――― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ―――
自然農法解説
昭和26(1951)年1月15日発行
はしがき
今日、我国は戦争の創痍(そうい)いまだ癒えず、あらゆる部面に渉っての、種々なる困難はその解決たるや仲々容易ではない。いわく食糧難、税の苛斂誅求 (かれんちゅうきゅう)、金詰り、犯罪激増、住宅難、相変らずの病人の氾濫、特に結核患者の対策等々、難問題は山積している。
ところが、これら幾多の問題の中、その主眼とするところは、何と言っても食糧問題であろう。今年の米作六千三百万石と見、人口の方は八千三百万人とし て、一人年一石八千三百万石は絶対量である、とすれば不足分二千万石は輸入に仰がなければならない。としたらその金額は一石五千五百円とみて、一千億円の 巨額に上るのであるから、このための経済のマイナスは大変なものである。しかも農地面積は、これ以上増やす事は至難であってみれば、我国の特質である人口 増加の趨勢を喰止める以外に手段はない。産児制限もそのためではあるが、仲々予期のようにはゆかない。相変らず相当の増加振りである。とすればこの事が我 国にとって、最も大きな悩みであろう。
しかしながら、この難問題といえども、数年間にしかも至極容易に、解決出来得る方策を吾らはもっている。すなわち新農耕法である。これを直ちに実行すれ ば、日本は到底想像もつかない程の幸運に恵まれるのであるが、ここに一大障碍物がある。それは何であるかというとこの新農法は、これまでの農業とは全然反 対であるからである。それがためいかにこの原理を説いても、農耕者は容易に受入れようとしないのである。しかしこれは無理かもしれない。何となれば、我農 民が先祖代々幾百年に渡って、実行しつつあった方法を一朝にして放棄する事は出来まい。しかしそれは、実は大変な間違いで、一生懸命増産しようとするその 方法が、実は減産の方法でしかないのである。従ってただ言葉だけでは、急に掌を返えすような訳にはゆかない以上、私は理論と共に実地によって解らせようと し、十数年前から、それを行って来たのであるが、漸次予期以上の驚異的成果を挙げ得るようになり、近来非常な勢いをもってこの農法栽培者が激増しつつある 現状であるが、何しろ日本全国に行渡らせるには仲々の大事業であると共に、食糧難の方は年を逐うて切迫の度を加えつつあるので、この実状をみては到底晏如 (あんじょ)としてはいられない。ここに意を決して大々的宣伝を行うべく、まずこの小冊子を刊行したのであるから、これを読めば理論と実際とがよく判り、 農民諸君は固(もと)より、一般人士といえども納得がゆくであろう。従って是非一読の上、一日も早く実行に着手されん事を、希望してやまないものである。
自然農法解説
土の偉力
そもそも自然農法の原理とは、土の偉力を発揮させる事である。それは今日までの人間は、土の本質を知らなかった。否知らせられなかったのである。その観 念が肥料を使用する事となり、いつしか、肥料に頼らなければならないようになってしまった。全く一種の迷信化したのである。何よりも私が最初の頃、いかほ ど無肥料栽培を説いても、全然耳を傾ける者がなく、一笑に付せられたものである。それが段々報いられて、近年、年毎に自然農耕者が増加し、収穫において も、至るところ驚異的成果を挙げている。しかし今のところいまだ信者の範囲を出でないが、漸次各地方においても未信者の間に共鳴者続出し、本栽培者は非常 な勢いをもって激増しつつあるにみてやがては、日本全土に行渡る日も、左程遠くはあるまいとさえ予想さるるのである。右のごとくであるから、本農法宣伝は 単〔端〕的に言えば肥料迷信打破運動と言ってもよかろう。
そうして、人肥金肥は一切用いず、堆肥のみの栽培であるから、その名のごとく自然農耕法というのである。もちろん堆肥の原料である枯葉も枯草も、自然に 出来るものであるからであって、これに引換え金肥人肥はもとより、馬糞も鶏糞も、魚粕も木灰等々天から降ったものでも、地から湧いたものでもなく、人間が 運んだものである以上、反自然である事は言うまでもない。
そもそも、森羅万象、いかなるものといえども、大自然の恩恵に浴さぬものはない。すなわち火水土の三原素によって生成化育するのである。三原素とは科学 的に言えば、火の酸素、水の水素、土の窒素であって、いかなる農作物といえども、この三原素に外れるものはない。神はこのようにして、人間の生命の糧であ る五穀野菜を過不足なく生産されるよう造ったのであるから、この道理を考えてみればよく分る。神は人間を生まれさせておきながら、その生命を繋ぐだけの食 料を与えないはずはない。もしその国が有する人口だけの食糧が穫れないとしたら、それは神が造ったところの、自然の法則にどこか叶わないところがあるから である。としたら、これに気付かない限り、食糧問題の解決など思いもよらないのである。
以上のような、大自然の法則を無視した人間は人為的肥料を唯一のものとして、今日に到ったのであるから、食糧不足に悩むのは、むしろ当然と言うべきであ る。全く自然の理法に盲目であったための応報としかも言うべきであろう。しかもそれに唯物科学という学理が拍車をかけたので、ついに今日のごとき食糧難時 代を来したのである。この意味からいえば現在の農耕法は、進歩どころではなく、事実は退歩したといってもよかろう。従って自然尊重の農耕法こそ真理である 以上、いかに不作でも一人一年一石として、我国の人口八千三百万とすれば八千三百万石は必ず生産されるべきである。これは大地を叩く槌は外れてもこの理は 外れる訳はないのである。
私が唱える自然農法とは、右の理が根本であって、現在日本の食糧不足による農民の疲弊困憊(こんばい)なども、実行次第で難なく解決出来るのである。こ の誤りを見そなわれ給う神としては、捨ておけぬという仁慈大愛の御心が、私を通じて自然農法の原理を普(あまね)く天下に知らしめ給うのであるから、一刻 も早くこれに眼を醒まし、本農法を採用すべきであって、かくして農民諸君は全く救われるのである。
さきに述べたごとく、火水土の三原素が農作物を生育させる原動力としたら、日当りをよくし、水を充分供給し、浄土に栽培するとすれば、今までにない大き な成果を挙げ得る事は確かである。いつの日かは知らないが、人間は飛んでもない間違いをしでかしてしまった。それが肥料の使用である。全く土というものの 本質を知らなかったのである。なるほど肥料をやれば一時は相当の効果はあるが、長く続けるにおいては漸次逆作用が起る。すなわち作物は土の養分を吸うべき 本来の性能が衰え、いつしか肥料を養分としなければならないように変質してしまうのである。これを人間の麻薬中毒にたとえれば一番よく判る。人間が最初麻 薬を用いるや、一時は快感を覚えたり、頭脳明晰になったりするので、その味が忘れられず、漸次深味に陥り、抜き差しならぬようになる。こうなると麻薬が切 れるとボンヤリしたり、激しい苦痛が起ったりするので、何にも出来なくなる。ついに我慢が出来ず、悪いとは知りつつも用いるというように、麻薬から離れる 事は出来なくなり、人の物を盗んでまでも麻薬を手に入れようとする。これらの実例は新聞に絶えず出ているからいかに恐ろしいかが判るのである。この理を農 業に当嵌めてみれば直ぐ判る。全く今日、日本全国の土壌は麻薬中毒、否肥料中毒の重患に罹っているといってもいい。ところが農民は長い間肥料の盲信者と なっているから、仲々目が醒めない。たまたま吾々の説を聞いて、自然農法すなわち人為肥料を廃止するや、最初の数ケ月は思わしくないので、これを見た農民 はやっぱり今まで通り、肥料をやらなければ駄目だと早合点し、それで廃めてしまうのが往々ある。
