 冬陽のとどく庭隅に いとひそけくも枇杷の花咲く
 
1023 あぜにたてば ふゆたはさみしはくげつの ひかりほのかにみずにうつれる
畔に立てば 冬田はさみし白月の 光ほのかに水にうつれる
 
 

                  (昭和八年十一月十八日)

 
     
     ○  
1024 いいわけにけんめいなせいとう はさんまえのさいむしゃのよう
言訳に懸命な政党 破産前の債務者のよう
 
1025 あかをふやすのはしんぶんなんだ えいゆうてきにかくから
赤を殖やすのは新聞なんだ 英雄的に書くから
 
1026 こうびきのいぬと ゆうかんまだむ どれだけちがう
交尾期の犬と 有閑マダム どれだけちがふ
 
 

                 (昭和八年十一月二十四日)

 
     
    白  鷺  
1027 びるでぃんぐ くろぐろとたてりふゆのつき いましまうえにするどくひかる
ビルディング 黒ぐろとたてり冬の月 今し真上にするどく光る
 
1028 ひらひらと さわにおりけりしらさぎの つきのひかりをはねにたたえつ
ひらひらと 沢に下りけり白鷺の 月の光を羽にたたえつ
 
     
    小  雀  
1029 ガラスどに いきをころしつみいるなり わがまがないのまつがえのすずめ
硝子戸に 息をころしつ見いるなり わがまながいの松ケ枝の雀
 
 

                 (昭和八年十二月二十五日)

 
     
    日  本  
1030 いわく こんぽんてきかいぞう こんぽんてきなになにで じつは こんぽんてきむさく
曰く 根本的改造 根本的何々で 実は 根本的無策
 
1031 しゅぎせいさくはどうどうこんぽんてきで やることは おざなり
主義政策は堂々根本的で やる事は 御座なり
 
1032 こえいしょうぜんたり よんひゃくゆうよのせいみん
孤影悄然たり 四百有余の政民
 
1033 せいとうざいばつのかいしょう いちにちはやいだけ それだけたすかるんだ
政党財閥の解消 一日速いだけ それだけ助かるんだ
 
1034 とっけんかいきゅうをゆすぶっている めにみえぬ じしん
特権階級をゆすぶつてゐる 眼にみえぬ 地震
 
 

                 (昭和八年十二月二十九日)

 
     
    初  春  
1035 つつがなく またしょうがつをむかえてし いとどぼんなるよろこびにいる
恙なく また正月をむかえてし いとど凡なるよろこびにゐる
 
1036 あたらしき ころもにきぶくれこどもらは ひにあたるえんにはしゃぎいるなり
新しき 衣に着ぶくれ子供らは 日あたる縁にはしやぎゐるなり
 
1037 はつはるの うすらねむたきひるすぎを とおくきこゆるおいばねのおと
初春の うすらねむたき午すぎを 遠く聞ゆる追羽子の音
 
 

                    (昭和九年一月五日)

 
     
    わ が 家  
1038 かいのきゃく かえりしあとのさびしさを たたみみつめてしばしありける
会の客 かえりし後のさびしさを 畳見つめてしばしありける
 
1039 まつのこずえも そらもまなこにしみつきぬ さんねんたちしにかいのわがへや
松の梢も 空も眼にしみつきぬ 三年たちし二階のわが部屋
 
1040 にかいより おりるたまゆらひるなれや いおやくにおいのふとながれくる
二階より 降りるたまゆら午なれや 魚焼くにほいのふと流れくる
 
1041 このなくに こころとられてうたのそう まとまりかぬるこのもどかしさ
児の泣くに 心とられて歌の想 まとまりかぬるこのもどかしさ
 
1042 たのしもよ きのあうひととかたりあかし さよもいつしかくだかけのこえ
たのしもよ 気の合ふ人と語り明し 小夜もいつしかくだかけの声
 
 

                    (昭和九年一月五日)

 
     
    冬  晴  
1043 はりかえて あかるきしょうじにひとえだの まつひっそりとうつりているも
はりかえて 明るき障子に一枝の 松ひつそりと映りてゐるも
 
1044 ふゆのそら すみきわまりてむさしのを つくばおろしのひすがらにふく
冬の空 すみきわまりて武蔵野を 筑波颪の日すがらにふく
 
1045 みあぐれば はやしのかれえしょうきんの あちこちわたりゆくがめぐまし
見上ぐれば 林の枯枝小禽の あちこちわたりゆくが愛まし
 
1046 しもふかき あしたなりけりかんすずめ うらさやがしくさにわとびちる
霜ふかき 朝なりけり寒雀 うらさやがしく小庭とびちる
 
1047 おいまつの みきしもどけてりゅうのごと ぬれしきはだにあさひもえたつ
老松の 幹霜どけて龍のごと 濡れし木肌に朝日もえたつ
 
1048 やまはだの あらわにさむしかれのこる くさにふゆびのあたるともなく
山肌の あらわにさむし枯のこる 草に冬陽のあたるともなく
 
 

                    (昭和九年一月五日)

 
     
    追 羽 子  
1049 ひじょうじは ふかまりにつつはるされど おいばねなどつくこころだになし
非常時は ふかまりにつつ春されど 追羽子などつく心だになし
 
 

                   (昭和九年一月十六日)

 
     
