――― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ―――

革命的増産の自然農法解説

 昭和28(1953)年5月5日発行

序文

 この小冊子は現在我国最大の悩みとされている米の問題に対して、絶対有利な解決方法を解説したものであって、誰も知るごとく今日我国民を養うに足るだけ の数量は全然穫(と)れず、現在一力年二千万石以上不足しているのであるから、実に由々(ゆゆ)しき大問題である。この原因こそ金肥人肥の肥料を使うため であるという、実に夢にだも思えない程の意外な事実であって、これに目醒めない限り、増産の不可能な事は断言出来るのである。ところが我自然栽培に切替え れば、五カ年にして五割増産という画期的成果を挙げ得られるという原理を、詳細説いたもので、それを立証するため数十に上る実験報告をも、耕作者自身の手 でかいたものを併せて載せてある〔略〕以上、一点の疑う余地はあるまい。しかも本農法は一銭の肥料代も要らないと共に、労力も省(はぶ)け、風水害の被害 も軽少で済み、虫害は何分の一に激減する等、一石数鳥の効果があるから、この実行によって農民の経済問題は一掃されると共に、国全体としての利益は、一カ 年何千億に上るか計り知れないのであるから、かくのごときほとんど信じられない程の一大発見こそ、この急迫せる国家の事態に対して、いかに大いなる福音で あるかは形容の言葉さえないであろう。ここにこの目的達成のため大々的宣伝運動はもちろん、なお徹底を期するため、今回「自然農法普及会」を創立し、取り 敢(あ)えず一村一力所の支部を設け、団体的行動によって普及を図らんとするのであるから、この意味を充分認識され、入会と共に一日も早く実行に着手され ん事を希求して止まないものである。
 以下掲載の全記事は、本教発行の週刊『栄光』新聞紙の一昨年、昨年、本年の三回に亘る農業特集号を蒐録(しゅうろく)したものである。
 昭和二十八年四月



自然農法解説

自然栽培の勝利  土の偉力

  自然農法の原理

 そもそも自然農法の原理とは、土の偉力を発揮させる事である。それは今日までの人間は、土の本質を知らなかった、否知らせられなかったのである。その観 念が肥料を使用する事となり、いつしか肥料に頼らなければならないようになってしまった。全く一種の迷信化したのである。何よりも私が最初の頃いか程無肥 料栽培を説いても、全然耳を傾ける者がなく、一笑に付せられたものである。それが段々報いられて、近年、年毎に自然農耕者が増加し、収穫においても、至る ところ驚異的成果を挙げている。しかし今のところいまだ信者の範囲を出でないが、漸次各地方においても未信者の間に共鳴者続出し、本栽培者は非常な勢を もって激増しつつあるにみて、やがては日本全土に行き渡る日も、左程遠くはあるまいとさえ予想さるるのである。右のごとくであるから、本農法宣伝は単 〔端〕的に言えば、肥料迷信打破運動と言ってもよかろう。
 そうして、人肥金肥は一切用いず、堆肥のみの栽培であるから、その名のごとく自然農法というのである。もちろん堆肥の原料である枯葉も枯草も、自然にで きるものであるからであって、これに引換え金肥人肥は固より、馬糞も鶏糞も、魚粕も木灰等々天から降ったものでも、地から湧いたものでもなく、人間が運ん だものである以上、反自然である事は言うまでもない。
 そもそも、森羅万象、いかなるものといえども、大自然の恩恵に浴さぬものはない。すなわち火水土の三原素によって生成化育するのである。三原素とは科学 的にいえば、火の酸素、水の水素、土の窒素であって、いかなる農作物といえども、この三原素に外れるものはない。神はこのようにして、人間の生命の糧であ る五穀野菜を過不足なく生産されるよう造ったのであるから、この道理を考えてみればよく分る。神は人間を生まれさせておきながら、その生命を繋ぐだけの食 糧を与えないはずはない。もしその国が有する人口だけの食糧が穫れないとしたら、それは神が造ったところの、自然の法則にどこか叶わないところがあるから である。としたらこれに気付かない限り、食糧問題の解決など思いもよらないのである。
 以上のような大自然の法則を無視した人間は、人為的肥料を唯一のものとして今日に到ったのであるから、食糧不足に悩むのはむしろ当然と言うべきである。 全く自然の理法に盲目であったための応報とも言うべきであろう。しかもそれに唯物科学という学理が拍車をかけたので、ついに今日のごとき食糧難時代を来し たのである。この意味からいえば、現在の農耕法は進歩どころではなく、事実は退歩したといってもよかろう。従って自然尊重の農耕法こそ真理である以上、い かに不作でも一人一年一石として、我国の人口。八千三百万とすれば、八千三百万石は必ず生産されるべきである。これは大地を叩く槌(つち)は外れても、こ の理は外れる訳はないのである。
 私が唱える自然農法とは、右の理が根本であって、現在日本の食糧不足による農民の疲弊困憊(こんばい)なども、実行次第で難なく解決出来るのである。こ の誤りを見そなわれ給う神としては、捨ておけぬという仁慈大愛の御心が私を通じて自然農法の原理を普(あまね)く天下に知らしめ給うのであるから、一刻も 早くこれに眼を醒まし、本農法を採用すべきであって、かくして農民諸君は全く救われるのである。 さきに述べたごとく、火水土の三原素が農作物を生育させ る原動力としたら、日当りをよくし、水を充分供給し、浄土に栽培するとすれば、今までにない大きな成果を挙げ得る事は確かである。いつの日かは知らない が、人間は飛んでもない間違いをしでかしてしまった。それが肥料の使用である。全く土というものの本質を知らなかったのである。

  肥料の逆効果

 なるほど、肥料をやれば一時は相当の効果はあるが、長く続けるにおいては漸次逆作用が起る。すなわち作物は土の養分を吸うべき本来の性能が哀え、いつし か肥料を養分としなければならないように変質してしまうのである。これを人間の麻薬中毒にたとえれば一番よく分る。人間が最初麻薬を用いるや、一時は快感 を覚えたり、頭脳明晰になったりするので、その味が忘れられず漸次深味に陥り、抜き差しならぬようになる。こうなると麻薬が切れるとボンヤリしたり、烈し い苦痛が起ったりするので、何も出来なくなる。ついに我慢が出来ず、悪いとは知りつつも用いるというように、麻薬から離れる事は出来なくなり、人の物を盗 んでまでも、麻薬を手に入れようとする。これらの実例は新聞に絶えず出ているから、いかに恐ろしいかが分るのである。この理を農業に当はめてみれば直ぐ分 る。全く今日、日本全国の土壌は麻薬中毒、否肥料中毒の重患に罹っているといってもいい。ところが農民は長い間肥料の盲信者となっているから、中々目が醒 めない。たまたま吾らの説を聞いて、自然農法すなわち人為肥料を廃止するや、最初の数カ月は思わしくないので、これを見た農民はやっぱり今まで通り肥料を やらなければ駄目だと早合点し、それで廃めてしまうのが往々ある。
 ところが、本農法は信仰が土台となっている以上、私のいう事をそのまま何の疑いもなく実行する。それがため自然農法の真価が容易に分るのである。その経 路をかいてみるが、まず最初苗代から本田に移したの時、暫くの間は葉色が悪く、茎細く、他田よりもまことに見劣りがするので、それを見た付近の農民からは 嘲笑され、本人も危惧を感じ、これで果していいのであろうかと、心配の余り神様に祈願したりして気を揉むのである。ところが二、三カ月過ぎた頃から幾分立 直りを見せ、花の咲く頃になると、余程よくなるのでやや愁眉(しゅうび)をひらくが、いよいよ収穫直前になると、普通あるいはそれ以上の成育振りにようや く安堵(あんど)の胸を撫で下すのである。さていよいよ収穫の段になると、これはまた意外にも数量など、予想よりもズッと多いと共に、品質良好、艶(つ や)があり、粘着力強く、すこぶる美味であり、大抵は一、二等格か三等以下はほとんどないといってもいい。しかも目方は有肥米よりも五ないし十パーセント くらい重い事で、特に面白いのはコクがあるから焚減(たきべ)りどころか二、三割くらい焚増しとなり、飯にすると腹持がよく、三割減くらいでいつも通りの 腹工合であるから、経済上から言ってもすこぶる有利である。ゆえに日本人全部が我が自然農耕米を食すとすれば三割増という結果になるので、現在程度の産額 でも輸入米などの必要はない事になり、国家経済上いかに素晴しいかである。

  肥料迷信

 そうして前記の経過を説明してみるとこうである。最初の二、三カ月くらいの間、見劣りがするのは、種子にも田地にも肥毒が残っているためで、時日を経る に従い、土も稲も肥毒が段々抜けてゆくので本来の極性能を取戻し、漸次好転するのである。この理は、農民にも分らないはずはないと思う。というのは斜 〔洒〕水(しゃすい)をしたり、大雨が降ったりした後は、不良田も幾分良好になる。これなどは全く肥毒が多過ぎたのが洗われて減少したためである。また農 民は少し作物の生育が悪いと客土をし、それでやや良好となるや、農民の解釈は、長い間土の養分を作物に吸われ、土は痩せたのだから、新しい土を入れればよ くなるというが、これは誤りで、実は年々の肥毒により、土が衰え痩土となったためで、右の農民の解釈はいかに肥料迷信にかかっているかが分るのである。

  堆肥の効果

 そうして自然肥料実施について説明してみると、稲作に対しては稲藁を出来るだけ細かく切り、それをよく土に捏(こ)ね混せるので、これは土を温めるため である。また畑土の方は枯葉や枯草の葉筋が軟かくなるくらいを限度として腐蝕させ、それを土によく混ぜるのである。この理由は土が固まっていると、植物は 根伸びの場合、尖根(さきね)がつかえ伸びが悪いから、固まらないようにするのである。それについて近来よく言われる、根に空気を入れるといいとしている が、これは空気が根にいい訳ではない。ただ空気が根元に入るくらいであれば、土が固まっていないからである。これなども農学者の解釈は誤っている。ゆえに 理想からいえば浅根の作物は畑土に草葉の堆肥を混ぜるだけでいいが、深根のものは特に畑土一尺くらい下方に木の葉の壁の堆肥の床を作るといい。これは土が 温まるからである。ただしその厚さは、深根といっても色々種類があるから、それに応じた厚さにすればいいのである。世人は堆肥にも肥料分があるように思う が、そんな事はない。堆肥の効果は土を固めないためと、土を温めるためと、今一つは作物の根際に土乾きがする場合、堆肥を相当敷いておくと、湿り気が保つ から乾きを防ぎ得るという、以上三つが堆肥の効果である。以上によってみても分るごとく、自然農法の根本は、土そのものを生かす事である。土を生かすとい う事は、土壌に人為肥料のごとき不純物を用いずどこまでも清浄を保つのである。そうすれば土壌は邪魔物がないから、本来の性能を充分発揮し得る。しかも面 白い事には農民は土を休ませるというが、これも間違っている。作物を作れば作る程土は良くなる。人間で言えば働けば働く程健康を増すのと同様で、休ませる 程弱るのである。この点なども農民の解釈は逆であって、作物を連続して作る程養分が吸われるとなし、畑を休ませるが、何もかも実に間違っている。この誤り のため連作を不可とし毎年場所を変えるが、これなども論外であって気の毒な程愚かである。

  連作豊収

 だから本農法においては連作を可とする。現に私が実行している例であるが、今年作った玉蜀黍(とうもろこし)のごときは連作七年に及んでおり、しかも箱 根強羅の小石混りの土で、恐らく不良土としては申し分がないにもかかわらず、本年の出来栄えなどは素晴しいもので、実付きは行儀よく密集し、棒は普通より 長く、甘味があって柔らかく、美味満点である。しからばなぜ連作がよいかというと、土壌は作物の種類によって、その作物に適応すべき性能が自然に出来る。 これも人間にたとえればよく分る。労働すれば筋肉が発達し、常に頭脳を使う作家のごときは頭脳が発達する。また人間が年中職業を変えたり居所を転々すると 成功しないのと同様の理で、今日までいかに間違っていたかが分るであろう。

  蚕業の福音

 ここで最後に言いたい事がある。それは無肥料の桑の葉で養蚕をすると、蚕は病にかからず、糸質すこぶる強靱で、光沢良く、その上増産確実であるから、こ れが全国的に実行されるとすれば、蚕糸(さんし)界に一大革命を起す事はもちろんで、国家経済上いかに大なる利益をもたらすかは、けだし測り知れないもの があろう。
  昭和二十五年十一月二十二日付『栄光』(七十九号)所載

(注)
洒水(しゃすい)水を注ぐこと。密教のきよめの儀礼。休耕田に水を入れ放置することで余分な肥料分を取り除くこと。収量が回復する。



農業の大革命 五カ年にして米の五割増産は確実

(一)

 私は十数年以前から、自然栽培法といって金肥人肥を用いず、自然のみの肥料を使って農作物の大収穫を得る事を発見し提唱して来たのであるが、その当時農 民に向かっていかに説得し信じさせようとしても、中々耳を籍(か)す者がなく随分努力をしたが思うようにはゆかなかった。しかし最初からの私の信念は、こ れこそ絶対の真理である以上、いつかは必ず分る時が来るに違いないと共に、これによらなければ、農民はいつになっても救われないばかりか、国家の運命にも 至大なる関係がある事を考え、撓(たゆ)まず屈せず今日に到ったのである。ところが幸か不幸か、私の憂慮した通りの重大なる事態となって来た今日、農民諸 君は固(もと)より一般日本人にも分らせなければならない事を痛感するのみか、この自然栽培の前途にもようやく光明が見え始めたので、いよいよ時機到れり とここに大宣伝を行う事となったのである。
 そうして、この農法に都合のよかった事は、私が宗教家であるだけに、信者は不思議な説とは思いながらも、ともかく信じて実行に移った者も少なくなかった ので、割合早く効果が分り、共鳴者も追々出来、最近に至っては信仰者ならざる一般農民層も、ようやく注目を払うに至ったのである。しかも今回別項〔略〕の ごとく農林技官金崎貞男氏が、職掌柄技術方面の見地から、数年にわたって熱心に研究の結果、ここにいよいよ驚嘆すべき成果を認め、発表する事となったの で、私としては喜びに堪えないのである。それというのも一般はこの栽培法は宗教から出たという理由で、ともすれば迷信視せられ勝ちなのが、同技官の発表に よって、それを打消すに大いに力あると思うからである。
 言うまでもなく現在日本における最大の悩みは、何と言っても主食の不足である。何しろ終戦後狭くなったこの国土に対し、人口の方は増えるばかりで、現在 すでに八千四百万というのであるから、ここに緊迫せる問題となったのである。しかも本年のごときは、二千数百万石の不足となるので、それがため各国からの 輸入によって、辛くも安定を得ているに過ぎないと共に、その輸入額に至っては、実に千数百億に上るのであるから、国家経済の上からいっても、実に容易なら ぬ事態となったので、この解決が出来ない限り、我国の前途や全く寒心に堪えないものがある。のみならず世界の状勢によっては、いついかなる事態が発生する やも分らないのだから、全国民に対する絶対量の確保は、どうしても達成しなければならないのである。そこで政府も農民も、あらん限りの手段方法を尽しては いるが、中々思うようにならないばかりか、ややもすれば減産の傾向さえ見える。本年のごときは、昨年よりも約三百万石の減収であるに対し、彼(か)の産制 も期待薄く、人口増加の趨勢は今のところ年百万以上と見ねばなるまいから、この大危機を解決するには、何らか画期的大奇蹟でも現われない限り、どうしよう もないのである。
 しからばなぜ我国が全人口を養うに足るだけの米の産額を得られないかというと、これこそ私が言わんとするところの根本理由である。それは現在までの農耕 法に一大欠陥があったからで、その欠陥というのは金肥、人肥のごとき人為肥料であってそれに気が付かなかったのである。ではなぜそれ程の過誤が、今日まで 分らなかったかというと、長い間に知らず識らず一種の肥料迷信に陥ってしまったのである。ところが、私はそれを発見した以上、その迷夢を醒まし、農耕法の 大革命をしなければならないと痛感し、この運動を起したのである。
 ここでいよいよ本農法が、堆肥のみで大収穫を得られるというその原理と、方法を詳しくかいてみるが、その前にまずこの自然栽培法の効果である。それはこ の方法を五カ年継続すれば、全国を平均して五割増産は易々たるものである。としたら恐らく何人(なんぴと)といえども到底信じられないであろう。そこで現 在の平年作六千三百万石とみて、五割増産は九千四百五十万石となるから、日本人が鱈腹(たらふく)食っても、なお一千万石の余剰米が出来るから、今度は反 対に輸出しなければならない事になろう。そればかりではない、肥料代も要らず、虫害は何分の一に減り、風水害も半分以下に減るから、労力もまた半減するで あろうし、実に驚異的農耕法である。以上は米のみについてであるが、この自然栽培法は一般農作物に対しても同様であって、それらもザットかいてみるが、ま ずいかなる野菜でも素晴しい実績が拳がるのはもちろん、例えば薩摩芋(さつまいも)なども驚く程巨大なものが出来、一箇の目方五、六百匁くらいはザラであ るから、総収穫量も有肥よりも二倍以上は確実である。また豆類も粒が大きく、数量も増えるので、三倍くらいの収穫は容易である。大根なども色白く、キメ細 かく粘っとりとして、ザクザクなどは更になくすこぶる美味であり、菜類も色がよく虫喰がなく軟らかで、これまたすこぶる美味である。その他玉蜀黍(とうも ろこし)でも南瓜(かぼちゃ)でも、西瓜(すいか)等、野菜と名のつく野菜は何でも好く、一々は略すが到底想像だもつかないのである。
 そうして特筆すべきは、自然栽培で出来たものの素晴しい美味である。米麦でも野菜でも一度味を覚えたら、有肥栽培の物は到底食う気にはなれなくなる。現 に私なども無肥のもののみを食っているが、幸いな事には無肥栽培者が益々増えるので、現在は食い切れない程貰うのである。また果実も同様人為肥料を廃めて から年々収穫が増すと共に質も良好で、多収入となり、皆感謝している。花卉(かき)にしても花は大きく、色鮮かで美しく、生花などに使う場合、長持がする とて喜ばれている。
 次に自然栽培は、害虫が激減する事である。元来害虫なるものは、人為肥料から湧くものであるから、廃止すれば湧かないに極(きま)っている。ところが現 在は害虫を駆除しようとして、殺虫剤や消毒薬を旺(さか)んに用いるが、実はこれが土壌へ浸み込んで、害虫発生の原因となるのでその無智なる哀れむべきで ある。そうして近頃のごとく、毎年と言いたい程風水害を蒙(こうむ)るが、自然栽培によれば実に被害が少なくなる。という訳は本来作物が人為肥料を吸収す ると意外にも非常に弱くなるもので、それはこういう訳である。すなわち人肥でも金肥でも、作物が吸収するやそれが有毒化し、その毒が害虫の食物となり、繁 殖するという理由を私は発見したのである。また肥料によっては肥料自体から微生虫が湧き、それが作物そのものを食いつつ殖えてゆき、根に発生すれば毛根を 喰い荒し、弱らしてしまう。葉枯れ、茎折れ、花落ち、実の不熟、馬鈴薯(ばれいしょ)の萎縮などの原因もそれである。また毛根以外の場合にも、種々の微生 虫が発生するが、作物自体が健全であればそれを死滅させる力があるが、前記のごとく肥料のため脆弱となっている以上、微生虫に負けてしまうのである。また 風水害にあっても無肥の方は強靭で、倒伏も少なく、倒れても直に起き上るが、有肥の方は倒れたままで、大きな被害を蒙るので、この理由として根を見ればよ く判る。無肥の方は毛根が有肥のよりもズッと多くて長いから、根張りが強いためである。また稲でも野菜でも葉の短いのが特徴であって、これはあらゆる作物 について農民も知らるる通り、丈(たけ)が低く葉伸びの少ない程、実が多く生(な)るとしている。これに反し有肥の方は丈も長く、葉も大きいから、見た目 は立派だが実りは案外悪いものである。
 次に蚕(かいこ)であるが、これも無肥の桑で育てると非常に健康で、出来た糸質も強靱で光沢がよく、極めて優良でもちろん増産になる。それは病蚕(びょ うさん)発生がないからでもある。以上のごとくあらゆる耕作物は、有肥栽培に比して無肥栽培の方が、比較にならない程有利であるかは以上の通りである。そ れについて知らねばならない事は、第一土なるものの性能である。そもそも土とは造物主が人畜を養うために作物を生産すべく造られたものである以上、土その ものの本質は、肥料分があり余る程で、言わば肥料の塊といってもいいくらいのものである。それを今日まで全然知らず、肥料は作物の食物のように誤ってしま い、色々な人為肥料を施した結果が、意外にも土本来の力を弱らせてしまったのである。よく日本の土質は酸性だと言われるが、全くそのためである。としたら 何と驚くべき錯誤ではなかろうか。この意味において作物を増産せんとするには、土自体の力を出来るだけ強化させる事である。ではどうすればいいかという と、それは土に対し堆肥以外いささかの不純物も混えず、出来るだけ清浄にする事で、それだけで素晴しい成績を挙げられるのであるから、今までの頭脳では到 底信ずる事は出来ないのである。
 右の理によって、自然栽培の根本理念は飽くまで自然尊重であって、それは自然がよく教えている。およそ世界にある森羅万象あらゆるものの生成化育を見れ ば分るごとく、大自然の力、すなわち太陽、月球、地球というように火水土の三原〔元〕素によらぬものは一つもない。もちろん作物といえどもそうであるか ら、日当りをよくし、水分を豊富にし、土をより清くする事によって、作物は人間の必要以上余る程生産されるものである。見よ地上には枯草も落葉も豊富に出 来、年々秋になればそれが地上を埋め尽すではないか。これこそ全く土を豊穣にするためのものであって、それを肥料にせよと教えている。そうして耕作者は堆 肥に肥料分があるように思うが、決してそうではない。本来の堆肥の効果は、土を乾かさないためと、温めるためと、固めないためである。つまり水分を吸収 し、熱を吸収し、土が固まらないようにするにある。
 この理によって稲に与える肥料は、藁を出来るだけ細かく切り、土へよくねり交ぜればいいので、それが自然である。藁は稲の産物であるからで、これは根を 温める効果がある。また野菜の方に枯草や落葉がいいのは、畠の近くには必ず林があり、落葉、枯草があるにみてそれを使えという意味である。そうして地球の 中心は巨大な火の塊であって、不断にこれから地熱すなわち地霊を放射している。これが窒素であって、この窒素こそ神が与えた肥料で、地表を透過し地上ある 程度の高さに達して滞溜し、それが雨によって地上へ降下し地面に浸潤する。これが自然の窒素肥料で天から降ったものであり、もちろん量においても過不足な くちょうどいいくらいなのである。ではなぜ窒素肥料を使い始めたかというと、これには理由がある。彼の第一次大戦の折、独逸(ドイツ)においては食糧不足 のため、急激に増産せねばならず、そこで空中から窒素を採る事を発見し、使用したところ大いに増産されたので、それ以来世界的に普及されたのであるが、右 は一時的効果であって、決して長く続くものではない。いずれは窒素過剰に陥り、土が弱って減産する事になるが、その理がまだ判らないのである。つまり麻薬 中毒と同様であると思えばいい。
 ここで注意すべき事がある。それは自然栽培に切替えても、その水田の土と種子に残っている肥毒の多少が大いに影響する。例えば本栽培にしてもある水田は 一年目から一割くらいの増収になるところがあるかと思えば、一年目二年目共一、二割の減収で、ようやく三年目になってから一、二割の増収となり、漸次予期 の成績となるのである。従ってまず普通としては一年目従来と同様、二年目一割増、三年目二割増、四年目三、四割増、五年目から五割増とみれば、まず間違い はあるまい。従ってもし余りに成績の悪い場合は人為肥料が多量に残っているためであるから、一時客土によって緩和すればよい。
 今一つ重要なる一事がある。それは硫安のごとき化学肥料は、稲が吸収する以上、その劇毒がたとえ微量ずつであっても、人間は一日三度ずつ腹の中へ入れる のだから、知らず識らずの内に人体に害を及ぼすのは当然である。近代人の罹病率が多くなったのも、そうした原因もないとは言えないであろう。最後に自然栽 培に対する経済的利益をザッと挙げてみるが、
 (一)肥料代が要らなくなる。
 (二)労力が半減する。
 (三)収穫が大増量する。
 (四)目方が増え、炊き減りがなく美味である。
 (五)虫害はほとんどなくなる。
 (六)現在最も悩みの種とされている蛔虫や、その他の寄生虫問題も完全に解決する。
 以上によってみても、本栽培法がいかに画期的で一大福音であるかが分るであろう。この実行によって、日本の食糧問題は一挙に解決するはもちろん、それが 動機となって他のあらゆる問題、特に人間の健康に対しても、好影響を与えるのはもちろんである。この栽培法が日本全土へ行き渡るとしたら、日本の再建を早 め、高度の文化国家として全世界から仰がるる日の来る事は断じて間違いないのである。この意味において、私はこの特集号をもって、一人でも多くの日本人に 読ませたい念願である。
 最後に言いたい事は、これをもって宗教宣伝のためにする意志は毫末(ごうまつ)もない事で、それは無信仰者でも実行すれば、右のごとき好成績を挙げ得るからである。

(二)

 今度各地から報告された昨年度の成績をみると、時期が早いため収穫までに到らないものもあって遺憾ではあるが、しかし大体は判ったので、これについて私 の感想をかいてみるが、何よりも自然農法は、今まで作物の生命と頼んで来た肥料を否定するのであるから、最初は家族をはじめ、村人等から思わざる非難攻撃 を受け、嘲笑の的とされるので、実に血の涙で隠忍自重、黙々と頑張り通して来た事は、読みながら私は目頭が熱くなるくらいである。全く信仰ならではという 感が胸に迫るが、何しろ先祖代々肥料迷信になり切っている人達からみれば、反対するのも無理はない。これについて惟(おも)われる事は、歴史上今日でも、 人類に多大な貢献をなしつつある発明発見といえども、その当初は例外なく誤解と迫害を浴び、苦心惨憺押し切って来た幾多の記録は、吾々の魂を揺り動かさず には措かないものがある。
 そんな訳でこの自然農法といえども、一時は相当反対されるであろう事は覚悟はしていたが、何といっても実際に驚異的成果を挙げる以上、ある時期までの辛 抱と思っていた。ところが予期のごとく、ようやく各方面の注目を惹くに至った事は、今度集っただけの報告をみてもよく分る。しかし最初は何といっても周囲 の事情も悪いし、本人でさえ確信がもてない事とて、思い切って堂々とやり始めた人は少なく、大部分はオッカナ吃驚(びっくり)試作的に始めたのである。し かも土地にも種子にも肥毒が相当滲み込んでいるので、最初の年などは枯死するかと思う程の黄葉、細茎等で、これを見ては不安焦燥、ひたすら神様に祈るので あるが、収穫時になると案外好成績なのでホッとするとは誰もがいう言葉であって、この難境を切抜けてこそ、勝利の栄冠をかち得るのである。しかし本当をい うと四、五年本栽培を続けて、五割くらい増産の各地からの報告を載せたかったのだが、それまで待たれない程の目下の実状であると共に、最早今までの実績だ けでも、本栽培の効果は充分判ると思うから、取りあえずこの特集号を刊行し、早急に農業者は固(もと)より、一般人にも知らせるのである。右の意味におい て、この際目からも耳からも入れるべく、この特集号は各大臣、国会議員、主なる新聞社、全国の農事試験場、農会、農事関係者等に、あまねく配布すると共 に、準備つき次第全国的に本部から出張講演する予定である。従って農村の信者諸君は固より、一般信者諸君においても、大いに宣伝し、勧告されん事を望むの である。
 次に最近の新聞紙上によれば、政府も思い余ったとみえ、本年度から莫大な費用を支出し、あらん限りの方策を樹て、一カ年三百万石増産の計画を実行すると の事である。それもいいが、今まで通り金肥人肥を使用するとすれば、他の農事改良や種々な方法を講じても三百万石増産はまず夢でしかあるまい。私の推測で は旨くいって平年作か、下手をすると昨年のごとく減産になるかも知れないとさえ想えるのである。ゆえに何としても肥料迷信を目醒めさせ、一日も早く自然農 法に切替えたいと思うのである。しかし幸いこの事が分って実行するとしても、日本全国を一挙に切替える事は無論不可能であるから、慎重の上にも慎重を期 し、まず一カ年一割ずつ十年計画で実行すればいい。そうすれば全然減産の心配はなく、一、二年は平年作とみて、三年も過ぎると漸次増産となり、五、六年経 た頃から五割以上は、太鼓判を捺(お)しても間違いないのである。
 ここで特に言いたい事がある。それは未信者ではちょっと分り難いが、元来人間の主食である米というものは、神が人間を養うがために造られた物である以 上、人口がいかに増えても必要量だけは必ず生産されるはずである。ところが現在のごとく一カ年二千万石も不足するというのは、全く間違った農耕法、すなわ ち人為肥料を用いるからであって、前記のごとく五割以上増産になるとしたら、日本経済はどうなるであろう。借金王国の有難くない名は逆となって、国民は鼓 腹撃壌(こふくげきじょう)という文字通りの時代が来るのは必定である。こんな事をいうと余りに棚ボタ式で、反って疑念が起るかも知れないが、私は根拠の ない事は言わない。実績報告中〔略〕にもある通り、自然栽培によって肥毒がなくなるに従い、稲は穂に穂が出る。すなわち一本の茎から何本もの枝が出て、そ の枝にことごとく実が生るから、少なくとも一茎で三百ないし五百粒は確かである。その上虫害もなく、風水害も激減するとしたら、昔から言われる豊葦原瑞穂 (とよあしはらみずほ)の国の名に愧(は)じない国となるであろう。以上によってみても、今後日本の人口が一億になり、二億になり、三億になっても、現在 の耕地面積そのままで充分養える事は、断言してはばからないのである。
 次に今一つ言いたい事がある。それは報告中の随処に出ている浄霊の文字である。これは未信者には分り難いだろうが、分る分らないは別として、ザッとかい てみるが、つまり浄霊とは肥毒を消す方法である。何しろ手を翳(かざ)しただけで、素晴しい効能があるのだから、唯物思想で固まった頭脳では到底分りよう がない。しかしこれこそ本教の真髄であるが、ここでは略す事とし、まず土の解剖をしてみよう。本来土と言うものは、霊と体との二要素から成立っているもの で、体とは土そのもので、霊とは目には見えないが土の本体である。言わば体は表で霊は裏である。ところが肥料は毒素である以上、土の体を弱らせるから、そ れが霊へ映って曇らせる。というのは霊主体従が万物の法則であるからで、言わば浄霊とは肥毒解消法である。すなわち浄霊の場合掌から一種の強力な光波が放 射され、霊の曇りは払拭されるので、それが体に写って肥毒は減るのである。これが真理であってこの理を知らない科学は、半面である体だけを対象とする、つ まり跛行的学問である。このような不完全な科学と伝統的考え方のため、肥料によって耕土を弱らして来たのである。この原理を私は発見し、ここに自然栽培法 が生まれたのであるから、これこそ真の科学であり、世界的大発見であろう。従って画期的増産の実を挙げ得るのも、何ら不思議はないのである。
 最後に注意すべき事がある。それは私の唱える五カ年にして五割増産というのは、普通量の人為肥料を施した田を標準としての成果であって、五年くらいで肥 料分が全く消滅するからである。ところが近来は収穫を挙げようとして、至るところの農村は硫安のごとき化学肥料を多量に用いるようになったので、今日自然 農法に切替えても、肥毒が全く消滅するには、それだけ暇がかかるから五年以上と見ねばなるまい。これは報告中にもある通り、自然栽培を実行しても、その成 績に相当差別がある事で、これこそ肥毒の多少によるのであるが、これも直き分る。すなわち出穂(しゅっすい)の場合黄色を帯びている間は肥毒のあるため で、肥毒がなくなるに従い、初めから青穂となる。従ってそのための浄霊であるから、五年以上経って肥毒皆無になれば、浄霊の必要もなくなる訳である。次に 客土をすると、一時的成績が良くなるのは、肥毒のない土を入れるからであって、この事だけでも肥毒の害が分りそうなものだが、分らないのは全く肥料迷信に 陥っているからである。
  昭和二十七年一月三十日付『栄光』(百四十一号)所載


