―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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肺炎と肋膜炎

『結核信仰療法』昭和27(1952)年12月1日発行
 
 ここで結核に大関係ある肺炎についてかいてみるが、この病気は結核の原因と同様、感冒の際肺臓の内外に固めた多量の毒素に、猛烈な浄化作用が起こるもので、つまり感冒の重いのと思えば間違いない。そうして症状は人も知るごとく、最初高熱が出て全身的倦怠感、節々の痛み、食欲皆無、頭痛等であるが、この病気の最も著しい症状は咳嗽、喀痰、喘音で、特に喀痰がすこぶる多量に出るが、もちろんこれは固結した多量の毒素が高熱によって急激に溶解され、肺臓内に引っきりなしに浸入するからである。従って苦しくとも少し我慢して、そのまま放っておけば、痰は出るだけ出て一週間くらいで治り、予後は大いに健康を増すと共に、再発の憂いはないのである。ところがこれに未知な医学は、せっかくの浄化活動を停めようとして、あらゆる手段を行う。特にこの病気には強い薬を用うるのは医師も知る通りで、これは全く猛烈な浄化を抑えんがためである。
 このように猛烈な浄化に対し、強烈な薬剤を用いるので、激しい摩擦が起こり、非常な苦しみと共に、高熱、咳嗽、食欲不振等が執拗に続くので、いよいよ衰弱が加わり生命にまで及ぶのである。またこの病気が青壮年に多いのも、浄化力が強いと共に、年齢の関係上薬毒も相当多量に入っているからである。そして全快後も再発しやすいとして、医師は大いに注意を与えるが、これなども浄化停止のため古い毒と新しい薬毒とを残すからである。そこで患者は再発を恐れて、できるだけ大事にするから、再発はしないまでも、緩慢な浄化が常に起こっているので、医診を受けると結核初期の疑いを受け、それに対応する療法を始められるので、これなども実によく医学の誤謬を物語っているのである。
 次に結核の原因中最も多いのは、かの肋膜炎であろう。これにも湿性と乾性と膿性(膿胸)との三種がある。湿性は肺を包んでいる膜と膜との間に空隙が出来、そこへ水(尿)が溜るのであるが、近来流行の気胸療法は人為的に肋膜に空隙を作るから、湿性肋膜炎が起こりやすいのである。また乾性は激痛があり、空隙だけで水が溜らないとしているが、これは滅多にないもので、最初乾性であっても、日を経て湿性になりやすい。これについても医師がよく間違える事がある。それは肋骨の裏面に毒結があり、その浄化の痛み、すなわち肋間神経痛を乾性と思うのである。そうして単に肋膜炎といっても、湿性がほとんどであるから、湿性について詳しくかいてみよう。
 湿性とは最初膜と膜との間に尿が溜る際、そうとう高熱と痛みとだるさと眠さ、息苦しさがあり、特に盗汗(ねあせ)が特徴である。これも放っておけば水は喀痰、盗汗、尿などで排泄され、割合簡単に治るが、医療は穿孔して排水させるか固めるかどちらかの方法を採る。しかし穿孔排水も一時的で、日が経つとまた溜るので、結局固める事になるから、必ずと言いたい程再発する。また膿性は水ではなく膿が溜るので、医療は穿孔して排膿させるが、この膿は脊髄カリエスのごとく、その多量なる驚くべき程で、難症になると毎日のように排膿があり、一、二年に及ぶ者さえあって、そうなったのは無論衰弱死に至るのである。そうして湿性肋膜の長引いたのが結核となるのは人の知る通りで、右のごとく医療によって固めた尿水は、早くて数ヵ月、遅くて二、三年くらいで必ず再発する。この時の症状は最初の肋膜炎と同様であるが、今度は固まったものが溶けるので、咳と痰が頻繁で衰弱が早いため、医師は悪性結核と診断するが、これも放っておけば長くは掛かるが、喀痰、盗汗等が出るだけ出て、全治するものである。