―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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バーナード・ショウ

『栄光』78号、昭和25(1950)年11月15日発行

 今度逝去した、世界的文豪というよりも世界的偉人として尊敬されていたバーナード・ショウは、私は若い頃から非常に好きな人であった。そんな訳で、ショウ翁についての、私の記憶にある色々な事をかいてみよう。
 ショウ翁を批評する場合、大抵の人は彼は皮肉屋で警句に富んでいるというくらいしか言わないが、もちろんこれらも翁の特異な一面ではあるが、私はいつもこの評言だけで、それ以外の翁を見ないのは、いつも残念だと思っている。私から言えば彼程物を観る場合、その真相を適確に掴み短〔単〕刀直入表現出来る人は、恐らく類があるまい。彼は皮肉諧謔(かいぎゃく)の内に簡明で非常に鋭い警句を発する。ズバリ一言である。これは優れた宗教人的である。今私の記憶に残っているものを簡単にかいてみるが、彼の小説中に有名な「悪魔の弟子」というのがある。これは私は劇で見たのだが、実に面白くもあり、心を打たれた。その筋というのは、ここに英国のある小やかな町に、一人の牧師がいた。すると牧師の留守に警吏がやって来た。ある罪状のため警察へ連行の目的で来たのであるが、不在なので留守をしていた牧師夫人にその事を言った。夫人は非常に驚き恐れ、なす事を知らない有様だ。ところが、その少し前から来ていた一人の男があったが、それは町でも評判な不良青年で、綽名(あだな)を悪魔の弟子と言われているくらいだから推して知るべしだ。今警吏の前で震えている夫人を見るに見兼ねていた悪魔の弟子は何と思ったか、イキナリ警吏に対(むか)って、その罪なら僕がやったんだから、僕を引張ってくれと名乗り出た。警吏も普段が普段のこの男として、そうに違いあるまいと、何の疑いもなく、警察へ引張って行ったのである。

  心を打つ「悪魔の弟子」

 すると間もなく当の牧師が帰って来たので、夫人はその話をすると、牧師は見る見る顔色が変り、精神的苦悶の状明らかに見られる程だ、それは自分はその罪を何とかして逃れたいとその手段を日夜考えていた際とて、自分の卑怯な心理に自責の念が湧き起ったのだ。その醜い心をアザ笑うかのように、身を挺して犠牲になったのは誰あろう悪魔の弟子だったのだ。彼のその崇高なる聖者にも等しき勇気と、そうして愛の発露には流石(さすが)の牧師も慙愧(ざんき)の念をどうする事も出来なかった。これでは聖なる神の使徒たる自分は、悪魔の弟子にも劣るのではないかという訳で、確か妻君に対って懺悔をすると共に、悪魔の弟子を助けるべく警察へ急行し釈明し、軽い罪だったと見えて即座に釈放され、同行帰宅したのであった。直ちに悪魔の弟子に感謝と共に、賞め讃えたという筋であったと思う。これを見て私は当時非常に感銘したので、今でも覚えているのである。

  非戦論的な諷刺劇

 次は「武器と兵隊」という小説で、一名チョコレート兵隊とも言われた。この筋は第一次欧州戦争後の作で、一人の兵隊がある村へ駐屯中、軍務の傍(かたわ)ら村の子供達を可愛がり、いつもチョコレートを土産にやっては暢気(のんき)に日を送ったという非戦論的諷刺劇であって、戦争の可否に対し、仲々痛烈な警句を放っていたように覚えている。次は「二十世紀」という小説で、これもやっぱり戦後の英国における、当時の思想を描写したものであるが、この劇の主人公は退役の陸軍大佐で、保守的英国の代表者ともいうべき、封建的カンカンの人物であった。その主人公の思想はちょうど日本でいえば、明治時代に残っていた丁髷(ちょんまげ)ようなもので、頑固一徹で独善を振り廻しては、家族の者を困らしていたので、家庭は実に暗いが、家人はこの頑固屋の蔭では舌を出して嘲(あざけ)っており、息子などは時々新しい説で親父を説得しようとするが、仲々解らない。その内色々な問題があったりして、親父も段々軟化し遂に平伏したというような筋だったと思うが、何しろ年限が経っているので、幾分か違うところがあるかも知れないが骨子は右のようなものであった。小説はこのくらいにして彼の随筆や警句の二、三をかいてみよう。