自然栽培に就いて

 今までに本紙農業特集号を出したのは、一昨年と昨年と今回とを併せて三回になるが、年々自然栽培耕作者が多くなると共に、その報告も増え、今回のごとき は付録として四頁(ページ)も増したくらいである。そこで報告書〔略〕を一々読んでみると、成績は益々よく収穫が増すばかりか、品質も良好となりつつある 事で、これも当然とはいいながら喜ばしい限りである。それがため、この実績を見て今まで迷っていた農民達も次々自然栽培に切換えるようになり、一村で一度 三十一戸の自然栽培者が出来たという事である。また新潟県佐渡ケ島での実績は、揃って初年度から優良で、信者ならざる農民層がどしどし増える状態で、この 分でゆくと数年ならずして全島自然耕作となるのは太鼓判を捺(お)しても間違いはあるまい。しかも別項のごとく〔略〕農林省東京食糧事務所業務第二課長山 川達雄氏のごときは、自然栽培を知った二年前から、現地の状祝を審(つぶ)さに調査の結果、予想外の好成績に夢かとばかり驚嘆したそうである。何しろ今ま での学理とは全然反対であるから、直に理解が出来ないため、頭脳の困惑に悩んだとの話であるがさもありなんと思われる。
 以上によってみても、最早良いとか悪いとかの論議の時期は、すでに過ぎたといってよかろう。従ってもしまだ疑念を持つ人がありとすれば、その人は欲のな い変人としか思えないのである。そこで大いに考えなければならない事は、現在我国における人口増加の趨勢であるしアレ程骨を折っている産児制限を尻目にか けて益々増える一方である。その上敗戦によって狭められたる国土の事をも思う時、到底安閑としては居れないはずであるにもかかわらず、私は昨年も一昨年も この特集号を農林大臣始め、各大臣、国会議員、新聞社、全国の主なる農事関係者に配布したが、余り関心を持たれないとみえて、相変らずの誤れる農耕法を続 けているのである。そのため一力年数百億に上る金肥は固(もと)より、農地改良費や奨励金等合計すれば実に巨額な支出となるのはもちろん、増産何年計画な どといって大童(おおわらわ)になっているが、サッパリ効果が挙がらない事実である。しかもこのような計画は余程前から何回となく繰返しているが、いつも 計画倒れに終っている。その証拠には昨年など豊作といいながら、平年作を僅か上廻ったにすぎないのであるから、最早従来の農耕法ではどんなに工夫し骨折っ てみても駄目との烙印を捺(お)されている訳である。それだのに確実に大増産が出来る我自然農法を知らしても、蔑視してか研究しようとする気振りもない。 それというのも宗教から出たという取るに足らない理由からでもあろうが、まことに困ったものである。そんな訳で政府は何だかんだと種々の対策を樹てては失 敗し、年々巨額の人民の税金を無駄に費消しているのであるばかりか、米の輸入も年々増え、現在ですら年二千数百万石の輸入とその代金一千億以上を払うので あるから、寒心に堪えない国家的悲劇である。この悲劇の原因こそ長い間の肥料迷信のためである事で、別項多数の報告〔略〕によってみても充分認識されるで あろう。そうして事実を目の前に見ながら、躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)躊(ため)ろう人も信者の中にさえ相当あるくらいであるから、その根強さは 驚くの外はないのである。何よりも思い切って最初から私の言う通り実行した人は、予期通りの好成績を挙げ得たので、なぜもっと早く実行しなかったかと後悔 するくらいである。
 何しろ本農法は、従来のやり方とは全然反対であるから、容易に転向出来ないのも無理はないが、といってこれほど事実が証明している以上、信ぜざるを得な いはずである。以下それらを一層詳しくかいてみよう。まず我国民が先祖代々長年月肥料を施して来た結果、我国農地全部は汚され切っており、そのため土は酸 性化し土本来の性能は失われ、人間でいえば重病人の体質と同様になっているのである。その結果作物は土の養分を吸収する事が出来ず、肥料を吸収して育つよ うに変質化してしまったので、全く麻薬中毒と同様である。ところで今までとても農事試験場や農民の中にも、無肥耕作の試験をした事もあったが、何しろ一年 目は非常に成績が悪いのでそれに懲りて止めてしまったという話は時々聞くので、この事なども肥料迷信に拍車をかけた事はもちろんである。そんな訳で耕作者 は肥料をもって作物の食糧とさえ錯覚してしまったのである。事実自然栽培にした最初の一年目は葉は黄色く、茎は細く余りに貧弱なので、付近の者から嘲笑慢 罵、散々悪口を叩かれ、中には忠告する者さえあるくらいで、もちろん肥毒のためなどとは夢にも思わないからである。ところが栽培者は信者である以上絶対信 じているので、辛い我慢をしながら時を待っていると、二年目三年目くらいからようやく稲らしくなり、収穫は増えはじめ、しかも良質でもあるので、今度は嘲 笑組の方から頭を下げ、自然組の仲間に入る人達も近頃メッキリ増えたという事である。そうして肥毒が全くなくなるのは、まず五年はかかると見ねばなるま い。その暁私が唱える五割増産は確実であって、これが六年となり、七年となるに従い驚異的増収となり、やがては十割増すなわち倍額も敢(あ)えて不可能で はないのである。というのは分蘖(ぶんけつ)は倍以上となり、しかも穂に穂が出るので、そうなったら倍どころではない。一本の茎の実付き千粒以上にもなろ うから、到底信ずる事は出来ないのである。
 ここで米というものの根本的意味をかいてみるが、そもそも造物主が人間を造ると共に、人間が生きてゆけるだけの主食を与えられた。それが米麦であって、 黄色人種は米、白色人種は麦となっている。それを成育すべく造られたものが土壌である事は、何人も否定する事は出来まい。としたら人口がいかに増えても、 その必要量だけは必ず生産されるはずである。もしそうでないとしたら、必ずやどこかに大きな誤りがあるに違いないから、その誤りを発見し是正すればいいの で、それ以外増産の道は絶対あり得ないのである。この意味において我国の人口が現在八千四百万人とすれば、一人一石とみて八千四百万石は必ず穫(と)れる はずである。ところが現在は平年作六千四百万石としたら、二千万石は不足している訳で、この原因こそ金肥人肥のためであるから、その無智驚くべきである。 ところが喜ぶべし、私はこの盲点を発見し、ここに自然農法が生まれたのであって、これによれば五カ年で五割増産となるから九千六百万石となり、優に一千二 百万石は余る事になる。しかも肥料も要らず、労力も省け、風水害にも被害軽少で済、現在最も難問題とされている虫害はほとんど皆無と同様となるとしたら、 その経済上に及ぼす利益は何千億に上るかちょっと見当はつかないであろう。この夢のような米作法こそ開闢(かいびゃく)以来いまだかつてない大いなる救い といえよう。私はそれを立証するため、数年前から多くの農民を動員し、実行を奨励した結果、予期通りの成果を得たので、ここに確信をもって天下に発表する のである。しかも報告者の宿所姓名まで詳記してあるから、不審のある場合直接本人に打(ぶ)つかって訊けば何よりである。
 以上のごとく理論からも実際からも、一点の疑問の余地はないのであるから、農耕者としたら何を措(お)いても一刻も速かに実行に取掛るべきである。そう してここに誰も気のつかないところに今一つの重要事がある。それは硫安のごとき化学肥料や糞尿を用いる以上、それらの毒分は無論稲が吸収するから、今日の 人間は毒入り米を毎日三度三度食っている訳であるから、その毒は健康上どのくらい害を及ぼしているか分らないのである。事実近頃の人間の弱さと病気に罹り 易い事と、特に寄生虫患者が農村に多い事など考え合わす時、これが最大原因である事は考えるまでもあるまい。以上によって大体分ったであろうが、この肥料 迷信発見こそ、国家国民に対し計り知れない一大福音であろう。
 次に栽培法について誤謬の点が相当あるようだから、ここにかいてみるが、本教信者になって私の説を読んだり、聞いたりしながらも、素直に受入れられない 人もあるが、何しろ先祖代々肥料迷信の虜(とりこ)なっている以上無理もないが、この際それを綺麗サッパリ棄ててしまい、私の言う通りにする事である。そ れについても種子であるが、報告中にある農林何号とか、旭何々などとあるが、これは何らの意味をなさないので、自然栽培においては一般に使う種子なら何で も結構である。つまり肥毒さえ抜ければ、どんな種子でも一級以上の良種となるからである。要は肥毒の有無であって、信者中から何年か経た無肥の種を貰うの が一番いいであろう。その場合種子も近い所程よく、県内くらいならいいが、相当離れた他県などでは成績が悪いから止(よ)した方がいい。それと共に土の肥 毒であるが、肥毒が無くなるにつれて快い青色となり、茎は固くしっかりし、分蘖も数多くなり、毛根も増え、土深く根張るから、倒伏も少なく、それらの点で よく分る。そうして堆肥についてまだ充分徹底していないようだが、最も悪いのは稲田に草葉を入れる事で、これは断然廃めた方がいい。稲作はいつもいう通り 藁を短く切り、土深く練り込めばいいので、余り多くてもいけない。というのはそれだけ根伸びを阻止するからである。また度々言う通り藁には肥料分はない。 肥料は土そのものにある事を忘れてはならない。つまり藁を使うのは土を温めるためで、寒冷地には使っていいが、温暖地には必要はない。これが本当の無肥料 栽培である。
 それから土の良い悪いであるが、これも余り関心の要はない。なぜなれば悪土でも無肥なれば年々良くなるからで、連作を可とするのもこの意味である。また 浄霊であるが、これは肥毒を消すためで、肥毒がなくなれば必要はない。以上大体気の付いた点をかいたのであるが、その他の事はその場所の風土、気候、環 境、位置、日当り、灌漑(かんがい)、播種(はしゅ)と植付の時期等適宜にすればいいのである。最後に特に注意すべき事がある。それは自然栽培と信仰とは 別物にする事である。というのは信者にならなくとも予期通り増産されるからである。それが信者でなくてはよく出来ないと誤られると、せっかくの本農法普及 に支障を及ぼすからである。事実信者未信者を問わず効果は同様である事を心得べきである。従って浄霊も余り度々行わなくともよい。なるべく人に見られない よう日に二、三回くらいで充分である。つまり出来るだけ信仰と切り放す事を忘れない事である。
  昭和二十八年三月四日付『栄光』(百九十八号)所載


水稲自然農法の研究調査と批判

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

     農林省青森統計調査事務所大湊出張所長
               農林技官 金崎貞男

(一)

一、調 査 箇 所  青森県下北郡大畑町大字大畑字筒万坂一番地
一、耕 作 者  椛沢熊吉
一、経 営 面 積  一町一反歩 遠野一号九反 赤毛モチ二反
一、品   種  遠野一号(早生)粳米 赤毛モチ(早生)糯米
一、浸 種 期  四月八日~四月二十二日(十五日間)
一、播 種 期  四月二十五日(通し普通水苗代)
一、播 種 量  五合~六合(一坪当り)
一、施 肥 量  苗代は秋期、本田は田打前、苗代及び本田共に「稲ワラ」細断せるもの七〇貫目~八〇貫目(反当り)を適当の水を注加して湿気を与え、醗酵して白味を帯びた程度のものを耕起前に施用せるのみ
一、田 植 期  六月五日~六月八日
一、株   数   一〇〇~一〇五株(一坪当り)
一、一株の本数   五~七本
一、一番除草期   六月二十日~六月二十四日
一、二番除柵早期  七月七日~七月十日
一、三番除草期   七月十五日~七月十九日(軽く)
一、八月十五日現在作況状態
 (1)草   丈  二尺二寸~二尺六寸
 (2)一株の穂数  十二本(二十株の平均)
 (3)一穂の粒数  一五〇粒内外(最高穂)(二十株の平均)
 (4)出穂状況   八〇%の出穂にして病虫害の被害なし
一、九月三十日現在坪刈状況
 (1)坪刈期日及時刻 昭和二十六年九月三十日午後一時
 (2)天     候 当日午前少雨 午後曇 前日雨
 (3)坪  刈  器 円形坪刈器使用
 (4)坪 刈 方 法 中位箇所三カ所(一カ所一坪)
 (5)坪  刈  者 研究調査者 金崎貞男
 (6)坪 刈 立 会 者 大畑町長 菊地察明氏 外一名
            大畑町農業委員会長 西川錬三氏 外一名
 (7)坪 刈 株 数 一〇〇~一〇五株(一坪当り)平均一〇二株
 (8)未調製生籾重
   遠野一号(一坪当り)五五〇匁(反当り)一六五貫
   赤毛モチ      六〇〇匁     一八〇貫
 (9)完  熟  期
   遠野一号 十月一日
   赤毛モチ 十月六日
 (10)未調製乾燥籾重
   遠野一号(一坪当り)三六七匁(反当り)一一〇貫
   赤毛モチ      三九三匁     一一八貫
 (11)調 製 籾 重
   遠野一号(一坪当り)三六〇匁(反当り)一〇八貫
   赤毛モチ      三七七匁     一一〇貫
 (12)枇     重
   遠野一号(一坪当り)三匁(反当り)   九〇匁
   赤毛モチ      六匁     一貫八〇〇匁
 (13)トーミ失重
   遠野一号(一坪当り)四匁(反当り)一貫二〇〇匁
   赤毛モチ     一〇匁     三貫
 (14)調 製 容 量
   遠野一号(一坪当り)一升五合(反当り)四石五斗
   赤毛モチ      一升八合     五石〇斗四升
 (15)調製籾一升重
   遠野一号 二八〇匁 調製籾一升重 遠野一号 三〇〇匁
   赤毛モチ 二四〇匁        赤毛モチ 二八〇匁
 (16)品     位
   遠野一号      上ノ中
   赤毛モチ      上ノ下(早刈のため青米少数混入す)
 (17)反当り推定玄米容量
   遠野一号      二石二斗二升
   赤毛モチ      二石五斗一升
 (18)反当り推定玄米重量
   遠野一号      八七貫
   赤毛モチ      九六貫三二〇匁
 (19)食     味
   遠野一号      良
   赤毛モチ      粘力強

大事な特徴は
 (1)根が長くかつ張っていること(有肥栽培の二倍以上)
 (2)三番除草は不必要 自然農法は前項根の発達により成育するものなれば、三番除草は反って根を損ずるため生育の妨げとなる。

  付 記
一、年次反当り収量状況
 昭和二十三年  一石二斗(化学肥料施用最終年)
 昭和二十四年  一石四斗(自然農法に拠る)
 昭和二十五年  一石八斗(自然農法に拠る)
 昭和二十六年  二石二斗(自然農法に拠る)
  (註)斗未満を切捨
一、土  壌  黒色壌土(泥炭に近い)
一、排  水  やや不良
一、用  水  充分ならざるも水温中位なり

 三カ年化学肥料を全然使用しない為(肥料代、農薬代皆無)土壌は生々としてミミズ、根菌、ペニシリューム黴の棲育旺盛にして増産、上品位、上食味、健康 食となるものと思考す。注目すべきは、『Pay・Dirt(黄金の土)』の著者、J・I・ロデール氏の農法にやや類似するは注目に値する。
 自然農法では化学肥料の施用は反って地力を減退せしめ、やがては不毛の地と化する。いわば「農地に死刑を宣告するも等しい大罪」としているようです。
 自分の研究調査でいえば土壌は無機物で無く生きて大いに活動しているもので、バクテリヤ、放射状菌、カビ酵母、原始動物、藻物、その他、微生物が豊富に いる。この内動物は原始動物ばかりで、その他は総て微生物である。これらの下等動物植物が群生して土壌の生物学的生活を営んでいるのである。(中略)
 即ちうまく治った小さい社会が存在する様である。この社会を好ましくさせるには次の条件を必要とする。(中略)
一、十分な空気の流通が必要である。(中略)
二、湿気が必要である。(中略)
 以上により、強力な化合物が数十万の農民の味方を殺していることは疑問の無いところであろう。(未完)
  昭和二十六年十一月十五日
               自然農法調査研究者 (三カ年)

     (二)

 根 菌
 土壌バクテリヤとミミズが土壌の肥沃度を増し、これを維持する作業を述べたが、植物の生育の第三要素は土壌中に住む微細な細菌による貢献である。
 過去の生物学者は植物の根部が微細な細菌で侵されていることに着目したが、普通これらは有害であると考えられた。しかし近世、土壌生物科学者はこの方面 の苦しい探究と試験研究の結果、これ等の細菌は宿主に対して珍らしい方法で援助し、その安全な生活に欠くことの出来ないものであることを発見したと論じて いる。
 ガンヌング博士は、著書『植物教科書』でこれらの作用を次の様に述べている。

 ある小形の細菌で多くの植物は腐植質の多いところに育つものの根の先に接して発達し、菌糸を根の周囲に絡ませ根毛を置換える。根菌はその名の現わすように水と無機質の分解で分離した可溶性有機物を吸収することが信じられるのである。

 ハワード氏はその著書『農業の鉄則』に次のことを述べている。

 根菌の提携は肥沃な土壌――腐植質に富む土壌――と作物とを直接に結ぶ生きている橋であり、直ぐ使用出来る食糧を土壌から植物へ運ぶものである。この提携が植物の緑葉の作用にいかに影響するかは現在科学の研究すべき最も興味ある問題である。

と述べている。
 バルフォワー夫人はハワード氏の研究を分析して、「堆肥で作った作物は常に多量の根菌の発生を見て、化学肥料で造ったものと著しい対照を示した」といっている。
 数年前フランスの葡萄生産地帯を旅行中ハワード氏は中央アジアに見られるように強勢な葡萄樹を探した。そこの女主人に聞き質したところ、そこでは全然化 学肥料を施した事がなく、葡萄酒の品質も評判が良いとのことであった。彼はその根を調べて根菌の提携を発見した。
 なお彼は大規模な堆肥農法を各作物に対して研究して、農家に又農事試験場等に根菌の価値のあることと、作物との関係の研究が必要であると論及している。

 ペニシリューム黴
 土壌の微生物の過去の活動や生活史については不明であるが、根菌の一種にペニシリューム黴がある。
 約十五年前英国の科学者フレミング博士が偶然のことから発見したもので、バクテリヤの培養基の中にこの黴が入り込んだところ、その周囲にはっきり空所が 出来た。彼の好奇心が動いて研究を進めた結果、ペニシリンの発見になったのである。驚くべき力のある土壌微生物から分泌されたものである。
 バルフォワー夫人はその著『生きている土壌』で多くの土壌細菌は植物に有害な土壌中の原始動物を襲って喰うことを述べている。「彼らはネマトーダ(腺 虫)を喰べる種類の多くは菌糸で罠又は包をつくり、又粘着物を分泌している。腺虫が包の中に入るとこれを包み、又暴れても捕えておくもので時に二時間もこ れが続くことがある」と述べている。仔豚が非常に腸炎の下痢にかかりやすいが、腐植質の多い芝土を与えると全治すると、又野鳥が農場に激減した理由は化学 肥料が多く施され薬剤の撒布が慣習になったためである。
 鳥は土壌をかいて虫の幼虫を捕えることが好きで、硫安を施して土壌が酸性になった所を一度つついてみれば、彼らは間違った場所に来たことが直ぐ判って、緑の深い牧草地にとび去るであろう。しかして農家は害虫から守ってくれる大切な仲間を失うと述べている。
 科学者は土壌微生物が人の病気を治す偉大な力のあることを知って植物の病気を駆除するに微生物の研究を始めたと。
 土壌の微生物集団には正と負の両要素が入組んだ関係になっていることが明にされた。土壌が正しい状態の場合は平均した状態で順調に生活が営まれ、まさに 有益な微生物が有害なものをおさえるのであると。化学に頼った科学者が土壌微生物の利用に成功しつつあることは心強いと述べている。大分横道に入り過ぎた 感あり、研究の自然農法の原理とその説を研究調査せん。

  自然農法の原理

 自然農法の原理として論者は土の偉力を発揮させることであると説いてある。真理も多分にあると思考する。しかして又今日までの人間は土の本質を知らな かった。否知らせなかったと説いてある。その観念が肥料を使用することとなり、いつしか肥料に頼らなければならないようになってしまったと説いてある。更 に近年、年毎に自然農耕者が増加し、収穫においても至るところ驚異的成果を上げているが、しかし今のところ信者の範囲を出ていないようであるが、漸次各地 においても未信者の間に共鳴者続出し本栽培は非常な勢で激増しつつあるようである。
 しかして論者が肥料迷信打破運動と言っている一応の真理もある。人肥、金肥は一切使用せず、堆肥のみの栽培であるのが前述のロデール氏の著書(『黄金の 土』)の説に類似している。しかして自然農法のために堆肥の原料である枯草、枯葉は自然物として使用するが、金肥(化学肥料)人肥、牛馬糞尿、鶏糞等の厩 肥、魚肥、木灰も異端自然物として使用せぬところに又ロデール氏との説にちょっと異なるところあるものとす。
 更に自然農耕者は、そもそも森羅万象いかなるものといえども大自然の恩恵に浴さぬものはない。即ち火水土の「三元素」とは火の酸素、水の水素、土の窒素であっていかなる農作物といえどもこの三元素に外れるものはないと説いてある。
 更に「大自然の法則」を無視したと述べている。又現在の農耕法は進歩的でなく退歩的だと説くところ又ロデール氏の説にやや根元が類似している。
 更に火、水、土の三元素が農作物を生育させる原動力としたら日当りをよくし、水を充分供給し、浄土に栽培するとすれば大なる成果を上ぐること確実であり、土の本質を未知のため不良果と説いてある。
 更に肥料の逆効果として一時は相当の効果があるが長時施用として逆作用の起るを、即ち作物は土の養分を吸うべき本来の性能が弱り、肥料を養分としなけれ ばならぬ様変質してしまうのである。人間の麻薬中毒にたとえれば一番よく判る。人間が最初麻薬を用いるや、一時は快感を覚えたり、頭脳明晰になったりする のでその味が忘れられず、漸次深みに入り抜き差しならぬようになる。結果は麻薬中毒否肥料中毒となるとしてある。これ又一応の真理もある。自分は昭和二十 四年の春、大畑町自然農耕者椛沢氏の苗代時代より一つの興味をもって、公職以外を利用して時々研究調査しておったが、田植時代には葉色が悪く苗は短く他田 より著しく見劣りしておったが、葉茎の割に根部が長太いのを見た。八月に入って著しく成長九月に入って普通以上となり、十月に入って良好となる成熟を見て 全く意外であった。収穫も予想より多く、品質食味も良好であった。又「コク」釜増は増なり。
 モチ米は粘力強力なこともまた意外であった。
 又自然農耕者は言う。年々肥毒によって土が弱り荒土となると。これ又一応の真理がある。又更に自然肥料実施についての説明を聞くと、稲作に対しては、「稲ワラ」を細切りにしてよく土と捏ね混ぜるので、これは土を温めるためである。
 又畑土の方は枯葉、枯草の葉筋が軟くなる位に腐蝕させ、土によく混ぜるのである。この理由は土が固まっていると作物の根伸び不良となるので、固まらないようにするためとしてある。
 又理想としては浅根の作物は畑土に草葉の堆肥を混ぜるだけでいいが、深根のものには特に畑土一尺位下方に木の葉の堆肥の床を造るがいいとしてある。
 又世人は堆肥の肥価を過大視するが、第一は土を固めない、第二は土を温める、第三は旱害を防止するためである。しかして、又自然農法の根本は「土そのも のを生かすことである。土を生かすということは、土壌に人為肥料のごとき不純物を用いず、どこまでも清浄を保つのである。そうすれば、土壌は邪魔物がない から、本来の性能を充分発揮し得る」と述べている。又特記として、自然農耕の「桑」の葉で養蚕をすると蚕は病に罹らず、糸質強く、光沢よく更に増産確実で あると付言している。
 以上自然農耕者の説と実際研究調査の結果は米人ロデール氏の論旨と一脈の結合あるように思考する。
          昭和二十六年十一月十八日記(未完)



夢物語? 奇蹟?