    水  仙  
1050 こうりんの えかもふりつむしらゆきと いろてりはゆるすいせんのはな
光琳の 絵かもふりつむ白雪と 色てりはゆる水仙の花
 
 

                   (昭和九年一月二十日)

 
     
    年の始め  
1051 このとしの なにかあかるくおもほいて しんしゅんのいまいそいそすごす
この年の 何か明るくおもほひて 新春の今いそいそ日過す
 
 

                  (昭和九年一月二十九日)

 
     
    春  
1052 あさざめの ふすまのぬくきふれごこち したしまれぬるはるとなりけり
朝ざめの 衾のぬくきふれ心地 したしまれぬる春となりけり
 
1053 ふゆぞらの すみよわまりてうすらにも かすみたちしがいまぞめにいる
冬空の 澄みよはまりてうすらにも 霞立ちしが今ぞ眼に入る
 
1054 もりばなの すつるがなかよりひとくきを つまとさせしやびんのすいせん
盛花の 捨つるが中より一茎を 妻とさせしや瓶の水仙
 
1055 ひとくれの ゆきまだみえてうらさみし ふゆはてんひのにわのかたすみ
ひとくれの 雪まだ見えてうらさみし 冬果てん日の庭のかたすみ
 
1056 あおみける すずかけなみきすがしみつ ほこりのたえしうごのまちゆく
青みける 篠懸並木すがしみつ 埃のたえし雨後の街ゆく
 
1057 かすめしは ひばりなりけりむぎのおか かえりみすればはやそらにきゆ
かすめしは 雲雀なりけり麦の丘 かえりみすればはや空に消ゆ
 
1058 みんなみの こまどのそらにふくらめる うめのつぼみをみつあさげくう
みんなみの 小窓の空にふくらめる 梅の蕾を見つ朝餉食ふ
 
1059 かわほそく ながれけどおしさりながら さくらのつくるまでをゆかなん
川細く 流れけ遠しさりながら 桜のつくるまでをゆかなん
 
1060 ひとのたけ なつはこえんかいまはただ ふなべりまでのわかくさのむら
人のたけ 夏は越えんか今はただ 舟べりまでの若草のむら
 
1061 くくだちの ふきのあおさをしたしみつ あめしずやかなにわにたたずむ
くくだちの 蕗の青さをしたしみつ 雨しづやかな庭にたたずむ
 
1062 つゆおもく やえやまぶきのたわみおり かぜまだみえぬあさのひととき
露おもく 八重山吹のたわみをり 風まだみえぬ朝のひととき
 
1063 くれたけの ささはのあめにぬるるいろ ときわぎよりもすがしかりけり
呉竹の 笹葉の雨にぬるる色 常盤〔磐〕木よりもすがしかりけり
 
1064 のうふたつ ひざのあたりにほののびし むぎふのおかにかぜやわめくも
農夫たつ 膝のあたりに穂ののびし 麦生の丘に風やわめくも
 
1065 めっきりと やまはあおみぬしとしとと きょうもあさよりはるのあめふる
めつきりと 山は青みぬしとしとと 今日も朝より春の雨ふる
 
1066 ひえくさの ほゆるるかぜをながめいて こころおちいるはるのひるすぎ
稗草の 穂ゆるる風をながめゐて 心おちゐる春の午すぎ
 
 

                    (昭和九年二月六日)

 
     
    対  座  
1067 わらうたび なみだのいずるくせはまだ そのままにしてとしかさねけり
笑ふたび 涙のいづる癖いまだ そのままにして年かさねけり
 
1068 いきたらう いまのわれにしてあるときは やまにいりたきここちこそすれ
生き足らう 今の吾にしてある時は 山に入りたき心地こそすれ
 
 

                    (昭和九年二月六日)

 
     
    時  局  
1069 がっこうのこうちょうを きょういくするがっこうをたてろ
学校の校長を 教育する学校を建てろ
 
1070 てんこうばやり どうです かねもちがびんぼうには
転向ばやり どうです 金持が貧乏には
 
1071 ふんかさんじょう たいぜんとして せいとうのだいどうだんけつ
噴火山上 泰然として 政党の大同団結
 
1072 じゃーなりすとが しんしそうのやりばにこまっているいま
ジャーナリストが 新思想のやり場に困つてゐる今
 
1073 ぶきみなそれんのほうれつにかこまれながら まんしゅうのていせいいわいは おめでたい
無気味なソの砲列にかこまれながら 満州の帝政祝ひは おめでたい
 
 

                    (昭和九年二月六日)

 
     
    鶯  
1074 ふとみたる ささむらかげにうごくもの うぐいすならめはつねきかばや
ふとみたる 笹むらかげに動くもの 鶯ならめ初音聞かばや
 
 

                   (昭和九年二月十六日)

 
     
    世 紀 末  
1075 しゅうまつの よとはなりけりれいぜんと わがみるめにはまざまざうつる
終末の 世とはなりけり冷然と わが観る眼にはまざまざうつる
 
     
    冬  陽  
1076 はれつぐる ひよりうれしみきょうもまた ひあたるえんにぬくもりにけり
晴れつぐる 日和うれしみ今日もまた 陽あたる縁にぬくもりにけり
 
 

                   (昭和九年二月十六日)

 
     
    柳  
1077 ようりゅうの わかばのにおいすがしみつ ゆくかたがわはおだのつづける
楊柳の 若葉のにほいすがしみつ 行く片側は小田のつづける
 
 

