――― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ―――
無肥料栽培法
自観叢書第二篇、昭和24(1949)年7月1日発行
序 文 神農生
私によって提唱された無肥料栽培の理論ほど、読む者をしてそのあまりの異説に唖然とし、到底信じられないというのが一般の観方である。事ほど左様に、農 作物ばかりではない、人間自体が肥料中毒に罹ってしまっているのである。
しかし、私の唱える説であるがため、相当の信用を払う人も多くあるにはあるが、それでも最初は恐る恐る実行してみるというのが例外なく報告書に表われて いる。ところが収穫直前になると俄然として様相が変り、予想外の好成績を挙げるのである。
百の理論よりも一の事実にしかずという事は、今更改めて言う要はないが、私は想う、この大発見の結果として日本農業は一大革命を惹起するのであるばがり か、いずれは世界的農業革命にまで及ぶかもしれない。とすればかような偉大な人類救済は空前の一大福音であると共に、地上天国樹立を目標とする本教として 当然過ぎる事であろう。
無肥料栽培 神農生
(『地上天国』1号、昭和23(1948)年12月1日発行に収録を加筆再録)
私は今無肥料栽培につき解説するに当ってまず根本理論から説いてみるが、そもそも土とは何ぞやと言う事である。言うまでもなく人間生命を保持すべき最重要 なる五穀野菜を生育すべく、造物主が造られたものに違いない、従って土そのものの本質は神秘幽玄なるものであって、現在までの唯物科学によるも到底窺知 (きち)し得ない事は論をまたないところである。しかるに今日までの農業はしらずしらず邪道に堕ちいりたる結果土の力を蔑視し、一切の作物をより良く生育 するには糞尿または化学肥料等の人為的肥料に依らねばならぬと思い、今日に到ったのである。
しかるに以上のごとき結果は、土壌の本質は漸次退化 変質し、土壌本来の生育力は衰耗するに拘わらず、それに気が付かないため、農作不良の原因は肥料不足に因ると錯覚し益々肥料を施すから土壌の力はいよいよ 退化し、今日のごとく日本の国土は痩地化し、農耕者の口を揃えて嘆ずるところである。私は人為的肥料がいかに恐るべきかを列記してみよう。
一、 現在最も悩んでいる事は害虫の発生であろう。しかるに害虫発生の原因を究めずして、害虫駆除のみに専念している、というのはその原因を発見し得ないがた め、やむを得ず次善の方法としてそうするのであろうが、実は害虫なるものは肥料から発生するのであって、近来害虫の種類が殖えたというのも全く肥料の種類 が殖えたからである。また殺虫剤を使用して害虫を駆除し得ても、薬剤が土に滲透して土壌を悪質化し、それが害虫発生の原因になることは未だ知らないのであ る。
二、肥料を吸収すると作物は非常に弱るのである。それは風水害にあえば折れやすくなり、また花落ちがするから結実が少く背が伸びすぎ葉が大きくなるため実 が葉蔭になって、米、麦、豆類は皮が厚く、実が痩せるのである。
三、 硫安や糞尿中のアンモニヤ、その他の化学肥料のそのほとんどが毒劇薬であるから、それを作物が吸収する以上、たとえ微少であっても、常住胃を通じて人体内 に入る以上、健康に害なしとは言われない。特に日本人の八○%以上は寄生虫特に回虫を保有している事実であるが、原因はもちろん糞尿中の回虫卵が人体内に 入り成長するのであるが、糞尿肥料を二、三年中止すれば、回虫病は全滅するということを、最近の医学は報告している。この点においても無肥料栽培は偉大な る成果である。
四、近来、肥料の価格は益々騰貴し、肥料代を払えば供出米の売上高と一ぱい一ぱいという事は農家の詐(いつわ)らざる計算で、それがためやむを得ず闇売り をしない訳にはゆかない事である。
五、肥料購入肥料及び消毒薬の撒布等に要する手数と労力は非常なものである。
六、無肥料栽培の作物はすこぶる美味なること、発育がよく、有肥料のものより巨大で、数量も多いのである。
以上によってみても肥毒の恐るべきかを知ると共に、無肥料栽培のいかに有利であるかは充分認識し得たであろう。これを総計算するとすれば、農業経済はこれ までの二倍の利益を挙げ得る事はあえて難事ではないのである。実に日本における農耕の一大革命であるといっても過言ではあるまい。以下私の経験によって得 たる成果や方法及び、幾多実際家の報告を発表してみよう。
私はこう思うのである。それは日本人中真の野菜の味を知っている者は幾人あるであろう か、恐らく滅多にないといっても差し支えあるまい。もちろん農作物は化学肥料と糞尿肥料を施さぬものはあるまいからである。これらの肥料を吸収する野菜 は、天与の味わいは逃げてしまうのである。それに引換え土自体の栄養を吸収させるようにすれば、野菜それ自体の自然の味わいを発揮するから実に美味であ る。私は無肥料野菜の味わいをしってから、人生の幸福感をいかに増した事であろう。しかも無肥料栽培においては、肥料代の節約と手数とが省かれ悪臭の不快 からも免れ、寄生虫伝ぱの危険も除かれ、害虫の発生は極めて少なく、味もよく量もふえるのであるから一石七鳥の効果ある訳である。私はこのような大問題を 一刻も黙視してはいられない。速かに天下に発表して、この福音を頒(わか)ち与えんと思うものである。
まず、実際理論から述べてみるが、そもそ も土の性能はいかなるものであるかと言うに、土壌は土素、水素、火素の三大元素の密合体による三位一体の力で成立している。もちろん植物育成の基本的力は 土素であって、水素、火素は客動的力である。故に主動力である土壌そのものの素質いかんによって植物に良不良の結果を来すのであるから、栽培の場合、その 根本である土の素質をより良質にする事が主要条件でなければならない。良質の土素ほど好結果を得らるるからである。
しからば良土たらしむる方法 はいかんというにそれは土質の精力を強化する事である。そうするにはまず土質を清浄純粋化しなければならない。それは清浄なる土質ほど植物に対する生育力 は旺盛だからである。しかるに今日までの農業のいかに誤っていたかは、右と反対に土質を極力汚穢に満すのを可としていた。この事の説明に当っては、まず反 対理論から説く方が判りやすいと思う。
反対理論とはいかなる訳かというに、昔から農作に肥料は切っても切れない重要事としているが、実は施肥す ればする程土を殺してしまうのである。肥料を施せば一時は良成績を挙げ得ても、漸次土は肥料中毒に罹り、肥料を施さなければ良結果を得られない事になる。 したがって、肥料を施せば施す程逆効果を招来する訳である。何より農民諸君が水田の稲作の収穫が不良になると客土をする。客土をすれば一時的収穫が増すか らである。この場合彼等は誤った判断を下す、それは年々栽培する事によって土の養分を吸収してしまうから、土の栄養が貧困になったからだと解釈する。実は 年々肥料のため土質が弱った事に気がつかないのである。ところが肥料分のない新しい土は、土の生活力が旺盛であるから、良成績を挙げ得るという訳である。 理論はこの位にしてともかく実際上より、いかに無肥料が有利であるかを順次説明してみよう。
まず第一に挙ぐべきは無肥料栽培の特徴としては作物 の背丈の低い事である。有肥料においては丈が高くなる事、葉伸びが旺盛で葉が大きく繁るから、さきに述べたごとく豆類等の実は葉陰になって成育悪く、また 花落ちが多いので結実も非常に少く、特に枝豆等は無肥料においては二倍の収穫を挙げ得られ、一粒といえども虫食いはなく、その美味たるや何人も讃歎するの である。もちろん豌豆(えんどう)、空豆等のごときも皮の軟き事無類である。
そうして無肥料栽培においては決して失敗のない事である。よく素人 が馬鈴薯などを作る場合芋が小さく且つ少いとか、全然無収穫などの歎声をよく聞くが、それは肥料の多過ぎるためである事に気付かない結果、反対に成績不良 なるは肥料の少きためと誤解し益々肥料を用いるから倍々成績が悪くなる。しかもこの際、指導者または経験者に質(たず)ねる場合「その原因は種子の不良 や、不適期にまくから」とか「土壌の酸性に因るため」などといい、全く的外れで、真の原因に気付く由もないのである。ところが無肥料栽培による馬鈴薯はす こぶる白色で、香気が高く、ネットリと舌触りよく、品種が異うかと思う程の美味である。もちろん八つ頭、里芋等もそうであるが、特に薩摩芋は高畝にし、畝 の間隔を広くし、日当りを充分よくすれば、その容積の巨大なると美味なる事とは驚くの外ないのである。もっとも農家においても薩摩芋は余り施肥をしないよ うである。
特に私は玉蜀黍(とうもろこし)について述べてみるが、無肥料における玉蜀黍の良成績は特筆する要がある。ただし玉蜀黍はもとよりす べての種子も、最初は肥毒を含んでいるから、一、二年は成績が思うようでないが、三年目位から目立って良くなるのである。土に肥毒なく、種子にも、肥毒の ない玉蜀黍は茎は非常に太く、水の垂るような葉の青さで、日当り良く水切れのない土地であれば結実はよく、実の棒は長く、粒は隙間のない程密集し、列が正 確で口に入れるや柔く甘く、一度経験するや、忘れ得なくなるのである。
大根なども純白色で、肌理(きめ)細かく、ねっとりして甘味があり実に美 味で、太いのである。よく大根にスがあり、またはがりがりするのは肥毒のためである。また無肥料の菜類は香気馥郁(ふくいく)として食欲をそそり色良く軟 かく虫喰などは絶対にない。もちろん糞尿を用いないから最も衛生的である。
無肥料栽培において特に推奨したきは茄子である。それは皮の柔い事、 色の好い事、香気満点で食欲をそそる事夥(おびただ)しく、私の家の家族などは有肥の茄子は食わない位である。また稲作の場合、藁を細かく刻み、水田の土 によく混せるので、藁は熱を吸収するから土が温まる訳である。そうしてこれはよく知られている事であるが、冷い山水は非常に悪いから、出来るだけ溝を浅く 長く作り、流水を温める事である。その場合中間に池を作る事は不可で、池は底がふかいため水の温まりが悪いからである。瓜類や西瓜、南瓜等、何人も経験の ない程の優良なるものが出来るのである。米麦であるが、麦も米も背丈短く、量も質も優良なる事はもちろんで、特に米においては光沢があり、コクのある事も ち米のごとくで重量あり、美味満点で、品質は特等米といえるであろう。
以上のごとく、私は簡単ながら無肥料栽培の有利なる点を述べたつもりであ る。特に今日到るところに見る家庭菜園に対し、かくのごとき福音はないであろう。ともかく素人が糞尿を扱う事は堪えられない程の苦痛であるばかりか、それ が反って不良の原因となったり、回虫の虫という有難くもないお客様を腹の中へ招来するというにおいてをやである。知らぬ事とは言いながら、今日まで有肥栽 培のため骨折って不成績を続けて来た訳である。私など大抵の野菜は種子のまき放しで、ただ時々除草する位の手数だけで、それで上等の野菜が出来るのである から、何と有難いではないかと言いたいのである。
そうして前述のごとく金肥及び人肥は必要としないが、天然堆肥は大いに利用する必要がある。そ れについて述べてみよう。あらゆる植物を成育さす場合最も肝腎な事は、根の末端である毛細根の伸びを良くする事であって、それには土を固めないようにする のである。堆肥はあまり腐らせ過ぎると固まりやすくなるから半腐れ位がいい。草葉の堆肥は早く腐蝕するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから、長期にわ たっても充分腐蝕させるべきである。その訳は前述のごとく根の尖端が堆肥の葉筋に当り妨害されるからである。近来、根に空気を与えるのを良いとしている が、これはちょっと的外れである。何となれば空気が流通する位の土であれば根伸びが良いからで、実は空気は関係がないのである。今一つ注意すべきは土壌を 温める事で普通の野菜においては堆肥は地下一尺位の深さに一尺位の積層を作るとよい。ただ大根、人じん、ごぼうのごとき根が目的のものは堆肥のふかさもそ れに準ずべきで、その場合草葉の堆肥を土とよく混ぜ合す事、木の葉の堆肥は右のごとく地下の床作りにする事、これが理想的である。
近来、土壌の酸性を不可とするが、酸性の原因は肥料のためであるから、無肥料なればその憂はないのである。
今一つ世人の意外とする事がある。それは農業においては連作を不可としているが、私は連作主義で好成績を挙げている、しかも年を経るに従い成績は漸次長く なる事である。これは奇蹟のようであるが、実は立派な理由がある。これは私の言う土を生かし、土の力を強盛にするためには連作する程、その野菜に対し土は その野菜を育むべき適応性が自然に醸成さるるからである。
次に害虫も無肥料であれば、ほとんど皆無でないまでも、現在よりも何分の一に減るであ ろう。農民諸君も肥料が多過ぎると害虫がわくという事をよくいわれている。彼の葉巻煙草には最優秀なる原料としてマニラ、ハバナ産を用いるが、その葉は虫 喰葉がなく、すこぶる香気が高いが、全く無肥料のためである事を、以前専門家から聞いたことがある。また何よりも雑草に虫食がないことで、春の野の摘草の 中にある嫁菜、芹等が特に香気の高いのも無肥料のためであろう。
ここに注意すべきことがある。今まで有肥料の田畑に対し、無肥料栽培を行う場合 最初の一、二年は成績が悪いが、それはそこの土が肥料中毒にかかっているためで、ちょうど人間の場合、酒飲みが禁酒をすれば一時はボンヤリしたり、煙草飲 みが禁煙をすると活気が無くなり、モヒやコカイン中毒者がやめれば我慢が出来ないのと同様の理である。まず二、三年は辛抱してその後を待つべきであって、 土及び種子の肥毒が消滅するに従って、土は偉力を発揮するのである。
以下幾多の実験報告が証明するであろう。
実験報告
無肥料農耕の体験
群馬県多野郡藤田町緑町
日本観音教光陽会会長
教師 小野田松造
昭和二十一年大先生から無肥料農耕のお話を拝聴致し、物心両面行詰った農村を打開するにはこれより他に無しと考えそれを会員に話すについて、無肥料農耕 の正しきを認識させる為、実際に栽培する事が最捷の途と考え二、三熱心な会員に実行せしめました。
先年私は安政年間の上州の各大名の禄高を調査して見るに七十九万四千石あったのに対し、現在の群馬県の供出高は約八十万石である事実に何かしら割切れぬ ものを感じておりました。
従来禄高を取り立てていた頃の耕地の面積に比し、現耕作面積は三割程度の拡張をみており、しかも肥料について見れば、徳川時代初期迄は僅かに人糞施肥で 耕作しており、徳川光圀が堆肥を施す事を発見推奨したが、近時金肥を盛んに利用するようになり、戦争と食糧増産の緊密性よりいよいよ金肥の科学的研究は進 歩し農耕に必要欠く可からざる要素として巷間、一点の疑もなき迄になり、農村人にとっては肥料無しでは食糧の増産は不可能なりとの信仰にまで立至ったので ある。しかるにかくのごとき肥料が進歩し耕地面積が三割も拡大されているにも拘わらず、その結果がほとんど同様でありとすれば、その結果は三割の増加面積 だけが減収という反対現象を生じた事になり、施肥こそ反って有害無益と断ぜざるを得ない事と愚考致すに至りました。彼のいわゆる精農家と呼ばれている人々 自身、果して適正量の施肥を為したとしても収穫時迄安心して待てるでありましょうか。風につけ雨につけ、水害、風害、干害、虫害等に絶えず不安と順天良候 を心に願うという事は、肥料だけに絶対の信頼を傾け得ず、何かしら大自然の偉力こそ栽培の良否を左右するものと断ぜざるを得ない考えであった。
ここにおいて吾々は世人嘲罵と家族の不安を耐忍慰励しつつ敢然と無肥料栽培を実施したのである。会員はひたすらに神助を信じたのであった。その結果は第 一年目は分けつ七-十本位で二割五分減収となり、二年目は分けつ十二-二十二本となり一割五分の減収となり、三年目は分けつ十八-二十五位となり一本の茎 に二-三本の穂がつき俗に言う穂に穂が咲いたもの、夫婦穂が出たものもあり比較的茎は短大にして穂が充実してシイナがなく、内容外容平均し増収の見込を得 る事が出来る程度となり、最初の信念のごとき結果を得られた事を実施者と共に喜びいよいよ確信を固め、第四年目より益々効果を得るの自信を把握する事が出 来たのであります。ここに今年より初めて無肥料栽培を実施した人達の感想記を添付し参考に供したいと思います。
追 記
無肥料栽培による減収が経済的な面と供出の関係より是と思う人達もいざ実行するとなると不安を感じるようですが、無肥料栽培者は肥料購入代金の皆無に依 り施肥者が収入の約一割四分程度を肥料代金に費消しているのに対して、これが不要となると第一年目の減収となり反面手持肥料及人馬糞の売却により第一年目 と第二年目の実減収一割二分を優に補填(ほてん)し、かつ肥料入手困難の昨今これに対する繁忙と手間代を有効に活用して副業の充実を計り供出面の不備を補 綴(ほてい)し得ているのであります。
従って、第三年目より右の条件だけ収入増加となり逐年増収高をあわせ考える時、農村経済の好転は期してみるべきものがある事は明白であります。この精神 的肉体的安心感は農村に革命的幸福をもたらすのであります。
右のごとき最初ある期間の原因を大先生に御質(たず)ねしたところ、そのお答え左のごとくである。
土壌及び種子共肥毒の為衰弱しているからでそれが年を経るに従い漸次肥毒が軽減し、全く無毒となってから良質増量の美果を得るのである。それには種類に より早きは一、二年遅きは三、四年後、予期の成果を挙げ得るのである。
無肥料耕作特に稲作に就て
千葉県海上郡瀧郷村清瀧九九
日本五六七教 教導師 平野 衛
この度本部の戸村先生より、作物の無肥料栽培について何か体験を述べよとのお言葉がありましたので、会員として最も光栄と存じまして、拙い説明では御座 居ますが、左にその水稲無肥料栽培について御利益話を記し皆様の御参考に供したいと存じます。
作物の無肥料栽培によって、増産が出来ると言うお話を伺いましたのは、今より数年前即ち日本浄化療法の講習を受けた想い出の年、昭和十九年八月のころで 御座居ます。御承知のごとく当時は大東亜戦争真最中でした。私もこれは良い事を聞いたと思い、それから作物を試験的に無肥料栽培して見ようと思いまして、 特に水田一町歩の内二反歩だけ実行する事に致しました。最初の年(二十年度)は四俵半(一石八斗)位で当地の平年作(五俵ないし六俵)を割りました。二十 一年度やや上昇しまして五俵半(二石二斗)二十二年度(昨年)には驚く勿れ七俵弱と言う成績を上げまして、無肥栽培の真価を発揮致しましたので初めて自信 がつきました。