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

   農林省東京食糧事務所業務第二課長
            農林技官 山川達雄

 「いやしくも農学士ともあろうものが、そんなウンヴィセンシャフトリッヒ(非科学的)の夢のような事柄を取りあげるなんて、とんでない奴だ」
 と、多くの先輩同僚から異口同調で叱られた。これに対し私はいつもおそるおそる顔をあからめながら弁解した。
 「私も少しばかり作物学や肥料学の勉強をしたので、最初この話をきいたときにはあなたが私に言ったと同じ調子で、そんな夢のような事があるはずがないと きめつけたのですが、相手は少しも悪びれずに、「事実が証明するのだから仕様がないでしょう。実態を見て下さい」と強く出るので、この二年間人知れずこっ そりと千葉、神奈川、埼玉及び栃木と各地の現場を見て歩き、いかにも不思議で私の習った作物学や、肥料学の知識ではどうにも解決がつかないので、恥をしの んで申し上げるのです。私にはこの厳粛なる事実に対してどう対処していいか迷っています。どうか実物を見てこの夢のような話を解く智慧を貸して下さい」
 以上の会話は、人為的な肥料を施さずに作物を栽培すると四年五年と年月を経過すればする程増産する、自然農法と称する栽培方法を多くの先輩友人に話すと、必ず冒頭にかわされた会話です。
 では夢の様なときめつけられる自然農法とはどんなものか説明してみましょう。読者の皆さんも既成観念から御読みになっても一読「馬鹿な! そんな事が あってたまるものか。そんなうまい話ってあるものか」と到底信ぜられないでしょう。信ぜられないのが当然だと私も思います。
 私が特にこの自然農法に対して興味を持ち研究を始めたのは、農林省青森統計調査事務所大湊出張所長農林技官金崎貞男氏の「水稲自然農法の研究調査と批 判」なるレポートを見てからです。同氏は公務の余暇を利用して近隣の自然農法の実行者の実態を三年間にわたって調査し、その結果を報告しているのです。
 まず自然農法の原理ともいうべきものを申してみますと、「土とは造物主が人畜を養う為に作物を生産すべく造られたものである以上、土の本質は肥料分があ り余る程で、いわば肥料の塊りといってもいい位のものである。それを今日まで全然知らず肥料は作物の食物のように誤ってしまい、色々な人為肥料を施した結 果意外にも土本来の力を弱らせてしまったのであるから、作物を増産するためには、土自体の力を出来るだけ強化させる事で、それには土に対し堆肥(枯草、枯 葉及び藁)以外の不純物即ち人肥、金肥(化学肥料)牛馬糞尿、鶏糞等の厩肥、魚肥及び木灰等の一切の人為肥料を施すことをやめれば土は清浄になって土本来 の力を出して作物は増産するようになる」と言うのです。読者は直ちに堆肥に肥料分があるから、堆肥を沢山やればそういうこともあり得るとも思うでしょう が、決してそうでなく、堆肥の効果は土を乾かさない為と土を温める為と土を固めない為、つまり水分を吸収し熱を吸収し土が固まらないようにするためだと 言って肥料として使用するのではないと称し、その量も反当四、五十貫もやればよいと言っています。以上が自然農法の原理ですが、要するに人為肥料は一切や らずに連作することで、最も重大なことは、種子を自然農法により採集したものを使用してやることで、他の栽培方法は一切普通の栽培と同様でよいと説いてお ります。
 金崎技官の報告によりますと、化学肥料を施用した昭和二十三年には反当収量一石二斗であった田が、昭和二十四年から自然農法を実施して以来、二十四年二 十五年二十六年にはそれぞれ一石四斗、一石八斗、二石二斗と増産したとあります。私が本年十月十日に訪問した宇都宮在の自然農法実施者は本年は四年目だそ うですが「肥料を使用していた五年前はいかにうまく施肥しても、この田は反当七俵でしたが、自然農法三年目の昨年はこれからは八俵半とれました。今年はも う少しとれるでしょう」と自信をもって語っていましたが、その稲の草丈、藁の色、分蘖の数、一穂の粒数、穂のつき方が近辺の稲と比較して明瞭に区別される のです。
 自然農法と一般農法とを対比(同一条件下で同一品種のものを有肥と無肥で栽培したものの比較、施肥の有無がことなるのみで他はすべて同一栽培方法)した 統計表によりますと、一年目、二年目は一割内外草丈は短く、三年目には大体同じ位の草丈となり、四年目以上は逆に一割以上高くなっていますが、四年目のこ の稲も近所の有肥栽培の稲に比して草丈は高いのです。分蘖についても統計表に依りますと、一年目、二年目は一割五分内外減少していますが三年目には同数以 上になり、四年以上になりますと一割以上増加していますが、この稲も分蘖は確に三本程度多いのです。が、それよりその一束を握ってみた感じが、葦のごとく 固くしっかりしているのに対し、有肥のものは、なよなよとしているのには驚きました。「台風にも倒伏せず病虫害にも強く、隣接田が浮塵子(ウンカ)に襲わ れたにもかかわらず我が田の被害皆無」とある人の報告を読んだことがありましたが、この強靭さでは、あるいはそんなこともあり得るかも知れないとその握り 工合の感触から考えられました。
 一穂の粒数も統計表によりますと、一年目には一割足らず減少し、二年目でほとんど同数となり、三年目からは一割余、四年目以上は三割余も増加しています が、この家の稲も実に房々とたわわと形容したい程豊かに稔っていますが、特記しなければならないことは、有肥の稲の籾のつきじまいが、いわゆる穂揃が下か ら上と不揃であるに反し、無肥のこの稲はどの穂の籾も同じ高さから一様についていて、不稔粒がほとんどないことです。
 更にその色ですが籾は全くの黄金色、稲草はさえた黄緑色、病毒をもった人の顔色と健康人の桜色のそれとの対比以上に明瞭に判別出来るのです。ですから遠方から田を見ても有肥田、無肥田の区別が異なる色の毛布を敷いたごとく誰にも一眼でわかるのです。
 もう一つ眼で見てすぐわかる特色はその根毛の長く多いことです。有肥の稲のそれの長さも数も二倍から三倍もあります。苗代から本田に移植されて有肥の田 がぐんぐん育つ時、無肥の苗は赤くてほとんど育たず、近隣人の嘲笑の的に年々なったそうですが、この時根は土本来の養分を求めて下に下にと延びているわけ でしょう。
 以上申し上げた分蘖一穂の粒数からその収量が初年度二年度は減少するということは、直ぐお考えになったでしょうが、事実初年度は一割内外の減少を見るよ うに統計表にはなっています。私が訪問した各農家でも脱穀調整まではえらい不作と考えていたが、摺ってみたら案外あって反収で一割内外の減収といっていま す。
 この自然農法の稲の籾摺歩合は六割五分は普通で、最高七割五分の報告もあります。籾の皮が薄く内容が充実している為でしょう。
 二年目から平年作となり、三年目四年目五年目からは大体一割二割三割以上も統計表は増収していますが、私が訪問した各農家とも増産歩合は大差なく、この統計表の正当さを裏付けていました。
 この自然農法の話をすると「それは残存肥料の為だ」と断定する人がいますが、初年度は減産して二年三年と年月が経過するほど増収してゆくのをどう解釈し たらよいのでしょうか。私には諒解出来ませんが、自然農法の発見者は、「作物に金肥等を施せば一時的に相当の効果があったので年々施用した結果逆作用が起 きた。即ち作物は土の養分を吸うのが本来の性能であるのに、施肥されることにより肥料を養分としなければならぬ様に変質してしまったのだ。たとえば人間の 麻薬中毒のようなものだ。最初麻薬を用いるや、一時は快感を覚えたり、頭脳明晰になったりするので、その味が忘れられず漸次深味に入り中毒してしまう。こ の様に現在の作物の種子はすべて肥料中毒にかかっているから、酒や煙草あるいは麻薬の中毒患者がそれ等を一時に中止すると到底堪えられないように、肥料を 全然やらないとニコチン中毒患者が禁煙してうすぼんやりするように、外観は貧相になり、従って収量は減少するのだ。但し前述の通り根だけは表面に肥料分が ないので本来の性能に立ち還り、土から養分を吸うべく深く深く伸長しているのだ。かくして一年たって肥料中毒は幾分治るが完全ではなく、その種子を使用し て二年目をやり三年目をやることにより肥料中毒は治癒して、作物本来の性能を発揮して、肥料を施さないこと二年三年となって、清浄と化した土から養分を吸 収することにより増産する様になるのだ」と説いております。「無肥料の試験は農事試験場で実験して立証されているではないか。何を今さら……」と言う人が いましたが農事試験場の試験には、無肥料で栽培して収穫したその種子を使用して翌年同じ囲場で栽培するという実験をしているのでしょうかと、反問致したい のです。
 この無肥料で栽培して収穫したものを種子とすることの大切であることは、埼玉県の自然農法実施四年目の農家を訪問した時にこの目でマザマザと見せつけら れました。それは今年から無肥料栽培する一枚の田を半分ずつに区切り、一方には四年前から無肥料でやって来た苗を植え、他の一方には今年初めて無肥料で やった苗を植えてあったのですが、九月下旬にその収量は明白に区別出来る成育振りです。無肥料の種子と田とが両々相まって増産をあげるわけですが、種子が 作物本来の性能に還っているものだけでも好成績をあげている実例を見せつけられて、無肥料の種子の偉大さを認識したわけです。
 最後に品質について申しますと、前記の埼玉県の農家の例ですが、昨年は一町五畝歩の耕作反別で八十四俵の収穫、供出割当三十俵、この検査成績二等一俵、 三等二十九俵。他の一農家は供出割当五十七俵で検査成績二等二十八俵、三等二十七俵で同地方の昨年の検査成績は二等がほとんどなく、三等三〇%足らずで四 等が五〇%余、他は五等であったのに比すれば非常に好成績と言わざるを得ません。玄米の光沢もよく、一升重量も有肥に比し三ないし四%は重く中には三斗八 升で一俵になるのもあったそうです。その食味も宇都宮で新米の御飯を試食しましたが、素晴らしいものでした。無肥で栽培した白菜や西瓜、甘藷等も試食して 見ましたが美味なることは否定することが出来ません。精米から生産した餅も舌ざわりがよく、粘力強く羽二重餅のようです。
 「肥料代はいらずに労力は節約出来る、しかも余計にとれる。その上味も質も又と得がたい! そんなうまい話は夢物語ならいざ知らず、この世にあろうとは 考えられない。馬鹿も休み休み言え」と御考えになる方が殆んどすべてだと考えますが、私の夢物語を追っての諸国遍歴も二年間つづいていますが、この夢?  は未だ醒めません。私には当代の奇蹟? に思えて仕方がないのです。夢ならば一日も早く醒めよ! 奇蹟ならば科学のメスを加える友よ一日も早く現われよと 絶叫したいです。
 (註)本小論文は東京食糧事務所発行の『月間の動き』新年特集号に掲載されたもので、その節自然栽培データー(本教提供)も付録として折込まれました。次頁に参考までに掲載致します。

    自然栽培水稲  昭和二十六年度実績

              一年目 二年目 三年目 四年目 五年目 六年目
有肥対自然の収穫増減比  + 4.7% +20.2% +30.6% +31.0% +63.0% +74.0%
有肥対 草丈  増減比  - 8.3% - 9.9% - 0.8% + 1.0% + 0.5% + 0.5%
 〃  分蘖   〃   -16.8% -16.1% - 3.0% +11.5% +16.0% +25.5%
 〃 一穂の粒数 〃   - 4.9% - 1.5% +12.9% +30.0% +44.0% +50.0%
 〃 玄米一升重 〃   + 4.4% + 4.4% - 4.5% + 2.5% + 3.8% +20.0%
 〃 籾摺比率  〃   +12.3% +16.3% +13.9% +18.5% +17.0% 不 明
106戸ニ於ケル調査件数    68   26   15    2    2    1
  ◎本表は有肥同條件同品種に於ける成績と対照して何%多いか少ないかを示します。




「自然栽培の佐渡」座談会

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

               光陽中教会
 
 場 所 新潟県佐渡郡河原田町諏訪町 光陽中教会三條支部河原田出張所
 日 時 昭和二十八年二月十五日
 司 会 石井富造
 発言者 小田タツ、片岡勘作、上坂辰雄、松本富造、山本シカ、名畑貞一、土屋秋三郎、土田ナオ、土屋スエ、伊藤正雄、北見新太郎(外参会者四十数名)
 速 記 今井直子

 自然栽培田十八カ所(一年目よりを含む)
 平均収量     対照有肥田平均収量 
 三石一斗一升     二石七斗二升

御浄霊行わずただ自然栽培法実施

 日本海の孤島「佐渡情話」で有名な観光の島佐渡ケ島。全島産米二十四万石の内八割五分以上を産み出す国仲平野四千町歩に、一年増に自然栽培の黄金の稲波 が多くなり、しかも無浄霊で一年目より減収者一名もなく、昨年より信者以外の方も実施する者多くなり、ナントそれが全部好成績、勿論割当供出百%、病虫 害、労働力、肥料高も何のその、女子も子供も誰れにも出来て、技術も不要、奇術も不要、徳になっても毒にはならぬ、天国的栽培者の座談会を御紹介申し上げ ます。

    ◎農業委員長の改心

司会 この前一度座談会を開かせて頂きましたが、昨年度の自然栽培の影響はいかがです。

伊藤 今日まで自然栽培を何度も実施しようと致しましたが、父が農業委員長の職に在り、肥料会社の代弁者のような状態で、頑固に反対されて来ました。昨年 農業特集号を佐渡へも配布して頂いてより父の考えも変り、試験的と言っては申し訳ございませんが、一枚の田を半分に区切り、半分自然半分有肥にして耕作し ました。結果は余りにも明らかで、有肥は病虫害の揚句ほとんど倒伏して、自然は分蘖も多く粒数も多く粃(しいな)もありません。勿論病虫害、倒伏も無く、 誰の眼にも有肥より三、四割増収は間違い無いと太鼓判を捺(お)され、有肥と自然との余りの差に今年より全部自然栽培に切替えると言っております。収穫量 の結果は、父が自然栽培法が断然優秀なりと見極めがついたのと、今まで反対したのが照れ臭かったのと思います。有肥の米を一緒にしてしまいました。

小田 河原田町農家は五十四戸です。供出米は約千俵です。その中で有肥は二等米が五俵です。そこへ五十五歳のお婆さんの土田さんが供出した十四俵が全部二等米となったから、さすがの農業委員長も転向せざるを得なくなったのです。

司会 新潟では一戸百俵二百俵と供出しますが、一万俵集っても二等米はほとんど昨年は無いとの事です。

山本(K村村長夫人) 私のところでは昨年肥料やって稲株も無くなり消えてしまいました。全部穂が黒くなって溶けてしまい、八反歩耕作して、ヤット一俵出来ました。残りは牛や鶏や豚も食べません。

司会 夜昼の転換によりいよいよお浄化も強くなり、肥毒の浄化が著しくなるという神様の御教えとも思われます。自然栽培の新聞を家の人に見せて上げなさい。

山本 家人も今年は何を売っても肥料だけは買わねばならんと言っていたが、最近は今年は肥料は絶対にやらないと言っております。

一同 今年は肥料しては絶対駄目だ。

    ◎無浄霊

司会 前回の座談会に今年こそは御浄霊を徹底的にさせて頂くとありましたが……

松本 このことは真先にお詫び申し上げなければならないことです。

スエ 信者さんで無くても誰にも出来ると奨めた手前、自分だけ御浄霊させて頂くのも変ですし、無浄霊、オール自然です。又私の田の回りに一般の自然栽培実施者の田が並んでおりますので手を翳すことも出来ません。

司会 一般の方の成績はいかがですか。

スエ 私の田の上を米穀検査員が一枚実施しておりますが、非常に良い成績でした。

片岡 私の家内の兄は未信者ですが昨年初めて自然栽培して、有肥の普通作を上廻る成績にて喜んでおります。

北見 私も初年目ですが一反歩について二俵の増収です。

上坂 私も初年目ですが有肥とは段違いです。

松本 有肥栽培はここ二、三年全部失敗している。

司会 新潟でも四年前が最高の収穫で、一年毎に漸次収穫量が下降しております。特に昨年は悪かった。反当六俵位のところが多かった。

名畑 一般人は今年は肥料やらずに上手にやったと言っている。

    ◎誰でもできる簡単確実農法

松本 自然こそ確実安全栽培法です。病虫害、天候不良等考えることはありません。有肥の人は田植が終ると直ぐ追肥の心配です。自然は植付が終ると米を穫ったも同然です。

司会 女性の信者さんが大分作っておりますが男子の方より成績良いようですね。

小田 主人に亡くなられ主婦には天籟の慈雨です。子供相手に百姓して、家庭の用事、肥料運搬、撒布、ヤレ村の用と一人三役位は覚悟しなければなりません。 大勢の人数の家庭でも、春から秋までの忙しい時期には暇はありませんが、自然栽培なればこそ大して忙しい思いもせずにやって出られます。

土屋 有肥は土地により同一条件で栽培は不可能だ、東北の栽培法を関西でそのまま真似することはできぬが、自然栽培は同一条件で日本中否、世界中どこでも作れる。

    ◎自然対有肥

司会 自然栽培に就いて昨年十日目毎に調査された中に、お気付になられた点とか有肥と自然の比較、又失敗談、新発見などありましたことと思います。何んでも結構御発表願います。

    ◎有肥苗を自然田に用いた場合

スエ 自然苗が足らないので有肥苗を貰って不足箇所を補いましたが、有肥苗は全部稲熱病に罹りました。又自然田に有肥苗の混じっていたところもありましたが、その二、三株が全部稲熱病になり恐しいものです。自然田に有肥苗用いた田は、一反歩につき一俵の減収です。

松本 どんなに小さくも自然苗が宜しい。有肥は最初は元気が良いが一月も経ると、だんだん元気が無くなって来る。

    ◎堆肥について

松本 自然栽培を始めた当時は堆肥に重点を置いて多く用いたためか、軟弱となり分蘖も多過ぎて実入りも悪かった。現在は縄、俵、蓆等農業に必要な物を造りて余りを田圃にお返しするようにしております。

土屋 これは私の失敗談ですが、夏季畑の雑草の除草しますが、この草を堆肥にすれば田へ使えるのに捨てるとは勿体ないと、他人の捨てた雑草まで拾い集めて 田に入れた。田は四年目であり秋の収穫を楽しみにしていたところが予想に反して不作です。畑の肥毒を吸った草を、しかも草は畑へ藁は田への御教えをウッカ リ失念したため、三反歩程は不作でした。御教えこそ真理であり、逆らうとてきめんで、それでも御守護頂き、平均して村の有肥作を上廻り、超過供出も一石ば かり出させて頂きました。

    ◎除 草

松本 田植後一番苦しい行事は田の草取りですが、自然栽培のお蔭で全く天国です。佐渡は普通四回から五回は取ります。自然栽培三、四年になりますと草も生 えなくなりますので除草も二回位で済みます。普通家族総出で田一巡除草するに四日は掛ります。真夏の忙しい盛り四回取るところを二回で済み、家族全員丸々 八日間は天国気分です。最初自然栽培に反対した家族も最近は百万円貰っても有肥は嫌だと言っております。

上坂 月例祭も忙しいからお参りさせて頂けないということは自然栽培者にはない訳です。

一同 そうです。

    ◎土用前後の地温と稲の関係

名畑 昨年十日目毎に田の調査の時、地中計にて地温を調べましていかに地温と作物と密接な関係あるかを御報告申し上げます。
 地中計を耕土の底まで差込み検温します時、自然田と有肥田では一度五分から三度位、自然田が地温が高く、この状態が土用まで続きます。一週間位の成育の後れは自然の場合地温高きゆえ追いつきます。
 土用中旬より稲は幼穂形成期に入りますが、地温は今度は逆に有肥が高くなり、自然は低くなります。その現象は土用前とは反対です。有肥はこの頃より地 温、気温高いため無効分蘖が始まります。草丈は徒長します。これに反し自然は外気の温度が高いにかかわらず有肥より低くなり、為に幼穂形成期に入った稲は 分蘖、草丈の成長を止め、穂の結実に活動が移行します。有肥は刈取って見ると藁の割合に米が無い。自然はハチ切れるように米が実るのは、自然栽培が全く自 然の理に叶う方法なればこそと教えて頂きました。温度の低い秋に万物実るのは自然の法則であり、神様の大御心に叶ってこそ米を人間は戴けるのでは無いか、 と地温より教えて頂きました。
 苦労と心配と藁の欲しき方はどうぞ有肥栽培で、米の欲しきお方は自然栽培をお奨め致します。

スエ 株を抜いて見ますと自然の稲の根は放射状に行っているが、有肥は平面的に根が張っております。風が吹けば倒伏するのは当然です。

    ◎病虫害の比(自然こそ神霊予防法也)

土屋 病虫害の原因こそ肥毒だということがハッキリ判らせて頂きました。昨年の佐渡で病虫害の被害の無い有肥田は一枚もありません。私の自然田の周囲もそ の通り、黒椿像(くろちんぞう)虫、青虫、ツマグロヨコパイの大量発生にて、BHC剤を全部の田圃に撒布、当然全部の虫が私の田へ襲いかかって来るものと 思っておりましたが一匹も来ません。五寸程離れた有肥田は実に惨澹たるものです。人間の黴菌と同じく綺麗なものには決してつきません。

北見 野菜を作っても最初は虫も付くが、いつの間にかいなくなる。どうも肥料から生まれた虫には自然の味は不味いらしい。

片岡 虫が好かんとはそのことを言ったのだ(笑)。今年の佐渡の自然は病虫害全然無し、これは農業委員が田を廻って良く知っとる。

    ◎一般の影響

片岡 篤農家の隣には必ず自然田在り、篤農家は負けてはなるかと肥料する。又その結果が病虫害になるので困っている。

土屋 同じ田に肥料して作り、収穫になると少いので、別の方法を講じなければ駄目だと言っている。

松本 肥料もせぬ連中が、肥料した者より沢山米を穫り、肥料した者が少いなんて馬鹿馬鹿しいから今年は肥料せぬと言う連中が大分多くなっている。

片岡 私のところに来る農業委員も一般より自然田が遥かに上廻っていることは語りもし又認めている。

土屋 最近の自然栽培田を見て私の村では肥料を買うことをひかえている。その訳は無肥料している人もいるのだから、肥料は余りせんでも米は獲れる、と言う 安心感を抱いている。結局自然対象であり、一般も経済的にも損したと言っている。今年は自然栽培の影響は実に大であり楽しみです。

    ◎百姓道とは肥料するものなり?

土屋 肥料迷信は恐しいものです。一般人は、百姓道とは肥料して成育させ、虫害に罹れば予防する。それで残っただけを収穫するのが百姓道なりとの観念を持している信仰です。誰か違ったことをする者を異端者視する。

松本 人間は不作だと、天候が悪い、雨が多過ぎる、日が照り過ぎると悪いことは自然に全部転嫁する。米が沢山穫れれば肥料の量が良かった、耕作方法が良かった、と人力のためにする。神様こそ良い災難だ。

片岡 人事を尽すより神事を尽すことが肝要だ、昔より五穀(五石)と言うから自然栽培も最低五石以上採れねば駄目だ。

松本 佐渡の自然も昨年度で基礎がヤッと固まった感じだ。今年こそ五石を最低目標に頑張りましょう。

司会 時間も来ましたのでこれまでにいたします。

名畑 最後に 「おけさ」を一節
  ハア「毒はこやしでこやしは毒でよ
        それをする人、気の毒だ」
  ハア「佐渡のおけさと自然の米はよ
        誰も知らない人はない」



推定反収十八俵の作者伊野さんを囲んで
               神光中教会

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

日  時 昭和二十七年十月二十二日 午前見学 午後座談会
見学場所 岐阜県土岐郡瑞浪土岐町一日市場 伊野正夫 方
座談会場 名古屋市東区撞木町三丁目十一番地
司 会 者 滝 春之助
発 言 者 伊野正夫 外数名
参 会 者 五十余名

   穂に穂が咲いて十八俵

司会者 ただ今から、見学して来ました自然農法による稲作の座談会を開催いたします。では私が司会者になりまして始めさせて頂きます。どうですか伊野さん、今年で自然栽培は何年目ですか。

伊野 四年目でございます。

司会者 去年の実収高はどれ位ですか。

伊野 一反十六俵位です。

司会者 そうですか。今年の予想はどの位ですか。

伊野 十八俵とみております。近所の有肥田では平均七、八俵位です。

司会者 初めは近所の人から笑われ、また家で反対の声はありましたか。

伊野 相当ありました。気狂いとか何とか言われ、家でも勘当される位にありました。でも神様にお願いして、三年の間見ていて下さいと頑張りましたら素晴しい成績を挙げましてかくの通りです。

司会者 御主人が戦地から帰ってみえてからですか、始められたのは?

伊野 家へ帰ってくる一年前からでございます。

司会者 あなた一人で反対を押し切ってやったわけですね。

伊野 はい。

司会者 今ではどうですか、出来栄えは……大体分蘖はどの位ですか。

伊野 三十本から四十本ですが、三十本平均に思って下されば間違いないと思います。

司会者 そうですか。ちょうどこの茎は(自然農法でできた稲の一株を手に持って)ススキのようなものですね。ちょっと普通の藁とは違いますね。

伊野 だから馬車引きさんなんかはこんなにコワイ藁ではいかん……もっとサクサクでないと……といってます。

司会者 これで何粒位ついていますか。

伊野 そうですね、家で勘定したのは二百八十から九十ありましたが……

司会者 今日はどうですか、皆さんの勘定したのはどの位でしたか。数えた人は言って下さい。

A 百九十から二百粒位ですね。

B 私の勘定したのは百六十から二百二十粒位です。

C 二百三十粒位です。

司会者 ちょっと見ますと袴から枝が出ているんですがね、それにまず五十から七十ついている。こういうことは恐らく前代未聞なんですね。袴から枝が出て穂 が付くということは今までにないと言って間違いない位で……どれもこれもこういう工合でこれが昔からいう「豊年穂に穂が咲く」というたとえ話が実現しまし た。もう少し経つともっと素晴しいものになると思います。


   植付にも妙智

司会者 植付はどういうふうですか。

伊野 一本植です。そして余り苗が小さいのは二本にしたものもあります。一本のが多いです。

司会者 それから間隔はどの位にしましたか。

伊野 尺三寸に尺です。

司会者 去年はどの位ですか。

伊野 尺二寸に尺です。

司会者 今年は広くしたですね。広くしたその結果について実地にやってどんなに思いますか。

伊野 初年は尺に八寸に植えたら、端と真中の穂がとても違っていました。真中はマバラに付いていて、端はみっちりしているから、これは一つ勘考して広く植 えたらどんなものかと思って三年目に広くした。広ければ十分に分蘖する余地があると思ってね。二十七年はちょっと余計間隔を広くしようと思い実行しまし た。

司会者 その方が成績がいいわけですね。

伊野 はい。

O カビというかコウジというか、ほかでは随分付いていますね。田圃を拝見させて頂いたが、少し付いているのがあったようですが、モミには消毒されるということはないね。

伊野 消毒はいたしません。

司会者 カビは残存肥毒のために出ます。

伊野 去年よりズーッと少ないようです。

司会者 年々少なくなります。消毒すれば、その薬から虫が湧きます。

奥村 土に掛けなくて葉っぱや種だけならいいですか。

司会者 浄霊によって消毒の役割もできます。絶対無限の力があるから大丈夫です。だからこういう話がある。非常に虫が付いて困ったので教会へ行って先生に お聞きしたら「浄霊してやりなさい」と言われ、そのお百姓さんが田圃に浄霊をしたら非常に虫が少なくなった。よくそういうことを聞きます。蔬菜(そさい) 類とか田園の消毒は絶対にいけません。葉にでも……

大田 苗代には浄霊なさるんですか。

伊野 浄霊します。

大田 どの程度に?

伊野 いつも通り道なので行く度に少しずつ畦に立って浄霊します。苗は黄色で赤サビがついて、普通の人が見ればこんな苗を植えるなんて、と言いなさるが、私達は経験上少しも心配せず植えさせて頂いています。

大田 一反にどれ位籾が要りますか。

伊野 今まで生えぬといけないと思って少し余分にやっていましたが、あれだけで一反五畝位に二升五合位です。

足立 苗代の面積はどの位ですか。

伊野 一反に五畝。

荒木 伊野さんにお伺いしますが、苗代の水はいつも入っていますか。

伊野 はい、いつも入っております。

奥村 ちょっと話が逆戻りになりますが、私のうちは、苗田がないのですが、今迄陸苗並びに苗床を借りてましたが、陸苗でやるというのは自然農法に反するわけですか。どうですか。

司会者 いけませんね。そういう苗田のところは、やむを得ないから直播にされたらいいと思います。田植の手数が一回省けます。

奥村 そうすると、苗田に籾を播く時分に直播きするというわけですか。

司会者 そうです。

中島 苗代の播種は早いですか。

伊野 苗代は一般の人より十日位早くね。

A 植えるのも早いわけですね。

伊野 麦を播かない方は六月十日に植えました。それで麦を播いてある方の二毛作は二十一日になりました。伸びる時は大変な違いですが、穂の出る時はみんな一緒に出ました。

中島 早く植えたのと遅いのとの収穫成績はどうですか。

伊野 とても成績が違います。

中島 最後になっても違いますか。

伊野 違います。

    自然堆肥は土を柔かにし温めるだけ

尾野島 それであの田圃には、有機質のものは今までにどれ位はいっているのですか。

伊野 今まで三年の間はとれただけ藁を入れたんですが、今年は余り入れない方がいいと思って半分位藁を入れました。細かく切って……

尾野島 という理由はどうなんですか?

司会者 土が温まるのと根伸びがいいことです。ここに有肥と無肥の見本があるが、有肥は根伸びが悪いから倒れる。自然耕作のは地力で大きくなっているから 根が長い。そういう関係で藁を入れます。肥料という考えでなく、土を温め土を柔かくするという目的で入れるのです。この出来栄えの悪い原因は、昔入れた肥 料の部分が幾らか土の中に残っているからで言い換えると多少酸性土壌になっている。それが何年も何年も肥料をやらないで耕作して、すっかり酸性分が土壌か らとれると順次増収ということになるわけです。だから田や畑の作物は、人間の労力によって作るが、根本は天地自然の恩恵によってできているわけです。肥料 の力で作るわけではないのです。だから清浄にすれば土壌が力を発揮して沢山とれる訳ですね。だから堆肥を作って頂いてもいいが清浄ということを頭に入れ、 風呂場の水や糞尿をかけるといけない……。昨年私の見学した時に牛が小便をしたところが一尺位伸びていて、そこに枯穂が沢山付いていた。牛の一度の小便が よく判るなあと笑ったが、これによっても作物は神様の力によって頂くということがよくわかりました。それを不浄にするからどうしても不作なのです。こうい うことを主眼にすれば簡単に判って頂けると思います。

小島 伊野さんのお宅の稲作は二毛作ですか。一毛作ですか。

伊野 一毛作と二毛作の両方をやっています。

司会者 どちらが成績がいいですか。

伊野 一毛作の方がずっといいです。

司会者 伊野さんの予定では、一毛作と二毛作の差は何俵位ですか。

伊野 三俵位は違うかと私は思います。

司会者 大体二毛作が十五俵で、一毛作が十八俵位ですね。結局二毛作をするだけ損ですね。

伊野 難儀してね、つまらないです(笑声)。本当に麦を播くのと播かないのとではうんと違いますからね。とても楽ですよ。

司会者 収穫時期に麦を播かねばなりませんから、どうしても慌てて刈り取るようになる。自然栽培では一毛作だと後は急ぎませんから、充分稔るまで田圃に稲 たばをおいておけるわけです。それで最後の数日間のうちで何割か大きくなり、実が入るわけだから大分得です。丸味が全然違っていました。

大田 藁ですがね、田に入れられるのは、刈り取られたらすぐ入れられるんですか。どの程度の藁になってから入れられますか。

伊野 私は入れる分だけ積んでおいていれますね。余りべタベタになると始末に悪いからちょっとほしておいて半腐り位にして入れております。

大田 時期はいつ頃ですか。

伊野 私は三月頃にしたのです。一番暇な雨の降り上りとか、仕事ができない時などに行っては切って、つくねておく。

大田 藁もちょっと腐ると切り易いですね。

伊野 新らしい時は、すべって切り難いです。

奥村 それまでは田を起さずにそのままですか。

伊野 自然に生えた草は伸ばしてある。

奥村 稲を刈って、株は起さずにそのまま放ったらかしにしておくのですか。

伊野 そのままにしておく。

奥村 三月頃に起し返してしまうわけですね。

足立 田植の時の水の深さはどの位ですか。

伊野 水が自由になっていますからね、ヒタヒタ程度にしております。

司会者 自然農法は水を被っても大丈夫腐らないです。

伊野 今日見ていただいた田は、三日間も四日間も水を被って海みたいになってしまいましたが何ともありませんでした。

   成功の種明しは素直に実行する事以外にない

尾野島 私が非常に希望を持っているのは、男の人で研究し、心魂を打込んでいても、十五俵までが大変なことですが、女の方でここまでおやりになるのは一つの神秘なものがあると思います。

司会者 ではその種を明かしましょう。
 それは簡単です。ただ神様にお任せするのみです。伊野さんはお百姓ではなく素人なんですから、今まで農業のことがなにも判らんから、明主様の言われるま まに素直にやったまでのことです。明主様の言われたことを私達がお取次ぎをして、素直にしてやっているだけです。お百姓さんが全面的に自然農法に切替えて やってますが、まだまだ親代々からやっているのが正しいと思う人が大分あり、その観念が頭にこびりついています。それで、われわれは明主様や先生方より、 百姓についてはいくらか知っているのだからというので、ここのところはこういうふうにしたらいいだろうと、明主様の言われる事を素直に実行しようとしな い、その為にあとで「ああしまった」ということになる。あまり賢くならず、馬鹿になって貰えば、伊野さんの通りに素晴しく出来るのです。あまり自分流の研 究家を私達は好みません。御教えの通りやるのです。

奥村 私の方で土は凍らせなければいかんと言われる、穫れぬから……。田圃を三月に起しては土は十分凍らせられないと思います。

司会者 濃尾平野でも寒い方は凍っているが暖い方は凍ってませんね。凍ってないところは米ができないという問題ではない。四、五日前の中部日本新聞に出て いたが、「寒い岐阜県なんかは、多いところは三割から五割減のところがある。虫害があった」と書いてあったがその因は肥料であり消毒剤であるから、そこか ら虫が自然発生する。だから肥料を全然なくしてしまえば年々歳々虫害はなくなるから、特別に凍らせるという事は必要ありませんね。ほかの話になるが、麦の 畑作で凍ってた時は麦踏みをせねばならぬ。凍ってると根が上ってしまうから麦踏みをするわけで、凍ってない所なら麦を踏む必要はない。特別に稲作で凍らせ ねばならぬということはないのです。普通にやってゆけばよろしい。無駄な労力は使わない方がいいでしょう。

伊藤 平均耕土はどの位ですか。

伊野 平均は一尺もないね。

A 大体一尺二寸位ありますね。それを半分位やっているだけですから、六寸位ではないかと思いますが……

伊野 私のところは二遍掛けておりますので、みんなは一遍半分位やってね、二遍掛けでする。

宮田 一反で穫れた藁を全部入れる場合、一遍に入れると土によく混らないと思いますが。

伊野 そんなことはありません。細かく切ったら足らぬ位です。五分位(本来は一分か二分)に切って入れると、どこを掘っても藁を入れたところと入れないところとくらべても判らぬようです。