                   (昭和九年三月十六日)

 
     
    夜  桜  
1078 つきあかり はなにおぼめくこのよいや ものなつかしくいもとさすらう
月明り 花におぼめくこの宵や ものなつかしく妹とさすらう
 
1079 ひとすまぬ いえいのかきにさきさかる さくらみあげてなにかさみしき
人住まぬ 家居の垣にさきさかる 桜見上げて何かさみしき
 
1080 はなにうく はなみのひととなずさわぬ わがさがたらうとしとなりけり
花に浮く 花見の人となづさはぬ わが性足らう年齢となりけり
 
1081 ひしひしと はなおるけはいはるのよの おぼろのつきにぬすびとみえず
ひしひしと 桜折るけはい春の夜の おぼろの月にぬす人見えず
 
1082 ひるなかの ひとでいといてよざくらを みまくきぬればよきつきよなり
昼中の 人出いといて夜桜を 見まく来ぬればよき月夜なり
 
1083 かわかぜの ふくやきしべにちりだまる さくらのはなびらまろびおちにつ
川風の ふくや岸辺にちりだまる 桜の花びらまろびおちにつ
 
1084 あまぐもを きづかいつつもうかららと はなみてまわりたらうこのよい
雨雲を きづかいつつもうかららと 花みてまわり足らう此宵
 
1085 ごごになりて かぜややいでぬあおくさの つつみにはなのしろじろたまる
午後になりて 風ややいでぬ青草の 堤に花の白じろたまる
 
 

                    (昭和九年三月二日)

 
     
    春  閑  
1086 うからたち つみくさにいでしかおともなし ごごかんにしてへやのしずけさ
うからたち 摘草にいでしか音もなし 午後閑にして部屋の静けさ
 
1087 はるぞらは がらすどにすけてのどかなり まつのこぬれにむかうわがいま
春空は 硝子戸にすけてのどかなり 松の木梢に対ふわが居間
 
1088 うらはれし そらにめぶきのさやけさよ きゃくとかたらいながらめのそる
うらはれし 空に芽ぶきのさやけさよ 客と語らいながら眼の外る
 
1089 しずみゆく はるひのなかをさびしらに ちょうのひとつがまだのにまよう
しづみゆく 春陽の中をさびしらに 蝶の一つがまだ野にまよう
 
1090 ゆきずりの おみなさくらそうのたばもてり はるをたずねてきつるののみち
ゆきずりの 女桜草の束もてり 春をたづねて来つる野の路
 
1091 ゆうばえの むらだちくもをこえにける からすありけりはかがやせ
夕映の むらだち雲を越えにける 鴉ありけり羽かがやかせ
 
 

                    (昭和九年三月六日)

 
     
    鳩  
1092 わがにわに おりおりはとのまいきぬも ひやしんすさくはなのあたりに
わが庭に おりおり鳩の舞い来ぬも ヒヤシンス咲く花のあたりに
 
1093 みずまけば いそいそとしてついあゆむ はとにみいりつあかるむこころ
水まけば いそいそとして啄あゆむ 鳩にみ入りつ明るむ心
 
1094 やまぶきの ちりしそぼふるあめのにわ えちえちあゆむはとのあしあかき
山吹の ちりしそぼふる雨の庭 えちえち歩む鳩の足紅き
 
 

                    (昭和九年三月六日)

 
     
    春 の 曙  
1095 ほのぼのと しらむしょうじにかげうつる めぶきのえだにことりうごける
ほのぼのと 白む障子にかげうつる 芽ぶきの枝に小鳥うごける
 
 

                   (昭和九年三月十六日)

 
     
    思  ふ  
1096 れいめいの ひかりみちくるわがむねの おもいにえしらぬなみだいざなう
黎明の 光みちくるわが胸の おもいにえしらぬ涙いざなふ
 
1097 おおいなる のぞみのわけばあめつちも わがものとさえおもほゆもおかし
大いなる 望みの湧けば天地も わがものとさえ思ほゆもおかし
 
1098 はなたれて はてなきそらにまいいゆく とりにくらべてわれをみつむる
はなたれて 涯なき空に舞いいゆく 鳥にくらべて吾を視つむる
 
1099 くものうえ おもうがままにかけめぐる りゅうじんのわざふとおもいみし
雲の上 おもうがままにかけめぐる 龍神の業ふとおもいみし
 
1100 ぬばたまの やみにひとつのひかりおり ひろぎゆくかもつちのはたてに
ぬば玉の 闇に一つの光降り ひろぎゆくかも地のはたてに
 
 

                   (昭和九年四月十六日)

 
     
    昭和九年四月  
1101 しゅんじつちちとして ないかくもえんめい
春日遅々として 内閣も延命
 
1102 はちじゅういくさいのさんちょうろうが ゆうゆうせいじこうさく よはひじょうじ
八十幾歳の三長老が 悠々政治工作 世は非常時
 
1103 とっけんかいきゅうとはだいしんぶんとそうしてふごう
特権階級とは大新聞とそうして富豪
 
1104 とうとうなくなっちゃった ぶんしょうになるほどのじんかくしゃが にほんに
とうとう無くなつちやつた 文相になる程の人格者が 日本に
 
1105かねのやりばにこまっているふごう からだのやりばにこまっているるんぺん
金の遣り場に困ってゐる富豪 身体のやり場に困ってゐるルンペン        (全集未収録)
 
