―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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社会悪の根源

『光』9号、昭和24(1949)年5月14日発行

 今日本の最も悩みである社会悪について論じてみよう、その前に為政者や有識者が執っている手段を検討する必要がある、為政者は法規を厳重の上にも厳重にし取り締まっているが、これらはもちろん根本には触れないから、悪人は法規をいかに巧妙に潜るかに専念している、それは法網の隙を狙いつめ、隙あらば破ろうとする、当局は破らせまいとますます法網を密にし、破る隙を与えないよう努力している、全く善悪の智慧比べである。
 ところが、前述のような法網を潜る人間は、前科者、ボス、不良等を連想されやすいが、事実は決してそんな劣等者ばかりではない、上は大臣から政治家、代議士、官吏、実業界の有名人に至るまで、罪を犯さないものはほとんどないといってもいいくらいである、ただ今日犯罪者として表面に浮び出した者は、その中の一部に過ぎないとさえいわれるほどで、世間は被検挙者は不運であるからとよくいうが、それ程表面に顕われない多数の犯罪が蔵(ぞう)されている、そうしてこれら犯罪者を深く検討する時、こういう事が言える、彼らは罪を恐れない、国家に損害を与えたり、社会に害毒を流したり、他人を苦しめたりしても良心に恥ずる事を知らない、人を咎(とが)める事は知っていても、自分をとがめる事は知らない、現在国民が納税に苦しんでいる際、宴会などに馬鹿騒ぎをしているのは役人が多いという事はしばしば聞くところである。
 人間は自身の不正行為に気が咎めなかったり、不純な行為に恥じる心がなかったり、人を苦しめて哀憐の情が起らなかったりするとしたら、それらは最早人間としての価値を失っている、何程口に高邁な理論を説き、学識を誇るといえども、それだけでは人間の価値はない、魂のない物質人間である、かような人間が今日あまりに多過ぎるため社会悪が瀰漫(びまん)し、地獄的世相を顕出(けんしゅつ)しているのである、一言にして言えば日本全体が重症患者となっているともいえる。
 以上のような憂うべき現象は何がゆえであろうか、それは全く吾々が常に言うところの唯物主義教育のためである事は、一点の疑いを挿むべき余地はあるまい、これゆえに社会悪絶滅の方法は別に困難ではない、ただ唯物主義思想を打破する事――それだけである、しからばその方法は何か、言うまでもなく唯心主義教育である、すなわち神を認める事である、霊を、霊界の存在を信ずる事である、それが宗教本来の貴重なる使命である、といってもいたずらに宗教理論を唱えたり説教やお念仏だけでは神や霊を認識させる事は不可能である、どうしても如実に奇蹟を表わす事であり、顕著な現当利益を与える事であって、それ以外に唯物思想を打破する方法は絶対にないのである。