司会者 俵もいりますから、必要なだけの藁は除いておいた方がいいでしょう。

宮田 藁を入れることによって、冷田圃はなおって来るものでしょうか。やはり、冷田圃は冷田でなおらないものでしょうか。水が差すんですが……

司会者 それは一定の場所から水がさすのですか、又は田圃全体からですか。

宮田 一定の場所です。

司会者 田圃へ水を引く所は一カ所で、そこから溝をつくります。清水の湧くところは非常に冷いから、それをずっと水路をつくって、ぐるっと一廻りさせる。そして直接中へ入れぬようにしてほしい。そうすれば温水となり収穫があるわけです。

伊野 田の方は二回耕作しただけで、除草機では二回位です。最初田を三方備中というがあれでひっくり返して、暫く草が腐ってしまうまでおく、そして除草機でやって、そして今度はじめて田の草をとる。

     直播について

宮田 それから直播の場合、畝をつくった場合、やはり普通の陸稲のように直播きをするか、今の田圃のように尺二寸か三寸位に播きますか。

司会者 水が入るところなら、耕作しておいてヒタヒタに水を入れるか、乾いたところでも平地にしてやった方がいいのではないかと思います。なにか木の棒み たいなものでチョンチョンとついて、一粒二粒入れて行かれるところもあるが、大体一粒が多いと思います。大垣で今やっているがどこでも水つきですからあそ こは畝をつくってその横腹にやっているが、非常に成績は良い。火箸のようなものでちょっと穴をあけて一粒入れて土を薄く被せる。その方が成績が良い。伊藤 さんの言われたように播くということは非常に無駄だと思う。

伊藤 労力がかかります。

司会者 労力のかからないことが主眼ですから、御蔭は楽して余計貰わぬと御蔭にならんですね(笑声)。

宮田 いわゆる掘下げの場所耕土を深くする場合、その時は、三月に起す時に序に耕土を深くした方がいいか稲を刈った後ですぐした方がよいですか。

司会者 いつでも差支えありません。なるだけ暇な時に、手のあいている時でないと出来ないから、手のあいた時にやれば差支えありません。

宮田 直播の場合の畝をこしらえて播くというような場合畝巾はどのくらいのものでしょうか。

伊藤 一尺ですね。先程おっしゃったように広い方が分蘖も良いですから。

司会者 大体尺三寸か尺位がいいでしょう。尺に尺一寸かどちらにしても太陽の光線を充分に根元に入るようにした方がいいわけです。

奥村 畝の高さはどの位ですか。

伊藤 溝を掘って土を被せる普通の時と何等変りません。

     種の肥毒が大いに関係する

司会者 自然栽培をしたらその種でずっとやって頂きたい。種が変るとその種を育てるだけの土質が変らねばならぬから、その一年は浄化作用があって出来難く 減収するから、種を同じにすると減収せずずっとよくなる。どんな種でもいいから初め使った種で続ける方がいいです。篤農家は研究心が強く、あの種この種と 集めるんですが、今迄に失敗した方がよくある。種を変えないことが原則です。そして連作することですね。

尾野島 今日見せていただいた田園は年々連作をなさっていますか。

司会者 そうです。種は何ですか。

伊野 新東海旭です。

司会者 篤農家ほど減収する。篤農家ほど沢山肥料をやっているからねえ。大都会の周辺ほど沢山肥料をやってある。その中で篤農家は余計に肥料をやっているから初年度の減収はある。山間部に行くと、肥料を持って行くにも大変だから肥料も充分やってないですからね。

中島 そういう場合多少なりとも減収の程度を縮める方法はありませんか。

司会者 それはありませんね。

中島 やはり肥料を施したその浄化をせねばいけませんか。

司会者 そうです。薬をのめばそれだけの薬毒は病気として浄化しなくてはいけないように……もっとも信仰の度合によって御蔭は違います。

奥村 自分のところは自然農法でやろうと思っても、水の流れる上の方の田圃で硫安やら過燐酸をどんどんやるという事によって、それが可溶性だから水に溶 け、それが自分の田圃に入ってくると思いますが、そんな場合自然農法をする信念が揺がねば左程の被害はありませんか。

司会者 多少の被害はあっても、それによって左右されることはありません。どこでも全国的に自然栽培になってしまえば素晴しいでしょうね。今の人間がそれまで生きていたら腰を抜かすでしょう。

伊野 そのことについて私の考えている点を申し上げたい。後で見て頂いた自然農法二年目の田ですが、あれは種子は四年作と同じ種子を植えたんですが、あの 田園は前のお百姓さんが非常に熱心な方で肥料を相当やったので、相当の肥毒があると諦めていたが四年目の自然栽培の種子をあそこへ持っていって植えた。そ の為二年であれだけに増収がありました。というところに土地の肥毒ばかりではなくして、種子の方の肥毒も非常に影響していると自分は考えています。

司会者 勿論そうですね。種子の肥毒も相当あります。それは人間にたとえると判るが、若い時分に産んだ子と比べて、年くってから産んだ子は弱い。それは人 間でも年くうに従って薬をのみ過ぎるから、お父さんお母さんの薬毒を子供がもって生まれるから、年くった時の子供は弱いというのと同じで、やはり種子に肥 毒が無ければ浄化は少なくて済む。私は各地でこれを話しているが、はじめて自然農法をやる場合は肥毒の抜けた種子を分譲して貰ってやって下さい、というこ とになりますね。
 現在自然農法をやっていない方は、これで信念ができたと思いますが、どうでしょうか。一反でも二反でもやってみようという気持は起りましたか。これはま あ信仰なしでも明主様のおっしゃる通りにしてゆけば素晴しい成果を挙げてゆけるわけだから、これは絶対科学的ですから、信仰なしでも増収ができるのです。 又明主様もそう言っておられるのだから是非やって頂きたい。特にそのために今度稲を刈りなさると思いますが、その後にすぐ麦を作るが自然栽培に切替える希 望があったら麦をやらないでほしい。一毛作だと初年度から減収しないと思う。農村経済は国家を支配してゆくものだから大切です。皆さんでも供出された分は 大抵肥料代になるんではないでしょうか。

尾野島 大部分ということはないですが、肥料代というものを三分の二はみておかねばならない現在です。

     農村経済の大革命

司会者 それが全然肥料代が要らないと、農村経済は大変なものです。一大革命です。まあ皆様が無血革命の一勇士となって、大いに宣伝して頂きたいと思いま す。皆さんだけのためではなく世界人類のためですからね。時間も大分経ちましたから、この辺で散会したいとおもいますが、救世教の教えは連作ということで す。つまり土に馴れた方が良く出来るということです。麦は畑で穫って米は田圃で、と全然区切りをつけてやっていれば素晴しい出来栄えです。米が男になり女 は麦ということになりますから、年中男を育てたり女を育てたりすると、いつも力を変えねばならぬため、充分に米の性能を発揮することができないから、これ は是非一毛作にしてあとの半年は遊ばせておく、人間でも昼働いて夜寝る。やはり半分は寝て暮すから田圃でも畑でも休ませておいた方がいいわけです。そのつ もりで耕作して頂いても農村経済は決して疲弊してゆかない。その方がうんと多収穫になって農村経済はこれから豊かになってゆく、というのが救世教の教えな んですから、是非そのおつもりで素直にやって頂きたいですね。どうも長らく有難うございました。これで本日の自然農法の座談会を終ります。
 参考までに申し上げますが、この十八俵というのは九畝四年目の一毛作であって推定であります。というのは二反六畝の内で、その他は一反一畝が四年目で二 毛作であり、五畝が二年目二毛作であって、一畝は苗代の田として作ったのを全部混ぜてしまったからで、正確には出せなかったのであります。その様な訳で総 計は十三石七升でありますから、平均して反当り十二俵一升であります。従って来年はそのつもりで正確に出すことにいたします。



(イ)本農法は年と共に増収する

 本農法に切替えてもその水田の土と種子に残っている肥毒の多少が大いに影響する。先ず普通としては左のごとし。もし、余りに成績の悪い場合は人為肥料が多量に残っている為であるから、一時客土によって緩和すればよい。
        (『栄光』一四一号)
  一年目……平年作
  二年目……一割増
  三年目……二割増
  四年目……三、四割増
  五年目……五割増

 昨年の特集号に、五カ年で五割増産という記事を出したが、左の報告はそれが現実に現われたのであるから、最早一点の疑う余地はあるまい。そうしてこの人だけが五年以上であるから、まず本農法の第一人者というべきである。




五年目で五割増産六年目で更に一俵

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    岐阜県大野郡丹生川村
       善栄中教会 森 敏雄(36)

 入信以来ここに七年目の明るい春を迎えさせて戴くことができ、その間数々の大きな御利益を頂き、感謝に満ちた毎日を過させていただいている者であります。苦難の多い今日、幸福なのは世界に吾独りといいたい程、明るく希望豊かに自然農法に励んでいます。
 初年よりは二年目、二年目よりは三年目と明主様の御教えの通り、五年目には五割増産は間違いないことが実証され、更に昨秋六年目の実演は反当四斗一升の増収となりました。まことに明主様の広大無辺なる御守護の賜物と御礼申し上げます。有難うございました。
 今年の七年目は、あらん限りの努力を尽し、普及に粉骨砕心し、以て御意みに報い奉るべくお誓い申し上げます。
 左に成蹟の大要を御報告させて戴きます。

  年 次  年 度    反当収量  付近有肥田
                    反当最高収量
  五年目 昭和二十六年 四石五斗八升 三石五斗一升
  六年目 昭和二十七年 四石九斗九升 三石四斗八升

                  (昭和二十八年二月十六日提出)




自然栽培四年にして六割増産
     二年目田四石五斗七升で二等賞

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    大分県直入郡竹田村
       如意輪中教会 古沢喜久男(51)

 拙文ながら御明主様に御守護の御礼を御報告させて戴きます。私は農家に生まれ、農業専門の教育を受け、農業をたのしんで日々を過しております一人であり ますが、牧先生の御指導で昭和二十一年入信いたしまして種々御守護を戴きましたが、私の専門的に働いております農業の面、いわゆる自然栽培の御守護を御報 告させて戴きます。入信当時「農作物には肥料を施さないで作物はよくできるのだ」ということを、御指導下さる先生方より時々聞いておりましたが、最初は肥 料学を頭に打ち込んでいて肥料迷信に陥っている私には信ずることができなかったのでありますが、牧先生の熱心な御指導によりまして昭和二十三年度の稲作よ り自然栽培を実施することになりましたが、完全な自然栽培ができずに昭和二十四年度より本格的に実施いたしました。
 初年度は肥毒のためと自然堆肥の不備等のために苗は小さくして黄色く、有肥田の青々とした太い苗に比べると非常に見劣りがいたしますし、近所の人は笑 い、家族の者も「馬鹿なことを」というので肥料(硫安)をちょっと施したいなと思いましたが、待て待てと思いとどまり、本田に植付けましたが、生育が思う ようにならず、付近の人よりも笑われていましたが、御明主様、光明如来様に一心に御縋りいたし、この上はと神様に全部御任せいたしましたところ、左表のご とく平年作をちょっと下廻る位で草丈の割に収穫が多く、御明主様に感謝いたし、二年三年と続ける内に次第に成績も上り、近所の人も立寄って見る度に「不思 議だ、夜でも肥料を施すのではないか」と凝視いたしておりましたが、五年目の二十七年度のごときは三石八斗という好成績を得ました。又別田で二年目の上田 ですが竹田町主催米多収穫品評会に出品いたしましたところ、四石五斗七升という好成績で二等賞になりました。これも皆御明主様の御蔭と日々感謝いたしてお ります。
 ここに私の農業経営の一部を書かせて戴きます。水田一町五反、畑一反で昭和二十三年より第一年八枚の田を自然栽培にし、次第に増反し、二十六年度より全耕地を自然栽培田といたし、人肥、金肥、厩肥を使わず二割五分の増収をいたしました。
 次の表は土質は灰質土で(中ノ下田)五カ年の成績を御報告致します。(左記表はいずれも反収です)

  平  年  二石四斗五升
  二十三年  二石二斗五升
  二十四年  二石四斗
  二十五年  二石六斗二升
  二十六年  三石一升
  二十七年  三石八斗
       (六割増収)

 右の成績を収めました。何と御礼を申し上げて良いかその言葉もありません。御明主様有難うございました。厚く御礼申し上げます。
             (昭和二十八年一月二日提出)



食糧問題の解決いと易し 三年目反当五石一斗(平年三石二斗)

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

   山形県西田川郡西郷村
      鶴明中教会 阿部重吉(39)

 明主様、日々の御守護を有難うございます。
 私は昭和二十三年四月十四日に入信いたして、爾来歓びの日を迎えさせて戴いている者でございます。
 この度湯本会長先生より稲作の自然栽培について何か体験を述べよとのお言葉がありましたので資格者としてこの上もなき光栄と存じ拙い御報告ではございますが、ここにその水稲自然栽培の実績に就いて皆様の御参考までに供したいと存じます。
 吾等農民は先祖伝来から指導されて来た人為肥料に知らず識らずの間に一種の肥料迷信に掛り肥料を絶対のものと信じて参りました。
 明主様より減産の原因は、実にこの施肥料にあるということを御垂示戴きましてより、その迷夢を醒まし、農耕法の大革命をしなければならないと痛感いたし、昭和二十五年に六反歩の試作を初めとし、二十六年度より全耕地二町三畝をやらせて戴いております。
 苗代時には黄色く松葉の様な苗に、近隣の人々は「肥料を使えば良く作る男であるが、あの苗では」と非難いたしましたが、私は秋を待つよりいたしかたないと、ただ笑っておりました。
 果せるかな、第一年目というのに平年作三石二斗のところを三石八斗穫れました。
 二年目は有肥が二石七斗のところを、自然栽培法では二石八斗三升でした。
 三年目の本年は五石一斗ありました。
 お言葉通り、三年目には絶対に増収になることをはっきりとわからせて戴きました。
 苗の色も一年目より二年目、二年目より三年目とだんだん色よくなり、本年は近隣の人々は「魚粕か油粕でも施したのではないか」と聞くような次第で「何も 別に入れません。入れたのは神様の霊光放射、御浄霊ですよ」と申しますと、眉上げてつくづくと私の顔を見ておりました。私はなお言葉を続け「この苗を七、 八本ずつ植えるのですが、秋にどんな結果が来るかよく注目していて下さい」と申しました。
 ところが昨年は特に自然農法に恵まれた天候にて、出来栄えが非常に良好なので、近隣の人々はなお「魚粕を入れたのでしょう」というのです。
 その時私は強く「見えざる神を信ぜず、唯物思想、肥料迷信にかかっている方にはわからない事でしょうが、きたない物を入れるときたなくできるものです よ。人為肥料という汚物を入れなければこのように美しい稲になるのですよ。この稲色は、我が集落二百町歩といえども他にありますか」と申しますと「なるほ ど」とうなずいておりました。
 昨年は何度も「自然栽培の稲作を見せてくれ」といって参る信者や未信者も沢山ございましたが、九月十九日湯本会長先生始め下川支部長、京田支部長各役員 の先生方が御見えになりましたので、最初に三年目の田圃に御案内しました。そのすばらしさにただ感嘆の声をあげるばかりでした。その時隣接某氏の有肥の稲 は倒伏されたままで、大きな被害を蒙っておりました。反当り肥料金二千円以上も使い、このような有様ではと、つくづく御導き頂いている自分の仕合せをただ ただ感謝いたしました。
 次に二年目の所を見て戴いたのですが、そこは堆肥も何も入れない所でして、会長先生は「何も入れなくとも立派にできるではないか、一番良くできておるで はないか」といって下さいました。各先生方も「結実もよいし、実に素晴しい」と、皆で無言の教えに目を止められました。穂の長さといい、粒数といい、粃 (しいな)一粒ない立派な結実で、その時二、三本見本に取ってきましたが、その穂の粒数は百七十粒にて長さは七寸、長さ六寸五分のは百六十粒でした。
 次に昨年土地改良をいたしたところを参考に見て頂きましたが、ここは他人より入った田圃(有肥)と自分の田圃(自然)と三寸五分の高低があるので自分の 田圃に三寸五分の客土をいたして高さを平均いたしましたが、その結果自分の田圃と他人より入った田圃とは、線を引張ったようにはっきりと差異が現われ、実 に客土が良好であることと、肥毒の恐ろしさをまざまざと見せられました。
 次に苗代の稲を見て戴きましたが、品種は「暁」で、比較的粒数が多いので増産向きなのですが、茎丈が長い為、当地方のように風当りの強い所では不向きとされておりました。
 しかるに自然栽培の結果は茎が丈夫なため倒伏の心配なく、非常な成果を挙げることができました。なおこれも見本に二、三本取って参りましたが、分蘖も十三、四本、穂の長さは九寸五分、粒数は三百三十五粒でした。
 会長先生は「非常によい参考になりますから写真を撮り『栄光』新聞に発表させて戴きましょう」とおっしゃいました。その時はうれしさに感涙いたしました。なお昨年の坪刈成績における有肥との比較を左に記します。

(自然栽培三寸五分客土した所)
       二年目     自然栽培三年目  有肥栽培(阿部喜市)
品  種  唐治郎(早生)    同じ        同じ
株  数  五十五株      五十五株     五十三株五分
一升重量  二百九十匁     三百十匁     二百八十五匁
全  量  八百四十匁    六百五十匁      五百八十匁

 以上のような成績にて、この時の立会者阿部亀吉氏も驚き「あなたより農業特集号を見せて戴いたが、御論文の通り客土がよい。三年目にはよいということは本当である。この位結果のよいのは見たことがない。確実に大増産ができる」といって喜んで下さいました。
 土自体の力をできるだけ強化させることである堆肥以外、わずかの不純物も混えずできるだけ清浄にすることで、素晴しい成績を挙げられるので、今迄の頭脳 では到底信ずることはできないのでしょうが、百八十度の大転換をしなければなりません。私は肥料代も手間もかけないで経済面からも恵まれ、家内中神の恵の 偉大さを今更ながら有難く感じ、一層努力すべく心に誓い、少しでも皆様の御参考になればと御報告をさして戴きました。
 明主様厚く厚く御礼申し上げます。
 なお余話ではありますが、大山町の某魚粕商が私の所の稲と魚粕栽培の稲とを見本に店頭に並べ「魚粕肥料ならば他の肥料のような被害がなく、このように自然栽培に劣らない稲になる」と説明しておりますが、随分ややっこしい話だと大笑いいたしました。
    (昭和二十七年十二月一日提出)



驚異!!自然栽培三年四倍の増収

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    山口県下関市武久町
      明輪中教会 鬼頭 明(40)

 明主様、謹んで本年度の自然栽培の実績を御報告申し上げます。一昨年は自然栽培の第二年度として、初年度に比べ六割もの増収を戴き、御神徳の広大無辺に 感泣いたしましたが、昨年は更に御守護を戴き、自然栽培三年にして、有肥時代の実に四倍強という驚異的なお恵みを戴き御礼の言葉もございません。
 顧みますれば、当地に自然農法の「一粒の種子」が播かれて、ここに満三年を迎えましたが、最初のうちは何と申しても頑迷な農民の心の扉はとざされ、「作 物を作るには、絶対に肥料をやらねば穫れない」と言う、幾百千年の伝統の殻にとじ籠り、肥料迷信のコチコチでございましたが、この蒙を啓き、有難い明主様 の御救いを戴くには、実際に見せてあげるより他に方法はないと思い、信者の大野さんの、元蓮田を耕地に転換したものを五畝歩程借り受けて、実施に移しまし たのが昭和二十五年でございました。有肥時代は反当五斗という実収で、供出にも足りなかったのが、御守護により一石という成績を戴き、更に二十六年度に は、反当一石八斗という素晴らしい御守護を戴き、ために頑迷なる人達も逐次自然農法の偉大さに頭を下げ、一人二人と実施する人も増え、昨年度には実施者 も、実に三十一戸、四町一段九畝と飛躍させて戴き御守護を戴き、厚く御礼申し上げます。
 さて過去三年の実施成蹟を顧みまするに、絶大なる御守護を戴き、着々その成果をあげているとは申せ、意に満たないところもあり、種々反省させて頂きまし たところ、次の件に気をつかせて戴きました。と申しますのは、実施水田は勿論自然栽培田ではございますが、水利が悪く、苗代田を作るのに不便なため、別な 所に有肥栽培のあとを借り受け、苗代田を設置しておりましたが、毎年雀が入り、その被害も少なからずあり、何か神様の御気付けではないかと思っておりまし たが、いかに苗代を作るに自然栽培とは申せ、有肥のあと、ということがいけないということに気を付かせて戴き、思い切って水利悪く付近の人達が親切に「そ こは水利悪く、苗代田には適しない」と御注意を頂きました言葉を排し、自然栽培の水田に苗代を設置いたしました。長年その付近に住んでいる人が言われるの だから間違いなく、苗代田の管理は難かしかろうと思っておりましたが、御守護を戴き順調に水を頂き、苗もすくすくと育ち、既に苗代で二、三本多いのは五本 にも分蘖させて戴くという好成績を戴き、田植の時など専門のお百姓さんも吃驚している様な状態でございました。自然栽培三年ともなれば、その成績は断然群 を抜き、付近の人達の羨望を尻目に、グングン成長をとげ、昨年度は特に害虫の発生が多く、消毒に、害虫駆除に大童になっている中をすくすくと生長させて戴 き、実に豊かな実りの秋を迎えることができました。信者の皆さんも時々見においでになり、「さすが自然栽培の稲は違う」とて、益々自信を持ってお帰りを頂 いた様な現況でございました。
 その成績は、

  昭和二十四年度  有肥の時     五斗(反当)
  昭和二十五年度  自然栽培一年目  一石(〃)
  昭和二十六年度  〃   二年目  一石八斗(〃)
  昭和二十七年度  〃   三年目  二石四斗(〃)

となり、有肥時代の実に四倍強という成績でございました。今後益々御守護を戴き、一人でも多くの人に自然農法の普及に努め、地上天国建設のため御使い戴けます様お願い申し上げます。
 明主様有難うございました。
            (昭和二十八年二月十六日提出)



自然栽培の回顧

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    静岡県志太郡葉梨村
       愛進中教会 相馬茂雄(46)

 明主様日々御守護を戴きまして誠に有難うございます。
 入信以来六年間の過去を顧みて御神徳の無辺なるに感激しつつ、拙筆ながら自然栽培の御報告をさせて戴きます。
 私は昭和二十三年初めて稲作の一部に自然栽培を試みましたところ、御教えの実行が出来ず、失敗に終りました。翌二十四年より再出発致しまして現在は稲作 は全耕地実施いたしております。最初の失敗は試験的にと思いましたことが間違いでした。御教え通り実行すればよかったと今更気付かせて戴いております。
 二年程は余り成績が上らず付近の信者の方々も大体同じ歩調なので、これも今まで入れた肥毒の為とのみ思っておりました。ところが会長先生より「明主様の 御教えで二毛作は不可」とのお話を承り、早速一毛作に切替えの準備をいたし、昨年で三年目の場所と四年目の場所とありますが、四年目の場所は昨年七月と八 月の出水のため約三割の被害がありましたが、御守護によりまして、付近有肥田よりは同品種で約一俵(反収)位多く獲らせて戴きました。
 三年目の場所は苗代は四月上旬、水田苗代に作り、堆肥は全然施さず、播種直前に整地して四月二十八日に坪当り一合五勺、反当一升八合の籾を播きました。 種籾は水選して浄霊させて戴き、冷水に十五日間浸し、浄霊して播種させて戴きました。品種は見返一号の晩生種です。苗の発育は順調で有肥田より少し短く 七、八寸ぐらい、太くて丈夫な苗になりました。本田は藁二分切、半熟堆肥およそ百五十貫(反当)入れ、四月二十日に耕起し、六月十日再耕、同月十七日整地 いたし、同二十一日植付いたしました。本田の成育も有肥田と変らず、分蘖は少し少ないが茎、葉は剛く太く、濃緑色の気持のいい稲となりました。田草取は七 月十四日と十七日の二回雁爪で耕し、三十日に手取りで三回で終り、株間は九寸に九寸植えで分蘖は一株平均十九本位でした。
 収量は平年作が二石八斗位のところですが、初年度に三石、二十六年(二年目)三石二斗五升、昨年は三石五斗七升と順調な増産をいたしております。
 一般有肥栽培では、肥料代、消毒薬代等で大体反当二千円以上になります。現在二割増収いたしました。自然栽培では米価四千円を計算して肥料代等を合算す ればざっと六千円の差となります。その上品質は良く、労力は省けますので、その差は実に大きいと思います。最初の頃は近所の人々より随分反対され白眼視さ れておりましたが、年毎によくなる実際の姿に一般も認識を改め、共鳴する人も出てまいりました。私自身今迄を省みて苦しんだり心配しましたのも、御教え通 り実行すればもっと早く好成績が上ったと思いますが、つい我を出して藁を大きく切ったり、技術的に走ったりして御教え通りにいたさなかったからでありま す。
 今後はひたすらに御教えのままに実行させて戴き、この大いなる福音を農家の皆様に一日も早く伝え目醒めて戴きまして御鴻恩の万分の一にも御報いする覚悟でございます。
              (昭和二十八年二月九日提出)



はじめは見劣りしていた稲 一年目で反当り一俵増収

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    茨城県稲敷郡十余島村
       宝生中教会 長妻フジ(48)

 明主様のおときになる自然耕作一反歩を稲の初年度から耕作させて戴きました。植付けてはじめのほどは黄色を帯びて、有肥田の稲に比して発育悪く心配致し ておりましたところ、穂の出る時期になりました頃より段々発育良くなり、有肥の方は一反歩の収穫六俵、自然栽培の方は一反歩の収穫は七俵、施肥より一俵多 く収穫させて戴きました。謹みて御礼申し上げます。
 なお来年は四、五反歩耕作させて戴き度く思っております。明主様有難うございました。
          (昭和二十七年七月二十三日提出)


自然栽培一年目にしてこの御蔭

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    神戸市垂水区平野町
       神照中教会 大前精次郎(41)

 私は昭和二十六年五月入信させていただきまして、明主様よりの自然栽培についての色々な御教えを拝聴いたし、信者様の実地報告を見せて戴きまして、現在農法の誤れる事、農業経済に不利なる事等を知り、水稲全耕地を自然栽培に切替えることにいたしました。
 二十六年五月六日播種、その後は毎日朝夕御浄霊をいたしました。発芽は至極順調に進みましたが、一寸二寸と伸びるうち次第に黄色くなり、下葉が枯れ始 め、五月二十日頃には有肥の苗は七、八寸になっておりましたが、自然栽培の苗は四、五寸位しかありませんでしたので、田植をすると葉先が一寸位しか見えま せんでした。植付後も活着悪く、二十日過ぎても黄色い針のような苗は風に吹かれているばかり、見る目にも泣きたい位になりました。
 人々は「あれは神様ぼけになった、信仰も度が過ぎる」と口々に話し、中には御親切にも信仰をとめに来る人や、供出の事迄心配するような人もありました。
 草取りが終る頃より成育は目に見えるようになり、青々と発育し出しました。有肥の稲は天候の不順と病虫害に枯れ始め、一目見れば自然栽培と有肥栽培の見 分けが出来るようになりました。高い所からこれを見下した時こそ「明主様有難うございました」と独りでに感謝の言葉がほとばしり、涙が出て参りました。
 その後病虫害にも風雨にも打倒れることのない自然栽培の稲は、黄金の波を打ち誇らしき姿をいたして参りました。有肥の稲は風雨に打倒れました。十月二十 日に刈り取を始めましたが、打倒れた稲のない為楽々と終りました。脱穀機の音も軽々そうです。一畝一荷(豊年のこと)の黄金を家に運ぶ足どりも軽く、平年 作以上間違いないとはじめてわかった時の気持こそ何にたとえようもありません。
 次に実収を御報告申しあげます。

   品 種   反当実収   増 減
農林三十二号   二石四斗  平年作以上(四斗増)
農林三十七号   二石八斗  平 年 作
農林五号     二  石  右に同じ
名  倉     三石二斗  平年作以上(一斗増)

 なお有肥栽培は虫害の為大減収となっております。
 この偉大な自然農法を御教え戴きましたこの喜びを包みきれず拙き筆をとらせて戴きました。
 明主様厚く御礼申し上げます。
           (昭和二十六年十二月二十八日提出)


自然栽培二年目の実績

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    福岡県三潴郡田口村
      光宝大教会 岡 栄(43)

 自然栽培二年目の結果を御報告させて戴きます。
 五月十日に播種し、初めは順調に生育しておりました。六月十三日に田植し、御浄霊を続けておりましたが、御浄霊がとかく不足勝ちとなっておりました。丁 度出穂時期に道路側のところが少し赤くなりはじめました。最初は気にも止めず御浄霊をいたしておりましたが、途中四、五日留守をし帰って見ますと、そこが 前よりも大きく拡がっております。「これはしまった、虫にやられた」と内心動揺を感じました。御浄霊不足のためだと早速おわび申し上げ毎日御浄霊を続けま した。しかし虫害は減る模様でもなく、田全体にしらけて来ましたので、思い切って普通より十七日ばかり早く刈り取りました。私の見当では反当り七俵位だろ うと思ってましたところ、籾摺って見てびっくりいたしました。八俵半もあったのです。虫害を受け、その上ずっと早刈りして八俵半もあったのです。これは近 所の有肥米よりもずっと多く普通七俵位でした。虫害を受けずに順調にいったなら九俵は間違いなしとの自信を得ました。
 今後益々一生懸命に自然栽培をさしていただき、少しでも御神意に沿い奉らんとお念じ申し上げております。
 明主様まことに有難うございました。厚く厚く御礼申し上げます。
            (昭和二十七年一月二十二日提出)


反三千円の肥料で減収の有肥 自然栽培では二俵余の増収

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    愛知県額田郡幸田町
       神明中教会 志賀安太郎(55)

 私の家は昭和二十年四月入信以来限りなき御守護御恵を戴き、深く感謝の日々を送らせて頂いております。その御恵の一端を御報告させて戴きます。
 昭和二十三年自然栽培の優秀さを御教示賜わり、全耕田八反四畝歩一度に実施致しましてより、四年目の実績を御報告させて戴きます。
 秋風穂波が揺れる頃より、近隣の有肥田は螟虫発生して平年作二石四斗位の土地なれ共、実収穫は約二石という減収でありました。私の家は被害少しも無く、 反当り二石七斗の実収にて、御飯に炊きますと炊増え一割は確実ゆえ、保有米に換算して反当り二石九斗七升という計算になります。これに比すれば有肥田は反 当り約三千円の施肥をして前記のごとき減収となります。自然栽培は一石何鳥とも知れない御利益を戴き、超過供出一石七斗余りさせて戴きました。この尊さ唯 々感謝の外はありません。
 明主様誠に有難うございました。
            (昭和二十八年二月十六日提出)