1106 せいれんけっぱくでびくびくしている ○○ほうしょう
清廉潔白でびくびくしてゐる ○○法相
 
 

                   (昭和九年四月十六日)

 
     
    春の山路  
1107 きのめふく ころのやまじはたのしけれ うきうきとしてわれひとりすぐ
木の芽ふく 頃の山路はたのしけれ うきうきとして吾一人すぐ
 
     
    希  望  
1108 かがやける さきつおもいつねむらえぬ さよのうれしさくるしさにおり
かがやける 前途おもひつ眠らえぬ 小夜の嬉しさ苦しさにをり
 
     
    燕  
1109 おおたきを みあぐるめぢにきのつけば かばしらのごといわつばめとべる
大滝を 見上ぐる眼路に気のつけば 蚊柱のごと岩燕とべる
 
 

                   (昭和九年四月十六日)

 
     
    温  泉  
1110 ゆけむりに ほかげおぼろなやまのゆの よるのしじまをひとりゆにいる
湯けむりに 灯光おぼろな山の温泉の 夜のしじまを一人湯にゐる
 
 

                    (昭和九年五月十日)

 
     
    五月の街  
1111 さやけさの ごがつのまちよじどうしゃの まどにひらめくわかばのひかり
さやけさの 五月の街よ自動車の 窓にひらめく若葉のひかり
 
 

                   (昭和九年五月十六日)

 
     
    こ の 頃  
1112 なにもかも ゆるしてやりたきここちすも さつきのあさのはればれしそら
何もかも 赦してやりたき心地すも 五月の朝のはればれし空
 
1113 なねなどと いいのけてまだまのあらず ひたにほりするわれにありけり
金などと 言ひのけてまだ間のあらず ひたに欲する吾にありけり
 
1114 あくまでもと こころくだきてこのわれに つかうるひとのあるよたのもしき
あくまでもと 心砕きてこの吾に 仕ふる人のある世たのもしき
 
1115 めさむれば いまみしゆめとあまりにも かけはなれたるいまにてありき
目さむれば 今見し夢とあまりにも かけ放れたる今にてありき
 
1116 しつれんの はなしなどするおみなあり おもながにしてまゆほそきかも
失恋の 話などする女あり 面長にして眉細きかも
 
1117 うつりたての たどたどしさのかたづきて つねのこころにかえりけるきょう
うつりたての たどたどしさの片付きて 常の心にかえりける今日
 
 

                (麹町に移りて) (昭和九年五月十六日)

 
     
    青  
1118 ろくがつの そらににじめるろくしょうの いろはあおばのふかきかさなり
六月の 空に滲める緑青の 色は青葉のふかき重なり
 
1119 あせややに にじまいにけるこだちもる かぜせにうけてめにあおたみつ
汗ややに にじまひにける木立もる 風背にうけて目に青田見つ
 
1120 いえたてて すまばやとおもうおかありき まともにふじのいただきもみえ
家建てて 住まばやと思ふ丘ありき まともに富士の巓も見え
 
1121 くわばたの わかめきらきらひにてらい ほおじろいちわききとあそべる
桑畑の 若芽きらきら陽にてらい 頬白一羽嬉々とあそべる
 
1122 まつなみきが おとすはだらのごごのひを ゆあみつこうまらとおみゆくかも
松並木が おとすはだらの午後の陽を 浴みつ仔馬ら遠みゆくかも
 
1123 ふるめける しゃもんのうえのあおぞらに さくきりのはなわざとしからず
古めける 社門の上の青空に 咲く桐の花わざとしからず
 
 

                    (昭和九年六月一日)

 
     
    青  葉  
1124 たまさかの そとでのめにぞしみらなり あおばわかばのふかまれるいろ
たまさかの 外出の眼にぞしみらなり 青葉若葉のふかまれる色
 
 

                    (昭和九年六月十日)

 
     
    金  
1125 ひとのため つくすにさえもかねのこと こころづかいすよこそかなしき
人の為 尽すにさえも金の事 心づかいす世こそかなしき
 
 

                    (昭和九年六月十日)

 
     
    釣  魚  
1126 むねぬちに かいきみたしつひねもすを おだいばおきにはぜつりにけり
胸ぬちに 海気充しつひねもすを 御台場沖に鯊釣りにけり
 
 

                    (昭和九年七月十日)

 
     
    心  
1127 ものをこわし ここちよしとうひとのはなし そのひとのこころつかめざるわれ
物を毀し 心地よしとう人の話 その人の心つかめざるわれ
 
1128 かねからんと おもいしもからですみにけり このうれしさのたとえがたなき
金借らんと 思ひしもからですみにけり この嬉しさのたとえがたなき
 
1129 くさばなの さくをまちいるもどかしさ それにもにたるあるときのわれ
草花の 咲くを待ちゐるもどかしさ それにも似たるある時の吾
 
1130 おおぜいの らいきゃくさりししずけさよ たばこのけむりふとみあげつつ
大勢の 来客去りし静けさよ 煙草の煙ふと見あげつつ
 
1131 すいみつとうを くいてべとべとするゆびに まんねんひつをやおらはさみぬ
水蜜桃を 食ひてべとべとする指に 万年筆をやをらはさみぬ
 
1132 きまぐれな こころがよるのしんじゅくに きてしまいけりつまもともなる
気まぐれな 心が夜の新宿に 来てしまいけり妻も倶なる
 
1133 ひとのこいの はなしきけどもそらごとの ごとくにありぬわれおいけるか
人の恋の 話きけども空事の ごとくにありぬ吾老いけるか
 
1134 ふとこころ くらくなりけりちゅうしゃにて まかりしというひとのこのはなし
ふと心 暗くなりけり注射にて 死りしといふ人の児のはなし
 
1135 このびょういんの かんじゃのこらずなおしたし とおもいつながきろうかをゆくも
この病院の 患者残らず治したし と思ひつ長き廊下をゆくも
 
1136 いっぴきの かをはたきたるこころよさ かかるこころはたれももてるや
一疋の 蚊をはたきたる快さ かかる心は誰ももてるや
 
 