右いずれも除草は二回ずつです。
昨年七月より私達のお仕事が日本観音教団となりまして、光が急に世の中に出たため昨年度は好成績を得られた事と思います。
植付けから収穫までの状況を申しますと、まず六月の初旬に植付け、半月程経てから一番除草をやるのですが、その時はまだ漸く根付いただけで何の事もあり ません。それから半月程してから、二番除草をするのです。肥料の入った稲はその頃になると、もう黒々として見るからにたくましく伸びつつありますが、無肥 料の稲は分けつも大した事なく艶もまた黄葉が消えず、本当にこれで増収出来るかと思う位でありました。暫く経って七月半頃見廻りに行って見ると、艶も黒く なり、丈も伸びてどうやら稲らしくなって参ります。
八月初旬頃になりますと稲も出穂期になりますので、普通の稲と変らない位になって来ます。八月中旬になるとすっかり穂も揃い、幾分頭をかがめて来ますの で見ても立派です。八月も下旬になると、段々黄色を増し大きな穂を重々しく垂れて、主人が見廻りに行くのを美しい姿で待ち受けております。こうして収穫期 に入るのですが稲草がかたくなりますので、雨や風が少し位やって来てもしゃんとして立っております。刈取りも済みやがてスルスを引き米にしてみると意外に 升数の多いのに驚きます。これは「モミガラ」が薄いので、米が割合に多く出るのです。モミは普通半ズリと言って一石のモミは米にして約五斗位です。無肥料 米ですとモミの六十%程出ます。
一、肉付きの良い大きな粒になる。二、光沢が美しい。三、目方が重い。四、食べて美味しい。五、他の米に比して保管にたゆる等々幾多の長所があるのであ ります。その一例を申しますと、普通の米一俵の規定貫数十七貫八百匁で大体四斗-四斗一升を要しますが、無肥米ですと本年は四年目で未だ収穫期になりませ んが現在迄の状態をかいつまんで申しますと、植付け後直ちに干害の為枯死状態となり、田へ入っても足へ泥も付かない程かたまったのです。
その中に、もの凄い大雨が降り、一夜にして干潟八万石の耕地を湖と化してしまいました。稲は水の中で苦しい四、五日を過しましたが水が引くと稲はひょろ 長く伸びて、田にベッタリと横になって目も当てられません。
揚句の果に水田の王者、ザリガニの猛威を揮うところとなり伸された稲の胴中を、すっかりかみ切って終ったので、今年は皆駄目だろうと思いながら、自然の なすままに秋の来るのを待っていました。つい先達而、八月下旬に廻りに行って見てびっくりしてしまいました。何となればあれ程ひどく打のめされた稲が今日 の前で見事な姿で大きな穂を波うたせていたのです。作況も昨年に勝るともおとらないと私は確信致しております。
被害当時は私の田が一番ひどくやられていたのですが今は近所の稲をひき離してたくましく成長しているのですから、一般の方が驚くのも無理ではないでしょ う。右のような事実が近頃会員の皆様から聞かれますが麦にしても甘藷にしても必ず会員のところのは近所のよりも成績が良いと言うところに、観音様の妙智力 が働き、その僕たる私達に大いなる御恵を垂れさせ給うたのである。
私の体験談が会員諸君に得るところがありますれば、幸せこの上もありません。
私は今後一層観音様の御力にすがって地上天国建設の一端をになわせて頂きたいと深く思いを致す者で御座居ます。水稲栽培の御利益話は数々ありますがこの 辺で御観音様の偉大なる御力を礼讃し筆を置く事に致します。
無肥料の体験
岐阜県安八郡墨俣町上宿三九七
日本五六七教 奥田 綱
私は元々貧乏百姓のため肥料配給制度になって、闇肥料は入手困難になりましたその頃より、止むを得ず堆肥のみにて耕作していました。ところが当時の収穫 は近隣の人々のが反当り六俵ないし七俵位のところ、私方は約十俵内外の収穫でした。その故をもって篤農家だとか努力家だと評判されていました。
それが昨年教修を受けまして無肥料耕作の御指導をうけ、私の今日迄の耕作が的中していた事がつくづく解らして頂きました。しかし家畜の堆肥の不可である 事を承り、早速昨年よりそれを止めて真の無肥料耕作を実施致しましたところ、昨年反当り十三俵の収穫を得、今年は未だ全部の収穫は未調査ですが、一部の収 穫は反当り驚くなかれ十五俵を突破致しました。
その無肥料耕作のお教えを戴きましたのもひたすら観音様の御蔭と思い、この尊い御教えを一人でも多く御伝えして御恩の万分の一にも御応えせんと教導師補 の資格を頂き布教に邁進しています。
浄霊と無肥料栽培
岐阜県海津郡今尾町脇野
日本五六七教専信会 小野多 賀治
一、稲作について
平年作、当地方は七俵半獲れた程度でしたが、昨年は肥料不足のため丁度良い機会と無肥料で耕作する事に決し、「モミ」「苗」に浄霊をした上、田植をな し、以後あぜより数回浄霊法を実施した結果、他家では例年のごとく七俵半程度の収穫でしたが(勿論肥料は種々困難して入手して施していたようでした)私は 肥料を買う事もなくただ観音様に専心おすがりしていましたところ、他家より反当り二斗位多く穫れ平均八俵という成績でした。
今年も同じ様に「モミ」「苗」に浄霊法をし、穫高の約半分程堆肥とし田に入れ、教修を受けたもののみにて田植を致しました。引続き五月初めには光明如来 様をお祭り致しました。
ただ今坪八十株位にて一株十五、六本茎強く、他家もうらやむ程の出来栄で、他家より一俵位多く御利益を頂けると思っております。
田の草取り及びその付近に行った時は、あぜより浄霊法をして家内中一生懸命です。
一、麦作について
屋敷畑に全然無肥料で、朝夕浄霊を致しましたところ、反当り八俵しかも「空モミ」は一粒もなく平年より良い麦が穫れました。
費用かけず一分の増収
静岡県榛原郡中川根村
日本五六七教真善会 大石文一 (25)
私は無肥料耕作にて御利益を戴き喜びに満たされています。私の村は山に包まれ耕作が少なく耕作労力を多く必要とする不便な地です。
私は二十二年二月入信。当時、無肥料耕作法を聞かされても信じる事は出来ませんでしたが、度々の御面会を戴くようになってから何となくやって見たくな り、二十三年度の稲にと思いつき種籾を分会長先生に御浄霊をして戴き早稲の苗田を作り、三月三十日に籾種を蒔き数回浄霊をしました。苗が五分程のびた頃、 烏が芽をくって困りました。先生に御伺いしたら烏がつつかない事も出来ると言われましたので、早速お願いして四隅に御浄霊した立札を立てたところ、烏が少 なくなり、二日目には一羽も来ないようになりました。観音様の御力のお蔭と有難く感謝し、五月五日に本田に植付けました。
六月十五日頃一番除草終りました。稲は黄色くてひょろひょろしていましたが、七月十五日前後二番除草を行う頃には大分大きくなり、十二、三本に分重しこ れで稲らしくなりました。八月に入り他の稲より伸びてはいませんけれど、見るからに丈夫そうです。八月中旬の出穂期になると他家のものよりは分蘖は少な かったけれど穂はずっと大きく、九月に入り稲穂はずっと大きく、十月に入り稲穂は重々と頭を下げて日増しに色付いて行きました。
九月上旬ごろより全般的に「ウンカ」が発生し、他では毎日「ウンカ」取りに大騒ぎです。私は一匹の「ウンカ」も付くものかと思っていたが心配になるので 行って見ると大変です。「ウンカ」は田の中程より発生、外へ向っています。さあ大変と私も焦りました。先生に御伺いしたらよく浄霊をしなさいといわれまし たので、懸命に浄霊しましたがなかなかとれません。他家のは白く枯れたところが数カ所ありましたが、私は二カ所で喰止める事が出来ました。私の方は反当り 二俵半から四俵というところです。他家では今年は平年作にいかないだろうと嘆いています。私のは少くとも昨年の七分はあると思って稲刈りも終り、籾すりを してみて八分という上成績を得ました。私は肥料代と手間代だけ他より少なくて一年目にこの成績を得たのです。一家中、神の恵の偉大さを今更ながら有難く、 一層努力すべく心に誓い少しでも参考になればと御報告をさして戴きます。厚く御礼申し上げます。
無肥料麦の強靭
三重県河芸郡大里村字窪田一四三八
日本五六七教三光会
教導師補 北村四郎 (30)
無肥料耕作一年生を御報告させて頂きます。
当三重県は教団の布教が隣りの愛知、岐阜よりは大変遅れていたため、私も会に入らして頂いてからは、未だ一年半(昭和二十二年三月二十二日、三重県河芸 郡大里村字山室、草深弥一郎さん方にて教修を受く)しか経ておりません。初めから無肥料で三割の増収は可能だとか聞いていましたが、七十の坂を越した父に はそれが納得させにくくて困惑しておりました。浄霊により多くの人の病気が癒って行くのを見、又自らも何人もの人の病気を楽にした後でした故、先生方の言 われる無肥料耕作がしてみたくて、毎日ウズウズして、観音様に御願い致しておりました。
僅か半年そこそこで幸い願い叶って、二十二年度麦作より農業の方は父が引退して私が全部責任を持つ事になりました。ここぞとばかり小屋に積んであった化 学肥料を全部売って終いました。と言うのは夏頃迄は家の中に、やはり観音様の御利益が絶対的であり、農作物迄にも御恵みが得られるという事が解り、私の家 も教導所にして頂き日々お参り、あるいは浄霊にお出でになる方々を見ていて、家中の者が観音様の御利益の絶対にして想像することも出来ない偉大なるもので ある事が判ったので、誰一人反対する者もなくなっていたので、そうする事も非常に簡単に出来ました。
二十二年の秋、麦の蒔付は近所の人々と同じように致しました。今度は大先生の無肥料耕作の論文が出るそうですが、当時はただ「一回でも多く耕作せよ」と 先生から御聞きしていただけでしたので、何も判らないままに人が中耕(作物の根を耕す事)土入れ(麦のまだ二、三寸の頃麦の頭から細い土を振り掛ける事) を三回程する所を私は四回致しました。しかし光明如来様の御恵みを信じている私ではありますが、やはり生まれて初めての試みの事とて、心配で心配でなりま せんでした。朝に晩に光明如来様の前に座れば「麦を穫らせて下さい。いい麦を稔らせて下さい」とお願いするばかりでした。それが三、四月頃になって来た 時、いよいよ隣の麦と自分の田畑麦の相違がはっきりして参りました。普通の麦は青々として濃緑そのものであるに反し、家の麦は色が淡く株も薄くなんとなく 貧弱で、丈も他家のは一尺七、八寸程もある頃に、家のは一尺前後で中々延びないのです。
「麦稈(ばっかん)はいくら大きくても収穫が少なければ何にもならない、観音様は小さい麦得で大きな取り入れを教えて下さるのだ」といつも先生方からお 聞きしていました。又光明如来様の御光を信じている私ではありますが、時々襲って来るように脳裏にひらめく心配は、打消しても打消してもやって来ました。 その上「なんや、あそこ今年はおかしな麦を作ったぞ」とか、農業組合長が「あそこあんな麦で今年供出が出来るやろか」など陰口を耳にした時は「今に見てお れ、いい麦を沢山取ってびっくりさせてやるぞ」とそしり笑う人々にも相手にならぬようにしておりましたが、やっぱり陰口を言われると余計に心配でした。し かし穂が出揃う頃より、その心配も忽ち喜びと変りました。穂が大きくなると同時に当地方においては今年は大変な黒穂と雨が多かったため、一雨毎に穂及麦稈 が腐り、茎の中程よりほとんど折れ、充分結実せず、ひどい所では三割の減収、又は茎が中途で折れたため刈取りに農家は非常に苦しみました。しかし飜って家 の麦は黒穂は一反に一本ないし二本でほとんど皆無に等しく、茎が中途で折れる等は全然目に当りませんでした。雨が降って他家は被害を受けたにも拘わらず、 私の家では雨が降ったことによっては何の障りも受けず充分に結実し、初めは減収を覚悟しておりましたが、観音様は私等にひもじい思いをさせない為か平年作 はゆっくりありました。
又一粒一粒の実ははちきれるように大きく生長する頃の状態を知っているものでは、実にその変化の大きく無肥料耕作と観音様の恵みの大きいかに驚いており ました。「あんたとこ今年はええ麦だすなあ、私等とこ今年は種になるのがない程だすわ」とか「へえー、これが肥料なしで取った麦ですか、えらいもんですな あ」とかつての悪口もどこへやら「肥料をおかなかったからこれだけの麦が取れたのだ」と家中の者の顔もほころびて、私も途中の心配したのが何か罪悪のよう な気がして、今更に観音様に御礼と御詫を申し上げました。
麦摺りの結果、粒は円々と大きく俵にするさいにも、いつもは十六貫の一俵を作るのは四斗四升程必要であったものが、今年は目方がよく利いて、四斗二升た らず位で十六貫になり、供出には一目見ただけで検査員が「この麦はええ麦やなあ、今年はこんな麦はめずらしい。飛切の一等やなあ」と大鼓判をおしてくれま した。これに自信を得まして、すべて無肥料で致しておりますが、こんどの米作には何だか引続き増収するような予感があります。
事実稲の発育状況を見ておりますと、病毒なき溌らつたる生長を続けているように見えます。家の事情で毎日浄霊に従事する事も出来ない私は、せめて無肥料 耕作によって増産方法の型を示して、これに劣っても優る耕作法はないことの事実を一般に知らしめ、そしてそして日本農法改革に先鞭をつけたいと念願してお ります。かくすることによって大きなみ恵を戴いている御礼の万分の一を観音様に御返し出来るものと確信して、日々農耕に一心不乱努力を続けております。
昭和二十三年九月一日
無肥料栽培の体験
岐阜県揖斐郡北方村
日本五六七教清霊界
教導師補 牧村俊夫
私は農業に従事して化学肥料による土質の硬化と作物の不発育、及び耕作の困難を来たしつつあるを知り、かねてより無肥料耕作をしてましたところ、フト観 音耕作のお話を聞き二十一年にお光を受けました。そこで早速大先生のお話の通り耕作を始め、三反歩の稲作につき浄霊をしました。稲は始めより好成績で秋落 もなく多大の収穫がありました。籾は莚立「二枚つづき」に普通は八俵程入るのが籾摺をすると何と米は九俵の俵に収め得ることが出来、籾の量は同じで一俵多 く出ました。本年は反当り平均収量より五升の増収をみ、肥料の不必要であることを知り、実に観音様のお蔭と感謝し、増収増産無肥料耕作に努め本教発展に努 力しております。
肥毒につきまして
石川県石川郡狩野村
日本五六七教金輪会 朝倉節 子(39)
これは石川県石川郡加賀平野の中央に位置しております農家の信者の告白でございます。
今年は急に肥毒が自立って参りました由にて、麦馬鈴薯共に化学肥料の害を表わし、馬鈴薯は永年の肥毒の関係か収穫予定期より、一週間余りも早く茎部から 枯れ出し詮方なく掘りました。芋は極めて腐り易く貯蔵のきかないものが多く、従って味も余り良くなかった由でございます。
麦稲作共に当地は盛んに化学肥料を用いた土地でございます。現在は戦時中から高価のため幾分少なくなっておりますが、従来通りに金肥を用いました稲作は 草丈はあり、青々として青田の時は非常に豊作を思わせますが、いよいよ収穫期に入りますと草が非常に軟弱のため少しの風雨にも倒れてしまい、倒れないのは 葉ばかり、のこり穂は至って小さく加うるに籾殻が厚く、実収穫は予想を裏切ったと申しています。
お話は別で御座居ますが私の隣り村に石川県の農事試験所が御座いますが、随分広い土地が費されております。稲作麦作はもとより大抵の農作物は栽培研究さ れております。広大な土地と莫大な人の労力と肥料の研究に全力を傾けているように見受けます。何々肥料何割何日施与と細かく書いて立札が立てられてありま す。
多数の県民の研究に来るのは申すまでもありませんが、作物はいずれも片輪ものあり貧弱なるあり、豊な稔りはみられません。本教団信者は今年のこの著しい 肥毒の恐ろしさをまざまざ見せられて、言葉なしと申しています。はっきり表われて初めてそれと知る事の愚さをつくづく話しております。そして来年からは豊 かな穣りを戴く準備を致しましょうと異口同音に申しております。
無肥料栽培の収穫
栃木県河内郡國本村
日本五六七教信愛会 岩橋きよ (37)
私は昭和二十一年一月に教修を受けましてより農業の傍、近所の人達の御浄霊致しております。
いつか大先生より無肥料栽培のお話を伺いましてより私の家では今年は全部無肥料(堆肥は使います)に致しました(自作農地約三町歩)最初の内は近所の人 達に笑われました。それは蒔き始めは非常に悪く見えますので、自分も家の者も何だか不安で半信半疑でした。そして家の者は肥料をやるように盛に奨めました が、私は大先生のお示しを信じて飽く迄頑張りました。
そしてとにかく、さつま芋と野菜にまず試験的に実施しましたが一面又心配なので畑に向っては浄霊を致しました。ところが嬉しい事には今では全体が非常に 見良くなりました。その内で特に御利益を頂いたと思うのは今では干瓢です。木は赤くして醜いのですが実は沢山出来てメゴメゴしい(キメが良い)ので本当に 不思議と家の者も驚いており、無肥料栽培を信じるようになりました。
他の野菜も非常に出来が良く、味も馬鹿に良く、一回の肥料栽培のどのものよりも美味で皆様がその味を賞めてくれます。これも神様の御利益と感謝致してお ります。これで自信を得た私達は今年は米作にも全部無肥料にする事に致しました。
おかげ話
栃木県喜連川町
日本五六七教信愛会大武孝吉教導所報
本人 吉川利作 (23)
教修 昭和二十一年二月
光明如来様奉斎 昨年三月
世に「為さざれば」と言う古人の金言がありますが、どんな良い事を知っていてもやらなければなんにもならないのと同じに観音様の御利益も行ってみて始め て大きな恵みに浴されるのです。私ばかりでなく家族の者八名皆教修を頂きまして、身体は勿論作物にまで大きな御利益を頂いております。他家の作物と比べる と総て良く出来ていますが、その中で観音様のお恵みの一番目立ったものを皆様にお知らせすると共に感謝を述べさせて頂きます。
苗代にまく籾種を冷す前に観音様にお供えして家中揃ってお祈りを済ませ一人一人順々に浄霊を致しました。皆で頂く米が出来るんだから皆で浄霊したので す。
無肥料栽培がよいと聞きましたので、一反歩だけ実行してみることになりました。清い種は苗代での成績もよく、一家の期待をかけてすくすくと伸びていま す。この田にかける水は山から滲み出る僅かな水でした。それと隣りの田から落ちる水によって潤されていました。所が今年は隣りでは意地悪くも一滴の水も落 してくれません。私の家でやる事に邪魔をするのです。
