―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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幸福を生む文化

『栄光』149号、昭和27(1952)年3月26日発行

 いつもいう通り、人間の欲望を一口に言えば、幸福であるのは分り切った話である。その目的に向かって何千年も前から、人類は営々努力しつつ、ついに現在 のごとき絢爛(けんらん)たる物質文化が造られたのであるから、たしかに唯物的には予定通りに成功したのである。ところが今日の人間が、俺こそ真の幸福者 であると思っている人は、果して幾人あるであろうか、恐らく百人に一人も難しいであろう。見よいつになっても戦争の恐怖、病気の恐怖、貧乏の恐怖のこの三 大苦難が付きまとっていて離れないのが人間の常態ではないか、としたら現在は幸福どころではない。せめて今少し安心して暮せる世の中になって欲しいと思う のが、誰もが抱く精一杯の欲望であろう。
 このような世の中を切替えて、本当に幸福な世界にするのが本教の目的で、しかも立派に実現の可能性があるのだから空前の救いであろう。それにはまず何と いっても今までの文化の誤りを指摘し、本当のやり方を教える事である。今までのような上面ばかりを好く見せかけ、形のみの文化では駄目で、どうしても内容 も共に良くならなければならない。つまり偽りのない社会、今のように誤魔化し本位で、善人らしく見せてる悪人の多い社会では、幸福などありよう訳がない。 もっと分り易くいえば今の世の中は悪七、善三というのがありのままの姿であろう。三とはもちろん正義愛であるが、七対三ではどうしても善が負けるのは当然 である。事実悪がノサ張りすぎて、善が下積にされているのが現在であるから、不幸災厄は次から次へと作られてゆき、全く苦の娑婆である。ところがここで考 えてみなくてはならない事は、単に悪といっても容易に判断がつき兼ねる悪が随分ある。というのは現代の悪は智能的になっているため、巧妙に善の仮面を被 り、悪を逞(たくま)しくする人間も少なくないが、一層始末の悪いのは、悪を善と誤り信じて、一生懸命になっている人達である。
 まず第一は人間の最大悩みである病気を解決すべく、生命を賭してまで研究をしている学者は固より、世界中の医学に携わる人々もそうで、真剣に人を助ける べく善と信じて実は悪を行っているそこに誰も気が付かない。これは常に私が警告しているところである。また作物に人為肥料を施すのを善と信じて、実は不作 となる事に気が付かない、大多数の農業関係の人達である。また共産主義をもって最大多数の下層階級に、最大幸福を与えると思って一切を犠牲にしてまで闘っ ている多数の人達もある。
 以上のごとき人々こそ、結果から言えば無智で、悪を善と信じて行っているのであるから、その熱意の強い事も別で、すこぶる効果的である。これら数々の原 因を検討してみる時、真相を見通し正邪善悪を判別するところの叡智こそ必要である。というのは間違っている事でも、長い歳月のため、医学の理論が固定化 し、伝統的となり迷信化してしまったものである。ではなぜ真実が発見されなかったかというと、全く時が来なかったからで、時こそ絶対の支配者である。そこ で神は私という者を選んで、一切の誤謬を啓示され、しかも叡智否神智をも与えられたのであるから、叡智でも分らない事が私には分るのである。
 ここで今一つの事を言わねばならないが、右のごとき時というのは、今までのごとき悪の七の力は漸次薄れて、三であった善の力が四となり、五となり、七と なるのである。いつも私の唱える夜は終って昼となりつつあるという意味で、これが分ったならその人は真の幸福を掴んだのである。