ところが、本農法は信仰が土台となっている以上、私のいう事をそのまま何の疑いもなく実行する。それがため自然農法の真価が容易に判るのである。その経 路をかいてみるが、まず最初苗代から本田に移した時、しばらくの間は葉色が悪く、茎細く他田よりもまことに見劣りがするので、それを見た付近の農民からは 嘲笑され、本人も危惧を感じ、これで果していいのであろうかと、心配の余り神様に祈願したりして気を揉むのである。ところが二、三カ月過ぎた頃から幾分立 直りを見せ、花の咲く頃になると、余程よくなるのでやや愁眉(しゅうび)をひらくがいよいよ収穫直前になると、普通あるいはそれ以上の成育振りに、ようや く安堵の胸を撫で下すのである。さていよいよ収穫の段になると、これはまた意外にも数量など、予想よりもズッと多いと共に、品質良好、艶があり、粘着力強 く、すこぶる美味であり、大抵は一、二等格か三等以下はほとんどないといってもいい。しかも目方は有肥米よりも五ないし十パーセントくらい重い事で、特に 面白いのはコクがあるから焚減(たきべ)りどころか、二、三割くらい焚増しとなり、飯にすると腹持がよく三割減くらいで、いつも通りの腹具合であるから、 経済上から言ってもすこぶる有利である。ゆえに日本人全部が我自然農耕米を食すとすれば、三割増という結果になるので、現在程度の産額でも輸入米などの必 要はない事になり、国家経済上いかに素晴しいかである。
そうして前記の経過を説明してみるとこうである。最初の二、三カ月くらいの間、見劣りがするのは、種子にも田地にも肥毒が残っているためで、時日を経る に従い土も稲も肥毒が段々抜けてゆくので、本来の性能を取戻し、漸次好転するのである。この理は農民にも判らないはずはないと思う。というのは斜〔洒〕水 (しゃすい)をしたり、大雨が降ったりする後は不良田も幾分良好になる。これなどは全く肥毒が多過きたのが洗われて減少したためである。また農民は少し作 物の生育が悪いと客土をし、それでやや良好となるや、農民の解釈は長い間土の養分を作物に吸われ、土は痩せたのだから、新しい土を入れればよくなるという が、これは誤りで実は年々の肥毒により土が衰え痩土となったためで、右の農民の解釈はいかに肥料迷信にかかっているかが判るのである。
そうして自然肥料実施について説明してみると、稲作に対しては稲藁を出来るだけ細かく切り、それをよく土にこね混せるので、これは土を温めるためであ る。また畑土の方は枯葉や枯草の葉筋が、軟かくなるくらいを限度として腐蝕させ、それを土によく混ぜるのである。この理由は土が固まっていると植物は根伸 びの場合、尖根(さきね)がつかえて伸びが悪いから、固まらないようにするのである。それについて、近来よく言われる根に空気を入れるといいとしている が、これは空気が根にいい訳ではない。ただ空気が根元に入るくらいであれば、土が固まっていないからである。これなども農学者の解釈は誤っている。
ゆえに、理想からいえば浅根の作物は畑土に、草葉の堆肥を混ぜるだけでいいが深根のものは特に畑土一尺くらい下方に木の葉の堆肥の床を作るといい。これ は土が温まるからである。ただしその厚さは、深根といっても色々種類があるから、それに応じた厚さにすればいいのである。世人は堆肥にも肥料分があるよう に思うが、そんな事はない。堆肥の効果は、土を固めないためと、土を温めるためと、今一つは作物の根際に土乾きがする場合、堆肥を相当敷いておくと、湿り 気が保つから乾きを防ぎ得るという、以上三つが堆肥の効果である。
以上によってみても判るごとく、自然農法の根本は、土そのものを生かす事である。土を生かすという事は、土壌に人為肥料のごとき不純物を用いず、どこま でも清浄を保つのである。そうすれば土壌は邪魔物がないから、本来の性能を充分発揮し得る。しかも面白い事には、農民は土を休ませるというが、これも間 違っている。作物を作れば作る程土は良くなる。人間で言えば働けば働く程健康を増すのと同様で、休ませる程弱るのである。この点なども農民の解釈は逆で あって、作物を連続して作る程養分が吸われるとなし、畑を休ませるが、何もかも実に間違っている。この誤りのため連作を不可とし、毎年場所を変えるがこれ なども論外であって、気の毒な程愚かである。だから本農法においては連作を可とする。現に私が実行している例であるが、今年作った玉蜀黍(とうもろこし) のごときは連作七年に及んでおり、しかも箱根強羅の小石混りの土で、恐らく不良土としては申分がない、にもかかわらず本年の出来栄えなどは素晴しいもの で、実付きは行儀よく密集し、棒は普通より長く、甘味があって柔らかく、美味満点である。しからばなぜ連作がよいかというと、土壌は作物の種類によって、 その作物に適応すべき性能が自然に出来る。これも人間にたとえればよく判る。労働すれば筋肉が発達し、常に頭脳を使う作家のごときは頭脳が発達する。また 人間が年中職業を変えたり、居所を転々すると成功しないのと同様の理で、今日までいかに間違っていたかが判るであろう。
ここで、最後に言いたい事がある。それは無肥料の桑の葉で養蚕すると、蚕は病にかからず、糸質すこぶる強靱で、光沢良く、その上増産確実であるから、こ れが全国的に実行されるとすれば、蚕糸界に一大革命を起す事はもちろんで、国家経済上いかに大なる利益をもたらすかは、けだし測り知れないものがあろう。
虫害
近来、農村の悩みは、肥料代の高価と虫害と風水害との三つであろう。肥料については、前項に詳説したから、既に解ったと思うから、次の虫害について詳し く述べてみよう。まず、結論からいうと、害虫は肥料によって湧くと思えばいい。それは肥料によって土壌を汚すため、土壌は変質し、土の性能は退化されると 共に不潔物が残存する。あらゆる物質は不潔なるところ必ず腐敗するのは当然で、そこへ小虫が湧き、細菌が発生する。これは物質の法則であるとすれば、作物 も同様である。何よりも肥料溜(こえだめ)に蛆が湧くのでも判る。そうして害虫にも色々の種類があるのは肥料に種類があるからである。近来、新しい害虫が 発生するというが、もちろん新しい肥料が出来るからである。農民が肥料溜のある付近は、害虫の発生が多いとよくいうのでも判るであろう。今一つ重要な事 は、害虫発生の場合駆除の目的で殺虫剤を撒布するが、これがまた非常に悪い。何となれば、殺虫剤とは虫を殺すくらいの毒薬である以上、これが土に滲透すれ ば、土はその毒に中(あ)てられ、不良土となるのである。従ってその土へ栽培された植物は、肥毒以外別な毒分まで追加されるので、土はいよいよ弱るので、 人間と同様低抗力がなくなり、害虫は得たりかしこしと、繁殖の勢を増す。全く鼬鼠(いたち)ゴッコである。この点においても今日までの農法がいかに誤って いたかが判るであろう。そればかりではない、硫安のごとき化学肥料は劇毒薬であるから、それを吸収した米を食うとすれば、自然人体も影響を受け、健康に悪 いのはもちろんである。それは血液が濁るからである。何しろ主食は一日三度ずつ、年が年中食っているとすれば、たとえ僅かずつでも積りつもって相当の毒分 となり、これがあらゆる病気の原因となるのである。ここで伝染病の真因を簡単にかいてみる必要がある。そもそも伝染病とは細菌の侵入によって発病するのは 誰も知っている。しかしながらなぜ、細菌が侵入すると発病するかの理由は判っていない。また細菌侵入するも発病者と未発病者とが出来る訳も医学ではいまだ 解っていないのである。この意味は以前出した私の著書に詳しく記(か)いてあるからここではザット説明するが、黴菌とは、血液の濁りの原素である微粒子を 食物とし、それを食いつつ繁殖するのであるから、菌の食物を有している人は発病するが、無い人は菌は餓死するから発病しないという訳である。右のごとくで あるから、発病者と未発病者とが出来るのはもちろん菌の食物の有無によるのである。また保菌者といって菌があっても発病しない人があるが、これは菌の食物 が発病する程の量もなく、そうかといって死滅する程少なくもないという言わば中間状態である。とすれば、濁血者は発病し浄血者は発病しない事になるから、 化学肥料のごときは、血液を濁す事はなはだしいので、近来伝染病や、結核のごとき、細菌による病人が殖えるのもそれが原因である。この説は自画自讃かも知 れないが、世界的大発見と言ってもよく、この一事だけでもノーベル賞の価値は充分あると思うが、いかんせんノーベル賞審査員の学問程度が、右の説を理解す る程に到っていない以上、致し方ないのである。この理によって自然農法が全般に行われるとしたら、いかに病人が減るかは想像出来るであろう。