広い田に一本ずつ植えた所は本当に心淋しいものでした。皆が一生懸命水を廻そうとしてもない水はどうにもなりません。無残にもこの稲は枯果ててしまうだ ろうか、朝夕観音様の礼拝の時、ひたすらこの田の御守護をお願いしていました。一両日照り続くと干割れてしまうと言う時、不思議にもその都度降雨がありま した。実に観音様の垂れさせ給うた慈雨です。山からもどんどん水が出ます。他の田から落ちる水はなくともかえって余る程です。本当に観音様は正しい者の味 方です。非難と迫害の下に一般者から注視された稲は不思議な力によって伸びました。ただ一本の苗が今では最高四十八本、最低二十本、一本に二百八十から三 百粒と言う素晴しい出来栄です。
最初は非難していた人々もこの事実をみて覚めるようになりました。強い茎から出た穂がそっくり揃って今年の秋を飾っています。普通草取りの時に根本の土 をかいて充分日光を入れ又それから浄霊をしました。
無肥料をしかもこんな大きな恵みを頂いて本当に観音様は有難いと家中こぞって感謝しています。
浄霊によって三割増産
栃木県塩谷郡喜連川町
日本五六七教信愛会 吉川 大(27)
昨年の三月八日に光明如来様をお祭り致し、家族は全部教修を授かっております。浄霊は人体許りでなく作物に応用しても効果があるとお話を伺いましたので 早速稲について実行して、例年より三割増収致しましたことを御報告いたします。
まず苗代に種を蒔く前に光明如来様にお供えして、家族皆でお詣りしてから代る代る種を浄霊致しました。そして水に五日つけておきました。それを苗代に蒔 き、よく伸びるように又浄霊をいたしました。やがて芽はすくすくと伸びて田植の時季が参りました。これからが問題です。ある人に聞いたので従来の植え方と 趣きをかえて一株一本ずつ、間隔は横一尺五寸、縦五寸の長方形に植えるのです。
この方法は無肥料で差支えないとその人の言に私は大きく動かされました。かねて先生方から作物は無肥料栽培が、ほんとうに作物の本性を現わし増収すると 伺っておったからです。よし必らず増収の途を切り開こうと決心致し極めて冒険的な仕事に取りかかった訳です。
少し位の試作では実収において正確な数字をつかめないと思い、思い切って一反歩だけやって見ることにして、関東三十号の品種を試作することにした。植え てみると一株に一本だけふらふらと心細く立っているので、遠くからみるとまるで植えてない田圃にしか見えません。近所の人達も「あんなことをして米が取れ るものか」とあざ笑っていることが耳に入りますが、観音様が御守護下さるのだと大舟にのった心持で、それでも一日に三回位は必ず田圃の周囲を廻り、土手の 上から浄霊を致しておりました。
その田は雨が長く降らないと水がなくなって仕舞うのです。丁度植付けてから一週間目位でそろそろ水がなくなりかけました。もう少しで干してしまうと思っ ている中にも中々雨は降りません。そしてきれいに干上ってしまいました。もう一日という際どいところで夕立があり再び田の面には水が満々とたたえられたの です。幾度か観音様にお願い致しました結果、実に際どいところで御守護下さったのであります。
その後、雨も順調に降り、稲も一本から二本、四本、八本と日を追って殖えて行きます。一カ月後には普通に植えた稲田に追いついてしまい、青々と旺盛に発 育しております。除草も除草機を一回だけ使用し、後はなるべく自分の手でやるように心懸け三回行いました。ぐんぐんと順調に分蘖し最高五十本にもなった株 もあります。
最初笑っていた人達もしまいには感心するようになり、反当り十俵ないし十二俵は穫れるだろうと言うまでになりました。私も内心喜んでおりましたが穂が出 て間もなく強風雨に半分以上も倒伏してしまいました。秋になって収穫しましたところ、水が順調な年の三割の増収になっておりました。倒伏したのは今まで化 学肥料を施したので、土地が浄まっていない関係と思います。
私の村では二十三年の稲作は平均一割五分位の減収と言う状況ですが、私は浄霊によって三割の増収を得ました。観音様の御恵の大きいのに心から感謝いたし ている次第です。強風のために株が倒れる前の頃で、開花が終り粒が定まった時分に信愛会会長篠原先生のお訪ねを受け無肥料耕作の実績を訪ねられましたの で、任意の一株を抜き取り調べてみましたところ、次の状態でありました。
一株の本数は五十二本、一穂の籾粒は少ないので百八十粒多いので三百二十粒を数えられました。これを普通に耕作したものと比較いたしてみますと下段の結 果となります。
しかして実収穫は桝目において三割増収となったのであるが、これは強風倒株のため結実の出来なかったのが大分あったためである事は疑いない。もし強風倒 株なかりせば、右の三倍以上の収穫は間違いない。又平素、観音様の御利益は一粒万倍であることも、分蘖数五十と一穂の数二百五十の計算から実に一万二千五 百粒となるからこれも真実であることを実証された訳である。
右は試作一反の水稲の実績であるが、この耕作中、田植一カ月後の見事な出揃いに力を得て、浄霊を続けていた他の畑作、馬鈴薯、薩摩芋、煙草、その他野菜 類にもなお一生懸命に浄霊を続けました。その結果は馬鈴薯は三倍、薩摩芋二倍、煙草は五割増、その他野菜悉く優秀な成績を収める事が出来ました。
殊に奇蹟とするのは大豆である。これはお話すればまず種を光明如来様にお供えし、よくお願いして蒔いたが、一畝に五、六本の発芽があったのみであったの に拘らず他人の畑は見事に発芽をみている。非常に不思議に思い考えさせられたが、フト頭に浮んだのはこれは観音様が不適当な品種なので他の品種を作れとの ことだと教えられたような気が起きたので、兄弟二人話合い他の品種と取換えました。ところが今度は実に見事な発芽振りであるので、喜んでおりました。
御収穫の秋において他人の畑の豆と比較してこれまた大きい驚きをみた。それは他人は大なる減収であるのに反し、当方は素晴しい大収穫をみた。つくづく光 明如来様のお蔭、浄霊の有難味を感得させて頂きました。
一反歩耕作比較
無肥料耕作 普通耕作 比較
(イ)一株植付け苗数 一本として 三―五本 (一抹四本の計算)
株数 一四三〇八一株 一九一八六三株 七、五割ですむ
(ロ)苗の間隔 横五寸 横七寸
縦一尺五寸 縦八寸が普通
(ハ)植苗実数 一四三〇八一本 七六七四四八本 普通一、八六割
(一株四本植の計算)
(ニ)分蘖数 実績五二本を 普通一五-二〇本である 二、七倍
五〇本で計算 が平均一八本として計算
(ホ)一穂の粒数 実績一八〇-三二○ 普通一五〇-六○ 一、五六倍
平均二五〇粒計算 平均一六〇で計算
(ヘ)総粒数 一七億八八〇〇万粒 五億五二〇〇万粒 三、二三倍
黙々三年間の試作体験
宮城県本吉郡大谷村字前浜
日本観音教進々会
教導師 及川富雄
昭和十八年八月よりこの有難い信仰に入り当時治病の業に専念中無肥料栽培について荒屋先生より御説明を項きました。
その当時無肥料栽培を行う事はどうしても不可能でありました。当時は戦時で国家総力を挙げて増産を叫ばれており、農業会全国の指導機関は口を揃えて増収 の鉄則は肥料の適合適量の様に世人一般に普及し、世人一般も又指導そのまま固く信じ化学肥料等人為的肥料に苦心していましたが、その結果としては病虫害は 年一年と増し農作物の収穫は減収する一途を辿るのみでありました。
しかしながら科学を信ずる世人一般は何らの不審も抱かなかったのであります。ところがたまたま荒屋先生より化学肥料栽培で穫った作物を食べるとしらずし らず人間の身体に悪いと言う事も教え頂いたのでいけないと早速昭和十九年春作よりこの実施に取掛ったのであります。こんな結構なしかも簡単な栽培方法が あったのかと喜びましたが、又半面収穫をみなくてはという心配もあったのであります。
初年の稲作は不良という結果になったので村内一般より無肥料栽培のため不作になったのだと非難を浴せられたのでありますが、三年後の暁をみる迄はと思う 決心で黙々実行しておったのであります。ところが、同年九月現役として入営の余儀なきに至ったのでありますが、私の所信を家人に篤と話しこの実行を中絶す ることなく実施していて貰ったのでありますが、御守護により丁度一カ年目の九月に復員して、再び所信の研究をさせて頂きました。その結果初年水稲は三割減 収、麦作三割五分減収、次年には水稲二割減収、麦作三割減収、三年目には水稲一割減収、麦作は一割五分減収位に止める事が出来ました。
所信三カ年の成果にて年一年減収の復活をみる事が出来ましたので、これにより平年を越して増収をみるもあえて難事ではなく、この実行を継続することに よってその成果が近きにありと感じなおも研究に余念がなかったのであります。その頃大先生様に御面会の際、無肥料栽培について具体的な御垂示を賜りまし た。
その一つは木の葉堆肥をやると作土が非常に軟くなり細根が延び根の働きが充分に出来るので作物に非常に良いとの事でありました。
もう一つは作根に太陽の熱を与えるようにするのがよいと話されましたので早速実行して見ました。その結果四年目には水稲三割増収、麦作は二割五分増収と いう大なる御神徳を頂き、この時の御守護の有難さはたとえようもありませんでした。
当時村内一般の作況は平年作にも至らず不況であったにも拘らず、私の家では前記の二割ないし三割という増収であったので、村内一般は驚異の眼でみたので 農業指導関係者の訪問迄も受けたのでありますから、その情況はおして知るべしであります。
そこで病虫害発生の原因も研究させられて参りましたが三カ年間の無肥料無消毒の結果、水稲においては稲熱病、苗代の腐敗等迄も全然なくなり、麦作におい ては「元消セ」「雪腐れ病」「自穂病」等迄も全然なくなりました。これを思うに病虫害の発生は化学肥料並びに薬剤撒布が原因である事がはっきり判り、なお 作物の出来るのは御土の霊気が原動力で火素水素土素の三位一体の大自然のお力によるものであると言う事を教わったのですが、その通りであるという事を判ら せて頂きました。
なお付け加えて無肥料栽培の作物の味覚も格別であり、身体にとっても栄養満点であると思われます。無肥料栽培の特長として増収栽培方法の簡単、経費及労 力軽減、病虫害自然防止、味覚優良等々幾多の特点があるので、これを全国の皆様にお奨めしたいのであります。
耕作段別 畑八段七畝、田一町五畝
観音様のお蔭
新潟県古志郡富曾亀村字新保
日本五六七教日之出会 日山 ハル(46)
長岡市郊外で主人はトタン職工、私は五人の子供を育てながら自給程度に畑作りをしています。昨年暮より長女が床に臥し難病で苦しんだ末、今年二月観音様 に縋り御力の有難さを身に沁みて味いました。この御力は総てのものに及ぼされる事を聞き、早速春蒔の白菜、馬鈴薯、さんど豆、夏大根、茄子、胡瓜、里芋、 なんばんの種子をお浄霊して、昨年と同じ畠に同じ畝を作って蒔き肥料には手入をしました。昨年は白菜、馬鈴薯、夏大根は虫に喰われてほとんど収穫なく花の ついた頃より枯れてしまい、胡瓜、南瓜、里芋がどうにか穫れたものの、七人家族の野菜には足らぬ足らぬの毎日でした。食糧不足の折、昨年の事が心配の種で したが今年は白菜、夏大根、さんど豆、胡瓜、茄子は芽の出方が早い上、虫害も受けず気持よくすくすく肥って参りました。白菜は近所のよりもずっと大きくな り、家中で食べきれず分け与えました。余り大きいので筋があったりして硬いのではないかと思われましたが食べてみると大変軟かでした。胡瓜、茄子は沢山な る上、有難い事には木の寿命が長く他の人のが枯れてもなり続けています。里芋、南瓜、なんばんは初めは普通でしたが途中より茎が大きく強くなりよく実って 来ました。昨年の野菜不足に比べると今年は十分作りが出来、又私も子供もお浄霊をいただき身体が軽く気持よく働く事が出来喜んでいます。先日も主人が仕事 より帰り台所に畠より取込んでおいた南瓜を見てどこから買ったかと言われました。増産に一生懸命のお百姓さんにこの御力をお伝えしたいと思っています。家 族の者も作物も、観音様の慈雨に浴し、気持よく毎日を送る事が出来有難さで一杯です。
無肥料栽培二年目の報告
日本観音教団大成会鶴明会長 湯 本栄作
大先生様のお許しを得、私は東京より米産地、東北山形県庄内平野に地上天国建設のため教導所を設置してより三年余になります。その間幾多の御守護を頂 き、今日ここに鶴明会の御命名を拝受致しただただ感謝あるのみであります。
米産地の改善に当りまず無肥料栽培の体験を発表させて頂きます。
東京都より参り見渡す限りの大平野を一望する時の直感は、やがて大革命の時が来るであろう事を!「大革命とは何んでありましょう」それは全農村の大革命 であり全農村への無肥料栽培の実施であります。しかし現在一般農民に無肥料栽培でお米が穫れると宣伝しても、果して何人が信用するでありましょうか。それ はさながら無薬にして万病が癒る療法即ち神霊療法がある。薬を体内に注入しない方がより健康を増進し長寿を保つという、それと同じ結果になる理でありま す。私は久しくこの無肥料栽培を村の教修者青年諸士に説きすすめて来ましたが、長い間の施肥料習慣というものは、そう簡単に変更する事は不可能の模様が多 分に見受けられました。そこで一昨年の夏、要は実際問題として体験である事を思い早速実施に取り掛りました。東北地方の植付はその年の六月上旬に完了しま した。私は助手と共に余った稲苗を二束程貰い受け、無肥料栽培の試作を始めたのであります。無経験の私は場所の選定には一通りの苦労ではなかった。しかし 総ては神様に御守護をお願いしながら選定した場所は庭先の砂丘地に決定したのであります。まず試作状況を述べてみましょう。
(一)屋敷内のため風通し及び陽当りは田圃に比し悪い事
(二)選定箇所は砂丘地にて稲作には不適なる事
(三)一般の田植が全部完了の後始めた関係上約一カ月程植付がおくれた事
(四)化学、人糞肥料を一切使用しない事
右のような悪条件の下に連日の炎天に助手と共に「流水」を運んでは水掛けを続けました。最初は植付遅れと冷水が害したのか発育不良に気づき、溜水の温水 を遠方より運び給する事一カ月余、その都度浄霊し又御軸にもお願いして、少しでも立派な一年目の無肥料の種籾を作るべく心から念願して励みました。植付当 初の事である。近所の者から「先生そんな所へ植えても駄目でしょう。それは陸稲ですか、そんな事で米がとれるなら我々農家は増産に支障はありませんよ」等 々一向に相手にせず、ただ笑うのみでありました。その時私の心の中には絶対的御光の御守護を頂き、今の言葉を悔むべく秋にみせてやる意外には何物もなかっ た。やがて収穫の秋、その稲穂を手にとり黄金色の光沢といい、粒数の揃っている点等、みればみる程感謝の涙がこみあげて来ました。思いの外の作で一本で一 三〇粒-一八〇粒の稲穂はかくして無肥料栽培の種籾は出来上ったのであります。早速御守護を神様に捧げて祈りは第二年目の御守護であります。二年目の作は 三カ所の村の熱心な教修生に種籾を分配し「これは貴重なる無肥料の試作の種籾であるから充分に注意を払い栽培してもらいたい。又この出来具合によっては全 農村への大きな福音ともなるのですから、又この偉大な無肥料栽培の指導者となる訳ですから、大いに張り切って栽培して頂きたい」とお願いしました。いよい よ三カ所の教修生は全心を打込んで立派な種籾を耕作する決意のもと栽培し、昨秋の収穫期に御守護のもと一斗の米を得る事が出来ましたので早速大先生様にそ の中の一升をお印として御奉告申し上げ御試食までいただいたのであります。残余の籾は第三年目の無肥料栽培を実施する種籾となるのです。農作無経験の私の ようなものでかくして無肥料栽培の種籾を作らせて戴き、何かしら一大発明でもしたような喜びに浸る事が出来ましたのでここに体験の一端を申述べさせて戴 き、来るべき本年度産からは本格的無肥料栽培法の教導普及に全農村幹部篤農青年を選定し活発に指導する考えのもとに各地に指導者を置き、主食困窮の現在は こうした普及により増産を計る計画中であります。
参 考
(一)石当り二貰メ(五升)一升に付二十匁増産の計算からみた場合の国内増産は何千何万石への増収となる。
(二)除草、害虫駆除の不要に付、労力は三分の一位、又経済的にも三分の一位であるから家庭は安定し円満となり国運の発展は計り知れない。
(三)肥料代皆無
(四)粒は真の光沢があり青光りしている。美味しさは無類にして栄養百%である。
(五)人肥不要のため体内に蛔虫発生せず絶対的にして長寿は保険(大先生御講話より承る)等である。但し右は二年作の成果にて三年作の今年はより好成績で ある訳で実に楽しみです。
麦の精白三斗余無肥で増収一石三鳥の儲け
岐阜県不破郡府中村字府中
日本五六七教百光会 岩田義 行(42)
光新聞第三号に「農業の大革命清潔で心から楽しめる家庭菜園の無肥料栽培」の御指導を頂き全く御指導通り実行の上の御利益であります。私は以前は当地方 ではかなりの小作百姓でしたが追々作付面積も減らし今では一反歩足らずの水田と畑少しばかりの無肥試作をしている程度です。三年の稲作二年の裏作(麦)を 続けて参りました。無肥は増収すると申されましたが第一年目は自分の霊魂の浄まり方が足りないため、量は平年に変りませんでしたがお米は美しいのが取れま した。第二年目は半俵減収でしたがこれは浄霊の施し方が足りなかったのでした。三年目も一向変りないように見えましたが籾皮が薄いのとクズ米のない実に見 事な米で収量は反収で二俵の増収です。次に裏作(麦)は一年目には稲作同様変りなく二年目は一俵増収、その麦たるや驚いた事には精白歩合の良い事今迄にな く多い事は十二貫入り一俵で精白して何と三斗七合で馬鹿に多いのです。
精米所では「君の麦は僕の方の損だ、僕の方に残るべき麦ヌカが少いから引合わぬ」と申す位です。麦と言えば今迄精白にして精々二斗二、三升余程良い麦で 二升の一升位が精々でした。一俵増収で精白歩合が良ければ三、四割の増収とその上、米も麦も美味な事施肥を施した当時とは比較にならない良質です。この割 合で大先生が地上天国創刊号無肥料栽培方法、光三号の農業の大革命の御指導の通り種子も耕地も身も魂も浄霊で浄まって行けば年々ぐんぐん増収、ここ数年を 出でずして米麦共反収十五、六俵位は必ず楽に収穫が頂ける自信が出来ました。無肥で増収が出来、しかも昧が良ければ一石三鳥の儲け、貧の追付かぬ経済的な 農耕法の実行をした経験を嬉しさの余り御報告申上げます。
御利益報告
愛知県幡豆郡西尾町伊藤
日本五六七教神明会 荒川重 辰
