―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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健康は一切なり

『栄光』182号、昭和27(1952)年11月12日発行

 健康とはもちろん病なき人間をいうのであるが、これについて不思議に思う事は宗教学者やジャーナリストなどは、病気治しなどに力を入れている宗教は現当利益が本位であるから、高級宗教ではないとの説を唱えるが、これ程間違った話はあるまい。言うまでもなく人間と生まれ、社会生活を営む上において病程邪魔をし、苦しみを与えるものは外にないのは言うまでもない。そうして今社会を通覧する時、不幸や悲劇が起る原因をよく調べてみると、必ず根本は病気である。ちょうど犯罪の裏には女ありというように、悲劇の裏には病ありと言ってもいい。このように病のない健康人間が増えるのと正比例して不幸な人間が減ってゆくのは絶対間違いないのである。これは個人の話だが実は国家社会から言っても、これ程マイナスはあるまい。結局は病気が因である。
 本教モットーである病貧争絶無の世界といっても、病気さえ解決出来れば、食も争も解決されるのはもちろんである。これは多く説明の要のない程明らかであるが、ただ病気といっても肉体のみではない。精神的病気が今日の世界としては、最も大きな問題である。彼の戦争であるが、これとても戦争を起す者と、防止する者とは全然反対であるし、また戦争を起す発頭人と、駆り立てられる人民とも違っているのはもちろんだから、要するに戦争を起そうとする偉い奴が一番悪いのである。そういう偉い奴の本心を晒け出してみるとこうであろう。つまり欲望の強すぎるため、普通人なら満足出来るくらいの成功をしても、並外れて手腕があり、自信があるので我慢が出来ずトテツもない野心を起すのである。これは史上幾多の英雄、豪傑の事績を見ても分るごとく一時は思い通りに行くが、最後は必ず失敗に終っている。
 以上のように、おのれの野心を遂げようとする反面、多数の人間を犠牲にするので、実に無慈悲である。普通人としたら多数の命を犠牲にし、数限りない不幸な人を作るのであるから、その罪悪におののきそうなものだが、平気である彼らとしたら、いかに英雄でも精神に欠陥があるからであって、一種の精神病者である。また自分さえよければ人はどうでもいいという愛も慈悲もない利己一点張の人間も、ヤハリ精神のどこかに欠陥があるからである。面白い事には私が長い間の経験によって分った事だが、精神に欠陥のある人は必ず肉体的にも欠陥がある。ところが英雄でも悪人でも、非常に健康な人があるのは、多量の毒素がありながら、非常に強く固まっているためである。
 以上によってみても、宗教でも、科学でも、哲学でも、教育でも何でもいい、ただ人間から病を無くす事が出来ればいいが本当に病を治す力としては私がもっている○ヽ(ス)の霊光以外絶対ないのである。