風水害
次に、風水害であるが、これは年々増加の傾向にさえあり、その防止に官民共に大いに悩んでいるのは衆知の事実である。その防止施設にはすこぶる多額の費 用を要するので、現在としては止むを得ず、一時的間に合せ手段で我慢するより外止むを得ないが、さりとて年々大きな被害を蒙っている以上、何とかしなけれ ばならない。せめて今のところ被害を最小限度に喰い止めるより外致し方ないという訳だ。ところが、我自然農法によれば、作物の根張りがつよく、茎折れなど は現在のそれよりも何分の一に減るばかりか、花落ちも少なく、冠水後の稲の腐敗もないから、他田が相当被害を蒙る時でも、自然農法の田は被害という程の被 害は認められない程で、人々はただ不思議がるのである。その際根の先をよく調べて見ると、在来の有肥田のそれより、細根の数が非常に多く長いので、根張り が強靱なためである。これは人間にたとえれば毒分のない新鮮な食物を常に摂取していると、健康であるのと同様の理である。またこれはひとり稲や麦には限ら ないが、農耕者はよく作物の背丈が短く、葉が小さいのを可としているが、これは実付きがよく収穫が多いからで、この点本農法がそうであって、いかに理想的 であるかが判るのである。しかも品質優良で、美味な点は経験者の異口同音に唱えるところである。という訳は今までのごとき、有肥によると、葉に栄養分をと られるから葉が延びすぎ、それだけ実に影響を与えるのである。また自然農法によれば、稲の分蘖(ぶんけつ)がすこぶる多く、今日まで最も優良なのは一粒の 種で、分蘖百五十、粒数約一万五千という到底信じられない程の、驚異的記録もあった(これは後段に載せたから参照されたい)。なお今一つの特長は、稲藁を 使用する場合、非常に強く細工が仕良いそうである。
寄生虫問題
人も知るごとく寄生虫問題は、今日非常に喧(やかま)しく言われている。何しろ蛔虫(かいちゅう)保有者が日本人中、八○パーセント以上というのだから 実に重大問題である。蛔虫保有者が余りに多いため、反って世人はあまり関心をもたないが、実際上蛔虫によって死亡する者も、近来少なくないという事であ る。普通蛔虫といえば数匹にすぎないが、人によっては数十匹ないし数百匹に上るものさえある。こうなるとちょうどうどん玉のようになっていて、内臓機関へ まで食い込んでゆくが、そうなると種々の苦痛が発する。しかも人によってはその苦痛たるや、実に堪えられないものがある。この原因は無論糞尿肥料によっ て、医学でも唱えるごとく蛔虫の卵が、野菜から人間の口を通じて胃に入り繁殖するのである。ところがその他の蟯虫(ぎょうちゅう)、十二指腸虫、疥癬虫、 水虫等々いずれも小虫の繁殖によるのであるが、医学ではいまだ病原不明とされているが、私の研究によれば、実は人為肥料のためで、直接の原因ではないが、 人肥によって血液が濁るから小虫が湧くのである。この点パスツールの伝染説の誤れる事は、私は以前記いた事がある。大体、人体に虫が湧くなどとは道理に合 わないのである。なるほど、死人ならとにかく、生きている人間に虫が湧くなどとは、不合理もはなはだしいと言わねばならない。それは全く人間が天理に外れ ているからで、体内へ入れるべからざる不潔なものを入れ、血液を濁すからである。この意味において、人間は新鮮な空気を吸い、清浄な水を飲み、不純物のな い土から生じたものを食しかつ薬剤のごとき異物をなるべく用いないようにすれば、無病息災たる事はもちろんで、寿齢も百歳以上は決して不可能ではないので ある。
浄霊の偉効
自然農法を行う場合、浄霊による効果の顕著なる事は、増収報告の中に必ずあるのは、どういう訳かという事をかいてみよう。
自然農法の原理は、従来の人為農法によって土が汚されているため、土は活力を阻害され、本来の性能を発揮出来ないから、成績が悪いという原理を、農民は 知らなかったので、今日まで高い肥料を購い、結果が悪く骨折り損の草臥(くたびれ)儲けをして来たのを、私は神示によってその誤りを知り、今までとは反対 に土を清浄にする程、作物はよく出来るという原理を発表したのであって、その通り実行したものは素晴しい成績を挙げている事は、本教刊行物に満載されてい る通りである。それについて浄霊がなぜ農作物に、顕著な効果があるかという事を知りたい人は、沢山あるだろうからここにかくのである。
そもそも、万有は霊と体で成立っている事は、本教信者はよく知っているはずだが、もちろん、土も作物も、霊と体から成立っている以上、土が人為肥料に よって汚されていれば、土の霊もその通り曇っている。ところが一度浄霊するや、土の霊の曇りが減るから、その通り土の方も不純物が減り浄まるのである。 従って、清浄になった土は成育力が旺盛になると共に、作物の方も残っている肥毒が減るから、両々相まって、霊主体従の法則により、成育が旺盛になるのであ る。これで大体判ったであろう。
素人菜園について
前項までは、専門家のみを対象としてかいたのであるが、最後に素人栽培、すなわち家庭菜園についてかいてみるが、何しろ素人栽培としても、肥料は糞尿を 多く使わなければならないので、馴〔慣〕れない素人が糞尿を扱うとしたら、実に堪えられない苦痛である。しかも撒く時はもちろん、その後幾日かの間は、部 屋の中まで臭気が流れ込んでくるのだから、絶えず不快に悩まされ、実に非衛生的である。殊に飯時などときては、考えただけでもウンザリする。そんな苦痛を しても大いに効果があるとすれば我慢もするが、実はそれが反って成績不良の結果となるのだから、恐らくこんな馬鹿な話はあるまい。今日まで知らなかったか らとは言いながら、余りの無智に呆れるのである。
自然農法によれば、汚い臭い思いは全然なくなり、清潔で衛生的で、作物の出来がよく、量も多く、その美味なる事驚く程である。しかも害虫の心配もないば かりか、蛔虫の危険もなく、第一葉色にしても、茎の形にしても実に今までの有肥のものより美しい。従って自然農法を始めると、毎朝畠弄(いじ)りが実に楽 しくなる。今までは畠弄りなど楽しみよりも、気味が悪いのが先に立つ、汚物が撒いてあると思っただけでも、その上を歩く気にはなれない。
そうして、素人栽培にはこういう事がよくある。それは馬鈴薯(ばれいしょ)など実付きが悪いとか、実が大きくならないとか、トマトや茄子(なす)など、 花落ちが多かったり、スのある大根が出来たり、胡瓜(きゅうり)など根虫が湧いて枯れるとか、漬菜類など完全な葉はほとんどなく、どの葉も穴だらけであ る。以上いずれも人為肥料のためであるが、それに気が付かないため、素人は肥料が足りないからだと思い、益々多く肥料を与えるから、益々悪くなるという訳 で、誰しも本当の原因が判らないから、専門家に訊くが、専門家も肥料迷信に罹っている以上、満足な解答は与えられないので困っている人が、世の中にはいか に沢山あるか知れない。従ってそれらの人達が本農法を知ったなら、いかに救われるか、全く地獄から天国へ昇ったような気持となるであろう。
結論
以上、あらゆる角度から説いたに見て、本農法がいかに優越せるかは、読者諸君は最早充分理解されたであろう。要するに本農法は、在来の根本的に誤ってい た方法を革正し、行詰ってどうにもならない現在の食糧難を解決し、暗黒無明の農業界へ、天日のごとき光明をなげかけるという以外他意はないのである。