私事二十三年十二月入信致しました。毎年稲を雀が荒してその収穫におよぼす害は多大でありました。たまたま農作物にも御浄霊が良いと先生に聞き早速実施 しましたところ、隣の田は実にひどく荒されておりましたが、私の田は全然荒されておりませんでした。
その御加護御利益の不可思議なるただただ有難く御礼かたがた御報告させて戴きます。
砂地に稲を試作して
山形県東田川郡横山村菱沼
日本観音教大成会鶴明会 山口 竹恵(23)
昭和二十二年六月二十三日黒森教導所の研究会に無肥料耕作のお話が御座いましたので、早速庭のすみに稲の試作をしてみました。まず他家より残りの苗を頂 き砂地を耕作して植付けたのであります。一寸小雨が降っておりましたせいか思ったより根付は良かったようでした。
植付後は朝夕三回水かけをしましたが何分にも砂地故、水は二十分もたたないのにすっかりなくなってしまうので御座います。水かけは四カ月半やりました。 その間には他家の牛が離れて来まして半分以上も踏みにじられましたが浄霊しながら根に土を寄せ、水をかけておきましたら思ったより弱らずにすみました。近 所の御爺さんが「こんな所で御米がとれますなら農家には苦労はありません」等と言っておりましたが一八〇粒で荒れ果てた砂地より四合もとれたので御座いま す。面積も半間四方よりせまき所であります。次年には幹部四名で前年の種をわけまして住所の半間四方に一年間肥料を施さずにおいた苗代に普通より約一カ月 遅れて種を蒔きましたが四カ月位で普通の稲と同じになりました。ただ葉の色が青に少し黄色が入ったような色でしたが、真直ぐにスーッと伸びて誰も無肥料の 稲とは思われないと言っておどろいておりました。出穂の時は普通と同じに出揃い、せまいところでありましたが除草は一度もやりません。茎ががっちりして穂 首のつよいのが長所かと存じます。二年目は「モミ」にて四升程穫れました。初め馬鹿にしていた兄も驚いております。家は農家でありますが学生時代より病身 にて農業に手伝いした事もなければ稲作については全々未知の私でありますがこの偉大なる観音力によりて、あのせまい土地より四升もとれたので御座います。 重量は一升につき二十匁普通より目方がありました。これが神のお力でなくてなんでありましよう。今年はもっと広く耕作致します。そして収穫の半分は肥料に 費やし生活に悩んでおります農家が一刻も早くこの有難き神のお恵みに浸り、本当の農業が理解出来ますよう願ってやまないもので御座います。
拙ない筆でありのままを述べさせて頂きました。
骨折らず大収穫ウンカの害も全然なし
愛知県八名郡石巻村
日本五六七教愛光会
教導師 夏目房男 (41)
妻や娘の永年の病苦より救われた嬉しさ有難さに私も教修をいただいて病に悩む人々の御救の業に励んでいますが、次々に求むる病人もふえ浄霊に忙しく、そ の為僅かばかりの麦の刈入れも他家はみな済んでいるのに私の家のみは終らず、去年は五月雨が多く穂に芽が出て村人が大騒ぎをしました。「あんな気違いのま ねをやっているから麦が駄目になってしまう」と笑われていました。その後やっと刈上げが出来たものの、半分はくさると思っておりましたところ意外に例年よ り上作なのには全く驚きました。
又田植も同様遅くなり付近の田は青々と水田になっていても、私の田は未だ耕やす事さえ出来ず人々に笑われ、ののしられていましたが、有難い事に私の浄霊 によって救われた人々が一斉に協力して下されましてやっと終りました。その後、化学肥料も人肥も大先生のお説を守り全然行いませんが、草取りがまた、なか なかできず浄霊に毎日忙しく、放っておく有様で、刈入れの時も草が邪魔になり刈りにくくやっと済ませた程でした。付近の田は大方「ウンカ」で大騒ぎをして いまして被害の多い人は一反で二俵位しか収穫がありませんでしたが、私の家は全然「ウンカ」の被害がなく、しかも取上げは反当り一般平作より一俵位余分に 穫れました。
それを見た村人は「あんな事でウンカもつかず、あんなよい米が取れるなら来年は働くまい」と言っています。その後、村の供出米が過剰になり、それを分配 することになりましたところ、私の供出米が升数、光沢共に評判の出来栄えであったのでそれを村人に分配しました。評判だけを聞いた人々も初めてそれを手に 取り他よりも断然優秀な米である事実に驚いていました。村人はただ楽をして多く穫れる事だけに目を付け観音様のお力を戴いている尊い御利益を知りません。 私は彼等を憎むのでなく、ただ悲しむべき人としてどこまでも観音様の慈悲にすがらせ救済されるよう努力します。
なお一層大先生の御加護を戴き世の人に知らすべくまず実行第一のこの大業に邁進させていただきます。
観音耕作の御利益について
岐阜県武儀郡美濃町
日本五六七教大光会 西部君 子(25)
私はただ今三重県北牟婁郡へ開拓に行っておりますが、観音耕作の御利益を御報告申上ます。
不安な現在の世に信仰程楽しい事はありません。私達も観音様を信仰させて戴いておりますが、不治とされた病気から離れ、家中の者が病苦から救われていま す。信仰等と言うと老人や不治の病人のする事のように思われますが、職場職場に働きつつ、いとも簡単に御利益は戴けるのです。私の家も田畑八反ばかりの農 作をしていますが、今年こそは御利益を戴こうと麦や馬鈴薯等あらゆる作物を観音耕作にしてみました。
まず作物の種に浄霊して蒔付けました。そうして後は配給で分けて貰っただけの肥料を処々に播き散らし、主に堆肥をやり時々草をひいてやる程度です。どの 田も畑も手入が行届かず、草も相当生えておりましたが、刈り取ってみて皆がびっくりしました。第一麦などはとても実がよく想像以上でした。馬鈴薯などは甘 藷大の大きさに出来ていました。
農家の方々が皆観音耕作をしたならば高値な闇肥料は買わず手間は省け増収は出来、供出も喜んで出来、消費者にも喜んで戴けると思います。
金肥の多い田より実がよく増収出来た事に観音力をはっきりみせて戴きました。信仰も観音耕作も決して難かしいものではありません。
御希望の方はどんどん御尋ね下さい。先生方の御骨折に対して感謝致します。
四尺以上のごぼう
岐阜県羽島郡福寿村平方
日本五六七教専神会 大曽根 一生(46)
無肥料野菜の成果を御報告致します。
牛蒡の種子に浄霊致し堆肥のみを畑に入れ耕作致し播種致しました。草取二、三回、畑に浄霊を行ったのみです。この度掘取ろうと致しましたが、掘れども掘 れども中々抜けません。他家の畠では一尺も掘れば抜けるのに三尺掘っても仲々抜けません。家の息子が「観音様は誠に有難いがこんなに骨が折れてはかなわ ぬ」と弱音を言い出す仕末です。そして抜いてみたらなんと長さ四尺以上もあり目方七百匁以上もあり太い牛蒡なら大抵「ス」が入っているのが当然ですが切っ てみて驚きました。切っても切っても「ス」が入っていません。
これも観音様のお蔭と深く感謝し家内中なおなお手伝いの足らざる事をお詫び致します。
倒れぬ苗
東京都北多摩郡小平
日本五六七教宝山荘 尾島卯 一(22)
人体に対する驚異的効果は皆様御承知の通りで御座いますので、私は植物に対して経験致しました偉大なる観音の御力をありのままお知らせいたします。昨年 四月末、漸く活気づいた茄子の苗が苗床にある中にバタバタ倒れ始めてしまいました。その前に茄子苗の性質をお知らせしなければ解らない点があると思われま すのでそれを先に綴ります。
今迄の説ですと茄子苗は床にある中冷えると倒れると言われております。倒れたのを抜取ってみますと、根の下部と土からの生え際が腐っております。病勢が ある程度で止まり、現在健全で大丈夫のように見える苗もいつ倒れるかも知れず、畑に出しましても実を結ぶような大きさになっても倒れてそのまま枯死するの です。ですから床にて急激に倒れ始めた苗はその後いかに多くの苗が残っておりましても不安で畑に出す事が出来ない現状です。私の家のも今度ついにその病気 にかかりました。当時は曇天続きだったのであるいは本当に右記のごとく冷えたのかも知れません。父兄はその苗を見限って新たに直接畑に播種致しました。私 はそれをみてこの時だと思い、その中の一本(それはしおれて先がベッタリと地についておりました)を懸命に御浄霊をいたしました。時間はどれ程経ったか知 れませんが次第に元気を取戻し、ついには元通りに恢復致しました。引続き大丈夫そうに見える苗全部に御浄霊をしましたところ、日々倒れる数を増していた苗 は翌日からピタリと止まりました。奇蹟奇蹟です。なんという感激、家にとんで帰り何もかも忘れて観音力の偉大なる事を話した程です。畑に出した当時は他家 のと比べても少し劣っているようでしたが、めきめき育ち始め見事他家のを圧する程になりました。このような事を誰が今迄想像し得た事でしよう? 観音様の 力無くしてこの事がなし得られましようか? 偉大なのは観音力です。依って感謝の中に文を綴りここに報告させていただきます。
浄霊の南瓜
日本五六七教南光会 佐藤勝人 (26)
所 別府市大字別府一八五四 佐藤毅一教導所
時 三月彼岸の中日 播種
法(一)繁華街の裏庭、一坪庭園、元器械体操場
(二)南瓜の種を浄霊して蒔く
(三)肥料を用いず木炭
(四)茎菓が伸びるので尖端を摘む
(五)現に棚に色づいているのが二十五個、温泉の瓦の上に二十数個
現在一貫五百匁から七、八百匁、まだ小さいのがぐんぐん太っている
(六)近所に配給すると甘くて美味しく春までもてると評判がよい
作物の御利益話
京都
日本五六七教教師 多賀秀三 (43)
農家では御利益を受けて増収したところが多数あるのです。皆名前を秘めてくれとの事です。これも私が代筆致します。
鳥取県東伯郡にて果樹園の某氏の話しですが御承知の通り、鳥取県は有名な梨(二十世紀)の産地であります。七月ごろ汽車の窓より見る山々は梨に袋を掛け てまるで白い花でも咲いたように実に見事なものです。この果樹園の梨の木一本一本に充分浄霊をしたそうです。他からみたらさぞ気狂とでも思えたでしょう。 ところが袋掛も済み収穫の秋が来ても、地に落ちるものもなく、虫も付かず(例年落ちる量、虫のつく量は相当数あるとの事)なんと予想数の百五十箱をはるか に上廻り二十箱の増収があったそうです。今更ながら観音様の御利益の偉大さを感謝しておられるとの事、又その家では麦も蒔く前に充分浄霊したのですが、出 て見ればいかにも貧弱で背は低く、まるで枯すすきのようなので近所からは笑われ、供出割当審査員からはどうしたのかと問われ「肥料が間に合わず闇では高い ので無肥料だったのです」と答えたので、供出割当も少なくなり気も軽くなった。するとやがて収穫の時が来て取入れて扱って見て実りの多い事に驚いた。供出 は少く、実りは多く、肥料の世話もなく、余りの結構な御利益に「不思議ですな」と言うばかりでしたとの事、又米も一反で一俵は確実に増収出来るとの事で す。
無肥料稲の茎
岐阜県海津郡今尾町脇野
日本五六七教専神会 伊藤 実(21)
私宅と小野多賀治君の宅とは近くにて、とても仲のよい親戚同様の間柄にて一昨年十一月一緒に教修を受け、昨年入会、光明如来様も一緒に御祭り致し、お縋 りして生活している家庭です。
小野さん宅と同じように無肥料にて稲作をしていますが藁出来は悪く他家の有肥料は三尺五寸位延びていますが、私宅は三尺位で株も十五株で、他家の二十株 よりは小さいですが茎の力は強く、有肥料の茎は弱くて一寸手が触れれば折れます。出来は現在の所大差ありませんが、この穫高が待たれています。他家は弱々 しいながらも黒々として延びていますが、虫が入って大変困っているようですのに、有難い事には私の家は虫一匹も見ることは出来ません。
初めて作った畑米も全然無肥料にて、浄霊も余りしませんでしたが、出来はとてもよく八俵は確実に予想されます。なお小野さん宅と同じように、南瓜、茄子 等無肥料と浄霊にて耕作していますが味がとてもよく、穫れ高も他家より一、二割位多い、この御利益をいかにして皆様に御知らせすれば信仰して下さるかと毎 日考えています。
無肥料甘藷の素晴しさ
静岡県磐田市権現町
日本五六七教会真善会 浅野 こう(47)
私は昨年十月身内の者より、観音様の尊さをお聞きして早速教修を受けさせて頂き、それから家族の者等に浄霊を行うと共に、友達や知人におすすめして今日 迄数々の御利益を項き非常に喜んでおりますが、たまたま教導所へ御出張の先生のお話の中に、無肥料耕作が良いという事をお聞きしまして、色々の作物に少し ずつ体験させて頂きました。その中に、特に目立って良かったのは甘藷で御座いました。昨年と同じ面積であったのに今年は倍以上収穫を頂きまして、嬉しさの 余り御報告させて頂きます。
昨年との比較を申し上げますと、昨年は九俵の供出を終ったら、残り屑藷が二俵しかありませんでしたが、今年は同じ面積で供出十五俵、残り十二俵と言う想 像もつかない収穫を頂き余りの嬉しさに一人で喜ぶ事が出来ず廻らぬ筆を走らせて御礼の言葉に代える次第でございます。
観音光の作物
(一)
愛知県知多郡小鈴谷村上野間
日本五六七教春陽会 天木ぜ ん
今年当地では馬鈴薯がほとんど腐り農家は悲鳴を上げていましたが、私の家は全然腐らずしかも収穫も他家よりずっと多く観音様の御利益を眼前に戴きまし た。昨年も今年も麦、芋、野菜は申すに及ばず農業に依る収穫は人よりずっと多く心より喜んでいます。
息子が耕作地には絶えず浄霊をしています。田舎者で無学なもので心に思っている嬉しさを其の十分の一も文筆で表し得ないのを残念に存じますが、ただただ 「有難い」「有難う御座居ました」とだけ申上げるより他にこの喜びを申上げる言葉を知りません。
(二)
愛知県知多郡小鈴谷村広田
日本五六七教春陽会 山本チ エ
住所の一隅に在る約七十五坪の山田の耕作、この度その御利益の一事を申上げさせて戴きます。
私の耕作地は山に包まれ周囲はおおく稲でその最中に特別早稲の植付をいたし、八月五、六日頃には穂も出てその上この辺は雀の巣と言う程雀も多く、私の家 では早稲の事とて昨年迄は鐘や太鼓で雀おどしを毎日やっていても被害がとても多う御座居ましたが、今年無肥料にて「モミ」より浄霊を施し、田の四隅に立札 を立て「米は人の食べるもの雀の食べないもの」と書き浄霊したところ、毎年来る雀も一羽も来ないので御座居ます。
過日この辺りを村会議員や農業関係の幹部達が、この立札を見て大笑いをしました。他の田の人達は今なお雀おどしに大童ですが、私の田だけはその必要も無 く今ではこの立札を見て笑った人達も観音様の妙智力にびっくりしております。その他、野菜物等も虫も付かず意外に収穫も多く家内中が喜んでおります。
私は観音様の有難い事を余り喋舌続けますので村人や隣村の人迄も観音婆で通っております。本当に有難くて忘れる事が出来ません。厚く御礼申上げます。
(三)
愛知県知多郡武豊町字小迎一三三ノ一
日本五六七教春陽会 手島寛 一(35)
五六七会教導師として日々喜びに浸らして頂いています。日頃一般会員に収穫も観音力を発揮すれば御利益も大いに貰えるからと説いていても自身で経験しな ければ言行一致せずと、三畝の畑で試みました。一畝は種子を浄霊して無肥料で種子蒔後耕地も浄霊、一畝は化学肥料一点張り、一畝は浄霊無しで無肥料と三つ に区分。その結果いかんと好奇心的な気持でおったところ、小豆種各五勺、収穫(一)浄霊の入った無肥料耕作一升(二)化学肥料一点張り七合(三)無肥料で 浄霊無しは四合、麦は(一)種八合で一斗四合(二)種八合で八升(三)種八合で四升、(一)虫害無し(二)虫害甚大(三)虫害僅少の結果を見ました。
平均(一)は収穫四、五倍(二)三、五倍(三)は二倍見当になりました。
ずぶの素人の私でさえ観音様に御願いしてやらして頂いてさえこれだけの収穫、農業本職の方が目覚むればより以上の収穫御利益のある事を確信致しました。
右は収穫御利益の一部分ですがありのまま御報告させて戴きます。
(四)
愛知県知多郡武豊町六貫山
日本五六七教春陽会 籾山芳 平
今般西瓜の収穫の御利益を頂いたこの喜びの一端を御報告させて頂きます。
初め西瓜の種子を蒔くべき予定ではありませんでしたが、虫の付いた種子を畑の一隅に捨てて置きましたらそれが芽生え半信半疑のままに浄霊をしていました ら一本の蔓に十五、六個もなり、順調に虫も付かずに収穫しました。
捨てた虫付いた種子より思わぬ御利益を頂き家内中揃って心よりしみじみと喜びに浸りました。誠にありがとう御座居ました。
農作物に関する御利益
三重県河芸郡大里村窪田一四三八
五六七教三光会教導師補 北 村四郎(30)
無肥料耕作の御利益を御報告させて戴きます。
私は麦によって自信を得たので総ての農作物を無肥料耕作致しております。
現在蒔付けてある総ての耕作物が御利益を戴き他家を凌いでおりますので、何れから御報告させて戴くかに迷う程です。
夏小豆、夏豆等円々した粒で虫の付いたものはほとんど無く、美しい実が得られました。無肥料耕作が心配で迷っている会員には、豆類からやって見るのが一 番はっきり良く解るのではないかと思う程空豆でも大豆でも小豆でも御利益を見せて戴いております。収量も多く粒も大にして美しく、虫害少く病害は皆無で す。
それにも増して食べて美味しい事は従来のものを遥かに凌いでおります。
ここに胡麻の御利益に就きまして御報告させて頂きます。
六月の下旬、種を御浄霊して十坪程のところに蒔付けました所が、発芽したばかりの弱々しい時に「もぐら」が下をもぐり、拓かれているのを少し家から離れ た畠の事とて二、三日知らずにおりました。
今年は胡麻はとれないのかと心配しましたが、残ったものを気をつけ穫入れまでに二回根元を打返して耕作してやりました。幸にも心配する事も無く後はすく すく延びて良くなって参りました。花の散る頃から「もぐら」から受けた被害の心配も消飛んで付近の胡麻を尻目に私の畠の胡麻はぐんぐん「さや」が大きくな り、しかも一本の木に多いものは六十以上普通五十前後もなり見事な出来でした。
八月末、花がほとんど散った後、先端の方に二、三残っている花を全部洗滌してやりました。
世間より一週間位遅らして九月五日刈入れました。上から下迄むらの無い全部揃った円々した「さや」が木に付いているのを見て近所の人も吃驚致しておりま す。同じようにどこでも八月の末に洗滌を致しますが、従来のものは他家でも私の家でもどうしても先の方はほとんど実にならないのですが、今年の私の家の胡 麻の見事な事に今更ながら観音力の偉大さに感謝致しております。今未だ乾燥しておりますので実の数量は未知数ですが作付面積、木の数の割合に比して多量は 疑う余地はありません。
