―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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家相方位

『信仰雑話』P.59、昭和23(1948)年9月5日発行

 私は家相方位についてよく質問されるから、大略を書いてみるが、人間には人相という事があるごとく、家にも家相があるのは当然であろう。人間も人相の良し悪しによって運不運に大関係のあるごとく、家相も良い悪いによって運不運に影響するのである。私の説く家相は、易者等のいうのとは相当相違点があるが、これは誰からも教えられたものでもない。自分の霊感と経験によるものである事を断わっておく。
 世間一般の家相見が鬼門の方角を重要視する事は、私も同様である。ただ私の方との解釈が異うのである。そもそも鬼門とは、艮(うしとら)、すなわ即ち東と北との間であるが、この方角に限ってなぜ重要であるかというと、この方角からはすこぶる清浄な霊気が流れてくる。昔から鬼門を汚してはいけないというゆえんである。例えば便所、浴室、台所、出入口等があると、それらから発する汚濁せる霊気が、鬼門よりの霊気を汚すからで、その結果として、病魔や禍いの原因である邪神悪霊が跳梁する事になるからである。故に、艮から流れくる霊気は、より清浄に保たせなければならない。この意味において、もし出来う得れば艮の方角に小庭を造り、それへ雄松雌松を植え得れば理想的である。次に裏鬼門であるが、もちろん艮の反対で、坤(ひつじさる)すなわち西南の間である。これは物質が流れ来るという福分の霊気であるから、より富貴を望む上において重要である。それにはまず石と水を配するのがよい。例えば小さくとも池を掘り、石をあしらうというふうにするのである。
 次に、入口は辰巳(たつみ)すなわち東と南の間がよい。そうして門を入って玄関に至るまで、漸次高くなるのが最もよく、すべて家の位置は坂の中途、または坂の下、往来より低いのはあまり感心出来ないから、こういう家は長く住む事はおもしろくない。しかし、高所といってもその附近からみて比較的高ければよいので、相当離れた所に山があっても差し支えはない。また玄関が門から入って後戻りする位置はよくない。門から突き当たり、左右いずれか横のほうにある玄関がよい。また玄関を入り、突き当たりが突き抜けになっているのもよくない。これは運勢が止まらず、行き過ぎる意味になる。また奥の主人の間へ行くまでに二、三段高くなっているのは最もよい。
 家相を見るにあたって、磁石をおく場所が正しくなくてはならない。しかるに多くの家相見は家を基本とし、家の中心から方位を計るが、これは非常な間違いである。そもそも、家とは人間のための家であって、家のための人間ではない。人間が主で家は従である。家を建てるも壊すも主人の意のままであるからである。従って家は主人が中心で、主人の安住所、すなわち寝床がそれであるから、寝床を中心に方位を計るべきである。そうして、家の形は大体において凹みのある形はよくない、所々出っ張る個所のあるのがよい。また鶴翼の陣といって玄関から両方へ棟が長く出る、これもよいのである。
 次に畳数であるが、十畳は火水又は結びの間といい主人の居間に適し、八畳は火の間で、火は上位であるからこれも主人の居間によく、六畳と三畳は水の間であるから、妻女の居間によく、すべて畳数は偶数がよく四畳半、七畳九畳等は不可である。故にそういう畳数の場合は、板の間を混ぜて偶数にすればよいのである。また床の間は向かって右、違棚は左が原則であるが、入口の関係上その反対でも差し支えはない。床のない部屋なら、入口より離れたる所ほどよく、入口に接近したり、後戻りして床に面する形は最も不可である。
 洋間は二階はおもしろくないから、下に造るべきである。それは、洋間は靴ばきであるから道路と同じ意味になり、上下逆になるからである。
 次に方位であるが、何歳の年令は何の方角がよいなどというが、これはあまり意味がない。よく鬼門への引っ越しは悪いというが、これは反対である。前述のごとく、鬼門は清浄な霊気に向うのであるから極めてよいのであるが、ここに問題がある。それは鬼門に移住する場合、その人の業務や行為が正しくなければならない。何となれば、鬼門の霊気は浄化力が強いから、邪念や不正行為のある場合、浄化が起こり苦痛が早く来るからである。今日までの人間は、邪念や不正業務等の人が多いためそれを恐れ、鬼門を嫌う事になったのである。