この意味において、これを本教の宣伝に利用しようなどの意図は毫(ごう)もなく、信者たらずといえども、何人も実行すれば、大増収を得らるる事は言をま たないのである。従って、未信者である普通農民が本農法で栽培するとしても、左のごとき結果を得らるる事は確かである。
一年目 平年作または一、二割増
二年日 二割ないし三割増
三年目 三割ないし五割増
四年目 五割以上増
右の数字は、内輪に見積ったのであるが、それでも真実とは思えない程の成績であろう。もちろん今日までの実験によって、割出したものであるから間違いは ない。ところがこれだけではない。増収以外有利な点を挙げれば、第一肥料代は零(ゼロ)となり、虫害や水害による被害高も何分の一に減ずると共に、品位優 良美味なるはもとより、搗(つき)減りなく、焚増し等の利益はもちろん、何よりも労力の半減する事である。以上のごとく数え上げればまだ有利な点は、多々 あるが、それは略すとして、本農法の出現こそ、農民にとっても、国家にとっても、空前の画期的、一大福音でなくて何であろう。
この驚くべき、新農法の成果を立証するため、以下十数項に及ぶ実験記録は、今秋集まった第一回分の中の一部である。
悪条件の田畑で此御蔭
『栄光』81号、昭和25(1950)年12月6日発行
愛知県東春日井郡坂下町
五六七大教会神光中教会 鵜飼楓一
日々の御利益に感謝し、あわせて自然栽培法の近況を御報告し御礼申上げます。
おもえば子供の頃より冷たき家庭に育ち、八カ年の軍隊生活、又ビルマ戦線にて九死に一生を得て帰還しましたが、健康はすぐれず療養しておりました。約半 年後に健康が恢復したので縁あって結婚しました。ところが家庭の不和から離縁し前途に希望を失い、悲観のどん底に墜ちつつも、戦線のあの苦悩に耐え忍ぶ力 を得て、その日その日を送る内、弟の熱烈なる勧めにより、しぶしぶ名古屋の瀧先生よりお守を頂いたのです。
入信して一番心を引かれた事は、自然栽培法の件でした。思い起せばビルマの戦線で敗戦後、食糧は自給自足の為現地にて農耕をやった時、不思議な点に疑問 を抱いていたのです。その疑問を解いて下さった時の私の喜びは到底筆舌には表わし得ないのです。それは現地ビルマ人の農耕法と私達の農耕法の相違でありま す。
私達は内地と同じく除草に施肥、手入等手落ちなくやっているのにビルマ人は極く簡単な栽培法であるのに収穫は上成績である。しかるに私達兵隊の農場は問 題にならぬ不作で、ほとんど裏成り同様の失敗続きで、少しも実収がありませんでした。これ程努力するのにどうしてこんな結果だろうと、私はビルマ人の畑地 を度々視に行ったのですが更に解決し得なかったのです。入信の際先生より救世教の自然栽培法のお話を聞きましてぴっくり致しました。
私は復員後ビルマで見た事、研究した事を内地でやってみようと色々考えて、入信前に実施したのです。それは残り種などを素畑にバラ蒔き試作しておりまし た。それが本当に不思議な位良く出来るのです。近所の人達はどうして作ったのかなどと尋ねられるので、これはビルマ式で作ったのだよと言って説明しており ました。前述のごとき事情で二月入信させて頂き、『地上天国』創刊号を拝読して、更に疑問は解かれたのであります。私の嬉しさはいかばかりか御察し下さ い。
早速実行に移すべく、三月の薩摩芋の苗床より始め、馬鈴薯、玉葱、キャベツ、トマト、稲作、里芋等の自然栽培法を始めたのです。中でもトマトは味の良い 事は有肥のそれと比較にならず、妹は自然耕作の物を食べてからは、有肥のを食べなかった程でした。又里芋の収穫は親芋より子芋が素晴らしく大きかった上 に、非常に美味であるのです。しかしながら反対である父親も食する時は、ニヤニヤ笑いながら、自然栽培法の悪口を言うのです。それは「無肥料で作物が採れ るはずはない。そんな馬鹿な事があるものか、取れても少しだ、肥料は作物の食べ物だ、お前も飯を食べずには仕事は出来まい。今年は今までの肥料気が残って いたから収穫があったのだ」と罵るのみであります。その上「困ったものだ、信仰気狂だ、たぼけている。だから嫁の来てがない」と言われるのです。私は一生 懸命に判って貰いたいと神に念じつつ実収と味覚を見せても判って貰えないばかりか、私のお詣りに行く事まで邪魔をするようになりました。このような父の無 理解の為稲作は非常に困惑致しました。勿論苗代を作る田は全部施肥してありました。仕方なく昨年麦の自然栽培の試作田として、父より許された悪田(毎年旱 害で無収穫の多い田)を整理致し、苗代を作りました。ここへ植えた稲は現在出穂期になっておりますが、自分乍ら好成績に驚いております。近所の人もこれが 自然栽培か、嘘だろうと言われる程で、中には内緒で肥料を入れたと疑う人もあり、近在の話題の種になっております。私も非常に嬉しくこの分では収穫期には 皆驚くのではないかと想像されます。
野菜類は昨年より少しずつ試作致しましたが、本年は一番収穫の少い坂畑に父の反対を押切って実施致しました。その中で妹達に自然栽培の良い事を知っても らえた、キャベツの御利益を御報告させて頂ます。種は買った物で御浄霊して蒔きました所、発芽したのは僅か三十本足らずでした。それを前記の畑に移植して 浄霊を度々やりましたが、虫害で度々枯れそうになりましたが、最後にあった虫害ではほとんど駄目になり諦めました。それから十日位忘れている内に入梅とな り、他家のキャベツは雨の為結球したのが割れ水が入って腐るのに、もう駄目だと思っていた私のキャベツが見事に結球しているので、私は思わず東の空を仰い で明主様に感謝の祈りを捧げました。まず先生宅の大光明如来様へお供えし、それから隣家と弟宅へ自然栽培法にて収穫したのだと言って、試食して貰いました が、風味がよく味は大変おいしいと喜ばれました。
それ以来、母も妹も自然栽培の良い事を喜び、協力してくれるようになりました。無理解な父は相変らず施肥をせねばと叫び続けております。一日も早く、世の人の一人も多く、自然栽培法の有利なる事に目覚められん事を祈って止みません。
明主様の御霊徳に感謝し厚く御礼申上げますと共に、諸先生の陰に陽に御指導下さった事を感謝して筆を置きます。
台風にも倒伏せず反当り九俵余の収穫
『栄光』79号、昭和25(1950)年11月22日
自然農法解説・(革)自然農法解説に収録
静岡県小笠郡土方村
英祥中教会 楠ケ谷辰雄(38)
私はこのたび、実際行った稲作自然栽培の体験、並びに感想を御報告させて頂きます。実は自然栽培法の御教えを頂きました瞬間、脳裡を走った事は「作物が 肥料無しで」と言う申し上げるも恐ろしい言葉でございました。実際私共は肥料は人間で申しますなら食物に相当する物で、作物の食物であると信じておりまし た。しかしこれも善い事とは思えど悪いことでありまして、大自然即ち神様の御意志に反しておりました。自然栽培法でありましたならば、いかなる風水害にも お蔭を頂ける御教えを賜わりました私は、昨年約三分の二倒伏した土壌の軟かな一毛作田の所に実施致しました。品種は最も草丈の長い、病気に弱い晩生種の 「大正赤穂」を選定致しました。苗代播種の季節も目前に迫り、苗床に一寸程度に切った藁を入れ、種子の浄霊を致しまして、五月七日坪一合ずつ播種致しまし た。苗代も勿論水田苗代で数日後発芽致しました。しかし余りにも薄く、この時早くも行末を案じられたのであります。日増しに多少は賑やかになって参りまし たものの、多少黄色がかり、不安の内にも植付の時節も迫って参りました。