農業は二、三年しか手伝わずしかも自分が総ての責任を持ってやるのは今年初めてで農業の一年生の私が他の家に勝ってしかも一握の肥料も施さず、里芋でも 牛蒡でも人参でも立派なものを収穫させて戴けるこの喜びこそ信ずる人、行う人のみにあたえられた幸福だと深く感じております。同じ畠の中に人参と牛蒡を作 り、牛蒡に六月の末、人糞尿をやりましたところ、虫が付いて成績が悪くなったのに反して、何も施さない人参は目醒める許りの鮮やかな緑色の葉をして順調な 成長をしております。
人糞尿も二カ月程腐らせれば良いそうですが、私の家ではそのような設備もなく施肥しない方が成績が良いので、今では何の作物でも人糞尿も施しておりませ ん。先生からも人糞尿よりも堆肥類の方が良いとお聞き致しましてから、草を刈って堆肥にし家の毎日の塵も腐らして使うようにいたしております。
大先生様の御面会は未だ数回させて戴いただけの者ですが、御面会させて戴く度にいかに自分が浄めて戴くかは自分の蒔付けるもの、耕作するものが不思議に 良く出来るのが自分にははっきり解ります。
蒔いたものの発芽が良くなり、植替えたものに枯死するものが無くなって行く事、病虫害が少なくなって行く事等有難い御利益を戴いております。今後も出来 得る限り大先生様に御面会させて頂きその御身体を通じて受け得る神の霊線を充分頂き非凡なる御高示を拝聴してすぐ実行に移して行き度いと念じております。 次に又有難い御利益として一宮例祭、当地の例祭、臨時祭にお参りをさせて頂く毎にも大きな御利益を頂いております。
月の中に二日三日お参りさせて頂く時間を平常心掛けてこの時間を余計に稼ぎ出して勉めてお詣り出来るようにいたしております。
今年度の甘藷供出も(早期)他家の二、三倍の七俵余りを皆一等で供出しました。良い芋だと見る人は皆んな褒めておりました。味も良く大きなものでした。 今後一層努力いたし会員あるいは世の一般の人々に無肥料耕作の絶対的効果のある事、従ってこれに依らなければ他に優る耕作法の無い事を事実をもって示しこ の神から新らしく教示された方法を理解採用させて神の御恵みに浴し得る者の多からん事を願って励んでおります。
無肥料栽培の有難さ
愛知県八名郡三上村
日本五六七教愛光会 杉田ま さみ(35)
私事、夫を戦争で失った未亡人ですが、子供と年寄があります。本年春より胸部を患い喀血までしました。その後八月より片目が見えなくなり竹腰先生より浄 霊を受けまして、今日では大変元気になりました。御守護有難く御礼申上げます。
本日御届の白菜は浄化中作りましたもので、実に一株一貫五百匁あります。二畝で二百四十貫の収穫の予定でしたが、本年は今迄になく、三百貫以上の収穫は 確実と思います。
右は草の堆肥二回行っただけで、観音耕作の成績が優秀である事を初めて知らせて頂き深く感謝致し御報告申上げます。
参 考
一尺二寸三分(丈) 一尺一寸四分(丈)
二尺六寸一分(胴廻) 二尺八寸五分(胴廻)
八寸三分(直径) 九寸 (直径)
一貫百五十匁(目方) 一貫百四十匁(目方)
不安は大感激となる
三重県河芸郡上野村西千里
日本五六七教三光会 後藤修平 (37)
無肥料耕作の御利益を御報告させて頂き御礼申上げます。
私は二十三年度の米作によって自信を得させて頂き、現在田畑に蒔付または植付けてある総てを無肥料耕作致しております。一心に光明如来様に御願い申上げ 肥料類はなに一つ施さず田の植付を致しましたが稲草は植付した時には少く分蘖したかと感じられた程でした。肥料を施した他家の田は色黒々といかにも稲草を 作ったように見えるのに対し私の方は人目から見れば色は悪くやせてるように感じられました。だが茎はかたく小さいです。他家より「なんだ今年の田は。毎年 良い田を作りながら、これはどうだ。これでも一人前の田になるのか」などと悪口を言われましたが「観音様の御教通りやっているのだ、間違い無いさ」と言っ ている私の胸中は全く暗く一時は世界の底に落ちたような感じがいたしました。
ところが「観音様の御慈悲尊く」三番四番と草刈りも済む頃には目に見えて生き生きした草色に変って来ました。そして穂の出る時にはあれほど笑われた田も 他家に勝るともおとらぬまでにぐんぐん成長したのです。私の心はただもう涙ぐましい喜びと感謝に満ち始め、その感激はとても言葉に表わす事は出来ません。 かくて予想以上の収穫。平年作六俵二斗というのが平均七俵三斗。良いところは八俵以上を得て無肥料栽培のおかげがこれ程大きいとは夢にも思わずただもう驚 いております。二週間以上も水がなく一番悪いと思った田が六畝にて五俵の収穫を頂き入信浅く何の徳なき私に観音様の無限のお力と御守護を戴き一家喜び感謝 し一層の御用をさせて戴きたく念願しております。
無肥料御利益の感謝
岐阜県大垣市青柳町
日本五六七教専信会 伊藤四 一(34)
拙家は貧乏な百姓でありますが川端先生より観音様の有難さを拝聴入信いたし、日々無肥料栽培に精進いたしております。お蔭様で年々農作物は多収の一途に 進んでいます。そのお米といいあらゆる作物を皆様にあがって頂きましても大層美味しい美味しいと喜ばれます。
私達一家はお蔭様の日々生活が今日に至っています。ひとえに観音様のお蔭なる事を感謝いたします。
無肥料畑は無病で増収
三重県鈴鹿市国分町
日本五六七教光栄会 永戸勝 記(25)
一昨年十一月五六七教に入会いたして間もない頃先生より初めて無肥料耕作についてのお話をお聞きいたしまもた。当時私の家とても農作物といえば肥料に よって増減収穫するものと深く信じており、無肥料で耕作するなどとても信ずる事が出来ませんでしたが、先生方の再度のお教えもありまず畑に蒔きつけた麦の 一部分を試験的に金肥を施さず耕作することにいたしました。そして収穫してみて今更ながら驚きました。それは見違える程実が大きく又昨年は気候不順のため 病が多く相当害があったにも拘らず、無肥料の畑は無病にて初めての試作に他よりも反当り二斗余増収いたしました。
この御利益を頂いて以来私は田畑の全部を無肥料にて耕作する事にしました。ただ配給の肥料の残りの少しを山蔭の取れない田一部に捨てる気持でおきまし た。その後しばしばの大雨のため肥料のおいた一部の田は全部水害を蒙り植付けたところもあり取あえず砂をかきわけ苗を立てました。しかしながら私も到底と れぬものとあきらめてそれに耕作も出来ずただ通るたびに浄霊しておきました。そして収穫いたしましたら意外にも前年度と略同量穫らせていただきました。私 達この御利益に対しましてただ驚喜の外はございません。
供出の事前割当においても平年に比して割合に軽く二十三年度のごときは不作の折柄地方といたしまして一割ないし大きい所は三割減収しているにもかかわら ず、私宅は御利益にて平年よりやや上廻る程度収穫いたしました。
又蔬菜類についても大根のごときは無肥料耕作にありては葉は割に間疎にて抜いてみて七、八百匁もあるようなものが見事に出来ました。これには隣家の人々 もただ羨しく思っている次第でございます。
かかる数々の御利益に対しまして私始め家内一同厚く御礼申上げます。この上は地上天国建設のためおろかながらおつくしする覚悟です。
無肥料で一等米――村人も驚く観音様の御利益――
岐阜県安八郡福束村字本戸
日本五六七教専信会 田中み つゑ(38)
私は観音様の有難さ貴さということをつくづく身にしみて感じながらも無肥料耕作には私の心の薄弱さから心配の余り昨年は一町歩の田の内一反八畝だけを試 みてみました。
まず一反八畝に堆肥をやり、その後で八畝歩の田には少しばかりの金肥をやりましたけれども二枚共出来がとても悪いので心配しておりましたが、さて収穫と なってみれば、昨年と少しも変らない程ありましたので、やっと安心致しました。そこで堆肥のみの田と肥料をやった田とを調べてみましたら堆肥だけの方が反 当りとして約一俵多く穫れていましたので肥料の悪いという事をつくづく知らせていただきました。「モミ」の浄霊を先生に御願いし植付の時はまた自分で浄霊 をしました結果お米は大へんに艶がよく供出の時の検査に全部一等ばかりでした。見ていた村の人々はびっくりしたような顔で私を眺めていました。観音様を 笑っていたお方のお米は三等四等で、笑われていた私のお米が一等というお光の有難さ、尊さをしみじみ身に感じ、御利益の御報告をさせていただきます。
村一番の悪田良化す
六俵平均の収穫無肥料栽培に驚く
富山県婦負郡婦中町
日本観音教天国会光明分会 数 川義信(32)
私は昭和二十二年八月教修を受けさせて頂きました。そして二十三年十二月光明如来様の御神体迄も受けさせて頂き、一家共々に喜びの新春を迎えお道のため 御奉仕させて頂いております。有難いお観音様の御守護を頂きまして良好だった無肥料栽培の御報告をさせて頂きます。
私は田地五反程を耕作しておりますが、他の農家では配給の肥料で足らず闇肥料迄購入し、又堆肥も相当入れて耕作いたしております。いよいよ収穫時になり ますと他の農家では反当り五俵ないし五俵半位の収穫でしたが、私の田からは六俵平均穫れました。私は植付前苗を浄霊させて頂きその後見廻りの時お観音様に お念じして丁寧に田を御浄霊させて頂きました。村でも一番悪い田とされています私の田からかくも多収穫をみましたことは、誠に有難いお観音様の御守護の賜 と深く感謝いたしております。この上は一人でも多くこの喜びを分ち合い大先生様中島先生様の御恩の万分の一に御酬いさせて頂きたく念願いたしております。 一般農家が無肥料栽培の原理を知ったなら今迄アクセクして高い肥料を購入し苦労して収穫の少かった馬鹿馬鹿しさに驚くことでございましょう。大自然の恩恵 であり法則でもある天然自然の耕作法無肥料栽培を身をもって実験し、あまねく農耕者にお奨め致したいと念じております。新春の初めに当りまして謹みて御礼 申上げます。
無肥料で試作
岐阜県加茂郡川辺町
日本五六七教大光会 栗山主 馬吉(36)
私は無肥料耕作と言うよりは、むしろ観音様の御利益によって多収穫を得させて頂き、ひとえに信仰の賜物として深く御礼申上げるとともに皆様に観音力の実 に偉大なる事を一日も早く知って頂きたいと思って体験の一端を御報告申上げます。
私がこの尊い信仰を知りましたのは一昨年春母が腰痛の苦しみで床についておられ、私達はどうかして早く治したいと神仏に御祈願申しておりましたところ、 神様の御引合せか古井町川合の渡辺先生の事をきき早速御願いして御浄霊を受けている中、次第に良く成って行くので有難さの余り色々とお話を聞き、昨年二月 まず私の妻が入信、有難い御守様をお受け致しました。それからも先生にお願いして御出を頼み妻も一生懸命やっておりますうち、母の病気もメキメキ良くなり ました。又私は以前から脳が悪い為に時々頭が痛む、肩がこる、歯迄痛むと言う悩みが毎月二、三回ずつ位あって困っておりましたが、度々浄霊をお願いしてお ります申すっかりと忘れたように良くなり本当にこれは有難い事だと思っております。
たまたま先生より「観音様の御利益は農作物にも金肥無用で病虫害なく無肥料の耕作にて非常に多収穫出来こんなよい事はありませんよ」と申されて私もこの 食糧不足の時とてこれこそ農家の福音と存じ、又私は耕地面積も少くいかにして多収穫が得られるかと日ごろ念願しておりましたから、こんな良い話は聞き捨て ならぬと自分で一つ実行致そうと決心しました。三月に渡辺先生が光明如来様の御軸をお貸し下さいましたので毎日お参りする中、家の中も大変明るく生き生き として参りました。まず本年は切替えて無肥料に乗出そうと思い家内中相談致しましたところ、本年は初めての事でもあり取り損ねては大変だからとまず水田二 畝を実施してはと言う事に纏りました。苗床は十二月荒起しを行い、その地質は粘土質土で水便排水良く日当りの良いところで、苗代面積一坪を四月下旬小切り 藁及芥の堆肥を十五貫程入れて踏み込み妻に浄霊させ、又種粗は三合位を別に御軸の前にお供えし朝晩二回ずつ善言讃詞を申し上げ浄霊を致して四月二十九日蒔 きつけました。
以後も浄霊に余念なく毎日見廻っておりましたが延びは悪く黄色苗となり秘かに心配になった私は臨時祭の時先生にお尋ねしましたところ「それは肥毒の浄化 だから心配はありません」と先生に教えられそれに力を得てなお一生懸命に手入致しました。今迄信徒の方で無肥料耕作した人々が一度は必ずこのような体験を 経られたに違いないと、今の自分を励ましてこの上良結果を得るためには、自分自身に観音様の尊いお力を頂かねば駄目だと感じ家中相談致しましたところ、皆 喜んでくれ昨年五月入信致しました。
その後苗の成育は浄霊をやってもやっても黄色で延び悪く細かい苗で実は少々困りましたが「物は試し」と言う事もあり何事も終り迄やり遂げねばと思いを一 新してそれこそ一生懸命やりました。
近所の田の人々が親切そうに「今の内に肥料を早くやるよぅに」とか「ここで一肥やったら良くなるがなあ」とか又ある人は「この苗田の近くで煙草は吸え ぬ、煙草を吸ったら苗に火が付く、危いぜ」と悪口をいわれ本当に辛い思いを致しました。しかしこれにも堪えて一生懸命に観音様にお縋り致しましたが、苗は 相変らず良い色になりませんでした。
やがて田植時ともなりましたので六月十八日前に大麦を作った田で日当りは良いが水便排水共に悪い砂質二畝の所に農林八号の苗を植付けました。肥料として は小切の時藁三十貫芥少しを入れただけです。私は細植が好きな故紙かい苗でしたが二本か三本程度とし縦一尺横六寸の南北に植付けました。田植後水が少い為 に田面が乾いて折角の苗が枯れそうになって来ました。雨でも降って水が出来た時しか田の草も取れない不便なところなので水には随分と苦労しました。私は人 から色々と言われましたが、その都度観音様の絶対力妙智力を固く信じてひるまずたゆまず田の手入を致しました。その後私の家にもいよいよ有難い光明如来様 の御軸をお迎えさせて頂く事が出来、八月二十日にその御浄霊祭りをして頂き家中一同感激この上もございませんでした。稲の穂ばらみの頃よりは雨が多くて水 が出来た為他の人の田と少しも変らぬ様な良い稲となりました。藁もうんと延び頼も重りなって今にも倒れそうに迄なり、いささか心配でしたが浄霊はいつ迄も 休む事なく明暮れ光明如来様に心からお願いしておりました。
その中人々には「栗山さんとこの田は良い田に成ったなあ、これは見事な出来栄えだ」と言うようになりました。勿論病害虫害少しもありません。秋の刈入れ は十一月十一日餅三二〇巴、粳九九巴あり、餅の穂だけ四寸位で藁の長さ四尺四、五寸程一穂の粒数一八〇より二〇〇粒位でありました。
この赤餅の藁は昔から加工品用として当地方では特に良いとされております。この田は普通の年で反当六俵半位の所ですが去年は籾の量より米にしてからが多 いと言う結果で総収量餅米六斗(一俵半)粳米二斗(半俵)屑米(三升五合)反当りでは見事十俵という割合になります。なお藁は四十二束はありました。籾殻 が非常に少く米の米糠の分も薄いようで餅等は抱くにもうんと粘りが強く味も上等です。このような収益は全く観音様の御力の外はないとただただ驚嘆その恵み の宏大な事に感謝致しております。
これ程の素晴らしい御利益を目のあたり見せつけられ十二月には老母も入信させて頂き、手を振っておりいよいよその信念を固め今年こそ、田も畑も全部無肥 料で実行に移す決心が決まりました。ただもう毎日が嬉しい感謝の日の連続です。
最後にこれを教えて戴いた事を厚く御礼申上げると共に今後益々御用の為邁進させて戴く覚悟で御座います。
浮塵子の大群畦一重で止まる
岐阜県安八郡南平野村北方
日本五六七教聖光会 清水久 子(32)
桜花もほころびはじめ次第に暖かき春の候と相成りました。大先生早速御礼申上げねばなりません。私達の心からなる喜びと感謝の程を御礼申上げます。
顧みますれば昭和二十一年二月御光を戴きましてよりの数々の御守護を受け、日夜感激のうちに及ばずながら御手伝をさせて頂いております。丁度昨年秋の出 来事で御座います。見事に出来た稲作に私達農民は秋の収穫を楽しみに秋祭りも終り、刈入の準備に取りかかっておりましたところが、新聞紙上に報道されまし たように当地方にもめずらしい「浮塵子(うんか)」の大発生が参りました。県当局地方事務所、役場、農業会等よりは大勢の御方が被害の調査やら注油駆除の 御指導に毎日のように来られた。近所の方は毎日毎日無数に殖え行く「浮塵子」の駆除に夜の目も寝ずにまるで村中戦争のような幾日かが続きました。
しかし皆様の御努力も余りの効果なく次から次へと拡がり大部分の田圃は枯死状態の哀れな姿に変って参りました。点々と散らばってある家の田圃や会員の御 家の稲田畦一重のところ迄おそって来ている「浮塵子」より免れる方法がどうしてありましょう。「大先生にしっかり御縋りしていなさい」との高木先生の御言 葉に大光明如来様の御前に幾度御祝詞をお上げいたした事でしよう。
奇蹟と言いましょうか、四方の田圃は畳を敷いたように荒されて半作もむずかしいと困っていられるにもかかわらず、僅か一、二尺の畦一重にて一匹の「浮塵 子」もはいらず見事に稔った稲穂は頭をたれはじめて参りました。まるで刈入れはじめたころには餅のような状態に皆様も驚かれました。昨年の収穫普通平均五 俵弱位のところ私の家では七俵半程ずつ取らして戴きました。勿論無肥料栽培で信者の皆様がやっておられたのです。これ皆大先生の御守護の御蔭と会員一同涙 ながらに喜び合っている次第で御座います。丁度六十戸の村にて光明如来様を御迎えしている私達七戸が同一の御守護を戴き今年の麦作も無肥料耕作にて頑張っ ている次第でございます。そして私ごとき者に大光明様迄戴きこの上もなき光栄と喜ぴ、今後も及ぶ限りの御手伝いをさせて頂く覚悟でございます。信徒一同を 代表してお礼申上げる次第でございます。なお供出検査に当りましても会員の御家は全部一等米にて検査官も感心しておられました。
脳膜炎の愛馬救はる――獣医の宣告は絶望――
岐阜県吉城郡国府村
日本五六七教善栄会 砂田長 吉
「ドオドオドオ」「もう一本注射だ」二十分毎に大暴れして苦しむ愛馬(駒馬)は五百匁位の氷を頭にくくりつけられています。苦しみは仲々止まりません。 知人、親戚、隣人も次々と集まって下さって大騒ぎとなりました。「駄目だね」獣医は沈痛な面持ちでそう言われるのでした。