稲作自然栽培三年の体験

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    岡山県久米郡倭文村
       十全中教会 本松嘉作(60)

 稲作自然栽培第三年目の報告をさせて頂きます。
 私は昭和二十四年二月に初めて熱海の本部に御参りさせて頂き、その帰りに旧天国会へも御参りいたしまして中島先生の御話を伺いました。その時に自然栽培 につき懇々と御説明下さいましたのでいよいよ実行する気持になって帰りました。私は当時五十八歳でしたが一人暮しで私は田を二反六畝、畑を四畝歩合計三反 歩を耕作しておりました。自然農法の話をききまして熟考の末、とにかく本年の稲作は全部自然栽培に切替えることにいたしました。当時一部の田に麦作をして おりまして、元肥には少量の硫安を施用しておりましたが、以後は全く中止して追肥として準備しておりましたのは全部他人に譲りました。水稲第一年目は水田 や苗代にも堆肥を別に多量施用することもできませず、これまでと同様で反当約百四、五十貫であります。苗代は在来の様式で種子は御浄霊をして浸水したもの を四月末に苗代に水を溜めて播きました。苗代田の浄霊は仕事の都合でしておりません。苗は何時も黄色で、苗取りの時は握ってコブシの上へ少々出るくらいの 長さで、松葉のように細い貧弱なものでした。苗を取って移植する際に浄霊をして本田に運びました。本田に移植してから少し遠くから見ますと、植えてあるの か無いのか分らぬようでありました。それでありますから移植後の生育が非常に遅れますので一時ちょっと悲観いたしましたが、八月頃になり見良くなり、穂孕 時期には稲らしくなりましたので多少安心した気持になりましたが、とにかく有肥の稲に比較して草丈が短いので貧弱に見えました。
 いよいよ成熟して刈り取って見ますと藁は固く、穂先が案外重いのでこれなら米があるであろうと思われますので、初めて自然栽培の有難味を痛感いたしまし た。いよいよ収穫の結果は案外に有りました。草出来を見た時にはいずれ二割位は減収と覚悟しておりましたが、平均反収五俵の成績でありました。有肥の人の も余り大差は無いようでありました。当地方の平年作は反収五俵位であります。下等の田地の多い人は五俵以下であります。私のは三分の一は湿田や、山蔭の下 等地でありますから大きな成績であったと感謝いたしました。
 二年目には自信も出来ましたので少しも心配はいたしませんでした。初年度よりは草出来は良好のように思いましたが、収穫の結果は同様程度でありました。 昨年度は三年目で苗の色も初年度より少し青味が多く、移植後も有肥の稲に比べて初年度程の差が無いようでありました。大体を通じての成育状況は昨年度は有 肥の稲に対抗する位でありました。
 上田の分の(四畝歩の田)坪刈を参考の為に農協の技術員に依頼してやって貰いましたが二石七斗(反収)という数字が出ました。又別の田では糯稲は二石一 斗でありました。尚私の耕作地は三分の一は耕地整理地区で畑を田に変換して溜池を築造し、それを唯一の水源として他には水利の方法は絶対に無いのでありま すが、本年は七月二十日より本格的に照り続きまして降雨は少しもなく、八月十五日頃は用水欠乏し黒割れとなり、引続き照り続け、九月二十六日にちょっと降 り、その後十月十四日の台風迄降雨らしきものは無かったので干害が甚しく、それが為に平均反収は五俵半という結果でありまして一割の増収でありました。も しこの干害がなかったといたしますれば、平均二割以上の増収は確実だったと思います。なお御浄霊は三カ年を通じて苗代田は仕事の都合で止むを得ずいたして おりません。移植後は降雨の日や不在の日を除き殆んど毎日実行いたしましたが、八月中旬頃からは時々で次第に中止するようになりました。又土質は花崗岩の 出る土地で、荒い砂土であります。前記の坪刈りをいたしました糯稲の田は、表土の底はガラ石混りの砂地でありますから、深く起す様なことは出来ません。
 以上三カ年を通じて考えて見ますとき、漸次肥毒が浄化されて年々収穫が増して来る事はいよいよ間違い無いと思います。なお四年五年目の結果を楽しんでお ります。品種は農林二十二号ばかりであります。ただ今ではまだ周囲の人も金肥を使わずに栽培して増収等は信じられないようでありますが、事実はどうする事 も出来ません。
 右は三カ年を通じて概要の報告をさせて頂きました。
 明主様誠に有難うございました。何卒今後も宜しく御願い申し上げます。
         (昭和二十七年一月十七日提出)


自然栽培一年目からこの素晴らしい成績

     静岡県田方郡韮山村
        神山中教会 木村 隆(38)

 明主様に対し奉り、謹んで御守護賜わりました御礼を申し上げさせて頂きます。
 入信以来讃えても讃えつくせぬ大御光の下、数限りなき御神徳を賜わり、真に明るい日々を送らせて頂き、心より御礼申し上げます。
 またこの度は自然農法に対しましては偉大なる好成績を賜わりまして、重ね重ねの御恵み誠に有難うございます。
 私は以前、県の農業会技手として奉職、既存農法を生かじりいたし、又現在農業委員会に勤めさせて頂いておる者でございますが、現在の農業は、肥料と農薬 なくしては何一つとしてできず、施肥改善と病虫害駆除は農業の重大要綱の一つとして思い込み、又実際に指導して参ったのでございますが、特に近年いかなる 作物にも病虫害が発生、しかもその被害は年々拡大され、病虫害による農作物の減収は実に勉大なるものでありまして、本県の昭和二十六年の実例をもってして も、農家の消費した農薬は実に二億数十万円に達し、その上更に農家経済負担として農産物被害減収は、二十数億円の巨額に達している現状でありまして、国と いたしましても、勉大なる予算の下植物防疫法が施行せられ、村の末端に至るまで防除班を組織し、又農業共済(災害保険)事業の拡充強化を計る等、全力を傾 注しているのでありますが、丁度人間の病気と相まってただ猖獗(しょうけつ)の一路を辿るのみでございます。
 この秋(とき)に当り、明主様の農業特集号は真に暗夜に光明を得たる喜びでございまして、この難局を切り抜けるにはただこの道一筋と、早速農業委員数、二十部分を本部にお願いいたし、配布させて戴いたのでございます。
 今考えますと、誠に申訳ない極みでございますが、私がやってみなくてはわからないと思い、早速二反歩の田を一反五畝歩自然農法に、五畝歩を有肥といたしまして、本部の写真班の御協力を得まして、比較栽培を実施させて戴いたのでございます。
 その時、私の頭の中では、ともすると「肥料は作物の食糧だ、食糧なくて何ができる」と頭の中にもち上げて来るものがありましたが、「いやいや、明主様の 御教え通りにやればきっと出来る。何しろ人間は勿論、禽獣に至るまで、手をかざせば病気がなおるのだ。ましてや相手は植物だ、当然土が食糧でなくてはなら ない、すべてをおまかせいたしてすれば、きっと出来る」と、自からを制した事もございました。そして会長先生を始め久保田先生等の御指導の下、五月四日種 子播きをさせて戴きましたが、苗代は水苗代がないため、陸苗代で実施させて戴いたのであります。昨年五月は雨が少なく、それに前年の肥毒のため相当ケラに 喰荒され、苗も細く短かく、これで物になるかと思う位でありましたので、村の人が「君は学校でこういう苗作りを教わったか」等、と冷かされましたので、私 は笑いながら「いや、こういう苗でなくては穫れないのだ」といってやりましたが、心の中では明主様何とぞ御守護のほどを、と一心にお願いいたしたのでござ います。
 六月二十二日の田植の時も、手伝いに来て呉れた人達が、細い小さい苗を一、二本ずつ植えるので、中には水にもぐり見えなくなってしまうのもありますので、苦笑の中にも無事植付を終了させて戴きました。
 その後は活気も特によく、一番除草後には急に大きくなり、色も非常によろしく、分蘖も大分して参りました。「ああよかった。明主様誠に有難うございま す」と何度も繰返し、田圃を幾度も廻り歩いたのでございます。二番除草の終る時分には、他の者が「追肥をやらなければ」という時には、むしろ私の方は、葉 色はよく、丈もほとんど分らぬ様にさせて戴きました。
 そこで役場や村の人達に、ちょくちょくと自然栽培の偉大さを説き、宣伝させて戴いたのでございます。その後病虫害、倒伏等の害もなく順調に進み、秋の稔りを迎え、反当二石八斗余の収穫を得させて戴き、誠に有難うございました。
 不馴れで、又有肥の種子を用いたのに、一年目でこの成績、三年、四年と重ねて行ったなら「五割増産は内端だ」との、明主様の御教えに一点の疑いもなきこ とを知らされ、世の皆様にお伝えさせて戴くと共に御教えを体しまして、今後共益々体験を重ね、これが普及宣伝に勤めさせて戴きたいと念願いたしておりま す。
 明主様誠に有難うございました。
             (昭和二十八年二月十六日提出)


自然栽培二年度にて七割増収

『栄光』79号、昭和25(1950)年11月22日

    福岡県築上郡椎田町
       明輪中教会 誉田寅之助(37)

 私は昭和二十三年四月に入信させて頂いた者で、数々の御守護に感激の日を送らせて頂いております。明主様の御恩に対し有難く厚く厚く御礼申し上げます。
 私は昭和二十四年度より、明主様の御教え通り耕作田畑五反歩を全面的に自然栽培に切替えさせて頂き、実施いたしておりますが、本年度は予想外にも好成績を頂きましたので、次にその概略を御報告させて頂きます。
 明主様の御教えに「自然栽培は三年経たぬと本当の収穫は分らぬ」と仰せられますが、事実その通りでございまして、昨年の収穫に比し本年度は七割増の収穫 予想であります。未だ全部脱穀を終っておりませんので、判然とした数字的御報告は致し兼ねますが、当地では平均収量反当五俵(有肥)でありますが、昨年度 は四俵半で、約半俵の減収でありました。成程計目は約半俵の減収ではありますが、明主様の御教えに自然栽培の米は重量が有肥に比し五ないし十パーセント重 いとございますが、確かに違います。昨年調べたところによりますと、一升当りの重量四三〇匁で普通有肥ですと三八〇匁ないし四〇〇匁位であります。又脱穀 して歩留りがよく、炊いて約二割位は増え、しかも糯(もち)米のごとく美味いので、色々と詳細に計算して見ると決して減収でなく寧ろ増収だと思っておりま す。しかるに本年はどうでしょう。更に七割増の反当約八俵の収穫を得させて頂き、米の品質は昨年より一段と向上させて頂いております。
 過般のキジヤ台風の来た時も同じ場所で、同じ条件の下に隣の有肥の田圃はあたかもローラーを転ばしたごとく倒れて仕舞ったのに、私の方は全然被害はな く、そのあまりにも違いのあるのに驚かされました。本当に有難うございました。一般は本年は最初豊年だ満作だといって喜んでいたのが最後になり、台風の被 害、害虫の発生等によって見事予想を裏切られて仕舞いました。世人は何故に台風に倒れるのか、又害虫の発生について根本的に究明しないのだろうと本当に不 思議に思う位です。
 又粟の作でございますが、僅か十坪位の地面より自然栽培により一斗五升、反収にすれば実に四石五斗という驚異的収穫を得させて頂き感謝致しております。本当に有難うございました。
      (昭和二十五年十一月二十二日提出)



自然耕作で超過供出する信徒

『栄光』79号、昭和25(1950)年11月22日

    新潟市寺裏通り二番町
      光陽中教会長 小川栄太郎(37)

 光陽中教会の会員有志も自然農法体験三年となり、種々の奇蹟的な御守護を頂き、ただただ偉大なる御力に驚嘆しています。統計的な御報告は各会員から詳し くして頂くとしまして、不肖会員と共に田植から刈入れまで体験いたしまして、本教自然農法こそ行詰まれる農村を打開する唯一の救いの道であると堅く確信 し、この体験に立脚し、今こそ声を大にして、自然農法を一人でも多くの人に知らしめたく、拙文をも顧みず御報告させて頂きます。

 一信徒、新潟県西蒲原郡大原村、山岸真十郎君は、完納の外に二十俵の超過供出という好成績を挙げ、その外十俵の余裕が出来た位です。
 山岸君の自然耕作一年目の収穫は村の人達の下位に属していましたが、二年目は中位に属し、三年目の本年は上位になり、村一番の稲作りの名人と競作田を作 りましたが、皆稲熱病に犯され、誰一人相手になる者がなくなりました。村の農業技術員も山岸君の稲の状態を見て、最も理想的な生育状態であると驚歎しまし た。山岸君は本教教師で御浄霊が忙しく人手不足のため、殆んど藁も使わずに三年目になっているので、初めは気違いあつかいにしていた人々もただ不思議なこ とだといっています。

 一信者、新潟県南魚沼郡六日町、山口玲治君は、一年目から耕作面積九反三畝、平年作六十二俵(肥料代三万円)の田より自然栽培で六十六俵の収穫を挙げて います(内三反は水害を蒙むる)。その外中蒲原郡亀田町、石原特平君及び西蒲原郡吉田町、井塚左武郎君は、反当八、九俵の収穫を挙げています。その外にも 二、三反ずつ自然耕作者は沢山あり、相当の収穫を挙げています。土地肥毒の多寡等があり反当石数は標準になりませんが光陽中教会の体験としましては、
 自然耕作
  一年目一割減-平年作
  二年目 平年作-二割増
  三年目 二割増-三割増 (平年作を標準)
 右のような結果になり、経済的には、肥料代不要、労力三分の一で一石何鳥にもなり、金詰りも何の苦労なく実に喜んでおります。

 一信徒、新潟市、渡辺産作君の細君は三年来野菜を自然栽培して市内に売りに行っているのですが、全然何も知らない人が余りにも一般に比較して美味なの で、店を開くと瞬く間に売切れ、普通朝八時頃迄に売るのを六時にはもう売り尽して帰宅します。今では一般に知れ渡り、リヤカーを引いて行くとお客は待って いて奪うようにして買って行き、それも外の人より高価に売れます。稲作は農業協同組合の脇に作っているので、随分村中の注目の的になりましたが、収穫して 見ると量もあり、特に品質のよいことで一般は四、五等米ばかりにも拘わらず、渡辺君の米は一、二等米で立会いの検査官も驚き、郡でも一番だといっていまし た。このことは石山尋常小学校の掲示板にも出ました。往々にして自然栽培者は供出完納を危ぶまれますが、未完納どころか全部完納又は超過供出をしていま す。
 又毎年年中行事の如くやって来る風水害にも被害を受けず、その都度余りの有難さに感泣したことが幾度ありましたことか。
 次に健康方面にはこれ又素暗しい効果を挙げています。本教自然栽培者の健康度の向上は顕著なもので、一見してその顔色で判る程血色はよくなり、どんなに 働いても決して疲労しないといっています。それに栄養価の高いこと、炊増えすることで、保有米が予定より一、二割ずつ毎年残るのであります。

 鳴呼!偉なる哉自然農法、実に自然に従う者は栄え、自然に遭う者は亡ぶとか、大自然のままに自然農法を素直に実行すれば、病無く、貧無く従って争も無く 信仰を生活の中に生かし、心も経済も共に満ち足りて、世の荒波を外に、安らかに天地と共に富み栄え行くことができるこの喜び、ただただ明主様に感謝感激報 恩の念を深くするのみであります。
 以上ささやかな体験ながら御報告させて頂きました。
            (昭和二十五年十一月二十二日提出)



(ロ)品質も年毎に優秀になる

 品質良好、艶があり粘着力強く、頗る美味であり、大抵は一、二等格か三等以下は殆んどないといっていい。
           (『栄光』七九号)



自然農法品評会に特等入賞

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

   島根県出雲市大津町
      隆光中教会長 石坂隆明(29)

 明主様、数限りなき私達の悩み苦しみ間違いを大光明に大神智に御救い頂きまして誠に誠に有難うございます。私達の間違いの最大なるものは薬剤服用と肥料 使用でありますが、自然農法こそは独り農家のみの御恵みではございませんが、特に農業当事者にとりまして、これ程の福音、これ程の恩恵はございません。農 村恐慌、否、農業破滅(これは人類の破滅を意味致しますが)の魔の断涯より御救いを頂きました。その感謝感激は表現の言葉さえ見当らぬ次第でございます。
 左に御報告申し上げます最近の自然農法の成績は明主様のお蔭と深く深く感謝申し上げます。

   特等に三点入賞のよろこび

 出雲国簸川郡出東村は当県下の穀倉地帯と言われ、特に米作の盛大な地方で、又同村には、十四分団四百名という地方の農村には珍らしく大きな、そして強固 な組織の青年団があり、畜産競進会、農作物品評会その他運動演芸、展覧会等々非常に文化的活動も盛んな農村でありますが、その村の青年団員であり、熱心な 救世教信者でもある植田栄君の奔走に依って提唱の自然農法作物出品歓迎のお話があったのが十一月二十九日でありましたが、品評会は十二月二日であり、出品 はその前日とのこと、日をくって見れば中タッタ一日しかありません。時間の苦情は言っていられませんが「スワ、チャンス」「ソレ連絡」といくら泡食っても たった一日、しかも丁度その頃停電ストの真最中にて、出品したいが脱穀できずという信者さんが殆んどで、結局出品できました点数は、
  米   五点
  白大豆 一点
  黒大豆 一点
  大 根 一点 でありました。
 一方では出品物の用意、一方ではこの機会に少しでも自然農法の普及を計らんものと、自然農法の簡単な説明文をプリントするやら壁新聞も用意するやら、テンテコ舞の内にいよいよ当日となりました。
 出品物の等級審査は、農林技官の方三名、立会合議の上にて決定するという慎重さでありました。自信はあるもののやはり気になります。どんな等級がつくかな、どうかいい等級に……と念ぜずにいられません。
 十二月二日九時同村小学校講堂の会場へ、胸おどらせつつ馳り付いた時にはすでに審査は終った後とのこと、
 「スワッいかなる等級か?」

  米       特等  三点
  米       一等  一点
  米       二等  一点
  大豆(黒・白) 一等  二点
  大根      二等  一点

 「ああ、よかった。御かげだ。明主様有難うございます。ああこれで皆んな苦労も報われた」と目頭にうれし涙の出るのを人に見られまいと随分苦心致しまし た。ソレフ壁新聞、ソレそのプリントと早速宣伝の用意です。参観者も続々と特等の札に引に付けられ、米を豆を手に取って見る人の驚歎の目、口、顔、手、ま るで古今の絶品の前に立った美術愛好家の如き態度です。その光沢、実の張り工合、重みを手にとってほれぼれと見かつ味わい、やがて壁新聞を読んではうなず き、プリントは飛ぶように手に取られて行きます。
 「明主様どうかこの人達が一日も早く自然農法実施者とならせて頂けますように……」と念ぜずにはいられません。
 なお特等入賞の品種並びに信者の住所氏名は左のごとくであります。

  中生旭    簸川郡出西村 金山芳雄 二年目
  中生旭    出雲市里方町 金山武義 二年目
  農林二十三号 八束郡宍道町 本常金蔵 一年目

   ○無肥二年の大豆の素晴しさ

 自然米の良さは申すまでもありませんが、この日出雲市里方町金山武義氏出品の自然農法二年目の白黒両大豆のその粒の大きさ、自然に備わる光沢の美しさは、正にこの日の圧巻とも言いたい位の見事さで、続々つめかける見物の人々も異口同音に賞讃しておりました。

   ○付  記

 この品評会へ出品の手続の労を取られた、植田栄君一家は非常に熱心な信仰一家にて、大光明如来様も御奉斎申し上げ、弟和君は神仙郷へ御奉仕もさせて頂い ておりますが、この日のお話によりますと同君丹精の自然耕作田が簸川郡内六力町村米作多収穫競進会に一等の栄冠をかちえた由であります。打ち重なる自然農 法の原爆的勝利に思わず万歳を叫んだ次第でありますが、このことは本人から詳しく御報告させて頂くことになっております。
 これをもって御礼並びに御報告を終ります。
              (昭和二十七年一月五日提出)


昨年度にも勝る自然栽培に対する御守護の有難さ

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

   島根県出雲市大津町
  隆光中教会

 明主様の限りなき御守護のもと、自然農法について昨年素晴しい成績を上げさせて頂き、『栄光』新聞第一六三号に原爆的勝利として御掲載を頂きましたが、 本年度もこれに劣らない好成績を挙げさせて頂きましたので、御守護に対し厚く御礼申し上げますと共に、謹んで御報告させて頂きます。
 由来簸川郡の出東部六力村は島根県の穀倉地帯と言われ、中でも出東村と久木村とは米作りの最も盛んな豊作地帯であります。従って玄米の出品は相当数に上 りましたが、高田氏の自然米が断然他を圧して一、二等に入賞させて頂きました。なお例年の通り出東村の品評会にも出品させて頂きましたが、遺憾なことに同 村の品評会は各青年団支部の対抗競技会でありますので、出品物箇々に対しては賞状は貰えなかったが、成績は左の通りの好成績を上げさせて頂きました。
  一等賞  玄 米  西尾恭一
  二等賞  玄 米  金山武義
  一等賞  大豆白  金山武義
  二等賞  大豆白  池尻 豊
  二等賞  大豆白  川島隆市
 青年団各支部の対抗競技でありますので、向うはいくら悪くてもその組で必ず一等を作ることになりますので、当方の二等賞より悪いのが一等であった由でございます。
 明主様、ほんとうに有難うございました。
 どうぞ来る二十八年も更に御守護を賜わりますよう、伏して御願い申し上げます。
       (昭和二十八年一月二十九日提出)



水稲自然栽培三年目に千葉県知事賞入賞の栄を得て

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    千葉県市川市国分町
       博愛中教会 井上千与次(51)

 昭和二十七年十一月二十四日、当地市川市主催、市川市及び大柏両協同組合(戸数約千六百戸)共催の農産物品評会に出品致しましたところ、出品者二十七、八人中より審査の結果、特別賞として千葉県知事賞を獲得致しました。品評会の模様と共に御報告させて頂きます。

   一、出品に就いて

 入信させて頂きますと同時に自然農法を実施させて頂きましたところ、第一年目より五十八%増収という御蔭を頂き、御報告させて頂きましたところ、『自然 農法解説』にお載せ頂きましたが、引続き実施させて頂き、昨年にて三年目の収穫を致し、いよいよ自信を得まして出品致しました。
 出品物は各地共、共通のことと存じますが、各品目共一箇一粒選の品にて特に玄米については特選別品であります。私の玄米は搬入前日午後籾摺いたし、選別 についても前夜小粒及びヒビ入の物を選別した程で、充分の用意をしたのではありませんでした。いよいよ搬入当日となりました。御浄霊をいたしまして、この 玄米が一般無神論者に少しでも分って戴けたらと、明主様にお願い申し上げまして搬入いたしました。
 会場に搬入致しましたところ、数多き出品の内でも私のは光沢もあり、又一粒が他品よりも大粒にて、審査の始まる前既に勝負は決した観がありました。

   二、審査に就いて

 審査は光沢、粒位(粒の品位)乾燥、その他についてでありますが、私の米は僅か一日乾燥にて、又県の奨励品種では無く、入賞には悪条件であります。
 審査は各専門家にて審査され、まず入賞の圏内に入り、いよいよ等級の順位即ち特別賞か一等賞かの問題となりました。特に当県にては乾燥に重点を置いてお りますので、その良悪の決定ということになり、刃物にて切りましたところ、県の奨励品種の農林一号は切れてしまいましたが、私の関東三十四号は見事ピンと はねてしまい、県の奨励品種でない私の玄米が特別賞と決定致しました次第であります。
 有肥栽培と比較し、収量におきましても、品質におきましても、予想以上の成果を挙げさせて頂き、全く感謝の外ございません。明主様有難うございました。
              (昭和二十八年二月五日提出)


稲作自然栽培四カ年の体験記
〔特等賞に入賞の自然農法の稲〕

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    石川県河北郡浅川村
      富山中教会 下農安太郎(53)

 私は昭和二十四年に自然栽培を始め、四カ年の経験を積まして頂きましたが、未だ十分の成績を挙げることもできず、まことに恥ずかしい次第ですが、農業者の方に多少の御参考になれば幸いと存じ、左に経験の一端を述べさせて頂きます。

   一、耕作者たる私の一家について

 私は幼にして父を失い、水田は全部小作にしてあったので稲作の経験は全然なく、母は百姓ですが八十歳を超えた老齢で、農耕は出来ず、妻も未経験者です。 私は終戦後追放となり、止むを得ず昭和二十二年から七反歩の水田を作り始めた全くの素人であり、従って器具や設備も不完全で、仕事も不十分でありました。

   二、立地条件

 私の村は金沢市東郊に位する山添いの村で、浅の川流域の平坦地と、山間の棚田と相半ばする状態で、専ら金沢市の下肥で栽培しているところで、二、三十年前から相当金肥も使用しており、平年作反当六俵といわれています。
 私の田は高低甚だしく、従って日照も悪く、用水の最下流になるところが多く、自然栽培には好条件を具えている水田とはいわれない土地です。土質は大体砂 質壊土で、耕土の深さ一米にも及ぶところも相当あります。なお一枚の田で半分湿田になっているのが三枚ありますが、有肥栽培の時は湿田の部分がいつも発育 が悪く、相当追肥しないと稲が揃わなかったのに、自然栽培にしてからは全部揃うようになったので、不思議に思っています。

   三、種子について

 種子籾は黒沢式の一部を採り、穂の前半を手で扱(しご)き、土蔵の天井に吊しておき、播種前の例祭か、又は特に御祭りをして御神前に並べ浄めて頂きました。

   四、苗 代

 私の村では毎年四月十五日前後に播種します普通の水苗代です。私も村の人達と同様にしています。
 自然栽培では苗代が一番難物のように思われます。年々多少はよくなって来ましたが、四年目でもなお葉の開かないものが多く、有肥の苗は平均八寸あったの に、私のは五寸でした。太さもこれに準ずるので、全く外観は貧弱で、苗取り田植共に不便です。しかし根は非常に立派でこんな苗がと笑われながら、いざ収穫 となると有肥をしのぐのだから痛快でもあります。

   五、本田について

 本田の作業も、有肥の人達と同様にし、田植は三木植を標準にしています。七、八本のも試みて見ましたが、かえって悪いようです。枠は七寸に八寸のものを 使っています。初年度の分蘖は平均十三木(有肥は二十五本ないし三十本)草丈は有肥に比し平均二十糎短く、外観は誠に貧弱で、嘲笑の的となるのも無理はな いと思いましたが、収穫して見ると米質は極めて良く、収量も平年作の僅か一割減に過ぎなかったので驚きました。二年目は草丈は有肥のものより長くなり、分 蘖も初年度の倍位になり、従って藁の量も倍以上あったが、米の量は平年作でした。私はこの二回の経験で自然栽培においては、青田を見て一喜一憂する必要が ないことを実物をもって教えられました。
 なおこの年はジェーン台風で、有肥の稲は鎌を入れることができないまでに被害を受けたのに、私の稲は四十五度ないし六十度位に傾いただけで、かえって刈り易かったのには、全く有難い思いをしました。
 三年目は、二年目に比し草丈もやや短かく、分蘖も少なかったが、青田の色が有肥を凌ぐようになり、何ともいえぬ清々しい感じが出て来ました。収量は平年作でした。有肥の田は病虫害の被害が相当あったので、嗤っていた村人等も不思議がる者が段々ふえて来ました。
 四年目は、苗代も前三カ年に比し発育もよく、一部有肥に比し劣らぬのもでき、苗不足もなく、今年こそ平年作を遥かに突破するだろうと大いに期待したが、 矢張平年作でした。しかしこれは期待したのが無理かも知れません。何分当地方は未曾有の大不作で、名ある篤農家でさえ半作以下の大減収という有様で、しか も品質は四等米、五等米というのに、素人の私が平年作で品質は県の技師に見てもらったところ全部一等米とのことでした。品評会に出品したが、特等賞を授け られました。今まで嗤っていた人達も異口同音にほめてくれたし、自然栽培の話にも真剣に耳を傾けるようになってきました。
 なお本田の作業中に気付いたことは、年々稲の発育がよくなるに従い、雑草が少なくなり除草作業が容易になってきたことです。

   六、収穫乾燥について

 自然栽培の稲は十分実入りするため、有肥のように乾燥する必要がない。有肥と同様に乾燥すると、脱穀等の場合米が割れてかえって悪い様です。私はなるべ く乾燥し過ぎないように注意するが、それでも検査米は一俵に三斗八、九升で十分です。又当地方は雨が非常に多く刈入適期に雨天が続くと大変困難するが、自 然栽培の稲は一週間や十日位おくれても何でもない。二十七年度も、丁度農林一号の刈入期に一週間ばかり降り続いたので、私は平気で雨のあがるのを待って刈 り出したが、御蔭様で綺麗な藁ができ、半分腐ったような有肥の藁とは比較になりませんでした。又稲を扱っても籾こぼれは少しもありません。有肥の稲は籾こ ぼれ甚しく、蓆で穂を包んで縄で縛って運ぶという有様でした。
 又収穫前になると稲の色が全然異るので、方々から初めて来られた視察者に対して「この方面です」と大体の方向を示すと、誤りなく私の田を発見されるのが普通となりました。

   七、藁について

 初年度及び二年目の二回は、藁を四分の一に切って堆肥の様に積んで施しました。三年目は一、二寸に切って直接撒布した。暮と春とに分けて撒いて見たが、 結果は変らぬようです。四年目は一分か二分位に切れとの御教えを頂いたので、できるだけ細かく切ったが、切断機がなく押切で切ったので、平均四、五分より 細く切れませんでした。又多く施したのと殆んどやらないようなのとを試みて見たが、収穫には大差ないようです。

   八、心の肥毒

 私は四カ年の体験を通じ、土地や種子の肥毒もさることながら、己の心の肥毒の多いのに一驚を興しました。三年目までは、藁に依存する気持からどうしても 脱却できなかったが、四年目になって漸く何の心配もなくなり、自然栽培するのが当然という気持になり、青田の外観に心を奪われることもなくなり、淡々たる 気持で仕事ができるようになりました。

   九、御浄霊について

 私は特に御浄霊に廻ることなく、水廻り等の際出来るだけ御浄霊し、その他畦打、除草等の場合御浄霊させて頂く積りで仕事をやります。

   十、結 語

 私が自然栽培を実施しました四年間は、当地方においては天候不順のためもありましようが、学識経験に富む篤農家ですら減収と品質低下に悩んでいるのに、 素人の私ごときが、肥料と農薬を使用する経費と労力も要せずして、付近の農家に比し常に増収となり、品質においては断然群を抜き、名地から多くの人々が視 察に来るまでになったことは、本農法の絶対的真理であることを証明して余りあるものと言わねばなりません。かくも偉大な真理を御教え賜わった明主様の御鴻 恩に対し奉り、ただただ感涙に咽ぶのみでございます。一日も速かに本農法の普及せられんことを希って止みません。
             (昭和二十八年二月九日提出)



