―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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結論・結核は治る

自観叢書第1篇『結核と神霊療法』P.21、昭和24(1949)年6月25日発行

 私は前項までに結核の原因を説くと共に、医学的解釈の誤謬も充分説明した積りである。これを読んだ大抵の人は納得が行ったと思うのであるが、今一層徹底しなければならない。
 以上説いたごとく、医学の解釈と吾々のそれとはあまりの違いさで、むしろ全然反対といってもいい。従ってそのいずれが真理であるかは、治病効果によって判定する以外正確なる結論は得られまい。ここでわが療法とその効果の事実のありのままをかいてみよう。本療法はもちろん薬剤も機械器具も、唯物的方法は一切行わない、ただ人間対人間の治病法が、その原理である。生れながらにして人間に保有せる霊と称する眼に見えざる一種のエネルギーを応用し、発揮し、治病の効果を挙げるのである。この場合必須条件として、術者は本教信者である事、しかし患者すなわち被術者は無信仰者でも差支えなく、大いに疑っても効果に関係はない。よく世間では信仰しなければ治らないというが、本教浄霊においては全然そのような事はない。その証拠には幼児が最も効果著るしいのである。信ずれば治るという事は、自力であり、本教浄霊は他力であるからである。
 本教浄霊によれば、現在のところ結核の治癒率はまず八○%は確かであろう。実をいえば百%の治癒率は得らるるのであるが、二十%位は非治癒者が出るのはやむを得ない理由がある。その事を以下説明してみよう。
 感冒から肺炎、肺結核になる順序は一通り述べたが、この説明から読者は何を発見し何を把握し得たであろうか。それはいうまでもなく現代医学の一大誤謬であって、その誤謬が生んだ医学である以上、病気を完全に治癒するのではなく、対症療法の言葉の通り、一時的苦痛緩和に過ぎないのである。ところが意外にも苦痛緩和の方法が、実は病気悪化の結果となる事で、これが問題の焦点である。さきに説いたごとく、苦痛緩和の方法として、溶解毒素を固結状態に還元させようとする。それには衰弱させなければならないので極力種々の衰弱法を行う結果、長く医療を受けたるもの程衰弱ははなはだしく、薬毒も多量保有者となっているから、その排除に時日を要するのは当然で従って病気は軽快するが、衰弱は増し衰弱によって斃(たお)れるのである。これが二十%の理由である。
 以上私は結核についての医学の誤謬と本教浄霊の効果について赤裸々に述べたが、私の説はあるいは法規に触れるかも知れない。法規に触れないまでも医家の一部の人達から反駁や排斥の手段を執られるかも知れない。何となれば私の説が肯定されるとしたら、医学の革命となり、全世界医学に関係ある人達の生存問題にまで及ぶという結果もあり得るからである。
 これらを考慮する時、私としても今日まで発表を幾度躊躇(ちゅうちょ)逡巡したかしれない。しかしながら真理を発見し、病なき世界たらしむる事の可能である事の確信を得た以上、黙止し能わざるに至ったのである。そうして永い人類史上にも全然見当らない、私の仕事というものを客観する時、神は私をして人間が病苦から解放さるる時来ったことを示すと共に、それを遂行すべき大いなる力を与え給うたのである。
 また宗教を別に学問方面からみる時、こういう事も言えるであろう。いかなる学説といえども反対学説が表われ、その優劣を競う事によって文化の進歩はあり得るのである。万一私の学説が非であれば必ず消滅するであろうし、医学の学説が非であればもちろん消滅するであろう。この意味において、既成学説の牙城以外、いささかも触れないで否定してしまう事は決して学問に忠実な態度とは言えないであろう。例えば今次の大戦中、仮に非戦論者が非国民として排斥されても、終戦の結果それらの人こそ先見の明ある識者たる事を賞讃された生々しい事実に対し、想い及ぼさざるを得ないであろう。