時は昨年七月三十日の事、三十一日も引続き苦しみ暴れ郡の獣医の方に来てもらいました。「血を取るんだ」早速三升程の血は取られました、けれども熱は依 然下りません。「これ程重いのは他にない」「どうしても駄目だ、今夜か明日の朝迄には死ぬなあ」これ以上私の村としては手の施しようがないのです、可哀そ うに駒は四歳で斃れるのだと一同は吐息するのでした。「観音様はどうじゃ」「人にきくんなら馬なら余計ええかも知らんぞ」一里ほど隔った古川町の渡辺先生 に来て戴いたのはそれから間もない夕暮近くでした。「氷なんか取ってしまえ」来るなり言われた先生は一心に浄霊を始められました。「ドオドオドオ」何人も で動かないように抱えたり縛ったりした駒は浄霊を続けて戴くうちに暴れる事が遠のきました。「熱が下ったぞ」「不思議じゃなあ」氷を除って熱が下ると言い ながら皆がホッとしました。遂に暴れるのが一時間毎になり、次の日には全く暴れる事なく「馬が草を喰うぞえ」と子供が喜んで知らせたのもその日でした。
人々の驚きと喜びは自分が全快したかのようでした。その後一週間程で元の馬になり特に以前より強くなりました。今では一家光明化して日々感謝の日を過さ せて戴き私も及ばずながら一生懸命協力させてもらい、数々の御利益を受けています。
救はれた牛
新潟県佐渡郡羽茂村大谷
日本五六七教日の出会 高野 貫太郎(21)
昭和二十三年の六月も終りに近いある日の事でした。どうした事か魔がさしたとでも申しましょうか、全く前後の判断も無く何の気無しに狭い板橋を牛を曳い て渡ろうとしました。一間余りも来た頃急に牛が後すざりを始めたので「ハッ」と吾に返り落ちなければ良いがと思った時はすでに遅く、後脚を踏みはずした牛 はひとたまりもありません。高さ一丈余りもある橋の上から真逆様に顛落し背中をいやという程ぶったので、四肢を空に上げ白眼をむき出し、生けるようとも思 われませんでした。すわ一大事と助け起こし善言讃詞を唱えながら死に物狂いで浄霊を行いました。
二時間程たって静かに歩かせてみましたが何ともありません。その後十日位牛の所へ行く毎に御浄霊いたしました。これが観音様の御救いで無くて何でありま しよう。今想い出してもぞっと致します。
この有難き御守護を頂きただただ感謝の気持で申し上げる言葉も御座いません。
今後も益々観音様の偉大な御力におすがりしてなお一層の努力をお誓い致します。
鶏の甦生
静岡県志太郡和田村
日本観音教天国会日光分会 柴 原かね
去る二月九日夕方の出来事です。私の家で飼育しております鶏が、田圃より帰って何気なく鶏舎の中を覗きましたら一羽だけションポリしておりますのでよく 見ますと、トサカは血色もなく今にもたおれはしないかと思う程弱々しく鶏舎の片隅にうずくまっております。早速一羽だけ別にしまして御浄霊をいたしまして 翌朝行って見ましたところ、大分元気が出て参りました。なお別にして四、五回御浄霊をいたしました。
一日おいてその翌日になりますとトサカの色も赤い良い色と変り非常に元気になりましたので、もとの鶏舎に移しました。今は他の鶏と同様元気になりまし た。知らずにいれば死んで終ったでしょうが、お観音様はこうして鶏までお救い下されました。
お話は聞いておりますが、体験したのは初めてです。本当に有難うございました。拙ない筆にて御守護の御礼を申上ます。
禽獣虫魚の末迄も
静岡県浜名郡小野口村字小松字西中瀬
日本五六七教神明会 山下弥 助(49)
私は昨年二月浜松市三浦先生のお宅で成瀬先生より御守を戴いた者ですが、それからそれへと度重なる御利益に観音力の尊さの量り知れぬ偉大な力であるかを 心より感謝致しているものです。
今から思うとお恥ずかしい話ですが、お力を戴いた初めどうも気恥ずかしい気持で人様には浄霊をする勇気がありませんでした。最初動物からやったらどうか と思いまして一番初めに鶏をやりましたが、それは丁度近所の人で鶏が腰抜けになってどうしても立上らず、餌も食べなくなってもう死にそうになっており「鍋 にしてしまうよ」と言っておったのを浄霊した時でした。私はちょっと「おまじないをしてやろう」と皆が面白半分興味半分で、視ている中で、私は真剣に浄霊 してやりましたがどうでしょう、二、三分やった頃全然立たぬ鶏が立ったではありませんか。「こりゃどうだ不思議だな」と異口同音に感心しました。五分位 やっている中にトコトコ歩きながら餌をつつくではありませんか、全くこれには皆よりも私の方が吃驚致しました。善言讃詞にある「禽獣虫魚の末迄も」が実に 文字通りである事をしみじみ感じました。
なおもう一つは農家の副業として養豚をやっておりますが、それにも私は実に有難く感じた御利益があります。それは豚の審評会で私の豚も毎日注意して養い ましたが、その当日二日前にどうした事か右前脚を地に付かず、しまいには横になってしまってどうしても起き上る事が出来なくなりました。
丹精の甲斐あって入賞確実な豚なので何とかして起したい、又この方面からも観音力を発表しようと言う矢先、私も観音力にお縋りいたしこれを機会に救いの 一端を発表しようと思って浄霊してやりましたが、たった一回ですっかり楽になり当日は年若な豚にもかかわらず見事一等賞になりました。それからというもの は遠近を問わず、どんな方々にも浄霊さして戴くようになり「森羅万象観音力に救われざるなし」の本当である事を心より悟らして戴けました。この古今未曾有 の偉大なる力、何と申して宜敷か言葉もありません。救世主出現全くその通りと確信いたします。この御利益を一日も早く知らして頂けた事を心より感謝申上、 この後とも一生懸命に報恩の万分の一なりとも尽させて頂く覚悟でおります。
無肥料甘藷一躍倍収
大分県北海部郡大在村字下志村
日本五六七教南光会 房前 圭正(22)
私の一家は昭和二十三年三月十五日初めて観音様の御利益を頂き、悲惨な現世地獄より救われ感謝の日々を送っています。
この度地上天国に御利益を載せていただき、当時をしのびつつ救われし感謝にただただ涙するばかりであります。その後御利益の数々で一々到底筆に表わしか ねますが、取りわけここに甘藷の御利益報告をさせていただきます。芋ふせ期になりましたが良い種芋は全部腐ってしまいましたので、仕方なく砂地に出来た小 さな芋(卵二つ分位の大きさ)を沢山ふせて置きました。先生より農作物も浄霊すれば良く出来るとの御話を承り、すぐ家の前が芋床なので暇があれば浄霊をす ると言うようにしておりました。芽の出方は大変良い方でしたが、蔓の大きさは左程大きくありませんでした。植付の時蔓に浄霊し後は除草時浄霊しただけで放 置しておいたのですが、他の人から「今年は「ホウジク」(芋の茎を食う虫)が発生して芋の葉は「スジ」ばかりになっている」との話を聞いたので見に行って 見ましたら、私の近所の畠は大ていはさんざんに食われていますのに私の畠は青々と葉がついています。鳴呼、これは有難いと浄霊の有難さに思わず頭が下りま した。
いよいよ収穫期に入り驚きました事は、掘り上げた芋が地上一面に蔓るようになる事です、これは大した出来だぞと皆の者が驚きました。平年は反当り五百貫 位でありますが、千貫もの収穫があり割当供出(生二百二十三貫)を完納いたしました上、超過供出(生三十八貫、切干百五十貫)を出しまして、代価五万二千 円余頂きその上報償物資として木綿一反と自転車のタイヤ及びチューブまで頂きました。開発に自転車がほしいと思っておりましたところ観音様の御恵で自転車 も出来御蔭で毎日この自転車で御手伝させて頂いております。
一家一同光明如来様の偉大なる御利益の御前に深く深く感謝いたしますと共に、御恵に感謝いたしております、厚く厚く御礼申上げます。
不思議な数々
奈良県磯城郡平野村字保津
日本五六七教青心会 堀内 寅太郎
私は昭和二十二年春入信させて頂き、以来先生方の御指導の通り無条件にてただただ実行に入りました。御利益を頂いた事は数限りもありませんが一、二感じ た事を御報告させて頂きます。
私の家は一町余作の農家ですが入信前の二十一年度は玉葱種、西瓜等を作り相当な収益がありました。入信後化学肥料の害を承り、逸早く化学肥料を全廃、無 肥料耕作を実行しました。二十三年度耕作は配給肥料でも化学肥料は施肥せず実行しましたところが、玉葱種、西瓜は大なる減収でした。米作の方も八反歩の田 を化学肥料全廃耕作の為、夏頃は村一番の不良作柄でした。十月頃村内一般に「ウンカ」が発生して村民は早朝より駆除をされています、私方は害虫駆除の方法 として一切薬など用いず、ただ浄霊を行うだけでしたので、村人からは気違い扱いにされました。でも私方はただ観音様の御光を信じひたすら実行あるのみ。と ころが有難い事には十二月収穫時になってみると予想外の多収穫実に(村特別一番)家族一同嬉し涙で青木先生に報告しました。
一般の家では闇肥料を買って施肥され、私方は配給肥料を金に替えて村一番の多収穫、何と言う大きな違いでしょう。ただただ御守護御利益の有難さに感謝し ております。次に私は野菜類も無肥料で作っております。先生方の特別の御慈悲と御取計いに依り大先生に毎月届けさせて頂き光栄に浴しております。
本年三月十五日に水菜を本年最後の分として御届けさして頂くべく、月初め水菜の植えた畑へ行き、余り沢山ありませんのでこの分だけ大先生に御届けするか ら誰も手をつけないようにと適当な場所の分だけ仕切をして置きました。そして十五日に畑へ行ってみるとなんと言う不思議でしよう、大先生に御届けする為に 仕切ったところは生き生きした水菜ではありませんか。仕切外の水菜は花頭が出来て最早食べられそうもない状態です。私は申すに及ばず家族一同余りの奇蹟の 尊さに大先生の御霊徳の尊さ有難さに感に打たれ、今はただただ感謝報恩の誠を表すより他なきと嬉びおります。
入信を顧みて
三重県鈴鹿市国分町
日本五六七教光栄会 永戸 勝記(25)
聖戦と言う美名の下に文字通り滅私奉公の一念に燃え、生死を超越して東洋平和を確立せんとせし努力こそ吾ら若人の本分と信じて戦い続けた太平洋戦も、惨 憺たる敗戦によって終止符がうたれた。爾来食糧飢饉、インフレ、交通地獄等国民は塗炭の苦しみに喘ぎ、籠から放たれた鳥のごとく暗黒の路頭に彷徨し、自暴 自棄に走り、その場限りの享楽を求め、至る所に醜い世相を呈している。この道義頑廃した濁世を救済するには宗教以外にないと叫ばれているにも拘わらず、現 実はどこ吹く風と益々悪化しつつあります。かかる現況に新興宗教としてその名を挙げたのが観音教であります。ここにおいて私の現在に至るまで入信による体 得の一端を記したいのである。
私とても入信当初は無神論者にてある方より信仰のお勧めにより、ただ手を振る事によって病気その他万事が解消すると伺いしも、ちょうど空を掴むがごとく 茫然とするのみで到底信ずる事が出来なかった。しかし昔から「疑いは信の始めなり」と言う事があるが、私も疑いつつ信仰している内にその結果が如実に現わ れ、手を振れば病が治ると言う事を知らされた。自分の気持もいつとなく次第に朗かになり、病気に対する考え方も異り、即ち病因と言うものが分れば、神霊放 射によりいかなる事も解決すると言う事を知り、日常生活においても何ら苦悩がなく、日々楽しく業務に従事する事が出来ます。この事はひとえに信仰即ち観音 様の御霊徳によらずして何であろう。私はこのお手振り功徳に対してはただ感謝の念にたえません。
なお最近観音耕作無肥料栽培という事が叫ばれておりますが、私の家とても農家にて入信以来度々先生より無肥栽培についてのお話をお聞き致し、私もまず試 験的にと思って実行してみましたが、果せるかな収穫してみれば意外にも実の多いのには驚歎致しました。爾来田畑全部を無肥料にて耕作致すべく努力致し、現 在全くの無肥料にてただ観音様の御光によってのみ作っております。しかして過去幾多の体験によって私は無肥にて増収出来る確信を得ました。
昨年のごとき風雨の烈しき時に対して肥料耕作においては気温が低調であったがため、軟柔徒長にて風雨に弱く、かつ又肥毒によって害虫の発生を見、多額の 減収致しましたにも拘わらず、無肥料においては草丈は割合に小さく風につよく、勿論肥毒による害虫の発生なく無病にて収穫期をむかえる事が出来ました。な お精米においても深く観察してみれば、ただ不思議の一字につき到底筆舌にては表わせません。すべて実行による確認にて、一日も早く世の中の人につげ、農産 物増収に一躍寄与せしめんため布教に努力しております。
今よく世間新興宗教を称してインチキ宗教となづけ、多くは迷信邪教視しているが、すべて彼らはその実態を把握しているのであろうか。余りにも外観的のみ にて批判する事の未知であることを感じられるのである。かように私はこの混沌たる世を救うには宗教の力以外ないと思います。そして未だ悪夢に彷いつつある 世人にお知らせ致すべく努力致しております。ここに入信一カ年半を顧みて所見を述べさせて頂きました。
蚕と無肥料栽培
兵庫県西宮市満地谷町一四
日本観音教天国会実生分会 森山実太郎氏談
島根県美濃郡高城村の石川勇氏は養蚕技師であるが、同氏の御話は御道の為中々示唆に富んでいる。いわく「戦争中養蚕は食糧増産の犠牲となって、桑畑は麦 畑とかわり、肥料の配給は激減した。だが蚕の成績品質はそんな悪条件下にもかかわらず良好であった。しかるに戦後再び桑畑は拡張され、肥料は続々配給さ れ、蚕の収量は増加したが品質は案外よくない。殊に昨年秋蚕(あきご)は、上蔟(じょうぞく)間際に蚕が弱って繭を作り得ないものが続出した。これは硝安 病と言って硝安を多量施肥したための中毒症状だと言う事になった。そして今後は桑園に金肥の施肥量を減少し堆肥を増加する事に専門家間で決定したそうであ る」
同氏はその直後本教の無肥料栽培に関する話を聞かれ共鳴するところあり入信されたのである。私達は今後同氏の手に依って有肥無肥の桑葉の蚕に及ぼす影響 について科学的、データの作成さるる事を期待している訳であるが、それにつけても化学肥料を大量に施した米麦が知らず識らずの間に人体をいかに害している かと考え及ぶ時慄然たらざるを得ない。その意味からでも私達はこのお道の発展の為に精進しなければならない事を痛感するのである。
家畜にまで御守護を戴いて
静岡県志太郡瀬戸谷村市之瀬
日本観音教天国会日光分会 向 島国太郎
この度牛の御浄霊について御報告させて戴きます。昨年一月十五日に牛の種付をして貰いました。その後御神体にお詣りしては暇ある毎に御浄霊をさせて戴い ておりました。十月二十日出産致しましたが二、三日前より注意していましたところ、二十日の昼頃ふと牛舎に行って見ますとビックリしました。親牛は半狂乱 になって牛舎の中を廻っております。仔牛が出かかったまま、ブラ下っているではありませんか。私は家に飛び込んで、一生懸命御神体にお念じしました。
すぐ行って見ますと、有難い事にあれ程苦しんでいた親牛はグッタリと寝ております。一心に御浄霊をいたしお蔭様で無事に牝牛が生れました。家中の喜びは たとえようもなく、一家揃って御神前に御礼を申上ました。それから二十日程たったあるる朝いつものように乳しぼりに行って見ますと、母牛は首をうなだれ、 グッタリとなって一向に動こうとしません。さあ大変、と早速お念じしながら御浄霊をいたしました。今度は中々起き上りません。そこへ近所の牛の事に明るい 人が来て注射を奨められ、申訳ない事に私は遂に頑張り切れず不安な気持でその言葉に応じました。しかし神様はこの私の迷った心を立直して下さいました。獣 医が針を刺すと間もなく折れて終い三分の一の薬も入らない程でした。
私はその時本当に迷って申訳なかった、これからは総て御観音様にお縋りしようと一生懸命御浄霊を始めましたところ、牛の腹が樽を洗う時のようにガラガラ と鳴り始めました。その中大小便の色の変った悪臭を放つのが沢山出て来ました。私は「確りしろよ、今にきっと達者になって何でも食べられるようになるか ら」と言いきかせながら、なお一心に御浄霊を続けました。そうした事が三日三晩続き、四日日のお昼頃より少しずつ食べ始めました。産後の事故中々体が整い ませんので一時は乳量も減りましたが、三カ月後にはすっかり回復して、又種付をする事に成りました。今度は種付前に御浄霊をし、種付後も御浄霊を致しまし た。どうかこれで又無事牝牛が宿りますようにお念じ致しております。
神様はこうした家畜までお救い下さる事を実際に体験させられまして、又日頃数々の御守護を頂きまして私達一家は毎日幸福な日を送らせて頂いております。 この幸福を早く世の人に知らせてやりたい気持で一杯です。誠に乱文で申訳ありませんが喜びのまま御報告させて頂きます。
獣医師に見放された牛は救はる
宮崎県兎湯郡加南村字川南
日本五六七教南光会 島田ヒ デ(60)
私は長年持病の喘息に苦しみ医者も薬も効なく、あらゆる人の良いと言う手当を致しても快方にならず、どうせ死なねば治らぬものと諦めていたのであります が、長男秋生(現教導師)が非常に観音様の御利益の有る事を聞き、去る二月十七日黒木(勝)先生よりお光を頂き、自分で浄霊しいる中に段々と快よくなり、 今では「セキ」も出ず大変楽になり、観音様の有難さに喜んでいる者であります。
たまたま当村内之宮代人氏(五十二)の牛が重態となり獣医の手当も何らの効果なく、家畜商達が「今の内に売らないと一銭にもならないから売れ」と勧めて も死ぬ迄は売れないと頑張っていると言う話を聞き、早速行って浄霊して上げました。するとどうでしょう。今迄熱のあった牛が大変熱が下り楽になったではあ りませんか。その後五回、六回の浄霊に依り今はすっかり快くなり、今では農耕に使役しても何ら異常の無い迄に代りました。内之宮氏の喜びは一方ならずまる で私を神様のように言ってくれまして今更ながら、観音様の御力に感激して喜びの余り御報告する次第でございます。
脳炎で絶望の豚が奇蹟蘇生す
宮崎県都城市五十町今村
日本観音教光宝会 水久保仲 吉(45)
現実の世にこれ程の奇蹟がありましょうか。ここに謹んで観音様の偉大な御守護の感激を発表させて頂きます。
私共夫婦は昭和二十一年の秋、教修を頂きその後御神体をお祀りさして頂き、今日まで限りないおかげを受け、一意信仰に精進させて頂いています。私は本月 十一日会社の所長会議のため熊本の支店へ出張し、十四日十二時帰って来ました。急用があってそのまま自宅に帰らず会社に立寄りましたところ、豚が大変悪い からすぐ帰るようにと電話がかかっておりました。