農産品展示会に出品 知事賞を獲得

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    富山県東砺波郡城端町
       神通中教会 上田徳万智(41)

 近年、特に心ある農民であるならば病虫害の発生に伴なう消毒薬購入の経済的負担、人件費、又減収による国内食糧事情の悪化、土壌の酸性化防止、その他人 糞尿を施すが故に人体寄生虫の発生等々、いずれにせよ暗中模索の中でその打開策に日夜腐心している今日この頃であります。
 私は昭和二十四年に入信させて頂き、明主様より自然農耕法の決定的福音に目醒め、過去三年間実施させて頂き、ここに概略を謹みて御報告申し上げます。
 初年(昭和二十五年)は、真理とは知りつつも、今日まで固く教えられてきた施肥観念が頭脳を去らず、その上供出完納に対する不安にそれとなく心が鈍り、まず二反五畝歩のみを試験的に実施いたしたのであります。
 しかし収穫は思いの外良好(調査資料なきため御許し頂きとうございます)でありますので、早速昭和二十六年には善は急げと、水田一町三段五畝歩、畑八畝歩の全耕地を実施すべく決心いたしたのでございます。
 当初は殆んど一年目でもあり、苗は黄色く、細い上に短く、かつ移植後は有肥田と比較対照にならぬ貧弱さで、たちまちの内に隣村までも悪評が拡まり、陰に日向に悪口三昧でした。
 でも真理を知る私としては、後日必ず分る時が来ることを信じ、いささかも信念は揺がず、たとえ一年、二年は減収してもと耐え忍んで参りました。
 その内「土用」に近づきますとぐんぐん伸び始め、一見有肥田に比し差別のつかない程の発育状態となり、収穫期に入ってからは、一番悪い田も外観より実入 りの充実と屑米の少ないのとで、案外の収穫を得、まず供出も完納いたし、なお成育期の非難もいつしか影をひそめてしまいました。
 昭和二十六年度比較左記の通り
  自然栽培  反当  二石三斗五升(一年目)
  有  肥  反当  二石五斗
 昭和二十七年は全耕地としまして殆んど二年目で、前年より一層良くなるとの思いで、従来より一段と希望の楽しみをもって実施することができ、お蔭様で苗も非常に良好で、一般の声も昨年より良いとの批判で、まず第一歩は成功と言わねばなりません。
 その後経過も順調で、七月に入り螟虫発生の時期となりましたが全然心配なく、一般の農家は入手不足の薬剤撒布に大童ですが、自然栽培は殆んど被害等な く、力強い緑葉は日増に成長し本当に嬉しく又有難いことでした。いよいよ成熟期に入ってからは有肥田は二化螟虫と倒伏の被害にテンヤワンヤの騒ぎで、真に 悲惨でもあり、お気の毒でもありました。
 収穫期を待って(十月中旬)普及事務所の金田技術員外一名に中位の田の坪刈を御願いいたしましたところ、快く実施下さいました結果、収量二石七斗(平年作二石五斗)の事実に驚いておりました。
 なお農産品展示会に出品の玄米(二十七年度産米)が一等の栄冠を得ましたこともまた、自然農法の誇りとせねばなりません。
 右展示会なるものは特別なものでありまして、これも農業経営に対する熱意の現われであることは言をまちませんが、又同時に心すべきは恐らく当局者は常に 品種改良に科学的見地から努力はいたしていますが、今日ここに自然栽培によって右事実が証明されたことは、農業法改良に対し一大センセーションをおこした とも言えるのであります。
 これこそ正しく明主様の常に御提唱遊ばされます、人類不幸の一つである肥料迷信の徹底的大革命の現われに外なりません。昭和二十七年度比較左記の通り
  自然栽培  反当  二石七斗
  有肥栽培  反当  二石四斗
 かくして過去三年にわたる経験より知り得たことは、従来肥料の少ないところほど増収率が高く、従って隣接田に病虫害の発生があっても、全然その心配があ りません。又同時に肥料を含む肥毒の作用は、医薬に含む薬毒の副作用の如く実に恐ろしい物であることをよく体験致しました。
 しかし、未だ明主様の御教えの線に添い兼ねる点があり、誠に申訳けなく、心からお詫いたしますと共に、今年こそは過去の経験を通じ一段と御教えの実行に誤りなきよう心をいたし今から春の来るのを心待ちにいたしております。
 明主様有難うございました。紙上誠に拙文を以て、御報告にあわせ今年の御守護を御願い申し上げます。
            (昭和二十八年二月十七日提出)


逐年増収の自然栽培一等米の栄位を得る

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    福岡県築上郡築城村上別府
       明輪中教会 時本重敏(39)

 私は四年前御守様を戴きまして以来、医薬を去り、あらゆる病魔も「浄化作用なり」との御教えの通り、何の不安もなく一家九人益々健康にならせて戴き、農 業に精出させて戴いております。又農業に対しましても、自然栽培法により増収することの御教えを拝聴いたしておりましたが、あまりにも空前のことと、曇り 多き私共故、中々旧来の陋習(ろうしゅう)を破り得ず、家族の反対もあり、実行いたし兼ねておりましたが、会長先生はじめ誉田先生など、諸先生方の熱心な 御指導を得まして、ようやく昭和二十五年度稲作より全耕地九反余に実施させて戴きましたが、所有耕地は地力も弱く、肥料依存が強く、地質が粘土又は赤土 で、当地方でも中以下の土地ばかりで、平年作で反当五俵あるかなしのところなので、父等は「二、三年堆肥を多く使って地力が出てからにしたら」と言うほど でしたが、思い切ってとにかく実施することにいたしました。初めの中は肥毒の多いため苗の生育も悪く、本田移植後も二番除草過ぎても、黄色くひょろひょろ していましたので、家族の者の心配するのも一通りではなく、村中の人が笑っていたほどでした。それでも御守護を戴き、それから段々色も出て、秋にはきれい な穂が出て来ましたが、何分分蘖がおそく、無効分蘖が多く、相当減収の見込みでしたが、収穫の結果は、予想以上に良く、米の品質も有肥米はほとんど三、四 等米が多いのに、私共の米は二等米になり、御守護のほど有難く肝に銘じ、家族一同喜び合った次第でございます。二十六年は苗の育ちも大変良く好成績で、有 肥田は病虫害でやられ、消毒予防と相当悩まされていましたが、お蔭様で私共の田は、何等そんな心配の必要もなく、病虫害の被害も少なくすませて戴き、村の 人の笑う声も段々少なくなって来ました。昨二十七年は自然栽培にいたしまして三年目で、苗の育ちも初めから非常に良く、本田移植後も有肥田と比べて少しも 差異がなく、最初笑っていた村人達も肥料入れずにこの位良く出来れば、と羨ましがる程に迄ならせて戴きました。品種は「旭」でありますので、今迄は籾こぼ れが相当多く、このため、この品種を嫌う人が多いくらいですが、昨年は収穫にあたり籾こぼれの少ないのに父も驚いていたくらいでございます。米の品質も断 然優秀で、供出の時組合長や倉庫係の人々は、品質の良いのに皆驚きほめてくれました。検査の結果、有肥米は二等米も少ないのに、私の家の米は群を抜き一等 米にならせて戴きました。これもひとえに無肥料の賜物と厚く感謝いたしております。左記に今までの年別平均反当収量を簡単に御報告申し上げます。

   年 度  区 別   反当  等級  収 量
  昭和二十四年 有肥   〃  三等  二石
  〃 二十五年 自然一年 〃  二等  一石六斗
  〃 二十六年 自然二年 〃  三等  一石八斗五升
  〃 二十七年 自然三年 〃  一等  二石二斗五升

 以上、全耕地平均反当収量でございます。
 なお、耕作にあたりましては、御教えに御異背中し上げる心は、さらにございませんが、技術面でまだまだ怠り勝の面が非常に多く、誠に申しわけなきことと 存じ、深くおわび申し上げます。生命を賜いし欣びにいや増して、健康に恵まれ、毎日を楽しく過ごさせて戴きます私共は、何と幸福者でございましょう。なお 又農業にいたしましても、自然栽培法により、以上のごとく年々増収させて戴き、感謝の言葉もございません。世の中の悩める人々にこの尊い御道のことをお知 らせし、自然栽培法の偉大な成果をお伝えさせて戴きたい念願で一杯でございます。以上簡単ながら、御報告申し上げさせて戴きます。明主様誠に有難うござい ました。
           (昭和二十八年二月十六日提出)



「一等に近い米だ」と見本になる 自然農法二年目の二等米

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    埼玉県北葛飾郡松伏領村
       宝生中教会 飯島新市(45)

 自然栽培第二年目の成績を報告させて戴きます。一昨年の経験と明主様の御教えを信じ、本年こそはと意気込んで実地に当りました。田が八反三畝、畑が六反 歩、二人で耕作いたしております関係で、少量の藁約四十貫ほど入れました。昨年は当地一帯は特に病虫害ひどく、大変心配いたしましたが、早稲種にて五俵ほ どありました。一般は三、四俵が普通でしたがそれ以上の成績を頂きました。中生種は六俵で、最高七俵でした。特に品質良好にて供出しました等級は二等と三 等ばかりでした。特に二等の等級は本村でも何俵もなく、米の検査官が「一等に近い米だ」と言って、見本に持って行きました。穫れました悪い米を供出しまし たが、全部二等、三等でして、世間の人が「珍らしい、不思議だ」と言いだし、最近漸く関心を持つようになりました。近年は農作物の浄化が特に強くなり、今 後の食糧問題が暗雲に閉されている時、明主様のこの農法により、農村不況打開に邁進いたす覚悟を新たにしております。何卒活躍出来得ますよう、御守護のほ どお願い申し上げます。
       (昭和二十八年二月十六日提出)



自然栽培は二、三等米 有肥は四等米 逐年増収の自然農法

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    神戸市垂水区平野町
       神照中教会 大前精次郎(42)

 自然栽培実績を御報告申し上げます。私は自然栽培二年目でございます。苗代は一月十日に生藁を小さくきざみ、第一回の耕起をいたしました。第二回目は四 月三日にいたしました。播種は四月二十八日にいたしました。その後は毎日早朝に御浄霊一回ずつさせて戴きました。成長は前年よりも日々に良くなり、六月二 十日より本田に植付いたしました。植付後本年は誠に成長よく、有肥栽培と余り変りなく、はじめから気持よく出はじめました。病虫害は少しもなく、九月七日 頃には分蘖十七本より二十本となり、出穂しはじめました。出穂期は有肥より二、三日おくれておりましたが、穂揃は一、二日早く、穂長は長く七寸となり、最 大百七十粒もあり(有肥は最大百五十粒でございました)十月の終りに穫入れいたしましたが、反当三石二斗で前年より一割増収でございました。有肥栽培は比 較的豊作でございましたが、同条件の田で三石二斗でございます。しかし品質は悪く四等米でございましたが、自然栽培は二等、三等米となり、とても味がよ く、粒が大きく、家内一同誠に感謝させて戴いている次第でございます。時々他家に行きまして御飯を戴きますが、味が悪くていただけないと家内一同が話して おります。本年こそは第三年目で大豊作にさせていただけると、家族一同明主様の御守護を確信させて戴いている次第でございます。
 明主様、誠に有難うございました。
        (昭和二十八年二月九日提出)



(ハ)風水害、虫害も何のその

 無肥の方は毛根が有肥のよりもずっと多くて長いから粘〔根張〕りが強いのである。(『栄光』一四一号)
 人肥でも金肥でも、作物が吸収するやそれが有毒化し、その毒が害虫の食物となり繁殖するのである。(『栄光』一四一号)



台風にも倒伏せず反当り九俵余の収穫

『栄光』79号、昭和25(1950)年11月22日

     静岡県小笠郡土方村
        英祥中教会 楠ケ谷辰雄(38)

 私はこのたび、実際行った稲作自然栽培の体験、並びに感想を御報告させて頂きます。実は自然栽培法の御教えを頂きました瞬間、脳裡を走った事は「作物が 肥料無しで」と言う申し上げるも恐ろしい言葉でございました。実際私共は肥料は人間で申しますなら食物に相当する物で、作物の食物であると信じておりまし た。しかしこれも善い事とは思えど悪いことでありまして、大自然即ち神様の御意志に反しておりました。自然栽培法でありましたならば、いかなる風水害にも お蔭を頂ける御教えを賜わりました私は、昨年約三分の二倒伏した土壌の軟かな一毛作田の所に実施致しました。品種は最も草丈の長い、病気に弱い晩生種の 「大正赤穂」を選定致しました。苗代播種の季節も目前に迫り、苗床に一寸程度に切った藁を入れ、種子の浄霊を致しまして、五月七日坪一合ずつ播種致しまし た。苗代も勿論水田苗代で数日後発芽致しました。しかし余りにも薄く、この時早くも行末を案じられたのであります。日増しに多少は賑やかになって参りまし たものの、多少黄色がかり、不安の内にも植付の時節も迫って参りました。
 実施田の歩積り三畝一歩で、この中に青草十束を打ち込みました。この仕事に従事している時、不思議にも心の晴れ晴れとしていた事は、今も記憶しておりま す。時既に梅雨の期に入り、シトシトと小雨降る植付に絶好の機も訪れておりました時、六月二日無事植付を終了致し、御神前にひざまずき、良く御念じ申し上 げました。植付方法と致しまして畦巾一尺三寸、株問五寸の並木植と致し、一本植を主として植付けました。中耕は除草第一回を七月三日実施致し、この頃は隣 の有肥田と変りなく、来るべき浄化の時の一大心構えの頃でありました。この第一回除草後清水で作りました堆肥(半熟で最も香りのよい頃)を反当約七十貫程 度打込みました。七月十日頃より、漸次黄色を呈しまして、七月二十日頃が最も浄化激しく苦しみの頃と思い特に御浄霊を毎日行いました。
 当時の私の心も随分迷い肥料をと思ったこともありましたが、そのたびに、明主様と心を呼び醒ましまして、静かに御教えを思い浮べ、肥毒の為の浄化なるを 信じ、やがて稔る黄金の波を思い浮べ横道にそれず進まして頂きました。七月二十三日第二回目の除草を致しましたが、その後一週間目頃より漸次緑色を増し、 赤穂本然の姿に立ち帰りました。ここで分蘖につき記さして頂きますが、七月十八日に十本ないし十三本で、八月七日に十五本ないし二十本でありました。有肥 であれば遅い分蘖は無効なるを聞いておりましたので、試みに一株を数え覚えておきましたが、収穫の折見ますと何と少しも無効分蘖はなくよく稔っておりまし た。七月下旬一杯で中耕の用事もなく、稔りの秋を楽しむばかりとなりました。この頃より農家で最も恐れられます台風襲来の季節でありますので、又もこの心 配が盛んとなりましたが、予測通り見舞われ、ここかしこで倒伏の憂目に遇い、悲痛な叫びも耳に致しましたが、何と有難いことに、有肥であれば当然倒伏すべ き稲に拘らず、一株として倒伏致しませんでした。三尺八、九寸もありましたこの稲が一株も倒伏致さなかったのは、奇蹟でなくして何でありましょう。
 炎熱焼くがごとき真昼間に汗水流し除草し、稲葉は赤く、心身共に苦しかった時節も何時しか過ぎ去り、朝夕涼味を感ずる収穫期となり、根切の鎌を入れまし た折、余りにも茎が硬く丁度「かや」のようでありました。この時初めて感じました。このような稲なれば倒伏や病虫害の心配のないことを知りました。左に実 収量を記さして頂きます。

 一、品  種 大正赤穫
 二、苗  代 イ、水田苗代
        ロ、播種一坪当一合播
        ハ、反当苗代坪数十二坪
 三、堆  肥 反当七十貫打込(清水使用堆肥)
 四、植  付 イ、並木植、畦間一尺三寸、株間五寸
        ロ、植付月日、六月二十日
        ハ、植付本数、一本又は二本植
 五、中耕除草 第一回七月三日、第二回七月二十二日
 六、分  蘖 イ、七月十八日十本-十三本
        ロ、八月七日十五本-二十本
 七、収  穫 イ、坪当の粗量二升一合
        ロ、坪当玄米量、一升二合五勺
        ハ、反当収穫、九俵一斗五升
        ニ、昨年迄の最高反収穫より二俵一斗五升増収

 右のごとき結果となり、収量の意外だったのに驚かされました。見たところより収量の出ますのは、茎が有肥より硬く、従って穂首が同じ重さでも有肥軽重れ ておらず、全部が完全に稔っております為と思いました。風水病虫の憂いなく穀の意外に出ますこの自然農法こそ真に神様の垂れさせ給うた食糧増産の秘訣であ ります事は、強く強く信じさせられると共に、まず「体験」、理論よりも実行と存じます。
 明主様有難うございました。
           (昭和二十五年十一月二十二日提出)



輝ける自然農法三年目の凱歌

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    宮崎県宮崎郡清武町
      光宝大教会 長友俊幸(27)

 水稲三年目の経過御報告を大要述べさせて戴きます。
 田植も順調に終り、生育状況も一般と余り差はございませんでした。一年目、二年目は、この頃が特に色あせて、世間から何かと大変な非難攻撃を受けて参り ました。いよいよ三年目村人達は「今年できれば本物だ、これでもしできなければ肥料を使え」と又ある人は「今年出来たら俺の首を渡す」と憎々しげに反対す るのでした。農民の血と汗は肥料代に供されている今日、無肥料耕作「自然栽培とは何事だ。これでは増産は肥料にありとする吾々の農業常識はどこへ行くの だ」というのが憎悪に迄変る根源なのでございましょうか。私は自然農法こそ真理の具現であると信じさせて戴きました。これこそ将来農民の帰一すべきただ一 つの道である。神様の御言葉を事実に依って示させて戴く光栄の一端をお受け申している事だ、と気付かせて戴きますと、猛烈な反対も益々私に勇気をつけるこ とになるのでございました。
 明主様真に有難うございました。衷心より御守護を御願い申し上げますと御神前に額ずくのでございました。
 除草を終るころまでは一般より背丈も低かったのが、出穂期に入りまして断然他より好調になり、この頃より一般有肥田には病虫害の大発生となり、薬剤は注 文中だが思うように入手できずと歎き、被害は益々拡大され、この分では五割減収との一般観測でございました。私のは色鮮かで誰が眼でも一般より抜きんでて おりました。その上、その後十月十四日、あのルース台風に見舞われたのでございます。最大風速五十米余という烈風に吹きまくられ、有肥田は見る影もなく撫 でつけられ、その中にあって自然栽培田は遠目でもくっきりと色鮮かに区別され、しかも皆誇らしげに頭を持ち上げておるのでございました。この毅然たる成育 状況に異口同音、感嘆する村人達はこれを通して何と覚られたのでしょうか。病虫害の発生も、台風の被害も、ただ偶発的被害とのみ思い続けて行くのでしょう か。私共は神様の御恵みと御示しを身辺に拝さして戴くのでございます。

           自然農法三年(無肥)   一般農法(有肥)
一、苗の生育状態   色鮮やかにして茎硬く、  青黒色を帯び、成育状況にムラ
           毛根太く頑丈である    がある茎軟弱にして徒長す、
                        毛根細く軟弱である

二、本田植付方法   長方形植に致しました
           横一尺一寸、縦五寸

三、田植後の生育状況 毛根旺盛なるため、活着  軟弱徒長、活着悪し、
           よく、順調に生長する。  植痛み多き為、予備苗を
           色は一時淡青色となる   置くのを通常とする

四、除草と手入れ   土軟かく(私のは家の都合 土固く(肥料は土を硬
           上藁一本すら入れておりま 化させる)雑草多し
           せんでした)除草し易く、
           雑草特に少し
五、分蘖(一株)   平均二十本位       平均二十二本位
六、出穂期      無効分蘖皆無       無効分蘖多し
                        約一割程度無効
七、一穂の粒数    平均百三十五粒      平均七十粒-九十粒
八、病虫害      皆無           浮塵子、白葉病、稲熱病、
                        発生少ない処で三割、
                        多きは八割
九、風害       斜傾れが五割程度     茎折れ多量 
  十月十四日   (特に昨年村人に糞     八割-九割の被害
  ルース台風    尿を撒かれたる五坪
           程の処は、はっきり
           と倒れておりました)
十、収穫       反収籾十一俵       反収籾六俵-七俵
           (平年作十俵程度)   (平年作十俵程度)
十一、品質      優良           砕米多し
           籾摺 玄米六割強     籾摺 玄米四割-五割
           味良く、有肥米と
           格段の相違あり

            (昭和二十七年一月二十二日提出)



ルース台風雨に倒伏せぬ稲作状況の報告

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    長崎県壱岐郡石田町石田東触
       南光中教会 竹松安雄(46)

 私は昭和二十六年秋、実際行った稲作自然栽培の体験並びに感想を御報告させて戴きます。
 実は自然栽培法の御教えを戴きました瞬間、脳裡を走った事は「作物が肥料なしで」と言う、申し上げるのも有難い言葉でございました。実際私共は肥料は人 間で申しますならば食物に相当する物で、作物の食物であると信じておりました。しかし、これも善い事と思えど悪い事でありまして、大自然即神様の御意志に 反しておりました。
 自然栽培法でありましたならば如何なる風水害及び虫害にも御蔭を頂ける御教えを賜わりましたが、私は丁度今年で三年御教え通り実行しておりますが、例年 通り私の稲は二尺五寸位で、色は黄色にて、上下畦一重の他人の有肥田は色黒々として、丈は三尺から四尺のできばえですが、色々な害虫ができ色々な薬剤を撒 布しながら「肥料も一銭がた(程)もやらず、ただ手を翳って何が出来るか、色を見ろ出穂前にうんだような色じゃないか」とか、「神様田じゃけん(だから) 虫はおらんとか、支部教会本部とか、旅行ばかりして何が出来るちうけぇ(ものか)」とか、色々聞き流しておりましたが他人の稲は穂も出揃わず、色黒々とし ていましたが、みな神様に御委せしている以上、刈取る時になれば善悪が分ると思いしところ、去る十月十四日ルース台風雨、一夜にして有肥、無肥の稲が立て 別けられました。有肥の稲は穂は出揃わぬまま、根から折れ込んで、藁は腐り、籾はもえて、後れ穂は青米ばかりで、その後小雨にて色々と近頃迄悪口いった人 は今度は「どうなるでっしょうなあ(でしようか)虫気しちょったもんじゃけん(あったものだから)大風でこっとり(ことごとく)やられて、籾は青芽切り、 藁は牛も喰わんとん(喰わないよ)」と皆掛声で話しておりますが、私の七反歩の稲は御蔭様にて台風前と変りなく、何と有難いことでしょう。有肥であれば当 然倒伏すべき稲に拘らず、倒伏致さなかったのは奇蹟でなくて何でありましょう。一見しますと直立不動の姿勢にて、黄金の波と申しますか、今日では早く刈り に来る様にと穂が招いているように思われます。自然栽培を知らない方は、今年の稲は虫害のできたのに台風に遭い、倒伏したと思っておられますが、明主様の 御教え通り害虫は肥料から発生し、肥料の種類が多くなったので虫の種類も多くなると御教示戴いております。私が今年の稲作体験致しました事実です。妻が便 所の肥の捨て場がないので、三畝位の田一枚を肥捨田として、植付前後にわたり担い込んでいましたが、出穂時期となるや、ウンカは勿論色々な害虫が大発生 し、二、三日にして全滅しましたので、神様にお詫び申し上げて焼却させて頂き、体験させて頂きました。今後便所の肥料捨て場は、山の中に井戸みたいに掘 り、捨てさせて頂くようにする考えでございます。
 私共農業者は偉大なる真理を明主様より御明示になられているのですから、その真理を大いに活用し研究して、発展へ発展へと進むことは私共の使命であると 考え、無肥料三年目の土地には色々と研究的に栽培法を実施しておりますが結果の御報告はいずれ又させて頂きたいと思っています。私の自然栽培もいよいよ当 地では注目の的となり、心ある者は随分注意深く見ておりますが、彼等もやがてこの自然の真理になびかざるを得なくなることも遠からず、この農業の一大革命 の山村僻地に迄知れわたり、一大飛躍発展することを期待しつつ一生懸命です。願わくば世の農耕者が一刻も早くこの偉大なる明主様の真理に基く自然栽培を実 施して大自然の恩恵に浴されんことを切望して止みません。色々と御守護有難うございました。
         (昭和二十六年十一月八日提出)



悪天候に強い自然四年の稲 町の供米一手に引受く

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    青森県下北郡大畑町東町
      十光中教会 椛沢熊吉(68)

 昭和二十二年十二月六十二歳の老骨に有難いお守様をお授け頂き、明主様の御教えのまま自然農法で全耕地、即ち水田一町一反、畑二反五畝を自然農法にて四 カ年実行させて頂き、ここに御報告申し上げます。昨二十七年度は天候のお浄化きびしく、当下北方面は有肥田においては種子もとれないほどの大不作で、大畑 区内は平均して平年作の半分位で反収六、七斗位でした。ところが自然農法の私のところでは、一カ所の四反九畝は水不足のため、土は固く割れ、除草もろくに できない状態で、前年度よりは少しおちましたが、他の方の六反一畝は前年度以上で、平均反収二石強で立派な出来でございました。そして大畑町の供米量の大 半を私のところで受け持たして頂き、郡内で一番先に完遂さして頂きました。そして町長より感謝状と記念品を供出者を代表して頂きました。明主様、本当に有 難うございました。今年度は五年目でもあり、より以上一生懸命に御教えのままに実行さして頂き、一日も早く迷い苦しめる有肥農家に目覚めて頂くように頑張 らして頂きます。そして食糧不足を一日も早く解決さして頂き、肥毒の入らないおいしい食物を鱈腹人々に食って頂きたいと思っております。自然農法を実行す ることによって農家は肥料代と手間代が省け、増収によって経済苦から解放され、その上子々孫々まで肥毒のない清浄な田畑を残さして頂けるのですから、この 上ない仕合せと歓びであると信じております。自然農法の有難さにただただ嬉し涙で一杯の私であります。昨年の九月九日には先生方の御案内で、青森県上北 郡、下北郡、大湊、三戸、田子、田名部、北海道余市方面、秋田県大館市方面から、本州最北端のここ大畑まで、自然農法四年目の水稲の成育状態を見学にお出 で下さいまして、本当に有難く衷心より御礼申し上げます。見学終ってから座談会に移りましたが、その時大畑町の有力者で、有肥栽培の篤農家吉田鉄之助さん がいわれるには 「今日、椛沢さんの自然農法の水稲を見さして貰って実に恐れ入りました。今年のように天候が悪いのに、畔一本隔てた隣の有肥田の方は半作 又は三分作であるのに、椛沢さんの自然農法は全然病気もなく平年作の倍以上であるのには全く驚きました。実は農林省統計局の金崎技官がこちらにおられた時 三カ年私に自然農法の話をすすめるのでしたが、私は 「無肥に有肥が負けてたまるものか」とつねに反撥し、いろいろと栽培方法を研究してやって来ました が、今日ただ今、全然無肥に及ばぬことをこの眼で見せられ、心底から兜をぬいで降参します。金崎様が今こちらにおられたならば酒を買ってお詫びするのです が、北海道に転任になられたのでいたし方ございませんが、早速手紙でお詫びいたし、私も来年(二十八年度)から自然農法に切り替えますから、皆さんもやっ て下さい」と、二度も三度も繰り返し繰り返し話されました。吉田さんは未入信ですが、私もこの話を聞いていて目頭が熱くなりました。明主様の御教えにござ いますように、世の中は善悪の戦いです。そして双方とも勢いを増し、しのぎをけずっている有様です。ところが明主様の御教えを実行さして頂くことによっ て、善が悪を救うことになるとはじめて覚らして頂きました。明主様、本当にありがとうございました。明主様の御教えはどこまでも自然でございますから、田 も秋うちがよいとの御教えに従って二十六年度には一カ所(田地は四カ所にわかれております)を何とかして秋うちしてみたいと思い、十一月末藁を切って、人 夫をたのみ秋うちをはじめました。その日の夕方は雪が降って、一枚の田はうち残るかと思いましたが、人夫の人達が頑張って下さいましてやっと打ち終らして 頂きました。それからすぐ根雪となってしまいました。その秋うちしたところが特別昨年度は成績がよかったのです。昨年度は全反別を秋うちの心組みで、半分 脱穀して藁を機械で切り、約半分の田地に入れて秋うちをやりました。後少し雪が降りましたが、残りを脱殻している中に雪も解け、十一月二十五、六日頃より お天気となり、この分では全反秋うちが出来ると思い、藁を切りながら人夫を雇い二十八、二十九、三十日と仕事して貰いました。三十日の夜はまわりの山々に は雪が降りましたが田園には雪がなく、十二月一日には 「人夫を二、三人増してやらないと、このお天気は待っていないかも知れないよ」と教えられて、人夫 を増してやりました。その日の夕方は非常に凍てつき、鍬に土が凍って固まり、仕事も出来ないほどでしたが、やっと夕方おそくまでに全反別を打ち起さして頂 きました。その翌日は一尺余りも雪が積り、とうとう根雪になってしまいました。二カ年とも秋耕ちが天気に恵まれ、人夫の方々も驚いておられました。明主 様、こうして未入信の人夫の方々にもお力の偉大さを感じさせて頂きまして本当にありがとうございました。数々の有難い御教えとお力の偉大さに、一人二人と 周囲がお救い頂ける姿にただただ感泣するばかりでございます。今後一段と罪をお許し頂き、地上天国建設の御神業に自然農法を通して御用させて頂けますよう に衷心よりお願い申し上げます。
       (昭和二十八年一月十五日提出)



たのしい秋

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

   愛媛県松山市吉藤町
      神光中教会 高田高一(40)

