―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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信仰とストライキ

『栄光』187号、昭和27(1952)年12月17日発行

 今時局問題として、国民大衆が最も脅威を受けているのは、炭労ストと電産ストであろう。これを解決しようとして政府は固より、中労委などが種々の打開策を講じ、懸命になっているが、どちらも意外に強硬で容易に解決の方向に進まず、前者は五十日以上、後者は七十日以上に及んでも、依然として何ら曙光を認められないのは困ったものである。これがため国家が蒙る直接の損害は、一日数十億に上るというのであるから、間接の損害も加えたなら驚く程の数字に上るであろう。
 では一体この原因はどこにあるかを考えてみるまでもなく労務者の方は少しでも賃銀を多く得ようとし、経営者の方では少しでも少なくしようとし、両者の欲の衝突がこうなったのは言うまでもない。それがため大多数の国民が犠牲にされ苦しんでいる。この事実に対し彼らは目を塞いでいるのであるから、むしろ許し難いといってよかろう。つまり自分さえよけりゃ他人(ひと)の困ることなど構わないという利己一点張の考え方である。としたら早晩この問題は解決を見るとしても、いずれは再び起るのは間違いないから、このような忌わしい問題は一日も早く打切りにしたいのは、誰もが念願するところであろう。ではそれに対し徹底的手段はありやというに、大いにあることを告げたいのである。それは何かというと、もちろん信仰心の培養であり、それ以外絶対ないことを断言するのである。にもかかわらず今日いかなる問題に対しても、信仰以外の手段のみに懸命になっているのであるから、全く的外れで効を奏しても一時的膏薬張であるから、いずれは再発するのはもちろんでちょうど医学と同様である。右のような訳で政府もジャーナリストも指導階級にある人も、信仰などはテンデ問題にせず、唯物的方法のみで解決しようとするのであるから、その無智なるいうべき言葉はない。
 そのような訳で、今仮に私のいう通り労働者も経営者も、正しい信仰者が大部分になったとしたら、果してどうなるであろうかを考えてみて貰いたい。もちろん信仰の建前は利他本位であるから、労働者は誠意をもって事に当り、経営者の利益を考えるとともに、経営者の方でも出来るだけ労働者の福利を考えるから、共存共栄の実が挙(あが)り、両者が受ける利益は予想外なものがあろう。もちろん愉快に仕事も出来るから能率も上り、自然コストも安くなるので事業は繁栄するし、しかも輸出方面も旺んになるから、国家経済も大いに改善され、税金も安くなり、生活も楽になるのはもちろんであるから、病気も犯罪者も減り、四方八方よくなるばかりで、日本再建などは易々たるものである。その結果世界各国から模範的平和国家と崇められるのは必定である。
 以上のような夢物語にも等しいようなことも、決して難しくはないどころか、かえって容易であるのは常識で考えただけでも分るはずである。しかもこの根本は心の向け方一つで実現するのであって、要は実行である。とすればこの説こそ何と素晴しい福音ではなかろうか。ではなぜ今日までそんな簡単なことが分らなかったかというと、人間の心に内在している野蛮性である。何しろ人類は文明になったといって威張ってはいるが、それは形ばかりで内容は右のごとくであるから争闘は絶えないのである。そうして野蛮性とは言うまでもなく獣性であって、彼の獣が一片の肉を奪おうとして歯を剥き牙を鳴らして取合いをするというこの性格がそれであるから、極端な言い方かも知れないが、現代の人間は右のごとき獣性の幾分が、文化面の陰に残っているのである。昔の諺に人面獣心という言葉があるが、文明になった今日でもこれだけは依然たるものである。
 従って本当にこの社会からストを無くするには、どうしても宗教をもって獣性を抜く事で、これ以外根本的方法はあり得ないのである。この意味において我救世教の建前としては、人間から獣性を抜くことであり人間改造であって、これこそ理想的文化事業ともいえよう。ところがこの真相を知らない人達は、本教の内容を検討もせず、単なる迷信として片付けてしまうのだから、この人達こそ誤れる既成文化を有難がっている盲目者というより言いようがない。それについて私が今かいている文明の創造なる著書であるが、これは前記のごとく今日までの外形内貧の文明を揚棄し、当然生まれるべき真文明の設計構想を指示したものであるから、完成の暁全世界の有識者に読ませ、大いに啓蒙せんとするのが目的である。