私の宅では家内が豚二頭を飼っております。わざわざ電話を掛けるようでは今流行の脳炎にやられたのではあるまいか。もし脳炎なら二頭ともやられているに 違いない、値段にして四万円、目の前が真暗になったような気持で、取るものもとりあえず帰宅しました。ちょうど二時頃でした、案の定大きな方が庭に四肢を 投出し気息奄々の有様で、妻は一生懸命御浄霊をしているし、それをどうしたことかと近所の人達六、七名が取り囲んで見守っている物々しい光景が目に映りま した。妻の話によると今朝六時頃飼料をやろうと思って豚舎に行ってみると、大きい方が痙攣を惹して苦しがっているので非常に驚き、早速近所の人の救いを求 め庭に持出し自分で御浄霊しながら、人を頼んで教導所の助手池山さんを呼ぶ一方別な人を頼んで会社へ電話をかけたりするなど大騒ぎだったとの事でした。
私の帰った時には池山さんが今御浄霊を済ましてお帰りになった直後でした。このように話す中にも豚は白眼を吊上げ口から泡を噴き四肢をバタバタさして痙 攣がひっきりなしに襲い、その光景は正視出来ないものがありました。近所の人達は「もう見込はないから一刻も早く獣医を呼んで、生きてる間に刺した方がよ いでないか」と私達の無暴にも似た行為に厳しい非難を浴せるのです。でも期する所があり黙々としてお浄霊を続けておりました。その夜当地の江口さん宅で研 究会が開かれる事になっており、これに出席の芝先生が丁度八時頃お出下さいました。その時は昼間の人達が信仰の力で果して病気が治るだろうかと、半信半疑 の気持で六、七名押かけていました。芝先生に早速お浄霊して頂きました。三十分もかかったでしょうか、その間激しい痙攣が三度来ました。お浄霊半ばに熱が スーッとひいて仕舞い、芝先生は「これで助かるんではないですか、まあ後を続けてお浄霊しておきなさい」と言って研究会に急がれました。先生がお帰りの後 三十分もしたでしょうか、あれ程昼間から待っていた尿と便がそれこそ物凄い勢で出て来たではありませんか、次の瞬間には豚は目をパッチリ見開いて前肢を掻 くような恰好をするので何心なく起してみると、スックリ起上ってヨチヨチ歩き出したではありませんか、その時の感激満座大騒ぎでした。
でも問題はこれからなのです。「後のお浄霊を続けるように」と言われたのも忘れ、これでよしと安心して仕舞い翌日(十五日)の昼すぎまでお浄霊を忘れて いました。それから朝の間はヨチヨチと庭を歩き廻り飼料をやると僅かながら食べるので大丈夫と言う気持があったのです。サア大変、病気は逆転した。午後二 時すぎになるとあれ程よくなっていた豚がもう起上ることはおろか舌を噛み出したまま目をつむり、ただ鼻先で浅い呼吸をかすかに続けているだけで、ほとんど 絶望の一歩手前までになってしまったのです。ちょうど四時半頃会社から帰ってみるとこの有様です。一度治っていた豚が又悪くなったと聞いて近所の人達が 二、三人駈付けていました。妻に「この様子ではヒョットすると絶望かも知れない、でも一家の曇りのため豚を死なせて近所の人達に無限絶大な観音妙智力に疑 いをもたせることになればこれ程残念なことはない、ここに至っては生きる死なせるも神委せだ。この上は真心こめて光明如来様に御守護をお願いするより外に 仕方がない」と決心し、教導所の池山さんを再び呼ぶ一方私共夫婦はそれこそ御神体の前に額づき、一心不乱に御守護をお願いしました。それが終って豚の所へ 行ってみますと池山さんが御浄霊の手を止めて「御霊紙を持って来ましたから卵子と一緒に呑ませてみましょうか」と言われて「駄目でしょう今迄何度も食べさ してみたのですが全然喉を通らんのです」と言って斜に切った竹筒にいささか中味を入れて、御霊紙とかき混ぜ豚の口の横の方を竹筒でこじあけて流し込みまし た。ところが何たる不思議でしょう、目をつむったまま口の中の卵の黄味を舌の先でぺチャペチャとなめるのです。オヤッと三人思わず顔を見合わせて「オイも う一つ」と私は家内に命じて今のようにして呑ませると吸い込むように喉を通りました。続けて又一つと都合三つを呑ませると目をパッチリ見開いてそのまま スックリ起上りました。
余りの激変に三人共呆然たらざるを得ませんでした。そしてその辺を無性に歩き廻り、頻りに食物を漁さる恰好をするのです。丁度レンゲ草の刈ったのがあっ たので、それを食わせると、いや食うの食わないの丸っきり気狂いのように食うのです。アア何たる奇蹟か、瀕死の病豚がこの激変振り、果してこれが事実であ ろうか、しかし事実は飽迄厳然たる事実であり、私共三人は声すら出ず余りの有難さと感激に目頭は熱くなり、胸の中にジンと込みあげて来るものを感じまし た。当日のことを今想っても矢張り夢のような気がいたします。
かくして発病して二日で完全に治り、今ではピンピンとして以前よりもよく食べるようになり、一日一日肥りつつあります。この一大事実の前にいかなる人も 頭の下らざるを得ない。最初は極力反対し悪口を言っていた隣家の兄がまず発心し、一週間目に教修と御神体を頂き、信仰生活の第一歩を踏み出したことです、 なんたる有難さでしょう。ここにありのままを発表さして頂きました。
甘く美味しい玉葱の収穫
和歌山県和歌山市吹屋町
日本五六七教松風会 萩原花 子(47)
無肥料栽培でお米やお麦が多収穫されるように聞いてはいましたが、私の長男が不治と思った神経痛が夢のように全快して以前より健康に製材の仕事に従事出 来るようになった事実を体験いたしていますので、私の方も無肥料で是非何かをと思っていました。まず手近に玉葱の栽培から始めました。いつもお世話になる 貴志教導所の先生のお説の通りにやって見ました。家庭菜園位のものでありますからこれという記録も取っていませんが、この頃では随分大きくなりました。収 穫の日を楽しみにしていましたところ、たまたま々近所の方から玉葱の葉(まびいたもの)を一把頂きましたのでお惣菜にいたしましたところ、苦い味がいたし ました。間引の玉葱なのでこんな味がするのかと思っていましたが家で作ったのを引いて来て喰べましたところ、これはどうした事でしよう。味は格段の美味し さと甘さ、苦味など少しもありません。成程無肥料は収穫もさることながらその味の良いのに驚きました。
これは真に些細なる体験でありますが無肥料栽培の効果を裏付けることに間違いの無い事で、私は家庭菜園のように小規模の農作にもこの「お光」を頂いて やって頂く方の一人でも多からん事を念願いたしています。
肥料を用いず二倍の収穫
兵庫県城崎郡三椒村三原
日本観音教天国会神光会 山 本清一(39)
大先生様よりこの度無肥料栽培についての御言葉がありまして誠に有難き思召と感激に堪えません。私方も一昨年家族が入信させて戴きました時、先生の御話 に金肥も使わぬ方がよいとの事を知らせて戴きまして早速稲作に実行いたしました。昨年と今年の結果から見ていよいよ来年度は金肥を絶対に使うまいと言う貴 重な体験を戴きました。しかも近年来の豊作と言われる北但馬で私達一部の信者のみが体験を得させて頂きました事は誠に感慨無量に堪えません。以下私の体験 が未だ無肥料栽培に不安を感じられる方達に些かでも御参考になれば幸甚に存じます。農家の皆様は近年来米の味が段々悪くなって来ている事に御気付と存じま すが、殊に今年の金肥を使いました米は誠に味のないもので御座いましょう。無肥料栽培と申しましてもただ金肥が悪いと言う事だけしか知りませんでしたの で、昨年は厩肥一点張りで全然金肥を使用せず今年は金肥厩肥無肥料栽培と分けてやって見ました(残念ながら厩肥も不可だと知らせて頂きましたのは今年の八 月で御座いました)。収穫は
金肥田 段当平均 二石
厩肥田 〃 二石七八斗
無肥田 〃 四石
施肥歩合は金肥田は厩肥三百貫、硫安七百匁、厩肥田は厩肥五百貫匁、無肥田は生草四百貫匁、右のような結果を得させて頂きましたので、絶対の信念をもっ て皆様に無肥料栽培をお奨めいたす事が出来ます。昨年と今年と考えて見まして来年は無肥で反当り五石は楽々と収穫出来ると信じております。野山の草木は何 も人間が施さなくとも年々生い繁って行きます。農作物も人工を施さなく共立派に育つものである、否むしろ人工(肥料)を施す事によって駄目にして終うと言 う事を強く知らせて頂きました。今迄増産報国の念に燃え、福井式、黒沢式、某宗教団体の酵素肥料など興味を持っていましたが、とても難しく私達には完全な 事が出来ませんでしたが、御教えの今度の無肥料栽培はこれは易々として誰にでも出来ます。誠に有難い事であります。静かに考えて見ますとこれこそ本当に限 りなき神様の御恵みで御座います。大先生様の御言葉の下に絶対の信念をもって皆様の前に無肥料栽培を御奨めさせて頂く事が出来るように御指導下さいました 中島先生や諸先生に深く御礼申上ます。
無肥料栽培の特色(二十三年十一月二十八日)
一、害虫が湧かなくなる
二、作物が丈夫になる
三、寄生虫に蛔虫の危険がない
四、肥料代が節約出来る
五、肥料購入や施肥、消毒薬散布の手数や労力が省ける
六、作物は美味で大きく収穫が高い
キャベツに花が出ぬ
大分県佐伯市西区一〇一二三番地ノ三
日本五六七教帰一会 塩見ト メノ(51)
私は昭和二十一年十一月二十三日K教導所においてお守を頂きまして以来、数々のお蔭を戴いている者でございます。
私は昨年の秋、最早他家のキャベツの苗は大きく成り定植した後に私方は蒔種しました。定植したのは一月の初めでございました。他家のを見て私方のを見ま すといかにも小さくて見るに忍びないので、そこで畑へ行く度に浄霊いたしておりました。四月中旬一週間ばかり畑へも行かず過したところ、ある日行って見ま すとほとんど全部がよく巻いていて、最早二、三出来過して割れるのもありました。一、二カ月も早く植えた他家の畑のはまだ巻いておりません。なお驚いた事 にはただの一本も花の咲いたのが無い事です。今年は一般に暖冬の為か、どこの畑でも大てい花が咲きました。中には畑全体が花が咲き残りの僅かばかりも満足 なのは出来ず、牛馬や兎の餌になっているような有様ですのに、私方は一本も花が出ませんのは、これひとえに観音様のお蔭と感謝いたしております。この一例 を見ましてもいかに観音力の偉大なるかを痛切に感ぜざるを得ぬのであります。
麦のヤミが入らず、雀が食わぬ
本年は麦もあまりに暖冬の為か、全国一般的に良作でない事はかねて新聞、ラジオでも報道せられている次第でありまして、私方でも土入を何回いたしまして も根が張らず、ただ立上るばかりでこの調子では「今年は麦は食えん」と諦めながらも畑へ行く度に浄霊いたしておりましたところが、この三月頃になります と、どんどんと良くなって来、今では例年より穀も大きく穂も大きく定めし実も大きく出来るだろうと期待しております。これに反して隣の畑は早い中に「ヤ ミ」が入って根が枯れ残りの分も私方よりずっと小さいのです。それから私方のは雀も食いませんが、私方の下側の畑は雀がつついて、狭い畑はほとんど食い尽 しております。豌豆(えんどう)も隣の畑は「ヤミ」が入り枯れて黄色くなっておりますが、私方のは青々と生立ちさやも沢山付いて例年にない出来栄と喜んで おります。これもひとえに観音様の御加護の賜と感泣いたしております。本当に観音力の偉大さは話したとて経験ある人でなくては分る事ではございません。拙 き私にはとても筆舌には尽されませんが発表さして頂き、有難い観音様の御恩の何万分の一にも報いられたらと拙き筆をとった次第でございます。
無肥料耕作の実践
三重県員弁郡阿下喜町本町一〇二三
日本五六七教光栄会 神谷徳 次郎(53)
私は終戦の年に海軍農耕隊の開墾した畑を借りて素人百姓をやっております。土地は強酸性土壌で付近の五十年六十年の古畑でも小麦反収二俵程度、甘藷二〇 〇-三〇〇貫の程度です。このように畑ではホウレン草、蓮華草などは生育しない程の悪土です。土地の人でも捨てたい位の悪土を素人が、しかも新畑を作っ たって何が出来るものかとてんで問題にしなかった。しかし私は強引に畑の中に小屋を作って住み二十年からいわゆる素人百姓をはじめました。作物は小麦と甘 藷の外見込がないので秋より小麦を作りましたが、四月頃には畑中一本も残らぬ迄に消えてしまいました。二十一年秋には二反歩まいて五斗位とれました。勿論 人肥を主とし、多少硫安、硝安を使用したのであります。二十二年にまいたのも相当努力したが六、七斗の収穫でした。昨年三月入信以来種々と無肥料耕作のこ とを承り早速昨年の大豆作より実施しましたところ、意外の御利益を頂き喜んでおります。
昨秋の播種には無肥料耕作を非常に不安に思ったというのは僅かの麦とて闇買の力のない私共家族に取っては命の親とも思われる程大事なものであり、万一と れなかった場合金で買うことを考えると、なかなか決断がつかなかった。今一つは農事試験場の試験成績その他農業雑誌類で見ると無肥料耕作では水稲は七割、 麦は三割程度よりとれないのが原則だということを読んでおり、これが非常な邪魔をした次第です。
結局一反歩を普通耕作、一反歩を無肥料耕作ということに落着した訳です。以下昨年来の無肥料耕作の結果を順次簡単に記します。
昭和二十三年度
一、白大豆 二割五分増収 大豆五十本ずつの比較
(イ)無肥料無浄霊区 四合三勺 粒不揃虫喰
(ロ)同 浄霊区 五合四勺 粒大虫喰少し
右のごとく浄霊のみにて二割五分増収
二、陸稲 発育の遅れたのが浄霊にて追付く
前記のごとく新畑にて土地に甚だしき肥痩あり約三十坪の発育が甚しく遅れ他は黄金色に変じているにこの部分は未だ穂が出かけた程度です。一生懸命御願し て五、六度浄霊をした結果刈入れ迄にはぐんぐん追付き他と見分けがつかぬようになり稔りの状態も他と変りなく、付近の人も不思議不思議の一点張りでした。
三、大根 収穫時に急速肥大す
普通畑と異った点は収穫近くなっても下葉の枯れない事、最も不思議に思ったことは収穫十日程前より急に肥大しその為畦が五分も六分もひび割れた事です。 漬物にして食べましたが味のよいことは生れてから初めてと大喜びです。
偉大なる無肥料の成果
奈良県磯城郡平野村保津
日本五六七教青心会 堀内寅 太郎(48)
大先生より無肥料耕作の御話しを聞きましたので早速実行しました。大先生は耕作は自然の摂理に従い化学肥料は有害であると説かれてありますので肥料は堆 肥のみにしました。私は今迄硫安を多く使っておりました故、土壌は酸化してこちこちに固まっていますから堆肥にて地力をつけなければいけないと思います。 従前の農作は搾取ばかりを目的とし土にかえすことをしませんでした。
私が体験した耕作法をお知らせします。
まず苗代から申し上げます。私は一反に付き十坪を使用します。苗代田を整理する前一畝に二十貫の堆肥(主に藁と草)をすき込み一坪に対して種籾二合蒔き ます。それ以前に種籾に十分間程浄霊します。そして苗代期間中に二回浄霊しました。種籾は勿論消毒しません。本田には元肥として堆肥反当り百五十貫を麦を かり取った後直ちに「二条蒔き」のものは麦の株間に、「一条蒔き」のときは麦株の上にふりまきすき込みます。
水を引いて田植するときは苗に浄霊し、移植します。田植後二十日ないし二十五日頃堆肥百五十貫を追肥、稲の成育状態は一般よりも悪く分けつ十五、六本か ら二十本程しかありません。村人達は私のすること又田の毛上をみて笑い気違い扱いにされました。
それもそのはず、一般人は硫安を多く使い苗も黒々として見ても気持良い田になっていますが私の田は赤々して藁も短かく株が細っそりとして見るからに貧弱 です。
私は発度か失望と近隣の困わくに焦燥を感じましたが前途に光明を信じ堅い信念を打ち込んでやりました。そして報いられました。
化学肥料(反当り七、八千円)を使った稲は長く黒くみかけは立派ですが倒れたり又「浮塵子(うんか)」がついたりして減収の家が沢山ありましたが私の方 は藁は固く虫害は全然なく又一本も倒れませんでした。私の地方は昨年は豊作でありました。平年作は二石八斗から二石九斗でありますが一般は三石二、三斗で 一割から一割五分の増収でしたが私は実に三割五分程度の増収であったのです。無肥料栽培は外観は平年作以下に見えましたが籾皮が薄く層米が出来ず粒が大き いのです。浄霊はかり取まで三回やりました。稲作によって無肥料栽培に自信がつき野菜も西瓜も皆これにならっています。
収穫は多く、その何と美味なることか、麦作も堆肥を反当り六、七百貫を二、三回施しました。収穫は未定ですが冬期は葉が短く薄茶色になり心配しましたが 前に施した化学肥料の浄化であると熱心に浄霊しました。春になって葉は草色になり軸も固く完全な穂が出ています。この分で多収穫疑いなしと確信を得まし た。私は無肥料栽培のいかに偉大なるかを知りここに報告しました。
野猪の被害に就ての御利益
三重県員弁郡治田村新町一二五二
日本五六七教光栄会 高辻善 助(44)
私の家は有難い御守護を日々賜り深く深く感謝の日を送らせて頂いております。その一つ二つを広く皆様に知って頂きたく拙き文にて御報告させて頂きます。
私の村は山村なので田はあちらこちらの谷間谷間に点在しており、稲作は申す迄もなく田畑の小麦、馬鈴薯、甘藷とあらゆる作物を野猪のために荒され農家の 者は年中防備に四苦八苦の手をつくし、その果に大きな被害を受けてホトホト手をやいております。その中でも一番皆が困るのは稲作の防猪です。皆が田のそば に番小屋を作り九月上旬の晩秋蚕の盛喰期より十一月の中旬頃迄の永い間雨の夜も嵐の夜も一夜も休まず毎夜毎夜番小屋に泊り、ほとんど寝ずの番をしていなが らなおかつ雨降りの夜などには荒されるのが常習なのです。私も昨年迄は人一倍の努力をもって防猪をやっては荒され困っておりましたが、昨年は観音様にて防 猪して頂けるような話を聞きましたので泊りにも行かず、一生懸命に毎日夕方になると田へ行っては浄霊をして何とかして何とかしてと思っておりましたが、そ の中に余り来たことのない田迄一度通って行きましたが、荒してないのでさては有難いお蔭だと喜んでおりました。ところが今度は二回目に来て一回目に通った 所を一通り荒し廻って行きました。さて困った、隣りの者は皆鵜の目鷹の目で見詰め腹を抱えて笑っているではないかと泣き出したくなりましたので桑名教導所 のお祭りに参詣して水谷先生に詳細をお話してお訊ねいたし、自分にて何とかしてと思っても駄目だと言う事に気づかせて頂き一切を観音様にお縋りしお任せし て御教の御用に一心になり、田は水加減を見に行った時浄霊する程度で防猪のことは捨てておきましたが、暫くの間は来ないのでお任せしてよかったと喜んだの もつかのま、又々毎夜のごとく荒し廻り今迄にない一番の大荒しをされて他の人々の蔭口と大笑いを受け、農家班にて検見に田を廻った時などは本当に穴へでも 入りたい思いで後から小さくなって行きました。皆の者も「これは皆無作だなあ」と言って見る田が二、三枚もあり、かり取るに大手間取りで困ったものだと悪 口されながら私も内心ホトホト泣いておりましたが、いよいよかりに掛りましたところ、全くお蔭様にも案外早くかり終り、稲も大荒されたにしては多くあるよ うに思え内心には幾分の光明を見出し喜びながらそれでも摺ってみる迄は心配でしたが、いよいよ摺ってマスに入れてみてアッと驚きました。一昨年はほとんど 被害なく穫りましたのに全収を比較すると昨年の全収の方が約二俵程多いではありませんか、余りの不思議とうれしさに早速光明如来様の前にて大慈大悲の観音 様の深き御恵みを感涙にむせぴながら家内と共に感謝し深くお礼申上ました。いかなる事も一心にお願いしてお縋りすればよい事に気づかせて頂いた喜びを感謝 いたしております。