 明主様入信以来数々の御守護を戴きまして厚く御礼申し上げます。この度は自然農法によりまして大変な好成績を戴きましたので、謹んで御報告させて戴きま す。昭和二十七年五月十八日に名古屋より小牧支部の原田清子先生がお越し下さいまして色々と自然農法の尊いお話をいたして下さいまして、是非全面積切替え いたす様色々と御話し頂きましたが、私は何だか不安な気持でございました。色々考えた末一切を神様にお任せ致し、全面積四反三畝を自然農法に切替える事を 先生と約束いたしました。
 まず地ごしらえをいたし、苗代に種を蒔きましたが、苗の伸びは悪く、有肥にくらべますと惰ないくらい小さく、近所の方達からは笑われ、ともすれば私も不 安になり無事植出しができるだろうかと心配し、『栄光』新聞を読み先生に色々とお尋ね致しては一心に明主様にお縋りいたしておりました。いよいよ田植も近 付きましたが苗は小さく、とてもくくれそうもございません。私は毎日苗代に行っては一心に御浄霊を続けました。近所の方は蔭で笑っておりましたが、「今に 見ていろ」と思いつつ、それでもおかげでやっと苗はくくることができました。田植の折に根伸びのよいのにはびっくりいたしました。
 だんだんと日がたち有肥の田は青々と伸びますが、私方の田は黄色にて近所の人達の笑い種になり、中には親切そうに肥料を勧めてくれる人もありましたが、 かねて先生より聞いていた肥毒の浄化とはこの事じゃと怯えて御浄霊いたしました。八月に入ってやっと伸びるのがわかって参りました。稲も有肥とくらべます と大変に固く丈夫です。二十七年度は有肥は二化螟虫、三化螟虫と次々に害虫が湧き、消毒をせよとて、やれG・S、チャレホリドールと大変なことです。私方 の田も二化螟虫が少しありましたので船橋先生におたずねいたしたところ「消毒は悪いからぜったいやらない方がよい」とのお話にて止めました。いよいよ秋に なり、実が色づいて来ました。有肥の田は白いような色にて大変悪いのに、私の田は本当に黄金色といいますか、近所の人達も「お宅の稲はきれいだ、虫の気が ない」と人目を引くようになりました。有肥の方達が高い肥料や消毒をしてかえって虫がわき、消毒をしない田がかえって虫が少なく、明主様の御教えの通り肥 料の毒の悪いことをはっきり分らせて戴きました。取入れも始まり、刈取って見ますと籾のきれいなこと、有肥の方達がびっくりいたし「お宅はきれいな籾だ」 と今更のごとく驚いています。籾も昨年ほどあり、付近の有肥田はよいところで七俵半、八俵はまれで、悪いところは五俵位です。私方も籾摺りをしましたが、 どうでしょう。お米のきれいなことお手伝いの人達はこれはきれいだとほめてくれました。籾摺りも終り調べましたところ一反八俵ありました。その時の嬉しい こと、ただただ嬉し涙にむせび、早速御神前にぬかずき明主様に御礼申し上げました。いよいよ供出に出すべく検査を受けましたところ、有肥の方達は四等米又 は五等米でしたのに、私のところだけ全部三等に通りました。重ねての御利益にただ感涙いたすのみでございました。この上は御恩返しの万分の一にもとどきま せんが、一人でも多くの方にこの尊いお道の教える通りの方法をお伝えさせて戴きます。どうか農家の皆様、一日も早く高い肥料をやめて自然農法に切替え致さ れますよう、農家の救われる道はこれ以外絶対にございませんことを私は申し上げたいのでございます。私の思うことの万分の一も書けません事を残念に思いま す。明主様誠に有難うございました。御礼申し上げます。どうか今後共宜しく御願い申し上げます。
         (昭和二十八年一月二十六日提出)


虫害皆無 超々過供出で村一番イモチの被害に嘆く“有肥耕作者”

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

     富山県下新川郡五箇庄村
        神明中教会 長井源二(31)

 私は昭和二十三年五月入信させて戴き、その後身に余る御守護を賜わり、日夜感謝の日暮しをさせて戴いております。
 入信当時自然農法の御話しを拝聴いたしましたが、(二十三年は当地方は早場米地帯なるためすでに四月上旬苗代実施済)翌二十四年より、全耕地一町二反余 りを自然栽培に切替えさせて頂き、その間数々の御守護を賜わり、特に昭和二十七年度は当地方の悪作にも拘らず平年作(反当約二石四斗)の収穫を得ましたこ とを、ここに御報告申し上げさせて戴きます。
 昨年は私共の区域は、県下でも最悪のイモチ被害をうけ、平年作の八割減ないし三割五分減(当局調査)の悲惨なる状況にて、供出どころか自家保有米すらこ と欠く農民もありました。一般は不作のため、当然供出の減額補正の止むなきに至り、従って農家経済難は益々増すばかりであります。
 御教えにより、自然栽培を実施いたした田は、殆んど被害はなく(但し例年よりシイナが多かった)村人達は立止って手に穂を持って見る人、私達にいろいろ聞く人、全く村の折紙付となり、注目の的になりました。
 おかげ様で私達は早期に予想で昨年より控目に供出をいたしましたところ、村当局の割当以上となり、超過供出のその又超過供出七石余りという村一番の絶大 なる成績を上げさせて戴きました。明主様の御構想であらせらるる地上天国建設の万分の一なりとも御手伝いさせて載くと共に、入信者、未入信者の未だ実施な さっておられない方々に、現実に絶大なる実演を挙げました自然農法こそ、農村天国化の課題でもあり一大福音であることを声高らかに世の人達に切望してやみ ません。
 以上拙文ながら実績の一端を御報告申し上げます。
 明主様御守護有難うございました。
       (昭和二十八年二月十三日提出)


十数日の冠水のもめげず有肥の二倍の御恵を頂く

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

     岐阜県本巣郡穂積町
        清霊中教会 広瀬真行(44)

 当地は国鉄ほづみ駅を中心に南北にまたがる村でございます。当地方は全国的に有名な紫雲英(レンゲ)種の産地で、終戦後食用菜の栽培と麦作で、全村二毛作田が多いのでございます。
 二十七年度の自然稲は植付直後十数日間冠水した為、収穫皆無と思うほどでありましたがその後の天候に恵まれ、少いながら穫入れさせて頂けました事を感謝 いたします。私も自然栽培四年目、お蔭様と父が丈夫に働いてくれますので、私はほとんど父と子供に農業をまかせ、自身は中国、四国地方へ出張させて頂き、 僅かに帰宅の折に手伝う程度でございます。有肥の方では天候回復と同時に、速効肥料を施されたことと思いますが、私はただ耕起の際、切藁を入れたのみでし た。全耕地一町二反、平均六俵強の御恵を頂きましたが、有肥の方では三俵半平均位のもあったかに聞いております。有肥の方では水害と初秋の虫害でお気の毒 な有様だったのに、自然栽培なればこそと思います。殊に一毛作田は七俵の御恵を頂き、今後は一毛作でなければだめだとはっきり御教え頂きました。ところど ころ方々で多くの収穫を聞かされ恥ずかしいように思っておりましたが、立春祭の節御参拝、明主様の「有肥の倍くらい取れるのだ」との御話にこの地方として は約倍の収穫を得させて下さったことに気付きおくれて申訳ありませんが、ありのまま御報告させて頂きます。明主様御有難うございました。
       (昭和二十八年二月十日提出)



(ニ)私は無堆肥でやった

 最も悪いのは稲田に草葉を入れる事で、これは断然廃めた方がいい。(『栄光』一九八号)
 藁を使うのは土を温めるためで寒冷地には使っていいが、温暖地には必要はない。(『栄光』一九八号)



自然栽培四年にして自然堆肥さえ不必要になる

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    静岡県小笠郡土方郡
       英祥中教会 楠ケ谷辰男(42)

 私は永年の胃病を癒され入信の御許しを戴き、その後七カ年の数々の御守護を謹んで御礼申し上げます。数年前自然農法の御教えを戴き、神様の御守護を信じ ながら一方既成観念に捉われ、当時は大きな不安と恐怖を抱きながらも実行させて戴き、想像だに及ばない御守護を賜わり御詫びと御礼を申し上げます。実行さ せて戴きましてより四カ年、年毎に大きな御恵みを戴きましたが、昭和二十七年度の水稲実況を御報告申し上げます。まず苗代状況から申し上げます。「年を重 ねることにより肥毒も少くなり藁さえ入れることも不必要となる」との御教えを戴きましたので、昨年は土も大変軟かくなりましたので何も使用せず、そのまま 整地し播種致しましたが、その後の生育状態は何等変化なく、ただ幾分黄色(有肥田より)を呈しておりましたが、例年のことにて何等気にもせず植付期となり ました。分蘖もよく三本程度で特に苗の硬いのには驚く外ございませんでした。
 本田にも一本の藁も使用せず、六月十日無事植付を致しましたが、その生育状態は周辺の有肥田にも決して劣らない出来でございました。病虫害も心配する程のこともなく収穫期に入りました。次に調整実収を記さして戴きます。
 一、品種 大正赤穂(四カ年連作)
 二、苗代 (イ)水田苗代(ロ)播種量 坪一合(ハ)反当苗代面積十三坪
 三、植付 正方形(九寸)植 植付本数一本
 四、中耕 二回
 五、分蘖 十八本ないし二十本
 六、玄米一升重量 四百十匁
 七、反当収量 八俵三斗
 右のごとき結果となりました。当地方有肥田の反収は七俵半でございました。
 少しの堆肥、一本の藁さえ昨年は使用せずこの収穫を見ました時に、肥料の必要性なぞ何をかいわんやであります。これによりなお一層意を強くいたし、労力も次第に減ぜられ、こんな天国的農業法はないことを実証させられました。
 いよいよ強い意志をもって皆様に一日も早く御解りなられます様に努力させて戴きますと共に農業の革命を叫び、明主様の御心の一端にも報い奉りたく、謹んで御守護を御願い申し上げますと共に、この御恵の御礼御報告を申し上げます。明主様有難うございました。
       (昭和二十八年二月十六日提出)



堆肥を入れぬ田が最高の成績

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    埼玉県北葛飾郡松伏領村
       宝生中教会 山崎東一(54)

 謹んで自然栽培二年目の結果を報告させて頂きます。一昨年一町三反歩余全部切り替えまして、思ったより良い成績を戴きまして、昨年は自信をもって実行に 当りました。私のところは人手も無く、実労働人員三名でして、その上田圃があちこち広範囲にわたっておりまして、思うような手入れも出来ず、全くの無肥栽 培も三反歩程ありまして、その外は藁少々と御教えに反して生草を反当五十貫程入れました。一年目より苗代も順調に進みまして、植付後も順調に成育しました が、意外にも当地一帯にわたり病虫害発生致し、一般有肥は一昨年より一俵半より二俵位減収しましたが、お蔭様にて早稲にて四俵半程ありました。一般有肥は 三俵から四俵止りでした。早稲は病虫害後の立直りが遅れました関係と、期間が短い故少なかったように思われました。
 中生種は六俵程でして、最高七俵半程あり、平均して五俵半程ありました。有肥ですと平均五俵位でしたが、御蔭様にて有肥を上廻る成績を頂きまして誠に有 難うございました。明主様の御教え通り藁や草に頼ってはいけない、ありのままの自然で、無理して堆肥等入れる必要はないとの御言葉通り、全然入れない田圃 が最高の成績を納めさせて頂きました。又、水田は水稲一方だけ耕作すべきだとの御言葉に従い、一毛作田に切替えますればなお一段の成績が上るものと思われ ます。本年こそは一毛作田にて完全な耕作をさせて戴くべく準備致しております。何卒御守護の程お願い申し上げます。
          (昭和二十八年二月十六日提出)



(ホ)迫害を乗り越えて

 事実自然栽培にした最初の一年目は葉は黄色く、茎は細く、余りに貧弱なので、付近の者から嘲笑慢罵、散々悪口を叩かれ、中には忠告する者さえある。(『栄光』一九八号)


水呑み百姓の救わるる道は唯一つ

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    宮崎県宮崎郡清武町
       光宝大教会 長友俊幸(26)

 水呑百姓の名に洩れず、過ぎにし貧乏の明け暮れは、夢多き青年の前途を真暗くしました。耕作面積の狭い上に相当の肥料代を支払っていきますと、食べるだけが精一杯、来る年も来る年も同じようなことの反覆でございました。
 敗戦と言う冷厳な事の前には「兵隊で飯を食う」とひそかに抱いた希望も、無惨に打ち砕かれてしまったのでございます。いかにして、と日夜悩み続けた私でございましたが、妹の蓄膿症でお蔭を戴き、それに刺戟されて入信さして戴いた私でございました。
 その頃はまだ日本浄化療法と言われていた頃で自然農法の事を御教え戴いておりませんでした。暫く経って初めて御教えを戴いたのでございましたが、観音教 を極端に嫌い「そうしたことをするなら叩き出す」と父が申しますので、是と信じながら我慢してひたすら時期を待ったのでございます。と突然父が他界しまし たので、母にもよく話しまして、遂に心に画いていた無肥料栽培(自然農法)の試作を麦から始めさして戴いたのでございます。「そんなことをして出来るはず がない」と言う母を辛うじて納得させて播種したのでございましたが、例外なく発芽した麦は真黄色です「火を点けたら燃えるだろう」と聞えよがしに語り合う 村人達「迷信邪教に踊らされる大馬鹿者が、正手には二人いる」(一人は支部長の長友先生のこと)酔ったまぎれに家の前でどなられたり「お前のような不幸者 はおらんわい、六十になった母を干し殺すか」等と言われますと、ああこれに一握りの硫安を撒いたら、とどれ程思ったか分りませんでした。「穂が出るもん か」「気が狂ったんだろう」「どら息子」「馬鹿たれ」と罵倒された私でございました。でも私は頑としてそれに応ぜず、必ずやり遂げると固く心で誓いまし た。先駆者は叩かれるのが必定、道なき道を踏み分けて進む身には荊あらん、葛も絡まん。でもでも御浄霊の神秘を体験さして戴いている私には、御守護により 何物をも恐れざる安心感を戴いていたのでございます。
 生きとし生けるもの皆に、御恵を給う神様であらせられるのだもの、農作物にも、ちゃんとお蔭が戴けると御教えを戴いているのだもの、必ずや神秘のあろう ことは信ぜられました。もし私が御浄霊の奇蹟を体験さして戴いていなかったら、そして又会長先生並びに先輩諸先生の御激励を賜わらなかったならあるいは私 のこの壮挙は挫折していたかも分りません。かくするうちに容赦なく日は過ぎて小さな麦が穂を出しましたが「肥毒(酷く)やられた」と長友先生が笑わせられ ました。「雲雀が寝て食うわ」「扱ぐ」ことも出来んわ」と人から嘲られたのでございました。なる程人様の半分も穫れないのですから言われるのも無理ありま せん。でも前途には燦々たる光明がある「三年先を見ているがいい」と何の悔むところがありましょう。ひたすらに明主様をお念じ申し上げ、土地の御浄霊を怠 りませんでした。「雲雀の寝て食う麦」の噂は次々に飛んで、遂に私は村一番の大馬鹿者にされました。「馬鹿でもいいさ、沢山とれる様に努力研究するのが馬 鹿で、肥料代稼ぎの百姓に右へならえするのが利口なら」と、私は馬鹿の尊称を笑って受ける程、心は落ちついて来た自分を見出して嬉しく思いました。「道端 作人」と言われただけに、父は稀代の負けず嫌いで、道路に面した田園には夜間に、金肥、人糞等をまき散らしたもので、それに対する肥毒の浄化は特に激しい のが当然でございます。
 いよいよ稲の試作となりますと、麦に懲りた母は私の壮挙を思い止らすべく、泣いたり、怒ったりして諌めました。あまり度々のことでございますので申訳な くも母と口論し、家を飛び出すとまで言い放った私でございました。しかし「るな三訓」を思い出したり、あるいは又「如何ならむ事も耐へて時を待つ」の御歌 を思い起して、涙をのんで我慢して来たのでございます。「お前はお母さんが可哀相だと思わないのか。苦労してミルクで育てて貰ったこと等も知らないで」 「思います。だから早く沢山穫れるような御蔭を戴いて、一日も早くお母さんに楽をして戴きたいからこそ、馬鹿と嘲られながらも屈することなく一生懸命に なってやらして戴くのです。これは決して自分一人で発明したものでなく、神示により、明主様が理論的に我々にまで納得のゆく様にお諭し下さったもので、少 しの嘘もなく数多くの体験者もあり、確たる見透しがついていればこそ決行できるのです。黙って任せなさい。私ももう子供でもない。男一匹親を食わせずには おかないから」と母の進言を退けてまいりました。稲作は麦のような見苦しさはありませんでした。「昨年の肥料が残っていたからだ」と、その結果をうやむや に葬り去らんとする村人達の卑劣さよ、生育期には何と言った、植付けの苗を何と言って笑ろうた、三年目より本格化すると微笑しながら、じっとこらえた私を 何んと罵った。でもいい、私は私なりにこれと信じた道を歩くのだ、と戻しながら土地の御浄霊を継続したのでございます。『無肥料栽培』のプリント『自然農 法解説』と次々尊い御本を辱(かたじけの)うし、自信満々真理遂行に黙々として驀進致しました。ああ、かくして三年「なよなよと遠き黄金のうねりかな」誰 が詠んだか豊穣の秋を称える名句、ああその中に更に又一際目立って一区を画す曲線は、私の自然栽培田でした。
 収穫間際、突如として南九州に上陸したルース台風は五十米の速さで猛威を振い、倒壊家屋までできた程でございました。嵐の後の静けさの中に何事もなかっ たようにしているのは、私の田園でした。「あたりめえだよ」「俺らの田圃は明主様の御守護があるんだもの」「明主様のお蔭」と立札でも立てておきたい衝動 をじっと抑えつつ合掌し、御礼を申し上げた私でございました。「天然色の写真に撮りたいね」と仰言った坂井満之助先生のお言葉が真に有難く、明るく、私の 耳に響きました。「泣くな」と教えられても涙は溢れます。幾重にも幾重にも厚く厚く御礼を申し上げます。悪口言うた人達の推薦で品評会に出す筈のところ ルース台風で他の稲が全部倒れましたので、比べる相手がなく出品不能となりましたことはかえすがえすも残念でなりません。私の稲は予想を上廻る収穫で、ま だほんの一部しか扱(しご)き落してはおりませんが、昨年より籾一俵の増収でございます。
 泣いて欺いた母の顔も晴やかです。「無肥料で出来たら首渡す」と言った人々の首も、まだ、あずけたままでございますが、あれ程悪罵雑言を賜わりながら 「それみたことか、いい態だ」とは信仰者として私は言わないのでございます。「一日も早く目覚められ幸福者となって戴くよう念じて止みません」。小学を出 たばかりの百姓のせがれであり、二十六歳の若僧だから、ああ言った手前真似するのが「てれ臭い」と仰言るなら、大いに考え直して戴きとう存じます。私は悪 口雑言の代償を求めてはおりません「道の為世の為人の為のみを時非おもふ真人」たるべく懸命の努力をさして戴くのみでございます。
 どうか皆様、現実をもっと直視して下さい。少しでも早く、幸福になって下さいと、結果を通して皆様に叫びたいのでございます。「三年経てば吸収されていた肥料が無くなるから減収する」と仰言った人々の理論は考え直す必要が起ったのでございます。
 「事実」、「事実」程正直なものはないはずでございます。百姓も何時迄も百姓でなく、二百姓、三百姓にならなければ生涯幸福と言うことは考えられないで はありませんか。徒らに税金と肥料代稼ぎの労働に水呑百姓に甘んずる事なく、地上天国御建設の大理想に参画さして戴こうではありませんか。
         (昭和二十六年十一月二十一日提出)



嘲笑に堪え努力の二年間 ついに凱歌を挙げ得た自然農法の体験

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    長野県下伊那郡大下條村
       神成中教会(報告者)唐沢康隆(25)
            (実施者)木下良平(25)

 昭和二十六年十二月九日、この日こそ私達にとって意義深い運命を決する日であった。それは待ちに待った、年に一度の農芸品評会である。会場正門に立て掛けられたその立看板に私達の胸はいやが上に高鳴る思いで一杯です。
 真に私達信者は苦しくも長かった病床より尊い御力に救われた上、又重ねて自然農法の偉大さを覚り得て、今日ここにその成果を郷土の人々の前に実証する喜びと、そして誇りに思わず同志の人々の顔も共に輝く様子です。
 顧みれば、三年前より小さいながら次第に実成績を挙げつつある同志の者と相計り、郷土の人々に金肥農法の余りにも労多くして効すくなきを覚って頂くべ く、誠意をもって当るならきっと村人も沢山共鳴してくれるものとまず言葉による宣伝と計画し、その第一声を昨年の春三月、大下條村公民館に多数の参会者を 得て開催致してより、各村において幾度かの研究会を重ねましたが、村人達は意外にも殆んどが、「金肥をやらずに獲れるなんて信じられんなー」とのささやき が起り始めた。「理論的には信じられるがどうか」との声「要は実行です。一坪たりとも実行して見て下さい」と力説した。しかしその結果は誰一人として試作 して見る者さえもなかったのです。私達の勇気も希望も失いそうで毎週集るその研究会にも会員の顔色は全くなかったのです。そこで、「良いことでも言葉だけ で納得させることは中々至難です。お互に協力実行して事実に依って証明し、村人に理解して頂く以外に道はない。皆様もっと頑張って下さい」と力強く諭して 下さった原先生の声に一同は顔見合せ無言の誓いに頷きあった。そしていよいよ昭和二十四年春の来るのを待って新発足をしたのでした。信者の中にも家の人の 理解が得られず、全員とはいかぬが、木下さんと小林さんは耕地全部を切替えてその準備に取りかかりました。「我々少数なり共一体になって行こう」と誓い合 い、自然肥の準備に整地に自他の別なく手伝い、先生も御浄霊の合間合間に、草刈りや馬耕に、又田植等に協力致しました。
 しかしその稲の生育中の状態のみじめさに自分達が度々溜息する始末で、全く六、七月の生育状況は村民の嘲笑の的となり、果ては村農業協同組合の心配の種 とまでなり、木下さん宅に詰めかける技術員は、「こんな稲では半作もむずかしい。早く肥料をやり給え。君達は食べる物さえなくなるぞ」といっておりまし た。村民達は「可哀相に、邪教の狂信とはあんなものだ」と嘲弄しました。
 明主様には申訳無いが、私達もいささか不安で、毎日眺める稲面も一向に良くならず、お互に悲観しておりました。この上はひたすら神様にお縋り申し上げる外無し、と唱え始める善言讃詞の声は寂しく夏空に流れて行きました。
 色は黄色く草丈は短かく分蘖は少く稲は一入哀れに見えました。「しかし私達には神様の御守護が必ずある」そう思って見直すと小さな稲にも何と一種の輝きを増した感じがします。「人事を尽して天命を待つ」これで良いのだ。との先生の声に皆も元気を取戻すのでした。
 そんな皆の一喜一憂を余所に、日を経て八月に入るや次第に色も出、丈も伸び、欲目なのかどうやらちょっと小さい恰好が世間並の稲らしくなって来ました。今更ながら神様の御守護には誰の胸にもほの温い喜びが湧き出る思いで、秋を迎えました。
 その穫入れは信者達平均一割の減収では有りましたが、立派な成績となって現われたのでした。
 あの可憐な茎の一本一本が、恐ろしい肥毒と闘いながら、その生命力を半ば失った土よりかかる偉大なる収穫を挙げ得て一同喜びに浸ったのでしたが、この事実も村民達には「普通作より減収」の言葉に葬り去られて仕舞いました。
 しかし私達はよし「もう疑うことはなし」来年こそは「素晴しい成果を挙げて見せよう」と誓い合ったのでした。
 かくして二年目を迎えた自然農法の結果は明主様の御教え通りとなって現われ、「十二月九日」今日こそ大衆の前にその成果を知らす時となったのでした。
 場内は村全体より出された収穫物に見入る人々で一杯でした。しかるにその中に、輝く様に目にとまった金紙の「一等賞」の三字でした。凝っと眺める私達の 背を叩く村人の一人「お光様が一等だね」「大したものだ」等の声を背に眺めれば、村全体にただ一つただ一人のみが金賞を獲得したのでした。最終日に村民代 表として、「褒賞」を受け、答辞を述べることを命ぜられた木下さんは、救世教を代表するかのごとき感激をもってその責を立派に果したのです。
 長野県農業協同組合下伊那支部長より送られた数々の賞品を前にした私達は感無量でした。そして教会の大光明如来様の前にその賞品をお供え申し上げ、今こそ声高らかに善言讃詞を奉唱致したのでありました。
 この事実の前には村人達も遠からず目覚める時が必ず来ることと信じております。
 今冬はこの実績を持って布教の御手伝いをさせて頂くべく大いに張切っております。
 明主様この様な尊い御蔭を頂きました事を、一同謹んで御礼申し上げます。
     (昭和二十七年一月七日提出)



大自然の偉力 穂に穂が咲くこの事実

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    栃木県河内郡横川村
       信愛中教会 福田熊次郎(45)

 ここに私が自然農耕法を営みおりまする近況を御報告申させて戴きます。
 私は今日迄農業栽培法に一大誤謬の潜在を痛感し、近き将来に農業の一大恐怖時代の切迫を覚り、大自然の偉大なるを農業指導者並びに農民諸君に一言を呈す る者であります。さて今日の生産不振の原因たる病虫害がなぜ起ったか、今こそ一歩も二歩も深く掘り下げて検討に検討を加える必要に吾々は迫られている。生 産の不振は独り化学杷料の使用労力の不足が原因でございましょうか。又一面病虫害はなぜ起って来たか、これも独り気候の異変ばかりが原因ではない。今日迄 長い間病虫害の予防に消毒にも努力を傾倒して来た。だが果して完全に防ぎ得たでしょうか。依然として病虫害に悩まされている現状ではないか。なぜ吾々は今 日迄この大きな欠陥に疑いの目を向けなかったのであろうか。余りにも盲目過ぎる吾々であった事を今更ながらあきれるのである。私の現在営まして戴いている 自然農法を今日現実の効果の前に一入声を大にして叫ばなければならない事がある。私は明主様の御教えによる自然農法を行い、初めて今日迄の農業栽培がいか に大なる誤りであったかを覚ったからであります。化学肥料が人糞尿が、化学という理論の裏付と相まって一時的著効があった。その一時的著効の前に吾々は眩 惑されて来たのである。右の結果として土壌の力は衰退し、肥料中毒を起し、年々肥料を多く施さぬ限り減収という悲惨なる憂目に遇って来たのであると。
 もし自然農法が.今日迄の化学肥料も薬剤も人糞尿をも用いずして増収を得るとしたなら、否増収を得るのであるから、これに勝るものがどこにあるでしょう か。当事者は検討を加えるべきが当然である。それなのに世の中には実に想像に絶する奇蹟あり科学あり、又空想の実現もある。今後、今日の世を荷負うところ の世人にして右の実態をも検討もせず、一笑に付して白眼視して置いて良いでしょうか。宜しく検討に検討を加えて吟味すべきだと私は思います。時代は刻々日 に月に進み、進歩発展を遂げつつある。発展を重ねつつ今日の科学文明は生まれたのである。勿論それには破壊と創造とが繰返されて来た事は言うまでも無い が、作物の栽培は特にしかりであると思う。今日迄長い間、化学肥料に消毒剤の使用にと研究を尽して来たが、果して増収を得たでしようか。よしんば又増収を 得たとしてもその反面いかに大きな犠牲が払われているか実に測り知られないものがございましよう。それには膨大な国費と大多数の人費を使役して生産された 肥料を消化する事において、農業者の経済負担は実に大きく収穫の幾割をも消耗している事実である。もし一割の増収を得たとしても二割の消耗をしたとすれば 何の利益があるであろうか。即ち骨折損と言うだけの事でございましょう。ここに明主様御指導の下に幾多年の研究と実地施行により、増収の確証を握り、発表 なされたる自然農耕法を行う事により、増収を得るとしたら、世の皆様方は何れを御選びするか、判断の余地はありますまい。
 いよいよ私が自然農耕法栽培実施における体験心境と成績の一端を申し述べさせて戴いて今後の農業栽培に些かなりとも稗益するところがありますれば幸甚と思います。
 私は自然農法の偉大なる御教えを中教会長先生より承り、人体の病源は薬毒にある。その原因は即ち農作物に含有せる肥毒に依るものが、如何に吾々人体に悪 髪響を及ぼしているかということと、それをなくすには自然栽培に依り、最も清浄なる作物を作り、多くの人達に食わせることが即ち一般社会の人々が幸福を得 られ、肥料無くして増産を得、美味であるとのことを教授され、又教師達の指導のもと自然農法実行を決意しました。そうすれば今日のこの食糧不足問題を解決 出来得るということが、再建日本の前途に如何に大なる光明をもたらすかは表現の仕様もないでありましょう。しかも労力は半減するし、世界的有名な日本農民 の労働過重も一挙に解決するのみか、肥料代その他薬代の経済も加わる以上、農村の一大福音というべきでございましょう。
 それで私は二十四年麦作の栽培より始めさせて戴き、昨年は全耕地を自然農法に捧げさせて戴きました。私の耕地は水田二町一反二畝歩、畑地七反六畝であり まして、妻と息子(長男二十一歳)の三人に依る経営にて、家族は十二人の大家族でございます。それで皆入信教修も受け、尊き大光明如来様をも御奉斎させて 戴いております。
 土地は村最低の耕地にて、村平均一石六斗七升にて私の土地は村最高の反当二石五斗の割当でございます。これには深き感情問題もありますけれども、ここに ては発表をおゆるし下さいまして御想像下さい。しかし御蔭様にて初年目は平年作は獲らして戴きましたが、初年度でさえも平年作の御利益を戴きました事は、 これ即ち何でありましょう。自然の偉力に外ならないではありませんか。それにもかかわらず、神を信ぜざる指導階級にある者、一般農民は信じようともせず、 「土地が良いからだ」「前年の肥料があったから」と言うて一笑に付す者、かつ又邪教だ迷信だとののしるごときに及んでおります。
 私は「世の人よ笑う者は笑え、今に分る時期が来る」と言うて益々一大奮起してやっております。たまたま自然農耕法座談会が開催されましたその結論として 「農村の合理化は現在の畜力のみにては望まれぬ、一歩飛躍的に機械化でなければ合理化は計れない」とのことで私は一大心境の変化を見出させて戴きまして、 これが本当の農業であると痛感致し、初めて光明を見たる心地が致しました。それで昨年暮長年家族として親しみ飼育せし馬を手放しまして、機械化に依る経営 トラクターを購入致しました。なんせ農事一切トラクターにて行うことでありますから、無経験の私等にも並々ならぬ苦労と努力がございまして、水田代掻の場 合本当にこれを使用せる者は僅少とのことなのに、私如き者にて易々と使用部品農具一切私等の考えせし農具を製作し、水田作業に馬の半分労力にして、つつが なく田植を終了させて戴きました。その後は運搬作業にも使用致し、馬が無きためか衛生的に良く清潔なることこの上もありません。作物に就いて申し上げます れば、本年は本当に自然のみの堆肥にして他の不浄物一切使用せざりしに、なんと形容して良いか言うに言われぬ自然の形を現しております。集団浄霊も四回程 奉仕させて戴き、日に増して黄金の穂波が頭をたれつつあります。
 しかし「自然栽培はだめだ」と見極めもせず否定して私をして止めさせるべく、村の有力者、農業委員の方達が、「救世教は邪教である。自然栽培は世の為に も不利益だ。営農視察だと言うて見学に行って批判をして考え直させて仕舞おう」と、村農業委員会席場にて合議し、「去る九月三日に訪問するからお家におら れる様に」との通知を受けましたので、私は「それは良いことである、皆さん方是非大勢御出下さる様に」と連絡を取りました。村長以下八名の名士のみ御出を 下されまして稲作見学、各人共に「稲は病虫害がないから立派であるが分蘖が足りない、本数が少い」と言うておられました。水田全部視察は終り、一時家に着 いて座談会を催す如く出て来ましたけれど、一人として自然農法の真理を聞こうとする者無く、ただ「肥料を施行すれば分蘖もあるから収穫は多いだろうから使 用したらどうか、宗教に依る農法は考えられない」と邪教の如く解しておりまして、私の話なんか耳にしません様でございまして、私が多年精農家として指導さ れて来たにも拘らず又村の要職を捨てて今日の農法を経営せりという事は、今後研究の余地あり、お互に努力と研究の為合いましょうとの結論にて話は打切れま して、委員会の合議の如き批判も行わず、帰宅し様との気配なので私が何か一つ皆さんにショックを与えておこうと思い、気付いたことに「皆さん昔から歌にも 御存じの如く、稲にも穂に穂が咲くという事がありますが、皆さんにはその穂に穂が咲いた稲を見たことがありますか」と申し上げましたとおろ、委員の一人が 申すには「それは本当にあるんだ、たしか穂の先に五、六粒位の粒が枝状に出て熟ることだろう」と言われました。外の者は皆「見たことはない、どんな風にな るのか、それさえも知らない、知っているなら教えてくれ」との一同の言葉でした「皆さん本当に見たいという気持があるなれば御見せもするが、笑草の様なこ とでは教えない方が良いでしょう」と申しますと「是非見せてくれ」と言うて吾先に田圃に出掛けて稲を手に取るやら、かき分けるやら大変な様子でございまし た。私も「それでは御見せ致しましょう」と皆に寄って頂き、一本の茎の中節より節が出て見事に穂が出ている稲を取って来て「これが穂に穂が咲くと言うこと にて、他の有肥田におそらくありますまい。これ即ち奇蹟と言うものですよ、自然に出来たと言えばそれ迄だが神秘でしょうしと言いましたところ、皆驚きの面 相して「これ迄何十年農業を営んで来たが、こんな事実を見たことは初めてだ」と申して帰られ、中には一本皆の者に見せるんだから戴きたいと持って行って村 の者を集めて見せるとの事でございました。
 しかしこのことが村から村に及んで二十日は今度食管法が改正されまして、米の時後割当になりまして、立毛検見として私の村に調査に二十人程来られました が、第一番に私の稲作を調査して、右に申し述べた如く穂に穂が咲いた稲を見て皆々顔を見合せて驚歎するのみでした。委員の一人が「これは普通ではない、一 応県庁に報告するから御了知を願う」とのことにて、他の立毛から調査致しました。これは本当に今日ありし近況にしてありのまま事実を申し上げたのでござい ます。
 農村の改革合理化を計るには信徒が打って一丸となって自然農法に御奉仕が出来ますればすべての点において農村の改革、将又病貧争の絶無、理想世界、農村 天国化と御示しになられ給う明主様の報恩の万分の一にも報ゆる事が出来るではありませんか。御考慮をお願い致します。又神を在ると信ぜざる無神論者よ、百 聞は一見に如かず、一度見て始めて実行にまつのみでございます。
 嗚呼自然の偉大なる力!
 私は声を大にしてさけぶ者であります。甚だ乱文乱筆にて近況報告を申し上げて筆を止めさせて戴きます。誠に明主様有難うございました。
 (付記) 反当収量、平均
  二十五年度  二石五斗  平年作
  二十六年度  二石八斗  三割増予想
             (昭和二十六年十月八日提出)