実施田の歩積り三畝一歩で、この中に青草十束を打ち込みました。この仕事に従事している時、不思議にも心の晴れ晴れとしていた事は、今も記憶しておりま す。時既に梅雨の期に入り、シトシトと小雨降る植付に絶好の機も訪れておりました時、六月二日無事植付を終了致し、御神前にひざまずき、良く御念じ申し上 げました。植付方法と致しまして畦巾一尺三寸、株問五寸の並木植と致し、一本植を主として植付けました。中耕は除草第一回を七月三日実施致し、この頃は隣 の有肥田と変りなく、来るべき浄化の時の一大心構えの頃でありました。この第一回除草後清水で作りました堆肥(半熟で最も香りのよい頃)を反当約七十貫程 度打込みました。七月十日頃より、漸次黄色を呈しまして、七月二十日頃が最も浄化激しく苦しみの頃と思い特に御浄霊を毎日行いました。
当時の私の心も随分迷い肥料をと思ったこともありましたが、そのたびに、明主様と心を呼び醒ましまして、静かに御教えを思い浮べ、肥毒の為の浄化なるを 信じ、やがて稔る黄金の波を思い浮べ横道にそれず進まして頂きました。七月二十三日第二回目の除草を致しましたが、その後一週間目頃より漸次緑色を増し、 赤穂本然の姿に立ち帰りました。ここで分蘖につき記さして頂きますが、七月十八日に十本ないし十三本で、八月七日に十五本ないし二十本でありました。有肥 であれば遅い分蘖は無効なるを聞いておりましたので、試みに一株を数え覚えておきましたが、収穫の折見ますと何と少しも無効分蘖はなくよく稔っておりまし た。七月下旬一杯で中耕の用事もなく、稔りの秋を楽しむばかりとなりました。この頃より農家で最も恐れられます台風襲来の季節でありますので、又もこの心 配が盛んとなりましたが、予測通り見舞われ、ここかしこで倒伏の憂目に遇い、悲痛な叫びも耳に致しましたが、何と有難いことに、有肥であれば当然倒伏すべ き稲に拘らず、一株として倒伏致しませんでした。三尺八、九寸もありましたこの稲が一株も倒伏致さなかったのは、奇蹟でなくして何でありましょう。
炎熱焼くがごとき真昼間に汗水流し除草し、稲葉は赤く、心身共に苦しかった時節も何時しか過ぎ去り、朝夕涼味を感ずる収穫期となり、根切の鎌を入れまし た折、余りにも茎が硬く丁度「かや」のようでありました。この時初めて感じました。このような稲なれば倒伏や病虫害の心配のないことを知りました。左に実 収量を記さして頂きます。
一、品 種 大正赤穫
二、苗 代 イ、水田苗代
ロ、播種一坪当一合播
ハ、反当苗代坪数十二坪
三、堆 肥 反当七十貫打込(清水使用堆肥)
四、植 付 イ、並木植、畦間一尺三寸、株間五寸
ロ、植付月日、六月二十日
ハ、植付本数、一本又は二本植
五、中耕除草 第一回七月三日、第二回七月二十二日
六、分 蘖 イ、七月十八日十本-十三本
ロ、八月七日十五本-二十本
七、収 穫 イ、坪当の粗量二升一合
ロ、坪当玄米量、一升二合五勺
ハ、反当収穫、九俵一斗五升
ニ、昨年迄の最高反収穫より二俵一斗五升増収
右のごとき結果となり、収量の意外だったのに驚かされました。見たところより収量の出ますのは、茎が有肥より硬く、従って穂首が同じ重さでも有肥軽重れ ておらず、全部が完全に稔っております為と思いました。風水病虫の憂いなく穀の意外に出ますこの自然農法こそ真に神様の垂れさせ給うた食糧増産の秘訣であ ります事は、強く強く信じさせられると共に、まず「体験」、理論よりも実行と存じます。
明主様有難うございました。
(昭和二十五年十一月二十二日提出)
自然耕作で超過供出する信徒
『栄光』79号、昭和25(1950)年11月22日
自然農法解説・(革)自然農法解説に収録
新潟市寺裏通り二番町
大成大教会光陽中教会 小川栄太郎(37)
光陽中教会の会員有志も自然農法体験三年となり、種々の奇蹟的な御守護を頂き、ただただ偉大なる御力に驚嘆しています。統計的な御報告は各会員から詳し くして頂くとしまして、不肖会員と共に田植から刈入れまで体験いたしまして、本教自然農法こそ行詰まれる農村を打開する唯一の救いの道であると堅く確信 し、この体験に立脚し、今こそ声を大にして、自然農法を一人でも多くの人に知らしめたく、拙文をも顧みず御報告させて頂きます。
一信徒、新潟県西蒲原郡大原村、山岸真十郎君は、完納の外に二十俵の超過供出という好成績を挙げ、その外十俵の余裕が出来た位です。
山岸君の自然耕作一年目の収穫は村の人達の下位に属していましたが、二年目は中位に属し、三年目の本年は上位になり、村一番の稲作りの名人と競作田を作 りましたが、皆稲熱病に犯され、誰一人相手になる者がなくなりました。村の農業技術員も山岸君の稲の状態を見て、最も理想的な生育状態であると驚歎しまし た。山岸君は本教教師で御浄霊が忙しく人手不足のため、殆んど藁も使わずに三年目になっているので、初めは気違いあつかいにしていた人々もただ不思議なこ とだといっています。
一信者、新潟県南魚沼郡六日町、山口玲治君は、一年目から耕作面積九反三畝、平年作六十二俵(肥料代三万円)の田より自然栽培で六十六俵の収穫を挙げて います(内三反は水害を蒙むる)。その外中蒲原郡亀田町、石原特平君及び西蒲原郡吉田町、井塚左武郎君は、反当八、九俵の収穫を挙げています。その外にも 二、三反ずつ自然耕作者は沢山あり、相当の収穫を挙げています。土地肥毒の多寡等があり反当石数は標準になりませんが光陽中教会の体験としましては、
自然耕作
一年目一割減-平年作
二年目 平年作-二割増
三年目 二割増-三割増 (平年作を標準)
右のような結果になり、経済的には、肥料代不要、労力三分の一で一石何鳥にもなり、金詰りも何の苦労なく実に喜んでおります。
一信徒、新潟市、渡辺産作君の細君は三年来野菜を自然栽培して市内に売りに行っているのですが、全然何も知らない人が余りにも一般に比較して美味なの で、店を開くと瞬く間に売切れ、普通朝八時頃迄に売るのを六時にはもう売り尽して帰宅します。今では一般に知れ渡り、リヤカーを引いて行くとお客は待って いて奪うようにして買って行き、それも外の人より高価に売れます。稲作は農業協同組合の脇に作っているので、随分村中の注目の的になりましたが、収穫して 見ると量もあり、特に品質のよいことで一般は四、五等米ばかりにも拘わらず、渡辺君の米は一、二等米で立会いの検査官も驚き、郡でも一番だといっていまし た。このことは石山尋常小学校の掲示板にも出ました。往々にして自然栽培者は供出完納を危ぶまれますが、未完納どころか全部完納又は超過供出をしていま す。
又毎年年中行事の如くやって来る風水害にも被害を受けず、その都度余りの有難さに感泣したことが幾度ありましたことか。
次に健康方面にはこれ又素暗しい効果を挙げています。本教自然栽培者の健康度の向上は顕著なもので、一見してその顔色で判る程血色はよくなり、どんなに 働いても決して疲労しないといっています。それに栄養価の高いこと、炊増えすることで、保有米が予定より一、二割ずつ毎年残るのであります。
鳴呼!偉なる哉自然農法、実に自然に従う者は栄え、自然に遭う者は亡ぶとか、大自然のままに自然農法を素直に実行すれば、病無く、貧無く従って争も無く 信仰を生活の中に生かし、心も経済も共に満ち足りて、世の荒波を外に、安らかに天地と共に富み栄え行くことができるこの喜び、ただただ明主様に感謝感激報 恩の念を深くするのみであります。
以上ささやかな体験ながら御報告させて頂きました。
(昭和二十五年十一月二十二日提出)
自然栽培こそ真の農法 御光の絶対なるに驚嘆
茨城県猿島郡神大宝村
大成大教会神成中教会 落合政雄
私は昭和十六年今次大戦に徴集されてより六年の長き間、衛生部員として支那、ビルマ、インドの戦闘に参加し、各地を転戦幾度か死線を越えて来ましたが、幸い昭和二十一年六月タイ国より復員、六年振りに見る実家は内外共に変り荒れはててしまっていました。
しかし身体が強健なれば憂は無いのですが、前述の通り在隊中衛生部員の為薬の中の生活をしていた関係から薬毒の為でしょう、悪寒戦慄、倦怠感、食欲不振等身体全体は重苦しく、農業のごとき労働生活は到底不可能と観念しておりました。
