―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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邪神の没落

『地上天国』10号、昭和24(1949)年11月20日発行

 キリストにサタン、釈迦に提婆(だいば)は誰も知っているところであるが、吾々といえどもサタンや提婆が常に根気よく狙っている。面白い事には、時期の切迫につれ、彼ら邪神はいよいよ躍起となって、昨今は獅子奮迅(ししふんじん)の勢で活躍している事で、本紙にも近頃目立って掲載されているから知らるるであろう。これらによってみても、邪神の運命の最早目睫(もくしょう)に迫っている事が想察さるるのである。という事はキリストの言った最後の世の前夜ともいうべき今である。
 一口に邪神というが、邪神にも大中小種々あって、その頭目は兇党界の支配者で、曇りの多い人間程邪気の霊線によって自由自在に操られ、神に対し知らず知らず妨害手段をとるのである。ところが邪神は今日まで何千年間思うままに振舞って来たので、霊界の転換を知らず今まで通りと思って悪を続けているのである。しかるにいよいよ霊界の転換が寸前に迫ったので、彼らは眼が醒めぬまま周章(あわ)て出したのも無理はないのである。
 という事は、邪神の最も恐れるのは光であって、霊界が昼となるに従って光が強烈となるのである。すなわち邪神の恐怖時代が来つつあるのである。それは邪神は光に遭うや萎縮し活動する力が弱るのである。この例として心霊研究会等において、電気を消し真暗にしなければ霊の活動が出来ないという事は、それがためである。この場合よほど神格を得ている霊でないと、光の中では活動が出来ないからである。
 以上の理によって、本教に向かって妨害するものは、観音力から発する光を恐れるので、彼ら邪神界は何とかしてこの光を防止しようとしてあらゆる妨害を行っているので、それが昨今の彼らのあわて方である。しかるに昼の光とは太陽の光線であるから、いかに死物狂いで防ごうとしても徒労以外の何物でもない。ところがここに何人も警戒しなければならない一大問題がある。それは邪神に加担したものは、最後の審判の場合、永遠に滅ぶる運命者となるのである。ゆえにいよいよとなるや、何程後悔しても先に立たずで、滅亡するのは必定である。したがって何よりも今の中(うち)悔悟遷善(かいごせんぜん)し、神の大愛に抱かれ、悪から脱却し、善人の仲間に入り、歓喜の生活者となって永遠の生命を得なくてはならないが、それを吾らは奨めてやまないゆえんである。


(注)
提婆、提婆達多(だいばだった)
 釈迦の従弟。大変有能な人物であったが、逆恨みから釈迦とその教団に執拗な嫌がらせをした。
目睫(もくしょう)、めとまつげ。転じて、とても近いところ。