“五割減収”と新聞にたたかれたが

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    富山県婦負郡四方町
       大光中教会 長岡征次郎(55)

 今を去ること四年前の私は、迷信の何たるかを存ぜず、まして祖先伝来のこの腕に迷信のあろうとは露知らず、村の中でも農事の世話をする顔役でありまし た。しかるに御守を拝受しておもむろに承る中教会長先生の御話は、誤まれる肥料迷信の懇切なる御救いでありました。あまりにも偉大なる哉、神示の農法!  かかる食糧難の今日を一挙に解決せしむる事の緊喫と、迷信のいかに大きな罪悪であるかを初めて知らされ、神様の御経綸も分らせて戴き大いなる転換期に臨 み、御詫びと共に御神業の一端を御用させて戴こうと思い、入信と同時に、全耕地二町歩を直ちに自然農法に切替えました。富山支部の清水先生からも細部に亘 り色々と御導きを戴いてお聞きしていました通り、最初はよく浄化をいたしておりましたが、稔りの時期ともなれば、百姓の迷信を笑うかの様に、黄金の波は本 当に夢のようで、世にも不思議な御蔭を戴きました。一般有肥にまさる見事な出来栄えで、思いがけない初年度の好成績に中教会長先生からは特に御褒めを戴 き、清水先生始め信徒の方達も殊の外喜んで下さいました。明主様謹みて御礼申し上げます。
 昭和二十五年度より全田地自然栽培に切替えさして戴いてより、二十六年度も段々と増収を重ねさせて戴きまして有難うございました。
 昭和二十七年度の御利益を御報告申し上げさして戴きます。当地は裏日本で寒冷のため、他地方と比べれば、昔から特に沢山の化学肥料を施肥して来た所であ ります。所有耕作田が二町歩の内、良田・悪田の区分別にみますと、良田が八反歩で、反当り三石でありました。一般有肥の方達は反当り二石三斗という作柄 で、これと比較すれば三割強の増収であります。悪田の方は浜辺のそばに一町二反歩ございまして、年中波が高いと湖水が入り込んで、付近一帯は氾濫さながら で、湖底のごとき状態となるのであります。昨年は六月下旬にかなりの冠水があったので、田植え間もなくの短い苗はざんぶり沈み、見えなくなりました。一頃 は大層危ぶまれたが、浄化を軽く済ませて戴き、反当り収量は二石三斗でありました。一般有肥並でございました。
 以上を一括して総収量から見ますと、一般有肥は良田悪田共反当り二石三斗平均の二町歩で四十六石に対し、私の方の自然耕作は、良田二十四石と悪田二十七 石六斗を合算して、五十一石六斗になるのであります。御蔭様にて一般有肥に比べ一割二分強、五石六斗の増収というまことに有難い御恵みを賜わりました次第 でございます。まことに有難うございました。
 長年の間、比べものにならない多量の施肥を続けて来た、過ぎし日の大いなる罪悪にも拘らず、些かの減収を見ることも無く、有肥にまさる御恵みを幸わい給 うかしこき思召を拝する時、筆も言葉もございません。一般の人達も、初めの頃と比べて随分その見方が変って来たことでありまして、他村の人達も聞き伝えて 盛んに自然農法を聴きに参る様になりました。初年度の時等は、『北日本新聞』に写真入りの記事で、七月頃の青田を評して「五割減収」とたたかれたこと等 や、町の警察の主幹さんにおどかされたことや色々ありましたが、とにかく今日世間の方達が段々と変って下さったことを鑑みる時、今ひとふんばりの感を深く いたすのであります。
 明主様有難うございました。
            (昭和二十八年二月十六日提出)



両親の反対を押し切って全耕作自然農法に切替え

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    埼玉県北葛飾郡松伏領村
      応身中教会 山口寅一(37)

 昭和二十四年早々のこと、教会の臨時祭に参集の折、農業の大革命である自然栽培の話を拝聴致し、肥料無しで米が穫れるということにその時数名の者と一緒 に初めて目が覚めたような気が致しましたが、この切替の困難なことは他方面よりも、特に東京よりの舟運の好いところゆえ、肥料の無い頃でも要求通り自由に 肥料を手に入れることが出来ましただけに、使用量も大変多量に上っており、しかのみならず、数十年間堆肥を入れたことがない位でした。しかし漸く決心がつ いてこの尊い自然栽培について両親に相談致しますと頭から反対され、「たとえ一歩でもそんな馬鹿なことをすると世人の笑い者になるから絶対いけない」と言 う言葉なので、私もこの御神業に一歩の田も切替え出来ぬのではと深く考えるところあって、それでは仕方が無いと両親と別離して行う事を決意し、五月の植付 時期には田畑共半分ずつとし、別々に耕作することと致しました。両親の方は有肥で、私の方は田畑共自然栽培です。まず初年度ですが、二十四年の水稲に就い て言えば、八月九月の台風で有肥は殆んど倒伏し、一般有肥栽培の作況は平年作以下でしたが、私の田は台風にも倒れず、有肥に比して一割以上の増収でした。 又二年目には初年度と違い稲の出来工合も上々で、二割以上の増収を予定しておりましたが、七月下旬より八月中旬迄の悪天候の為、又台風の為、当地方では大 水が出て(冠水二週間)その為三割の減収でした。しかし有肥の両親の田は四割以上の減収でした。そして本年三年目の成績を見ますと非常に見事な穂振りで、 本年は昨年に比し大きな収穫で有肥を遥かに追い越し、約四割増収(一反平均収量八俵一斗)の見事な出来栄えでしたので、今迄反対していた両親もついにこの 尊い栽培法に頭を下げた様な次第でございます。
 この御利益は私一人の努力では無く、深き明主様の御神徳の賜物と厚く厚く御礼申し上げます。
          (昭和二十六年十二月二十三日提出)



(へ)米以外の作物に就いて

 野菜それ自体の自然の味わいを発揮するから実に美味である。私は無肥料野菜の味わいを知ってから、人生の幸福感を如何に増したことであろう。(別著『無肥料栽培法』)


“みかん”の自然耕作に御守護を頂いて

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    和歌山県海草郡加茂村
       神光中教会 硲(はざま) 恵一郎(28)

 明主様日々お蔭を頂き有難うございます。謹んで御報告申し上げます。
 明主様の自然耕作御教えにつきましては、諸先生の御熱心なるお導きを頂き、水田の方は今年で二年目にて、有肥田と比較して一割―二割の増収をさせていた だきました。御礼申し上げます。当地はみかんの栽培が主でございます故、どうかしてみかんの方にも好成績を頂きたい念願でございました。御近所の方で三年 程前より無肥料にしていられる方もありましたが、肥毒のためどうも良い成績があがらず、収益皆無に近いこともあったそうでございます。しかし本年は米でお 蔭をいただいたのだから蜜柑も御教え通り素直に実行すれば必ずお蔭が頂けるものと確信し、自然栽培に切替えさせて頂きましたのでございます。その間自然農 法の本を拝読させて頂くと共に、田中先生より熱心なる御指導を頂き、又名古屋の中教会へ参り会長先生より明主様の御教えを微に入り細にわたっての御話を 承ったのでございます。先生の言われた「信仰を深考―進行―深耕すれば振興する」とのお言葉通り、山野の落葉を拾い集めて深く打ち込みました。有肥栽培の 時代からの肥毒が余り多量のため、浄霊は土と木だけをさせて頂きました。一月二月と何等の変化もなく無事に過ぎ、やがて五月ともなれば芽と共に花が見え始 め、今年は有肥園は真白く成程花が着き過ぎ、散花の後は結実なしというような貧弱な花ばかりでございました。これに比べて我が自然園は丁度良い程度に着花 して、百花百結といったような実状でございました。又七月より干害に備えて一生懸命に草を刈り、乾草にして全面的に約三寸ばかり敷詰めました。その効が あったのか、相当な干害に見舞われても順調に成育させて頂きました。しかし、八月中頃より虫害による浄化も面積にして約三割程度ですまさせて頂きました。 全面的に見て、有肥園と何等変りなくつやつやとした光沢のある蜜柑が、自然栽培にして貰った喜びを自分に告げるかのように結実しております。自然栽培初年 度にも拘りませず、このような御蔭をいただきましたのでございます。十一月九日会長先生御来和の節は特にお願いして無肥園を見て頂き、「これは良い成績で すね」とおほめの御言葉を頂いたのでございます。来年よりは自然栽培園をもっともっと増やさせて頂き、明主様の御教えの下、果実の自然耕作に精進させて頂 き、なお今後はこの尊い御力を世の未知の人々に一人でも多くお伝えさせて頂き、明主様の御神業の万分の一にもお報いさせて頂きますようにお祈り申し上げま す。
 明主様御守護を誠に有難うございました。
            (昭和二十八年二月十五日提出)



驚異的大豆、里芋の自然栽培

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    静岡県志太郡稲葉村寺島
      愛進中教会 山田久一(45)

 大豆は普通田の畦や土手等に播いておりますが、私は昨年より定植法に切替え、四月中旬田圃へ播種(発芽四月二十三日頃)いたしまして、前作の麦の刈入れ前の五月十五日、麦の間へ定植いたしました。(畝巾四尺、株間二尺、一本植)
 手入れといたしましては七月初旬と中旬の二回土寄せをいたしましたのみで、浄霊はいたしませんでした。発育状況は概して順調で開花は七月下旬頃より始まりました。土地は普通地で二年前より自然栽培に切替えております。(前作甘藷麦)
 左に掲げました有肥との対照表は、有肥の播種六月中旬に対し、自然栽培は五十日早く、有肥は直播三本立に比し、自然栽培は定植一本植であります点が相違 致しますことと、(土地は何れも畑普通地)枝豆として完熟前早期にとりました為に、収穫期十月下旬(枝豆としては十月上旬とり入れ)までには相当収穫量も 変っております。
 気付きました点は、株間二尺としました為空莢が多く、来年は三尺の株間にいたし、試験的に定植時に摘芯をいたしたいとも考えております。

  大豆自然、有肥対照表
        自然栽培       有肥栽培
耕 作 者  山田久一(45)    池野英二(60)
自然年次   種四年目、畑二年
全 重 量  約三八六匁      約一一〇匁
丈      二尺六寸       約二尺
莢数 三粒   七三箇         一箇
   二粒  三二七箇       一〇三箇
   一粒  一五四箇        五一箇
   空莢   四五箇        一〇箇
莢数 合計  五九九箇       一六五箇
  総粒数 一〇二七粒       二六〇粒
幹        八分         二分
周   囲  五尺八寸       二尺六寸
播   種  四月十五日      六月中旬
耕   作  五月十五日定植    三粒位直播、耕
       一本植土寄せ     作せず、施肥灰
       七月上旬中旬     とヌカ、過燐酸
土   地  普通、畑       普通、畑
開   花  七月下旬       不明
刈   入  十月下旬       十月下旬

 次に里芋の自然栽培に好成績を頂きましたので御報告申し上げます。

   里芋(赤目芋)の自然、有肥対照表
栽培者氏名    山田久一     杉村豊比虎
施  肥     堆肥       元肥、追肥
                  厩肥、加性肥
品   種    赤目       赤目
種   子    自然二年     有肥
草   丈    五尺八寸     五尺一寸
全 重 量    二貫八三〇匁   九四〇匁
箇   数    七九箇      四三箇
         親五、子七    親二、子四一
作付面積     二〇坪      三〇坪
株間・畝巾    二尺五寸×四尺  一尺五寸×二尺
土寄回数     三回       二回
前   作    麦

  栽培法
   自然
 四月中旬種下し、麦の間へ一寸三寸平方に足で踏みつけ、種子芋を芽の出る方を上にして周囲へ堆肥約一貫目施し、二寸厚みに土をかぶせ軽く押さえる。本葉 五寸-七寸位の時第一回土寄せ、木葉が一尺以上になって第二回の土寄せ、三回目の土寄せは土用前に終る。その際植付時と同量の堆肥を施し土寄は最大限にす る。土地は砂質土
   有肥
 四月上旬種下し土寄せ二回、元肥-厩肥、追肥-加性肥料、土地は保水力ある砂質土。
 ◎自然、有肥共に収穫期は十一月中旬、対照表数字は収穫期前の十月下旬早掘の成績。
 ◎赤目芋の茎は太干(ふとぼし)として副食となります。
 ◎写真の資料〔略〕は有肥は畑中で最も成績のよいものを選びました。自然は中位のものです。
 明主様誠に有難うございました。謹みて御礼申し上げます。
            (昭和二十八年二月二十六日提出)



自然耕作の胡瓜五割増産

『栄光』79号、昭和25(1950)年11月22日

    岐阜県益田郡萩原町
      光明中教会 今井喜一(46)

 私は昭和二十二年一月二十二日に教修を受けまして以来、種々御利益を頂いて感謝致しております。僅かの畑で疏菜を作っておりますが、痩地なので何を作り ましても余り良くできません。一昨年より全部自然耕作に致しました。その内今年は特に良かったのは胡瓜でした。胡瓜を作る畑に草を入れただけで種子を浄霊 して播きました。今までは胡瓜などは特に連作を嫌うものだと聞いておりましたが、私は三年目の連作でした。胡瓜は葉五、六枚の頃摘芯せねば駄目だと聞いて いましたので、今迄は摘芯しましたが、今年は摘芯もせずそのままにいたして置きましたところ、適当なところから枝が何本か出て大変数がなりました。今まで は元肥をし追肥も時々やりましたが、元葉が早く枯れ、なる胡瓜が屈曲し、花も落ちましたが、今年は何時までも元葉も青く、屈曲したものも少く、遅くまでな りました。収穫も驚く程で今までの五割以上の御利益を頂き、喜んで近所にも配り、光明如来様へも、長い期間お供えさして頂きました。自然耕作で立派な物が できるという事や連作が悪いということも絶対ないということが良く分らせて頂きました。
       (昭和二十五年十一月二十二日提出)



自然農法による里芋の出来栄え

『栄光』79号、昭和25(1950)年11月22日

   岐阜県羽島郡上羽栗村
     八光中教会 松原幸子(57)

 平島の里芋といえば近郷切っての有名なものなのにどうしたことか、それ程毎年でき栄えの良い里芋も、本年は葉が赤錆色になって伸びも悪く、勿論発芽も後 れた私方は、なお更不良で、村の人々の失敗は有肥の事でもあるからとも思えるけれど、自然耕作など人々から蔑視され、言われているので本当に心配していま したが、それでも土用明け時分から良好となり赤錆色も付かずスタスタと伸び出した時の嬉しさ……と言うものは、言葉にも筆にも尽されませんでした。石灰窒 素アンモニヤ等化学肥料を使った人達の芋は駄目で、独り自然耕作の私方の芋のみは朝夕キラキラと露の玉を葉に受けております。
 大根、白菜も自然栽培ですが、特に茄子の成績は飛切り良く、一畝半作り三百本を本田に移植した直後枯死の状態になり、他の人達の茄子は日増に大きくなる にも拘わらず、私方のは一向に太らず心配しながら浄霊しました。草を入れると良いと聞いて早速草を刈り、穴に入れて蓋をし一週間位にして即製堆肥を作り、 それを入れて毎日浄霊を致しましたが、約三十本は枯れたがもっともそれは苗の時から不良のもので、他はそれから日毎に良好となり、遂に初めのうち好成績で あった有肥の方々の茄子は殆んど枯れたり上ったりして仕舞いましたが、私方のみは上等の出来栄えで物凄く結実しました。甘藷も同様の好成績、稲作も自然耕 作として御本部に報告の栄に接し、感激と喜びの中に神示の自然耕作に専心しております。
 昭和二十一年十二月御守様を、又昨年八月十日には光明如来様の御神体を斎き祀らせて戴き、明主様の御指示のまにまに日々を感謝に送らせて戴いております。
           (昭和二十五年二月二十二日提出)



市場で評判の自然栽培大根

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

    長崎県西彼杵郡茂木町
      南光中教会 若杉スエ(47)

 明主様、日々御守護戴きまして有難うございます。私達夫婦揃って綾部先生によりこの有難い明主様の大慈大悲の尊い御教えに御導きを頂きましてより、日一 日と病・貧・争の暗黒世界より健富和の光明世界へ生まれかわらせて頂いております。綾部先生より、常日頃から明主様の信仰をする人とせぬ人との田畑は一目 見ても判ると御指導頂いておりましたが、今秋の大根の作にはっきり見せて頂きました。私達夫婦が主となって農業に従事するようになって以来三十有余年、毎 年毎年殆んど先祖代々の農法を踏襲するのみで、多少は時代の風潮により改良は加えられましても、特筆すべき良結果は現われて参りませんでした。ところが本 年六月有難い明主様の御教えに入信以来、僅かの月日で私達夫婦は未だ未だ信仰は日なお浅いにも拘らず大根の豊作をとらせて頂きまして厚く御礼申し上げま す。
 明主様有難うございました。
 殆んど全部の大根が長さ二尺以上、三尺位まで実直ぐで、根虫も皆無、かつ又キメも細かく、肌も白く実に惚れ惚れするように出来ました。私達夫婦入信以来 悪口嘲笑していた付近の村人も、この大根を見て「信仰の御蔭かな。御利益だろうか」と未だ半信半疑でもありますが愚鈍な頭をかしげております。それにまし て有難いことには「近所の人がこっそり野菜市場より三輪車で御宅の大根を買いに来ると言っているから是非売ってやってくれ」と頼まれるやら町までわざわざ 担いで行かなくても良く、労力も時間もはぶけ、その上値段も良く、何と有難い事でしょう。
 これも偏に明主様の厚い御守護の賜物と感謝致しております。
 それから入信前には四、五十斤の荷を担いで三日、四日続いて町へ商いにまいりますと、必ず一日、二日は肩腰が痛み仕事を休む状態でしたのが、入信以来現 在では町に商いに毎日七、八十斤楽にしかも、他の人より遅く行って早く売り上げ、値も必ず一円か二円位高く買って戴いております。露天で商いをします折に は、必ず明主様に心から御願いし、御浄霊をさせて頂きますと他人のを通り越してわざわざ私のを買って頂けます。お蔭で早く売れてしまい、仕事が非常にさば けるようになりました。何と有難い幸福でしょう。
 十一月十一日中教会本部例祭には綾部先生に御願いして大根を御神前に御供えさせて頂きました。私達夫婦が力を協せて作った大根を中教会本部の御神前に御供えさせて戴けますこの光栄は、私達夫婦だけでなく、霊界に在します御先祖様もさぞお喜びの事と思われます。
 曇り多き私達一家にも数々の御守護を賜わり万分の一の御用も行き届かない賤の身ではありますが、熊本支部の城戸先生始め綾部先生の御丁寧なる御指導に従 い、一人でも多くの迷い悩める人達を明主様の尊い御教え大慈大悲の御救いの道へ導きさせて頂く覚悟でございます。
 明主様有難うございました。厚く御礼申し上げます。
            (昭和二十八年一月五日提出)



湿地の悪畑にこの収穫

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    茨城県真壁郡下館町
       博愛中教会 渡辺とめの(24)

 入信以来幸ある日々を送らせて戴き一度も御礼報告申し上げず、誠に恐縮に存じます。
 昨年二月苦悩のどん底より歓喜に満ちた生活へ転換させて頂き、御神業の万分の一なりともお手伝いさせて頂き度く心に鞭打っております。明主様の御教えにより、自然栽培の体験と収穫の御守護に自信を持たせて頂きましたことを御報告させて頂きます。
 私の入信以来、日頃手をかざしただけで病気を治して頂く事を目の前に見せていただいているにも拘わらず、未だ無神論者の家人ではありますが、どうやら了 解を頂き、約一畝の土地に小豆を作付致しましたが、その上土地は長年何を作っても、まともな収穫をしたことがありません。家人もあきらめて木を植えてみた り、そばなど毎年繰返し作っておりましたが、入梅になると山からのしぼれ水で、収穫は全くありませんでした。日頃笑っております家人故に、そんな畑でない 限り許してくれませんでした。私も毎年の不作を存じておりましたので、不安が先に立ちましたが、今後自然農法をお伝えさせて頂きますには、私に自信がなけ ればと早速小豆を作付致しました。見放されたこの土地で見事な収穫を得たら、家の者にもお道がわかって頂けると胸躍らせて一生懸命に御浄霊致しました。種 子を播いて三日ないし五日おきに御浄霊致しましたが、それ程土地が悪いので最初は葉が赤く、他の畑の様に伸び伸びとせず、又失敗かと思いましたがこの小豆 が穫れなかったら家の者に笑われ、お道もわかって頂けないと、一生懸命御浄霊につとめました。僅か五、六寸位になった頃、例年通り洪水に遭い、皆んな一方 に倒れてしまいました。甚しいのは葉が土に埋れ、根は洗われてしまい、御浄霊したくも足が膝まで没し、片足抜けば、又片足入るといった有様で、どうするこ とも出来ませんので、隣りの畑から浄霊させて頂きました。一週間して水が引きましたが、畑は四、五日もぬかっていました。口に信仰を唱えながらも心は半信 半疑の私は半分あきらめておりましたが、最後までおすがりしてみようと思い、一生懸命御浄霊を続けました。ところが何と、洪水前と違って段々伸びて来ま す。他の小豆は一方に倒れたまま花を咲かせておりますのに、私の小豆はちゃんと起きて、枝から枝へと見事に花を咲かせながら伸びて行きました。ところが私 は一方からばかり御浄霊致しておりましたので、御浄霊に近い畑半分が特に良く伸びましたので、今度は悪い方から御浄霊致しましたら、収穫近くには皆一体と なりました。これなら収穫も上々と喜んでおりましたところ、今度は病虫害に遭い、葉が全部縮み、さやに虫が喰いこんでしまいました。喜びも束の間かと私は がっかり致しましたが、肥毒の為の病虫害と思い、なお一層御浄霊に念を入れましたら虫にやられたのは一部分のみに止まり、丁度八間畝十本足らずで、六升余 り収穫させて頂きました。
 私の村では今年は小豆不作と申しておりますのに、これまで何一つとして収穫したことのない畑で他の畑に遥かに優る立派な収穫を得ましたことを、明主様に 何と感謝致してよいか分りません。疑いつつおりました私が、自然栽培一年目よりこのような好成績を頂き、感謝の致しようもございません。
 粒の大きさは有肥栽培と同様でしたが、光沢は有肥栽培に比しすばらしく優れておりました。笑っておりました家の者は多額な金肥を費し、約二畝余りの土地 で一斗五、六合の収穫にて、どうすることもできず弱っています。それを皆毎年繰返し、後々どうなるのかと思うと、今や迷いも疑いもなくなった私はじっとし ていられない気持で一杯です。
 明主様の御神業のお手伝をさせて頂き、明主様の御心に添える自分にならせて頂けます様お祈り申し上げます。
            (昭和二十七年一月十日提出)



苗一本から十九貫の甘藷収穫

『栄光』141号、昭和27(1952)年1月30日

    新潟県中蒲原郡横越村
       光陽中教会 今井芳美(51)

 明主様日々の御守護有難く御礼申し上げさせていただきます。
 私は一家三人暮しの貧しい農夫でありますが、親類や近所の人の心からなる心配も他人の嘲笑もよそに、田も畑も二十五年度より全部自然農法に転換、今では 全く無肥毒、美味の食生活に感謝の日々を送っております。誠に有難うございます。今回一抹作りの甘藷を栽培致しまして好成績をあげさせて頂きましたので御 報告させていただきたいと存じます。
 自然農法一株作り甘藷
  品種  農林一号
  数量  三六〇箇、十九貫百匁
      (有肥時代十七貫七百匁)
  面積  四坪(自然二年目土地)
  植込  昭和二十六年六月十五日
  堀取    〃 十月三十日
 この一株作りの方法としまして、先ず百匁位の藷を四月十日他の藷と一緒に温床へ伏せ込み、それから沢山の芽の内、一番丈夫そうなのを一本だけ残して他の芽は全部取除いてしまいます。
 残した一本の苗は特に大切に取り扱い、それから出た枝、又出て来る技を四方に拡げて育てる方法でありまして、既に苗のときに温床六尺四方を領しております。
 植込み畑は九尺四方を一尺位掘り下げ、落葉雑草の完熟堆肥を五貫目敷き込みます。そのところへ三寸位に土をかけ、更にその上へ乾燥藁三貰を敷き並べ、最 初掘り出してある土を細かく切り、全部盛りあげて周囲は低目に土を取りますから二尺位の盛り土ができます。乾燥藁の上の土は八寸ないし一尺であります。
 出来上った盛土は周囲を低目に均らし、前記大苗の切り口を中心に置き、四方へ枝を配り、葉一枚一枚を丁寧に植えました。
 五日間は日中日除けを掛けて夕方取ってやりました。その後管理は除草二回、蔓あげ五回浄霊は整地の時からも植えてからも度々行いました。
 この方法は苗の作り方に手数がかかることと、広い面積で甘藷栽培を致しますには適しない不便がございますが、狭い土地で多量の収穫をあげることの利益がございます。
 以上御報告申し上げ謹みて御礼申し上げます。明主様誠に有難うございました。
      (昭和二十六年十二月十一日提出)



(ト)私の失敗談

 私の説を読んだり聞いたりしながらも素直に受入れられない人もあるが、何しろ先祖代々肥料迷信の虜となっている以上無理もないが、この際それを綺麗サッパリ捨ててしまい、私の言う通りにすることである。
           (『栄光』一九八号)



二毛作と生草堆肥では穫れぬ

『栄光』198号、昭和28(1953)年3月4日

     埼玉県北葛飾郡松伏領村
       宝生中教会 山口寅一(39)

 謹んで昭和二十七年度水稲、四年目を御報告申し上げさせて頂きます。
 総じて二十六年度よりは、反当約一俵の減収でしたが、これは有肥栽培農家も約二俵の減収でした。因に申し上げますと昨年は反当り自然栽培八俵、有肥七俵 半です。減収の原因は有肥農家の方は虫害が多く、自然栽培は殆んどなく、気候も申し分なかったようですが、私の感じた点は、明主様の御教え通りではなく、 生草専門で反当百八十貫を施し、藁を全然施さなかった故ではなかろうかと思います。もう一つの原因は、二毛作田なのです。その裏付けするかのように、地力 の悪い悪田(一毛田)は、二十六年度は六俵半で二十七年度も六俵半で、これだけは減収ではないのです。自分の執着のため、どうしても一毛田に切替えられな かったのを深く明主様に御詫び申し上げさせて頂きますと共に、本年よりは二毛作を一毛作に切り替えさせて頂き邁進する覚悟です。
 右謹んで御報告申し上げさせて頂きます。
           (昭和二十八年二月十六日提出)



革命的増産の
   自然農法解説書

昭和28年 5月 1日印刷
昭和28年 5月 5日発行
A6版 236P 非売品

著者  世界救世教教主   岡田 茂吉
発行人 熱海市田原町112 森山実太郎
発行所 熱海市田原町112
         宗教法人 世界救世教
発売元        熱海商事株式会社