しかし医術には経験があるので復員早々知人に連絡し、各種の薬物を集め毎日代る代る服薬やら注射を続けていましたが、病症は増々つのるばかりで、最後に は全く自分自身の身体に注射針をさす事を恐れるようになり、こんなに注射をしても発熱するのだから注射はもう止めよう。自然にまかせるより外に方法はない と考え全く失望してしまいました。
その時幸にも世界救世教(当時は浄化療法と申されていた頃)の御話を伺い、早速水海道町の吉田先生のところに参り、色々と御話を伺い御浄霊を戴いており ましたが、その中に東京の波江田先生が御出張、種々有難い御話を下されて御浄霊を御願しています中に、ほとんど回復いたし、御許しを得て昭和二十二年四月 教修を頂き、その後は引続き波江田先生にも御出張頂き、今では全く無医薬の真の健康体となり、いか程働いても疲労を感じない迄になり、全く有難く感謝の生 活を送らして頂いております。その外妻も産後腎臓の浄化を頂き、一時は全く案じられる程の状態となり、波江田先生からも色々と御注意を頂いた程でしたが、 ひたすら光明如来様にお任せしお願い申上げております中に、現今では余程元気も出て参り、回復も間近き事と一心にお願い申しつつ、毎日朗らかに、感謝の生 活を送らして頂く事が出来、いかにしてもこの有難さを言葉にて表わしようは御座いません。
かくして数々の御守護を頂いています時、昨年より自然栽培の御話を、波江田先生より伺い、先生にはいつも率先して実行するようにと申されましたが、何し ろ唯物教育を受け肥料迷信にかかっている自分故、中々想念の切替が出来難く、心の中ではこんな事を考えておりました。波江田先生がいかに主張しても「作物 は肥料があって生長するのだから、これを無肥料でやれと申されても、しかしこれは無理な事で、第一そんな事をしていたのでは供出も納まらず、大変な事にな るから、これだけは御免だ」といって、直接先生に申上げる訳にもゆかず、心でひそかに思っておりました。
しかし先生が御出張下さる度に、「落合、お前自然栽培をやったか、そしてその成績はどうだ」と申されますので、全くその返答に困った事は幾度となくあり ました。その時は少しずつ実行しておりますと答えたのですが、しかし、いつまでもこんな口実ばかり申上げていたのでは申訳ない、先生には心身共に御救いし て頂いたのだから、何もかも先生の申される通りにして、誠を捧げなければ申訳ない事なのだと心付き、昭和二十三年度には、耕地一町三反の中、半分ずつに区 切り、一方は無肥料、他方は有肥料となし、無肥料区の分の肥料を有肥区へ余計に施して実施しました所、冬作夏作共有肥区は病気が入り、結極無肥料区は良質 のものが出来、肥料代が省けるから無肥区の方が収穫が多いという結果になりました。
そこでいよいよ肥料というものの無価値否有害なる事をさとり、結果が示すごとく神様が自然栽培でやれと実績によって御導き下さっているのだと考えました ので、昭和二十四年度からは全部自然栽培に切替え実施しました時、肥毒の為に麦作においては全く赤く、大麦等は三分一程度は根が抜けて枯死状態になってし まいましたが、何事も光明如来様にお願いして一心に御浄霊を続けましたが、驚くなかれ出穂寸前には黒々として立派な穂が出て参り、寒中の予想では皆無程度 と思っていましたものが、反収一石五斗の御守護を頂き、全く驚嘆いたしました。
小麦は初年度でも比較的肥毒に対して強く、成育が順調でいよいよ梅雨期に入ると他の施肥耕作者の畑は、皆一様に彼のおそろしい小麦の渋病が漫延し、村民 は総動員で動力噴霧器で消毒の大騒ぎが起り、自分も組入りをせがまれましたが、自分は、はっきりとことわり「家の作物はそんな事をやる必要はなし、第一そ んな不自然な事をやると神様に申訳ないから、私はやらん」と申しましたが、老齢の母親は中々その気になり切れず「家のばかり消毒をしないと病気がうつって しまうから、やったらどうか」と申すのですが「そんな事は絶対にない、病なるものは伝染するのではなく、人間がわざわざ病が出るように作物を作るから発生 するのであって、家のごとく自然栽培してあるのは心配はないのだ」と言って聞かせ、実施しませんでしたが、やがて収穫の時期になると全くその通りで、ほと んど発病を見ずにすみ、頑強な茎が出来上り、刈取時期になっても全然倒伏せず、刈取は実に倍の能率が上り、収量においても二割の増収で、品質は良く、近所 の者は本年の小麦は質が悪くて、不合格品を出して大騒をしておりましたが、自分のは何んの事もなく三等及び四等で納まってしまいました。
続いて本年度の夏作、水稲及び陸稲の御報告をさして頂きます。
まず水稲は苗からですが、苗代には半熟程度の藁を反当百貫目程施し、整地して短冊を作り、その上に肥毒のない土を二、三分程度撒布し、その上に播種しま した。発芽は至極整一でしたが、何しろ本年最初の土地の苗代の為、発芽十日頃になると第一回の浄化が起り、一面真赤となりましたが、何事も光明如来様にお 願いして、野廻りの度に御浄霊をしています中に、約五、六日間過ぎましたら、又黒々として来ました。第二回の浄化でした。これも約一週間位で回復し、四十 五日苗の時に植付を始めたのですが、その頃は全く強健となり、有肥の苗とは比較になりませんでした。植付後は至極順調で虫害も早生種の地区は少しありまし たが、中生種においては全然なく驚く程の生育振りでした。
その他陸稲甘藷も全部自然耕作しましたが、皆驚く程の成績で、七月十八日には波江田先生よりの紹介で、下妻の上田先生の所から九人見学に来られ耕地全部 の成績を見て非常に力強い信念に燃えて帰りましたが、私は皆さんが帰る時申したのです。「自然栽培も一回見ただけでは本当に分らぬ、どうか数回に亙って見 学して頂きたい」と申したのですが、皆さんが御熱心で、八月十八日に又来られて、九月十九日最後の結果を見て驚嘆し自信を得たらしく、明年度からは全部切 替えると言うもの、耕地半分実施すると言うもの、又は牛馬を飼っていたのでは糞の始末に困るから、牛馬を売却すると言うもの、全く各人が様々の気概をもっ て帰りました。私のごとき若輩の自然栽培の見学が、これ程直に皆様の御力になったかと思うと本当に有難く感謝と嬉びで胸が一杯でした。
最早収穫も終りましたが、水稲は早生種で二石四斗(六俵)、中生種で反収二石六斗(六俵半)の収穫で、普通一般の有肥耕作者のと比較すると二割の増収で した。陸稲の収穫は最も良かった地区は反当二石三斗(五俵三斗)の収穫で実に驚くべき程の増収でした。本当に御守護有難う御座いました。明年度はなお一倍 熱心に実施し、当地方自然栽培の先駆者として益々発展せしめ、明主様への御恩報じの万分の一にもなりますよう努力いたしたい考えです。続いて本年度の麦作 も全部、自然栽培を実施しておりますが、発芽は至極整一で成育も順調です。吾々農業者は偉大なる真理を明主様より御明示になられているのですから、その真 理を大いに活用し研究して、発展へ発展へと進む事は、吾等の使命であると考え、無肥料三年目の土地へは色々と研究的に栽培法を実施しておりますが、結果の 御報告はいずれ又さして頂きたいと思っています。
私の自然栽培もいよいよ当地では注目の的となり、心ある者は随分注意深く見ておりますが、彼等もやがて、この自然の真理になびかざるを得なくなる事も遠からず、この農業の一大革命の山村僻地にまで知れわたり、一大飛躍発展する事を期待しつつ一生懸命です。
願くは世の農耕者よ、一刻も早くこの偉大なる明主様の真理に基く自然栽培を実施して、大自然の恩恵に浴されん事を切望して止みません。
色々と御守護有難う御座いました。
大豆は三倍、米は一表半の増収
岐阜県益田郡萩原町
五六七大教会光明中教会 今井茂男(36)
昭和二十二年四月原庄一先生より、自然農耕のお話を拝聴し、私の長年にわたる胃病を治して戴いた経験からみても、先生の御教えに間違いはあるまいと、一 挙に全耕地を自然耕作に切替えさして戴きました。しかし農学校修業後家にあって、農業に従業し金肥に依存し他人にまで肥料の重要性や適期施肥法等を説き金 肥の科学的研究を重ね、農業経営上肥料が絶対欠くべからざる要素と信じた私には、いかにこの切替が難事であったか、今迄に経験した事はありません。
