―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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私は宗教科学者だ

『栄光』255号、昭和29(1954)年4月7日発行

 宗教家の私が科学者といったら妙に思うであろうが、これを終りまで読んだら、いかなる人でもなるほどと思わざるを得ないであろう。というのはいつもいう通り、現代科学はまだまだ低く、科学という程には到っていないからである。それを今詳しくかいてみるが、まず今日科学の重点となっているのは、何といっても粒子の発見とその究明であり、これも顕微鏡の進歩によるのはもちろんだが、その結果微粒子把握の進歩は驚くべきもので、何千、何万、何百万分の一というように、止どまるところを知らない進歩であって、極微の極致までも捕える事が出来、まさに無限界にまで突入せんとしている現在である。最近唱え出した精という言葉はこの無限界を指したものであろう。もちろんこの無限界を知り得たのは、科学的操作のためではなく、科学理論を究明の結果、推理による仮定説であって、そうしなければ突当ってどうにもならないからである。ところがこれこそ私の唱える霊の世界であるから、科学も漸(ようや)くここにまで来た訳で、正直にいって長い間霊を否定し続けて来た科学も、ついに敗北した訳である。
 それはそれとして、右のごとくこの精なるものこそ霊であり、気(き)であってみれば、これを確実に把握出来たとしたら、ここに科学は一躍高度の地位に上ると共に、真理探究の学問の理想に一歩前進した訳である。しかしそうなると科学は霊を対象とする以上、今までのごとき物を対象とした考え方は前期的科学となり、霊のそれは後期科学として世界の舞台に登場する事になるから、ここに科学は百八十度の転換となり、宗教と一致せざるを得ないことになる。これを一層分りやすくいえば、科学の世界の中央に一線を引き、物の科学は線の下位となり、霊の科学が上位となるので、これは経(たて)の見方であるが、緯(よこ)の見方からいえば前者は外容であり、後者は内容である。つまり有の科学から無の科学に向上したので、実に喜ばしい限りである。ところがここに難問題がある。というのは霊の世界を把握しただけでは何にもならない。どうしてもその本質を把握し、人類に役立たせなければならないが、困ることには物の科学では方法があり得ない。どうしても霊には霊を以ってするより外はないのである。
 ところが私からいえばその難関も造作なく打破り得る。否(いな)すでに打破っている。今現に私は実行し、驚くべき成果を上げている事実である。すなわち霊を以って霊の問題を解決している。言うまでもなく病気治療がそれであって、今ザット説明してみると、一切の病原は患者の霊に溜積した不純物であるから、それを解消すれば治るに決っている。それは霊主体従の法則によるからである。その方法として霊的原子爆弾ともいうべき特殊の霊を放射し、不純物を焼尽(しょうじん)する。この方法が浄霊という高度の科学操作であって、しかもこれは医学のみではない、あらゆる科学でも宗教でも、不可能とされていたものも解決出来るのであるから、これこそ超科学でなくて何であろう。これについて別の面からも解説してみよう。それは誰も知るごとく医学の定説となっているのは、病原の総ては黴菌としている事である。この黴菌発見がエポックとなって、現代医学は画期的進歩を遂げたのであるが、これは物の科学の進歩であって、これだけでは半面の進歩でしかない。というのは菌を殺すだけでは根本には触れていない。私からみれば笊(ざる)へ水汲むようなものである。それは菌なるものは結果であって、菌といえども幼虫から育ったものであり、その幼虫こそ彼のウイルスである。近来学者間においてウイルスは無機物か有機物かの論議があるそうだが、実に滑稽(こっけい)である。それは無機物から有機物に変化せんとする中間粒子であるからで、どちらとも決められないのである。従って肝腎なのは無機物発生の原地であって、これが霊界である。故にこれが分れば最早顕微鏡の必要はなくなる訳である。
 以上のごとくであるから、現在までの物の科学は低科学であって、そのような低科学を以って、高度の人間生命を解決するなどは下剋上(げこくじょう)である以上不可能であるのは当然である。その証拠として浄霊によれば医学で不治とされた難病も、容易に治るにみて明らかである。つまり霊の科学とは物の科学の奥の院といっていいのである。ここで私は霊界なるものを徹底的に掘下げてみよう。そもそも霊界の本質は日、月、土の三精から成立っており、科学でいう酸素、水素、窒素であり、吾々の方でいう火素、水素、土素の結合体である。そうしてこの三原素中の土が物質の本体で、日が霊の本質、月が空気の本質となっており、この日月二者がコントロールしたのが大気であって、これが地上の空間を充填(じゅうてん)しているのである。しかし火素が最も強力だが、稀薄なるため物の科学では把握出来なかったので、今日までは熱と光は分るが、精としての本質が不明であったのである。そのため科学は水素と土素のみを研究の対象としていたので、現在は水と土の文化であり、これが文明の一大欠陥であったのである。ところでここに驚くべき世界の一大異変をかかねばならないが、それは前記のごとく日、月、土の三原素から成立っており、日と月の交替によって昼夜の別があるが、これは物の面から見た現象であって、これとは別に霊の面にも昼夜のあることである。もちろん物の科学では分りようがないが、霊の科学ならよく分る。では右の異変とは何かというと、これこそ未(いま)だ嘗(かつ)て人類の夢想だもしなかったところの驚くべき世界の大転換であって、それが今や開始されんとしているのである。それは昼夜を押拡げた歴史的異変であって、これを分るには時間的考察より外はない。すなわち霊界においては十年、百年、千年、万年にも昼夜の交替があることである。すなわち地球の実体は火水土の三原素から成立っているごとく、宇宙間一切は三の数字が基本となっており、これが宇宙の鉄則であって、昼夜といえども三年、三十年、三百年、三千年というようになっている。もちろんその物の性質と大中小によって、霊から物に移写するには若干の遅速はあるが、根本は正確に流転している。その三千年の転換期が驚くべし現在であって、今はその黎明期に当るのである。このことは以前もかいたことがあるが、その日時までハッキリしている。それは一九三一年六月十五日であって、この時を期として世界は昼になったのである。といってもある時期までは霊界の変化であるが、漸次現界に移写し、いずれは現実的に分るのである。しかし私はこれ以上深く解説したいが、それでは宗教的になるからここでは省くが、とにかく右は絶対であることを信ずればいいのである。
 そうして霊界が昼になるということは、火素が増量することであって、徐々ではあるが物の世界にも移写しつつある。それは水主火従であったこれまでの世界が、逆に火主水従となることである。しかし物の科学で分らないが、霊覚者なら充分分るのである。これによって今まで未解決であったあらゆる問題も、明確に解決されるのである。以上によって、私は現在の低科学を飛躍させ、高科学に引き上げ、真の文明を創造するのである。