                  (昭和九年七月二十三日)

 
     
     ○  
1137 いささかの ことはじむればきもたまの ちいさきひとびとでんぐりかえりし
いささかの 事はじむれば胆玉の 小さき人びとでんぐりかえりし
 
 

                    (昭和九年八月十日)

 
     
    縁  日  
1138 なにかいう こじきのこえをあとにして えんにちのひにわれまぎれける
何か言ふ 乞食の声を後にして 縁日の灯に吾まぎれける
 
 

            (全集未収録)(昭和九年八月十六日)

 
     
    秋 近 し  
1139 あきちかみ はたらかなんとするこころ ぼつぼつとしてわきてくるなり
秋近み 働かなんとする心 勃ぼつとして湧きてくるなり
 
 

                    (昭和九年九月十日)

 
     
    天  国  
1140 てんごくの みちをしらずばわれはいま よのうたてさになきくずれけん
天国の 道を知らずば吾は今 世のうたてさに泣きくづれけむ
 
 

                    (昭和九年九月十日)

 
     
    公園の秋  
1141 こうえんの あきしらぬげにひとびとの おおかたすぽーつなどによりいる
公園の 秋知らぬげに人びとの 大方スポーツなどに集りゐる
 
 

                   (昭和九年九月十六日)

 
     
    秋  陽  
1142 えんさきの こぎくのはちのさむげなる うすらうすらにあきびさしおり
縁先の 小菊の鉢の寒げなる うすらうすらに秋陽さしをり
 
 

                    (昭和九年十月十日)

 
     
    世  外  
1143 いまわしき よのことごともせんまんり さかるがごとしかんのんえがきつ
いまわしき 世の事ごとも千万里 さかるが如し観音描きつ
 
     
    秋 の 町  
1144 さわやかな かぜそよわたるあきのまち せるのすそさばきこころよきかも
さわやかな 風そよわたる秋の街 セルの裾さばき快きかも
 
 

                   (昭和九年十月十六日)

 
     
    秋たけぬ  
1145 ねころびて てんじょうあおげばじゅうがつと いうにばったのへんがくにあおき
臥ころびて 天井仰げば十月と いふにバッタの扁額に青き
 
1146 きくいけて たらうあさかなながあめの やみてしょうじにひのうららかさ
菊生けて 足らう朝かな長雨の やみて障子に陽のうららかさ
 
1147 きのしまる ふゆのけはいにさかりいる こどもらたちをおもいづるあさ
気のしまる 冬のけはいにさかりゐる 子供等達を思いづる朝
 
1148 ねこのこえ さよのしじまにすみとおり ふみよむあきのみみにうるさき
猫の声 小夜のしじまにすみとほり 書読む秋の耳にうるさき
 
1149 のうそんの つかれしきじのしんぶんを みぬひとてなくむねのおもかり
農村の 疲れし記事の新聞を 見ぬ日とてなく胸の重かり
 
                    (昭和九年十月二十六日)  
     
    吾を観る  
1150 ひとよりも たのしきことありひとよりも くるしきことありわがさだめかも
人よりも 楽しき事あり人よりも 苦しき事ありわが運命かも
 
1151 われをそしる ひとのはなしをよそごとの ごとくききいるわれをみいでぬ
吾をそしる 人の話を他事の 如くききゐる吾を見出でぬ
 
1152 うそいいて やすくわたれるよのなかと おもうひとたちみるがかなしき
啌言ひて 安く渡れる世の中と おもう人達見るが悲しき
 
1153 まがびとの はばるよにありほがらかに いくるこのさちおおきからずや
曲人の はばる世にありほがらかに 生くるこの幸大きからずや
 
1154 このひごろ わがむねぬちにたむろして すぎけるこいほ〔このも〕しひとのありけり
此日ごろ わが胸ぬちに屯して すぎける恋ほ〔好も〕し人のありけり
 
1155 しゅじゅつなど やばんのきわみとわれいえば まゆをひそむるいんてりのかれ
手術など 野蛮の極と吾いえば 眉をひそむるインテリの彼
 
1156 はらだちを おさえつつありにほんめの しがーにいつかひのつきてあり
腹立ちを 制えつつあり二本目の シガーにいつか火の点きてあり
 
1157 かんがえの まとまりかぬるもどかしさ たいざのかれはわれをみつむる
考えの まとまりかぬるもどかしさ 対座の彼は吾を見つむる
 
 

                  (昭和九年十月二十六日)

 
     
    夕  鴉  
1158 ゆうばえの ひかりのなかをむらむらと むれからすすぎひはくれにける
夕映の 光の中をむらむらと むれ鴉すぎ日は暮れにける
 
 

