―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

help

神人合一

『栄光』155号、昭和27(1952)年5月7日発行

 よく昔から神人合一という言葉があるが、実際からいってそういう人は、今までに一人もなかったと私は思っている。なるほど釈迦、キリスト、マホメットの三大聖者にしても、神人合一のごとく見ゆるが、実は神意の伝達者であって、判りやすく言えば神の取次者であったのである。という訳で世人は神人合一と、神の取次者との区別を知らなかったのである。すなわち神の取次者は神憑りや、神の命によって行動するのであるから常に神や仏陀を祈り、その守護を仰ぐ事にしているのである。
 ところが私はそういう事は全然やらない。信者も知るごとく、神を祈る事もないし、神の指示を仰ぐ事もない。ただ自分の思うがままを実行していればいい訳で、はなはだ簡単である。としたら今までに例のない事とて、変に思うかも知れないから、ここに差し支えない点だけをかいてみよう。いつも言う通り私の腹には光の玉がある。これはある最高の神様の魂であるから、私の言動すべては神様自身が、私を自由自在に動かしているのである。つまり神と人との区別がない訳で、これが真の神人合一なのである。
 従って私に在られます神霊は、最高の神位であるから、これ以上の神様は世の中にないのであるから、他の神様に頭を下げる意味はないので、何よりも信者が日々顕わしている奇蹟がそれを証拠立てている。その奇蹟たるやキリストの顕わした奇蹟以上の奇蹟が、常に顕われているので、私の弟子でもキリストに較べて何ら劣るところはないのであるから、この一事だけでも私の神格は想像つくはずである。
 今一つ言わねばならない事は、今日までのことごとくの聖者は、将来天国的世界が実現するという予言はしたが、自分自身造るとはいわれなかったのは、全く神格が低く力が足りなかったからである。私は自分自身が病貧争絶無の地上天国を造ると宣言しているのは、右の理由によるからである。という訳で今後私は今までにない幾多の驚くべき経綸を行うから、それをよく見て貰いたいので、到底人間業とは考えられないような事が、ドシドシ出て来るであろう。