―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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治るんだ

『光』3号、昭和24(1949)年3月30日発行

 本教に対し、本教を傷つけんとしてあらゆる手段を講じ、取締当局にむかって投書戦術を極力利用している者がある、また先日の高山市における街頭録音の際 も、彼ら仲間は相当の頭数を集めて非難攻撃の矢を飛ばしていた、サクラも大分あったらしい、なぜなれば全然捏造的の事を呶鳴っていたものがあったからで彼 らは投書の外に言論機関をも極力利用したり流言蜚語(りゅうげんひご)を放ったりしてヤッ気となっている、これがため当局も相当神経を尖らしているようで ある。
 ところが右のごとき中傷手段が本教発展の趨勢には影響がないばかりか反って発展の速度を速めるような傾向がある、もっとも本教はただ神のまにまに一人で も多くの同胞を救い幸福に導くべく神の使命を遂行しているのであり、役員信徒は誠心誠意法を重んじ言行を慎み、日夜奮励努力しつつあるのであるから、何人 といえども本教を深く検討するにおいては、今までのあまりの誤解に悔悟せざるを得ない事になるので、そういう人達の陳謝の言葉もよく聞くのである。
 そうして本教に打撃を与えんとする輩は、釈迦に対する提婆(だいば)とみるの外はなく、昨今彼らが最後の奥の手として用いつつある方法は医師法違反また は医療妨害に引っかけようとして種々の画策を講じている事は明らかであるとすれば、本教の中傷者は医業または薬剤業に関係ある者、民間療術者等である事は 推察するに難くないのである。
 本教を病気専門の治療業のごとくに故意に見せかけようとする者もあるが、それらは度し難い輩で唾棄(だき)すべきである、本教が常に唱えるところの病貧 争絶無の世界を打樹てんとする以上この三大災厄の中心としては何といっても健康を全うする事である、健康なくして何の救いがあろう、世間往々病苦に呻吟し ながら救われたとする信仰者もあるが、これは大なる謬りで、なるほど精神方面だけは救われているが、肉体的には救われていないのである、救われたのは半分 だけである、これはどういう訳かというと今日までの既存宗教の力は精神的のみで肉体までも救い得なかったのでそれは遺憾ながら力が不足していたのである、 それが長い間に宗教といえば精神的のみ救うべきものとされてしまったゆえんで宗教学者輩は肉体を救うという事は邪教の分野であるかのような巧妙な理論を構 成してしまったのである、このような逆説的観方は、病気が治ったり貧乏から免れたりするような宗教は、現当利益が目的の低級宗教であると言いふらしたの で、実に誤りもはなはだしかったのである。
 以上のように既存宗教では不可能とされていた現当利益が本教の信仰者は豊富に受け得らるるのである、すなわちあらゆる療法によって効なく、医師から見放 された患者がたちまちにして好転し、回復するという驚異的事実は誰よりも医家にとっては一大問題である、医家の一部にさきに述べたごとき盲動を起こす者の あるのも一面無理はないとも思うのである、したがって本教が世のあらゆる非難攻撃を浴びながら、いささかも発展の度が緩まないという事は当然な訳である。
 そうして本教の布教者は宗教的見地から病者に対して、治そうとする心はあまり働かない、病者の依頼に応じ浄霊と称して霊を浄めるだけである、霊が浄まれ ば病気は自然に治るからである、ゆえに治すのではない治るのである、この点が最も肝腎なところで、これに対しいずれの点が法規に触れ社会に害毒を与えるの であるか、実に不可解の一語に尽きるのである、本教の浄霊によって救われ、感謝感激に堪えない多くの人々から送って来る山成す報告礼状は、月刊雑誌「地上 天国」及び週刊紙「光」紙上だけでは到底載せ切れない程で、いかに多数者の生命を救い、社会の福祉を増進しつつあるかははなはだ明らかで吾らは大いに調査 されん事を望むのである。また多数の被救霊者の報告に対してはいささかも誇張する事なく、有りのままの事実を本人自筆で書くを原則とし、万一書けない者は 口述筆記して出す事にしている、ゆえに宿所姓名も出来るだけくわしくし、もし疑いを抱く者があれば本人直接に訪問尋問されん事である。
 吾々は新日本再建という大目標の下に邁進しつつあるが、それを知ってか知らでか、極力妨害する軽率極まる人間があるという事は実に慨歎(がいたん)に堪 えないのである、人間の最大悩みである病患から救うその力が、既存のあらゆる療法より優っているからという理由で押し潰そうと厄気となるという事は、何と 評していいか、言葉の発見に苦しむのである、本来なれば吾々の行為に対しては、官民共に大いに推奨すべきが本当ではあるまいか。
 何となれば本教の浄霊が盛んに普及されるに従って、医療で解決出来ないところの結核も伝染病も、あらゆる病患も漸を追うて減少する事は火をみるよりも燎 (あきら)かで、健康日本の出現はあえて難事ではないからである、この意味において現在のごとく本教の救いを妨害するという事は健康日本の出現を遅延させ る以外、何物でもないので全く大なる社会悪である、ここにおいて吾らは、彼らがその事に目覚める日の一日も速かならん事を祈ってやまないものである。