                   (昭和九年十一月十日)

 
     
     ○  
1159 わがために こころくだきつつくすひとを おもうこころのあかるさにおり
わが為に 心くだきつ尽す人を 思ふ心の明るさにをり
 
 

                   (昭和九年十一月十日)

 
     
    野  分  
1160 むらがらす のわきにあふられあふられて ゆうべのそらにきえにけるかも
むら鴉 野分にあふられあふられて 夕べの空に消えにけるかも
 
 

                   (昭和九年十二月十日)

 
     
    寒  夜  
1161 かくふみは いまだおわらずさよふけて ひおけにひのけつきなんとすも
書く文は いまだ終らず小夜ふけて 火桶に火の気尽きなんとすも
 
 

                  (昭和九年十二月十六日)

 
     
    夢  
1162 くうそうと おもいしのぞみじっそうと あらわるるゆめかかえひさなり
空想と おもひしのぞみ実相と 現はるる夢抱え久なり
 
 

                  (昭和九年十二月十六日)

 
     
    春未だし  
1163 ふゆがれの やなぎそよがずほりばたは ただいたずらにじどうしゃゆきかう
冬枯れの 柳そよがず濠端は ただ徒らに自動車往き交う
 
1164 しもやけの なんてんのはがふゆにわの あかるきもののひとつとなりけり
霜焼の 南天の葉が冬庭の 明るきものの一つとなりけり
 
1165 はつうまの たいこのおとかこがらしに とぎれとぎれにうちまじりくも
初午の 太鼓の音か木枯に とぎれとぎれにうち交りくも
 
1166 こうばいの ひとはちかいてえんばたに おけばさすひにはるほのめくも
紅梅の 一鉢購いて縁端に 置けばさす陽に春ほのめくも
 
1167 いずらよりか からすのいちわあふれきて とまるともなくすぎゆきにける
いづらよりか 鴉の一羽あふれきて とまるともなく過ぎゆきにける
 
1168 とこいけの まつのえこけにみやまぢを しのびけるかもしずけさのごご
床活けの 松の枝苔に深山路を 偲びけるかも静けさの午後
 
 

                    (昭和十年一月十日)

 
     
    吾  
1169 うつりゆくの なんぞはやきやわがさだめ ひとつきたらずにかくもなりしか
うつりゆくの 何ぞ速きやわが運命 一月足らずにかくもなりしか
 
1170 おもうこと いえぬよわさのまだあるか めしたのかれにいいよどみつつ
思うこと 言えぬ弱さのまだあるか 目下の彼にいひよどみつつ
 
1171 すくわれて うれしむかれのよこがおを みつわがむねにせまるものあり
救はれて 嬉しむ彼の横顔を 見つ吾胸にせまるものあり
 
1172 きんざんの さいくつなどをかたりいる かれのすがたのいたいたしさよ
金山の 採掘などを語りゐる 彼の姿のいたいたしさよ
 
1173 ほかほかと とこぬちにあるこころよさ さんじゃくさきにあさのひさせる
ほかほかと 床ぬちにある快よさ 三尺先に朝の陽させる
 
1174 しろきものを しろしといえぬなれのくせ さびしからめやつねにこころは
白きものを 白しと言えぬ汝の癖 淋しからめや常に心は
 
1175 こころおけぬ ひとにかこまれふゆのよを かたりあいつるあたたかさにおり
心おけぬ 人にかこまれ冬の夜を 語り合いつるあたたかさにをり
 
 

                    (昭和十年一月十日)

 
     
    人 の 道  
1176 ひとのみち ふめばやすかりやすからぬは ひとたるみちをふまねばなりける
人の道 ふめば安かり安からぬは 人たる道をふまねばなりける
 
 

                    (昭和十年一月十日)

 
     
    冬 の 月  
1177 おおぞらの そこいにふゆのつきさえて でんせんいくすじしもにひかれる
大空の 底ひに冬の月冴えて 電線いくすじ霜に光れる
 
1178 くろぐろと もののけのごとしかんげつの そらした〔げ〕にひとつおおきびるたてり
黒ぐろと 物の怪の如し寒月の 空下に一つ大きビル建てり
 
1179 ひゅうひゅうと かぜなりすぐるよるなりき かんげつしろくおおうちやまくろし
ひゆうひゆうと 風鳴りすぐる夜なりき 寒月白く大内山黒し
 
1180 うなばらの そこいはかくもふゆがれの はやしにつきのひかりただよい
海原の 底ひはかくもや冬枯の 林に月の光ただよい
 
1181 ぎんばんと みゆるはしものおかなれや つきはいましもむさしのてらす
銀盤と 見ゆるは霜の丘なれや 月は今しも武蔵野照らす
 
1182 にぶいろに ぬりつぶされしふゆのよの つきてるしたにねむるまちまち
鈍色に 塗りつぶされし冬の夜の 月照る下に眠る街々
 
 

                    (昭和十年二月十日)

 
     
     ○  
1183 かたはりて ものいうくせのかれなりき そのかれいまはおみなのごとかり
肩はりて 物言ふ癖の彼なりき 其彼今は女の如かり
 
     
    春 立 つ  
1184 はるはまず ひとのこころにたちそむか きのうとおなじさむかぜふけども
春は先づ 人の心に立ちそむか 昨日と同じ寒風ふけども
 
 

