―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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毒素の解剖

『結核信仰療法』昭和27(1952)年12月1日発行

 ここでいよいよ毒素の説明に移るが、本来毒素とは言わば濁血であり、霊の曇りである事は、既記の通りであって、曇りとはもちろん悪による罪穢のために発生するもので、この罪穢観は昔から宗教の一手専売のようになっているが、遺憾ながら今までの説き方は、単に悪い事は罪穢となるからすべからずと言ったような、単純な説き方であるから、昔の人間ならいざ知らず現代人のごとき智的、科学的の頭脳では、到底納得できるはずはないので、どうしても理論を体系とし、実証を裏付とした確固たるものでなくてはならないのである。
 さてこの世界なるものは、霊界と物質界との構成であるから、人間も同様霊と体とで成立っており、両者密接不離の関係にあって、霊体一致が原則である。という訳で霊の曇りが体に映れば濁血となり、濁血が霊に映れば曇りとなる。これが最も重点であるから、そのつもりで読んで貰いたい。そうして今それを霊の方から説いてみると、人間が悪の行為をするやその罪が霊の曇りとなり、この曇りの溜積がある程度に達するや、ここに浄化作用が発生する。これが病気、災害、または法による刑罰であって、これに洩れた分が神の律法によって霊的刑罰を受けるのである。しかしこの刑罰をいかに巧妙に免れ得たとしても、神のそれは絶対である以上、体に移写して大きな苦悩となる。もちろんこの際の病気は悪性で、多くは生命にまで及ぶのである。そうして悪の刑罰は、早ければ早い程軽く済むもので、ちょうど借金と同様、返えさずにおくと利子が溜るようなものである。しかし悪人によっては、人と神との両刑罰を巧く免れる者も稀にはあるが、それらは死と共に霊界に往くや、罪の重荷によって地獄のドン底に堕ちてしまうので、いかなる悪人も悔悟せざるを得ない事になる。すなわちここは仏教で唱える無間地獄、神道でいう根底の国、西洋では彼のダンテの地獄篇にある錬〔煉〕獄である。何しろ光なく熱なく、暗黒無明の世界で、何一つ見えず、凍結状態のまま何百年でも続くのであるから、いかなる極悪人でも往生せざるを得ないのである。こんな事を記くと現代人は容易に信じ難いだろうが、私は霊界研究の折、多くの霊から直接聞いた話で、一点の間違いはないから、絶対信じて貰いたいのである。
 話は戻るが、悪の結果として自責の念が起こるが、この心の苦痛こそ軽い浄化であって、この時悔い改めればいいが、中々そうはゆかないもので、多くは罪を重ねる事になる。もちろん曇りといっても罪の大小により、その量も相応するが、それとは別に他動的の場合もある。それは人を苦しめると、苦しみを受けた人間は怒ったり怨んだりするから、その想念が霊線といって、無線電波式に加害者の霊身に伝達し、それが曇りとなる。これに反し人を喜ばせ、善を行うと、相手の感謝の念が光となって伝達されるから、それだけ曇りが減るのである。しかしこれとても陰徳的に本人に知れないようにする程、神の恩賞は大きくなるもので、これこそ厳たる天則であるからどうしようもないのである。以上が霊界の在り方であって絶対の真理である以上、人間はこれを信じ、これに従うより外はない。右の通り曇りの浄化作用が病気その他の災いの因としたら、人間幸福を得たければ悪をやめ、善を行い、霊を曇らせないようにする事である。
 次に体的の面をかいてみるが、病原としての濁血はもちろん薬毒が因である。元来薬剤とはことごとく有毒物である。にもかかわらず長い間薬としてよい意味に解釈して来たこの間違いこそ、病気は浄化作用なる根本を知らなかったからである。ここで薬毒についての原理を実地経験によってかいてみるが、浄霊によって一旦治癒した患者でも、しばらくすると再発する事がある。これを吾々の方では再浄化というが、この理由は初めの浄霊は、浄化発生している分だけの毒素が解消されるので一旦は快くなるが、業務につき仕事にかかるや、この時は相当活力も出て来たので、活発な浄化作用が発生する。つまり浄化によって健康になり、健康になるから浄化が発るという訳で、それを繰返しつつ健康は漸次快復するのである。というように再浄化の場合は割合強烈なため、高熱や激しいせきが発る。これは固まった古い痰が出るためで、濃厚なのと薬の臭いでよく分かるが、もちろん食欲不振、衰弱等も加わり、稀には不帰の客となる事もないではない。その率は今日までの統計によると、浄霊で全快した者百人に対し、七人の割合であるから、後の九十三人は完全健康者となって、現在皆活動している。
 右のごとき驚異的治病成績に対し、一層驚くべきは、吾々に来る患者のほとんどは医療、民間療法、信仰療法等、あらゆる方法で治らず、死の一歩手前にまで追い詰められた重症患者のみであるに対し、右のごとき素晴しい成果を挙げるとしたら、到底信じ得られないであろう。ところで右七人の不成績者といえども、その原因のことごとくは薬毒多量のためであるから、浄霊法とはつまり薬毒除去の方法であって、何よりも薬毒が減るだけは、快方に向かうに見て明らかである。としたら無結核国日本にするには、あえて難しい事ではない。薬剤を全廃する事と、感冒を奨励するこの二つで、充分目的を達し得らるるのである。
 そうして造物主は、地球の主人公として人間を造られた以上、生を養うに足るだけの食物は生産され人間には味覚を与えられている。従って食いたい物を楽しんで食えば、それで充分健康は保持されるので、あえて栄養などの面倒は要らないのである。ちょうど性欲のようなもので、これは人間を作る目的ではなく、他の目的で無意識に作られるのと同様の理である。としたら人間は定められた食物以外の異物は、体内に入れてはならないに決まっている。すなわち味のない物、もしくは苦い物などは食うべからざる物としてその物自体が示している。それを知らないため、昔から「良薬は口に苦し」などといったのは、誤りもはなはだしいといわねばならない。このように消化機能なるものは、定められた食物以外のものは処理されないように出来ている以上、薬剤も異物であるから、処理されずに残存し、これが病原となるのである。これについては天然痘に大関係があるから、次項にかいてみよう。