今迄の『光』新聞に雑誌『地上天国』に自然耕作の御蔭話にあるごとく、予想だにしなかった程の御利益を戴いたのであります。初めに種子の浄霊をなし、播 種しましたが、日数が経つに従い有肥の物との差が甚だしく、根の充分に張る迄は伸長が悪く色が赤く、人が笑うし又関係者からの注意も受ける。昨今では新聞 に悪報道する。いよいよ収穫する迄の長い間の気持は、全く体験した者のみが知る貴き体験であります。しかしながら最初の年から減収もなく平年作の収穫を戴 き、質の立派なる事は誰しも驚く所であります。そうして第二年目には前年のに比し米の反収三斗五升の増産で、二石四斗五升の成績を見る事が出来ました。 麦、大豆、馬鈴薯、甘藷、人参、牛芳、どれもこれもが二割三割の増収が出来ました。今年は最初より世間の関心が高く当局からの注意、新聞の悪意的報道、文 字通りテンヤワンヤでありましたが、結果を見よと黙々と働いておりました。すると出穂が終る頃から有肥田に浄化が始まり次ぎ次ぎと拡がって最後には、二分 作五分作甚だしきは収穫皆無と言う田が出来たのであります。これに引替え自然耕作田は黄金の色を漂よわせ、労苦を慰めるごとく重く頭を垂れていたのでし た。
肥毒のため病虫害を生み、枯穂を作り人間が知らずして正しき事と考えて犯す総ての罪を天候にかぶせ、人に負わせて得々と「今年は光明如来様の当り年」な どと言うこんな人のいかに多き事か、それなのに三年目の今日、二年目に比べ一割強米反収二石七斗五升、大豆においては、約三倍の反二石三斗三升の御利益を 戴いたのであります。昨年一月より各方面に廻らして戴き御利益の報告をさせて戴きました。書き後れましたが右私の耕作地は飛騨の寒冷地で、土地の条件も最 も悪く、田圃においては山の出水を利用し、耕土も二、三寸、深くて五、六寸、そして生産割当反収一石七斗の地であります。
右のごとく収入増加と逐年増収高をあわせて考える時、有肥農耕者がこの現実を何と見るか、施肥こそ有害無益と断ぜざるを得ないのであります。一日も早く 目覚めて、行き詰った農村打開に、自然耕作の正しき認識をさせ、農業改革の先駆者として、明主様の御高恩の万分の一にも報ゆべく一層の努力をする覚悟であ ります。有難とう御座いました。
水害絶無の自然農法
岐阜県養老郡池辺村
五六七大教会専信中教会 田中信義(30)
私は入信後昭和二十三年も半ば過ぎでした、専信中教会へ渡辺先生が御来場下さいました時、特に自然耕作のお話しを判り易く御聞かせ下さいました。その中 でも特に自然栽培は風水害には最も安心だと申されましたので、早速私は同年十一月より実行に移りました。その間種々の体験を得ました。その内の水稲の自然 栽培がいかに水害に対して強いかを報告させて頂きます。
私の土地は大変低い所でちょっと雨が長いと、早速やれ排水機というわけで、丁度翌二四年八月中旬頃でした、雨量が多く田一帯が海のようになって、稲も全 然見えず、それに十日ないし十三日間程水に浸っておりました。その上丁度出穂寸前でしたので、これは駄目だと思いました。しかし私は内心先生の御教示通り に実行してよかったと喜んでおりました。ところが長い浸水も排水された頃には穂も出穂し始めましたところ、金肥使用の稲は色々の病気が発生し中でも葉巻 病、葉枯で村中大騒ぎとなり、消毒で大変でした、ところが自然栽培のは少しの被害もなく、しかもすくすくと伸びて青々としておりました。十月下旬頃になっ て金肥使用田は一帯に倒れ、立っているのはほとんど白穂となり見るからに悲惨なものでした。それに反し自然耕作田は異状な発育振りで、見るからに気持よく その中でも専信中教会で作られた「神示の耕作地」と書いた立札を立てた田は特別目立ってよく、一本として折れたり倒れたり、病害のものもなく、黄金の波を 打ってとても水害の後とは思えない位で、村の人達も不思議だ不思議だと時々尋ねられその度毎にいとも朗らかに自然耕作の有難さを一々説明するのでした。
以上のごとく自然栽培初年度より、大水害より免れ、現実に多大なる御守護と御利益を賜り自然栽培の絶対であるとの信念を得ました。希くば農村の皆様かようなる理想の農耕法はひとり神のみの知らるる農業天国化の、一大福音でなくてなんでありましょう。
以上拙文ながら御利益の一端を報告申上げます。
水稲自然栽培第一年目御報告
千葉県市川市国分六反田
天国大教会日光中教会 井上千與次(49)
私は本年四月入信させて頂いた者でございますが入信時、明主様の自然栽培についての御教を伺い、直ちに試作実行に移らせて頂きました。その時は既に苗代 には施肥をしてありましたのでまず種子に浄霊致しまして播種させて頂きました。初経験の事でありましたので、植付時より、植付方法を一本植、二本植と当地 で行われております普通植(三ないし四本植)の三方法にて統計的にやらせて頂き、左のごとき結果を得ましたので御報告させて頂きます。
項 目 一 本 植 二 本 植 普 通 植
品 種 農林二十九号 〃 〃
播種方法と期日 種子を一週刊水につけ 〃 〃
浄霊四月二七日播種す
施肥の種類と目方 一反歩当堆肥一二〇貫 〃 〃
(材料麦藁)
植付期日 六月十一日 〃 〃
作間の寸法 九寸 〃 〃
株間の寸法 六寸 〃 〃
一坪の株数 六五株 〃 〃
植付後 十日目 一本 二本 〃
〃 二十日目 二-三本 四-五本 〃
〃 三十日目 四-五本 五-六本 〃
〃 四十日目 七-八本 八-九本 〃
〃 五十日目 十-十三木 十-十二本 〃
〃 六十日目 十-十四本 十三-十七本 〃
出穂の期日 九月十日 〃 〃
一株平均の分蘖数 十一本半 十四本半 十八本半
一本平均の粒数 一三六粒 一一八粒 八九粒
一株平均の粒数 一、五六四粒 一、七一〇粒 一、六四六粒
一坪平均の粒数 一〇一、六六〇粒 一一一、一五〇粒 一〇六、九九〇粒
不良品の粒数 三〇、四九八粒 三三、三四五粒 三二、〇九七粒
良品の粒数 七一、一六二粒 七七、八〇五粒 七四、八九三粒
差引一反歩総粒数 二一、三四 二三、三四 二二、四六
八、六〇〇粒 一、五〇〇粒 九、九〇〇粒
一升当り粒数 七〇、〇〇〇粒 〃 〃
収量 (石数) 三石四九八勺 三石三三四五勺 三石一四六八勺
一俵四斗入の計算 七俵二斗四升 八俵一斗四升 七俵三斗四升
九合八勺 四合五勺 六合八勺
以上でございますが、有肥栽培に付きましては本年度の統計を取らず、未だ調整し終っておりませぬが、予想と致しましては、今年は平年作を下廻るかと思われます。当地と致しましては今迄の体験によりますと平年作一反歩当り五俵半位であります。
右の統計の中不良品を三割として計算したのでありますが、自然栽培一年目にても苗代を薄播にし、健全なる苗を作ればなお二割位増収は確実と思います。私 の本年度の苗代は厚播の為弱い苗にても右の表の通りの増収となっております。又本年の実収は未だ乾燥脱穀せざる為後程御報告の予定でございます。
自然栽培による本年度耕作状況の報告
岐阜県揖斐郡鶯村
五六七大教会清霊中教会 清水康義
全般的な調査及び感想を述べます前に、麦作に付き、私の経験を併せ述べてみますに、麦作においては、適期播種が特に重要事と思います。小麦播種適期をここ数年の統計をも参考にして発表致します。
一、十月二十日-二十五日-三十日-二月五日-十日、右記の中特に、十月二十五日より十一月五日が当地での最適期であります。
一、土質については当地は大体深く一尺前後で、壌土が多く、中に砂壌土も混っています。
一、有肥との比較は自然耕作は草丈は短く、茎は強く、葉は不繁茂、実は太く大です。
一、実収は平均して、十人の中三人増収、三人減収、四人は増減収なしで、質は全般的に自然耕作優等、有肥劣等です。