                    (昭和十年二月十日)

 
     
    女  
1185 おみななれ いかにけはいをこらすとて さみしからずやほほえみなくば
女汝 いかに化粧をこらすとて 淋しからずや微笑なくば
 
1186 ほほえみは おみなのいのちかもいつもかも おみなにあえばしかおもいける
微笑は 女の命かもいつもかも 女に会えばしか思いける
 
1187 おみなありき としわかくしてうつくしく いなかへかえりぬいまいかにせし
女ありき 年若くして美しく 田舎へ帰りぬ今如何にせし
 
1188 ながしめに ひとみるくせのかのじょなりき みをあやまるはかかるおみなや
ながしめに 人見る癖の彼女なりき 身を過るはかかる女や
 
 

                   (昭和十年二月十八日)

 
     
    雨  後  
1189 あたらしき みどりはあめにさえかえり ぬれはゆるなりたにのなだりに
新しき 緑は雨に冴えかえり 濡れ映ゆるなり渓のなだりに
 
1190 うららけき ひすじにうごのくさのはら みどりさやかにもえたぎろえる
うららけき 日條に雨後の草野原 緑さやかに萌えたぎろえる
 
1191 くさのほは つゆしとどにてちろちろと うごのつちみぞまだせせらげる
草の穂は 露しとどにてちろちろと 雨後の土溝未だせせらげる
 
1192 したしもよ やなぎわかばのあさみどり いけにしだれてしずかなるあさ
したしもよ 柳若葉の浅みどり 池にしだれて静かなる朝
 
1193 しとしとと あめふるひなりまどくれば ぢんちょうのかのほのにおいくも
しとしとと 雨ふる日なり窓くれば 沈丁の香のほのにほひくも
 
1194 ふりつぐる あめをかこちつくるきゃくの おおきひなりきさくらさきそむ
ふりつぐる 雨をかこちつ来る客の 多き日なりき桜咲き初む
 
1195 けぶらえる あめのゆうべににじむひを なつかしみつつはるのまちゆく
けぶらえる 雨の夕べに滲む灯を なつかしみつつ春の街ゆく
 
1196 でんせんに ふるえるつゆをながめつつ はるさめのひをうっとうしむも
電線に ふるえる露をながめつつ 春雨の日をうつとうしむも
 
 

                   (昭和十年三月十一日)

 
     
    春 の 水  
1197 つりびとは うきをみつめてうごなわず ながるともなきはるのささがわ
釣人は 浮子を見つめてうごなわず 流るともなき春の小川
 
 

                   (昭和十年三月十六日)

 
     
    光  明  
1198 こうみょうに じゅうするひとのことたまは いとこころよきひびきありけり
光明に 住する人の言霊は いと快きひびきありけり
 
 

                  (昭和十年三月二十五日)

 
     

 

     
    身辺詠(一)  
1199 おもうこと ひとつひとつがはこびゆく そのたのしさにわれはいくなり
思ふ事 一つ一つが運びゆく そのたのしさに吾は生くなり
 
1200 いそがしさを このむさがあるわれなりき そをほめそやすひともありけり
忙しさを 好む性ある吾なりき そを称めそやす人もありけり
 
1201 こいすてう ほどにあらねどいまいちど あいみまほしくおもうおみなあり
恋すてう ほどにあらねど今一度 会い見まほしく思ふ女あり
 
1202 わがために すくわれたりといそいそと くるひとらありわがよあかるき
わが為に 救はれたりといそいそと 来る人らありわが世明るき
 
1203 きゃくはみな かえりてしずかなひとときを たばこをふかすくせもたのしき
客はみな 帰りて静かな一時を 煙草をふかす癖もたのしき
 
1204 えだぶりの よきかいどうのぼんさいに おりおりこころをやりつわざとる
枝ぶりの よき海棠の盆栽に おりおり心をやりつ業とる
 
1205 よせいけし さくらやまぶきとこにみつ せめてもはるをなつかしみけり
よせ活けし 桜山吹床に見つ せめても春を懐しみけり
 
1206 よめなつくし つみきくれたりののかおり まことゆたかにゆうげたのしむ
嫁菜土筆 摘み来呉れたり野の香り まこと豊かに夕餉たのしむ
 
 

                    (昭和十年四月十日)

 
     
    彼  
1207 つまあるが おかしとおもいぬいつもかも せんにんぜんととりすますかれ
妻あるが 可笑しと思ひぬいつもかも 仙人然ととりすます彼
 
1208 いささかの ことにもくちをとがらせど あえてにくめぬかれにてありき
いささかの 事にも口をとがらせど 敢て憎めぬ彼にてありき
 
1209 うちむかう かれのおもてのほがらさに いわんことどもおしつぶしけり
うち対う 彼の面のほがらさに 言はん事ども押しつぶしけり
 
1210 かにかくに あかるきよなりわれかこむ ひとのおのおのたらうおもみれば
かにかくに 明るき世なり吾かこむ 人の各おの足らう面見れば
 
1211 いまのよに かかるひとらのかくまでに つどうところのたにあるべきや
今の世に かかる人らの斯くまでに 集ふ処の他にあるべきや
 
 

                    (昭和十年四月十日)

 
     