  正直無類の大文豪

 彼の喜劇に対する意見はこうである。喜劇とはもちろん、笑わせるのが目的であるが、笑を誘発させるにはコツがある。すなわち幻滅である。例えば立派な身なりをして美髯(びぜん)を生やし、威風堂々と馬に乗って通った人物が場面が変って素ッ裸で馬に乗って出て来るとしたら、その幻滅に思わず失笑する。という訳で世の中の装飾や、コケ落〔威〕しや、伝統などの皮を思い切って剥いで赤裸々に表す。それが喜劇の秘訣と言うのである。なるほど彼の皮肉や警句も、その見方が中心をなしている。早く言えば彼は歯に衣を被せない真ッ裸にする。どこまでも有りのままの正直さだ、ところが彼の性格もそうである。彼くらい正直な文豪はかつてないと私は思う。だから彼の皮肉は皮肉のための皮肉ではない。右のような現実暴露が皮肉となるのである。こういう事もあった。ある時彼は大衆を前に置き講演をした時の事である。イキナリ彼はこう言った。今日お集りの皆さんの頭では、今私が語ろうとする話の意味は分るまいといったところ、講堂は割れんばかりの爆笑であったという事である。ここに彼の不思議な魅力がある。普通ならこんな侮辱の言を抛(な)げられると聴衆は、大いに怒らなければならないはずだのに、反ってその反対であるという事は、彼がいかに大衆から愛されていたかが躍如としている。またこういう事もあった。ある有名な閨秀(けいしゅう)作家が彼に対って、貴方のような偉い頭の人と、私のような者と結婚したら、さぞ素晴しい利口な子が出来るでしょうと言うと、彼は即座に、イヤ、違いますよ、私のような変な頭〔顔〕のものと、あなたのような平凡な頭の人との間に出来た子供は、まず役に立たないでしょうと言ったという事である。それから私が最も面白いと思った警句は、彼に従えば恋愛とは種族保存のための、神が与えた必要物であるというのである。何と痛快ではなかろうか。そうして彼程自信に富んだものは恐らくあるまい。彼は常にこういっていたそうである。なる程シェークスピアは、英国では一番偉いとされているが、本当を言えば、俺の方が偉いんだよと言ったそうである。これらは敢(あえ)て衒(てら)ったり誇ったりするのではあるまい。彼自身がそう思っていた事を、正直に言ったまでであろう。このような誇大妄想とも見られるような言葉も、彼の口を通じて出れば、何らの臭味がなく、快く受け入れられるところに彼の偉さがある。晩年は英国で発生する色々の問題についても有識者は、彼の意見を聞いて参考にしていたにみて、いかに大きな存在であったかが窺われる。彼も二十世紀の偉人の中に数えらるべき人物であろう。

  長命の秘訣「菜食主義」

 これは別の話であるが、彼の直接の死因は腎臓の手術という事である。これについて私の思う事をかいてみるが、最初庭で転落し大腿骨を折ったため、手術をしたのであるが、これは生命に関係はない。ところが持病の腎臓病が発(おこ)ったので、その手術をしたというのであってこれが死因となっている。実をいえばこの持病の腎臓病が発ったのは、大腿骨を折ったための一時的発病によるのであるから、これは放任しておけば必ず治るのである。ところが今日の医学は、それだけの事が判っていないので、手術をしてしまったのだ。従って、彼の死因は医学の誤りによる犠牲となったもので手術をしなかったら、まだまだ長命をしたに違いない。何となれば、彼は余程前から、白人に似合ず菜食主義を押通して来たそうだからである。菜食主義は最も長命の秘訣で、かえすがえすも惜しい事をしたものである。

(注)
閨秀(けいしゅう)、学芸に優れた女性。