一、成長経過としては、全般に草丈は短く、分蘖少く(平均十三本)植付後、有肥料の葉色は濃かったり、あせたり、七面鳥のごとく変り、自然農法のは変ら ず、植付後同じ葉色で経過し八月中旬前後の穂形成期、即ち生命線期経過せし頃少々色あせて来ました。一部の報告によると、五月麦収穫後、生藁を鋤込むと、 丁度生命線期にも色あせず、余裕をもち生命線期を起すとの事です。
以上を報告申上げて、左にそれを体験された方の実例を御報告させて戴きます。
今村金松氏(七十六歳)は八反歩の中八畝歩に自然耕作を実施致しました。昨年の小麦播付けの際、種子の上へ土を混じた堆肥を施しました(通称かぶせ播 き)。土質は当地での五等地即ち劣等地であります。その後の耕作としましては、二、三回の土入をしその出来た溝へ堆肥を一五〇貫程入れ、その後は別に手入 れしませんでした。草丈は一般より平均短く、だが丈夫に穂も出揃って、粒数も多く、八畝歩の収穫四俵半、一般有肥のところは反当三俵半、多くて四俵位で、 その上これらは一升重量三九五匁、一俵要量四斗一升、一般は四斗三、四升、右の外特に報告させて頂きたいのは、今年は全般に等級悪く三等四等が多く、一等 二等は少く一等のごときは無いという始末、ところが右の小麦が検査の結果一等合格、検査役も「今年の小麦でこのようなのは初めてだ」と言う素晴しさでし た。初回でもあり、減収すると思いしにこのような増収を戴きまして有難く存じております。
謹んで御礼申上げ、御報告致します。
自然栽培による野菜の増収
三重県河芸郡大里村
五六七大教会光栄中教会 北村四郎(31)
自然栽培満二年を経過致しまして、その体験を御報告させて頂きます。現在一般世の人が霜踏む寒冷の朝、炎熱の候、朝はとくより夕は星を頂き汲々と働いて 一粒の実、一株の野菜でもと増産に骨を砕き、照る日、曇る夜空を心配し肥料の購入に奔走し、汚穢にまみれ病害の予防消毒、虫害の駆除に苦心し、春夏秋冬、 血の滲む努力を続けながら減収という悲しい現実、これに加えて実収以上の事前供出割当と多額の課税、肥料代に追われて悩める時にあたって農耕者にとって、 正に「天国の福音」明主様の神示の自然栽培法出でて、農耕に一大改革のなされる事は一点の疑いなき事を、身をもって体験させていただいております。大光明 如来様の玉の御光輝き、歓喜と光明の農耕に従事出来得る私の喜びのままに、今日迄短日月の体験ではありますが、その優秀なる成績を御報告させて頂きまし た。
一、甘藷 品種「護国」昨年六月中旬移植、畝幅三尺、植幅一尺七、八寸(一尺位が好適)六月末と七月初に中耕除草す。八月末に拳大になりました。
蔓少く、茎太く強靭、十月二十九日収穫、反当七百五十貫、植幅をもう少し縮めて、堆肥を入れれば増収確実の自信がある。有肥料のものは平均五百貫。
ほとんどが見た感じより目方があります、小さなものはほとんどありません、昨年も一昨年も堆肥も何も用いず連作のもの。
二、大豆 昨年七月初旬播種、畝幅二尺五寸、播幅一尺、発芽良好、七月中旬、八月中旬に中耕除草、発育良好、病虫害少く、十月二十六日収穫、一畝で二斗二升ある。
根、茎共有肥より太く実が密集し、一本植が成績よく、一本の木で一合のものが大部分あり、まだ増収の自信は充分にある。有肥の倍以上の収穫。
三、小豆 昨年七月初旬播種、畝幅二尺五寸、播幅一尺、二-三粒位、七月中旬、八月中旬中耕除草す。虫害少く、発芽発育共に良好、十月二十八日収穫、四畝で一俵あり、粒大にして虫喰少く、色澤のよさ見る人ことごとく驚嘆す。
四、里芋 昨年三月下旬植付、三尺畝、植幅一尺五寸位、六月初旬、七月中旬、八月下旬の三回中耕除草、空豆の茎約十貫を二、三寸に切り畝の腹へ入れる(六 月第一回中耕の時)十月三十日収穫、約十歩の面積で小芋十五貫、親芋約十貫、収量も大きさも有肥より五割以上の増収の優良さです。
五、人参 品種「国府鮮紅大長」昨年六月下旬播種、畝幅二尺五寸、七、八、九月の間に数回間引中耕除草、十一月初旬間引いたものでビール缶の太さ位あります。見る人は皆赤大根かと言う位でした。
六、粟 六月初旬適期にやや遅れて播種、十月中旬刈入、五歩の面積で七升ありました。実は密集し、穂丈長く太く見事な秋の稔を見ると、人々が口を揃えてこれが無肥料とは思えないと言う程でした。
七、生姜も密集し、唐辛子も実ばかりと言った好成績で御座います。
疏菜専門家から見れば、成績は劣るかも知れませんが、私の地方としましては、右のいずれも有肥を凌ぐ良結果を収め、特に味覚においては、いかなる耕作法にも、専門家にもひけは取らないでしょう。
以上一部分ではありますが、自然栽培の絶対的にして、これ以上の耕作法なき事を今だ迷える方々の御参考になればと考え、この優秀なる事を御報告させて頂きました。
不思議な玉葱
大分県直入郡宮砥村
五六七大教会如意輪中教会 坂田蔵夫(24)
今年の玉葱の自然栽培の結果を御報告致します。
苗を植付致しましたのが昨年の十二月頃でした、頭の毛程と思われるような見るからにか弱い苗を、約十歩位いの畑に堆肥も施さずにそのまま植付致しまし て、爾後朝夕熱心に御浄霊を続けましたが、何分寒中の事にて畑地が凍って二寸位うき上る為、苗は今にも枯れそうな様子を見ました時には、果してこれが成育 するであろうかと、本当に心細く思った事は度々で御座いました。
しかし妻と共に総てを光明如来様に御まかせして熱心に御浄霊を続けておりましたところ、五月頃になりまして急速に茎がたくましく太く成って来ますと同時 に根の玉も正比例して日に日にぐんぐん大きくなるではありませんか。その時の私共の喜びはいかばかりでしょう、ただただ神の絶対の御力に驚嘆の外ございま せんでした。七月頃でした、田植がすみましてから取上げましたがここに不思議な事は玉葱は雄の方は今までの経験上必ずトウが立つものですが、この玉葱は一 本もトウが出ないのです、取り上げたのを茎をくくり合せて軒下に吊しておきましたところ、その玉葱が二つあるいは三つに丁度栗の中身のように分れるので す。本当に不思議と言う外はありません。余りの有難さに中教会の大光明如来様に御供えいたしました。
なおもう一つ不思議な事は普通の玉葱は非常に刺戟の強いものですが、この玉葱は絶対刺戟がないのに驚きました。そして煮て食べてみますと大変甘味が多く 美味しいので御座います。私共が手を振る事を笑っていた近所の人もこの玉葱を見て皆んな不思議だと驚いています。近く本部に御奉仕に上る事になっておりま すのでこの玉葱を献上し御礼申し上げようと思っております。
一粒、一万五千倍の奇蹟
『栄光』73号、昭和25(1950)年10月11日発行
愛知県岡崎市明大寺町
五六七大教会神明中教会 斎藤鐵次郎(61)
昔からよく一粒万倍と言う言葉が御座います。まさかそんなに出来るとは思われません。それは一つのたとえとしか思われませんでした。
私は自然農耕法は本年で二年目であります。ここに一つの奇蹟を見せつけられてあまりの有難さに、この目で見た事実とその経過を報告させて戴きます。
五月二十日頃堆肥中より約六寸位のびている稲が何げなく目に止りました。もったいないと思う気持からふと根の廻りの土を落さず直径六寸位の割れた鉢の中へ赤土に落松葉を五十匁程入れて植えました。五日間一日に一、二回浄霊を致しました。
六月下旬馬鈴薯が雨で大分腐ったのでデンプンを取る時にその漉水を一合程やりました。
七月下旬に至って分蘖が多くなりましたから(六十二本)、直径一尺深さ一尺の鉢に植えかえました。その時も約一〇〇匁位の落松葉をやりました。あとは井戸水だけです。
現在では分蘖数一五〇本位、出穂一二〇本位、粒数多いのは一五〇粒、少いのは五、六〇粒平均約一〇〇粒位です。草丈の長さ四尺四、五寸であります。
以上が現在迄の経過で御座います。品種は東海旭であります。
右奇蹟を謹んで申上ます次第で御座います。
自然農法解説
昭和26年 1月15日発行
A6版 63P 非売品
著 者 自 観
発行人 小山正男
発行所 栄光社出版部