    新  居  
1212 うつりすみて いまだなずさぬへやながら そこらみまわすたのしさにおり
うつり住みて 未だなづさぬ部屋ながら そこら見廻すたのしさにをり
 
1213 きゃくあれば ときのおしかりきゃくなくば うらさみしけれこれがひとのこころか
客あれば 時の惜しかり客なくば うらさみしけれこれが人の心か*
 
1214 げんこうや えなどなすべきことおおし このいえにきてはたすべかりき
原稿や 絵など為すべき事多し 此家に来て果すべかりき
 
1215 ささやかな しんきょのへやをみまわしつ いえもちたてのわかきころおもう
ささやかな 新居の部屋を見廻しつ 家持ちたての若き頃思ふ
 
1216 いっけんの いえをかるさえやすかりぬ いともかんそなせいかつ〔くらし〕にあるみは
一軒の 家を借るさえ易かりぬ いとも簡素な生活にある身は
 
 

                    (昭和十年四月十日)

 
     
     ○  
1217 ささやかな いえをかりしもえにうたに いそしまんとてきょううつりける
ささやかな 家を借りしも絵に歌に いそしまんとて今日うつりける
 
 

                   (昭和十年四月十二日)

 
     
    新  芽  
1218 もろきぎの しんめはつゆにぬれひかり あさのさんぽのすがすがしさよ
諸木々の 新芽は露に濡れ光り 朝の散歩のすがすがしさよ
 
 

                   (昭和十年四月十二日)

 
     
    春 の 陽  
1219 むらさきの かすみのおくにどんよりと ひうけてさくらのやまたたずまう
むらさきの 霞の奥にどんよりと 陽うけて桜の山たたずまふ
 
 

                   (昭和十年四月十六日)

 
     
    六月の空  
1220 でぱーとの おくじょうにいてろくがつの そらをあおげばかぜすがすがし
デパートの 屋上に居て六月の 空を仰げば風すがすがし
 
1221 ほりばたの あおやぎのえださゆるがず しだれえながくそらまうつれる
濠端の 青柳の枝さゆるがず しだれ枝ながく空まうつれる
 
1222 あおくさの かのめずらしもこのひごろ みやこにすめるわれのにいでて
青草の 香のめづらしも此日頃 都に住める吾野にいでて
 
1223 かぜかおる このこころよさあさとでの まちのすずかけいきいきとして
風薫る この快よさ朝戸出の 街の篠懸いきいきとして
 
1224 このゆうべ あつからなくにせるまとい ほりのつつみをさすらいにける
この夕べ 暑からなくにセルまとい 濠の堤をさすらいにける
 
 

                   (昭和十年六月十五日)

 
     
    身辺詠(二)  
1225 ひもすがら なにかこころのうかなさを うちやぶりけるいちまいのはがき
日もすがら 何か心の浮かなさを うち破りける一枚の葉書
 
1226 くちさきで いいのがれんとするかれの おもてをみつめつわれかなしけり
口先で 言い逃れんとする彼の 面を見つめつ吾悲しかり
 
1227 あたらしく とういすかいていくたびも かけてみたりきこどものごとく
新しく 藤椅子購いていくたびも 掛けてみたりき子供のごとく
 
1228 おうごんを なんじゅうおくももちてみばやと ときおりおもうわれのおかしさ
黄金を 何十億ももちてみばやと 時をりおもう吾のをかしさ
 
1229 くるひとを みなたらわしてかえさんと こころづかいすわれのさみしさ
来る人を みな足はして帰さんと 心ずかいす吾のさみしさ
 
1230 よろこびの いまにもきたるここちして こころはずみつきょうもひすぎぬ
よろこびの 今にも来る心地して 心はずみつ今日も日すぎぬ
 
 

                   (昭和十年六月十五日)

 
     
    玉  川  
1231 たまがわの ながれはしろししんりょくの おかははてなにそらをつづかう
玉川の 流れは白し新緑の 丘ははてなに空をつづかふ
 
1232 ありやなしの かぜにふるえるいしのまの かわらなでしこめぐしみにつつ
ありやなしの 風にふるえる石の間の 河原撫子めぐしみにつつ
 
1233 はしのかげ おおらかにながしたまがわの ろくがつのかぜややあたたかし
橋の影 おほらかに長し玉川の 六月の風ややあたたかし
 
1234 たまがわや じゃかごいくつもぬれひかり ろくがつのかぜみずわたりくる
玉川や 蛇籠いくつも濡れ光り 六月の風水わたりくる
 
1235 さおかたげ つりびとふたりゆきずりぬ あめふるかわのみなせのはやき
竿かたげ 釣人二人ゆきずりぬ 雨ふる川の水瀬のはやき
 
1236 たまがわの ましたにながらうおかのうえに いえたてすまばやとつまふというも
玉川の ま下に流らう丘の上に 家建て住まばやと妻ふといふも
 
1237 わかあしの すくすくはえてみずきよき こぬまのきしにしばしたたずむ
若葦の すくすく生えて水清き 小沼の岸にしばしたたずむ
 
1238 はなねぎの すがれはさみしはつなつの あおきはたけのめだつがなかに
花葱の すがれはさみし初夏の 青き畑の目立つが中に
 
1239 はしにいて かわみおろせばあおずめる このみなそこにあゆおどるにや
橋にゐて 川見下ろせば青づめる この水底に鮎踊るにや
 
 

                   (昭和十年七月十八日)

 
     
 

 『山と水』 全一二三九首収録