なお妻が節分の夜より毎日のごとく次々の浄化を頂きましたが、その度毎に上の先生を通じお縋りしては浄化を楽にすまさせて頂き、尊き種々の体験を妻の身 体を持って覚得させて頂き有難く喜んでおりましたところ、三男も三月中旬と四月中旬に重症の肺炎の浄化を頂き三日程はお茶を少し飲むのみにて高熱に苦しみ おりましたが、二回共光明如来様のお祭りに先生に来て頂きましたので、御浄霊をして頂きましたらその夕方より御飯を食べ出し、二、三日後には前よりも元気 はよくなり健康にして頂き深き御恵みに浸り感涙にむせびおります。他の子供も次々と浄化を頂き私も先日高熱の風邪にて浄化を頂きましたが、一ノ宮の本部へ 参詣して翌日快癒させて頂く等有難い種々の御守護と御恵みを身をもって体験させて頂き一家揃って喜びの日々を感謝致しております。ただ有難い有難いと感謝 を捧げて万分の一にも報ゆべく励まして頂いております。農作物も田畑共無肥料耕作を実行しております。他の人様に少しでも早く知って頂くように努力いたし ております。誠のみしるし受けさせ給えと念願申上ます。拙なき筆にて私の誠心感謝の心を表わせませんところお許し下さい。愚な御報告ながら世の皆様へ知っ て頂ければこの上なき幸せとするところです。
無肥料の柿は落ちず
岐阜県稲葉郡日置江村字次木
日本五六七教八光会 堀 斧 衛(44)
私は大先生様の御教示に従いまして昭和二十三年度の稲作から無肥料耕作を実行しました、その結果は次の通りで御座いました。
平均反当り二石八斗のところ初年度は金肥ばかり施して来た関係で反当り一斗の減収を見ました。二年度は二石八斗で金肥の多かった程収穫は少なく無肥料の もの程収穫に減少を見なかった事になります。次にもう一つ有難い事は他の農家の方々は盛んに闇肥料を高価に買入れたにもかかわらず私はそれらの闇肥料を買 わなかっただけでもどれ程の大きな御利益でしょうか、この一事を見ても観音様の御力の量り知る事の出来ない絶大なる事が判ります。二十四年度の春、麦は勿 論無肥料耕作で御座います。結果は誰の畑にも負けない上出来で御座いますが、しかし春の延びかけの当時は他の人々の畑は青々としていましたが、私の畑はほ とんど黄色で村の人達からは笑われていました。そこで私は観音力の絶対で有る事を確信していますので人から何と言って笑われてもただ黙々として畑に向って 浄霊していましたところ、この頃になって断然他の農家の畑を凌ぎ村の人々も初めて夢から覚めたような面持で御座います。
私は柿も作っておりますが入信以外の方々は皆紙袋をかぶせますが、私は自然のままで包みませんでした。勿論無肥料で御座います、そして暇有る毎に浄霊致 しましたところ、他の柿はどんどん落ちるのに私方は少しも落ちる事なく味覚の点等も断然優秀で御座いました。初めてこれらの偉大なる観音力を知った方々は 真に驚いたのも無理からぬ事で御座います。益々尊い御力に縋り精励する覚悟で御座います。大先生様の御教示を厚く厚く感謝いたしましてここに御報告申上ま す。
肥害を語る
三重県河芸郡上野村西千里
日本五六七教三光会 教導師 後 藤周平(34)
極端な無神論者だった私がこの観音力によって種々の病気の癒されてゆく事実を幾多体験し、それに力を得て無肥料耕作を試みました。その事実を御報告申し 上げます。
まず稲は昨年が最初で播種の折には既に苗代には下肥が施してありました。
それは十坪の苗代に十荷(一荷十五貫入)程の下肥で非常に懸念いたしましたが、しかしいかんとする事も出来ず、除草を例年より二回多く行ったのみで全く 予想外の増収を得ました。当地方の田地は中位(普通田)で反当り六俵も穫れれば余程の好成績なのでありますが見事七俵三斗強の収穫を得ました。
さきに申し上げたように苗には既に下肥を含んでいた上に人手不足で何等特別の骨折りもなく一塊の堆肥も与えてなかったのですが実施一回にして右のような 御利益を頂きました。
ここで申添えたい事はこの中の二反が前年は干魃で一粒も穫れなかったのですが、昨年は他の田に比して断然収量の多かった事実であります。これを見てもい かに施肥が有害であるかを如実に見せつけられました。
この好適例として同じく昨年の茄子の変化を申し上げます。彼岸過ぎに播いた茄子の苗が至極順調に成育し、七月上旬には南瓜大のものが作付面積四坪のとこ ろから四貫余りも穫れ、普通二貫程度の穫れ高に比較して非常な成績だったのですが、半信半疑だった老父がいつのまにか下肥を施してしまいました。
僅かばかりでしたがそれまで水々しかった茄子の茎は次々に立枯れし、漸く結実してもそれは普通程度又はそれ以下になってしまいました。二度迄の尊い体験 に今年は寸分疑う事なく麦作を無肥料栽培しております。
堆肥がないので生藁を反当り百貫余と土肥(土と塵を混合したもの)を一反に付き約三百二十貫入れました。試みに播種後四月目(一番中耕)に根の成長を他 家の有肥のものと比較いたしましたが無肥料のもの一尺、有肥のもの四寸というかけはなれた事実をみました。
かねて教えられた通り茎の長さはその反対に無肥料二尺五寸、有肥料三尺という状態でありますが穂の一粒が絶対増収を物語っております。
以上私の体験は甚だ浅く何らの御参考にもなりませんが有肥の余りにも恐ろしい事実と無肥料麦の経過を御報告申し上げました。
無肥料耕作の体験談
三重県三重郡県村字北野
日本五六七教光栄会 秦 宣 孝(22)
私は昭和二十一年教修を受けさせて戴きましてから観音様の御力が病患の治癒のみでなく耕作においても無肥料耕作が有肥料に較べてはるかに収穫の多い事を 知らせて戴きました。
作物は有肥料でなくては絶対に収穫は望めぬと固く脳裏に植付けられている現在の百姓に無肥料栽培法の体験談を知らせても中々過去の観念は去りがたく事実 をもって立証しなくては解りません。それで昨年の春時期は遅れていますが空地を利用して馬鈴薯を実験させて戴きました。
私は経験こそ無いが、自信をもって進めたものの無肥料栽培がもし取れなかったならという心配と不安はありましたが、とにかく先生から教えられた通り種薯 を一生懸命御浄霊をいたしました。植付けましてより若菜が五、六寸位に伸びる迄はすくすくと延びましたのでこの分なら大丈夫と喜んでおりましたが喜びも束 の間、順調に芽生えた茎は次第に色がさめ枯れてしまったのです。意外な事に私はがっかりして家に帰っても物も言えず、どうしようかと途方に暮れたものの、 もうすっかりあきらめ田植の準備に取りかかりました。
ある日の事、枯れた馬鈴薯の畑を整理すべく出掛けました。それがなんと「開けてびっくり玉手箱」ではありませんか。掘ってみると今迄見捨てていた馬鈴薯 が普通より大きなのが一本の茎に五ツ六ツ出来ているではありませんか、嘘のような事実が目の前に現われ、自分ながら夢ではないかと疑いたい程の心地であり ました。この茎が枯れ薯のみ素晴らしく出来た不思議を先生に御尋ねしたところ「馬鈴薯が目的であるから茎はどうでもよい、薯が立派に出来ればよいのだ」と 教えられ今迄の常識が一度に消え去ったような感がいたしました。
この馬鈴薯の体験に依って得た自信と勇気とをもって稲作にかかれば無肥料栽培の結果も必ずよい収穫が得られるといぅ確信を得、耕作に取りかかりました。 稲作には化学肥料は悪いが藁や草木の落葉は良いと言う事も先生から御聞きし、出来得る限りの藁や草木の落葉を集める様努力いたしましたが、一町余りの田圃 に行渡るには不充分でありましたので、あるだけやり不足のところは全くの無肥料で作る事にして、後は自然の力に御願いする事として、苗代を作り種を一生懸 命に浄霊し、どうかして良く出来るようにと御浄めして播種いたしました。播いてからも度々田の見廻りに行く度に善言讃詞を奉唱し一生懸命に観音様に御願い して浄霊をいたしました。段々日の過るにつれて苗は大きくなり、有肥料にて播付けた苗は見るからに初夏を思わせる新緑に染っていますが、私の家のは大分黄 味を帯びているのでこれで一体出来るだろうかと疑念を抱き、心配でたまりませんでした。五月の中旬になって苗を本田に植付ける時も前と変らず黄味を帯びて いるので、どうしようかと疑っていましたが先生の御教通り実行すれば間違いはないと信じて植付けました。その時ふと鋭く感じた事は、色こそ赤味を帯びてい るが根の張りが固く、しっかりしているので気強く思いました。
一番除草の行われる時になりますと有肥料の田は黒々と延び茎の分蘖が始まっているのです、しかし私の家のは二番除草を行う時分になっても未だ色が悪いの で、大先生に御質問いたしましたところ「艶の悪いのは前の稲作の時の肥料の関係であるから、そのままにして置けば心配はいらない」と言われましたので、そ の通り放って置き除草の時は御守様を頂いている者でやりました。
それで万一無肥料にて出来なかったなら断食さえ覚悟せねばならぬと思うと一時として落付く事も出来ず一生懸命です。又村人達も驚かせてやろうと張切って いるのに、村人遠からは「あんな田圃では何が出来るか、米なぞとれるものか」とあざけり笑われました。しかし今に見ておれと自分自身を励まし、恥かしさ も、悲しさも、じっと我慢しておりました。
丁度四番除草の頃となりましたら思いがけなく稲の色も次第に恢復に向い出し、分蘖も有肥料程ではありませんがふえて来ました。又茎も何か思い出したよう に伸び始め除草が全部終了して土用になりますと、有肥料に較べて優るとも劣らぬ程に変って来ました。
今迄沈んだ淋しい気持はいつの間にか喜びに満たされ、出穂期に入るや異常な発育ぶりに喜びは一通りではありませんでした。「正しき御教に基き誠をもって 実行する時は必ず御恵みがある事を知ったのです」本当に家中喜んでいるといつとはなしに害虫のために大体出揃った稲穂が所々荒されているのです、これはど うしたものかと、心を痛め苦しみました。一難去って又一難この調子で行けばどうなるかと思い再度大先生に御質問いたしましたら「そのままにして置けばよ い」と言われたのでほっと一安心いたしました。間もなく収穫期に入ってみますと、有肥料に較べて問題にならぬ程延び実も良く実り、実際稲刈の結果は、果せ るかな、大望の成績が眼前に展開されたのです。
普通有肥料栽培にて取った米は、一俵が四斗二、三升なのに、観音様の御蔭にて三斗八升にて一俵十六貫に満ちるではありませんか、その上粒は大きく光沢の 良い事等未だかつて見た事のない立派な米が収穫されたのです。一時は村人達にあざけり笑われ、馬鹿に迄され、毎日毎日淋しく思いつめ、どうかしてと念願い たした結果において教えの通りにその成果が目前に立証されたのですから大変です。
村人の驚歎は申すに及ばず、家内中時には心魂を痛め、浮ぶ瀬のない味気なさを心の底迄味った中から誠に夢のような良結果として生れ出でたこの奇蹟なので す、全く有難い事です。
この観音様の崇高なる御霊徳にただただ感謝の念で一杯でその喜びは言語に絶するものであります。ただただ感謝の外はありません。
厚く御礼を申上げて一人でも多くそして一日も早く観音様の御力に縋り無肥料耕作を実行するよう御祈りいたします。有難う御座います。厚く御礼申上げま す。
不安一蹴の御利益
三重県津市北河路
日本五六七教三光会 佐野一 生(48)
無肥料耕作入門第一歩とでも申しましょうか、甚だ浅い経験ではありますが、短月数にして予想外の御利益を戴きました実際を御礼申上げます。
米、麦共に一回の経験で、米作を昨年初めて無肥料栽培しました。無肥といえば、徹底した無肥で、流石に不安を感じ、八月初旬頃やや好転するまでは全く気 がもめました。それから出穂、穫入れと調整するまでは初めての事とて勝手も判らず、つまらぬ事にまで気を廻す始末で、絶えず不安がつきまとってなりません でしたが、結果は検見実収五俵四升のところ、実収平均(一町一反)五俵二斗余も有って、平年作をやや上廻りここに不安を一蹴致しました。
これに自信を得た私は麦作も作付総面積の四反余を同じく無肥料耕作をいたしましたが、初期は米作以上に条件が悪く、到底出穂も覚束ないと半ば諦めており ました。米作によって一度体験していた私も、村人の漫罵の中に一抹の不安を抱いておりましたが、出穂前から俄然良好になり、今日この頃ではかつての忌わし い想像を完全に覆しております。
いついかなる時にもお縋りする事の尊さを払々味わいました。以上簡単ではありますが、私の戴きました御利益の一端を御報告させて頂きます。
無肥料米の重み
栃木県河内郡国本村大字宝木二良塚
五六七教信愛会 岩崎キヨ (48)
私は水田二町余歩を耕作する一農家の主婦で御座います。浄霊は人間ばかりでなく作物にも効果がある事を大貫先生から伺いました。ある日薩摩薯が色付くに は早い頃でしたが葉が約二分の一位黄色を帯びて病気のような症状でした。そこでこの時だと思い試みに浄霊を畠の隅迄行いました。約三、四日後行って見ます と驚きました。この間まで黄色かった甘藷はその面影もなく畠一面が真青でした。
最近になって無肥料耕作の良い事を聞き早速実行しました。種を浄霊し苗代に播種します。初めは別段変りなくすくすくと伸びました。が日数を重ねるに従い 次々と不安な状態になりました。他のと比較して他のは真青に伸びているのに反し私の方は赤くて発育悪く丁度線香を立てたように細いのです。これではどうな るかと心配でたまらず苗間に入り一心に浄霊を行い嘆息をもらしました。それからは苗代の草取りや田に行く度に浄霊をしました。いよいよ本田に移植する頃に なりましたが未だ束ねるのにやっとの思いでした。田植は入信者の馴れない人達を頼みました。
一番草、二番草も終りその間にひたすら念被観音力を唱え浄霊を行った次第です。しかも稲は他家と比較にならぬほどで不安を抱かずにはおられませんでし た。主人は「この様子ではとても供出出来ない」と再三申しましたけど私は最後まで貫行する決心でした。暇さえあれば浄霊を行いましたが穂が出始めました。 またたく内に見事に出揃い穂が大きいのには驚きました。いよいよ収穫期となり刈取りもすみ脱穀となりました。ところが昨年より俵が少いので次男は立腹し、 こんなことでは仕事をする甲斐もないと言うような始末です。これには私も閉口してしまいました、その後小泉先生が分会にお出の際その事を申しました際「未 だ籾摺がしてないでしょう、大丈夫ですよ」と申され御観音様の米は籾が薄く重量がかかるとの事心強く思いました。私が御面会に行った留守、米つくりをやっ たようで帰るより早く次男が笑顔で「母ちゃん、籾が十三俵で玄米十一俵もあったよ、全く観音様は有難いね、これでは供出も大丈夫だよ」と大喜びでした。私 もこれでほっとしその時の喜びは筆舌に尽せません。
お蔭様で供出も完了し家中大喜びで観音様の御利益の偉大さに感激せずにはいられません。今度こそは昨年の体験で確心しなお一層努力し収穫増量の上御観音 様に献上させて頂きたいとただ今より念願いたしている次第です。
無肥栽培の報告を読んで
初めて無肥料栽培を実施した作物の、そのほとんどは最初の数ケ月は、発育が悪く、茎も細く葉も黄色で、有肥の田畑と較べてすこぶる見劣りがする。という 事は試作者の異口同音に唱える声で、中には夜も寝られない程心配する者さえあるという事実で、これについて私は注意を与えたいのである。
元来、無肥料栽培といっても、その耕作する土壌もまた種子も全然肥毒のないものはない。長年の肥毒のため両方とも極端に変質しているのである。それがた め土壌本来の性能を発揮する力を失っている。それと共に種子の方も土壌の真の成分を吸収する力がない。何となれば肥料を吸収すべく変質しているからであ る。この理由としては、いかなる物質といえども対象物に適応すべき変質するのが原則である。たとえ、誤った対象物であっても絶えず繰返すにおいて、それに 適応するようになるのである。これがいわゆる中毒である。
以上の理によって、急激に無肥料になった場合、土壌本来の性能を直に発揮し得ない。といって今までのごとく吸収すべく肥料もない、という理由によって一 時衰弱するのである。しかるに一定時を過ぎると、肥毒は漸次消失すると共に、その入れ替りに土はその本質に還元するのである。それと同様種子の方も肥毒の 消滅によって、土性〔壌〕を吸収する本来の機能が活動を始めるので、両々(りょうりょう)あいまって収穫前頃俄然として本来の生育力を発揮するのである。
そうして中毒症状は、ひとり植物のみではない。動物においても同様である。例えば飲酒家が禁酒し、煙草喫みが禁煙をすれば一時は呆然として活動力が減殺 する。下剤常習者が便秘症となり、消化薬常習者が胃弱者となり、解熱剤常習者がやめると一旦高熱が出るという事や、モルヒネ中毒コカイン中毒者も同様の現 象を呈するにみても明らかである。また借金のある者が期日到達の際借替えすれば小康を得るが、借替えをやめ一時に返済をすれば苦しむがその後に至って安定 するのも同様の理である。
この理によって、真に無肥料栽培の偉力を発揮させるには、種子も土壌も全然肥毒が消失してからであって、それにはどうしても二、三年を要するのである。 しかし割合肥毒の少ない土壌または新規開拓地等は、最初から増収を得る場合も相当ある。
要は、汚穢のない最も清浄なる土壌であらねばならない。それによって驚くほどの効果を挙げ得るのである。故に無肥料栽培が全国的に行われるとすれば五割 の増収は容易であり、農民の収入は現在の倍額となり、労働時間は現在の半分で済む事になろう。
以上が五六七(みろく)の代の農耕と、そうして農民の生活状態である。
(神農生)
自観叢書第2篇
無肥料栽培法
昭和24年 7月1日発行
B6版 91P 定価50円
著者 岡田 自観
発行者 小泉守之助
発行所 日本五六七教会
「栄光」新聞掲載の案内文
本著が説く無肥料栽培によれば三割ないし五割の増収は確実である、その原理と方法、実験報告は遺憾なく本著に示されてある。